【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン110
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浄土真宗(真宗)系の全宗派の話題を包括して取り上げる総合スレの第110弾です。
「どうして浄土真宗では○○をしてはいけないの?」という素朴な疑問から
批判・要望、各宗派を取り巻く諸問題、教義・教説、堂宇・荘厳、
全国各地の真宗寺院・念仏道場・説教所に至るまで、ありとあらゆる話題を取り扱います。
阿弥陀如来から見ればみな罪悪生死の凡夫。楽しく語らいましょう。
浄土真宗各派の情報交換の場としてもご活用ください。
大阪和歌山からdion,bbtecで「効き目ある」と書き込む高野山真言宗信者(通称キチガイ語尾w)は荒らしなので御用心。
真宗大谷派・東本願寺系諸派総合スレッド Part56
matsuri.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1596777323/
前スレ
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン107
kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1641332231/
【御同朋】浄土真宗(真宗)総合サロン108
kizuna.5ch.net/test/read.cgi/kyoto/1648019642/ ということは、つまりスッタニパータやダンマパダは古代マガダ語で記述という証拠のみが紛れも無く確実に在るのですねw
やはり、なるほど未だにそれを否定する証拠は紛れも無く明確に実存しませんのでw
奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wはそれでは十善戒を守ってないことになりますねw
なので奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wは中村元氏とか水野弘元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wはとても非常に数多くの人々からとても物凄く嘲笑されていることになっているのですねw
仏教は効果はとても非常に物凄く絶大に在ることになりますねw
新型コロナ封じ込め政策は成功なのですから、高野山真言宗での曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷は効果はとても非常に在りますねw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたねw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く絶大に在ることになりますねw ということは、つまりスッタニパータやダンマパダは古代マガダ語で記述という証拠のみが紛れも無く確実に在るのですねw
やはり、なるほど未だにそれを否定する証拠は紛れも無く明確に実存しませんのでw
奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wはそれでは十善戒を守ってないことになりますねw
なので奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wは中村元氏とか水野弘元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wはとても非常に数多くの人々からとても物凄く嘲笑されていることになっているのですねw
仏教は効果はとても非常に物凄く絶大に在ることになりますねw
新型コロナ封じ込め政策は成功なのですから、高野山真言宗での曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷は効果はとても非常に在りますねw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたねw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く絶大に在ることになりますねw ということは、つまりスッタニパータやダンマパダは古代マガダ語で記述という証拠のみが紛れも無く確実に在るのですねw
やはり、なるほど未だにそれを否定する証拠は紛れも無く明確に実存しませんのでw
奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wはそれでは十善戒を守ってないことになりますねw
なので奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wは中村元氏とか水野弘元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
奈良のinfowebでレスしているキチガイ語尾wはとても非常に数多くの人々からとても物凄く嘲笑されていることになっているのですねw
仏教は効果はとても非常に物凄く絶大に在ることになりますねw
新型コロナ封じ込め政策は成功なのですから、高野山真言宗での曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷は効果はとても非常に在りますねw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたねw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く絶大に在ることになりますねw ということは、やはりスッタニパータやダンマパダはマガダ語の方言で記述というのは大嘘でそんな証拠も皆無ですねw
なるほど、つまりスッタニパータやダンマパダはパーリ語で記述という証拠のみが明確にあってソースであふれていますねw
大阪和歌山dion,bbtecのキチガイ語尾wは十善戒ですらも守ることができてませんねw
だから大阪和歌山dion,bbtecのキチガイ語尾wはスッタニパータやダンマパダはマガダ語がパーリ語に翻訳されてパーリ語で書かれていること理解できないという墓穴を掘っていますねw
それどころか大阪和歌山dion,bbtecのキチガイ語尾wマガダ語が俗語であることすら理解できないので
大阪和歌山dion,bbtecのキチガイ語尾wはとても数多くの皆様方からとても物凄く嘲笑されていますねw
仏教は効き目はとても非常に物凄く絶大に皆無だということになりますねw
新型コロナ対策は大失敗したから、高野山真言宗で修した曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷の効き目は全く皆無で最悪でしたねw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救済されませんでしたねw
高野山真言宗の祈祷は効き目はとても非常に物凄く最悪に無いということになりますねw
結縁灌頂が中止www ワロタwww
大阪和歌山dion,bbtecのキチガイ語尾w=>>2-4が惨敗しているようだなwww
浄土真宗も御利益無しだなwww ということは、なるほどスッタニパータやダンマパダは古代マガダ語で記述という証拠のみが明らかに確かに間違い無く確実に在るのですねw
やはり、つまり未だに明らかにそれを否定する証拠は明確に紛れも無く実存しませんのでw
奈良infowebキチガイ語尾wはそれでは十善戒を守ってないことになりますねw
なので奈良infowebキチガイ語尾wは中村元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
奈良infowebキチガイ語尾wはとても非常に多くの人々からとても物凄く嘲笑されていることになっているのですねw
仏教は効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw
新型コロナ封じ込め政策は成功なのですから、高野山真言宗での曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷は効果がとても非常に在りますねw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたねw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw ということは、なるほどスッタニパータやダンマパダは古代マガダ語で記述という証拠のみが明らかに確かに間違い無く確実に在るのですねw
やはり、つまり未だに明らかにそれを否定する証拠は明確に紛れも無く実存しませんのでw
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なので奈良infowebキチガイ語尾wは中村元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
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仏教は効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw
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感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたねw
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仏教は効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw
新型コロナ封じ込め政策は成功なのですから、高野山真言宗での曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷は効果がとても非常に在りますねw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたねw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw うんうん、だからコロナを克服した、打ち克った宗教を教えてよ、具体例を挙げて。
たとえば、集会を禁止しませんでした、とか、宗教上の理由で注射を打ちませんでした、
僧侶も檀信徒も誰一人マスクもせず生活して感染者もいませんでした、とか。 >>10
大阪和歌山からdion.bbtecでレスしているキチガイ語尾w=>>7-9にその要求は可哀そうだwww
奴はもう自暴自棄で嘘しか言えなくなってしまったのだからwww ということは、つまりスッタニパータやダンマパダはマガダ語の方言で記述という証拠のみ明らか新紛れも無く在りますなw
やはり、なるほど未だに確かにスッタニパータやダンマパダはパーリ語で記述という証拠が明確に間違い無くどこでも一つも無いですなw
奈良のinfowebのキチガイ語尾wは十善戒ですらも守ることができてませんなw
だから奈良のinfowebのキチガイ語尾wはスッタニパータやダンマパダはマガダ語の方言で書かれていること理解できないという仏罰を蒙っていますなw
奈良のinfowebのキチガイ語尾wは非常に数多くの皆様方から非常に嘲笑されていますなw
仏教は効果はとても非常に物凄く絶大に在りますねw
新型コロナ対策は成功したから、高野山真言宗で修した曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷の効果はとても非常に物凄く絶大に在りましたなw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救済されましたなw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く絶大に在りますなw ということは、つまりスッタニパータやダンマパダはマガダ語の方言で記述という証拠のみ明らか新紛れも無く在りますなw
やはり、なるほど未だに確かにスッタニパータやダンマパダはパーリ語で記述という証拠が明確に間違い無くどこでも一つも無いですなw
奈良のinfowebのキチガイ語尾wは十善戒ですらも守ることができてませんなw
だから奈良のinfowebのキチガイ語尾wはスッタニパータやダンマパダはマガダ語の方言で書かれていること理解できないという仏罰を蒙っていますなw
奈良のinfowebのキチガイ語尾wは非常に数多くの皆様方から非常に嘲笑されていますなw
仏教は効果はとても非常に物凄く絶大に在りますねw
新型コロナ対策は成功したから、高野山真言宗で修した曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷の効果はとても非常に物凄く絶大に在りましたなw
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大阪和歌山dion,bbtecのキチガイ語尾wはとても数多くの皆様方からとても物凄く嘲笑されていますねw
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だから奈良infowebキチガイ語尾wは中村元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
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感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたなw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く甚大にあることになりますなw ということは、なるほどスッタニパータやダンマパダは古代マガダ語で記述という証拠のみが明らかに確かに間違い無く確実に在るのですねw
やはり、つまり未だに明らかにそれを否定する証拠は明確に紛れも無く実存しませんのでw
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なので奈良infowebキチガイ語尾wは中村元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
奈良infowebキチガイ語尾wはとても非常に多くの人々からとても物凄く嘲笑されていることになっているのですねw
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新型コロナ封じ込め政策は成功なのですから、高野山真言宗での曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷は効果がとても非常に在りますねw
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高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw ということは、なるほどスッタニパータやダンマパダは古代マガダ語で記述という証拠のみが明らかに確かに間違い無く確実に在るのですねw
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なので奈良infowebキチガイ語尾wは中村元氏とかの研究書を読み通せないほどの池沼になるという仏罰を蒙ってしまいまして、
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仏教は効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw
新型コロナ封じ込め政策は成功なのですから、高野山真言宗での曼陀羅供養や新型感染症早期終息祈願法会や医療現場支援祈祷は効果がとても非常に在りますねw
感染症患者は疎か医療従事者に至るまで救われましたねw
高野山真言宗の祈祷の効果はとても非常に物凄く多大に在ることになりますねw 京都の浄土真宗本願寺派の僧侶住職の後ぎ継が多く在籍している龍谷大学文学部真宗学科のボーダー偏差値は37.5と産近甲龍全学科中最低。
私大ランク1~13の中で12とFランレベル。
合格者平均偏差値は47.8でやはり産近甲龍全学科中最低。
浄土真宗の坊主はスーパーバカ集団。 浄土真宗子弟はバカでもタネさえつければOK
真宗僧侶の子作りは一家族平均2人以上
バカほど子作りに励むので根絶はない
これぞ弥陀法 他力本願とはどこまでですか?
ご飯食べたり働いたりってのは自力ですよね
他力とはどこまでの事を言うんですか?
僕も浄土真宗です
教えを乞います 釈尊でいえば
釈尊に覚りを求めさせ、正覚へ向かわせる力を与えたのが過去六仏の仏力をはじめとする釈尊以外の力、他力ということになります。
虫を鳥が食う、鳥を蛇が食うっていう弱肉強食の姿でも、それを見る者が自心などを見つめ直し姿勢をあらため新しくする、つまりは念仏を頂くことの契機となれば、それはその人の他力となったということ >>28
真宗坊主が他力で飯を食うって言ってたから 正信偈の
怖い譲さんよぎゃくあく
とはなんですか? スペイン戦での二点目の判定中に得点を願ったり祈ったりするのは真宗的には許されますか? 浄土真宗の方に教えて頂きたいです
讃仏偈について
讃仏偈は世自在王仏さまの素晴らしさや法蔵菩薩さまの誓い等が書かれていますが、
法蔵菩薩さまが阿弥陀仏さまになって、
我當哀愍 度脱一切
(われあわれみをほどこして 世のもろびとを救わなん)
という文章などがありますが、法蔵菩薩さまが阿弥陀仏さまになった今、この誓いは阿弥陀仏さまが実行中なのでしょうか
今も阿弥陀仏さまはもろびとを救ってますか?
讃仏偈をする時に、僕らもお救い頂きありがとうございますといった感じで想いを馳せても良いのでしょうか? 教行信証 化巻 105
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E5%8C%96%E5%B7%BB
もし人が戒律をたもたないなら、神々の力は衰えて阿脩羅の勢いが盛んになり、善竜は力がなくなって悪竜が力を持つ。
悪竜が力を持つと、霜や雹を降らし、時ならぬ暴風や豪雨のために、穀物は実らず、疫病が次々に流行り、人々は飢えに苦しみ、お互いに殺しあう。
日本、10週連続で世界最多 新型コロナ感染者数
2022/9/29
https://www.sankei.com/article/20220929-E2SVZVBD7BLQTCAN6QO5UWJP5I/
4週連続で日本が世界最多 コロナ感染、死者は2番目
2022年12月1日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/217239 今年の大ニュースはつながっている ロシア、ウクライナ、中国、コロナ、物価高騰……
2022/09/03
https://www.bbc.com/japanese/video-62766385
「気候変動と戦争と生活費の上昇は、さまざまな形でつながることになります」
「新型コロナウイルスもつながります。というのも感染対策の規制が世界中で終わるのに伴い、需要の増加によってエネルギーと食料の価格が押し上げられたからです」
三災 仏教で正法に背いたり、正法を受持する者を迫害すると起こるとされる災い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%81%BD%E4%B8%83%E9%9B%A3
穀貴:飢饉等が起こり穀物等食糧の価格が高騰し品切れしたりする。
兵革:戦乱や革命がおこり社会が乱れる。
疫病:伝染病等が流行する。 教行信証 化巻 95
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E5%8C%96%E5%B7%BB
わたし(釈尊)が入滅して後、末法の時代になると、このような悪魔や鬼神や邪鬼が多いことであろう。
そして世間にはびこり、善知識と証して多くの衆生を煩悩の穴に突き落とし、さとりの道を失わせ、狂い惑わして判断のできないようにし、心までも失わせるであろう。
そして、そのものたちが通り過ぎた後は、一家は離散し、人々はみな煩悩にとらわれ、成仏の種を失うことになる
日本の出生数が過去最少ペース、9月までの出生数59万9千人余どまり
11月 26, 2022
https://parstoday.com/ja/news/japan-i107822
・国が統計を取り始めた1899年以降で初めて80万人を下回る可能性
日本の子どもの自殺、過去最多に
2021.10.15
https://cnn.co.jp/world/35178087.html
・1974年に統計を取り始めてから最多となった >>35-38
短くまとめますが、
仏教を広める努力が足りていないために、数多の災いが発生している危険性が高い
今こそ積極的な布教が必要と思われます
特に政治の腐敗が酷い
五輪問題ではわいろがはびこり、統一教会問題への対処も手ぬるい
宗教団体に所属されている方は、積極的に政治への提言を行うほうが良いと考えられます 親の四十九日法要でのお布施3万円にしようかと思っていますが、どうでしょうか
本願寺派です。 門徒としてお寺さんと交流していくにはある程度、お金はいるよね。
健全だけど、やはりある程度はいる。
ほんとにつらい人はしんどいかな。
お坊さんはこだわらないだろうが、現実にはね。 讃仏偈は阿弥陀仏さまが我々になして下さる事も書いてありますか? 教行信証 化巻 105
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E5%8C%96%E5%B7%BB
もし人が戒律をたもたないなら、神々の力は衰えて阿脩羅の勢いが盛んになり、善竜は力がなくなって悪竜が力を持つ。
悪竜が力を持つと、霜や雹を降らし、時ならぬ暴風や豪雨のために、穀物は実らず、疫病が次々に流行り、人々は飢えに苦しみ、お互いに殺しあう。
もし人が戒律をたもつなら、多くの神々はその威光を増し、阿脩羅の勢いは衰え、悪竜は力がなくなって善竜が力を持つようになる。
善竜が力を持てば、風も雨も時にしたがい、四季もおだやかで、よい雨が降って穀物は豊に実り、人々は安らぎ、戦い争うこともなくなり、疫病も流行らない
日本、10週連続で世界最多 新型コロナ感染者数
2022/9/29
https://www.sankei.com/article/20220929-E2SVZVBD7BLQTCAN6QO5UWJP5I/
急増の「梅毒」 なぜコロナ禍で感染者数が過去最多に?専門医が指摘する三つの理由
2022/10/02
https://dot.asahi.com/dot/2022092900003.html?page=1
・1999年以降で最多だった21年の7875人(速報値)を上回り、過去最多を更新
梅毒患者、初の1万人超え…予想超えるハイペース「不特定多数との性交渉控えて」
2022/10/27
https://www.yomiuri.co.jp/medical/20221027-OYT1T50102/
6週連続で日本が世界最多 コロナ感染、死者は2番目
12/15
https://topics.smt.docomo.ne.jp/article/kyodo_nor/world/kyodo_nor-2022121501000115 今夏の記録的猛暑、温暖化なければ1200年に1度の極めてまれな現象
2022/09/15
https://www.yomiuri.co.jp/science/20220915-OYT1T50141/
・日本上空で今年のような猛暑になる確率は0・082%(1200年に1度の頻度)だった
貿易赤字、過去最大 22年上半期、7.9兆円
2022/7/21
https://nordot.app/922646685765337088
https://pbs.twimg.com/media/FYKfhQPagAAEWvQ.jpg
貿易収支 2兆274億円の赤字 11月としては過去最大 円安などで
2022年12月15日
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221215/k10013923621000.html
https://pbs.twimg.com/media/Fj_CxTSUcAQeJpv.jpg
「最悪の事態はこれから」、急激なインフレという呪い
2022年12月12日
https://jp.reuters.com/article/year-end-inflation-idJPKBN2SW04O
・この数十年見られなかったレベルのインフレが全世界に広がり、食料品、光熱費、交通費、住居費など生活に不可欠なものの価格が急騰している。
なぜこうなってしまったのか。答えは2つ、パンデミックと戦争だ。
三災
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%81%BD%E4%B8%83%E9%9B%A3
穀貴:飢饉等が起こり穀物等食糧の価格が高騰し品切れしたりする。
兵革:戦乱や革命がおこり社会が乱れる。
疫病:伝染病等が流行する。 >>47-48
ご覧の通り、昨今の日本は、末法のように問題が発生してます
これは政治の腐敗が関係している可能性が考えられる
宗教集団などに所属しており、
政府や経済団体、司法組織などに意見を上げることが可能な方は、積極的に活動されたほうがいいのではないでしょうか 家のお寺の坊さん ご住職さんと呼んだら腹を立てた 御院家と呼んで欲しいそうだ お前たちの家の浄土真宗のお寺もそうなのか >>49
釈迦が坊主は政治に口出せって言ったのか?
日蓮みたいなこと言ってんじゃないよ >>51
申し訳ありませんでした
統一教会などという邪教に支配され、
日本史上類を見ないほど退廃した惨状に「口出しをするな」と書き込むような方がこのスレにいるとは、思いもよりませんでした
私は感覚が鋭すぎたようです
あなたのように、最悪な状況でも何も行動しないままでいられるような人がいるという事実は、大変な驚きです
今後の書き込みの参考にさせていただきます >>53
坊主は謝ればあるいは頼めばなんとかなる ぐらいしか思ってないもんなぁ >>53
答え合わせをするなってことでしょ?
「書物にこう書いてあるからその通りに思わなければ間違い。負け。」と暗に強迫観念を抱いているから。 >>51
釈迦は葬式法事の対価に信者から布施行をしてもらえ、と言ったの?
信者は僧侶に対して布施行をしているけど、真宗僧侶は誰に対して布施行をしているの? >>57
お経全般に言えるけど普通の人には何言ってるかわからんのに法施も何もないでしょ 経本読むし、覚えるでしょ
覚えなくても何か宗教的な感覚を覚えるでしょ >>61
普通の人は読まねえし覚えねえよ
葬式でのお経の強要はむしろ仏教に対する嫌悪感を醸成してるまであるぞ それは唯物論に汚染された現代人が勝手に坊さんを詐欺師扱いしてるだけでしょ
江戸時代とかはそうじゃなかったよ >>54
それ以前に、浄土に往生したいとさえ思っていないのでは?
「とりあえず念仏さえしていれば・・・。」
「修行していないから往生の規律には違反していない。」
「これといった確信はないけど、どうやら阿弥陀如来がはたらいているという設定だから。」
みたいに漠然と毎日を生きているんじゃないかな。 炬燵に入ってまどろんでるとこれが浄土かと思えてくる、炬燵即浄土 >>66
こたつは電気ごたつですかそれとも練炭ごたつですか(´・ω・`)? 練炭こたつって見たことない
豆炭こたつならうちにある 練炭こたつは死ぬときに使う
死に顔が白くてキレイになるんだよ 仏の念を頂いた者は、自力執心の心が死んで如実の世界に生まれ、これからの世界を行を修める場として頂く者となる
念仏した者は、捨命以後、死んだあと仏国土・浄土に生まれ、そこで修行する者となる
刹那滅という考えた方があって、インドの言葉では念仏を頂くという言葉が同じ単語で日本や中国では2つの時系列の意味を持つ言葉となる
ここに注目し指摘したのが中国では善導大師、日本では法然と親鸞
善導大師なら前念命終、後念即生って言葉が象徴的だな 俺んとこの お寺 檀家がみんな田舎もんだから偉い高飛車なんだよな お西の聖典(注釈版)、新字体にする必要ある?
歴史仮名と新字体の混用体慣れない
これくらいの古文読みこなせる人は、旧漢字読めるはずだし、むしろ旧漢字のほうが好まれると思うが
大谷さん、第3版は旧かな旧字体に統一しておくれやす 文語聖書、クルアーン、法華経、日蓮御書全集、正法眼蔵、四書五経、老荘、源語、紅楼夢、記紀、万葉、古今集、葉隠…と、各々の世界でバイブルと呼ばれる書物を一通り読んでみたけれど、畢竟、浄土真宗聖典(なかんずく教行信証)が一番ヴァイブスが効いてヱモいことに気づいたついこの頃
何が良いって、最初から最後までちゃんとした日本語なんだ。で以てちゃんとした一冊の哲学書になってる
かつキリストの聖書のようにストーリー性もあって、弟子達の文章が纏められてる。だから覚えられるし繰り返し読みたくなる。そんで最後は日本一の名文、十七条憲法で〆るという構成、これも完璧
どの頁を開いても一文一文に含蓄がある。が、やはり宗祖親鸞の文章力が弟子達より頭一つ抜けてる。流石延暦寺首席
法華経はカタカナばかり、日蓮は自分語りしすぎ、記紀は日本語が美しくない、葉隠は佐賀弁...こんなものに吾が人生は捧げられないと思っていた
浄土真宗は日本最大の宗派、而して「日本人の聖書」と言って過言でないこの聖典が、驚くほど普及していないのは実に勿体ない >73
博学で素晴らしいです
以下のあたりにも、あなたが関心を抱くかもしれない情報を抜粋して載せてあります。目を通してみてください
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/olympic/1669836101/7-11 というかまあ、一冊の聖典としてまとめられたのが大正時代だから仕方ないか
その意味で島地大等の功績は計り知れない
段落に番号を振ったのはやはり聖書を意識してたんだろうと思う
当時安っぽい念仏宗教と見なされていた真宗を立派な聖典宗教へ昇華させたいという意図があったに違いない
おかげで立派な物が出来たが、みな功徳のために経本ばかり読んで聖典は軽んじられたままだ >>73 浄土真宗は日本最大の宗派
それしか取り柄がないと思われるから言わないほうがいいよ。
世界にはもっと大きい宗教があるし。
こういうところなんだよね、仏教関係者の視野の狭さというのが。
視野も狭いし、宗教を自己顕示欲の道具に扱おうとする醜さあたりがどうもね。
宗教って一歩間違えれば自己正当化の道具に走るのが怖いよね。
宗教が怖いというか人間性が怖いというか。 >>76
俺は仏教関係者でもなんでもなくてただの大学生だよ
俺はひたすら「真宗聖典の文章は素晴らしいけど過小評価だよね」って言ってるだけなんだけど、どのあたりに自己顕示欲の発露を感じたん? 浄土真宗が日本最大の宗派って事実じゃん
法華経がおもんないのも事実 >78
そういうことを書き込むものではない
仏教の経典は仏様について知るための大変ありがたい書物であり、個人の感想で印象を語ってはならない >>79
法華経に物足りなかったから親鸞は比叡山から降りたのだ 法華経は大事
が無量寿経の方がおもろい(個人の感想) >82
私は神道の支持者ですが、キリスト教や浄土真宗・日蓮宗も信じてます
私は聖書や法華経にも精通しているらしい>73の大学生氏だけにコメントを残したに過ぎません
なので純粋な浄土真宗の方は、>74は無視してください
破和合僧を非常に恐れているので、これ以上はご勘弁ください >>78
日本最大だということにどういう意味があるの?
天台真言に比べて新興宗教、といえたら大したもんだよ。 面白い人ですね。神仏習合の日本人って感じで
そりゃ天台真言に比べたら真宗は新興宗教でしょう
統計上の信徒数が日本最大なのに、その聖典が読まれてないのはもったいないなと感想を述べただけです
なにも真宗を国民宗教、国家宗教にせよなどとは言ってないですよ まあ日本一といっても1500万人程度ですからね
しかもその殆どは教本すら読んだことないでしょう
別に福音派アメリカ人のように聖書にかじりつけとは言いませんがね
読書の感動、宗教的高揚を共有できないのはちょっと寂しいですね ヒトラー、麻原彰晃、プーチンも極楽往生できるの?
逆に、酷い虐待を受けて親を殺した人は極楽往生できないの?
あと、偶像崇拝を否定するイスラム教徒は極楽往生できないの?
(五逆の罪を犯した者と仏法を謗った者は阿弥陀仏が救済の例外とした)
そんなめちゃくちゃな基準ダメだね。 信心さえいただければ、それらの人もあなたも同じお浄土に生まれることができます。
良かったね!! 実像をこすると救われるんですか 擦ったことないなあ ちんこならあるんだけどね >>91-92
>>87を確認しましょう
1日に400人以上が亡くなっている疫病の最中に、ふざけすぎです >>92
>>93
すまん完全な読み間違いです 指摘されてはじめて 気が付きました スコルなんて言う日本語 流行り言葉ですか 私は知りませんでした >>87
これは、仏罰ですね...
信仰無きジャップへの仏教...ッ!! 生産性ない年寄が死んでもどうでもよかやん✌
そんなんにいちいち神経削ってる時点で免疫雑魚やろ
信心決定してる俺はコロナで死んでも浄土にワープ確定なんだわ
だが阿弥陀を信じない99%の馬鹿ジャップは死んだら無限地獄行きだ!
んぎもっぢぃいぃ゛WWWWWWWWW ジャップ、もっと死ね
いやぁ、将来阿弥ちゃんと一緒にポテチとコーラ食べながら地上の馬鹿ジャップを見下ろすのが楽しみですなあ...w 阿弥陀様をすこる、ひとつ覚えた!( ̄- ̄)ゞ
間違ってもちんこをこすってはいけない >>100
何がやばいん?
コロナが流行ってるから人が死ぬのは当然やん
お前さ、悟れよ >>100
あんた日蓮主義者?
君の過去レス読んだが、発想がまんま『立正安国論』やん
ジャップランド王国が滅びるのは既定路線やから抗わんほうがええよ
どないしたらいち早く日本から逃げ出せるかを考えい
日本を愛してるなら日本が滅びるのを見届けろ すまん悟れよって言ったのは撤回するわ
俺悟っないし l''!,彡⌒ ミ
| |(´・ω・`) 明けまして
\ ヽ おめでとう
| ・ ・.| | ございます
| .,,;,. | |
| i.uj |リ ところでみんな、初詣行ってきた?
おれは神様に真宗の興隆をお願いしてきたけど! 行った行った
本堂開けて本尊が拝める浄土宗のお寺とその途中にある八幡さま
そもそもお願い事はしたことないしどこ行っても念仏となえるだけなのでどこでもいいんだけどね
正月気分を味わいに行くだけ >>59
精神病んで浄土真宗のお寺の方に話させて頂いた時は、
僕らを救ってくれている阿弥陀仏さまに感謝のお念仏をすればいいと聞いて、実践したら、心晴れやかになった
その際、お礼としてお布施しようと思ったら拒否された
そのお坊さまは年で引退したけど電話番号教えて貰って今でもたまに話聞いたり聞いて貰ったりしてる
感謝してます >>111 僕らを救ってくれている阿弥陀仏さまに感謝のお念仏をすればいいと聞いて、実践したら、心晴れやかになった
それは大変素晴らしい心構えだと思います。 おりんのふちって、上の面の斜め上から?それとも側面? ふちは際ってことだから、そりゃ上辺の円環のカドってことになるでしょ
お輪は作り方によって叩く場所が変わるというけど ああそうか、カドだとリンバイ、叩き棒が傷付くからカドでなく縁をたたけと言う人がいたわ >>117
レスありがとうございます😭
やばいアスペかも僕…
>カドでなく縁をたたけ
この場合の縁って側面ですか?
ごめんなさいアホで😣 「先に死んでお浄土で待ってます」とか「死んだあの人がお浄土にいる」とか言うけど、
浄土に人格が有るの? 一如の世界に分限やら分際を返されたんやで
その人と頂いたご縁を仏縁であったとあらためて手を合わせたところに還相の回向があるんや
一如の世界には亡くなられた方々の一生も当然あるわけやからな >一如の世界に分限やら分際を返された
ごめんなさい、何がどうなっているのか意味がわかりません。 「本願力に会えば虚しくならない」ということは、
「会うことが出来なければ虚しいまま」ということなので、
自力ではどうしようもない私達を虚しくさせないために
阿弥陀様には頑張ってもらうしかないですよね。
阿弥陀様ガンバ!! 宗派や人によってりんの縁を叩くべしと言う人と胴を叩べしと言う人がいるかならな。
お仏壇の「お鈴」のたたき方。(音色と余韻が全く違います!)
https://www.youtube.com/watch?v=i3udug-crj8
【お仏壇】鈴の意味、鳴らし方~臨済宗の住職が伝えたいコト~ #蔵泉院
https://www.youtube.com/watch?v=rmdN55Dz_YU
自分は縁を叩く人。鋳造製のものならば厚みのある胴を叩いても良いかと思うけど、
鍛造製のものでは縁に比べて胴の厚さが薄く、衝撃によっては凹む場合があるので、
胴をた叩くことは控えた方が良いと思う。 家の仏壇に寺院で使用されるような「けいす」を入れておられる方もおられるのだな。
こちらは胴を叩いたら駄目。
荘厳仏具・一尺二段上り手打ち大徳寺りん「昇龍」煮色着色仕上げ 伝統工芸品高岡銅器 (Japanese Buddhist altar big bell)、けいす、?子、磬子
https://www.youtube.com/watch?v=tiFtDQHLCu4 ちょっと古めの、映画版必殺仕事人をケーブルテレビで見ていたら、結構エロいシーンの撮影で、西本願寺が出てきた。
流石肉食妻帯の寺は違う。 酒池肉林のほうが素直でいいんじゃないの?
我慢は精神や体に毒だよ。 自分を追い込まずに煩悩というお慈悲に抱かれて毎日をダラダラ過ごす宗教のほうがいいと思うよ。 >>133
そんなこと言うなら仏教を名乗るな
親鸞酒池肉林教とでも名乗ってろ >>134
出来ない人間には出来ない人間なりの宗教というものがあるんです。 >>135
仏の衣を借りて人を集めておいて仏の言葉には従わないならそれは仏教とは呼べない
新興宗教としてやるなら勝手だが仏教を名乗るのはおこがましいとは思わないのか? >>137
仏の衣? 借りる? 何を言ってるんだ?
人間が織り機で編んだ製品を金で買ってるだけだぞ。 これは釈尊の衣ですと言って修行者が釈迦になりすませる宗派があるんでしょう 真宗坊主の袈裟はコスプレじゃん
非僧非俗って汚い逃げ打ってるしね 願以此功徳から始まる回向文
嫌なやつにも分け与えなければ行けないんですか?
助けてくれないものにも一方的に与えないといけないんですか?
助け合えるもの達とだけ助け合うってのは駄目なんですか? 施すのは真宗では如来の願なので
分別知と無分別智の違いっすね
嫌な奴には分けない、ならそれは無明から来る分別知の願い・欲であって、如来の願とは関係ない願いってことになるだけのことですね 平等に見ることができるのは阿弥陀様であって、決して私達人間ができることじゃないですよね。
仏法の平等と、道徳の平等を履き違えないようにしたいですね。 >>146
144ですが、
>仏法の平等と、道徳の平等
とはどういう意味ですか? なんのために仏教やってるの?
なんのために道徳を実践するの?
道徳を実践したら悟れるのかな? 仏法と言ってしまうと広くなるから、とりあえずここでは阿弥陀様の平等行でいいかな。
間違っちゃだめだぞ、あくまで阿弥陀様が何を平等に扱うかということであって、私達が阿弥陀様の立場に立ったつもりで物事を平等に見るのとは違うからね。 >>150
ちょっとは自分で考えたら?
宗教の答えは学校の答え合わせじゃないんだから。
君はそういう環境で慣れているのかもしれないけど。 阿弥陀様が何を平等に施しているかその背景を知らずに、
「平等」という言葉だけが独り歩きして自分達の都合のいいように扱っている空気があるよね。 私がこういうことを書くと、なんだか平等が否定されたと思う人がいるかもしれないけど、
阿弥陀様の平等と道徳の平等は別な話だから道徳的な平等は道徳的な所でやったらいいと言ってるだけだよ。 知り得た宗教理論でなんでも解決できると思っているのでは?
ドラえもんの道具じゃないんだからさあ。
宗教理論を扱うに相応しい思考を育てないとね。 >>153
道徳→家族親戚ご先祖様友達恩人とうまくやっていく
阿弥陀仏さま→諸人を救う
という形ですか? >>155
大体そんな感じかなぁとは思うけど。
浄土真宗の理論では、生きている間は感謝の念仏しか答えを持ち合わせていなくて、それ以外の行動規範がないのよね。
決められた書物しか読んだことのない人が集まっても同じような答えしか出てこないからね。
まあこれが真宗を超えて広く仏教の範囲になると行動規範が分かるかも。 勤行の際、誰々もお救いいただきありがとうございますという感じで念じるのですが、全部の人の名はよめません
これは仏法の平等になりますか?
また、どう念じたらいいですか? 私の場合は自分が幸せになりますようにというお経を唱えますよもちろん金においても女においてにもです > 勤行の際、誰々もお救いいただきありがとうございますという感じで念じるのですが、全部の人の名はよめません
> これは仏法の平等になりますか?
全部の人の名はよめない、数えきれない、と気付いかれたことが素晴らしいのだと思います
昨日食べた魚にも豚にもお米にも世話になってる家族周囲の人にも、気が付いたらどこまでも無神経になってるのが人間というものですから
そういう思いの外のところにあるご縁に目を向けることが大事なんだと思うですよ >>160
深いですね…
ありがとうございました😆 >>163
こういう訛った唱えかたは初代か第六代の留守職がダメ出ししてませんでしたか? >>153
輪廻があると仮定するなら不平等が平等になるよね また世間受けを狙ってキャッチコピー的なフレーズを作ったの?
答え合わせか何か知らないけど機械的に阿弥陀如来の媚びへつらうのって精神的に疲れませんか? >>169
??誰に言ってるの?
自分なら阿弥陀様なんかに媚びへつらってませんが >>171
こういう窃盗犯にも阿弥陀様のはたらきが常にかけられている設定なんですよね、真宗は。 親鸞聖人レベルの深い宗教的な味わいができるとは思えない私にも浄土真宗という宗教は向いていますか?
「親鸞様はこんなにも素晴らしい宗教経験をされた。」と底なしに褒め称える僧侶様の話を聞いていて不安になるんですが。 >>173
そんな貴方にはいまの西本願寺がピッタリです
門主が宗祖の言われたことと全く別のことを言い出して皆に唱和させようとしてます
北朝鮮の将軍様、ロシアのプーチン、中国のプー、そして西本願寺の門主
これからはこれらの人たちがこの先の世界を動かしていくのです >>166
詳しく教えて下さい!自分も違和感がありまして 善導大師は帰命無量寿覚と仰ってたんでしょ
念仏の構造を心得ることの方が余程重要なことでしょう 宗旨替えで真宗に入ってお寺さんが前の宗派の位牌は不要だからうちで処分すると言うんで託したけど
ネットで真宗は魂抜きしないから駄目だから
弊社に任せろという葬儀会社?が言ってるのあるけど、そういうの気にしないでもいいんですかね? それは気にしたほうがいいだろ
浄土真宗側としてはただの処分品だろうが
信仰者と元信仰者にとっては位牌は大事なんだろ? 浄土真宗の位牌の処分について
浄土真宗では「位牌に故人の魂が宿る」という概念はなく、本来位牌も不要ですが、「仏壇の前で手を合わせる対象が欲しい」という思いから位牌を作る方もいらっしゃいます。
位牌を処分したいと思った時には、浄土真宗では本来位牌は不要との位置づけですから、浄土真宗のお寺では基本的に位牌の閉眼供養は行いません。
宗派が浄土真宗で位牌の処分をしたい場合には、浄土真宗以外のお寺へ閉眼供養の依頼をするか、仏具店や供養業者に供養の依頼をすることになりますので注意しましょう。
https://with-house.jp/blog/2019/09/6183/ 前提としておかしな話だな
位牌ってのは死後のクラスを表す牌、看板であって、死後のこの人のカースト位置はこんなですよお布施増やせば戒名長くして高位置に書くよってのが鎌倉時代から行われていた
法然上人は、死後は人は平等の世界に行くんだからそんなもんいらない、と批判した
せいぜい浄土真宗では白木の法名板を満中陰まで仮のものとして使うくらいのもんじゃないかと思うけど
っていうか位牌の閉眼供養って考え方自体なんかオカルト過ぎない?仏として向き合うとかじゃないのか >>184
よくしらんが
日本の伝統の八百万の神や、長生きすると化け猫になるや、長く物を使うと妖怪になる付喪神なんかと関係はあるのでは? 付喪神 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
付喪神、つくも神とは、日本に伝わる、長い年月を経た道具などに精霊(霊魂)が宿ったものである。
また、『伊勢物語』の古注釈書である『伊勢物語抄』では、『陰陽記』にある説として百年生きた狐狸などが変化したものを「つくもがみ」としている。
「つくもがみ」という言葉、ならびに「付喪神」という漢字表記は、室町時代の御伽草子系の絵巻物『付喪神絵巻』に見られるものである。
それによると、道具は100年という年月を経ると精霊を得てこれに変化することが出来るという。
「つくも」とは、「百年に一年たらぬ」と同絵巻の詞書きにあることから「九十九」のことであるとされ、『伊勢物語』(第63段)の和歌にみられる老女の白髪をあらわした言葉「つくも髪」を受けて「長い時間(九十九年)」を示していると解釈されている。
『付喪神絵巻』に記された物語は次のようなものである。
器物は百年経つと精霊を宿し付喪神となるため、人々は「煤払い」と称して毎年立春前に古道具を路地に捨てていた。
廃棄された器物たちが腹を立てて節分の夜に妖怪となり一揆を起こすが、人間や護法童子に懲らしめられ、最終的には仏教に帰依をする。
物語のなかで語られている「百年で妖怪になる」などの表現は厳密に数字として受け止める必要はなく、
人間も草木、動物、道具でさえも古くなるにつれて霊性を獲得し、自ら変化する能力を獲得するに至るということを示しているのであろうと解釈できる。 「浄土真宗では位牌なんて不要です!」という考えは学校のテストとしては正解だけど、
人間の弱さを理解できないから僧侶としては0点だな。
「浄土真宗を正しく信仰したら強い人間になれる」とでも思っているのかね。 正しさというか、リテラシーの問題でないの
死後の罪が和らぐからこれ買ってー、って免罪符とおんなし構造ですやん
まあ、こんな感じの議論を鎌倉時代の人らもしてるのが面白いよね 八百万の神、付喪神も関係してそうだが
そもそも中国伝来のはずでどっちが元祖なのかはしらないが
霊幻道士でつかう道具とか御札とかがそのものとおもうが 質問です。
本山で戒名つけてもらうと一万円のようですが
菩提寺の坊さんに戒名代を一万円にしてもらうのは可能ですか?
一般のお寺では値段設定がされてないのと、相場からして一万円では駄目という印象ですが。 戒名代というのは ご住職のいい値です2万といえば2万、3万といえば3万となります >>192
心ばかりって言ってるから10円でも文句は言えないはずなんだがなw 相場としては30万~40万円ですが、なかには50万円以上の高額なお布施が必要になる寺院もあります。 つまり言い値 2週間天気 桜の季節なのにまるで梅雨 前線停滞で長雨に 荒天や大雨の恐れも
2023年03月20日
https://tenki.jp/forecaster/t_yoshida/2023/03/20/22363.html
https://pbs.twimg.com/media/Frpl4UjaIAAoty4.jpg
https://pbs.twimg.com/media/Frpl64ZacAAW5hr.jpg
教行信証 化巻 105
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E5%8C%96%E5%B7%BB
もし人が戒律をたもたないなら、神々の力は衰えて阿脩羅の勢いが盛んになり、善竜は力がなくなって悪竜が力を持つ。
悪竜が力を持つと、霜や雹を降らし、時ならぬ暴風や豪雨のために、穀物は実らず、疫病が次々に流行り、人々は飢えに苦しみ、お互いに殺しあう。
もし人が戒律をたもつなら、多くの神々はその威光を増し、阿脩羅の勢いは衰え、悪竜は力がなくなって善竜が力を持つようになる。
善竜が力を持てば、風も雨も時にしたがい、四季もおだやかで、よい雨が降って穀物は豊に実り、人々は安らぎ、戦い争うこともなくなり、疫病も流行らない 西暦812年の統計開始以来、日本の桜の開花が最も早いピークを記録
https://www.bbc.com/news/world-asia-56574142
https://pbs.twimg.com/media/ExysI2BVIA0VNfN.png
東京・きょう午後「桜」開花宣言へ 平年より10日早く 上野公園では早くも「花見」が・・・
2023年3月14日
https://www.fnn.jp/articles/-/499303
・平年よりも10日早く、2020年、2021年に並んで、最も早い開花となる。
https://pbs.twimg.com/media/FrPSZoiakAEmYDB.png
東京都心で桜開花 20、21年と並び最も早く
2023年3月14日
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUE132860T10C23A3000000/
予報士のつぶやき「東京サクラ開花と異常な高温」
2023/03/14
https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000291410.html
・3月に入ってからの東京の週間予報で今まで3月上旬には見たこともないような予想最高気温が並んでいた
・単発で20℃を超えるような日があることは、過去にもよくあったが4日も5日も20℃予想が並ぶなど、かなり異常な状況だった。
・実際、3月上旬の東京の最高気温を平均すると以下のようになる。
<3月上旬の最高気温の平均>
2023年 18.4℃
2013年 16.8℃→これまでの1位の記録
平年 12.7℃
これまでの3月上旬の高温記録を1.6℃も上回り、平年と比べると6℃近くも高いという異常事態。この暖かさで一気に桜のつぼみも成長して、東京のサクラは統計史上最も早く開花。 ええ法名料ってとってんの?
うちは一度もいただいたことないわ > ええ法名料ってとってんの?
> うちは一度もいただいたことないわ
これ言いたい真宗坊主はかなりいると思う
まあ生きてるうちに法名を頂く帰敬式が一万ポッキリで、それ以上を取ろうとする坊主がいたらなかなか面の皮が厚いと思うわ >>204
別院の帰敬式は1万5千円取っているけどな 親鸞様は法名を付けるのに、誰にいくら払ったのですか? 親鸞は多分人間ができてたから無料でやっていたと思うところが 松江のものぐさ坊主たちはそれを有料にして成金になった 京都国立博物館で「親鸞聖人生誕850年特別展」やってるで >>39つづき
現在の日本をとりまく戦力状況を簡易まとめ
https://mao.5ch.net/test/read.cgi/war/1679733656/5-8
「兵革」の恐れが近付いていることがわかるでしょう
繰り返すが、今こそ宗教団体からの積極的な政治への提言が望まれる >>208
展示品の入替えあるので2回は行こうと思っとります。 新しい領解文→真宗に興味ない檀家にもわかりやすい
新しい領解文に反対してる坊さんたち→カルト 浄土真宗って仏教では外法では?
正しい教えから目を背けて楽な方向にシフトしただけじゃね?
ブッダもあの世で嘆いていることだろう 仏教の最初期から施論、戒論、生天論があると思うが、これを外法と呼ぶのか?
これを良しとして置いて、極楽浄土を悪しとする神経が分からん 浄土真宗であろうがなかろうが徳を積んでない奴は生天なんて不可能だよ
そこをうやむやにして全員生天ってことにした親鸞は罪深いと思うよ あなたのそれは生天ですよ、違いますよ、と判断する主体が人間世界には仏滅後から現在に至るまでずっと常に消滅してる、ってことは分かる?
仏教の特徴として、釈尊が後継者を指名していかなかった、現在に至るまで仏弟子の集団だけが残ってるだけ、てのがある
五蘊の身という在家の身を一生のあいだ生きる身である以上、仏になるという考え方の内には仏気分になる、釈尊に成り代わった気分になって他を批判する、という構造が常に付いて回ることになる
それもまあ、真宗の立場だとそういう本願誇りをいましめてくださる仏様との二人連れ、的な解釈になってくんだけどさ
ていうかそもそも「徳を積んだ人だけが行く生天世界」って設定は、ヒンドゥー教の天国と変わらんのでは?仏無我、法無我ってことが前提になってないなら、鎌倉時代以前から行者が更新されてない仏教ってことにならないか?
テーラワーダの人らでもなかなかそんなこと言わないぞ
「徳は積まない」んじゃなくて、もし該当箇所のことを言ってるんだとしたら「積んだと思い込んだということを三毒のきっかけにしかしてない我らだ」(→積んだと思わないようにしよう、善行を詰むことによって生天する道は自分には閉ざされた)、的な流れになってたと思うんだけど
なんていうか、イメージで喋ってない? >>214 そこをうやむやにして全員生天ってことにした親鸞は罪深いと思うよ
全員昇天することは確定事項じゃなくて可能性を説いただけ。
理論と現実は分けて考えるべき。 生天って(笑)
いつから仏教はアニミズムになったのwww >>215
原始仏典に天国と地獄が説かれているのはご存知ですか?
そもそも仏教は涅槃に至るための宗教
生天が目標なんて本質から外れていると思います
>>216
なら浄土真宗は理想も説かない現実主義の宗教なんですね
悟りや涅槃とは無縁の宗教と言う事ですね なにかズレまくった話をしてる人たちがいますね
生天論も極楽浄土も、今生の私のままでは成仏が難しいから、次でしっかりその環境を得るためのものでしょう
成仏が目的なのは変わらないですよ
単に今の私がこのまま成仏なんて無理だろうという、現実を見据えた上での成仏の方法 >>219
なら徳を積みまくって輪廻しまくるしかありませんね
生天とはそのようなシステムで動いているみたいですから
成仏が難しいのは本人の業の影響ですから全てその人の責任
本来不平等なのが平等なのに結果の平等まで求めたのが誤り >>220
生天ではないが浄土往生は私の行いは関係ありませんよ。
仏様のはたらきで往生するんですよ。
裏を返せば、往生できないのは私の行いではなくて仏のはたらきがないというだけのこと。 >>218
理想を説かないという話と、悟りや涅槃説かないという話にどう関係があるの?
理想と言えるかはわからないが、「信心獲得したらこうなります」という話はいつもしているけど。 >>221
私の行いは関係ないなら何故釈尊は出家されたのですか?
親鸞みたいな生臭盆暗の話はどうでもいいです
>>222
仏教の理想とは悟りから涅槃へ至る道のことですよね?
で、あなたは真宗で信心獲得してどう変わりましたか? 大谷派のほうが浄土真宗に関する出版物多くないですか? >>223 私の行いは関係ないなら何故釈尊は出家されたのですか?
たまたま「釈尊が出家していた」だけの話です。 >>223 仏教の理想とは悟りから涅槃へ至る道のことですよね?
理想と道は厳密に言えば違います。
道の先に理想があります。
道は手段です、理想は目的です。
あなたの間違いは、手段を目的化していることです。 >>39つづき
【日本】 「春と秋が短い」SNSでも不安の声!“四季”から“二季”へ、地球温暖化で激変する日本の季節感 [朝一から閉店までφ★]
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1668556672/
《日本はもう四季じゃなくて、夏と冬の二季の国だよね》
「私が子どものころは、桜は4月の入学式に咲くものでした。しかし最近では、3月の卒業式の時期まで早まっていますね。2021年と2020年は特に早く、東京では3月14日に桜が開花しました。以前に比べ、春の到来が早まっていると実感します」
《日本の四季消滅!?》3月の気温上昇が過去最高に
2023/04/04
https://plus.luremaga.jp/2023/04/04/239020/
https://pbs.twimg.com/media/Fs8Ab3TaIAEfPXM.png
・統計開始以降の過去最高値を叩いたのが「日本の3月平均気温偏差の経年変化(1898~2023年)」
・公表されているグラフをみると、過去100年からずっと平均気温が上昇している様子が伺えるが、特に2010年代中頃から「平年偏差」が過去にない勢いで上昇していることがわかる。
3月以外の月もここ10年は概ね平年偏差が上振れトレンドにあることがわかるが、特に3月に限って伸びが著しい。
・季節の移り変わり期の寒暖の急変で、SNSなどでは近年の日本の気候を指して「春と秋をすっ飛ばして冬と夏しかない!」なんて意見も目にするようになったが、
ここ数年でいえばじわじわと本当にそうなってきている。
教行信証 化巻 105
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%AA%9E_%E5%8C%96%E5%B7%BB
もし人が戒律をたもたないなら、神々の力は衰えて阿脩羅の勢いが盛んになり、善竜は力がなくなって悪竜が力を持つ。
悪竜が力を持つと、霜や雹を降らし、時ならぬ暴風や豪雨のために、穀物は実らず、疫病が次々に流行り、人々は飢えに苦しみ、お互いに殺しあう。
もし人が戒律をたもつなら、多くの神々はその威光を増し、阿脩羅の勢いは衰え、悪竜は力がなくなって善竜が力を持つようになる。
善竜が力を持てば、風も雨も時にしたがい、四季もおだやかで、よい雨が降って穀物は豊に実り、人々は安らぎ、戦い争うこともなくなり、疫病も流行らない >>226
仏典によれば釈尊は並々ならぬ決意を持たれて出家されております
偶々出家されていたなどと仰られるのはその釈尊のご決意を無にしており
それはもはや仏教徒とは呼べないと自分は判断いたします
>>227
手段と目的を違えているのはあなたの方ではないでしょうか? >>229
浄土往生と釈尊の出家にどういう関係が? >>229
「たまたま」と言ったのは「出家していた事実が有った」という意味です。 >>230
まずレスが遅れたことをお詫びいたします
ただ、あなたは私の質問に一切答えず質問に質問で返されております
これは議論におけるある種のタブーですから自分も同じ質問を繰り返します
>私の行いは関係ないなら何故釈尊は出家されたのですか?
>あなたは真宗で信心獲得してどう変わりましたか?
>手段と目的を違えているのはあなたの方ではないでしょうか?
この3点についてお答え下さい
その後、あなたの質問にお答えしたいと思います 相変わらずズレまくった話をしてる人たちがいますね
阿弥陀仏の極楽浄土に往生して成仏するのには私の行は関係ないし
釈尊が出家したのは極楽浄土に往生してからの成仏を志したからではない
極楽浄土が好みに合わないと反発心を抱くのは勝手にすればいいが、何故に必死に極楽浄土を間違ってることにしたがるのかね
ひとり勝手にお好みの道で成仏すればよかろうに
よくもまあ浅い見識で他の道を否定できるものだ
自らを頭が良いとでも思っているのかね >>234
極楽浄土が間違ってるとは言わない
行ける人間が限られてると言いたいだけです
看板に偽りあり、それが浄土真宗だと思います 生天だと思ったり涅槃を求めてないと思ったり、知識そのものがいちいち足りてないくせに
よくもまあ足りない知識を元にして他者を否定できるものだと感心する >>236
仏教は果たして知識でしょうか?
六祖慧能に知識はありましたか? >>233 ただ、あなたは私の質問に一切答えず質問に質問で返されております
答えているところもあるけれど、
あなたの質問の意図やあなたの考え方が具体的にわからないままに答えても
捉え違いをされても困るのでまずはあなたの考え方を知ろうとしているのです。 知りもしないものを否定できるのは才能かね?
知りもしないなら正誤の判断すらかなわないだろうに
まあ「自分が正しいから、自分と異なる価値観の人は間違っている」という基準で正誤の判断をしてるのだろうが こちらが本堂になります。×
〜です。◯ 〜でございます。◯
まぎゃく×正反対◯真逆(まさか)と読みます。 >>238
成程、それは失礼いたしました
少しは自分のスタンスがお判りいただけましたか?
>>239
自分は母親の実家が浄土真宗の田舎の寺なのでその実態は他の方よりは知っておるつもりです 白旗?
自分今日は忙しいんでこれからレスできません
もし自分にレスがあれば明日まとめてお答えします > 仏様のはたらきで往生するんですよ。
> 裏を返せば、往生できないのは私の行いではなくて仏のはたらきがないというだけのこと。
なんじゃ、自分を気持ちよくしてくれる範囲の仏のはたらき様しかわからん、って告白しとるだけの人か
仏の無分別智とかも分からないから法華経の常不軽菩薩の話とかも何を言っとるのか分からんのだろうな よく親鸞会が本家?から悪玉にされてるとおもうのですが
考えたところ、原因は原理主義的な部分にあるとおもうのですが、現教祖に対するものを含め
一般的な、伝統宗派ほど寛容とおもうのですが
中道や方便 よく親鸞会が本家?から悪玉にされてるとおもうのですが
考えたところ、原因は原理主義的な部分にあるとおもうのですが、現教祖に対するものを含め
一般的な、伝統宗派ほど寛容とおもうのですが
中道や方便を認めるならば、新しい文に抵抗せず、まあいいかとならないんですか?
どうしても抵抗したいなら自分の望む宗教に乗り換えればいいのでは? >>243
それ、単に他力の説明じゃろ
浄土真宗の人間に他力往生の話をふっかけて他力の説明が返されてるだけなんだから
そこで別のはたらきの話を期待するのがおかしい >>246
教義の面で見るなら本願寺のほうが原理主義ではないですか?
葬式にかまけず布教に力を入れるべしという意味では親鸞会のほうが原理主義と言えるかもしれませんが 親鸞会は偽装勧誘相談件数とか脱会トラブルの数とかさ…統一教会の問題の時も親鸞会被害者の会がテレビによく呼ばれてたじゃん
あなたがただ壷に書き捨ての言葉遊びしに来てるだけの人だとしても、あまり話題に出さないで欲しい >>243
「仏の無分別智がわかるということ」について説明いただけませんか? 京都国立博物館の親鸞展の感想ないってどういうことよ >>251
どうしてお前にいちいち報告しないといけないんだよw
親鸞様への熱い思いを確かめ合いたいの? 報告?
意味後わからないんですけど
このスレってざっと見ても気狂いが多いね 無信仰、無宗教ですが
対機説法、方便の論法で、新しい文も親鸞会も受け入れればいいのでは?
強固な原理主義、信仰ならば脱退して合うのをやればいいのでは? この人、ある意味、正統派らしいのでは?
小池龍之介 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 最終更新 2022年7月13日 (水) 09:20
小池 龍之介は、日本の元浄土真宗僧侶。
対外的には浄土真宗本願寺派寺院の副住職として活動し檀家から布施を受け取る一方、ヴィパッサナー瞑想などに傾倒していたこと等が宗派から問題視されて僧籍を剥奪され、のちに単立寺院沙光山正現寺住職を名乗った。
浄土真宗本願寺派教師課程で教師資格を取得。
僧侶派遣アルバイトなどを経て、実父・小池法雄が住職を務める山口市の浄土真宗本願寺派正現寺副住職を務めていた。
2010年に父の後任の住職に就職するため、住職申請を行ったが、本願寺派の教義に反した活動・出版をしたとして、不許可処分を受ける。
そこで、宗派離脱の通知を行ったところ、2011年1月7日付で、月読寺の運営が、宗教法人浄土真宗本願寺派僧侶規程(宗則第9号)第12条の2に当たるとされ、破門処分を受け僧籍削除。
自身でお経を唱えず、葬儀・法要にかかわらない異色の僧侶とコメントしている。ただし、住職を務める正現寺での、葬儀・年忌法要では、浄土三部経や般若心経を用いる。
2018年秋頃から「数年後に解脱する」「解脱寸前」と公言する様になり、寺を出て路上生活をしながらの瞑想修行を志すが、
2019年3月に挫折、「修行者が陥りがちな魔境の状態になり、もうすぐ解脱出来るという妄想に支配されていた」と懺悔の弁を述べた。
今後は還俗し、瞑想指導者としての立場も離れることを表明した。その後、YouTubeの公式チャンネルにて坐禅セッションを再開すると公表。 真宗のお寺に生まれて瞑想って、阿弥陀様はこの人にははたらいてなかったの?
阿弥陀様はいつも全ての人にはたらきかけているという設定なのに、
なぜ阿弥陀様はこの人に信心獲得させて他力念仏を称えさせなかったのだろうと思う。
阿弥陀様は本当にすべての人に常にはたらきかけているの? >阿弥陀様はいつも全ての人にはたらきかけている
>阿弥陀様は本当にすべての人に常にはたらきかけている
よくご存知だ
涅槃経ではそれを一切衆生悉有仏性、というよ
一切のの山川草木、動くものや人間はことごとくあなたにとって無量の仏、仏縁であるという意味の言葉だよ、元々は
阿弥陀、つまり無量の寿は仏であるっていう認識の展開があるんだってことが善導大師とか見てればわかるよ なのに真宗寺院に生まれて瞑想して追い出されてるのはどう解釈すればいいのですか? >なのに真宗寺院に生まれて瞑想して追い出されてるのはどう解釈すればいいのですか?
浄土真宗の本体は坊主じゃなくて門徒だ
寺の意見なんぞ是々非々でいいんだよ
善鸞とかも後で名誉回復してるけど、後でどんな話になって義絶が解かれたか伝わってないだろ
彼も修験道系だって話があるけんども 重要なのは自分も相手、寺も平等に間違ってるってことだ
自分が正しいと思った時点で議論の余地は無くなってしまうし思考もだいたいそこで停止しちゃうだろ
相手のことも外界のことも自分のこともそれで新規情報をシャットダウンすることになるし、想像上の相手を叩いて喜ぶ情報更新できない爺さんの出来上がりだよ
て実際の 少子化対策は専らアジアアフリカからの孤児引き取り。氷河期世代は無駄な出産と無駄な高等教育の結果。マザーテレサの言葉なんて完全な嘘。「お前の代わりはいくらでも居る」と、ロシアの民間軍事会社ワグネルが本当のことを教えてくれた。 「親鸞聖人生誕850年特別展」見てきました。
親鸞自筆の書物類は多く残っているのですね、知りませんでした。
一番印象に残った展示物は「親鸞聖人蔵骨袋・包紙」でした。
以前ヨーロッパの教会で聖遺物を見た時と同じ感情がわいてきました。
モノの真偽は別として当時の人たちの気持ちが生で伝わってくるような気がしました。
5月から展示替えで「鏡御影」を見てこようと思います。
去年亡くなった父は毎晩阿弥陀経を唱える熱心な信者だったので
もう少しだけ長生きしてくれたらなぁということも思いました。(自己紹介失礼) 本願寺は約150年の間で京都ー福井ー山科ー大阪ー和歌山ー京都へと移動するたびに
聖人由来の肖像画や書物を台車に乗せてゴロゴロと運んでいたかと思うと
先人たちの苦労を忍ばれずにはおられません。
特にあちこちで寺を焼かれたり大阪では10年間、織田信長の攻撃から宝物を守っていたかと思うと
聖人へのお気持ちの強さをうかがい知ることが出来ます。 親鸞展行きたかったなあ
ちょうど休館日で、代わりに青蓮院行ってきたよ
親鸞お手植えの楠の木の子孫だったかが巨大になってた 武蔵坊弁慶みたいな僧兵が織田信長と戦った本願寺というのはいまだとおもにどの宗派なんでしょうか? 自分でしらべました
そもそも分裂したきっかけが信長との抗争だったとわかりました
和睦派と交戦派で分裂だとでました >>266
いまだとおもに浄土真宗の東西本願寺だといまだにおもいますよ。 >>267
そうそう、分裂したとなると聖人由来の宝物の取り合いなんかも有ったでしょう。
そのへんはどう折り合いをつけたのですかね。 親鸞やら高僧の木像や真影ってのはちゃんと教えを面受した人が許可を得て作らせて貰うって伝統があるからな
教如さんは親鸞さんの直弟子のお寺の木像を訪ね、それを受け継がせてもらったみたいな話を聞いた
あの時秀吉側にだけ本願寺が味方してたら、どうなってたもんかね >>270
本願寺は、ラーメン屋の〜系とかインスパイヤみたいなやつか。 もともと石山本願寺時代に本願寺で鑑賞会があった
今まで通り妙安寺に安置してよいと許可証を教如がだした
その後、准如も木像をゲットしようと動いたが
教如が立ち回り、家康の命という形で東本願寺に寄贈され
家康からの寺地の寄贈とあわせ、分派が完成
妙安寺は「大谷本願寺釋教如」の裏書のある等身の御影と
引き替えの御影と葵紋の使用許可をゲットした
>>269
古いのはほとんど西でしょ
東は御影像も教行信証も後付け入手 秀吉が天下取った時代に、秀吉が認可した本願寺
家康が天下取ってすぐ、家康が認可した本願寺
江戸時代には2つが両立してたんやね
秀吉時代に2つを統合することがあったけど、お互い別組織として10年動いてきたものが一つになったらどっちかの幹部が追い出されることになり、不和の原因にしかならないなるなった
焚き付けた全国の門徒を差し置いて本願寺だけひと足お先に講和して信長秀吉と仲良しになるってことについて対応はそりゃ別れたろうし、でも天皇の叡慮だから石山での戦自体はやめないとだし
結果的に2方面作戦に見えるような展開になったんだわね >>272
やっぱり聖人亡き後二百数十年以上も台車でゴロゴロ押しながら移動してたの? >>274
そうだよ、大八車に乗っけてゴロゴロ押したんだよきっと そうだよ、適当に着の身着のまま運んでたから
恵信尼消息の発見も大正になってしまった >>258 一切のの山川草木、動くものや人間はことごとくあなたにとって無量の仏、仏縁
つまり、土砂崩れ、洪水被害、雑草、倒木、などで死人が出ることも仏のはたらきなのか。
その着眼点はなかった。
しかし、それをありがたいと思えるようになって初めて一人前の真宗信者の仲間入りなのか。 諸行無常や諸法無我が教えの根幹にある時点で、まあ仏教自体がね
災害を目覚めの縁とさせてもらってる人はたくさんいると思うけど
四諦という目覚めの視点を明らかにせよ、脳内世界と実際は常に違う、自身の妄想と実際の世界のあり方が噛み合わないから苦しんでるわけで
実際の災害は諸法無我、諸行無常、如実ということの表れに他ならないわけであって、適切な行動、予防と対策も事実の受け入れ、受容ということも、本人の姿勢があらたなものになることで生まれてくることなわけでしょ
まあ災害は無いに越したことはないだろうし、実際に身に起きたことについて目覚めの縁と捉えるかどうかってのはその人の歩み次第としても、自身に起こったことは恩寵ではなく仏、事実や如実に対する目覚め、自覚を得るきっかけでもあるってのは仏教各派基本的に変わんないのでは いつかのスレで、
阿弥陀佛さまに、
お救いいただくという事でありがとうございますと唱えている、と書いた時に
お救いいただきありがとうございます
といい替えをする
現当ニ益という概念を持ちながら、という話を聞かせていただいた方にしつこく質問して、返信がなかったけど、
その後にそのレスを改めて読んだら意味が解りました
あの時の方、ありがとうございます(‐人‐) >>278
自然がわざわざ人間に試練を与えて悟らせるという話なの? この「一切の山川草木、動くものや人間はことごとくあなたにとって無量の仏、仏縁」という見方は、
@「山川草木は、人間の評価に関わらず、本来、そのものが無量の仏、仏縁である」
ということなのか、
A「山川草木は単なる物質の集合体でしかないが、それを眺める各個人の経験則に依って無量の仏、仏縁と定義される」
のどちらのことを言っているのでしょうか。 実相とかの方がいいか
実相を感得するための四諦なわけじゃん?
山川草木とか自分の家族とか仕事先の人間とか自身の脳内フィルター通して時分の思いを以て観ているのが人間ですよってのが釋尊の指摘なわけじゃん
実際の周囲の縁とか周囲の人々とかに価値を感じ、目を向ける気持ちが無いなら、周囲の人々もただの物質ってことになるわね
個人の経験則や値踏みが役に立たない、逆に邪魔なものになってるって分かるってことが重要なわけで 結局、「一切の山川草木、動くものや人間はことごとくあなたにとって無量の仏、仏縁」
という捉え方は個人の主観であって、普遍的な真理ではないってことだよね?
つまり「一切の山川草木、動くものや人間は無量の仏、仏縁でなくてもいい」
と捉える選択肢も認められるのかな? あなたの自意識そのものが我執、自己正当化の言い訳のために作られてきた幻、空だってことです
これはだいたいのちゃんとした仏教宗派での共通認識でないの? 自性というのは空であって、利害関係や好き嫌いだけで自分の身体や周囲家族を捉える捉えるってこと自体が成り立たない、空虚だって話
周囲のことに限定して考えてみるだけでもいいよ
「一切のあなたをサポートしてきてくれた周囲の人や家族、また食べてきたものとかは、ことごとくあなたにとって仏、仏縁」
という捉え方は個人の主観であって、普遍的な真理ではないってことだよね?
つまり「一切のあなたをサポートしてきてくれた周囲の人や家族、また食べてきたものとかは仏、仏縁でなくてもいい」
と捉える選択肢も認められるのかな?
ってなるでしょ
そして、いくつのものが自分をサポートしてきてくれたかってことを考えてみりゃいいんすよ
それこそ記せ無い、量りしれ無い、判断できないカテゴリのものになるでしょそりゃ
上の利害関係とか値踏みしながら周囲を見るのが人間の肉体というか五蘊から来る視点で、相依相待など縁起性の視点で周囲を見るのが仏智、目覚めた視点に基づく視点、
で上の視点が我執が作り出す脳内世界、下の視点が現在する、如実のものを観るために仏が説いた視点、と
どっちを選択するのも自由とかじゃなくて、片方は自他を見えなくする事実に基づかない幻の場合もマジ多いですよ、事実、如実の自他の方も少しは見ましょうよ、ってのが仏のお勧めだよ そもそも空とか縁起という概念は、
アートマンを認めるバラモン教などや、三世に渡る実体を説く説一切有部に対する反論なのであって、
おかげさまという概念とは全く別物なのでは? 「おかげさま」って道徳っぽい。
もしくは明治以降の神道系の宗教が言ってそう。
その「おかげさま」が縁起思想と混ざり合って今の真宗信仰を形成してそう。
「お救いくださりありがとうございます」の「ありがとう」も、「Thank you,アミダ様!」みたいな感謝の意味じゃないんでしょ? > 「空」「縁起」って「実体がない」ってことでしょ?
人間が想定したり設定するような世界ってのには実体、実相が無い、ってこったよ
つまりそれは実際の観測に基づかず思いや思い込み、希望や希望的観測とかで作られてるわけだから
そういう現象としての存在や心の作用に執着することなく、実体化や先入観を廃した「空観」によって感得できる世界を諸法実相とか自然法爾、如来如実の世界と呼んだ、これは法華経系な仏教も涅槃経系の仏教も変わらないよ
諸法実相っていって、大乗以降の仏教ではタターガタ、如来とか如実ってものを大事にするんだよ
ていうか此縁性とか相依相待性とかってただの道徳でもおかげさまだけの世界でもねーぞ、事実の方の世界がどうなってるかっのを我執を離れて見よう、ってのが四諦の大まかな目的なんだから
自己流の世界解釈を良しとするならヒンズー教でいいじゃん >>291 諸法実相っていって、大乗以降の仏教ではタターガタ、如来とか如実ってものを大事にするんだよ
なぜそういうことを大事にするの? どのようなメリットが有るの? >>291 事実の方の世界がどうなってるかっのを我執を離れて見よう、ってのが四諦の大まかな目的なんだから
浄土教関係なくて草 仏教、ブッダって、新宗教うちたてたわけではなく
バラモン教だろ?
ブッダ自身は、バラモン教正統派だとおもって教えを説いたら後世に新宗教にされたんだろうと
これは浄土真宗もいっしょかと もともと神即自然、自然即神、諸法実相、無為自然みたいのがバラモン教のもとだったはずなのに
人格神っぽいブラフマーを崇拝しだしてきてたので、その人格神はほんとなのか?と無記にしたんだろうと
とくにブラフマーを想定、想像しなくてもバラモン教は可能と
あと苦行もほんとに必要かと曖昧にして、したいやつはしてもいいし、浄土真宗でも喜びやら導きなどでどうしてもやりたいなら念仏三昧していいんだろ
ただし修行、苦行ではない 自覚教になってるかどうか、というのが重要なんだと思うよ
仏ってのはそのまんま目覚め、自覚って意味の言葉なんだから
自我、我執の延長で自他を見るのでなく、想像の世界でなく如実の世界へ自己の姿勢をあらためる、視点があるかどうか
真宗も既製仏教化して他宗には分からない言葉で喋ってしまってる所もあるんだろうし
少なくとも当時の仏教に対し当時のバラモン教は解脱対象だったはずではあるんだけど、同じだけの時間を経て両方変化してないはずがないんだよね
>浄土真宗関係なくて
人生に全方向三帰依の場、姿勢を頂くのが正定衆の立場だよ
関係なくてというかそのものだよ >>296
浄土真宗を信仰してるわけではないが
とくに目的はなく浄土真宗を信仰してるならば
人によっては他力で勝手に、自動に念仏三昧になってるのでは? 第十七願 WikiArc.wikidharma.org 最終更新日時 2020年9月26日 (土) 11:20
諸仏称名の願
そもそも第十七願は、諸仏に「咨嗟称我名」と阿弥陀仏の本願を讃嘆させる願であって衆生に誓われた願ではない。
菩薩や声聞、縁覚ではなく諸仏に讃嘆せしめようという願であり、ましてや凡夫には全く無縁の願であった。
しかし御開山は、衆生の生因の願である「第十八願」の乃至十念は諸仏の讃嘆行と等しい行であるとされ、
諸仏称名の願は浄土真実の行、選択本願の行の往生成仏の「大行」とされたのであった。 >>300
なるほど、そういうわけで天台や浄土宗でも自力の念仏を称えているわけですね。 >>298
浄土真宗を信仰してるわけではないけど浄土真宗を信仰してるのは浄土真宗を信仰していないのと一緒。 結局、自力念仏って、天台宗や浄土宗みたいな修業をやりながらの念仏で、
他力念仏は、真宗僧侶みたいに修行をやってない上での念仏のことなのかな。 それとも、仏さまの目から見たら自力念仏も他力念仏なのに、
真宗僧侶が仏さまに無断で仏さまの念仏を「やれ自力念仏だ、やれ他力念仏だ」と一方的に区別していることなのかな。 浄土真宗の他力念仏はこれとちかいとおもうのだが
曹洞宗の坐禅 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ
曹洞宗の坐禅は「只管打坐」、ただひたすらに坐るということです。
何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。
坐禅をする姿そのものが「仏の姿」であり、悟りの姿なのです。
道元禅師はまた、坐禅だけではなくすべての日常行為に坐禅と同じ価値を見いだし、禅の修行として行うことを説かれています。
修行というと日常から離れた何か特別なことのように聞こえますが、毎日の生活の中の行い一つひとつを坐禅と同じ心でつとめ、それを実践し続けることが、私たちにとっての修行なのです。 >>306
ということは念仏三昧は修行ということか。 浄土真宗的解釈だと、念仏三昧は修行ではなく仏の姿
第17願で、(本願達成なら)諸仏が喜び南無阿弥陀仏を唱えるものだ、ということになってるので
本願力がとどいて仏かその一歩手前になってるなら、仏的に南無阿弥陀仏をいっているはず
仏のあたり前で修行ではない 曹洞宗的な仏の理想の姿は、座禅の格好で
浄土真宗的な仏の理想の姿は、南無阿弥陀仏を唱えてるという差 >>308
じゃあ天台や浄土宗で念仏を称えているのも仏の姿なんですか?
>>309
本当にそうなの? あなたの感想じゃなくて? >>306 毎日の生活の中の行い一つひとつを坐禅と同じ心でつとめ、
それを実践し続けることが、私たちにとっての修行なのです。
浄土真宗もこんなこと言ってるの? キリスト教と似てるとおもうが
キリスト教だと根本教義では修行はないとおもってるが
修道女がいたり、イエス・キリストがいい話や良い行いや道徳をといたりする
浄土真宗の坊さんや教徒にはこんな感じにおもってるのはいるかと
> 修行というと日常から離れた何か特別なことのように聞こえますが、毎日の生活の中の行い一つひとつを坐禅と同じ心でつとめ、それを実践し続けることが、私たちにとっての修行なのです。 >>300
仏の願いのもとで念仏を称えている天台や浄土宗を「あんなのは自力念仏で往生できないからやるだけムダ」
と否定している人がいるとすれば、それは仏の行を否定していることになるのでは? > 仏のあたり前で修行ではない
よく知らんけど、衆生教化というのは曹洞宗では仏陀の仕事ではないのけ?
釋尊自体人間全てには絶対分からない、ということを前提としながら一生かけて衆生教化に尽力されたわけでっしゃろ
わかる人だけ分かればいい、って立場なん? 自力修行、自力念仏もじつは他力、阿弥陀仏の本願力の導きだとすれば
自力だとおもって修行してる人もオーケーだろう
法然、浄土宗の念仏もじつは他力で
その真理を伝えただけで親鸞は浄土宗なんだろう 万が一にも、「仏さまの視点では自力念仏の者をも救う」とされているなら、
人間の都合により自力念仏に排他的になるのはどうかなあ、と思う。
他力念仏をするようになったら排他的になるのであれば、
まこと悲しくて残念でつらい宗教だなあと思う。 ttps://camp-fire.jp/projects/668015/activities/470083 > 他力念仏をするようになったら排他的になるのであれば、
> まこと悲しくて残念でつらい宗教だなあと思う。
それは浄土真宗じゃないよ
そういう主張をする坊主がいるんならどこの誰か晒してもいいくらいだよ
それが浄土真宗真宗だと思ってるならいい加減情報更新してね
っていうやり取りを何度も何度もここで見てるんだよなぁ >>319
真宗では天台や浄土宗の自力念仏は認めるんですか? > 真宗では天台や浄土宗の自力念仏は認めるんですか?
親鸞さんの立場で言うなら例えば
一念をひがごと(僻んだもの)とおもうまじき事
多念をひがごと(僻んだもの)と思うまじき事
ってのがあるわね
片方だけじゃ片手落ちだってのは前提だけど、どっちもまっとうな心から出たものであって絶対軽んじちゃいけんよ、って言ってる
この場合は行住坐臥の念仏が正しい、一念派は間違ってる派と回心するような仏への邂逅は一生に一度あればいい、無理やり念仏行するようなのは間違ってる派がバトルしてたんよね
そこで親鸞さんの表明した立場が上のもの
どっちを軽んじるのもダメよ、
片方を軽んじて自分の立場の方が正しい、とするのはダメよ、ってのでしょ
どっちが正しいか勝負とかじゃなくて本人の姿勢を問うてるだけだよ 他力念仏しか認めないなら、真宗僧侶のように最初から他力念仏したら済む話なのにね。 >他力念仏しか認めないなら、真宗僧侶のように最初から他力念仏したら済む話なのにね。
だからさ
念仏になってるかどうかってのを認可できるのは結局は釋尊一人だ
釋尊は後継者も代理人も残していかなかったろ
残された行者がいるなら、それは全員仏弟子になったんだよ
仏に成り代わって自他の念仏を認める認めないっていう姿勢自体がどうやねんって話、なだけだよ
十二縁起と四諦はもう示されてんだし
まあ他力と自力が示す言葉内容もなーんか恣意的にしか受け取ってないみたいだし、話が通じてるかどうかさえ怪しくはあると思ってるけどね 阿弥陀如来をありがたいと思ってもいない、称えて往生しようとも思ってもいない、
そんな何も考えず称えている念仏は他力念仏ですか、自力念仏ですか、それともそれ以外の念仏ですか? そもそも念仏で徳って積めるの?
自分にはとてもそうは思えないんですが ChatQPTで質問してみた
問。念仏で徳は積めますか。浄土真宗ではどのように考えますか
答。念仏によって徳は積めます。浄土真宗では、念仏を唱えることで、
阿弥陀如来からの無条件の慈悲によって、私たちの罪や迷いが浄化され、
極楽浄土に往生することができると考えられています。
浄土真宗では、自己努力や行いによって得られる徳よりも、
念仏によって阿弥陀如来からの慈悲を受けることが、
往生につながる最も確実な方法であるとされています。
ただし、念仏を唱えること自体が徳であると考えるわけではありません。
念仏は、無条件の慈悲から与えられる贈り物であると同時に、
その慈悲に応える姿勢や心のあり方を示すものでもあります。 ちょっと質問を変えてみた
問。念仏で徳は積めますか。天台宗ではどのように考えますか
答。念仏によって徳は積めると考える天台宗もありますが、天台宗では徳を積むためには、
様々な行法や修行を行うことが必要とされます。念仏は、そのひとつの方法として位置づけられています。
天台宗では、仏教における理論や実践の大部分を取り入れながら、独自の教義や修行法を展開しています。
徳を積むためには、菩薩の修行を行うことが重要視されます。天台宗においては、法華経を中心に、
諸経典から抜粋した法句を唱える「勝法念仏」などの念仏も修行法として重要視されています。
また、天台宗では、密教の要素も含まれており、真言や呪文を唱える修法が行われることもあります。
総じて言えることは、念仏や修行法を通じて徳を積むことは、仏教において重要な教えのひとつであると
されていますが、それぞれの宗派や教義によってその考え方や実践方法は異なるということです。
これは愉しい。今夜も酒がすすむな。 もういっちょ
問。阿弥陀如来をありがたいと思ってもいない、称えて往生しようとも思ってもいない、
そんな何も考えず称えている念仏は他力念仏ですか、自力念仏ですか、それともそれ以外の念仏ですか?
答。「何も考えずに称えている念仏」という状態については、自力念仏にも他力念仏にも含まれる可能性があります。
自力念仏とは、自分の努力や修行によって阿弥陀如来の救いを得ようとする念仏のことです。
この場合、念仏を唱える際に、「往生を願う」といった意識がある場合が多いでしょう。
一方、他力念仏とは、自分自身では救われることができないという認識の上で、阿弥陀如来の慈悲に頼り、
念仏を唱えることです。この場合、自分で往生しようという意識はあまりなく、「ただ念仏を唱えること」が目的となります。
以上のように、自力念仏と他力念仏という区分は、念仏を唱える人の意識や状態によって異なります。
ただ、「何も考えずに称えている念仏」の場合、自力念仏よりも他力念仏の方が近いと考えられます。
なぜなら、自分で往生しようとする意識があまりないため、阿弥陀如来の慈悲に頼る姿勢が強くなるためです。
ただし、具体的な意識や状態を判断することは難しいため、一概にどちらにも分類できると考えるのが妥当かもしれません。 ちょっと長いよ。これは本当に良い遊び道具に出会えたものだ。
問。ChatGPTの利用者が増えることにより、講釈坊主はいらなくなるでしょうか
答。ChatGPTのような大規模言語モデルは、自然言語処理の分野での技術革新として注目されています。
ChatGPTは、一般的な知識や文化的な情報を網羅することができますが、
人間とのコミュニケーションにおいて、講釈坊主が果たすような役割を完全に置き換えることはできません。
講釈坊主は、単に情報を提供するだけでなく、聴衆との相互作用を通じて、知識を分かち合い、
議論を促進する役割を果たします。また、講釈坊主は、文化的背景や地域の習慣、
聴衆のニーズや関心に合わせて、適切な内容や語り口を選び、
より深い理解を促すために工夫する必要があります。
一方、ChatGPTは、自然言語処理技術を駆使して、広範な知識や情報を提供することができます。
ただし、人工知能によるコミュニケーションは、まだ完全に人間と同等のものではなく、
聴衆のニーズや関心に対して柔軟に対応することができない場合があります。
したがって、ChatGPTは、情報収集や知識の確認に役立つことができますが、
講釈坊主が果たすような役割を完全に置き換えることはできません。
人間と人間の間での相互作用は、コミュニケーションにおいて非常に重要な要素であり、
ChatGPTが提供する情報を補完することができます。 全国の門信徒の方々へ ~「新しい領解文」について~
勧学・司教有志の会
門信徒の皆さま、このたび御正忌報恩講において、ご門主さまのご消息として「新しい領解文」(浄土真宗のみ教え)が発布されたことをご存じでしょうか。浄土真宗本願寺派において、ご門主さまのご消息は、重い意味を持っています。それは私たち本願寺派の僧侶や門信徒に対する、ご門主さまからの直接のメッセージだからです。したがって、これまでのご消息の発布にあたっては、ご門主さまのメッセージが誤解を受けることのないように、勧学寮をはじめ関係の方々によって入念に内容の検討がなされ、厳密な手続きを経て発布されてきました。しかし、このたびのご消息の発布においては、ご法義を大切にしてこられた全国の僧侶や門信徒の方々に大きな混乱が広がっており、その様子がマスコミにも報じられています。それは「新しい領解文」の発布に至る経緯がきわめて不透明であり、その内容にも、全般を通して親鸞聖人のみ教えにそぐわない表現が見いだされるからです。
たとえば、「新しい領解文」には「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ そのまま救うが 弥陀のよび声」 という一文が出てきます。この言葉を聞いて、皆さまは違和感を持たれたのではないでしょうか。皆さまはこれまでご法話のなかで、「私たち凡夫はいつも煩悩に振り回され、傷つき続けている。阿弥陀さまはその姿を深く悲しまれ、煩悩を抱えてしか生きられない私たちを救うためにご本願をたてられた。そして、この私に《南無阿弥陀仏(われにまかせよ)》と喚びかけ、煩悩を持ったままさとりへと導いてくださる仏と成ってくださった」とお聴聞してこられたと思います。しかし「新しい領解文」では、「私の煩悩と仏のさとりとは本来一つ」と表現されています。私が本来仏であるならば、救う必要はないのであり、阿弥陀さまがご本願をたてる理由もなくなってしまいます。
これは一例であり、「新しい領解文」には全般的に親鸞聖人のみ教えに対して重大な誤解を生じる危険性のある表現が見られます。にもかかわらず、今回のご法要では強く唱和が勧められており、記念すべき慶讃法要のなかで、不唱和・退出・従来の「領解文」の唱和など、全国の僧侶・門信徒のなかに混乱を生じさせる悲しい状況となっています。 門信徒の皆さまには、この度の慶讃法要にご参拝された折、また今後の本願寺派の様々な行事において、この「新しい領解文」の唱和を促されることがあるかも知れませんが、その時は静かに親鸞聖人のみ教えを思いつつ、お念仏申されることをお勧めいたします。
本来「領解文」とは、一人一人の信仰の表明であり、強要されるものではありません。皆さまお一人お一人のなかで、充分に消化していただき、ますます阿弥陀さまのお救いを味わうご縁となされますことを心より望んでおります。
称名 GoogleにしろChatGPTにしろ、利用の仕方によって得られるものはいろいろなんだな。
Google先生に“念仏 徳”で聞いたことろ、こんなのが出てきた。今夜の酒の肴。
親鸞の念仏における徳について
新保 哲(著) 印度學佛教學研究 58 (1), 33-39, 2009
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/58/1/58_KJ00005928041/_article/-char/ja/ おお、かつての引用君か。
今度はAIに尋ねるくらいには退化してきたか。 匿名掲示板にいるような教えてくんへの対応として、こんなのもありかな。
ツイッター本文はいろいろなところで引用されている。
ある人気キャバ嬢さんが「営業メールはもうChatGPTで文面作ってもらって一斉に送ってる」って言って
指名客が不愉快になったところで「あなただけは違うの」って言って心を鷲掴みにしてるって話聞いて、
これがAIを正しく使う方法だなって感心している。
編集者の阪上 (@hanjouteiooba) April 21, 2023
通常ChatGPTからコピペしつつ、たまにGoogleなどを利用して返答すると、
自分自身にも新鮮味が感じられて良いかと。
入門書を読むどころか辞書すら引く習慣がない人にとっては、
どちらも同じようなものだろうし。 使い手の能力が大幅に反映される印象だわ
3.5と4でもBingでも全然違うし、清沢満之なんかの著作読み込ませたらなりきりしてくれる奴とか
素の状態で質問する使い方だとみんなの意見の平均値を出力してくれる装置的な立ち位置になるな まあ入門書をを呼んだり辞書をひくことが目的になってしまって、
本来の目的である結論を出せないなら意味がないけどな。 愚痴の一つもこぼさず次々と質問に答えてくれるAIさん、ありがとう。
問。入門書読んだり辞書を引くことは、結論を得るという目的に対してどのような意味がありますか
答。入門書を読んだり辞書を引くことは、以下のような意味があります。
1.新しい知識を習得することができる
入門書を読んだり辞書を引くことで、新しい知識を習得することができます。
特に専門用語や概念に関する知識を習得する際には、入門書や辞書を参照することが非常に有用です。
1.問題に対する理解を深めることができる
入門書を読んだり辞書を引くことで、問題に対する理解を深めることができます。
例えば、語彙力が不足している場合や、文章の意味が理解できない場合には、
辞書を引くことで語彙力が向上し、文章の意味を正しく理解することができます。
1.正確な情報を得ることができる
入門書や辞書は、正確な情報を提供することが求められます。特に学問や専門分野においては、
正確な情報が必要不可欠です。入門書や辞書を参照することで、正確な情報を得ることができます。
以上のような意味があります。入門書を読んだり辞書を引くことは、
知識を習得するための手段の1つとして重要です。 他人を「教えて君」と評する割には、自分は「AIに尋ねる君」なんだよなあw >>341
こらこら、「結果を出せないという悲しい現実」が抜け落ちてるぞw >知識を習得するための『手段の1つ』として
よく読めば結論を出すとは答えていないな。
AIに尋ねる方も尋ねる方だし答える方もこれじゃあなw
例えて言えば、とりあえず意味もなく、意味もわからず念仏でもしようか、みたいな感じか。
成仏したいという気持ちのない念仏だから宗教でも信仰でもないよな。 google先生に聞いてみたら、こんなのがヒット
中学からの作文・論文
原因・結果・手段・目的の関係 1
http://blog.z-abc.com/?eid=437026
原因・結果・手段・目的の関係 2
http://blog.z-abc.com/?eid=437631
原因・結果・手段・目的の関係 3
http://blog.z-abc.com/?eid=438211
「原因・結果・手段・目的の関係 3」より
最善の手段を選択できない場合は、複数の手段で補完しあいましょう。
一般に、問題解決においては、複数の案を評価し、最もよい案を選定する方法がとられます。
しかし、どの案も目的を完全に満たせない場合は、それぞれの良さに着目します。
結論を出すために様々な手段に目を向けることは大切なこと。
入門書を読むことも然り、辞書を引くことも然り、ネット検索も然り。
匿名掲示板における質問くんの中には、質問すること自体が目的となっている人もいるのでは?
そういう人にとっては結論は特に必要ないような。ストローマンはそういう寂しがり屋さんだよな。 思い出した!
引用君ってむかし、「中国や高校の歴史の授業なら当たり前」とか言っておいて、
紹介されたリンク先を除いてみると、実は解説のレベルからして中学高校の範囲を超えていて
総ツッコミを受けて赤っ恥をかいたやつか!
おう、精神が無事立ち直って元気だったんだな! よかった、よかった。 原因 : 疑問に思う
結果 : 疑問が解消される
手段 : 入門書を読む。辞書を引く。ネット検索する。匿名掲示板で質問する
目的 : 知識を得る
知識を得ることは、疑問が解消されることに対する手段であり、その目的でもあるんだな。
やはり義務教育は大切。 >>330
真宗に詳しい人、>>330の解釈は正しいの?
引用君みたいなのが増えると、それこそ新しい領解文どころの騒ぎじゃなくなるんだが。 >>348
まあ、義務教育の結果がAIに質問するような思考の退化なんだけどな。
本人が気づいていないのがこれまた悲しい。
こういうのを見ると今宵も酒が旨い。 個人的な信仰としては、>>330の解釈について問題があると感じるけど、
ChatGPTではこんな感じだよと紹介するのみ。
「自力」「他力」の解釈にもまた様々あることは、こちらの辞書サイトを参照してもわかること。
新纂 浄土宗大辞典 “自力・他力”
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%87%AA%E5%8A%9B%E3%83%BB%E4%BB%96%E5%8A%9B
そもそも>>324さんが言うところの「自力」「他力」が何を意味するのかもわからないし。
それを踏まえて結論を得るためには、疑問に思った人自身がそれに対する結論を得るための知識が必要。
自分だったら>>324さんの質問に対して「それは空念仏と言います」答えるのみ。
「空念仏とは?」と問われたらggrksと。
>>324さんにとって「念仏」とはどのようなものですか?と聞いてもみたい。 レス遅れてスマン
>>328
もし阿弥陀如来からの慈悲によって罪や迷いが浄化されてるならなんでこんな世の中なんだろうね?
真宗僧侶に限っても窃盗、殺人、強姦、不倫等々とても罪や迷いが浄化されてるとは思えない
自助努力や行いを否定すると世の中がどんどん即物的、唯物論的に荒んでいくと思われる
浄土真宗はそこをどう解釈するのかね?相変わらず平和運動だけは自力でお盛んみたいだけど >>329
菩薩の修行がイコール念仏オンリーとはとても思えない
もっと能動的に衆生と接してどう救うかと考え続けないと自己満足に終わるのでは?
>>330
他力念仏とやらが往生を願わないなら救いのあるなしは最早関係ないのでは?
救いがなくても念仏し続けるのが他力念仏なんでしょう?
ならば極楽浄土に行けずに地獄に落ちても念仏し続けるべきだと自分は思います
陰徳の足りない大部分の衆生はその可能性が一番高いとも思いますがね あ、自分このスレでの最初のレスは>>214です>>235も自分です
真宗贔屓の方々に袋にされることを予感してますがあえて書きますw
今日は久し振りに雑事から解放されたのでレスバできますよw これまでは「お聖教にたずねよ」だったのが
これからは「AIにたずねよ」に変わるのか。
まあ元の文章をコピペしてくるだけなのは変わらんな。 聖教ではこのように説かれています。
匿名掲示板で質問をしたところ、このような回答がありました。
AIがこちらの質問に対してこのような回答を出力しました。
ChatGPTの回答(>>330)にある「自力」「他力」の用法に違和感があったので、辞書サイト(>>351)で確認。
他力念仏とは「ただ念仏を唱えること」が目的となりますと言われても困るな。
ただ辞書の記事について異論がある人も居るだろうし、結論は人それぞれの心の内にあるととしか・・・
匿名掲示板における質問とその回答といったやり取りの行き着く先やAIによる出力結果は、
知識共有のなされた議論の総括とか、ある学説が定説として認められる等とは意味が違うから。
研究者A : 「この文献に○○とあります、それに基づきこのような結論を導き出しました。
皆様の忌憚のないご質問、ご意見をお願いします」
研究者B : 「素人質問で恐縮ですが・・・」
匿名掲示板の住人 : 「質問をしてみたけど、ぼくの考えた○○と違う、論破だ、論破!
(どんな回答が出てきても、そんなの関係ねえ。論破することに意味がある)」
AIを用いて遊ぶ人 : 「ふ~ん、この質問に対してこのような返答が出てくるのか。面白いな。
次はどんな質問をしてみようかな。
鬼滅の刃にでてくる「しのぶさん」について質問したら、「富岡義勇の妻ですね」と返ってきた。
ふざけんな、馬鹿野郎!!」 >>356
表向き謙虚だから学者が正しいとは必ずしも言えないと思う
学者なんて者は文献上であーだこーだと言ってるだけで
実践はからっきしなんて人が多いんじゃないですかね?
釈尊でさえ天上天下唯我独尊って我が道を行かれた方だ
5ch住人に論破されるならその論に瑕疵があったというだけだ
悔しかったら擁護して論破し返してみればいいんだよ
ちなみに富岡不義勇は不倫柱なのでしのぶの姉やカナヲに手を出すと思うw 文献だけで成り立つ学問分野なら資料を読み漁ればいいけど、
正当な伝統仏教の知見のある天台や真言だと口伝も加わってくるから簡単にはいかないんだよな。 >5ch住人に論破されるならその論に瑕疵があったというだけだ
>悔しかったら擁護して論破し返してみればいいんだよ
壺はお前のお母さんじゃねえんだよ
いつまでも同じネタで構って構ってレス乞食がやりたいんなら他所行っとくれ >>359
俺がどこでどんなレスしようがお前に指図される謂れはない
俺に意見されたくなければ5chなんて引退してブログでもやってろ 今どきブログとか流行らん。
tiktokで酒が旨いとかやってろ。 >>361
酒が旨いとかロックバンドしてる僧侶とか本当に居るからシャレにならんよね
それで仏教でおまんま喰ってるって言うんだから破戒僧というのもおこがましい
そういう輩の地獄行きは逃れられんよね、それはもう自業自得だから仕方ない 親鸞聖人在世より800年は末法より遠ざかり滅法に近づいているわけだから
その分機根も衰えて、阿弥陀仏の法力も弱まってるのに気づいていないのかな。 >>363
末法詐欺はもう飽きた
いつになったらこの世は滅ぶんだよ?
ノストラダムスの大予言と変わらんぞ 「他力念仏」「自力念仏」という言葉は、どの書物にでてくるのですか? >>365
俺に聞かれても知らんよ
言い出した奴に聞いとくれ チャットGPT
他力念仏はどの仏典で説かれていますか
「他力念仏」は、浄土宗の教えの一つであり、浄土宗の開祖である親鸞聖人によって説かれました。親鸞聖人は「往生要集」や「教行信証」などの著書において、人間が自力で極楽浄土に往生することはできず、他力によって往生することが必要であると説いています。
親鸞以前に他力念仏が説かれたことはありますか
浄土宗の創始者である親鸞聖人以前にも、他力念仏という考え方や信仰が存在しました。
例えば、親鸞聖人が師事した法然上人が創始した「阿弥陀仏本願念仏」の教えでは、人間が自力で往生することは不可能であり、阿弥陀如来の他力によって往生することが必要であると教えられています。
また、法然上人の前には、親鸞聖人が敬う浄土思想の先達とされる、称名念仏を説いた覚鑁(かくばん)や、彼の師である善導上人が説いた「南無阿弥陀仏」という念仏が他力念仏の信仰として広く信じられていました。
更に、平安時代には、聖徳太子が作成したとされる「往生要集」や、天台宗の開祖である智顗が著した「?土成就?疏」においても、他力念仏の信仰が説かれているとされています。
そのため、親鸞聖人が説いた他力念仏は、彼以前から存在した浄土思想や念仏の信仰の中から生まれたものであると言われています。 どの書物で説かれている、じゃなくて、どこに書かれているか、ということなんだが? 熊皮御影目当てに親鸞展に行ってきた。
国宝の教行信証も見ることが出来てとても感動的だった。大阪に住んでるので、鏡御影、安城御影の展示も別々の期間になるけど見に行こうと思ってる。
なんかスレチっぽい書き込みやねw ご門主の手でかき混ぜて発酵させたみかんジュースを飲む本願寺 いや、だから「他力念仏」「自力念仏」という言葉は、誰がどの書物で書き表したのですか? >>371
滅法へ向かって突き進むだけ!
今どきの人間なんてそういう時代感を持たないから恐れもしない。 >>367
「他力念仏はどの仏典で説かれていますか」の問いに経典名で答えていない時点でアウトw
「他力」はどこの経典に載ってるの? >>369
そこの建築物には宗教関係者がたくさん出入りしていた? >>369
京都の方に行くとはまだまだ素人やね。
玄人は三重の高田派の方の展示会に行くんだよ。 ※いただいた後の話限定! いただく前と後の話は分けましょう! チャット GPT の方へ
信仰よって人は幸せになれるでしょうか >>380
ChatGPTに聞くと「人それぞれですね」と返ってきましたが、それだけでは寂しいので
自身の信仰を縁として自身に楽が生じることがあれも苦が生じることもある。
他者の信仰を縁として自身に楽が生じることがあれば苦が生じることもある。
自身の信仰を縁として他者に楽が生じることがあれば苦が生じることもある。
善き縁に対して感謝の気持ちを抱き、それに報いようとすることは大切なことだと思うし、
悪き縁に対しては出来るだけ離れるなり、悪い結果が起きないように努めるなり、
「他山の石 以て玉を攻むべし」とするべきだとも思う。
昔の人の言葉にこのようなものがあります。
人の心本より善悪なし。善悪は縁に随って起る。...
善縁にあへば心よくなり、悪縁に近づけば心悪くなる。
我が心本より悪しと思ふことなかれ。只善縁に随ふべきなり。
『正法眼蔵随聞記』
いいことは おかげさま わるいことは 身から出たさび
相田みつを 『にんげんだもの』 (文化出版局) 信前の称名は功徳があるのか? 親鸞会は無いというだろう。
しかしそれではあまりに阿弥陀様が無力すぎるではないか。
信前であろうと称名は仏の大行であり、称える人に働きかけるだろう。 だからその「はたらきかけ」ってなんなんだよ?
何がどうはたらいているんだよ? 阿弥陀如来は、あなたを救うために「南無阿弥陀仏」という名となった。あなたが称名するとき、如来はあなたを往生必定の身にしようと働きかけている。 >>384
どこからどこにはたらきかけているの?
空間的に示してよ。 ワイの脳みそではこれ以上うまく説明できん
自分で調べてくれ。
ちなみにワイが善知識と仰いでる人は阿満利麿先生 >>377
「よーし!これから頑張っていただくぞー!」とは違うの? >>380
機械に尋ねなくても身近の真宗僧侶を見れば彼らが幸せになっているかどうか分かるだろう。
なぜなら彼らこそが信心獲得の体現者なのだから。 五劫とか十劫というのは、例えば、無量という計り知れないことの誇張表現や言い換えなだけであって、
人間が考えるような1秒、2秒、3秒の延長線上にある遥か遠い昔という時間感覚ではないんですよね? 浄土真宗の方に聴かせて頂きたいです
讃仏偈の、
過度生死(まよえる海をわたしては)
靡不解脱(さとりの岸に着かしめん)
(人々を救う)
等は、法蔵菩薩さまのお誓いですが、阿弥陀仏さまになられた今もこれは続けられてらっしゃいますか? 「> 阿弥陀仏さまになられた今」
これっていつの話なんです?
過去の話なんだったら今はもう人間側が散乱放逸してんだから、今は菩薩が行を修めている最中であるってことになるでしょ
生死無辺界を尽くす、ってことは過去のあなただけてはなくその過去にとっての未来のあなた、つまり現在のあなたへ向けても常に行を続けている、ってことになるんだよ 「悪人こそが仏さまの救いの目当てである。」とはよく言われていますが、
救われたら悪人は善人になるのですか、それとも悪人のままなのですか?
救われても悪人のままなら、救いの目当てという条件を満たすために常に悪人でなければならず、
結局救われてない状態になり、永遠に救われないということになりませんか? >>392
じゃ現在は阿弥陀仏さまはいらっしゃらないですか? 梵天勧請受けての仏の念が認識できてない人の認識には、目覚め、仏ということ自体が存在しない、ということですわね
それを釋尊は無明と表現した
有頂天を目指し地獄餓鬼畜生人天の五悪趣を心身や言動がぐるぐる経巡ってるのが、現在に三帰依の成立して無い、念仏の無い人の現在である。
同語反復ですね >>397
もう一つの神が降りてきた話もしてくれたらありがたい、
釈尊の宗教経験というものがよく分かるから。 三災 仏教で正法に背いたり、正法を受持する者を迫害すると起こるとされる災い
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E7%81%BD%E4%B8%83%E9%9B%A3
穀貴:飢饉等が起こり穀物等食糧の価格が高騰し品切れしたりする。
品薄や高値続く「卵」…"エッグショック"いつまで続く? 生産量増えても価格高値のままの可能性も…エサ代高騰原因で
2023年4月29日
https://www.fnn.jp/articles/-/521645
日本を「漁業大国」と思っている人が時代遅れな訳
魚の値段がどんどん高くなる2つの理由を解説
2023/05/03
https://toyokeizai.net/articles/-/669337 真宗では、阿弥陀如来への感謝の念仏でしか認められないんですよね?
「救ってください、お願いします」の気持ちを込めた念仏は認められないし、
そう思ってはいけないんですよね? 鏡御影を見に再び親鸞展に行ってきた。思っていたより小さくてラフなデッサンのような作品だったので意外な感じでした。
教行信証、阿弥陀経註(ともに国宝)、歎異抄(重文)などとても感動しました。
安城御影も短期間の展示になるけどなんとか見に行こうと思ってるんですが、
このスレの方はこの展覧会見に行ってないのでしょうか。 ワイ3日に行ってきたで
展示内容も素晴らしくて良かったけどギャルっぽいお嬢ちゃんも
そこそこいてたのがなんかほっこりした、トラりんも可愛かったしw >>402
親鸞上人が書かれた四十八願文が、いくつかが願ごとにバラバラに展示されていたのを見て、
不思議に思わなかった? 誰がどのような目的で切ったのか、とか。 新しい領解文で対立が起こっているそうですけど、
つまり西本願寺の僧侶は善人しかいないということですねw 批判する側も門主さま本人を批判できないの、外から見てるとすっげー異様… 常に待機状態だよ
簡単に京都に行けて羨ましい、代わりに見てきてくれて有難うだわ 信心獲得していなくても通称他力念仏を称えることはできますか? >>406
批判する価値もないから無視されている、もうすぐ禿げるしな >>409
「信心」とは何か、わかってる? まずはそこからだ >>411
阿弥陀如来より賜るものだから、真宗僧侶から他力念仏を勧められても
阿弥陀如来のはたらきがなければ他力念仏を称えられない。
結局は阿弥陀如来が悪い、ってことかな? 「日本国籍がなくても戸籍謄本や日本政府発行のパスポートを取得できますか?」
「外国籍の方はそれぞれの国の規定により各国政府発行のパスポート等を取得できます。
日本国籍をお持ちではない方でも日本国籍を取得すれば戸籍に記載されるので、
戸籍謄本や日本政府発行のパスポートが取得できます。」
「日本国籍がないと戸籍謄本や日本政府発行のパスポートが取得できないのは日本政府の怠慢だ。
日本政府が悪いんだ。」
「・・・・・・、触っちゃ駄目な人だ」 本を読むなり人に聞くなりして、弥陀の本願についてじっくり考えるんだ。で、本願のいわれが自分にしっくりくるなら念仏すればいい。
自分に信心があるかどうかなんて詮索しない方がいいと思うよ、それは阿弥陀仏の仕事だ。思い通りにならない心は弥陀にお任せしましょう。
法然聖人曰く「疑いながらも、念仏すれば往生す」 「念仏もうしそうらえども、踊躍歓喜のこころおろそかにそうろうこと、
またいそぎ浄土へまいりたきこころのそうらわぬは、
いかにとそうろうべきことにてそうろうやらん」と、もうしいれてそうらいしかば、
「親鸞もこの不審ありつるに、唯円房おなじこころにてありけり。
よくよく案じみれば、天におどり地におどるほどによろこぶべきことを、
よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたまうべきなり。」
『歎異抄』第九章
今度の生に念仏して来迎にあづからんうれしさよとおもひて、
踊躍歓喜の心のおこりたらん人は、自然に三心は具足したりとしるべし。
念仏申ながら後世をなげく程の人は、三心不具の人也。
もし歓喜する心いまだおこらずは、漸漸によろこびならふべし。
又念仏の相続せられん人は、われ三心具したりとしるべし。
『黒谷上人語灯録』第十五 「諸人伝説の詞」 >>414
あれ? 祈願請求の自力念仏って真宗では否定、禁止されていませんでした? >>413
国籍取得は自身の意志で取得できるけど、信心は自身の意志で得ることができないから
何の例えにもなってないんだなあw 「ありがたい、ありがたい。」と思ったり、言いながら、
実は如来の本願を疑っている事に気づいていない人、結構多いんじゃないんですか?
皆さんはどうですか? >>417
日本国籍が取得できるのは、日本という国があり日本の法律があるからこそ。
自分の意志があったとしても、そこに日本という国がなければ日本国籍は取得できない。
出生時に戸籍登録された人も帰化して日本国籍を取得した人もそれは同じ。
他力
自分が日本人でいられる、または日本国籍を取得できるのは、日本という国があってこそ。
先人達の努力があってこそ。それらに感謝して生きていきましょう。
戸籍謄本やパスポートの取得もそれらの制度があり、手続きを行ってくれる人がいるからこそ。
自力
自分で国を建てるんだ。俺が法律だ。俺の話を聞け。
日本の法律なんて知ったことか。俺が生きたいように生きるんだ。
さっさとパスポートをよこせ。
取得できないのならば他人になりすますか、偽造してしまおう。 >>419
上手く例えようとして頑張ってみるけど、余計に伝わりにくくなる悪い例ですね。 >>419 それらに感謝して生きていきましょう。
他力は道徳だったのか… 月命日のお墓参りちょっと疲れてきた
やめてもいい?
月命日の勤行には正信念仏偈の行譜をするから 門徒だけど数十年後には浄土真宗は消えてなくなってそうで怖い
まぁ、その頃には俺はとっくに浄土に往生しているんだろうけどさ >>423
正信偈、意外と長いよね。
般若心経くらいなら適度なんだけどさ。
>>424
仏光寺・専修寺や福井の4本山よりも東西本願寺が先に衰退なんてことはないだろうな。
あまりに手広くやりすぎたので維持が大変そうだが。 家の宗教だったからな
布教活動がなくても、家庭というものが昔はしっかりしていたからちゃんと親子孫と伝えられてきたものだった
戦後に家督制度が無くなり守る名字も守る墓も無くなって、伝わっていくものも生活が変わることで大量に失われてった 先祖供養の作法が複雑な宗派から単純明快な真宗に変える人も多いらしいね
自分も独身で子孫残せないから真宗の作法で送ってもらうほうがいいよ >>426
家の宗教と個人の信仰は分けてそうだよね、真宗門徒って。
葬式法事は真宗スタイルで、日常の信仰は神社や聖道門の宗教参拝で。
>>427
天台や真言と違って釈尊の時代から伝わる歴史や知見がないから
結果的に在家僧侶がやるレベルの簡単な作法になってしまうよね。 今日親鸞展で安城御影を拝見しましたが残念ながら暗すぎて何が描かれてるかわかりにくかったですね。この展覧会は御影見に3度行きましたが、概ね満足度が高かった。残念ながら展覧会関連グッズは魅力的なものがなく買いませんでしたけど 正本の安城御影見れたのは感激した
ソレを元に蓮如さんが作らせた副本ですら国宝だ > 天台や真言と違って釈尊の時代から伝わる歴史や知見がないから
天台智顗による祇園精舎の玻璃の鐘の描写がこれ情報も行ったことも無い場所のことを想像で書いてるだろって指摘が面白かったな
そりゃ想像で描くしか無いわけだけど >>431
↑
な? 伝統仏教学の知見に触れたことない真宗関係者が言いそうなことだろ?
こんなことばかりやってるから進歩しないんだよ。
「法然に会った後に六角堂の夢のお告げ」の一生涯とか今だに展示して恥晒してるんだぜ? 親鸞聖人直筆の四十八願文は、なぜ国宝になってないの?
心無い人によってバラバラに切られたから? 表装されたから? 真宗には「僧侶として」「仏教のこういう伝統と歴史に基づいて」こういう作法やってます、とか無いの? >>433
バラバラにしたのは褒美の類といった政治的な使われ方をしたということなんですかねる >>402(など)ですが、現代の本願寺派にとって門主って形骸化した存在に過ぎないのではないのですか?それとも大きな存在なのですか。組織の一部分である各寺の住職などにとっては企業の上司や社長などに近いのかもしれませんが…一般門徒にとっては親鸞と蓮如以外の門主の存在は信仰という面において意味がある存在なのですか?ということを「新しい領解文」の騒動で思いましたが…。 「門主」と呼ぶのはニワカ。
通は、「留守職」とか「寺務」、と呼ぶ。 >>439
確かに私はどこの寺にも所属してないのでニワカですよw 夕方、風呂入ってから勤行をするのですが、
風呂入った後、化粧水や水虫の薬塗って勤行してもいいですか?
なんか問題あります? クソを撒き散らしたまま、去っていく。
そのクソを、拾う人たちには感謝しかない。
末寺の人間は、ゴミ袋を用意するしか出来ない。 >>445
クソひった人= イワガミ恥垢
クソ. = 新領解文
拾う人たち = 全国門徒 今回の一件、とても残念だがいいことも確認できた。
「自分の首を掛けてきちんと訴えた人々がいた。」
というところ。 >>447
一方でクソをまき散らすのを積極推進しながら
上から言われたことを遂行しただけという上級宗務員がいる
戦争が起こっても「上の命令なので民間人も殺します」
とか平気で良いそうな奴らだよ、しかも僧侶なんだとさ 宗議会とか宗務員ってなんとなくだけど「世間知らずのお坊ちゃん」が
やってそうなイメージがある。
そもそも自坊留守にできるんだから、よっぽど暇か、
それとも法務員雇ってる大坊だよな? あれかな、唯善という人物が親鸞聖人のお骨と絵像を持ちだして
廟堂が体をなさなくなって墓守ができなくなった苦肉の策に覚如が本願寺を造ったわけ? 廟所、経蔵、親鸞の行実を伝えるための組織、構造というもの
報恩講なんかもは新潟常陸京都、親鸞と会った人々が一同に会して親鸞から伝えられたことを確かめ合う場だったわけよ
そういう講が33回忌が済んだら雲散霧消してしまうって危機感があったと思うわけよね >>453
33回忌まではお弟子さんらが集まって報恩講を営んでいたわけ? >>453 雲散霧消してしまうって危機感があったと思うわけよね
それって君が勝手に思っているだけだよね。 お西の慶讃法要行ってきた
一番ありがたかったのは、前門さんがお出ましになったこと
(それだけで行った価値あったな)
そして、衝撃で寂しかったのは、その歩みの弱々しさ だった
ところで、御影堂で法要やるのって本来どうなんだろ
阿弥陀堂はそれを生中継してたらしい
ご門徒には、故人の遺影や位牌にではなく、あくまでご本尊にお参りするんだ、って言ってるけど
御影堂の中心は聖人像
九字、十字名号はあるけど、余間だよね
浄土真宗=親鸞教 って揶揄を見たことあるけど、なんか反論できないわ 帰依すべき仏とその教えを伝えた祖師を共に崇めることは真宗に限ったことではないこと、
親鸞聖人を慕って関東などから聖人のお墓参りに来た人たちから始まったのが本願寺であること、
阿弥陀堂に表される帰依すべき仏と、御影堂に表される教えを伝えた死である人格を
人々はどのようなバランスで捉えてきたかについて、
他宗派の人間だけど参考としてこんなのを読んでみた。
真宗の土着 : 民衆の受容から見た真宗 (仏教・文化公開講座講演録)
清基 秀紀(著) 研究紀要 20 131-140, 2007-03-01 京都女子大学宗教・文化研究所
http://repo.kyoto-wu.ac.jp/dspace/handle/11173/1926 ちょっと長いけど、なるほどなと思った最後の一文を引用。
浄土真宗は、親鶯聖人によって説かれた教えが教義として存在するだけではなく、
その教えを信じ、その教えによって救われてきた人たちによって伝えられてきたものです。
教義を論理的に理解する理性だけではなく、それを宗教的な感性で信じた人たちの存在が
やはり重要なものです。そのような個人の宗教体験に基づく感性の部分によって
支えられてきたのが御影堂です。ただし、御影堂だけでは浄土真宗は成 り立ちません。
教えが中心として存在します。阿弥陀堂があるからこそ御影堂は存在するわけです。
真宗の土着の歴史というのは、その二つのバランスの上に成り立ってきたと考えることが
できると思います。 >>459を訂正
誤 御影堂に表される教えを伝えた死である人格
正 御影堂に表される教えを伝えた師である人格 月命日のお墓参り行くのやめていいですか?
疲れちゃった
勤行は正信念仏偈の行譜を行います >>460
土着とか言う割には結局阿弥陀如来しか認めていない謎理論w
土着というのは諸仏諸菩薩・土地の神様を信仰して、
仏壇に諸仏所菩薩・土地の神様を祀るくらいの話じゃないの?
この書物の中でそこまで触れているの?
阿弥陀如来しか認めさせないように、意図的に>>460が部分を切り貼りしているだけなの? >>459
お墓参りに来ようにもお骨と絵像がないのでお墓の体をなしていない話なのでは?
真宗僧侶や門徒は高野山の親鸞上人のお墓へお参りに行かないの? お墓として始まった本願寺にお骨があるのかないのか、まずはこの事実から始めないとな。 蓮如の書いた文字の南無阿弥陀佛の掛け軸が本尊だと言って仏像絵像は認めない人達がいるけど何か根拠ありますか? 廟所は日本では別に骨必須じゃないよ
靖国とかだって骨の有無は関係ないでしょ
> 蓮如の書いた文字の南無阿弥陀佛の掛け軸が本尊だと言って仏像絵像は認めない人達がいるけど何か根拠ありますか?
一休さんが蓮如の寺の本尊を枕にして蓮如に叱られたって逸話あるけど、蓮如時代だって普通に木像だよね
既存の真宗の絵像木像を貶めるための嘘だよ
自宅の本尊が絵像だった!この真宗は偽物だ!って言って不勉強な人を騙すのが定石だったんすよ >>467 廟所は「日本では」別に骨必須じゃないよ
?
「日本では」というところにも違和感を感じるが、
そもそも親鸞聖人の廟所はお骨ありきで始まったのでは? お墓なのだからお骨が有って当然なのに
「お骨がなくてもいい」という発想は日本人の思考なのかなあと思うわ。
唯善がお骨を持っていったと言われているけど、本当は本願寺にあるんでしょ?
隠す必要ないと思うけどなあ。 >>466
親鸞聖人の教えなのになぜ蓮如上人の教えが? > 「日本では」というところにも違和感を感じるが、
ああ、語弊があるか。中華街の関羽廟にも関羽の骨無いでしょ、基本木像とかであって
それでも機能は変わんない、てことも分かるでしょ?プレミア感は変わるかもだけどさ
例えば仏舎利塔、ストゥーパに入ってるのが遺骨じゃなく白い小石だったらそれまで方便法身だったストゥーパが方便法身じゃなくなる、というのは変な話でしょ >>471
で、親鸞聖人の廟堂の設立目的とは?
高野山の親鸞上人のお墓に手を合わせるのもアリですか? > 親鸞聖人の廟堂の設立目的とは?
> 高野山の親鸞上人のお墓に手を合わせるのもアリですか?
廟所の目的は故人の徳目を再生、再現すること
だから例えば孔子廟なんかは普通孔子関連の図書館とセットになっている
その教えについての教育の保存、保護機関とセットになってるもんなんだ
釈尊の滅後にもできたでしょ?そういう機関
そんでめちゃたくさん分裂したでしょ
墓やら廟ならどこでも同じ、と思うのは好きにすればいいけど、どこの廟も同じ、ということは言えないんだよ >>463
横からすまんが、460の「土着」は「日本の既存の土着信仰」を指す単語ではなく
土着化という現象、つまり「教義などとは別次元に、祖先や先達が信じ守ってきたものを受け継ぐ変化」のことを指してるのでは? 親鸞と蓮如は本尊として仏像や絵像ではなく六字名号を指定したというのは本当ですか? >>475
そういうことですね、失礼しました。
そういう変化を本願寺が認めるかどうかですけど。 関東での布教では聖徳太子像を本尊としていたという話を聞いた。 >>474 どこの廟も同じ、ということは言えないんだよ
「異なる」とすれば、お骨の有無ですか? >>474
とりあえず事実確認したいんだけど、そもそも本願寺に親鸞上人のお骨があるの? 六字名号の文字掛軸以外は認めません!と言ってる人がいる 結局、御影堂で親鸞聖人の木像に向かって法要をすることと、仏壇の遺影や名号が掘ってない墓に向かってお勤めすることの違いが説明できない
そして、
親鸞は父母の孝養のためとて一返にても念仏申したることいまだ候はず
の心はどうなっちゃうんだ
やっぱ聖人は別格?
浄土真宗寺院に聖徳太子はいるのに基本釈尊がいないのと同じくらい疑問だ >>483
別に何も矛盾はないやろ
父母の孝養のためではない
父母の冥土の幸福のためでもなく
父母の成仏のためでもない
親鸞の木造の前で法要するのは、親鸞への感謝の気持ちの現れでそうやってるだけだろうさ
本尊だって単に、あったらわかりやすいから置いてるだけだろ、浄土真宗に限らずさ >>484
矛盾とまでは言わんが、一貫性がなく説明しづらい、とは感じる
尊敬や感謝の念があればいいなら、故人の遺影や、なんなら位牌や過去帳にだってまいったっていいじゃん >>486
誰が菩薩なんてのは個人の主観の問題。
共通解釈と捉えた時点で答え合わせという学問になって、宗教じゃなくなって信仰が死んでしまう。 >>483
父母の孝養のための念仏なんかより三昧行としての念仏を称えていたみたいだよ。 自力を内に見るものは他力を内に見、他力を外に見るものは自力を外に見る、っていう信仰ですかね? > 「異なる」とすれば、お骨の有無ですか?
いやだから、書いてあるやん
廟所の一番大事なところってのは対象の人物が魂としていた教えやら徳目を保存再生し人に伝えていく機能にあり、各教育機関の校風みたいなものはそれぞれ変わっていく、異なっていくもんでしょ どれが正しいとかじゃなくてさ >>492
いいから本願寺に親鸞上人のお骨はあるの?無いの? >>492
それなら高田専修寺で充分だわ。
上人直筆の書物も多くあるし、そもそもお骨にこだわる必要ないし。 お骨があるがゆえに直弟子らも集まっていたわけで、お骨のないところに集まりようがない。
お骨があるからこそ廟所であり、娘の恵信尼は土地とお堂の所有権を関東の門弟に寄進した。
お骨がないところを守る必要もないし寄進するにも出来ない。 まあ、今の本山はわりとかなりしょうもない
骨の有無より魂の有無だわ、一人一人は頑張ってるのに誰も持続可能な構造てのに踏み込めず動脈硬化起こしてる >>500
面倒だからマジレスするが
「好きにしろ」
人に言われて安心したいのか知らんが
しつこく厄介な教えて君だな >>501
安心したいに決まってるだろてめぇ!!
真面目に答えろ! >>499
た、たましい!? 真宗関係者もとうとう魂を認めるようになったか! 日本語における「魂」という言葉にもいろいろな意味があるから。
真宗の教義において「霊魂」という意味での「魂」を肯定的に用いることは無いだろうが、
「大和魂」などのように「そのもののもつ固有の精神、気構え」という意味は、
>>499の文脈から読み取れると思う。そんなに難しいことかな?
コトバンク - 魂(たましい)
https://kotobank.jp/word/%E9%AD%82-505768 親鸞の骨袋は重要文化財で先日まで京都で展示されてたのに。見損ねたのかな?
その袋の中に骨粉くらい残ってそう。 親鸞が亡くなってすぐ歎異抄が書かれてるから、教義の解釈は間違いなく変わってるだろうね。親鸞の教えは廃れて蓮如が再興したというのが歴史的な事実のようだから結構ドラスティックに変わってるのかな。 それ以前というか、法然の時代でも一念派と多念派で分裂してたり解釈というのは分かれるものだよ
自見の覚悟といって自己流の判断をよしとするおっさんなんて今もそこらじゅうにいるわけだし
なので歎異抄を書いた如信の法統を受け継ぐ、という宣言を覚如なんかはする必要があった 去年大阪の津村別院で親の永久納骨をした。今年招待状が来たので初めて納骨法要に行った。お布施の相場が分からなかったのでとりあえず事前に聞いておいたより少し多めに包んだ。5人も僧侶が出てきて読経したのでお布施代が惜しいとは思わなかったが、非常に高速(笑)の阿弥陀経読経だったのが個人的には残念だった。数こなさないといけないのはわかるが‥単なる愚痴ですね。 >>507
本願寺が使用する蓮如上人が書き写したと言われる和讃もまた、
高田派で使われている親鸞聖人リアルタイムの和讃と所々言葉が違うところがあるからね。
それこそ>>510で言われるようにおっさんの自己流の解釈がどこかで入ったのかもしれない。 >>511
偉いセンセイ方が言うのは
「お聖教・経典は大切にしましょう」だもんな。
門徒がついてこれない読経に意味はあるんか?と問いたい。 >>517
↑
こういう考え方が末法。
時代が末法じゃなくてその人の生き方が末法。 正信偈は親鸞によるこれを読めっていう経論説のINDEXだぞ
呪文扱いしないでちゃんと読め
他人の性根なんぞどうでもいいからまず自身の性根をあらためろや まあ正信偈を大事に読む門徒に限って般若心経も唱えているんだけどねw
これが学問的な答えわせをしていない宗教であり信仰なんだよね。
真宗組織としてはアウトとして排除しようとするんだが、
それでも阿弥陀如来は救おうとしているのが阿弥陀如来なんだよなあ。 > まあ正信偈を大事に読む門徒に限って般若心経も唱えているんだけどねw
般若心経も勉強すりゃええがな、アホくさい
親鸞自身は比叡山のカリキュラム全部修めてんだから行実を辿るなら避けられない所だろ
よく言われる所じゃんよ法華経系の仏教構造と涅槃経系の仏教構造の違いとか なんで偉くなればなるほど「自力はクソだ」みたいな考えに染まるんだろうか。
そういう布教使さんが多い。
俺の周りだけか? 阿弥陀如来は浄土に往生したいというみんなの欲も叶えます。 態度がデカい坊主には「お取次ぎしているだけなのにエラそうにするな」て言えばいい。エライのは阿弥陀さまでお前じゃない。勘違いするなって話 話聞かせて頂いてお布施しようとしたら断られた
賽銭箱にこっそり入れたがw
良いお寺もあるもんだ SNSで、「ナモ」と最後に書き込むクソギイン
ソウリョヤメロ >>526
阿弥陀さまを自分のエゴに使ったら方便として機能しなくなるよ
そういう使い方は浄土真宗において邪道 それが坊主がエラそうにしているのと何の関係があるの?方便としての機能とは? > なんで偉くなればなるほど「自力はクソだ」みたいな考えに染まるんだろうか。
> そういう布教使さんが多い。
> 俺の周りだけか?
最初に答えを与えられてる状態だからな
だから「問いに立て」ってことがよく言われる
ていうか
「真実功徳相とは、二種の功徳あり。一つには有漏心従り生じて法性に順ぜず、所謂凡夫人天の諸善、人天の果報、若くは因、若くは果、皆是れ顛倒す、皆是れ虚偽なり。この故に不実の功徳と名づく」
曇鸞なんかは有漏、自分をなんとか取り繕いたい一心からお出しされる心、法性に依らず二諦にも順じない虚妄、虚偽をそのまま虚妄、虚偽であると自覚できるのが真実功徳の利益だと言ってる
そんでだいたいの場合布教師の言ってる自力ってのはこの虚偽、虚妄から生じて自身を取り繕う、真実に向かわない心ってのを指してるんだ
そんで虚偽は虚偽であるとして自身の姿勢やらをあたらしくできたってことを真実の功徳を得た、他力に遭ったと表現する
なので聞いてる方が思ってる自力と布教師が説明する自力ってのの指す言葉の意味がズレてる、ということが起こっている とある観光寺院で、拝観料を納めた証明となる「おふだ」を指して、
「あんなおふだ、意味ありませんよ。私ならこうしますね。(雑巾絞りの行動)」
と門徒に嬉々として語ったという話を聞いたときは、この教団おかしくないか?と思ったが。 >>530
阿弥陀さまは私と仏さまだけの関係性において正道
他を貶めたりするために使うためのものではない >>537
何に誓うかは置いといて、誓って作り話じゃない。 阿弥陀様の名前を一回もしくは十回、真摯に唱えたことがあれば必ず死後にとりあえず何処かの浄土に行けるのですよ
これ、迷い煩悩まみれの人間だらけに対してなかなかすごい話なんです
ただ、阿弥陀様は浄土に導けない人間は地獄とまではいかずとも餓鬼道などにやってしまうのでそこのところは地蔵様や観音様とは違うのです > これ、迷い煩悩まみれの人間だらけに対してなかなかすごい話なんです
> ただ、阿弥陀様は浄土に導けない人間は地獄とまではいかずとも餓鬼道などにやってしまうのでそこのところは地蔵様や観音様とは違うのです
先程からなんの宗派のおはなしをしてらっしゃいますの? >>536
使い方の話をしているのに関係性で答えられてもなあw >>533
つまりそのお坊さんは、他力に会って法性に依って二諦に順じている状態なんですね? >>458
ハッピーバースデーの法要なら聖人像の前でいいんじゃないの? > つまりそのお坊さんは、他力に会って法性に依って二諦に順じている状態なんですね?
お坊さんつーか、初転法輪ならコンダンニャ達の頂いた姿勢ってことになるし大無量寿経なら阿難の頂いた姿勢がそうだって話だよ
仏言にあって自身の方向性があらたまった人、にあったことが無けりゃ実際分かりようも無い話ではあるかもしんないんだけどね
自己認識、さらには自身があらたまる、なんてことが自分に起こったらそりゃ奇蹟に近いことだと思わない? >>542
優越感に浸るための理屈だから宗教とは言えないよね。 >>547
奇蹟かどうかを尋ねているわけではないんですが。 一度他力に出会うと二度と自力の心が起こらなくなるんですか?
「煩悩は死ぬまで無くならない」といいますが、煩悩と自力に関係はないのですか? 他力ってのは誤解されやすい言葉だね
試験に合格するには努力して勉強しないといけない実に簡単なことだわ しかし実際、他力なんてのは「棚からぼた餅」みたいなもんですよ。
「これをやったから必ず他力のはたらきが起こる」という理屈は聞いたことがありません。
つまり他力に出会った人たちの中だけで「この宗教は良い宗教だ」と言い合いしているだけで、
出会ったことのない人にはわからんのです。
また、真宗の理論上、他力のはたらきなんてのは仏様にしか起こせないから、
仏様の力が及ばないのが悪いのであって、人間が悪いんじゃないんです。 仏様が早く他力を起こして人間を改心させられないのが悪いのに、
「自力がダメだ」の、「聖道門ではダメだ」の批判するのはお門違いだと思うんですよ。 「聖道門と浄土門」「他力と自力」を敵味方の対立構造で捉えているやつwww
それは宗教や信仰じゃなくて正義の味方ごっこなんですよwww 真宗では「十劫の昔より阿弥陀様のはたらきは届いている」と説くのに
どうして親鸞上人は修行なんかしたのですか?
親鸞上人が修行している間、阿弥陀如来はなにをしていたのですか? 毒箭のたとえ(自己とか世界とかについて、哲学的に満足のいく答えを聞かないうちは修行に励む気がしないという哲学青年に向かって、お釈迦様が説いたとされている話)
http://j-soken.jp/ask/2051 つまり、修業をしたいからする、したくないからしない。
念仏をしたいからする、したくないからしない。
こういうことですか? 総長就任はいいけどさ、いままでの状況説明と責任の所在、
どうしたいかを詳しく知りたいな。
それで賦課金払え(前総長名)だもん。 信心獲得前の念仏はしてもいいですか?
真宗では許されている、または、認められているのですか? 真宗では、迷信にとらわれないとか、神仏に私利私欲を拝まない、という設定だそうですが、
皆さん、幸せに毎日を過ごしていますか?
阿弥陀如来のはたらきを受けて毎日が幸せですか、不平不満を言っていませんか? 他宗派が五体投地とかやってんの羨ましいと思うことある
真宗はほんと念仏とお話しだけなんよね なかでも本派は譜がほとんど無い。お東がうらやましい。 京都タワーも西本願寺からより東本願寺からの方がよく見えるもんね 不平不満ばかりやないかい!
信心戴いたら心豊かになるんとちゃうんかい! 信心いただくって言うがな、じゃあいつ頂いて、
どうなったら信心頂いたというんかね。
エライお坊様方はよく使うフレーズだよな。
阿弥陀さまのお心をいただいて〜、とか、
お法りとともに生きて〜、とか。 > 実はエラくないってことだった
つうかなんでエライと思ってるの
自分がよう知らんアホかもしれん坊主にわけのわからんコンプレックス感じてる、ってだけやん
自力他力を勘違いしてる坊主がいたとして、そいつが偉いか偉くないかなんて考えるまでもないやん >>569
御命日を太陽暦に改める等
お西は時代にあわせて変化してきた
譜が欲しいならまた変化すればいい > イヤミの一つも言いたくなる。
それは分かる。
彼らは不甲斐ない つか分家したら同じに見られたくないって経や正信偈の読み方まで変えた時点で親鸞の教えなんかとっくに途絶えてるよね 親鸞聖人が節回しの指定をしてたわけじゃないんだ
ていうか重要なのは原点の発音ってわけじなないバべさ 血統教団の本願寺が正信偈を唱え始めたのは、
血脈教団の真仏・顕智よりもずっと後のことだべさ。 妙な勤行作らなくていいから、正信偈を大切にして欲しいな。 眉毛がすげー個性的だよな…優勢遺伝しなくて良かったね、大谷さん 経論釈長いよ、もっと要約して、でできたのが正信偈
覚信尼恵信尼の話で、親鸞さんが大経3000回読もうとしてしまったことについて語ったことあったな
渡邉愛子さんがいつも言いよどむやつ
お経をどうよむか 真宗では「読経しても功徳がない」という答えで教育されているので、
法然や親鸞が生きた時代を理解することが難しい。 真宗では「神様を拝んではいけない」という答えで教育されているので、
法然や親鸞が生きた時代を理解することが難しい。 繰り返すが>>39を実行したほうがいい
仏道について謙虚に学び続けることは大切です
だがそれは安全を確保してから取り組むべきこと
現代の日本では数えきれないほどの災いが現実化している
まずは凶事を取り除き、皆が仏道を知るための環境を整える。
学びを再開するのはその後でも十分でしょう。このほうが効率的です >>586,588,589
それ言ったらすべての宗派が同じだろ
苦行もせずカーストの実態もろくに知らない人間がブッダの語ったことを理解できるものか
入滅後数百年ていどのインド人ですらブッダの時代と今とでは状況が違うから同じ生活なんてできないって言ってるのに >>592
そうやって仏教は教えが変異していったんだが、真宗はどうなの? >>592
ブッダの頃より続く戒律が残っている真言宗だと理解できるんじゃないかな。
信心獲得後の教義教学だけの真宗と違って、仏教学・仏教文化なんかも口伝で残っているレベルだし。 そこでなぜ真言宗
っていうかまあ、ひたすらアレオレしていった結果先入観から離れられなくなってしまうってのは人の常なんやろうね 親鸞は弟子を一人も持たなかったが、弟や子はたくさんいた。
これマメな。 親鸞以降、蓮如さんまで困窮していたのもまあ加持祈祷関連とかから離れていたのが理由なのもまあ確かやろうねえ
位牌関連で高い戒名付けて死後の免罪符として売るようなことからも離れていた
当時の色々な人の日記でも、スピリチュアル関連のことで脅して儲けてる坊主を批判する人がいたり補陀落渡海とかに対する感想とかも様々あって、千差万別 農民や漁師等の大多数の人間を支配するのに真宗寺院の存在は都合が良かった。
支配者層が直接コンタクトを取らなくても寺院を通じて管理することが出来た。
真宗寺院も支配者側につくことで自分たちも安定することが出来た。
いやはや、徳川家のおかげである。 >>597
親鸞上人や蓮如上人は色々な布教の形で門徒を増やしたそうだが、
現代の真宗教団も門徒を増やせているんですよね?
述べられているような「これどうなの?」みたいなことをやっていないわけだから
こんな正しいことをやっているのに門徒が増えないはずないとは思うんだけど。 「自分が信じる宗教理論こそが絶対正義」
これが信仰だろ? 「どれも大切だけど、一番大切なのはこの部分」という違いごとに宗派ができるだけ
八万四千の法門のすべてが貴いが、どれが一番大切かが人によって価値観ちがうだけ
一番大切なもの以外には価値がない、などと言う奴は、真宗の人を含め仏教徒にはいない
むしろ、言ってる奴は仏教徒ではない >>602
素直で人間味溢れた人だったんだろうなあ。、「戒律なんて守ってられるか!」みたいな勢いで還俗したんだろう。
その点、天台僧侶のまま戒律を守っていた法然上人はスカしたやつと言うか意地っ張りと言うか。
我々俗人のために親鸞上人が道を切り開いてくださったと思うわ。 結局、仏の願いとか救いって何なんだろう。
俺たちにどうあって欲しいんだろう。
命の真実に目覚める、とかいうけど、それってどういうことなんだろうか。 悩みがあります。
葬儀や法事の際、どういったことをお話しますか?
阿弥陀の救い?生き方?
念仏してどうなるか、今の生き方から変わるのか、変わるならどうかわるのか。
それを感じられないときは救いがないのか?
自分自身、いろんな先生の話を聞けば聞くほどお話ができなくなります。
自分の今の現状とはかけ離れていると感じられるからです。 信心獲得した人のみが理解できる世界観です。
仏のはたらきがなければ信心獲得できないわけですから、我々に信心獲得させない仏様が悪いんです。
わからないからと言って罪悪感にさいなまれることはないのです。
宗教は答え合わせではないので、無理に追い求めて人生を虚しく過ごすこともないのです。 苦しみを解決するために宗教やっているのに、
悟りを得られないことで苦しんでいるなら本末転倒もいいところだね。 > 葬儀や法事の際、どういったことをお話しますか?
> 阿弥陀の救い?生き方?
> 念仏してどうなるか、今の生き方から変わるのか、変わるならどうかわるのか。
> それを感じられないときは救いがないのか?
> 自分自身、いろんな先生の話を聞けば聞くほどお話ができなくなります。
> 自分の今の現状とはかけ離れていると感じられるからです。
念仏に遭うてのは、三帰依、仏に会った人の姿を拝見させてもらうってことですやろ
コンダンニャが転法輪した、菩提心つうて今までの自分じゃ有り得ない心ってのが動き出した、それが念仏の心が起こったってことでっしゃろ
自身の心が、そういうのとかけ離れていたということに対して、自分の胡座かいてた姿勢が跳ね起きる、ていうのがそのまんま大経の阿難の即従座起、偏袒右肩、長跪合掌ですやんか
かけ離れていると感じ、我が身の姿勢が新しくなることがあるからそれが目覚めの縁だったということが言えるわけで、その諸縁が仏縁だったと分かった、というのが善導の「阿弥陀と名付け奉る」という転換なわけですよ
凡夫だからこそかけ離れている、いた、と感じられるわけです
五蘊の身と一生付き合ってくわけっすから、自分に意識が起こった時はいつでも諸々の物に対して姿勢を改めるのよ、と呼びかけられとる時、というわけです
「もしは因、 もしは果、 一事として阿弥陀(無量、無数)の如来の清浄願心の回向成就したまえるところにあらざることあることなし」因果全部を仏縁、自分の姿勢を新しくするご縁として頂くのよ、ってのが親鸞さんの教行信証でしょ
かけ離れていると分かる、でも自分自身やら家族やら色々なものに対し姿勢が改まらない、それに対し慚愧の念を感じる、のは人として当たり前で、それをなんかにぶつけて誤魔化そうとするのもまたよくある話だけど
その時点では他人様の言葉借りてんだから白々しくなって当たり前やんか?自分の姿勢があらたまった時の話をすればええねん >>609
「浄土真宗ではこうです、こういう答えが用意されています」
そういう気持ちになれないから悩んでいるんじゃないかな? だから俺んちの近所の坊主は怪しいんだよ 何かといえば お布施と言って お前何でお前の給料 俺が払わなきゃいけないんだよ クソ坊主が >>612
お前が払わなきゃ誰が払うんだ
こんなとこで文句垂れてんなら
さっさと離門徒?すりゃいい 坊主と檀家の関係を勘違いしてる奴いるよなあ
店と客だと思ってる奴な
完全に的外れな認識
より正しいのは、飲み会の幹事と参加者の関係なんよな
コミケのサークルと一般参加者の関係でもいいけどさ
お前がキリスト教徒だったら、神父が日曜ごとに教会に通ったほうがいいとか言ったら、不当な要求だとケチをつけるのかよと
それした時点でキリスト教徒を名乗るの恥ずかしいだろと
文句垂れる前に、お前が幹事をすりゃいいだろとか、お前がサークル作って作品出せばいいだろとか
そんなモチベーションすらないなら、せめて別の仲良しグループに混じっていって別の飲み会に参加すりゃいいんだよとか
そう言われたら不当だと思うのかって話よ
なんで自分ちの家の法事すら、自分で袈裟を着て自分で護摩焚いて自分で読経するくらいできないのか 坊主。。。住職というか和尚になれば教団公認の先生の役割ではないのか
檀家と和尚を簡単に同列にはできない
だけど浄土真宗では住職でも先生じゃなくて同朋なんだっけ
浄土真宗でも司教や勧学くらいになれば公認で先生の役割を担う
まあ612には定時の礼拝に不満を言うイスラム教徒なみの滑稽さはある 高校中退するまで虐めてきた真栗玄悠っていうクソが寺の息子だったらしく、今は聖人ぶって浄土真宗のありがたい話をしている
下校時こいつに後ろを付き纏われて家を知られてしまい他の奴も同じように家に来るようになって虐めがエスカレート。通学路がたまたま同じは位置的にありえない。
「どいて」の一言もなく仏頂面で強い力でぶつかってきたと思ったら態度が一転して満面の笑顔で「聞いてー!あのブスに痴漢された。まじキモくない?」と噂を流す
休みの日はすごくケバイとか援助交際してるとか事実無根の嘘ばかり言いふらす
容姿の悪口や吐く真似、物を隠したり盗撮したり何でもやりたい放題
場面緘黙症だったのでろくに否定もできず泣き寝入りに追い込まれ中退
由緒正しい寺の息子らしいけど浄土真宗の教えって一体何なんですかね >>614
そりゃ異常に儲かる幹事さんやな
もし坊主が幹事なら同じ人間が
ずっと幹事をやらずに
たまには門徒の誰かと替わってやれ >>603
じゃー、何故現在の浄土真宗の坊主は僧侶を名乗るの?
俗人を名乗るべきじゃないの? >>621
法律上ですか
なるほどそれなら良いのですが
かなり前のスレで「正式な僧です」と
言い切っていた真宗の坊さんもいたので
疑問でした 教団が認めたなら僧侶に決まってるだろ
浄土真宗に限らないことだし仏教にも限らないことだ
当たり前だが他教徒に僧侶としての尊敬を強要する性質のものではない
カルト教団の僧侶を敬えと言われても困るしな
だがそこそこ世間で認知された教団が僧侶と認めてるなら最低限くらいは敬うのが良識だろうがね
まあ良識なんて他人に要求するものでもないが 教団が認定したかしてないか
それ以外に僧侶か否かの判断基準があるとでもいうのだろうか オレ基準で尊敬できる宗教者なのが僧侶の条件だ!って思ってる人いそう >>621
>>623
その宗教法人法がない時代は誰がどうやって僧侶認定していたのですか? >>623>>624
それは603に言ってやってくれ 真宗は明治時代になって初めて天皇から宗教と認められたと聞きますが、
もしそれが正しいならそれ以前の真宗「僧侶」の意味は? >>631
あの時代に戒律を守っていなくても僧侶足り得るんですか?
戒律を守っていない天台僧侶を見て「こりゃダメだ、末法だw」と思ったみたいですが、
まさか自分が戒律を守らず同じ存在になってみてどう思ったんでしょうか。 親鸞のこと?戒律になんの意味もないとおもったんじゃない?
本人に聞いたわけじゃないから知らんけど 天台宗の僧侶になったのだから天台宗でしょうなあ
天台法華円宗 親鸞聖人は真宗僧侶じゃないの?
立派に戒律を破っているのに? 親鸞が得度して僧侶になった9歳のときに真宗があるなら、誰が真宗を作ったのか 「当時、本人がそれになる」のと
「後日、人々がそう扱う」のとは別物だぞ
坂本龍馬は日本人になったことはないが、現代日本人は彼を日本人だと思っている
ジャンヌ・ダルクは聖人になったことはないが、死後だいぶ経ってから聖人と認められ扱われるようになった
親鸞は生前に「真宗僧侶」になったことはない。死後だいぶ経ってから、真宗の開祖として扱われるようになっただけ >>643
なるほどそうなんですか
浄土真宗って親鸞の意思で出来た物では無いと言う事ですか?
知らなかった 法然だって浄土宗僧侶になったわけじゃなかろうよ
浄土宗の原型が成立した承安5年を後から立教開宗の年として扱って浄土宗の成立の瞬間にしてるだけ >>644
そういうことを言ってるんじゃないが
でもまあ、浄土真宗という教団を本人が宗派として開いたつもりはない 親鸞聖人は法然上人に弟子入りしたわけだから、どんなに頑張っても浄土宗僧侶かな。
>>645
法然上人は書物の上では浄土宗を建てたわけだがどうなんだろう。
国家の宗教としては天皇に認められなかったわけだが。 >>643
本願寺で親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年ってやってるけど
これは大嘘ですか? イエスは神の子じゃないけどだいぶたってから神の子にされたようなもん 親鸞でしょう
もちろん本人は宗派の開祖のつもりはない >>651
当時は浄土真宗なんて宗教はありませんでした。 真宗僧侶「私達は親鸞上人のみあとを慕っている。(上人の意向を汲んでいると入っていない(キリッ)」 >>653
そらそうよ その上で言ってる
僧侶かどうかは教団が判断すること
立教開宗の後、後から教団が出来て、後から親鸞が最初だったと教団が判断すること 釈尊だって、新しい宗教を作ったつもりはなかったろう
単に真理を悟り、それを語り、教団が出来て、後に新しい宗教として認知されただけ >>654
慕うかどうかは、慕われる人間の意向で決まることじゃないのは当たり前では? >>656
釈尊はお悩み解決していただけだから、そもそも仏教は宗教じゃないよ。
今のひろゆきみたいな感じ。
「あー、これはこうですね」「じゃあ試しにこうしてみればいいんじゃないですかね?」 浄土真宗なんてないし、浄土宗がやっと。
じゃあ親鸞上人は浄土宗僧侶で、浄土宗最初の僧侶は法然上人、ってことになるかな。 ほんとにつらかったり、寂しかったりする人には弥陀の本願はありがたいよ。
ただほんとにお慈悲が伝わってくるような人柄やお話をしてくださる名師がなかなかお会いしにくくなったように思います。 法然聖人でも親鸞聖人でもものが違ったと思います。
法然聖人の優しさは魅力です。 ん、ちょっとまてよ?
「後世の真宗僧侶」が親鸞上人を真宗僧侶とみなした、とは言うが、
親鸞上人が浄土真宗を開く意志があったわけでもなく自身を真宗僧侶としなかったのなら、
その「後世の真宗僧侶」と一体どこから発生したんだ? >>665
「浄土真宗」「開く」とは何を指してるのか
親鸞は、阿弥陀仏のお救いを正しく受け取る道すじのことを浄土真宗と呼んだことはあっても
宗派の名称として浄土真宗という名前を使ったことはない
「論家・宗師、浄土真宗を開きて、濁世、邪偽を導かんとなり。」
「智慧光のちからより 本師源空あらはれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまふ」
自分より前の人たちが浄土真宗してると言ってるし
「開く」も「始める」の意味ではなく「展開する」の意味だろう
親鸞は自分が浄土真宗教団をつくったなどと思ってない 祭り上げっていうか、ブッダやイエスの後世の扱いを祭り上げと言えるんならば同種の何かはあるんだろう なんなら親鸞も、法然が浄土真宗をひらいたと言ってるんだし、法然を祭り上げてるわ 浄土真宗では
龍樹、世親を菩薩と呼ぶことはあるが、親鸞を菩薩とはしない
内容もそぐわないし
法然・親鸞は上人とよぶ
聖人と呼ぶこともある > 「浄土真宗ではこうです、こういう答えが用意されています」
> そういう気持ちになれないから悩んでいるんじゃないかな?
なるほど、愚者になりて往生すってやつですか
悩まなくなったら思考放棄して設定に準じるようになるってのは他宗と同じ、菩薩の死と言うやつですね >>669
じゃあ浄土真宗の開祖は法然上人だよね!
浄土真宗の僧侶は法然上人を開祖としなければ辻褄が合わないよね。 >>666
>「浄土真宗」「開く」とは何を指してるのか
どういうことなんだろうね。まるで
「法然上人は開かなかった。開くことが出来なかった。」
「法然上人の教えは不完全だった。言葉足らずだった。」
とでも言っているようだよね。
>親鸞は自分が浄土真宗教団をつくったなどと思ってない
でも真仏たちの直弟子の教団のことは認めているんじゃないかな、ひ孫が作った教団のことは知らないようだけど。 >>669
法然上人は浄土宗を建てたので祭り上げるも何も開祖では? >>666 親鸞は自分が浄土真宗教団をつくったなどと思ってない
じゃあ今の浄土真宗教団って何? >>675
>どういうことなんだろうね
じゃねえよ。君がどういう意味で言ってるのかって話だよ
親鸞は、宗派を創始するという意味で使っていない、と読めてないのか 一般的に、親鸞上人の理論を「浄土真宗」と言ってるんじゃないの?
だから「法然上人の理論とは違うよ。」と現在の真宗僧侶が捉えているんじゃないの?
そうでもしないと自分たちの存在意義がなくなるからなじゃないかな? なるほど、わかったわ。
親鸞上人は法然上人の教えと異なる理論を建てたわけでもなく、
自分で「わしは浄土真宗を開いた!」と言ってないから「開祖」と呼べず、
後世のどこからともなく出てきた真宗僧侶たちは「宗祖」と呼んでいるわけやね。
で、その「後世の真宗僧侶」と一体どこから発生したんだ? ところが口では法然を師匠と言って尊敬してたけど内心は自分の考えのほうが凄い、法然の考えをさらに進歩させたと思ってたんだ親鸞は ここでワンワン教団のこと言ってるやつ、ちょっと調べれば歴史の資料なんて山ほど出てくるのに。まずネットあるんだから調べろ。スレ汚しやわ ワンワン教団www
なんだよそれwww
ちょっとおしえてwww 宗派とか組織が大事だろうか。
そこに属さないと本願の救いはないのだろうか。 宋の白蓮教は浄土宗の一派だけど、幕府や日本政府から認可を受けた「浄土宗」という言葉と中国の浄土宗を一緒にするとめちゃくちゃ切れられるから気をつけろよ >>684
>ワンワン教団www
>なんだよそれwww
>ちょっとおしえてwww
え?ちょっとまって、なんか面白いこと言ってる人いる! 高校の世界史をちゃんと学んでいると、中国における白蓮社として
1.東晋の僧慧遠が402年に廬山の東林寺で門弟たちと結成した宗教結社。
2.元朝末に浄土信仰と共に弥勒仏の下生と結びつき、紅巾の乱を起こすに至った宗教教団、
ならびに清の嘉慶帝の時に白蓮教徒の乱を起こした秘密結社
などを知識として得ることが出来る。
そして慧遠による『般舟三昧経』に基づく念仏三昧や弥勒下生と結びついた白蓮教徒の教えは
称名念仏を説く善導とは異なる流れ。
また弥勒の兜率天、観音菩薩の補陀落浄土な度に対する信仰などのように
浄土教といっても様々な信仰がある。
参考
世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント 白蓮社
https://www.y-history.net/appendix/wh0801-002.html
世界史の窓 世界史用語解説 授業と学習のヒント 慧遠
https://www.y-history.net/appendix/wh0301-060_2.html 浄土宗(鎮西義)の僧侶が用いる法号に蓮社号があるが、
それは弁長の弟子である円心が宋に渡って廬山の宗風を伝え、
自ら白蓮社と称したことに始まると言われている。
新纂浄土宗大辞典 -蓮社号
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E8%93%AE%E7%A4%BE%E5%8F%B7
と思っていたら、こんな異論もあった。面白い。
東洋学研究情報センター『明日の東洋学』No.10(2003.10)
ある一人の入宋僧 榎本 渉
https://ricas.ioc.u-tokyo.ac.jp/asj/html/011.html 「宗」という言葉の意味にもいろいろあって、教団という意味だけじゃないから。
延暦寺は四宗兼学の修行道場と呼ばれるが、その四宗のうちの一つが浄土宗。
これを鎮西義や西山義の浄土宗と同じとされると天台宗の人も困ってしまうだろう。
今でこそ「宗」=「教団」の意味で用いられることが多いが、
昔の人は様々な宗の教えを兼学していたから。
参考
諸宗の制度的兼学と重層的(包摂的)兼修
苫米地 誠一(著) 智山学報 65 (0), 141-158, 2016
https://www.jstage.jst.go.jp/article/chisangakuho/65/0/65_141/_article/-char/ja/ > 今でこそ「宗」=「教団」の意味で用いられることが多いが、
それはちゃうやろー
教団ていわれたらやっぱり西東やら高田やらっていう派閥、セクションの印象あるわ
浄土を宗、主旨としとるか否かって話であって
中国浄土教とインド浄土教は宗派が違う、彼らは浄土教であって浄土宗ではない、というような考え方にはやっぱり違和感あるわ まあ、単なる単語の使い方の違いだってのは分かってるんだけどね >>691
「宗」と「教」とでは使われる意味の範囲が違うよねというお話。
「幕府や日本政府から認可を受けた「浄土宗」という言葉(>>686)」に従うと、
元和元年(一六一五)に江戸幕府より発布された『浄土宗諸法度』が見出される。
これは「宗」=「教団」という意味に取れる。
そして中国仏教における文献においても「浄土宗」という言葉が用いられているが、
それを現代日本において通常イメージされる「浄土宗」と同じものを指す
と主張する人はいないだろう。
それならば広い意味での「浄土教」という言葉を用いた方が話が繋がりやすいと思う。
「浄土真宗」という宗名公称をめぐる東西両本願寺らと浄土宗との論争もあったな。
新纂浄土宗大辞典 - 宗名争
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%AE%97%E5%90%8D%E4%BA%89 「宋の白蓮教は浄土宗の一派だけど」(>>686)というのは、
宋代に子元によって創始された念仏結社である白蓮宗のことかな。
こちらになるとさすがに高校世界史のレベルではないか。
参考
新纂浄土宗大辞典 - 子元
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%AD%90%E5%85%83
大慧宗杲・邪禅批判の周辺
梁特治(著) 花園大学国際禅学研究所論叢 通号15, 109-134(L), 2020-03-31
http://iriz.hanazono.ac.jp/newhomepage/ronsou/index.html
「子元の思想は基本的に天台浄土教と禅を融合させたものである。」 宗とか教だとか言っている人がいるけど、
それが「親鸞聖人は浄土真宗僧侶なのか」「世界最初の浄土真宗僧侶はだれだ」とか解決になってるの?
いつもの同じ人物なんだろうけど、
結局ネットで検索して資料を引っ張ってきても何の解決にもなってないんだがw
>>690 延暦寺は「四宗兼学の修行道場」と呼ばれるが
これはいつから呼ばれ始めたんですか?
誰が呼び始めたか、最澄が言い出したか、とか。 本人はドヤ顔で資料ばっかりだしてきても、周囲から見たら「で?」ってな話。 >>695
同じ人あつかいされてるうちの1人かもしれないから言うが、
>「親鸞聖人は浄土真宗僧侶なのか」「世界最初の浄土真宗僧侶はだれだ」
という馬鹿馬鹿しい問いの答えを求めるなら、
宗とか教とか教団とかいう単語を、問いを出してる人がどういう意味で使ってるのか確認するのは絶対に必須だぞ
宗とか教とか教団の「本来の意味」よりも何よりも
宗とか教とか教団を「問いを飛ばしてる人がどういう意味で使ってるのか」が絶対に必要 僧侶って単語をどういう意味で使ってるのか、本人で分かってるのか
教団って単語を定義しないと僧侶という単語は定義できないが
教団って単語の定義には状況によってブレがある
サンガのことを意識して定義するにしてもだ 何を指して浄土真宗僧侶と呼ぶのか695本人すら分かってないだろ >>
「彼は宇宙人か」という問いに答えるためには、問いを出した人間が「宇宙人」という単語をどういう意味で使ってるのか明らかにする必要がある
「地球も宇宙の一部だから!」というなら人間だって宇宙人だし
「地球外生命体じゃないと宇宙人とは言わない!」というなら人間は宇宙人じゃないし
「宇宙人ってのは比喩表現なのは明らかで鳩山由紀夫みたいな性格の人間のことを宇宙人って言ってるだけ!」というなら彼の性格を知らなきゃ答えられないし
「宇宙人って単語を私は全然知らないしどういう意味か考えるつもりはないけど、とりあえず質問しました!」というならその質問に答えることさえ馬鹿馬鹿しい
「浄土真宗僧侶って単語は分からないしその意味を考えるつもりはないけど、親鸞は浄土真宗僧侶なのか質問しました!」というなら、答えなんてどこにも存在しない 僧侶になるにはどうしたらいいですか
今から僧侶ですと宣言するだけでいいですか? priest
ascetic monk
Bhikṣu
ドラクエのホイミ使うやつ
どの僧侶になりたいの? 昔は律令制のもと年分度者制があり、得度することに朝廷の許可が必要だった。
これは出家者に対し租税免除があったための制度。
それに対して官の許可を得ないで剃髪、出家する者は「私度僧」と呼ばれた。
空海もまた東大寺で受戒するまでは私度僧として活動していた。
日本語における「僧」という言葉の意味も色々やね。 言葉の意味の共有化がされてていない状態で「ぼくのかんがえた○○」について
質問されても話はまとまらない。
ゴールポストを移動させまくりの上、根拠なしの「ぼくのかんがえた○○」と違うとごねまくる。
5chで良く有る光景。ひとしきりワンワン騒いだ後、
「俺がどこでどんなレスしようがお前に指図される謂れはない
俺に意見されたくなければ5chなんて引退してブログでもやってろ」
ここまででワンサイクル。今、何週目? 浄土真宗が生臭坊主の『ぼくのかんがえた仏教』でしかないのに
ネットで検索しただけのつまらない長文資料貼られても誰も読まないよ
ダンマパダやスッタニパータ読んだだけでも死んだらどんな人間も
揃って極楽浄土なんて大嘘で与太話だとわかるのに信じる根拠を
無理矢理探して知識だけ肥大させて下らない重箱の隅を穿るような
議論してても若い人は誰も興味すら持たないから檀家が減るんだよ
こういう輩は何故かとんでもない上から目線で物を言ってくるし
もう議論じゃなくてただの押し付けだから皆辟易するんだろうな >>705
それで誰かが資料出してきてまとまらず混乱に拍車がかかっているわけだが? >>707
そういう話ではない
「明瞭な言葉で質問しないと誰もまともに回答できない」という話
浄土真宗とは関係ない次元の話
「彼は7番目か」という質問に誰が答えられる。意味不明だろ?
これが「法然は、浄土真宗でしばしば言われる七高僧の中で、7番目に挙げられる人ですか」ならば答えることも可能になる
彼とは法然のことを言ってるつもり。
7番目とは七高僧の7番目のことを言ってるつもり。
と質問者が説明できることが、問いに答えられる絶対条件
私は○○のことを指して浄土真宗僧侶と言っている。
と質問者が宣言できないかぎり、浄土真宗の信用とは関係なく、誰にも答えられない馬鹿馬鹿しい質問なんだよ 親鸞上人は浄土真宗を立ち上げた意志はないから少なくとも浄土真宗僧侶でないことは言える。
浄土宗を建てた法然上人の教えに帰依したが、その浄土宗は朝廷に認められていなかったので、
自称僧侶、つまり私度僧としての浄土宗僧侶である。
反論ある? >>709 法然は、浄土真宗で
だからその「浄土真宗で」というのは誰目線なんだよ? >>710
まず「浄土真宗僧侶」という独自の単語の意味を定義せよ
法然はズンドコベロンチョではないのは明らか!と言われても
ズンドコベロンチョが何か決めてくれないと反論なんて成立しない >>711
質問者がそのとき使ってる「浄土真宗」の意味が問題なんだよ
浄土真宗にも、僧侶にも、複数の意味があるんだから
質問者がどの意味で使ってるのかだよ 現代でいう所の浄土真宗教団が存在して当たり前の時代の視点で、
無くて当たり前の時代を同列に見るからおかしくなるわけで、
時系列は別にして考えないといけないと思うんだ。
そうすれば、いつから浄土真宗僧侶が発生したのかわかると思うんだ。 >>714
質問の意味が明瞭にならない限り、いつから発生したかなんて分からないよ もちろん親鸞聖人の教えに帰依しているものとしては、浄土真宗=浄土宗だから、
浄土宗=浄土真宗なんだろうね? >>715
そういうのは資料で出てくるんじゃないの?
「某を浄土真宗僧侶と名付く」みたいな。 割と簡単に片付く話だと思ったんだが、複雑なことなの? >>717
ないぞ、浄土真宗僧侶なんて
そもそもそれがあるかどうかという以前に
質問者がどういう意味で使ってるのかを明らかにしないと、問答が成立しない >>718
違う
質問者が、質問で用いた自分の発した言葉について、どういう意味で言ったのかを説明できないと
問答が成立しないという話
「答えは3ですか?」
この質問って難しい?
って言ってるの馬鹿らしいでしょ
質問者が質問内容の説明をしないと誰も答えられない 「四宗兼学」という言葉にもいろいろあって、
「延暦寺は四宗兼学の修行道場と呼ばれるが、その四宗のうちの一つが浄土宗。」(>>690)は誤り。
謹んで訂正します。ちゃんと確認しないと駄目ですね。反省。
正しくは円・禅・密・戒の四宗。
天台教学に基づいた浄土教の流れもあるし、真言密教のうちにある浄土教の流れもある。
専修念仏の教えを独立した宗派と見るか、寓宗とするかの議論もあってこれまた面白い。
どの視点で捉えるかによって見え方が様々。
だからこそ質問する側がある程度の定義づけをしないと話が進まない。 「質問者の意図が理解できないから」じゃなくて、
「親鸞上人がこういう意図で浄土真宗という言葉を使った」という事実を元に考えるようにしているので、
その事実をや資料を提示してもらえればいいんですけど? >>723
質問が成立してないって話なんだよ
質問者の言語力のせいで、質問が成立してないんだよ
成立してない質問には
どんな文献の引用でも、まともな答えなどない じゃあまず、歴史的事実として、
「親鸞上人が浄土真宗という言葉を使ったかどうか」
これは簡単だろう? >>726
どういう意図で?
たとえばそういう宗教を作ったとか? >>727
例えば
大無量寿経に関して、真実之教とか浄土真宗とか述べてる。これは漢文な
真実之教は真実の教団の意味だろうけど
浄土真宗が浄土真宗の意味なのかは分からん
浄土についての真の教え、の意味かもしれんな、自分で調べろ
和讃で、智慧光のちからより 本師源空あらはれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまふ と詠んでもいる
この浄土真宗は、先に使った浄土真宗をそのまま使ったものだろうね
こうやって、親鸞の使った浄土真宗を全部調べろ、君が自分で
どのみち、教団の意味ではないだろうがね >>728
誤記があった
○ 真実之教は真実の教の意味だろうけど
× 真実之教は真実の教団の意味だろうけど 少なくとも当時は存在していない教団の意味ではないから、
法然上人の説かれた理論を指して、教えとしての浄土真宗という意味だよね。 というか、質問のほうを説明しないと質問の答えになんてたどり着かないぞ
浄土真宗の門徒か? の浄土真宗とは別の用語である、親鸞の使ったいくつかの浄土真宗という言葉の意味を追求しても
答えなんて出ない 物理学の「仕事」と
人の営みの「仕事」とを混同して
「あの看板を掲げてる人は仕事してるか」という質問をしても意味がない
どっちの意味の「仕事」か、質問者が説明しないと、答えなんて出ない 法然上人の教えを仮に浄土真宗と呼んだのなら、親鸞聖人の教えをなんと呼べば? まあ、荒らし体質の人の人生の暇潰しにもわりと構って付き合ってくれてんだから5ちゃん宗教スレの中でも有情な方だと思うよ
真宗坊主の自己認識なんぞ念佛のすすめのもので食ってる門徒へのサーバント、奉仕者くらいでいいんだよ
真宗護持は本廟護持だったかもしらんけど本廟護持が真宗護持なのではないんだよなあ >>733
どうせ答えも出せないあなたが言っても何も響かないんだよなあ >>736
そもそもあなたの心に響かせるのは主目的ではないからいいんだよ
暇つぶしが目的その一
馬鹿げた質問をしてる人が、馬鹿げたことをしてるってことを、周りの目にした人がよくわかるように、晒すのが目的その二
目的ってほどではないが、質問者が恥じて行動を改めたら面白いかもって、ほんの少しくらいは思ってるが そもそも浄土宗と浄土真宗の決定的な違いって何でしょうか?
親鸞さんが考える浄土真宗が法然さんの浄土宗の御教えそのものだとしても
現在は浄土宗と浄土真宗が完全に別々なのだから違いがあるはずです 「○○宗を開いた」という表現は自分もよく使うが、これもまた意味が様々。
日本において天台宗を開いたのは最澄、真言宗を開いたのは空海と言うが、
両者ともに東大寺において受戒している。
最澄は入唐の前に鑑真により招来された天台宗教典よって天台宗を学んでいた。
空海もまた入唐の前に顕教ならびに密教を学んだ上で『三教指帰』を著している。
そして入唐求法の後、日本においてそれぞれ天台宗と真言宗を開くのだが、
本山こそ立教開宗の年を明らかにしているも、学問の立場では諸説有るという。
そして親鸞における「立教開宗」をどのように捉えるかというのにも色々あるんだな。
顕教案宗
金子 大栄(著) 親鸞教学 24 1-12, 1974-06-20
https://otani.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=10132&item_no=1&page_id=13&block_id=28 いつも資料を出してくるのはご苦労さんなんですけど、
結論を出さないから資料を出してきた意味がなくなって、「で?」になるよねw >>738
書物が違うんでしょ、お二人の。
でも親鸞上人は浄土真宗という理論を建ててはいない。 つーか如是我聞した者が受け継ぐという事があったから教えは伝わっていくんであって、そして伝える者によって外儀の姿は異なってていくのは当たり前だろう、各人が各々の了解をもとに伝えていくしかないんだから
鳩摩羅什と康僧鎧が同じ経文を翻訳したら同じ経典ができるかって話だよ
聖光坊さんかて親鸞さんかて他人の了解を元に信を説くなんてどだい無理な話やん、本人の話を書くしかない
信のかなめをどこに置くかって話で、自己認識を念仏宗に置こうが一向衆に置こうが構わんだろうし法然と親鸞を貫く教行信証の書物をまことの旨と頂くならそら浄土真宗という名となるだろうよ
くだらねえ言葉遊びで適当なこと言ってれば誰か適当な門徒やら坊主やらが相手してくれる、いい場所だねここは >>743
「教行信証の書物をまことの旨と頂く」→「浄土真宗という名となる」
ん?どうしてそうなるのかな?
法然上人の選択集を戴いたから浄土真宗となったのでは? > ん?どうしてそうなるのかな?
> 法然上人の選択集を戴いたから浄土真宗となったのでは?
浄土論があれば論註は不要とか、善導釈があれば法然釈はいらない、俺は誰の解釈、論釈の助けを得ずともどうせ1人で釈迦に辿り着いていたとか言ってる人を見たらどう思う? >>742
親鸞さんと法然さんに思想の違いがあったから浄土宗と浄土真宗に分かれているのかと思っていましたが間違いですか?
書物が違うとは重要視している経典に違いがあると言う意味ですか? 根本的なところで、親鸞上人が浄土真宗という教えを立てたかどうかの歴史的事実はどうなんですか? 親鸞が新しい解釈を
・作ったかどうか
・浄土真宗と名付けたかどうか
どっちを問題にしてんの? 「親鸞が浄土真宗と名付けてないなら浄土真宗なんて歴史的に存在しない」って>748が思ってるなら間違ってるな
後から別人が名付けるのはなにも問題ない
阿弥陀仏だって中国人じゃないんだから阿弥陀仏が自分で阿弥陀仏と名乗ったわけじゃないし >>749
試しに両方の場合で答えを出してくれませんか? >>750 後から別人が名付けるのはなにも問題ない
それは親鸞聖人の気持ちとしてどうなんでしょうかね。 >>719
浄土真宗僧侶、というものがないんですか。
じゃあ何宗の僧侶なんですか? 浄土真宗(又は真宗)〇〇派 だけど、
俺は別に
浄土宗 本願派(仮名) の門徒(又は僧侶)
とかでもいい
結局は著述などを基に、別個の教義体系や教団ができちゃったら、それで別の宗派
同じ本尊や聖典や開祖を抱いていてもそうなんだし
別にとやかく言わなくたっていいじゃん
うちは(うちの寺は)、△△宗××派に所属してますってだけで
日本ぽくていいよ >>751,752,753
ああ、この人って
作ることと、名付けることとの、区別が全然つかない人なんだな
定義という行為を全然理解できてない人なんだ
定義することに無頓着で定義するのを忘れてるんじゃなくて、定義という知識がない >>747
思想や考え方に違いが無いなら別宗派にはならないと思います
貴方は浄土宗と浄土真宗が全く同じだと主張してますか? >>742
と言うか貴方は質問してる側の人間ですよね
738の私の質問は浄土真宗の人に向けた質問です
何故素人の貴方が勝手に回答するのですか?
ちょっとビックリしてます 笑 >>755
わからないから定義してください、とお願いしているんですが。
誰の主観による定義であるのか、という点で。
親鸞聖人なのか、その他の人間なのか。 >>759
やっぱり分かってない
定義と定理の区別もつかないんだろうな
「誰が」「どの状況で指定した」定義を君が欲してるのか、君が指定しないと駄目なんだよ
君が浄土真宗という言葉の意味を尋ねるときは
「浄土真宗ってどういう意味ですか」
と尋ねるのではなく
「親鸞が教行信証の書物の中で浄土真宗という言葉を使うとき、浄土真宗とはどういう意味ですか」
と尋ねなければならないんだよ
「親鸞は浄土真宗の僧侶ですか」
と尋ねるのではなく
「親鸞は浄土真宗本願寺派の教団では本願寺派の僧侶の一人として扱われていますか」
と尋ねるべきなんだよ
尋ねたいのがそれじゃないなら、その旨を君が説明するんだよ
全く言葉が不明瞭で足りてないんだよ君は 定義はどこの誰でも好きな内容で定義できるってことを分かってないのか 難しいねぇ。浄土真宗の元の意味は「法然から伝えられた教え」だっていうからねぇ 法然自身も偏依善導、ただ善導に依るって立場だ
だから善導の言葉をどれだけ翻訳できてるかってことでもある
過去スレでさんざん話題になってたとこでもあると思うが >>603
いや親鸞さんって自ら還俗したのでは無く
国からの僧籍剥奪じゃなかった
その後の非僧非俗宣言だと思うが >>762
だから現代の真宗僧侶が自己矛盾に陥って、宗祖と仰ぐ親鸞聖人と自分たちの間に整合性をつけようと、
>>761で「定義はどこの誰でも好きな内容で定義できる」と語るわけですよね。 >>765
なにを思い違いしてるのか
定義は実際に、「定義はどこの誰でも好きな内容で定義できる」ぞ
これは数学でさえもそうだよ
定義とは
「○○を▲▲と呼ぶ」というのが定義
名付けるのが定義なんだよ
だから
「○○を▲▲と呼ぶ」
「○○を□□と呼ぶ」
と同じものに複数個の名前をつけても良いし
別の場所や、あるいは別の人は
「■■を▲▲と呼ぶ」
と○○とは別のものに、同じ名前▲▲を使うこともある
「仕事」という単語は、物理学と日常用語でそれぞれ定義されるから、複数の意味があるのはわかりやすいよね
「仕事ってどういう意味?」って尋ねるなら
「物理学では(日常用語では)、仕事ってどういう意味?」と
どの場所で使われる「仕事」なのか質問者が指定して聞かないとだめってこと
定義を聞きたいなら
どの分野の定義を聞きたいのか、または
誰がどこで使うときの定義を聞きたいのか、それを質問者が指定しなければならない >>766
最初からそういうふうに問いを作らなくても、順を追って尋ねればよいだけだよ
なのに、どういう意味の質問なのかを尋ね返されても、それを759の人は全部拒否してるから問題なんだよ
「仕事ってどういう意味?」って質問して
「物理の教科書では、仕事は○○の意味だと書かれてるよ」と返事されたとき
「そんな本の記述を並べるばかりで、答えを返さないなら、意味ない」
と反応するひとは問題ありだろ
せめて「物理じゃなくて、□□のときの仕事の意味を聞いてるんです!」と答えないと馬鹿げてる じゃあまず手始めに、
親鸞聖人はどういう意図で「法然上人が浄土真宗を開いた」といったのか、
ですね。 >>769
「高僧和讃」にある
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ
という文言は、浄土真宗を開いたのが法然であると捉え、法然を讃嘆した言葉であることが、
高僧和讃における浄土教祖師達に対する讃嘆表現を踏まえた上で理解できる。
>>789に対する答えとしては、法然による立教開宗を讃嘆する意図があったと思われる。 「高僧和讃」にある「浄土真宗」という言葉を、親鸞の教えに基づいて生まれた
浄土真宗と呼称される宗派や、現在ある宗教法人の名称と同じものと定義する人は
さすがにいないだろう。これくらいは素人でもわかるのでは。 >>769
まず手始めに
>「法然上人が浄土真宗を開いた」といった
と断じているけど、何を根拠にあなたはそう判断したのかを確認だね
おそらくは他人がそう言ったからって程度なのかもしれないが
あるいは高僧和讃の源空讃で浄土真宗と述べた部分を挙げるのかな
源空讃
本師源空世にいでて
弘願の一乗ひろめつつ
日本一州ことごとく
浄土の機縁あらはれぬ
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ
善導・源信すすむとも
本師源空ひろめずは
片州濁世のともがらは
いかでか真宗をさとらまし
(以下略)
続く >>772
和讃であり詩だから、重箱の隅をつつく論理展開とは相容れないかもしれないが
この和讃の部分から読み取るならば
「善導・源信もすすめてた真宗に関して、法然もまた真宗をひらいて、ひらきながら更に選択本願を述べたから、だから日本には真宗がより広まった」
と読めるか
ここの善導・源信の「真宗」が法然のところで述べた「浄土真宗」とイコールならばだけどね
和讃だから文字数の都合で浄土真宗を真宗としたのかね
もし別の意味なら解釈は変わる
ともあれさっきの私の解釈が正しいとするなら
「善導・源信が浄土真宗をひらいたのに続いて源空もその道を踏襲した」という意味で「法然は浄土真宗をひらいた」と親鸞は発言したのだと思える >>772
実際に親鸞がこちらの言葉を聞いたことがあるかどうかは定かではないが、
ある時にいわく。我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり。
もし天台の教相に依らば凡夫往生を許すに似たりといえども、浄土を判ずること至りて浅薄なり。
もし法相の教相に依らば浄土を判ずること甚だ深しといえども、全く凡夫往生を許さざるなり。
諸宗の談ずる所、異なるといえども、すべて凡夫の浄土に生まると云ふ事を許さず。
ゆえに善導の釈義に依って、浄土宗を興す時、即ち凡夫報土に生るという事を顕さんとなり。
『醍醐本法然上人伝記』
何もないところから法然が浄土真宗を開いたと主張している人がいるのかな?
貞慶による『興福寺奏状』にも「第一に新宗を立つる失」とあるからな。 >>774
ああ773の書き方だと、浄土真宗についても法然は善導らに続いただけって言ってるようにしか見えないかあ
あくまで源空讃の「浄土真宗ひらきつつ」の部分だけの解釈を私が勝手に言っただけなんだけど
たしかに善導らが真宗をすすめてたと読むのも危ういね
和讃は倒置も多用されるし、勝手にサクサク読むとあちこちおかしくなるし 『教行信証』の編集を以て立教開宗の記念とし祖師親鸞の恩徳を慶讃する。
(中略)
しかるにその喜びに於て立教開宗の意味を『教行信証』に尋ねようとすれば、
それは案外にも容易に見出すことはできぬことが省みられる。
親鸞の思想によれば、浄土真宗を開けるものは法然である。『正信偈』では
真宗の教証を片州に興せるものは本師源空であり、『和讃』では、
「本師源空あらはれて浄土真宗をひら」かれたとある。『教行信証』の後序には
「真宗興隆の太祖源空法師」という。それは恐らく親鸞の教化をうけ伝えるものに
疑いのない常識であったのであろう。『御文章』もそれ、『歎異抄』もそれ、
蓮師の『御文』に至るまでそれである。
『顕教案宗』 金子大栄(著) (>>739のリンク先参照)
「法然の立教開宗が親鸞の顕教案宗として領受されることとなった。」
なるほどな。他宗派の文献を読む。また愉しからずや。 あああ
一般的には、法然からと読むのが無難かねえ
ともあれ769への回答としては、
「綿々と経典を読み解き進め発展してきた浄土教は、法然によって選択本願という発揮を生み出した。
そこで浄土教の本質のところを浄土真宗と表現して讃嘆して、『源空は浄土真宗をひらき』『選択本願をのべた』と書いたのでは」
となるか 金子大栄の『顕教案宗』を読んで「なるほど、これはパクれる(参考になる)」と思いつつ、
浄土真宗本願寺派、新総長・池田行信氏の「立教開宗」考①~④を読んで、
「ああ、これは、ああああ」とため息をついた。他宗派のことなのでなんとも言えないけどな。
浄土真宗本願寺派 慈願寺 「立教開宗」考 ①
https://jiganji.exblog.jp/29520293/ どうしてこんなややこしいことになったの?
誰が最初に親鸞聖人の教えを浄土真宗と名付けたの?
誰が最初に浄土真宗教団と名付けたの? >>779
何もややこしくない
質問が質問になってなかったのに、質問を改善しなかったから長引いただけ
質問の意味を問い返されたら、素直に何を聞きたかったか補足して質問をし直せばよかっただけ
なのに相手を、「答えを言わない人!」「文を貼るだけの人!」と反発するだけで、何を質問したかったのかを説明せず、質問文を改めず、
最初の質問になってない質問文を繰り返してたから長引いてただけ
幸い、768-769で、ひょっとしたらその過ちに気付いたかもしれないから、改善の可能性はあるのでは? とりあえず
誰が最初に親鸞聖人の教えを浄土真宗と名付けたの?
誰が最初に浄土真宗教団と名付けたの? >>781
答えは単純ではない
>誰が最初に親鸞聖人の教えを浄土真宗と名付けたの?
厳密な最初はわかるはずもない
名付けるだけなら誰でもできるからね
というか、親鸞の解釈以外にも、浄土真宗と名付けられたことはたくさんあるだろう
時宗やそのほか浄土系の人たちで、割と浄土真宗という名付けはあって当然
記録に残ってる・親鸞の解釈が対象・誰の発言かはっきりしてる
などの条件をつけたりつけなかったりすれば答えは変わると思われる
>誰が最初に浄土真宗教団と名付けたの?
これも難しい
本願寺勢力や、親鸞の門下の布教で作られた勢力はあっても、浄土真宗と名乗った時期と等しいわけではない
公式な最初の名乗りと一部の人の自称も違う
名乗って幕府から公式に認められた時期ともなればずっと後
さらに言えば、認められた教団が、教団の生まれた日まで遡って、その日を浄土真宗の教団が生まれた日と主張したら、その日が浄土真宗教団の最初の日と言っても間違いではない
結局は、何を聞きたいか具体的に質問しないといけない
国・幕府が教団に浄土真宗を名乗ることを許した日でいいの? >>779
親鸞聖人の教えを伝える宗派の名称を浄土真宗に統一することを提訴した
東西両本願寺などとそれに反対する増上寺(浄土宗鎮西白旗派)との間で
論争があったことは、>>693で紹介紹介済みだけど、もう一度どうぞ。
新纂浄土宗大辞典 - 宗名争
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%AE%97%E5%90%8D%E4%BA%89
こちらもどうぞ
WIkiArc - 宗名事件
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E5%AE%97%E5%90%8D%E4%BA%8B%E4%BB%B6
明治5年(1872)に新政府が「真宗」の公称を認めた。その後、本願寺派では
昭和21年(1946)に定めた宗制・宗法において、宗名を「浄土真宗」と公称している。
更に詳しく知りたければこちらをどうぞ
江戸後期の「浄土真宗」を巡る宗名論争と現代の法理
田村 公總(著) パテント = patent / 日本弁理士会広報センター会誌編集部 編 65 (5), 63-72, 2012-05
https://jpaa-patent.info/patents_files_old/201205/jpaapatent201205_063-072.pdf 親鸞の教え?を浄土真宗と最初に名付けたのが誰か
文字通りに考えれば親鸞だ
ここまでのやり取りで法然上人の教えを浄土真宗と親鸞も言ってたのは分かる
法然上人の教えと親鸞の信じたものは同じって親鸞も言ってたんだから親鸞の教えも法然の教えも浄土真宗ってことになる
親鸞の門下の人もそう思うだろう
法然上人のは浄土真宗じゃないけど親鸞のほうのは浄土真宗ってわざわざ言った最初の人は誰ですか って質問するなら答えは違う >>784
いやー、浄土真宗の人達はそう思ってないと思うよ
もし法然と親鸞の考えが同じだと思ってるなら>>603の様な発言はしないはず
603にしてみたら釈迦も善導も法然もスカした嫌な奴なのだろう 自分が戒律を守れないからって守ってる人のことを悪し様に言うのはおかしいよね
元々仏教は戒律守ることが前提なのに破戒僧とその信者が何勘違いしてるんだろう? >>785
ぜんぶ同じなんて話はしてない
成仏までの手順っていうか浄土真宗のところが同じってこと
少なくとも初期の門徒は法然も親鸞も浄土真宗って認識だろう >>784
法然上人の教えが浄土真宗なんだから浄土真宗の開祖も法然上人になるよね?
そこをあえて親鸞上人を開祖にする理由は? どうして親鸞聖人の考え方と、過去の浄土真宗門徒の考え方に違いが生まれたの? >>789
そうか、現代の某宗派が「浄土真宗」と名乗るから混乱が生じているんだね。
名乗らなければよかったのにね。 考え方の違いではない
定義の違い
言葉は複数の意味を持つことが多い
辞書を引いても大抵の単語には、
① ・・・
② ・・・
③ ・・・
と、複数の説明が列挙されている
浄土真宗にも複数の意味がある。
親鸞の発言など、当時使われた「浄土真宗」は宗派のことではなく、浄土の真実の教えのことで、法然たちが扱っていた教えのこと
現代日本で使われることが多い浄土真宗の意味は、宗派の種類のひとつのこと >>792
そりゃ、辞書なんて背景の良し悪しを議論せずにあとから成立した意味を並列しているだけだからね。
どんなに誤用されていても正しくなるよね、「他力本願」が「他人負かせ」という意味でもね。 どうして宗派を浄土真宗と呼ぶようになったのだろうか。 >>792 考え方の違いではない 定義の違い
考え方が違うから定義が違うのでは? >>783
浄土宗は教えの名称と宗名が同じなのに対して、
浄土真宗では教えの名称(=浄土宗)と、宗名(=浄土真宗、真宗)が違うわけか。 法然は多くの優秀な弟子を育成し、その弟子たちは流派を形成した。
そして弟子達の流派は時代や人によって様々な名城で呼ばれた。
参考
新纂浄土宗大辞典 - 法然門下の異流
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E6%B3%95%E7%84%B6%E9%96%80%E4%B8%8B%E3%81%AE%E7%95%B0%E6%B5%81
東西本願寺は一向宗、門徒宗、本願寺宗などと定まらないまま他称されてきたので、
安永三年(一七七四)八月宗名を浄土真宗に統一することを幕府に提訴した。
幕府が同一一月に天台宗寛永寺と浄土宗増上寺に諮問したところ、寛永寺は可としたが、
増上寺は不可として、翌四年正月にその差し障りの理由を列挙した故障書を提出した。
これにより明治初年までに波及する宗名論争がおこった。
参考
新纂浄土宗大辞典 - 宗名争
http://jodoshuzensho.jp/daijiten/index.php/%E5%AE%97%E5%90%8D%E4%BA%89
自分たちの宗名を幕府の許可を得ないと名乗ることが出来ないとか現代では考えられないよな。
年分度者制度により出家することも朝廷の許可が必要だったとかもまた同じ。 親鸞の教えの流れを「浄土真宗」と呼称することの東西本願寺側の論拠や
それに対しての増上寺(鎮西白旗派)の反対理由についてはこちらを参考にどうぞ。
江戸後期の「浄土真宗」を巡る宗名論争と現代の法理
田村 公總(著) パテント = patent / 日本弁理士会広報センター会誌編集部 編 65 (5), 63-72, 2012-05
https://jpaa-patent.info/patents_files_old/201205/jpaapatent201205_063-072.pdf
KAKENのこちらとかも大変興味深い。とりあえず2018研究成果報告書(PDF)を参考に。
近世日本における宗派間対立と幕藩権力・仏教教団―宗名論争を事例に―
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-17H06683/ 親鸞聖人の中では浄土宗も浄土真宗も同じだったわけだが、「浄土宗」は先に本家・浄土宗に使われていたから
区別をつけるために苦肉の策で「浄土真宗」や「真宗」と言わざるを得なかったわけですね。
了解。 >>798 自分たちの宗名を幕府の許可を得ないと名乗ることが出来ないとか現代では考えられないよな。
そもそも宗教扱いされてなかったんでしょ?
自分たちは宗教のつもりだったのかもしれないけど。
それいまでも宗教法人法を無視できないのと同じなのでは? 13世紀から16世紀に亘って天台法華宗(天台宗)と法華宗(日蓮宗)との間に
「法華宗」を巡る宗名論争があった。
当時「法華宗」と称した日蓮宗は、この宗名論争を経た後に「日蓮法華宗」と改称したという。
現在、最澄の流れは教科書的には、一般的に「天台寺門宗」や「天台真盛宗」を含めて「天台宗」と、
日蓮の流れは「宗教法人 法華宗」を含めて「日蓮宗」と呼称されろ。
言葉の意味には様々あり、使用目的や文脈によって使い分けられる。そんなに難しいことかな。
ちなみに「浄土宗」と呼称される「鎮西義」と「西山義」とでは、その教学に少なからずの相違がある。
江戸幕府が諸寺院法度の一環として鎮西義に対して「浄土宗法度」を制定したのに対して、
西山義に対しては別個に「浄土宗西山派法度」を出した。このあたり両者の江戸幕府との距離感がわかる。
また蓮如と縁があった清浄華院は鎮西一条派であったが、現在の清浄華院は鎮西白旗派。
いろいろあるんだな。 いうても、江戸幕府の身分制度のお陰で真宗も美味しい思いしてきたんでしょう?
檀家旦那寺制度の有った江戸時代と、寺院に関わらないことができる現代と、どちらが真宗に都合がいいかな?
皆さんはどう思いますか? >>801
>それいまでも宗教法人法を無視できないのと同じなのでは?
宗教法人として登記しなくても宗教団体はつくれるし。自称、他称は可能なんだな。
そもそも具足戒による僧伽の成立を考えるならば、お上の許可なんて関係ない。
そして年分度者制度は徴祖免除の関係によるものだし。
宗教法人としての登記は税金関係の問題だけどね。。 >>796
違う
先に挙げた「仕事(work)」もだが、他人と話をする際には概念に名前をつけて、その名前で呼ぶことをお互い共有する
そうしないと会話が成立しないから単にそのように名前をつけているだけ
そして、名付けるときに、既存の単語で近い意味のものを流用するのはしょうがないこと
言語を扱う以上はしょうがないこと
浄土真宗だって、他の名前をつけたところで似たようなことはどうせ起こる >>797
なぜ浄土宗って、浄土教の顔を名乗ってるみたいな名前をつけてるんですか?
って言われてもしょうがないだろ
浄土を扱う宗派はたくさんあるのに、なんで浄土宗って名前を勝手に使うのか
ってさ
厳密に言い出すと、どの宗派も他人のこと言えないだろ 世間に流布してみな人の心得たる通りの浄土思想ってこんな考え方、と思われている所の浄土教と法然流、善導流の浄土教ってのを区別したかった、てのはあるのかもね
念仏一回となえたら死んだら極楽に転生する、みたいなのが浄土教だ、ってのは今でも他宗派による悪口の定番だし >>683
>>705
結局浄土真宗教団も江戸時代に百年間も宗名争でワンワン騒いでて草
どうやら伝統のようだ。
あなた達は江戸幕府や浄土宗の気持ちがわかったかな? 親鸞聖人の意志と異なる名称の使い方してるのはわかったわ。
お浄土で泣いてるかもよ? >>809
違うっつーの
別の用語なんだから、意味を変化させてるわけではない 名付けなんだからラベルにすぎないんだよ
正確に中身を表現した名前しか許されないって言うなら、ラノベのタイトルよりはるかに長い名前ばっかりになる
というか、正確な表現なんて何万文字使っても不可能だろ >>810
「別の用語」認定でもしないと使えないからねw 他宗派より「一向宗」と呼ばれることに対して勘弁してくれとの思いはあっただろう。
そのあたりの議論は田村氏と芹口氏などの研究(>>799)に詳しい。
蓮如『御文章』(一帖)より
答へていはく、あながちにわが流を一向宗となのることは、別して祖師(親鸞)も定められず、
おほよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、みな人の申しなすゆゑなり。しかりといへども、
経文(大経・下)に「一向専念無量寿仏」と説きたまふゆゑに、一向に無量寿仏を念ぜよと
いへるこころなるときは、一向宗と申したるも子細なし。さりながら開山(親鸞)はこの宗をば
浄土真宗とこそ定めたまへり。されば一向宗といふ名言は、さらに本宗より申さぬなりとしるべし。
されば自余の浄土宗はもろもろの雑行をゆるす、わが聖人(親鸞)は雑行をえらびたまふ。
このゆゑに真実報土の往生をとぐるなり。このいはれあるがゆゑに、別して真の字を入れたまふなり。
蓮如『帖外御文』より
それ一向宗と云うは、時衆方の名なり。一遍一向これ也。その源とは江州ばんばの道場これ則ち一向宗なり。 一向俊聖の法流である一向宗は江戸幕府による宗教統制により時宗の管轄となったが、
一向が良忠(鎮西義)の弟子であったことから一向派の本山であった蓮華寺は
明治十七年に浄土宗(鎮西義)に合流、浄土宗本山となった。
「一向宗」という言葉にしても意味は様々。そのあたりの言葉の定義をちゃんとした上で
話をしましょうということなんだけど、まあ、ここは5chだから仕方がないか。
天台系の包括宗教法人・浄土真宗遣迎院派とその本山である遣迎院とかも
ちゃんと言葉の定義をしないと混乱する人もいるだろうな。 門徒の中には親鸞上人が本願寺を建てた(※大工の意味ではない)って思ってる人が居そうじゃない? 浄土真宗の名前が使えないなら浄土真宗親鸞会はどうなるんだw 「100年間ワンワン吠えてゴネた甲斐がありました。」
>>817
親鸞聖人の書物に基づいていれば誰でも「浄土真宗」を名乗れます。
本願寺派がそういう前例を作りましたから。 >>821
残念だけど、失敗としか考えられない
元に替えて定着させるのは無理でしょう
黒歴史に終わるのは確実と思う FBとかでお西の人らが新領解文というのをなんかみんな話題にしてたねー
翻訳ということに対するリスペクトが欲しかったよ、新言語バージョンにアップデートしました前バージョンとは互換性がありません、とか別に言語対応表があります、じゃみんな困るでしょ
あそこに必要だったのは領解文文意とかだったんじゃないのかね、他宗の人でもちゃんとした人なら読んで文意が伝わるような 何人かが浄土宗と浄土真宗の違いを質問してますが「教えに違いは無い」と言う回答以外は明確な回答が無い様に思います
本当に全く同じ考えの宗派だと考えて良いのでしょうか?
無戒律になった以外で思想的・宗教的な違いはありませんか? 浄土宗と浄土真宗の違いを教えてちょ
仏像が違うとか形式的なものもあるんだよね >>824
浄土真宗と浄土宗の違いなんて、話してる人いたっけ?
浄土真宗(教え)と浄土真宗(宗派)を混同して使う人と、混同してるぞっていうツッコミはあった気がするけど そもそも本人が教えを立てた宣言もしていないのに宗教扱いしてくれというのも無理な話だった。 新しい領解文に動画などで明確に反対を示してる人いますがなかなか出来ないですよね。 500年以上に渡って受け継がれてきた蓮如の言葉をアレに置き換えて
誰もが納得するとでも考えていたのだとしたら本当に驚き よき人の仰せに従ってただ念仏して、
とかすかされまつりて地獄に落ちても後悔しないとか、
親鸞聖人は法然聖人の徹底的な弟子ですよ。
ただ法然聖人は大きい人だから、いろんな聞き方をした弟子がいて、それが宗派になった。
それもご縁だよ。
一番はこの自分がどう救われていくかだよね。 あえて宗派の違いに着目するならば、
他力の捉え方だよ。
自力の要素を認めるか。全く認めないか。
猿型安心とか猫型安心とかいうだろう。
三心の解釈とかも微妙に違うけど。 宗教とは何か、つうてもreligionレリジョンに明治期に宗と教の文字を当てたのであって宗教、自体は明治にできた新しい言葉なんだよな
religion自体は「宗旨」「宗法」「宗門」「法教」「教法」「教門」いろんな訳し方の変遷があるけど、「宗とする教え」「要旨となる教え」
神、または真実と人との絆、関係性を示すラテン語が語源
だから「あなたの宗教は何ですか?」と特にカトリック圏の人なんかに聞かれたら、
「あなたは何を本当だと思って生きていますか?」と聞かれていることになる
日本人は「無宗教です!」と答える
「私には、本当のものだと思える、実感の持てる自分の考えが何もありません!」と答えてることになる
そら驚く
英語圏でもレリジョンの意味は変化し続けてるけど、元々はラテン語的な神、いわゆる真実、本当のことと自分との関係がどうなっているか、に関わる言葉だった 信心いほんか念仏いほんか、という問題もあるけど、それは説明的な観念だろうね。
親鸞聖人も法然聖人も念仏したし、他力の信心は大切にしてる。
暇なんで連投した。
我が救いが問題だ。我ながら。 >>831
もしそうなら浄土宗○○派(親鸞派)で宗祖は法然で問題無しじゃね?
別宗派を建てるほどの行違いがあったか出来事があったんじゃないの? >>832
全く=一切=すべて
それでも信心獲得は必要って部外者から見れば完全な矛盾やで
「南無阿弥陀」の念仏が必要だと言うなら完全な矛盾に感じる
そして信じる事や念仏は自力じゃないと言い張る事も自力だと思う 自力心や修行を大事にしないから他力に出会うことが出来ないんですよ。 往生に修行や戒律やが不要だ、とか語るのは、
それまで修行をしたり戒律を守ってきた人が不要になったと気づいたから言うのであって、
修行もしたことがない、戒律がなにかも知らないような人が、
信心獲得後の理論を振りかざして「不要だ」とのたまうことじゃないと思うんですけどね。
じゃあその理屈を成立させるために、修行や戒律を守ると、
それは修行のための修行、戒律のためのための戒律になってしまって、
本来の目的である悟りや浄土往生が見えなくなっているんですけどね。 ほぼほぼ真宗関係者の不幸なところは、最初に答えを与えられてしまったことだと思うよ。
宗教というのは経験則の上に理解できることであって、知識はあとから付いてくるからね。 >>839
それだと仏教徒はブッダに倣って、まず王族の贅沢と出家と苦行をしないといけなくないか? なんかみんなここにいる奴は生きるのが上手くて、適応がいいんだと思う。
病んだり、人間関係で悩んだり、孤独だったり、いろいろ人生、生活のうまくいかない問題に苦悩すれば自力無効って、特別な修行しなくても感じるけど。
老いの悩みはまだだろうけど。
自己嫌悪とかないのかな。
そういう苦悩がないならいいよな。 申し訳ないが、そういうのはたぶんあなたの家族の方が苦しんでいると思う 誹謗中傷とかではなくて、宗教とかそういうのを抜きで一度考えてみて欲しい
自分に苦しめられてる人とはそういうものだ、っていう話でもあるんだけど、まあ 根本はリアルのものを見るのに我執の色眼鏡で見てる、それが一切を苦の世に変えてしまってるんでないの、という話やん
苦しんでない真宗坊主なんているとしたら、それこそ箸にも棒にもかからん存在やろ
っていうかそういう苦悩を諸人に常に見せしめき、とかしとるおっさんいたら気持ち悪いやろ
他人との苦悩バトルで連戦連勝中の人がいるとしたら、やっぱりそりゃあ他人への想像力の少ない人ってだけである可能性もやっぱり高いと思うのよ >>840
「ブッダに倣う」という発想が答えありきなんだが。 「浄土」は方便の上に立てられた言語表現にしか過ぎないのです。 >>845
でもその仏教的な一行目の話と、浄土真宗的な死んで浄土往生の話ってなんの関係もないやん? >>845
苦しんでいる真宗坊主は多いと思うよ、「門徒が減った」「葬式・法事が減った」という類の苦しみね。 >>846
当然ですよ
遠回りの苦労を自分自身でやらないと宗教では理解はない!というあなたの主張は答えありきではないか?と訊いてる シベリアで気温40度に迫る猛暑、「史上最悪の熱波」続く
2023.06.09
https://www.cnn.co.jp/world/35204992.html
群馬県で猛暑日 近年の全国の猛暑日は1910年~1939年と比べて約3.5倍
2023年06月18日
https://tenki.jp/forecaster/k_shiraishi/2023/06/18/23765.html
https://pbs.twimg.com/media/Fy-RUbRaUAAdN27.jpg
インド北部、猛暑で68人死亡 気温46度に
2023.06.21
https://www.cnn.co.jp/world/35205497.html
北大西洋で異常な海洋熱波、「前代未聞」と専門家
2023.06.21
https://www.cnn.co.jp/world/35205511.html#:~:text=%E8%8B%B1%E3%82%B9%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%BC%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89,%E3%81%AB%E3%81%A8%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%81%AF%E5%A4%A7%E3%81%8D%E3%81%84%E3%80%82
・海面温度は世界的に上昇しており、4月と5月の海面温度は1850年に観測が始まって以来、最高を記録した。
中国・北京、3日連続40度超 観測史上初
2023年6月25日
https://www.afpbb.com/articles/-/3469658?cx_part=top_latest
インドの熱波は峠越えか
パキスタンやイランでは50℃前後を観測
2023/06/22
https://weathernews.jp/s/topics/202306/220075/
アメリカ南部テキサス州で連日の40℃超 危険な暑さが続く
2023/06/26
https://weathernews.jp/s/topics/202306/260135/ >>851-852
ご覧の通り、異常な熱波が加速してます
これではとても「四季がおだやか」とはいえない
また、富士山が信仰の山であることがすっかり忘れ去られている
富士山にはかつて永久凍土があったというのに、それが無くなるほど気候が激変している
これは極めて危険な兆候であると考えられます
なので繰り返しますが、政権には仏典の各所に記された内容を守るよう、組織を挙げて提言していくべきではないかと存じ上げます >>850
遠回りの苦労をやっている本人にとってはそれが最短だと思っているんですけどね。 >>850
あなただって、「私は修行をせず戒律も守っていないし自力心もないから往生は決定している!」
と思って念仏しているでしょう? 「おかしい。信じて念仏しているのに、なんだか釈然としない。なんだか人生が満たされた感じがしない。」
そんなふうに思っていませんか? >>856
そんなこと歎異抄に出てることじゃん何を今さら 仏教やったら心が満たされるなんて釈迦は言ってないぞ >>858
どうせ歎異抄が出る前は「信心獲得したら不信感なんてない」とか言ってたんだろ? >>860
歎異抄なんて当時、表にほとんど出てないだろ
歎異抄で態度を変えたかのような主張は成り立つはずもない
負け惜しみでその場の思い付きをカキコするのやめたら?
850に噛み付いたってことは839か
840に完全論破されたマヌケw >>861
釈尊が悟ってもいない時の行為なんて参考にする必要ないだろ。
浄土真宗では、死後に必ず浄土往生するためには、生きているうちはどういった行法をすればいいんだ? 信心獲得後の念仏しか認めないなら、信心獲得もできていない門徒は念仏したらだめなのか? >>861 歎異抄で態度を変えたかのような主張は成り立つはずもない
歎異抄抜きで布教活動できるの? >>863
んーーwww
修行を経験しない人間は、仏教を理解できないって主張は諦めますか??wwww
経験必須!! 笑らける主張なあww >>866
悟りに向かわない修行が仏教の行なわけ無いだろ。 >>866 修行を経験しない人間は、仏教を理解できないって主張
どこのレス? 浄土真宗では、なにもしていなくてもある日突然他力念仏を称えられるの? >>867
仏教は!!ブッダの如く!!
王族の贅沢と!苦行を!
両方を経験してこそ!!
両方の極端を経験してこそ!!
その後に初めて理解可能!!
その後にこそ!! 経験として 経験として理解できるのだ!!
と改めて主張してよ
君の主張だろwww 阿弥陀如来のはたらきがなくて他力念仏に出会いえない人のためにその他の宗教があるんだよね? >>870
どこの主張?
それってあなたの感想ですよね? 中庸を!
方や、王族の贅沢を!
方や、苦行を!
両方やったら初めて理解可能w
お前、やったのかよww >>872
ID:rxqBUlY90はお前やろ
経験至上主義www 浄土真宗はどうやったら他力念仏ができるのか説明がないんだが。 仏教徒がブッダに習うのが当然なら、浄土真宗僧侶と門徒は比叡山に出家するか? いまどき自力念仏でも布施やなんでもたくさん行があるだろうに。 ひたすら修行をしない、ひたすら戒律を守らないようにするのも修行ならそれでいいと思うわ。 おやー??www
そろそろ諦め始めたかー??
経験至上主義は諦め始めた???www
経験至上主義を真宗のほうに押し付けて誤魔化す??www >>874
経験則の上に語るのは大事だと思うよ、机上の空論が信仰じゃあるまいし。 >>880
んで、ブッダのことく王族の贅沢と全て捨てた苦行を両方しないと仏教は理解できないという主張に直結するその主張
王族の贅沢が必須かまずは答えろよww >>881 ブッダのことく王族の贅沢と全て捨てた苦行を両方しないと仏教は理解できないという主張
だからどのレスのことを言ってるの? >>882
経験しないと分からない!!ってのがお前の主張だろうがw
違うのか?
ブッダの経験は悟りに不要!!さりとて親鸞の過去の修行は真宗の教えに必須!!
お前の主張はそれだろうがよ >>883
だからその「経験」というのがなぜいきなり「贅沢と苦行」に繋がるんだ?
君がそうやって出家をつなげるから、わたしも親鸞上人の出家まで繋げたんだけど? 自力念仏でも神頼みでも祈願でもなんでもやってみてもいいと思うよ。 >>884
おやおやww
分かりやすく君の矛盾を883に書き下してあげたというのに理解してないのか
君は
ブッダの教えはブッダの経験なしでも利用可能!
親鸞の教えは親鸞の経験なしでは利用不可能!
と、そう発言したんだよ 歎異抄の名前を出してきたらスゴイのが出てきたな、これはもしや… 歎異抄を読まなくても往生できたらいいよね。
できるでしょ? なぜ歎異抄を持ち出したのかしらんがww
861は俺だけど、なにか関係あるんかw 858は俺じゃないが、じっさい856へのレスは正当やなw 最後にレスしたほうが勝ちっていう「レスバ」の手順の持ち込みは要らんわw >>892
ところで、>>861が「840に完全論破されたマヌケw」と言っていたのだが
>>840が>>839を完全論破して勝ちなわけでもないんだな? どう見ても>>840は論破出来て無い
これで論破出来たと思ってたのは痛い
浄土真宗はマトモな奴も多いのに
たまに残念な奴もいるよね >>840のレスを放置しておいても「最後にレスしたほうが勝ち」にはならない、ってことかな? >>895 浄土真宗はマトモな奴も多いのにたまに残念な奴もいるよね
団体名を認めさせようと100年間ワンワン吠えるのってどうなんスかね? そもそも阿弥陀仏を信じる事や念仏を称える行為は自力じゃない理論が分からん
絶対他力なら念仏も不要じゃないの? >悟りに向かわない修行が仏教の行なわけ無いだろ。
この辺がポイントなんだろうな
自身の心を慰めるための、悟りに向かわない修行を「雑行、雑修、自力」つまりはためにするわろき心と呼んだんだ、ってことがちゃんと読んでれば分かるはず
結果論だからそれが自己を省察する方向に向かう原因となる方へ向かう縁となれば、無駄では無かったねということになる > でもその仏教的な一行目の話と、浄土真宗的な死んで浄土往生の話ってなんの関係もないやん?
死んで浄土往生?善導流なら前念命終、後念即生だし親鸞なら即得往生、住不退転だろ
なんか全然違う別の宗教の話をイメージで語ってない? >>901
浄土真宗の大好きな七祖と親鸞聖人の生涯には自力心の芽生えなんて微塵もなかったのだろうか。 >>902
浄土真宗は「死んで浄土往生」じゃなかったの? >>900
親鸞聖人は追善供養のための念仏は一度たりとも称えたことはなかったが
もしかしたら自力往生のための念仏は何度も称えたことがあるかもよ? >>901 無駄では無かったねということになる
因果論がそういうことだよね。
果に至った者だけが因を語れる、という話。
果に至ってもない状態で因を修めようとしたり語ろうとしても、迷いの状態にしか過ぎない、ってやつ。
こんな理解でいいのかな? > 因果論がそういうことだよね。
> 果に至った者だけが因を語れる、という話。
> 果に至ってもない状態で因を修めようとしたり語ろうとしても、迷いの状態にしか過ぎない、ってやつ。
> こんな理解でいいのかな?
いや、あのね?
釈尊は縁起説だから
仏、自覚への視点が無ければ迷いの状態にしか過ぎない、ってやつだよ
因果説はバラモン教やヒンズー教でしょ
根本の所であんた勘違いしてるよ お経の下の翻訳までも覚えてる方いますか?
正信念仏偈や讃仏偈などで 浄土真宗の僧侶とか門徒は基本的に阿弥陀仏の救いを信じてるんだよね?
その信じると言う行為は自力じゃないの?
信じてなくても救われる理論ならば絶対他力だと思う 救いを信じてなんか無いよー
自力では信じることも救われることも出来ないことを
懺悔するよー
そんな自分を救うと誓ってくださったのが阿弥陀さまだよー
私はただ南無阿弥陀仏と唱えるだけだよー 阿弥陀仏が救うと誓って下さったのに
その救いを信じてないのですか?
信じてないのに「南無阿弥陀仏」と称えるのは何故ですか? 私には称えるもとなどないよー
阿弥陀様が称えさせてくださります 阿弥陀仏の救いを信じていない貴方の思考が何故「阿弥陀様が称えさせてくださります」になるのか謎ですね
貴方は阿弥陀仏を信じているのではありませんか? 親鸞の悪人正機説 医師と病人
親鸞は、悪人こそが阿弥陀仏による救済の対象だと言った。親鸞曰く、善人は自力で極楽往生できるから阿弥陀仏による救済を必要としていない。本来ならば地獄に堕ちてしまう悪人こそが、阿弥陀仏の慈悲に縋らなければならない。病人こそが医師による救済の対象であるように、悪人こそが阿弥陀仏による救済の対象である。と。 なるほどでは阿弥陀仏を信じる善人や念仏を称える善人は自力ですね
阿弥陀仏を否定し念仏さえ称えない悪人は阿弥陀仏により救済されるのですね
要するに浄土真宗を信仰しない人間こそ救われる対象と言う事ですね それはおっしゃるとおり謎で
もう不可称不可説不可思議の
力というほかないよー そうだよ、人間の意識と無関係に音声が出てくるんだよ。 人間の意識と無関係なのに
毎回毎回「なむあみだぶつ」と
決まった音声で出てくると言い張るのか
都合の良い話だよな
そこまでして他力に拘るのって
もはや自力以上の苦行に見えるわ >>919
とりあえず>>913「阿弥陀様が称えさせてくださります」らしいよ。 ウンコは出すモノでは無い
出さしめられるモノ、これぞ他力 つまり「仏様に出会ってないものはウンコが出ない」、と。 >>924
↑
これは称えていないんだけど、書いているからアウトなの?
それとも「阿弥陀様が書かせている」からセーフなの?
音声となって飛び出てきていないんだけど、個人の意識とは無関係に手を動かせているの? 自力で書いたか他力で書いたかは書いた本人にしかわからない やり取り見てると阿弥陀仏のはからいなど一切無く一つ一つの事象を自力と見るか他力と見るかは人間側の勝手な判断によるだけなのでは?
そもそも修行完全否定なら何故門徒に布施行させるのか
すべてが僧侶の意思では無く阿弥陀仏からのはからいならば無料でやれば良い
それはバカらしくて出来ませんか? > 信じると言う行為は自力じゃないの?
> 信じてなくても救われる理論ならば絶対他力だと思う
四諦八正道の四諦や諸行無常、諸法無我なんかの法、仏法を「信じる」という場合のことを考えてみるといい
自分の認識と実際のものは常にズレていくものだけど、その法、仏法を感じるということがあったとすれば、実際、実相からの違和感、フィードバックがあったからであって、実相との相依相待があって初めて気付けるのが実際の方の世界なわけじゃん、自力だけじゃ気付くという機能自体起こらない
諸行無常なら分かる、でも諸法無我なんて信じにくいしなんか神様的なのにいて欲しい、阿弥陀ということは仏縁無量やん、でも信じにくい、っていうのが釈尊の法、仏法と自力というもののだいたいの関係性でしょ
信じてても信じてなくても諸行無常やらは変わらないし、信じてなくても仏縁無量の世界にいることは変わらない、変わるのは実相のものへの視点、姿勢や態度なんだよ
それも各々 >>926
そういう意味じゃなくて、「称える」以外にも「書く」という行為を認めるかどうか、ということ。 >>928
その理論なら信じてなくても念仏称えなくても救われるし往生浄土出来ます、で良くないか? 全てが人間側の意思では無く阿弥陀仏側からアプローチなら
何故阿弥陀仏を信仰する人間と阿弥陀仏を信仰しない人間に分かれるのか説明して下さい
阿弥陀仏に全ての者を救う誓いが有り、全ての事象が阿弥陀仏からのはからいだとするならば
すべての人間が阿弥陀仏を信仰してないとおかしくないですか? 「すべてのものを救う」という誓いは、あくまで「可能性」を説いたものであり、
必ず起こりうる現象を説いたものではないんだろう。 >>928
>阿弥陀ということは仏縁無量やん
さっぱり訳わかりません
仏縁無量の説明お願いします
>信じてなくても仏縁無量の世界にいることは変わらない
信仰とは関係無く諸行無常の方は何となく理解出来る
信仰しなくても仏縁無量の世界にいるの部分は理解不能ですね もうね、「仏縁無量」って言いたいだけだよね。
とりあえず、阿弥陀如来を褒めておけばいいだろ?みたいな。 蓮如さんとかでも念仏は「南無阿弥陀仏の相、すがたを心得る」のが肝要なことだと言ってる
>信仰とは関係無く諸行無常の方は何となく理解出来る
理解があって助かる
仏縁無量、というのが分かりにくいならこれから頂く仏縁の数は無量、無数、那由多である、と言い換えてみればよし
仏縁てのは自分の生きる姿勢や態度、スタンスを新しくさせてくれるご縁ってことですよ 人生における様々なご縁を何故わざわざ「仏縁」と表現するのですか?
ただの「縁」で良くないですか?
何故阿弥陀仏に結び付けたがるのか謎です >>938
ここは中外関係なくワンワン吠えるのが伝統だからな 領解文を本心から唱えてる坊さん、いるんか?
暗記してただ声に出してるだけだと思うんやけど。
教えてえれぇひと できるだけ早く誤り認めて事態の収拾を図ったほうがいいんじゃないかな?
立教開宗800年にとんでもないミソをつけたもんだ あと勧学寮全員辞任な、君津の寺に逃げた元寮頭は謝罪しろ 「我々は凡夫でした」の一言で終わる問題を先延ばしにするようなら
浄土真宗を名乗る資格無し 凡夫だったと落胆するほど修行に打ち込んできたわけでもなかろう 雑行雑修なんかやったこともない坊主ばかりのくせに、雑行雑修を振り捨てるとか意味不明。
常日頃の説教で頭ごなしに否定してばかりの自力心も、微塵も生じたこともないんだろう。
「仏法は鏡だ」とかいいながら本当に我が身に照らして考えてるのか?
今後は「一心に阿弥陀如来〜」から唱え始めろ。 >>945
心から同意する。
いわゆる「修行」を一度でもいいから経験するべき。
その上で、「我々には困難である」といった表現をするほうが説得力が出る。 >>946
おうおうw
自衛隊、、ですらなくブラック企業かなにかそこらへんの、体験学習を2, 3日学習してきた人たちが、適当にほざいたような内容やんけw
ようも「心から」同意したもんだw > 人生における様々なご縁を何故わざわざ「仏縁」と表現するのですか?
> ただの「縁」で良くないですか?
意味が全く変わるじゃん?
縁に対し自覚的な姿勢があるかどうかを問い示す言葉になるんよ
つーか、仏だって阿弥陀だってただの言葉だよ、ただの意味のある単語だよ
善導さんは帰命無量寿覚と言ってたそうだし 真宗僧侶「雑行雑修をしなかったんじゃないんです!
阿弥陀様のご縁によって最初からする必要がなかったんです!」
とか言いそうw >>948
仏縁の仏がただの言葉なら「縁」で良いだろう
>仏縁てのは自分の生きる姿勢や態度、スタンスを新しくさせてくれるご縁ってこと
何故「仏」と結び付けたがるのか謎
これの説明をして下さい
自分の姿勢や態度やスタンスに影響を与えるご縁が何故「仏縁」と表現するのか
しかも>>928に「信じていなくとも」と書いてあるし
信じてないのに阿弥陀仏を結び付ける所が矛盾しか無い >>950
まぁ、仏教にはそう言う考え方もあると軽く捉えたら良いと思います
(信じてなくても)の部分は私にも理解できませんでしたが
>>948
生きていれば姿勢・態度・スタンスや物の考え方が変わる出来事や出会いはあると思います
それを敢えて仏縁と言ってるのだと思いますが悪い方へ影響する出来事や出会いも多々あると思います
それも仏縁と言いますか? >>940
領解文なんてもう形骸化しているし新旧ともに欠陥が指摘されているから
このまま存在自体がフェードアウトするほうがいいと思うわ。 領解文の話は確かになんか今回反応が鈍いね、東もそれ以上に反応が鈍い組織なんだけんども
> 仏縁の仏がただの言葉なら「縁」で良いだろ
言葉だからせめて大切に使おうやって話だよ
「水泳」の「泳」はただの言葉だから「水」でいい、くらいの乱暴さだよそれは
> 自分の姿勢や態度やスタンスに影響を与えるご縁が何故「仏縁」と表現するのか
>悪い方へ影響する出来事や出会いも多々あると思います
> それも仏縁と言いますか?
いつものことだけど、時系列をごっちゃにすんなし
縁自体は良縁もあれば順縁逆縁もある、縁起そのものは元々無我にあるものでしょ、良い縁であれ悪い縁であれ信じる信じないとかいう知覚以前に現在するものなんだから
その、任運に法爾にこの境遇に落在せるその縁が良いものであろうが悪いものであろうが、自身を自覚に向かわせるものであればそれは目覚めの縁、でしょ?そして自覚、目覚めという意味の単語がBUDDHA、仏なんだからそれを仏縁と呼ぶわけで
これは純粋に国語の問題
質問の建て方自体が間違ってるんだってば
自身の現状を認識できてるかどうか、ということがあって、そういう自覚問題から結果的に常に逃げ回ってるのが凡夫、我らなわけじゃん?これは出家在家関係ない。まあ自分は逃げてない、って人もいるんだろうけど
縁と仏縁ってのはそれだけ意味内容の違う言葉なんよ >>954
いや仏教ではそう考えると言うなら問題無しなのですよ
信仰とは関係無く「信じてなくても」と表現してる所が謎過ぎる
貴方は仏そのものを信じてなくても「仏縁」だと言い張っているんですよ?
>「水泳」の「泳」はただの言葉だから「水」でいい、くらいの乱暴さだよそれは
これは流石に無茶苦茶な返答だと思いますよ >>835
親鸞本人が言ってるじゃん
本師源空現れて浄土真宗ひらきつつって > いや仏教ではそう考えると言うなら問題無しなのですよ
> 信仰とは関係無く「信じてなくても」と表現してる所が謎過ぎる
> 貴方は仏そのものを信じてなくても「仏縁」だと言い張っているんですよ?
いや、この宗教だからこう、という話でなくてね
例えば「縁」という言葉と「縁に対し姿勢をあらためる」という言葉をごっちゃ混ぜこぜにして会話してたらそっちも混乱するっしょ?
そんでまた「仏」という言葉も「目覚める」「自覚する」という意味の単語なんですってば、信じる信じないもないそういう言葉です、宗教関係ない
> >「水泳」の「泳」はただの言葉だから「水」でいい、くらいの乱暴さだよそれは
> これは流石に無茶苦茶な返答だと思いますよ
申し訳ないが、そちらの仰ってることがそれくらい混乱してる無茶苦茶なことなんだって話っすよ
縁って言葉に対し、仏、覚ってのは人がいないと成り立たない言葉ですやん 【仏縁】
・仏との縁
・仏のお導き
何かをキッカケに考え方が改まったり
誰かとの出会いで道が開けたり
ある出来事を境に心を入れ替えたりする事は誰にでもあり得ること
それを一般的には仏縁とは言わない > 【仏縁】
> ・(目を覚まし、自覚すること)との縁
> ・(目を覚まし、自覚すること)へのお導き
>
> 何かをキッカケに考え方が改まったり
> 誰かとの出会いで道が開けたり
> ある出来事を境に心を入れ替えたりする事は誰にでもあり得ること
>
> それを(目を覚まし、自覚すること、について)の縁と(言う?言わない?)
代入してみたっすよ。声に出して読んでみるのデス
仏、という言葉の意味をちゃんと確認しようとせず一般的な解釈に限定して読もう読もうとする理由がようわからんのですが
「悟り(覚り)とは自覚、覚他である」とか聞いたことないっすか?「慚愧」とか
仏を得る、悟りを得る、覚悟するとかいうことの意味内容を抑えとかないと。一般的な解釈で読んだら一般的な解釈しかできないのは当たり前じゃないっすか 仏縁は様々な出会いと関わりから気付きを得てさらに悟りに至り、真の人間の生き方を始めた時に仏縁となるのでは
縁はなんでも誰でも縁とと信じれば縁だけども、縁を活かせる活かせないは人それぞれで活かせた人には仏縁と思える
活かすとは気付きと悟りから高い境地に進むことと考えてるけどどうかな
仏教は詳しくは知らんけど 言葉を一般的な意味で解釈することについて。
例えば「妙」っていう言葉があるっすね
妙有、妙法、妙覚、
阿弥陀経には微妙音ってのがある。かすかな風が織り成す自然法爾の葉擦れ、鳥たちの声の微妙な音は、まるで百、千種類の楽が同時に倶に作されているが如しである、みたいなやつ
妙、てのは人間の想像できない、想像と外れた、という意味
微かなたえなる音、が「微妙音」、仏のたえなる法だから「妙法」、思いを超えて素晴らしい料理が「微妙(みみょう)な料理」
仏智を前提とすると「思いを超えて素晴らしい」という意味になる
人間が前提となると、思いを外れた、想像できない、という言葉の意味合いが変わる
「妙だな…」というのが異変を感じた時の言葉になる
「微妙な料理ですね」と言ったらまあマイナスの意味で想像通りでないものですね、って言ってることになるわね
一般的な言葉の意味だけを頼りにしてると、特に仏智に関わる言葉とかの解釈はわけのわからん中身になってしまう可能性があるんでないですか > 仏縁は様々な出会いと関わりから気付きを得てさらに悟りに至り、真の人間の生き方を始めた時に仏縁となるのでは
> 縁はなんでも誰でも縁とと信じれば縁だけども、縁を活かせる活かせないは人それぞれで活かせた人には仏縁と思える
> 活かすとは気付きと悟りから高い境地に進むことと考えてるけどどうかな
素晴らしいことだと思います、そして高尚にお上品に考える必要は無いと思うっすよ
家族やら周囲の人やモノ、また自身への姿勢に違いが出ればそれが凄い事だと思うんです
縁なんか活かせないのが普通ですから >>959
>一般的な解釈で読んだら一般的な解釈しかできないのは当たり前じゃないっすか
今さら何を言ってるのですか?
「信仰関係無く」とか「信じていなくても」と書いたのは貴方の方でしょう
「信仰関係無く、信じてなくても」=一般的な考えだと思いますが違いますか
だから「仏教でそう考えるなら問題無し」と書いてます > 「信仰関係無く」とか「信じていなくても」と書いたのは貴方の方でしょう
> 「信仰関係無く、信じてなくても」=一般的な考えだと思いますが違いますか
いや、なぜそこで混ぜる
信仰関係ない、言葉としての元々の意味 例「妙(たえ)なる」
と
一般的な該当言語の意味 例「妙(妙)だな…」
が乖離してるね、全く別の意味になってるね、という話をしたつもりなんだけど
なんで混ぜたの?
> だから「仏教でそう考えるなら問題無し」と書いてます
宗派によって意味内容が変わるような話をしてるんじゃねえんだよ? >>927
確かに自力だ他力だと大騒ぎしてるのはいつも人間側で阿弥陀仏にしてみたらどうでも良い些細な事かもしれませんね。
特に>>913みたいな捻じ曲がった他力論を見ると親鸞様も苦笑いしてる気がします。 仏縁の仏という文字に仏教そんなに熱心でなく世間並みな自分には特殊な意味はないなあ
ただ、ご縁で助かったとか出会いが後の人生を決めたとか、そういう前向きなものには感謝の意味を乗せて思い返せば仏縁、要するに不思議な縁くらいの使い方してますね
もしも神仏が全ての出会いを操作するか意図的に介入してるとかが事実なら全ての縁は、仏縁と改めて言わずとも尊く、なんとか活かせねばならないものだなあと
親子の縁とかね、最近のニュースはこれヤバイのが多いように見えるし
縁を活かせた人は強運の人でしょうかね 現実を見ると、浄土真宗関係者でない人間のほうが圧倒的に多くて、
彼らにとって阿弥陀如来の仏縁なんてあるのだろうかと思いますよね。 阿弥陀様は当然ながら、お釈迦様をはじめとする諸仏から善悪凡夫人に至るまで、誰にでも報恩謝徳が出来る真摯なお心の持ち主であれば、仏教各宗派や浄土真宗の東西を問わず、真の浄土門信徒であるのではなかろうか。そして、それは即ち悟りの境地であり、現世でそこに至られたのはお釈迦様ただ1人であるとされている。法然様も親鸞様もそれにお気づき遊ばれ、万人への報恩謝得を体現されるも、現世においては拭いきれない煩悩の吐露をもってして他力信心の教えを推められたわけだ(菩薩が凡夫救済に下階に降りなする様と同じく)。
そこ(誰の教えに重きを置くか)に生じる各仏教宗派のジレンマが宗派や教義の分裂・軋轢に繋がっている。
そう考えると、親鸞様が和を強調する聖徳太子を崇拝されたことは非常に頷ける。 正信偈を初めて学ぶのにおすすめの本はありますかー? >>968
浄土真宗って悟りを得た人間は釈迦のみって立場なん?
お釈迦さまを特別視するのは理解出来るけど
それってある意味お釈迦さまを貶んでないか?
「お釈迦さまがお説きになられた教えでは誰一人悟れません」って言ってるのと同義だ >>972
現世における「仏」は釈尊のみでしょう。
釈迦牟尼仏の次に娑婆世界に現れる未来仏として弥勒仏(兜率天で修行中の彌勒菩薩)があります。
阿羅漢など「悟りを得た」に対する捉え方は様々ありますが、浄土教では凡夫がその位に到達することは
非常に困難であると考えます。
また浄土教の篤信者を「妙好人」と称することがありますが、これを「悟りを得た」とするのは違うような。
>>972さんの考えられるところの「悟りを得た」とはどのような人のことでしょうか? 宗派によって弥勒観にもいろいろあってこんなのも参考になるかと
親鸞の弥勒観とその背景
川元 惠史(著)
印度學佛教學研究 61 (2), 620-623, 2013
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ibk/61/2/61_KJ00008610161/_article/-char/ja/ >>973
>>>972さんの考えられるところの「悟りを得た」とはどのような人のことでしょうか?
逆に貴方の「悟りを得た」とは
どのような人の事ですか?
56億7000万年の期間に誰一人悟れないなら
それは100%誰も悟れませんと言っているようなものですね >>976
私にとって「悟りを得た」人とは娑婆世界における釈迦牟尼仏や
西方極楽世界における阿弥陀仏を指します。そういう信仰ですから。
それでは再度問います。
>>976さんにとって「悟りを得た」とはどのような人のことでしょうか? パーリ仏教、大乗仏教のどちらにおいても「仏に会うこと」が、
成仏を志す、つまり菩薩となることの必須条件となる。
釈尊滅後の「無仏の世」において、一世界一仏の大原則がある以上、
パーリ仏教の考え方では弥勒仏の出世まで仏に出会うことが出来ない。
これに対して衆生が菩薩となることを理想とする大乗仏教では、
現在十方世界に諸仏が存在することを説き、
今からでも仏に出会うことができること、そして菩薩となることを説く。
浄土教も「仏に会うこと」を前提とし、菩薩となった上で仏となるする教えなんだなと
以下の論文を読んで、念仏の教えに出会えたことに改めてありがたく思った。
菩薩になる条件と祈願 - 南伝と北伝の比較
勝本 華蓮(著) 日本仏教学会年報 (70), 97-109, 2004
https://nbra.jp/publications/70/ >>977
釈迦と弥陀ですみたいな回答では無く
どう言う状態の人間を「悟りを得た人」と呼ぶか具体的に教えてくれませんか? >>978
>パーリ仏教、大乗仏教のどちらにおいても「仏に会うこと」が、 成仏を志す、つまり菩薩となることの必須条件となる。
その「成仏を志す」とはどの様な状態になる事を志すのですか? 「私は親鸞様に聞いてきた」かのような言い方しているけど、大丈夫なんですか? >>968 親鸞様が和を強調する聖徳太子を崇拝されたことは非常に頷ける。
【衝撃】聖徳太子に隠された謎に迫る│茂木誠
https://www.youtube.com/watch?v=TKYpKFxLzek 瞑想している人の脳波を調べるなど自然科学的アプローチをしている人もいるが、
自分は特にそういうのには興味がないな。
歴史上の人物としての釈迦についての研究もあるけど、そういうのと自らの信仰を
混同することもないな。
信仰で扱われる領域と科学で扱われる領域とは異なり、それらを混同すべきではない
と論じたのはヨハネ・パウロ2世だったか。自分もそう思う。
日本に生きる上では義務教育段階、遅くても十代のうちにそれらに折り合いがつけるべきだ
と思うのだけれど、年寄りになっても厨二病的議論から離れられない人もいるからな。 >>981
自身の信仰している仏教の視点からすると、「悟りを得た」状態とは、あらゆる迷い、煩悩を離れ、
煩悩より生じるあらゆる苦しみから自由となった状態であり、それを「仏」と呼びます。
>>982
「成仏を志す」つまり菩薩となることは「仏となることを目指す状態」を指し、
菩薩となる条件は北伝、南伝双方の仏典に説かれています。
詳しくは>>978のリンク先の勝本氏の論文を参照してください。
ここは学問板ではなく神社仏閣板であるので、あくまでも私は信仰上の視点で話を進めています。
>>978で示した勝本氏の論文にしても私は仏典に説かれていることを知るために援用しています。
それでは今一度問いましょう。
>>981さんにとって、どう言う状態の人間を「悟りを得た人」と呼ぶか具体的に教えてくれませんか? >>987
>あらゆる迷い、煩悩を離れ、 煩悩より生じるあらゆる苦しみから自由となった状態
私が思う「悟りを得た人」も貴方と大体同じですよ
一切の煩悩(ぼんのう)を断ち生死を離れた仏教修行の最高段階またそこに達した人 >>987
論文読みましたが「一世界一仏の大原則があるから釈迦滅後から弥勒仏の出世まで仏がいない」って部分は理解不能でした
一世界一仏の訳分からんルールがあるなら釈迦のみが仏で弥勒は仏じゃないと思います
また釈迦と弥勒の時期がズレてるから弥勒も仏でOKと言うなら56億7000万の間に別の仏が居てもOKとなります
しかも「智度論」には現在十万仏が存在すると言う部分も書いてましたよ
浄土真宗的にはお寺の阿弥陀仏は仏じゃないのですか?ただの木や金属で仏を模した物体ってだけですか? >>988
それならば仏教における一世界一仏という考え方、過去七仏と
未来仏である弥勒に対する信仰があることをご理解出来ると思いますが、
いかがでしょうか?
さらには>>972にある
>それってある意味お釈迦さまを貶んでないか?
>「お釈迦さまがお説きになられた教えでは誰一人悟れません」って言ってるのと同義だ
という問いかけに対する>>973以下の回答についてもご理解いただけると思うのですが、
いかがでしょうか? >>989
娑婆世界における弥勒仏の誕生までの「無仏の世」という考え方のみを説くパーリ仏教に対して、
大乗仏教には現世における十方世界多仏出世という考え方があります。
十方世界多仏出世を説く大乗仏教でにおいても、娑婆世界では未来仏である弥勒仏誕生までは
「無仏の世」になります。
だからこそ浄土教においては「無仏の世」である末法を踏まえた上での往生浄土を説きます。
仏教の入門書でもそれくらいまで突っ込んだ内容を論じているものもあると思いますが、
仏教関係の入門書を読まれたことはありますか? 本を読んだだけの頭でっかちな人達の仏論より座ってる人にでも聞いた方がマシだと思うがね >>990
「悟りを得た人」の定義は>>988の回答で問題ありませんでしたか?
一切の煩悩(ぼんのう)を断ち生死を離れた仏教修行の最高段階またそこに達した人
この回答は一般的な阿羅漢の説明文ですよ >>993
釈尊を表す言葉の一つに“arahant,arhat”があります。
また初期仏教経典中でも古層に属する韻文経典に、仏弟子のことを
「ブッダ(釈尊)に従って覚った者(buddhaanubuddha)」と見出すことも出来ます。
しかしながら教団の組織化に従い、「仏(buddha)」は基本的に「釈尊」を限定した呼称となり、
舎利弗や目連といった高弟でさえも「ブッダ(buddha)」と呼ばれることはなくなります。
私が「悟りを得た人」という意味で用いている「仏」は、釈尊と大乗仏教における十方世界多仏を
指します。
>>993さんは釈尊などを意味する「仏」と弟子などにも用いられる「阿羅漢(arahant,arahat)」とを
区別して論じておられますか? 同じものとして論じておられますか? 一国一釈迦とか、真宗のお坊さんはそんな事考えながら仏教やっったの、へーすごいねー。
今度近所の真宗僧侶に聞いてみよう。 失礼、「一国一釈迦」じゃなかった、>>995のレスは無しで。 親鸞と同じ時代を生きた法相宗の貞慶や華厳宗の高弁も弥勒信仰を持っていたし、
空海の御遺告の一節に
「吾れ閉眼の後、兜率天に往生し弥勒慈尊の御前に侍すべし。
56億余の後、必ず慈尊と御共に下生し、吾が先跡を問うべ」
とあるように、念仏往生を説く専修念仏の教え以外にも「無仏の世」を意識した信仰が
日本において広まっていたことは明らか。そんなに難しいことかな。 >>994
貴方が定義した「あらゆる迷い、煩悩を離れ、
煩悩より生じるあらゆる苦しみから自由となった状態」が仏ならば
仏=阿羅漢でしょうね 「悟りを得た人」=「あらゆる迷い、煩悩を離れ、
煩悩より生じるあらゆる苦しみから自由となった状態」=「一切の煩悩を断ち生死を離れた仏教修行の最高段階またそこに達した人 」=「阿羅漢」=「仏」となりますね
私はこの様に思いますし
貴方自身も「あらゆる迷い、煩悩を離れ、 煩悩より生じるあらゆる苦しみから自由となった状態」が「悟りを得た状態」だと定義してますね >>997
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