MZがX1/X68Kに勝つ方法はなかったのか?
,一-、
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■■-っ < んな方法はーない
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| У.. | しれっとMZ-5500系をIBM PC互換のハードウェアにすれば勝手に売れたんじゃね? >>4
当時の素のIBM PCのスペックじゃ日本語まともに扱えないけどどうする? そこはJ3100方式で漢字ROM内蔵、CGAに400ラインの漢字表示モードを追加かな 今度カウンセリングも
受けましょうねー
(´・ω・`)
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/ \⌒)__(_ノ\ 診断出ました
「君うつ病ね、診断書書くから休職してね。お薬出しておきますねー」 MZ-1500の後継機を86年までに出していればひょっとしたら…
スプライトとハードウェアスクロール機能、3.5インチFDDを搭載して7万以下で出せば恐らくメジャー機種になってたはず ,一-、
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■■-っ < んなこたーない
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| У.. | 奈良と栃木の争いが無ければそれだけでワンチャンあった件。社内にライバルとかギャグだろ(笑) >>10
いや可能性はあったよ
84~85年辺りでスプライトとハードウェアスクロール機能を持たせた低価格パソコンが出たらワンチャンあったはず
まず電波新聞社がアーケードのアクション系を移植しまくる 84~85年辺りで88系、X1系、FM系の上位互換モードを持ち
なおかつその機種の独自ネイティブモードにはスプライトとハードウェアスクロール機能があり
しかも各機種の上位互換モードからもその独自機能にアクセスできる
そして3.5インチFDDを2基搭載して1万以下の低価格パソコンが出たらワンチャンの可能性があった
バカクセー
たらればの話でしかないね
上記はわざと大げさに書いたわけだけど
あんたの話も同様な架空話でしかないよ
可能性はあったよ、可能性はあったよ、可能性はあったよ、
と現実にはなしえなかった可能性をいくら語ったところで
現実の過去が変わるわけじゃないし 世界戦略のMZ vs 日本のホビーパソコンX。
そもそも売れていたのはどっち? 2500出してホビーも行けるかなーっておもったら
全然売れなくて空気だった
あれなんでなの? MZのホビーは700と1500だろ?
2500はビジネスだと思った >>18
2500は出るタイミングが遅すぎだよ
1985年1月 PC-8801mk2SR
1985年10月 MZ-2500 FM-77AV
88SRから9か月!!!も遅れてきて今更MZ-2000シリーズの新機種かよ?って感じだった
あの時代の9か月遅れは相当な差だった
ライバル機は88SRだけなわけじゃないし88SR、FM系、X1系 この3機種に出遅れてきて追いつけないのは見えていた
でも天下をとるまではいかなかったけど性能の良さのおかげである程度のいいソフトは出たし
>>19
2500は最初はホビー機として出てきて後からビジネス機へシフトしていった印象 >>5
IBM PC互換機のグラフィックはMC6845要はX1で使ってたHD46505がCRTC
X1turboと同じに漢字TVRAMにできる
MZとX1なんて実際にパクリ合ってたんだから、そのままIBM PC互換機で漢字表示に使ってれば良かった
あんなバカ高いAXに乗るなんてするくらいだったなら >>9
自分もそれならワンチャンあり得そうなスペックと価格だと思う。
当時考えてみると、スペックは技術的に十分満たせる状況で、価格をそこまで下げられるほどコスト削減できたかは微妙だけど、現実離れした仮定ではないと思う。
身内にまさかの競合ライバルが居て、棲み分け的にホビー志向よりもビジネス志向寄りに傾けないといけない状況だったのが悲劇だった。気にせず両面志向戦略を貫けば良かったんだけど、とうとうMZ-2861でかなりブレて完全に迷走して自滅してしまい、SuperMZで少し浮上したのも束の間に言わずもがなあっという間にMZ終焉を迎えてしまった。
他社ライバル機種云々以前に、完全にコンピュータ事業部の戦略ミスが自滅原因であるのは言うまでもない。 事業部としてなら、ポケコンとの連動をして活かせなかったのがダメだろう
自社のリソース無駄にしすぎ
Xのテレビ連動もビデオ編集などとちゃんとできてなかったが、
ビジネスならポケコンやPDAやノートパソコンやらと連携して、最終的にスマホまで繋げられてないと MZ-2500と同時発売のMZ-1700
縦横スクロール、スプライト、320*200の256色、FM音源3音、3.5インチ1基搭載、家庭用TVもOK
別売りデーレコ、QDつければ1500/700/80kとの互換性もバッチリ
高解像度とビジネスもやりたい人は2500の方へ
さて、価格は?
99,800とかになっちゃうかな MZはいまだに「えむぜっと」と呼ばれているだろう
だがCZは誰も「しーぜっと」とは呼んでない
本当の勝者はどちらかはっきりしているだろう MZと御三家では対象としている層が違った
X1を含む御三家がグラフィックやサウンドを含むホビーユーザー、ゲーマーも対象にしたのに対して、MZは2200に至るまで頑なにプログラミング研鑽派のみをターゲットにしてたからな
LOGOが動く、PASCALも動く、マシン語環境も充実してクリーン設計でフレキシブルに対応できるみたいな
それでカラーグラフィック軽視、80Bとの互換性ほぼ無しでも通ってきたわけで
1500/2500からはモロにホビー、ゲーマー向けになったがソフト市場(特にゲーム)は御三家+MSXで出来上がってたな >>27
>>だがCZは誰も「しーぜっと」とは呼んでない
え?
CZを「しーぜっと」と読まなくて
じゃあなんて読むのさ MZ-2500の出た時には2000/2200のソフト市場は完全に干上がっちゃってたからな
この期間の無策、放置こそMZ一人負けの原因
現に80Bはあんなに高くても売れてたしな 当時の8ビット機、機種選定の基準
1.ソフト充実度(旧機種との互換性含む)←これ最重要
2.グラフィック性能
3.サウンド性能
4.CPU性能
5.その他ゲーム/ホビー性能(スプライト、PCG、スクロール、AV機器との統合など)
あとは何より価格との兼ね合い
2000/700でこの流れに大いに逆行したのが凋落の原因
MZが声を大にして宣伝していた言語、システムソフトの充実度なんて歓迎するのは極小数派になっていた >>29
「えっくすわん」、「えっくすろくまんはっせん」と呼ぶのさ MZがマイコンなままのノリでホビーパソコンなんかやってたので、
勿体無いちゃんとホビーなX1を出してやるってなったのも分かる
MZは全部拡張スロットでやってれば良かったのでは?
8スロットくらいのでグラフィックも拡張ボードに乗ってたのならIBM PCのようなもんであの仕様も問題ない マイコンなままのノリで売れたのがギリギリ80Bくらいまでだったんだろうな
それからの1年でゲーマー/ホビーユーザー向けに市場が大きく変わった
その風潮にうまく乗っかったのがX1 MZは御三家と競って負けたんじゃなくて自滅だからな
2000が最初からセパレート、カラグラ対応、80B完全互換
700がメモリ32KBでいいから(後で64KBまで拡張可)もう1万高くしてでも320*200の8色で出てればなぁ
御三家には勝てなくても四天王の4番目の立ち位置は保てたと思うぞ
82、83年にカラグラ無し、グリーンモニタ、旧機種のソフトも使えないなんてマシン誰が買うよ MZは正当な嫡男だけど地味すぎた
分家の小倅は、赤や銀で派手でさぁ。シュッとしててハンサムだったんよ 81年 PC>>MZ>>>>>BM>>その他
84年 PC>>超えられない壁>>FM>>X1>>>>超えられない壁>>>>MZ>>>>その他
86年 PC>>超えられない壁>>X1>>FM>>>>超えられない壁>>>>MZ>>>>その他
※MSXは価格帯が違うので別扱い 没落後のMZは(俺れはここからしか知らんが)御三家よりパソピア、SMC、FP、MULTI8なんかの超マイナー機種の方が距離的に近かった
なにぶん84年位にはソフト売り場でもごく少数で片隅に追いやられてたし、先輩の話を聞いて本当に2、3年前はメジャーなシリーズだったのか?と想像もつかない惨状を不思議に思った。 >>37
メーカー内の各種モデル全無視で、MSXだけ価格が違うとか比較がおかしくないか? 81年のPCは80/60、84年と86年は88で間違いあるまい
MSXは専用モニタいらんからね。出費は高級機の6分の1、中級機の4分の1くらいですんだ 市販ゲームはやらない、グラフィックもいらない、サウンドも興味ない、旧機種とのソフト互換性あっても無くても別段かまわない
クリーン設計でフレキシブルに言語チェンジと言語アップデートによる恩恵を受けながら、未来永劫プログラミング言語の勉強だけをしていきたい。
そういう人のためマシンですMZは(1500以前) >>40
家庭用テレビにつなげられるものもあったんじゃないかな。PC-6001とかMZ-700とか
MSXはカシオのPV-7とかは安いけど、CF-3000、CF-3300なんて中級機と変わらない価格だし、MSX2の初代世代も高かった
まぁ、ヒットしたFS-A1はすごいよね。コスパでぶっちぎってる MZ-700テレビにつなげたことあるけどボケボケで見られたもんじゃなかったよ
MSXのRFなんてレベルじゃない
このクラスといえども事実上モニタ必須 >>0037
MZ擁護するわけでもないが84年と86年のMZとその他の間にも一応超えられない壁はあった
1500も電波新聞社を中心にそこそこゲーム出てたし2500もメジャーどころのゲームは一定数出ていた
ショップのソフト売り場でも御三家から大きく離された4番目の面積を少量ながら保っていた
SMCやパソピアあたりはソフト自体売ってなかったからな MZ-700はコンポジットビデオ出力は十分に良かったが、カラーRF出力は酷かったな
白黒RF出力と切り替え可能だったが、元々白黒前提でカラー変だったのでは?MSXと比較しても >>0041
>市販ゲームはやらない、グラフィックもいらない、サウンドも興味ない、旧機種とのソフト互換性あっても無くても別段かまわない
クリーン設計でフレキシブルに言語チェンジと言語アップデートによる恩恵を受けながら、未来永劫プログラミング言語の勉強だけをしていきたい
そんなストイックで危篤な奴、1000人に1人も居たかよ そんなだったから自滅したんじゃん
82年前半位までNECと人気を二分してたけど83年後半にはシェア急落、ソフト激減、誰も見向きしなくなって存在すら忘れられた
御三家、6001、MSXはちゃんと一定の支持を得ていた
80年代半ばのパソコンブームに乗って始めた奴らはMZの全盛期を全く想像できないだろうな 某スレより
>>それで君が、このスレにいる理由は何? 君のレスは薄気味悪い。 >>35
2000は本体だけだとグラフィック機能が「ない」という同時発売1200と同じキャラクターしか表示できないスペックは酷かったな
せめて80BとBASIC互換でグラボBプレーン基板だけでも標準搭載してくれないと >>44
85-86年はMZ-2500の店頭デモ機が電気店にあった。88*TRの時代
笑っていいともの番組中にCMも流れたらしい(ネットワーク接続を前面に出しすぎたイメージ映像で機種名も社名もわからない内容) >>49
グラフィック機能が「ない」とかカラーが使えないなんて許されたのはギリギリ80B/K2Eの頃(81年)までだったな
2000と700がシリーズ没落のA級戦犯。1200に関しては完全にいらなかったし >>52
それはまた別の話、古畑さんまじで凄かった
700に320*200の8色があれば6001MK2とガチで戦えただろうよ。80Kからのソフト資産もあるし X68000と同じようなMZ出してもしょうがない
2800のように敵の軍門に下るのではなく、矜持を保った後継機を出して欲しかったな AXなんかの弱小連合にくだってもっと酷いことになったな MZ-2000 1982年6月発売 GRAMオプション
X1 1984年10月発表 11月出荷 VRAMオプション
MZ-700 1982年11月発売
MZ-2200 1983年7月発売
X1C/D 1984年9月発表
MZ-1500 1984年5月発表
X1Cs/Ck 1984年5月発表
X1turbo 1984年10月発表
MZ-2521/2511 1985年9月発売
X1turboU 1985年10月発売
X1G 1986年6月発売
X1turboV 1986年10月発売
X68000 1986年10月「発表」
MZ-2500V2 1986年10月発売
X1turboZ 1986年12月発売
X68000 1987年3月28日「出荷」
MZ-2861 1987年4月2日発表、5月末出荷
X1twin、X1turboZU 1987年12月16日発売 ところどころ年代が違うような。X1初代って1982年じゃないかい MZ/X68ユーザーの視点で打ち込んだからX1は間違っていたり抜けてると思う MZ-1500とX1Cs/Ckはいい勝負なんじゃないか MZ−1500はPC−6001Mk2とガチ勝負機だったからX1CSとはクラスは違う
本体価格は4万くらいしか違わないが640*200が無いのとX1シリーズは事実上専用モニタ必須
その分1000文字PCGと6重和音PSGは強力だった MZ-1500は安くてけっこうよかったが
クイックディスクが任天堂のディスクシステムに妨害されて
製造中止にされたのが痛かった
その後、FM77AVが4,096色、3.5インチFDD採用で大ヒットして駆逐された FM-77AVは驚天動地の性能で8ビット覇者になるかと思われたが専用ソフト、売れ行きともFM-7程の大ヒットではなかった
結局そのFM-7を抜いて2番手になったX1を再び追い越すこともできなかったし
MZ-1500は77AVに駆逐されたとかではなく(クラス、価格帯も違う)後継機も出ずに自然とフェードアウトしていった
MZ-1700見てみたかったな 77AVは6809だったのが敗因だな
もう世間のCPU絞り込み始まっててZ80かx86じゃないとダメだった
マルチCPU対応ハードだったんだから8088CPUボードでも載せとけば成功したろうに惜しい >>63
>FM77AVが4,096色、3.5インチFDD採用で大ヒットして駆逐された
いくらなんでもそれは無い。77AVの不振は深刻だった。
アテが外れたAVユーザーは「なんで今だに8色のX1の方がソフト多く出てんだよ」ってボヤいてたし
それに1500はMZ自体がマイナー転落した後のマシンで、意欲的なハードではあったが6001MK2よりもシェアはさらに下だった
そもそもが他機種にトドメを刺される以前の話だったわけで >>65
>77AVは6809だったのが敗因だな
もう世間のCPU絞り込み始まっててZ80かx86じゃないとダメだった
確かにそういわれてるけれどFM-7の頃はあれだけソフトが出ていて、86年位には6809のソフト開発がプログラマからそこまで嫌われてきた理由がわからん
ま、俺はX1ユーザーだったから自分には関係の無い事だったけど、純粋に不思議 x86のセグメントの方がめんどくさくて嫌われてたぞ 究極の8ビットと言われた6809
プログラマからすればむしろかなり興味を引く存在だったろうよ
Z80より後発ゆえ、Z80より開発ツールが少なかったり慣れていなかったりで
苦手としたプログラマは多かったろうが
別に嫌われてはいなかったと思う データ交換ができる標準的なOSに合わせるってのが優先されだしたんだろう
ワープロ専用機ですら内部はCP/MやMS-DOSになったり
CP/M互換なMSX-DOSがX1turboにもマルチプラン用に使われたり
MSX-DOS/6809ってなOSでも作られてれば良かったのかも ChatGPTに質問したらザイロクは大量流通させたので激安となり資料も豊富だった回答 昔パソコンを作ってた所がいよいよ注目されそうだ。
X1でなくMZの方だけど。
どこのスレに書くべきか迷ってとりあえずここへ。 1500/2500はあの時期にしか出せなかったハードだとして、没落の直接の戦犯はやっぱ2000と700なんだよな
2000を引きずり続けてそっぽ向かれた2200も同犯
どれも時代錯誤度半端ない