【無惨】X68000はMSXになぜ負けたか?【惨敗】
電波は劣化移植をぼろクソに貶してたけど、自社製品だったからこそできたことだろうな 電波の移植もいうほど完璧ではなく、目コピだよりだったのでしょうもないミスが出てたりしたがぺけろっぱユーザーは目を背けていたな
ROMカートリッジやCD-ROMでカジュアルコピーを防げた他機種とかめっちゃ売れていてコピーが同じくらいの比率で出ていても収益がしっかり出ていた他機種とかと事情が違ってソフトメーカーががんばっても稼げなかったのも痛い ゲーム目的で出せる金額で買える機種がMSXだっただけだろうな
そこまでゲームにのめり込んで金出せる人は少ない
MSXのゲーム程度でも楽しめてる人は多かった
誰が40万円、50万円だしてゲーム機買うかよ パーソナルコンピュータ史(wikipedia)
日本国内のパソコンの出荷台数が初の減少に。
前年1990年に出荷台数がいったんピークを記録し206万台となった。
1991年は190万台に減少し停滞時期となった。
翌1992年も減少が続き、176万台。 二年連続の出荷減少に続いてのコンパックショックと
国内パソコンは消費者に1990年にピークを迎えて見限られてしまってたタイミングだった訳だな 1992年までと1993年ではパソコンを取り巻く状況が全く違うな
1993年は国内パソコンでも486がメインになり
Windowsが実用的に使えるようになった MSXが失速したのはスーパーファミコンが出たからじゃないか? 初代MSXはぴゅう太にマトモなBASICを積んだようなシロモノで安かろう悪かろうのイメージが定着したがこの価格帯しか買えない層には大いに売れた
MSX2はスプライト、スクロールが中途半端で色数以外完全にゲーム機に負ける性能だったが爆安機のおかげで大ブレークした
2+はFM音源は2オペ、静止画のみ多色で魅力が薄いにもかかわらず価格が上がり、新規購入層の激減とユーザー離れの原因になった
ターボRはCPUのみの進化で誰もが期待したグラフィック、サウンドは進化が無く、さらに価格は10万近くにもなり、心中目的で買い替えるMSX信者のみが対象となった
これらの要素が複合して衰退していった