独り言&雑談 part54
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
独り言スレです
雑談も可
荒らし・煽り・話が合わない人は「あぼーん」推奨
※前スレ
独り言&雑談 part53
https://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/hikky/1675891583/
VIPQ2_EXTDAT: checked:vvvvv:1000:512:: EXT was configured ノリ乙→1
しかし本当に疫病→世界大恐慌→世界大戦
の流れができてしまった
この間のサウジとイランの国交正常化でエゼキエル戦争もほぼ確定したようだ
7年後くらいにハルマゲドンか、、、、生きてるかな俺
YHWIはマヂで見たい 期末だけ配当狙いで銀行株もありかもしれん
しかし利上げすると日本の銀行は壊滅しそうだな
生保もだが… >>1乙
>>6
上の女の子いいな、下の動画もすごい
こういうの作るのに必要なPCの性能ってどれぐらいなんだろう 鬱改善に散歩してきたが帰宅してダラダラしてると〇にたくなってくるな、、、 創作もやりたいが今やってるゲームもクリアしたいのでサクッとクリアしてみたい 緊急事態条項がやヴぁすぎて鬱になるレヴェルでキケン >心臓を握りしめ苦しそうな表情の孤独死めっちゃ増える。一体なぜ・・ >GPT4、ヤバイ。手書きの仕様書を理解する機能が追加。画像認識どころか解釈まで何でもやりたい放題。 二時間か三時間くらいゲームしてたら画面酔いと咳が止まらなくて
吐きそうになってしまった、、、老いるショックかこれ メルカリに出品した冷蔵庫が売れる気配がない、、、このままだと有料で捨てることになりそうだ いろんなことがストレスになってボディブローのように心身にじわじわ効いてくるな
ChatGPT-4に頼ってみたい 3回離婚→モテ期で「彼女6人」の48歳・いしだ壱成、激変した現在…植毛手術でフッサフサ、若々しい近影
フサフサになりたい…
てか、画像でググると黒髪フサの頃も表示されるんだけど、
明らかにグレーにカラーリングした今の方が似合ってるな。オデコ広がっても。 クレディスイスさん、今日も無事暴落wWwWwWwWwW なおここが破綻するとガチのマジで第二のリーマンショックだけど準備はできてるか? [602840806] 資産規模77兆円の銀行だから、日本だとりそな銀行が飛ぶ感じか 幻の深海魚「リュウグウノツカイ」西日本を中心に連日目撃相次ぐwww関西人よ、逝く時は一緒やで [535650357] >裁判長は、被告が子どもの前で犯行に及んだなどとし、「被害者の尊厳を蹂躙する、人を人とも思わない卑劣極まりない醜悪な態様」と断じた。
>弁護側は「パワハラによる退職や借金返済で精神的に追い詰められた」と情状酌量を求めたが、
>「借金を整理すればよかった」などと退けられた。 非個人的なコンテンツ的な流行とかファッションの流行とかとは関係無いが
今の俺が振り返るべきというか再考すべき時代というのは
リーマン後の、サトシが唐突に現れた2009年
キプロスショックの2013年
個人資産のピークである2021年
リアルタイムである2023年
の4つの時代という気もしてきた クレディ・スイス、SNS型取り付け騒動 1.8兆円流出
2022年10月28日 預金者「クレディ・スイスは大きすぎて潰せない!大丈夫!」政府「クレディ・スイス、大きすぎて救済できない…」 [324074638] のりおsan 斎藤先生の「映画のまなざし転移」、おもしろいぞ 思ったよりも 庵野やノーラン作品の見方、のりおさんがどう思うか聞いてみたいわ >>44
まず俺はそもそも映画を殆ど見てないのと
映画というフォーマットがあまり好きじゃないというのがある
その上で、斎藤環の作品論みたいなのを過去いくつか読んだ範囲では、正直そこまでピンと来てない(旧エヴァを除いて)
のでタイパ的にもちょっと読めないし、3000円出すのも部屋に置くのもつらい なんかのりおとどこか口調が似てるような気がするんだが 俺は所謂評論や批評的なものを多少は読んでるけども
宇多丸とか町山智浩とかの「映画」に特化した作品論みたいなのはマジでピンと来てないので
映画に滅茶苦茶苦手意識がある
芥川賞とか本屋大賞とかこのマンガがすごいとかミュージックマガジンとかああいうのにも苦手意識があるが
じゃあ逆に何だったら苦手意識無いんだみたいな話にもなってしまうが… 正直、斎藤環の本は何冊かは読んでるけど
結構個人的に当たり外れがあるというか
ピンと来るテーマとピンと来ないテーマみたいなのが斎藤環にはあるんだよな ふと思い出したけど
俺は「アマゾンのレビュー」とかを意図的に読まないようにしてるけど
何か自分向きのレビューか自分向きじゃないかが読む前にぼんやりとはわかるんだよな…
レビュー文化みたいなのがあんまり好きじゃない、価格.comのレビューとかヤフコメとかみたいなのも
が、ある類の評論や批評やレビューは結構読んでる
その、ある類の方向性みたいなのがイマイチ言語化し辛い >>45
> 3000円出すのも部屋に置くのもつらい
映画1作品あたり3ページくらいなので立ち読みで頼む 例えばではあるけど
俺はファッションレビューみたいなのは滅茶苦茶読んでる
パリミラノコレクションのVOGUEとかWWDとかのレビューは全体の3~4割は読んでると思う
小説のあとがきとかにある作者以外の人の文書みたいなのも基本的には読んでる 正直、「好きな評論家」とかは結構居て
VOGUE Runwayって昔は「Style.com」ってサイトだったんだけど
スタイルドットコム時代にTim Blanksとかいう人がレビューを書いてたんだが
正直、俺の「ファッションの見方」みたいなのはTim Blanksの影響を(読んだ物量的に)どうしてもかなり受けてると思う
(その人は今は今はビジネスオブファッションでレビュー書いてるが)
あと、昔「ファッションニュース」って雑誌があって
そこで菊地成孔がショーの音楽に対するコラムみたいなのを書いてたんだが
それも結構熱心に読んでた
旧エヴァに関してはそれこそ斎藤環含むかなり色んな人の評論を読んだし
が、一方で
それこそ町山智浩とか宇多丸みたいに
メジャーにも関わらず何かほぼ全く影響受けてない評論家みたいなのも多い 斎藤環に比較的近いのは宮台真司とかだと思うけど
正直、宮台真司の作品論みたいなのは
半分ぐらいはしっくり来るが
もう半分はしっくり来ない、みたいな感じもある
しっくり来るものと来ないものの差は何なのかは自分でも曖昧ではあるが 最近はあんまり見なくなったが
AKBブームの頃に「アイドル論」みたいなのもよく見かけたが
その頃に斎藤環や宮台真司もアイドルについてチラホラ語ってたが
本当に斎藤環や宮台真司のアイドル論は全くピンと来なかった
が、勿論斎藤環や宮台真司全否定のアンチとかではない
半分ぐらいは肯定的に読んでる 近過去だと
斎藤環はルックバックとか鬼滅とかについても語ってたが
あの辺も基本全くピンと来なかった
流行りに便乗してるだけにしか思えないものがあった あ、ふと思い出したけど
You Tubeに「Kのファッション部屋」とかいうYouTuberが居るが
あの人の動画は滅茶苦茶見てる
一方で、俺は基本的にはげんじとかMBとか大山シュンとかの論みたいなのは好きじゃない
岡田斗司夫の解説とかもマンガ夜話時代とかも含め基本的には嫌いだし(が、「ぼくたちの洗脳社会」は良い本だったと思う) 俺は今でこそ洋楽を少しは聴くが
昔は洋楽が滅茶苦茶苦手で
原因の1つはベタに英語が苦手だったからだけども
もう1つとしては、ロキノンとかのあの「解説」の文章というか文体が苦手だったというのがある
TSUTAYAで洋楽CDとか借りると日本盤なのでライナーノーツがついてきたりするわけだが
あのライナーノーツの文章みたいなのが滅茶苦茶苦手だった
