尾崎豊が死んで30年だって
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生きてたら今でも盗んだバイクで事故起こすとか歌ってたのかな 生きてるときにそういう歌からは卒業してクッキー焼いてくれって歌ってた 動画上がってたで
[Official] 尾崎 豊「I LOVE YOU」 (LIVE)
https://www.youtube.com/watch?v=pWL9zveNpqg 54歳ならまだ現役でやってるか
仲が良かった岡村ちゃんもまだやってるし どうみても不審な死に方だったのに
うやむやにされた 遺体ボコボコにされてたから明らかに暴行されて死んだんだろうに殺人事件にならなかったのはなんでなの もはやどうでもいい人物だろ
オッサンしか知らない過去の遺物 死んで2〜3年後くらいにウチの親父が社員旅行で東京行った時に
観光バスで現場を通ったときにバスガイドが
「ここで尾崎豊が死んでたんですよ」って紹介されたって言ってたな 大人が知らなかったたけで死んでから人気が高まったのではない 当時のフライデーかなんかに死体画像出てたよな
口から呼吸の管突っ込まれてて顔はボコボコ血まみれ
怖かったなあ >>14 よくある話
仕事が面倒と思ったら
適当に片付ける 末期のライブ映像とかガンギマリで目は逝ってるし呂律回らないし見苦しかった 若者のカリスマとワイドショーで散々やってたがちょっと違うんだよ
その世代でも知らない奴はいた
音楽興味無い奴とかね
熱狂的ファンがいてカリスマだったのは本当たけど全員ではない >>32
オレも!
周りでもらい泣きしてる奴もわからん! 高3でアイラブユーつくる化け物だぞ 説明不要の天才だよ 星野源はガッキーと結婚できてるからそこまで偉大でもない
過大評価 それくらいの微妙な人気だったやつが
死んで神格化されたんだよ 星野源はニューミュージック全盛期じゃ通用しなかっただろう 同世代だが尾崎なんかバカにしてたよ
音楽やってた奴はそういうヤツの方が多いと思う
バイクとかガラスとかダセーなっていう感じだった
盗んだバイクで走る奴も普通にいたしw 神格化は死ぬ前からされてた
神格化というか伝説化だな
生きてる時から伝説扱いされてた感じはあった 尾崎豊が厨二とか言ってるやつってあまりにも浅すぎるよな 見た目普通の兄ちゃんがイキりソング歌うって感じだからヤンキーとかにバカにはされてたな 北の国からの純とれいちゃんの会話
あれが尾崎なんだよ
好んで聴いてることを言えないような シェリー 俺は転がり続けて こんなとこ(狼)に辿り着いた 中学時代の尾崎ヲタから本貸してもらったけど
何を書いてるのかサッパリわからない内容だった
ポエム調で「僕があんパンを買ってきたらキミは不機嫌そうにポップコーンを買いに行った」
とか「だから!?」な内容連続 歌詞の過激さばかり注目されるけど作曲能力も高いし歌唱力や声質も最高なんだよね やたらワイドショーで死んだ時
盗んだバイクで走り出すが使われたのって
それが代表曲だからだろ? >>52
いや厨二だよ
♪自由っていったいなんだ〜って聴いたとき
思わずゲラゲラ笑ってしまった 二十歳の頃には曲作りに煮詰まってて海外行って薬に手を染めてしまった 代表曲はドーナツショップだろ
あれは尾崎にしかつくれない まあ明らかに度の過ぎた狂信的なのもいたから相殺やなぁ
メディアも面白がって教祖みたいに持ち上げて加担してたし >>62-63
こういうの言い出す奴が一番薄っぺらい 尾崎より上の世代だったから死んでニュースになるまで名前も知らなかった 年末のももクロ主催ライブで尾崎豊の息子がアイラブユーって歌ってた デビュー前のオーデ動画凄いよ 16歳ですでに完成されている 結構売れてからもなぜか板橋区とか足立区にずっと住んでた人 尾崎豊の曲ってパクリ感ないのに神がかったメロディなのがすごい 厨二病ってなんとなくそんな感じみたいに使われるけどそれをよく言うやつも厨二病っぽかったりする
尾崎の曲は幼稚だけど真理があるって感じだね
いい年して東大文学部出の倉本聰もハマったらしいから 作詞作曲歌唱すべてがSSなのは事実
おまけに見た目までいい カラオケだと
I LOVE YOU
oh my little girl
卒業
15の夜
くらいしかみんな知らないから他の曲は歌えないな Forget-me-not はああ聞いたことあるって感じの反応もあるから
ギリ歌えるかも >>78
Bruce Springsteen
分かってて言ってるのかもしれないけれど こういう手のひらの上の不良を支持してたのは当時からジジババ世代
リアル世代の若者は鼻で嗤ってた 卓偉が卒業証書破り捨てたのも尾崎豊リスペクトだからな 高度経済成長で社会の変化の途中で生まれたスター、
時代に求められた人 卒業証書破らないで出席もなにもしないで不登校なり中退なりしたほうがいいよね >>94
そういうことじゃないだろ
表現というものは ファンはイタい連中だと思ってたけど生前知らんあと乗っかり連中よりはマシだな 高校中退したから底辺高校生や不良らからカリスマ扱いされてたが
実際は裕福な家庭で青学付属と恵まれた上位高校生がこじらせただけでしたのオチ 高校の時の同級生に尾崎と結婚するって言ってたブス居たなあ 逆に子供にはあまり良さがわからんやろう
というか勘違いされてることに本人も悩んでたんでわ 1986年2月号 ロッキンオン
昨日、尾崎豊のコンサート『LASTTEENAGE・APPEARANCE』に行ってきた。
そのため今日は頭がはっしっしになってしまっている。
先ず、アレはなんだったんだろうなという気がする。
そして自分の中に尾崎豊への強い不信と深い失望がうず巻いているのを自覚してしまう。勇気を出していうことにしよう。
<尾崎豊ってバカなんじゃない!?>
代々木競技場第一体育館一階北スタンドから見た尾崎豊は、まるで影絵のようだった。
僕はアレが本当に青山学院高等部に通っていた尾崎豊だとは思えなかった。
日比谷野音で骨折した尾崎豊だとは思えなかったスポットライトを浴びて
”俺はお前らのためなら死ねる” とか ”今夜何かを分かち合った連中と愛を探してゆきたい” とかほざく男は、
果てしなく自省のない詭弁家だった。単なるキザだった。
僕は”ハイスクール・ロックンロールを一緒にうたってくれ!と絶叫する尾崎を見て、まるでセンセーみたいだと思った。
いったい尾崎はいつからこんなにエラクなってしまったのだろう???
開演前から悪い予感はしていたのだ。売店に置いてあるOZAKIグッズの数々とそれを熱にうなされたように買い求めるティーン・エイジャーの顔,顔。
まぁ、OZAKIバックとか、OZAKIタオルは、うーん、なんとか許せる。しかし何なのだ、あのOZAKIストーンというのは。
あんなもん何に使うのだ。 床の間にでもかざっておくのか。『これはOZAKIの投げた石です』とか言って家宝にしちゃうっていうのか。なんなのだ、それは。
ジョーダンじゃねえよ。と僕は思わずイシバシしてしまう。 高校の時は
ガリ勉で根暗そうな成績の良い女子が尾崎好きだった
男で聞いてるやつはいない
ただ死んだら男も聞き始めた 吉岡秀隆はプライベートでも可愛がられてたからへろへろで葬○行くとこ撮られてた 尾崎豊はあんなにイケメンなのに息子がとんでもなくブサイクなのは母の遺伝子?
相手一般人だっけ 音楽そのもののセンスはあったと思う
ただ「おちこぼれの代弁者」みたいな扱いには違和感しか無かったし
当時も今も食い付かないわ デビュー当初は大人への不満を歌っていたが売れてくると大人にいいように利用されてた
皮肉なものだ 今でも生きてたら晩年の峰岸徹みたいになってたのかな? >>125
ヲタだった女に声かけて付き合い結婚
ただかなり他ヲタから恨まれたらしいがな >>125
美形同士が親でも子供は微妙なんて
いくらでもあるわけで 当時チャゲアスにははまってたけど尾崎は全然知らない
岡村世代のホントに限定的数世代にしか聞かれてない アングラ雑誌だったころのぶぶかにものすごく詳しく書いてあった >>137
「イキッたガキが大人へ反抗する」が売りだったのに
そのガキが大人になってしまったからさあどうする?の時だったな
26歳が「大人が悪い、俺ら若者を認めろ」なんて歌っても共感無かったし 80年代の明るい時代の明るくない方の担当
音楽は極めて少ないヒューイルイス&ザニュースのフォロワーw そういや松任谷由実がラジオで「日本のロック界で一番先に死ぬのは内田裕也さんと思ってたら
まさか尾崎君だったとは驚いた」と言ってたわ ちょっと洗練されたチェッカーズみたいな音楽
後からフォロワー不可能w 井上昌己のNHKFMリクエストアワー聞いてたら尾崎が死んだ速報出たわ 宇多田も影響受けたと言ってたからやっぱり音楽性も優れてるんだと思う そのころもう社会人だったけど
なんとしても見ておかなきゃと思って
代々木国立に10代最後のツアーってのに行った
来ていたのは若い子ばかりで自分は場違いな感じ
凄まじかったよ、特にハイスクールロックンロール >>141
仲良し3人組ミュージシャン
尾崎豊(薬で逮捕)
吉川晃司(傷害で逮捕)
岡村靖幸(薬で逮捕) 歴史ってのは結局嘘でも捏造でも結果を残した奴の名前しか残らない
俺なんて当時から尾崎バカにしてたもんねwって奴の声は残らないのが切ないね 全裸で他人の家の庭で死ぬって迷惑な奴だよなぁ
そして庭で尾崎が死んだ事を利用して金儲けした家主もたいがいだよなぁ 死ぬ一年前に出たアルバムがオリコン1位なので落ち目というのは無理がある 私は人とは違う感を出しまくってた中二病全開のCoCo宮前が好きなアーティストで挙げてたのが尾崎とPSYS
要するに認知度&人気度で言うとPSYSみたいなポジション 当時完全に子どもだったからよく知らないんだけど
全裸で死んでたの?
尾崎 1965年11月29日 - 1992年4月25日(26歳没)
つんく 1968年10月29日 -1992年7月メジャーデビュー PSYSってシティハンターの曲だけ知ってて映像で見たこと無かったけど
YouTubeで初めて見て想像してたのと全然違ったわ 一時期息子がテレビに出てたけど最近見かけないな
まあ声は似てたよ 他人の家の庭で全裸で倒れていたがその時はまだ亡くなってない
病院に運ばれたが奥さんが無理やり家に帰して家で亡くなった
奥さんは尾崎父と仲悪かったという話 死んで何年とか聞くと生きてる事の重要性に気付かされるな 麻薬のやり過ぎで幻覚が見えて暴れてた
肺水腫言うも普段ならたいして重くは無い病気なのに
麻薬で免疫機能が落ちたから重症化し死んだと記憶する 今日命日かと思ったら来月かよw
1992年4月25日 ソニー全盛だったな
ソニーのアーティストだけでフェスみたいなのよくやってた テレビで流れるのは必ず卒業だからつまらん
俺は太陽の破片が一番好きだなあ >>168
その息子が尾崎豊展イベントに出席してるの
今日夕方の芸能ニュースでやってた
白Tシャツが似合うのは尾崎豊と白州次郎ぐらい言うて
笑いとってたわ 尾崎豊展なんかやってんのか
2022.3.23[WED] - 4.4[MON]
東京・松屋銀座 >>177
斉藤由貴も今出てきた
やっぱりかわいい 死んでからのその手の尾崎のイベントや死んでからのアルバムは嫁に金入るから 尾崎って練馬東中学校出身なんだよな
当時の練東って練馬区内でも指折りのツッパリ極悪校だった >>184
へー行ってみようかなまあグッズはいらねえけど
グッズ付き入場券¥2,700
(オリジナル8cm シングル CD風 アクリルスタンド)
一般¥1,500 でも公立中から青学高なんて入れるやつは学年トップじゃないと無理だった
今は知らないが昔はそこと慶應付属と早稲田高等学院が
有名大学へ内部進学できると超難関だった そもそも盗んだバイクは友達の話だからな尾崎はバイク盗む勇気も無いよ >>160
服脱がされてたのか身体をぶん殴られてたみたいだね
当時の写真週刊誌に載ってた写真は衝撃的だったわ顔もアザが凄かった 身内を使って忘れないでキャンペーンは逆効果と思うけどどうなんだろうね 曲聞いたことないんだよなあ
当時流行ってたのかなあ 26だったか
そんな若かったか
どうせ死ぬなら27Clubに加入しときたかったな
https://en.wikipedia.org/wiki/27_Club >>201
I Love youはドラマの挿入歌だったから一般人でも記憶にある
他はヲタクしか知らないってとこかと 無知だなあ
OH MY LITTLE GIRLもドラマ主題歌だろ無能 『この世の果て』(このよのはて)は、1994年(平成6年)1月10日から3月28日までフジテレビ系列月9枠で放送されたテレビドラマ。
全12回。平均視聴率22.9%、最高視聴率25.3%。全ての回で20%以上の視聴率を記録している。 幻冬舎社長 見城徹 (当時角川書店社員) と尾崎豊
尾崎は覚せい剤で逮捕され、角川の見城と尾崎の関係も一度はそこまでになった。全てを失ってボロボロの尾崎との再会はジムだった。
白髪交じりで、ダボダボの体の青年?から「見城さん?」声をかけられた。「尾崎ですよ」でも、余りにも自分の知ってる尾崎とかけ離れたその姿に尾崎豊とは分からなかった。
当時見城は仕事に対する情熱を見出せなくなっていて、尾崎の再生を自分自身の仕事の情熱の再生とダブらせて、再び尾崎とどっぷりの関係を始めた。尾崎のために会社に内緒で銀行からお金を借りたりして、まさに尾崎と心中するくらいの勢いだった。
尾崎は見事「誕生」というアルバムで、新生尾崎としての再スタートを飾り、初登場オリコン1位という結果。二人で抱き合って泣いた。
でも、尾崎の深い孤独というか、信じた人にはとことん自分を愛して欲しいというわがままというか、それに見城がついていけない感がここら辺から出てきた。
ツアーには全部ついてきて欲しいだとか、今のレコード会社には信じられる人がいないから、見城さんレコード会社作ってよ・・・尾崎は唯一信じられる見城に、真っ向からぶつかった。しかし見城はそれを受け止め切れなかった。そこから二人の関係は疎遠になった。
尾崎が亡くなる3週間前に尾崎から久しぶりに電話があった、その時も見城は尾崎に対してそっけない態度を取ってしまった。あの時「今から来いよ・・・」と言ってやれば良かったと今でも後悔している部分もあるが、それでも、あれで良かったと思う。
尾崎の訃報を知らせる留守番電話が34件入っていた。その中で唯一、尾崎再生に向けて一緒に闘ったSONYのスタッフにだけは電話をした。その人が見城に「正直、ホッとしました」という言葉を言った。普通に考えればひどい言葉に聞こえるが、見城も同じ気持ちだった。 一緒につるんでた岡村ちゃんも吉川晃司も現役だというのに 岡村ちゃんのアルバム家庭教師をキモッと吐き捨てた尾崎w 岡村キモかったからな
金山一彦とやった主演映画なんてキチガイにしか見えん 死後いろんな関係者が本出してたけど
どの本にも共通するのが酒癖の悪さ 精神が弱いと酒に走りそれで酔えなくなるとクスリだからな 東野幸治も岡村靖幸を
自分ひとりだけかっこいいと思いこんでかっこつけてる頭おかしい奴がいる
って喋ってたわ >>4
自分も
だからリアルタイムでは子供の頃ドラマの主題歌になった
オーマイリルガ〜って曲しか知らない あまり伸びないな
ハロヲタになるような中年はやはり尾崎には眉唾のタイプ
尾崎世代なんかが黄金期のモーヲタ主力なんだろうけどモー娘。でてくるまでおじさんたち何してたんだろうね コミックソングとしては素晴らしい
ここまで笑える歌を作れる人は中々居ない 訃報は日テレのニュースで知った
井田由美が歌手の尾崎豊さんがって言い出したから
また何かやらかしたのかと思ったら 尾崎豊の父親って陸上自衛隊防衛事務官として朝霞駐屯地に勤務してたらしいけど
何時ごろ退館したか知ってる?
Wikipedia見ても載ってないんだけど 尾崎豊の息子と斉藤由貴が顔を合わせたらすごく気まずそうだな
会ったことあるのかな? 別にファンじゃなかったけど
17歳の地図の作詞能力とかどう考えてもすごいだろ
後音楽的にはスプリングスティーンのフォロワー
ピアノとサックスの使い方ね
まああの時代に日本にはそーいうのいっぱいいたが 死人に口無し、中村あゆみに今さら交際を暴露された尾崎豊
今回ツッコませていただくのは、7月24日放送分の情報番組『おもいッきりDON!』(日本テレビ系)。
お昼のヌルい時間帯に何気なくチャンネルを変えると、目を疑うような仰天の生中継が行われていたのである。
それは、横浜の山手を歌手・中村あゆみが散策し、若い頃の思い出のスポットなどを紹介するといった、一見、毒にも薬にもならなさそうな内容だ。
だが、ひっかかったのは、画面にずっと出ていたこんなテロップ。
「私の彼は大物歌手Yでした」
これだけだったら本来、「どうでもよい」と思う視聴者は多かったことだろう。驚いたのは、中村本人の口から「Y」の正体として、
「尾崎(豊)」という名前が語られたこと! また、尾崎豊の顔が映し出されたこと! さらにバックで尾崎豊の曲が流れ続けていたこと!
「尾崎は私の彼氏だった」「NYで知り合って、惹かれあって」「こうして横浜の街で〜」
どういう顔をして聞いていいかわからないような内容を、ごく普通に語る中村あゆみ。
その間、何度も思い出を懐かしむように、「そのとき、アイツは〜」「アイツがここでいつも〜」と、「アイツ」を親しげに連発していた。
実際、中村あゆみはこのところ、尾崎豊の楽曲をベースにした舞台を行ったり、カバーCDを出したり、
かつての交友関係のことも積極的に語るようになってきていた。
あるインタビューでは「お互いガラスのように尖っているけど、でも、決定的に違っていたのは、男と女だった」
「ふたりは、すごく似ていたなと思う」などと語っていたこともあり、「友達」というスタンスはずっと変わらなかった。
それが実際のところ、彼女自身が言うように「彼氏」「彼女」の関係だったとしても、そのこと自体は不思議ではないと思うし、他者がとやかく言うことではないと思う。
ただ、それをなぜ今? なぜテレビで? さらに疑問なのは、なぜあえて『おもいッきりDON!』での生中継で? 歌手・中村あゆみが、24日放送の情報番組『おもいッきりDON』(日本テレビ系)で、
1992年に亡くなった歌手の故・尾崎豊さんと交際していたことを明かした。
番組では、尾崎さんとの“思い出の地”である横浜・山手町を訪ね、「出会ったのはニューヨークで、東京に戻ってからも
(尾崎から)『遊びに行こうよ』と誘われた」と尾崎さんから熱烈なアプローチを受けていたことを告白。
当時、山手町を2人でデートした際には、尾崎から「あゆみちゃん、腕組んで恋人同士みたいに歩いてみないか」と誘われ、
中村はとまどいながらも従うと、周囲に人だかりができてしまったというエピソードを明かした。
尾崎さんの名曲「僕が僕であるために」をカバーし、現在CMでもオンエアされ、注目を集める中村。
そんな彼女が、尾崎さんと恋人関係だった時期があったことを告白。
同番組・金曜日のレギュラーコーナー「DODONPA 昭和名曲探訪」で、人気歌手が思い出の地を尋ねるという企画で、
中村は尾崎さんとの“思い出の地”である横浜・山手町を訪れた。
中村は「向こう(尾崎さん)はガンガン売れてるわけじゃん。ジャガーかベンツで迎えに来るかと思ったら、
エアコンが壊れた小さなシビックだった」と笑顔で当時を振り返る。
また、「2人の合言葉はいつも“ギリギリで生きる”だった。がけっぷちを寸前で止まるみたいな……」とロック歌手らしい一面をうかがわせる話も飛び出した。
今年でデビュー25周年を迎える中村は、6月24日に発売したカバーアルバム第2弾『VOICE II AYUMI NAKAMURA tears』では、
尾崎さんの「僕が僕であるために」に加え、「Forget-me-not」もカバーしている。 で、結局モーヲタおじさんたちってモー娘。出てくるまで何してたの? ハロヲタに尾崎語る人たちが全然いないってことはいいことだと思うわ
尾崎にはまってる人たちはもっと成功してるよな
謎マジョリティなんだよ 最初の歌謡ポップ、歌謡ロックプな時代はいいよな
ありがちだけどキャリア重ねてつまんなくなった
アレンジが無駄に重く暑苦しくなって聞けたもんじゃなかった
浜省も尾崎も初期の方がいいね もしあのまま生きてても田代みたいに何度もお世話になって晩節汚してただけだと思う >>48
当時で海外から音源取り寄せられるような音楽好きってガラス割ったりバイク盗むやつの被害者側のインテリボンボンだったからな >>208
拘置所で太るなんて吉澤ひとみと大違いだ ソニーやみしろが死んでホッツしましたというのはなんなんだろ
やはり歌詞は自分は不良ではないのに不良の子供を想定して書きましたよ
とか言うものじゃなくて尾崎事態がめちゃくちゃジェームスディーンみたいなやつだったってことだよね コンサート全部ついてきてくれとか
アーティスツなら普通のお願いに聞こえるが
みしろはコンサートはコンサートでそれが企画や創作が出来上がるまでを企画するのが仕事なんで
ライブの良し悪しがどうまでそんなことわからんし毎回同じ曲聞いて全部同じにしか聞こえんしそれには興味ないからめんどくさいってことだったんだろうね
尾崎にいない求められた理解者の役割やるならこんさぐらい全通してやるのはむしろやるべきじゃね? ハロヲタはツアーなりハロコンなり全通してる人いくらでもいるよな
お前らの方がみしろより偉い よく知らんけどロック系の曲はスプリングスティーンだとは思ったな
ただバラードのがオリジナリティあって有名だしやっぱり才能あったんでしょうね >>231
逆
高校中退したアホどもが尾崎に共感した!とほざいてた
うちの従兄弟もその連中の一人だが今は築地の場外市場でタマゴを焼いてるくらいだわ 尾崎?高校中退の負け犬と見下し一流大学へ行った連中の方が
モーヲタになりましたのパターンだけど 尾崎豊の息子と山口百恵の息子でコンビを組んでほしい 尾崎と乃木坂4期のグッズが全く同じなんだな
CD風アクキー 名前すら忘れたくらい無名な歌手だったが
尾崎が死んだ時に突然ファン代表ですとかで追悼番組などに出て「I love you」まで歌ったやつがいた
他一般ファンは「その曲だけは歌わないでくれ」言うも無視され結果暴走したやつがそいつを襲撃し逮捕
その無名歌手は「罪軽くしてやって」と寛大な事言ったがそのうち消えたな 電波少年で松村が尾崎の碑みたいな所行ったら尾崎ファンにマジギレされて絡まれてた 尾崎が無くなって30年と言われてもそんなもんだろうと思うけど
ヒデが無くなって四半世紀(実際には24年だが)だと言われると納得いかんよなせいぜい10年程度前に思う
というか5〜6年しか変わらず今となっては誤差みたいなモンで同時期の扱いかと思うと ヒデとか後から作られたカリスマ笑とかだから尾崎とは比べる対象にすらならない ウンナンと交流があったらしく出川主催の劇団SHA・LA・LAの舞台観に来たらしい >>256
あの放送から尾崎信者がクローズアップされてカルト言われるようになったんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています