岩澤さんは日本人の父親とチェコ人の母親の間に生まれ、日本と海外を行き来しながら育ちました。少し茶色がかった髪に、彫りの深い顔だち。岩澤さんが日本の小学校に通うようになったのは、1年生の2学期のこと。ハンガリーから帰国し、大阪の小学校に転入したのです。

日本で、たくさんの友達ができることを楽しみにしていた岩澤さん。しかし、彼女を待っていたのは、予想もしなかった厳しいことばでした。
「早く外国帰りや」
「なんで日本人ちゃうのに日本語しゃべんの?」
関西弁を話さない転校生というだけでも珍しいのに、海外からとなればなおのこと「特殊」な存在として見られたといいます。


「外人なのに寿司店で働くな」

高校生になり、寿司店でアルバイトを始めたころのことです。店で接客をしていると、客から突然、胸に付けていたネームプレートを取り上げられました。
その客は、漢字で書かれた名前をみて、外国人が日本人の名前をかたっていると誤解し、腹を立てたのです。

岩澤さん
「ショックよりも怖いという気持ちが大きかったです。でもバイトに入ったばかりで大ごとにしたくなかったので、誰にも言えませんでした」

つらい体験はその後も続きました。
「外人なのに寿司を出す店で働くな」
「ヨーロッパだからビールめっちゃ飲むんでしょう」

客から「よそ者」のように扱われたり、ひどいことばをかけられたりしたというのです。それがどれだけつらいことか、周りの人に話しても理解してもらえないと思った岩澤さんは、ただ我慢するしかなかったといいます。

岩澤さん
「悪気はないんだろうなと思いつつも結構傷ついて、バイトに行く回数が減っていって、そのうち行かなくなってしまいました」

https://www3.nhk.or.jp/news/special/izon/20210105mitame.html