その苦手意識を克服するのに滅茶苦茶時間もかかったし苦労もしたが
あの「日本の洋楽界隈」に対する苦手意識と
映画に対する苦手意識は何か近いものがある気はする
ロキノンとか解さずに直で(?)聴けば別に洋楽が嫌いとかいう事もあんまり無いが
まぁ、音楽や映画に限らず
何か苦手なレビュー文化と、そこまで苦手でもないレビュー文化みたいなのがあるんだよな… 一概に言えないというか例外はいくらでもあるけど
俺は基本的には(狭義の)「サブカル」が嫌いなんだよな が、基本的には俺はかつてはSTUDIO VOICEをほぼ毎号買ってて
STUDIO VOICEとか直球のサブカルじゃないのか…?みたいな気がしなくもないが…
一方でクイック・ジャパンが滅茶苦茶嫌いだったり(エヴァ特集みたいな号は買ってたが) これはわりと俺のイデオロギーと連動してる気もするが
基本的には俺はリベラルだよ
が、日本の左翼が滅茶苦茶苦手ではある
要は「好きなリベラル」と「嫌いなリベラル」があるんだよな
この差は結構曖昧というか、線引きの基準が自分でもかなり感覚的なものになってしまってる あと、最近ちょっと考える事が増えたが
俺はどうも「好きな東京」と「嫌いな東京」があるなと
と、同時に
「結局俺は大阪人だな」みたいに思ったりする事も何か増えてしまったが
それでも大阪全肯定とかはありえないというか
「嫌いな大阪」と「好きな大阪」があるんだよな
所謂「如何にも大阪らしい大阪」みたいなのが俺は基本的には滅茶苦茶嫌いなんだよ
しかし、俺の中には着実に「東京を敵視する大阪人」みたいなメンタリティがあるなとか思う事が増えた というか
俺の「サブカル嫌い」は
多分大阪的なメンタリティから来てるような気もするんだよな…
「東京人がカッコつけやがって」
みたいな「標準語がムカつく」的な感じ(?)みたいなのがある気はする
かと言って、じゃあ吉本やお笑いや阪神タイガースが好きかとなると、別にそういうわけでもなく… と、いろんなものに対してスパッと割り切れないような所があるが
斎藤環に対してもそういう割り切れなさみたいなのがある
「好きな斎藤環」と「嫌いな斎藤環」があるとでもいうか
で、作品評論的な斎藤環はわりと「嫌いな斎藤環」サイドなんだよな… サブカルに関しては
スタジオボイスは「好きなサブカル」
クイックジャパンは「嫌いなサブカル」
なんだよな… あと、たまに思うけど
俺基本的に「鉄道」が滅茶苦茶好きと言えば好きなんだよ
車社会が苦手で、鉄道文化みたいなのを好いてると言えるとは思う
が、基本的に俺は電車や時刻表とかにはマジでほぼ全く興味無い
俺の興味関心は「駅」や「駅周辺」や「鉄道会社が運営してる商業施設」や「沿線」とかに偏ってる
何かそういう、あるジャンルの中での、興味ある部分と無い部分とに分かれがちな感じがある
鉄道に限らず、かなり色んなものに対して 何が言いたいかとなると
「斎藤環の興味無いサイド」にはマジで全く興味無い、という事が言いたいという事に尽きるんだが
斎藤環の興味あるサイドみたいな面には強い興味はある
斎藤環アンチとかではないわけだが という意味で
嫌いと言っても過言では無い「斎藤環の作品論」を気が向かないタイミングでわざわざ手間をかけて読むのは
撮りたくもない電車の写真を手間かけて撮らされるようなものと言える ニュージーランドで大きい地震あったようだが日本でこれから起きる天変地異の前触れかもしれん
頭痛とか耳鳴りはしないが身体が異様に重たくて地面に吸い取られてる感じだわ 人生の貴重な1日をこうして鬱々と過ごすのが辛いからゲームでもしようかな
仕事にならない 野球って一試合を最初から最後まで見るのに4時間はかかるから
まじで最強の愚民化ツールだと思う
むかし野球見てた自分に説教してやりたい とはいえ人生にとって有意義な時間の使い方ってなんだろうなあ?とは思う
解脱や悟りと答えるまでには達観してないし
ぶっちゃけ俺なんて今WBC見てるジジババと大差ないんだよなあ
