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ソ連軍の懲罰部隊がエグい
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垢版 |
2022/02/26(土) 10:37:22.500
1942年6月にスターリングラード攻防戦が起きると、翌7月にヨシフ・スターリンは、「一歩も下がるな」命令として知られる ソ連国防人民委員令第227号を発令した。この第227号命令は、無許可の退却・後退に対して死刑を含む厳しい刑罰を課すものであったが、その中には新しい懲罰大隊、および懲罰中隊の創設も含まれていた。

第227号命令違反に限らず、臆病なふるまいをしたとされる士官や下士官は、通常は兵卒に降格されたうえで懲罰部隊に送られた。

捕虜となっていたソ連兵。ソ連兵にとって捕虜となることは国家に対する反逆行為とみなされ、救出されたり、脱走に成功しても、自発的に敵軍に投降した者とともに「元軍人」として扱われた。

敵軍勢力下に取り残された「敵軍に包囲された者」。これら捕虜にはならなかったソ連兵は、多くはパルチザンに加わったり、なんとかソ連軍の勢力圏まで敵陣を突破して生還したりしたが、捕虜と同様に冷遇された。

懲罰部隊に送られた人間は、総計で42万7910人にものぼった。

懲罰歩兵大隊・懲罰歩兵中隊の場合、配属期間はおよそ1ヶ月から3ヶ月とされた。うち最長の3ヶ月を与えられるのは原則として死刑判決を受けた人間に限られたが、死刑は第227号命令違反への標準的な刑罰であった。標準的な懲役刑との間には一定の交換比率が存在した。懲罰歩兵部隊に送られた者は、戦傷を負って「血で罪が浄化された」か、英雄的戦果をあげれば減刑や原隊復帰が認められた。

空軍の懲罰戦隊は、戦傷による減刑が得にくいという点で、懲罰歩兵大隊に比べて不利であった。なぜなら、空戦で負傷することは、そのまま戦死につながることが多かったからである。懲罰戦隊のパイロットは、通常は戦死するまで出撃を割り当て続けられた。

また、空軍懲罰戦隊の後方銃座などの銃手は、戦死率がきわめて高い。彼らは規則上は10回の生還の後に解放されるはずだったが、往々にしてその前に地雷処理部隊に転属させられてしまった。

地雷処理部隊の平均寿命は、ただでさえ短い懲罰大隊の歩兵と比べても短かった。
彼らは敵の防護が特に厳重な箇所に対して突破可能か試すのに使われ、地雷原を歩いて突破しての「地雷除去」をさせられた。また、敵の強度を測定するために威力偵察として突撃させられたり、囮部隊にされたりした。

懲罰部隊の戦闘時には、NKVDやスメルシなどの督戦隊が後方に配置された。督戦隊には元懲罰部隊兵士や、懲罰部隊送りを避けるために志願した兵も多かった。彼らは、懲罰部隊の兵が退却しようとすれば「スパイ」とみなして即座に射殺し、ドイツ軍の反撃で止められるまで進撃を続けさせた
この結果として懲罰大隊はどこに行ったとしても、敵の地雷や銃弾・砲弾で死ぬまで進撃を続けなければならなかった。もし生き延びて目的を達成しても、彼らは再び集められて次の攻撃で用いられた。
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2022/02/26(土) 10:46:52.020
スパルタよりは甘い
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2022/02/26(土) 11:37:38.630
とりあえず300百人でウクライナ倒してこい
0004名無し募集中。。。
垢版 |
2022/02/26(土) 11:42:38.070
人権も糞もないな
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