大谷だけ気になるが大谷見るためだけに4時間は使えんわ 人によっては有意義な人生は人と話すことだったり1円でも多く稼ぐことだったり
たくさんの女とセックスすることだったりするんだが
結局等しく虚無的なのかもしれん、もちろん俺がやってることもそうだ
愚民化をしかけてるほうも、それにのせられてるほうもどっちも同じような存在かもしれん
全ては虚無なので 全ては虚無だと少し気が付いてきてもそれでも尚、悟りや解脱には心がむかない
煩悩にまみれてる、今日もゲームやってたあうあう なんかしらんがちんちんがぎんぎんになってる、それこそ中学生並みに
中学生の3倍は生きてるのに どれぐらいリスクを取って
どれぐらい回避するべきか
みたいなのの最適バランスは中々難しい しかし、妙に拘ってしまうが
斎藤環の「鬼滅論」とか「ルックバック論」は
基本滅茶苦茶酷かった記憶がほんま拭えないものがある エヴァは何かある種のエポックメイキングみたいな感じがあった気もするものの
斎藤環って基本的には作品評論家としては全く優れてないと思う 斎藤環のヤンキー論とかもそうだけど
あれ結構「ヤンキー論」としては酷いっちゃ酷いと思うんだよ(前も言った気がするが2000年前後の不良がスッポリ抜けてるとか)
じゃあ斎藤環のヤンキー論の何が良かったかというのは
あれは結構「ヤンキー先生や長田塾批判」の面が強いというか
あとは「YOSAKOI」批判の面が強かった
つまり「ヤンキーノリを教育に積極的に取り入れる事」に対する批判とかだった
ヤンキーを滅茶苦茶的確に論じるぞ、みたいな論というよりは
「なんで教育や政治はヤンキー化してるんだ?」みたいな論だった
まさにマイルドヤンキー論とでもいうか
ヤンキーそれ自体を論じてるというよりは「ややヤンキー化してしまう普通の人」について論じてた本だったと思う
要はヤンキー論とか本格的ヤンキー批判というよりは
大衆論や大衆批判の側面が強かった
つまり何というか、かなりの部分が教育論なんだよ
「ヤンキー先生や長田塾は良くない」という事がヤンキー文化を交えて延々述べられてた
「教育、あるいは精神的治療、あるいは引きこもりの社会復帰というのはそういう事じゃないだろ」
みたいな話で、それについては概ねかなり同意だった
が、ある種の文化論というか、作品論みたいなものとしてのヤンキー論としては
結構酷いっちゃ酷いと言えた気はする
でだけど、斎藤環がヤンキー先生やマイルドヤンキーを批判するというのは時代状況とか諸々で結構わかるものはあった
(結果的に2010年代はトランプを筆頭にポピュリズムの時代にもなったし)
が、斎藤環が鬼滅や藤本タツキや映画を論じた所で
正直そこまでの的確さや、あるいは何らかの洞察みたいなものがあるとそんなに思えないものがある
(例えばヤンキー批判にはトランプの予見みたいな先見性みたいなものがあったと思うけど、そういう鋭い洞察力みたいなものが鬼滅論やタツキ論や映画論にあるとは全く思えないんだよな…) 要はエヴァとかエグザイルに関しては
「エヴァが流行ってる、だからエヴァについて語るぞ」とか
「エグザイルが流行ってる、だからエグザイルについて語るぞ」
みたいな流行りへの便乗以上のものが斎藤環にはあったと思うけど
正直、鬼滅や藤本タツキを語る斎藤環にはそういったものは全くと言っていい程無いと思う
単に流行に乗っかってるだけ
バズってるコンテンツについて語ってるだけで
作品や時代や社会等々について的確な事を言ってると全く思えなかった(むしろ的外れな事を言ってると思ってた)
で、映画に対しても正直全くと言っていい程期待できないな…
藤本タツキとか芥見下々や中村竜監督とかが映画にフォーカスしがちだった昨今の風潮に乗っかってるだけにしか思えないし
そもそも中村竜監督の作品解釈自体が結構叩かれがちだった昨今からすれば「映画」に迂闊にフォーカスするのは何かきな臭く感じてしまうというか、どうしても何か危うさみたいなものを感じてしまう
「大事な事はそういう事なのか?」みたいな… 何で鬼滅や藤本タツキがあんなに流行ったのか
みたいな事に対して基本的に斎藤環は的確な事を言ってはいないと思うし(他に的確な事を言ってる人が居るわけでもないが)
何で藤本タツキや芥見下々は映画にフォーカスしてるのか
とかについても的確な事をおそらくは言えないと思う
そして、映画にフォーカスして何か不評を買ってたチェンソーアニメが直近であったりした中で
今、「映画」にフォーカスするのは果たしてどうなんだ?と不吉さを感じるというか
今のこのタイミングで映画に的確にフォーカスする事の難しさみたいなものを予感してしまう ハッキリ言って
今は映画というのは中々の鬼門だと思う
中村竜的な意味で ただ、個人的にチェンソーアニメに対しては必ずしもそこまで批判的では無いし
勿論藤本タツキや芥見下々のアンチとかでもない
ただ、重要なポイントを読み違える危うさみたいなものがあの辺のコンテンツには結構ある気がする
慎重さが求められるとでもいうか
解釈違いによるリスクがデカいとでもいうか なので
基本的に映画があんまり好きじゃない俺としては
よくわからん所に迂闊に踏み込みたくない 「斎藤環が映画を語って大炎上する」
みたいな事こそ多分無いだろうけど
基本的には不吉というか、嫌な予感の方が大きいものはある 三浦瑠麗とか成田悠輔とかも(結果的には?)そうだけど
危うきには近寄らずというか
嫌な予感がするものは何となく避けておいた方が普通にベターには思える 変な話、俺は近年の出版社の人文系の棚とかのノリみたいなものに不信感が結構あるとは言える 基本俺は近年の集英社の少年ジャンプに関しては
鬼滅やチェンソーに限らず
アクタージュとかロボ子とかサカモトデイズとか辺りも含め
基本かなり近年のジャンプ編集は良かったんじゃないかと思ってるけど
逆に、近年の人文系の出版に良い印象が殆ど無い 近年の青土社とかに関して言えば
「酷かった」みたいな印象は無いものの
正直「空気化してた」みたいな印象がある 俺にとって野球がどうでもいいように
今の俺にとっては斎藤環も映画もどうでもいい
興味ある人だけが野球を見て、斎藤環の評論を読んで、映画を見れば良い 基本的には俺はシン仮面ライダーを多分見に行くが
俺は「映画」を見に行くつもりではシン仮面ライダーを見に行かない
映画というフォーマット…まぁ宇多丸的なフォーマットとでもいうか
そういうジャンルの何かとして見に行くつもりは全く無い
かといって、TVシリーズの初代ライダーにも全く思い入れが無い
基本的には俺は庵野秀明のファンではあり
白倉伸一郎のファンでもある
という、ある種の作家性とかのファンではあるが
(その上で面白い可能性もあれば、面白くない駄作の可能性もあるが)
基本的にはこの2人はそこまでは「映画」の人じゃない
それぞれがかなり作風が違う特撮のキーマンみたいな感じに思えるが つまり、俺は庵野秀明をクリストファー・ノーランとかと同列には全く見てない むしろ、俺はシン・ゴジラやシン・ウルトラマンを「映画」として良い、あるいは悪い
みたいに位置づけてた近過去の風潮みたいなものこそにかなり不満があった
シン・ウルトラはある種の映画界隈の人である樋口真嗣の限界みたいなものを感じた気はするが
シン・ゴジラにしたって、あれは別に「良い映画」では全く無いと思う
1つの特撮作品としてはかなり良かったとは思うけど シン仮面ライダーは
「良い特撮」の可能性は無くはないが(悪い可能性もある)
「良い映画」の可能性は限りなく無いに等しいと思う
そもそも庵野秀明や白倉伸一郎に
「映画」として優れてる過去作って1作も無いとは思うし というシン仮面ライダー直前(あるいは見た直後)という今(近未来)の状況を込みで考えても
「映画」について考えるのは圧倒的に「今じゃない」感がある
庵野白倉的な意味でも、ドラゴン的な意味でも
むしろ今は「アンチ映画」的な気持ちこそが最高潮に高まってる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています