わいがヒキになった理由
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
このスレは自分史みたいなスレだけど
質問があったら自由に参加してね わいがヒキになった理由は
皆もそうだと思うけど、自己肯定感が低かったことだ 棲み分けも知らないようなガキが
くっさい自分語りはチラシの裏にでも書いてろ >>7->>9
おいおい、わいが立てたスレなんだから文句言うなよ
これから除雪して買出しに行くから
続きを書くのは午後2時過ぎになるだろうな 除雪が早く終わったから少し書くか・・・
>>8
自分語りしたくなった理由は
いつ死んでもおかしくない歳(61歳)になったからだ みんなもそうだと思うが
わいは誰にも過去や本心を語ったことがない
母親は数年前に亡くなったし
父親と姉は、そりが合わない
友人や彼女なんて居ないからね 35年前大きな事件を起こし刑務所に入ったことがある
親は、大人しいわいがそんなことするなんてと驚いた
それで、なぜそうなったのか手紙に書いたことがある
刑事や弁護士などにも語ったことがある
だけど若かったわいは、まだ自分自身を知らなかった 親父は90歳だが、親父が死んだら俺も近々死ぬことになる
親父は建設業だが仕事を手伝った期間がある
わいは跡取り息子だが
毎日死ぬことばかり考えてたので年金は未納だし貯金もない
稼いだ分で酒や風俗に消えたからね
それで自分語りしたくなったんだよ そういや、最近60歳のアニメおたくが両親を殺害した裁判があったな
あいつは親が酒屋をしてたので手伝ってた時期があるらしい
だが大学を中退した25から今まで母親以外は喋ったことがないらしい
わいは前科者だがあいつほど酷くはない
友達は居ないが他人と喋ることもあるからね
髪は白髪が殆どなくフサフサだし老眼ではないしチンポも勃つ
ただし、あいつのような髪型だったら俺も年相応かもしれないな >>17
恐喝未遂だよ
あの頃グリコ森永事件があった。それをマネたんだよ
初犯なのに実刑1年8カ月だった ブタ箱に入ったことのない人は信じられないかもしれないが
人生で一番あの頃が楽しかったな
あの時はじめて893を見たが
みんな楽しい人ばかりだった。生まれて初めて腹の底から笑った 893は筋の通った人が多かったが
それ以外は変人が多かった
そのうちの1人が絡んでくるので
生まれて初めて殴り合いの喧嘩もしたよ
殴られっぱなしだったわいが、殴り返したんだから
いい思い出だよ >>18
ショボ…
「大きな事件を起こした」
↓
なんていう事件?
↓
「恐喝未遂」
ショボ… >>21
わいは某企業に爆破予告をしたんだよ
それで新聞にも大きく載ったようだ
ショボ…というのは、そんな小さなこと気にすんなよ
という君の優しさだと解釈する ところで、わいの生い立ちだが
わいは北国の田舎で生まれ育った
両親と2歳上の姉、それと爺さんと婆さんが同居していた
親父は7人兄弟の長男だった 同居人が6人も居るが、話し相手は姉と母親だけだった
親父は経営者で忙しかったせいか相手にしてくれなかった
爺さんは寝たきりで何を言ってるのか分からないし
婆さんは母親が嫌ってるので、わいも近づかなかった 田舎だから遊び相手は姉しか居なかった
わいが、いたずらをすると姉は直ぐ母親に告げ口をした
姉がわいに、いたずらしても告げ口しないのに…
と言い返したかったが、わいは口下手なので我慢した >>25
それは田舎を出て都会に行ったのだが
仕事が続かず金が足りなくなった
それでグリコ森永事件を模倣したんだよ
金を奪えなかったら自殺しようかと思ったが
決心する前に刑事がアパートに来たんだよ とにかくわいは、こんな田舎が嫌だった
親父は本家で経営者だから長男のわいが継ぐものだと、みんな思ってた
わいは気が弱いし従業員の大工らの先頭に立つなんて無理だと思った
大工という仕事も嫌だったしね 先方への恨みは?
生活苦になるような日常生活の送りづらさはあった? >>30
先方への恨みなんてないよ
金が欲しかっただけだ
都会では普通に就職せず日雇い労働者をやってたよ 親はきちんとした会社に就職したんだと思ったようだ
わいは大人しいだけで不良とは真逆だったからね そうか...どちらかと言うとホームレスや日雇い労働者の街にいるような感じの人だね なぜ日雇い労働者かというと、自己肯定感が低いからだよ
普通の会社に就職するのに面接を受けるのが苦痛だった
自分を売り込むなんて無理だった
土方ばかりやってたが対人関係で続かす、やめては引きこもり
金が無くなったから別の会社で日雇い労働するという繰り返しだった なぜ自己肯定感が低くなったか?それは午後から書くよ 「対人関係で続かず〜」「面接を受けるのが苦痛」この辺はその前から問題抱えてた? はよ書けや
いつまでメシ食ってんだジジイ
お迎えが来たんか? わかったよ・・・
>>35の続きだが、わいが自己肯定感が低くなった理由は
姉の影響で内向的になったこと
親父からの遺伝でアスペだといことだ >>5で、小学4年生までは普通の少年だと書いたが
姉が中学に入学し、わいが5年生からおかしくなった 田舎なので近所に同世代の子供はいない
だから遊び相手は姉だけだったので
もろに姉の影響を受けてしまった 家にいる姉は男なさりな感じだが。一歩外に出ると内気な少女に変わった
わいと姉は小学校からずっと汽車通だった
(電車じゃないよディーゼル車だ、もう廃線になった国鉄だ) 無人駅のホームで汽車を待つ間、同級生の男子とじゃれあってた
その同級生は熊が出そうな山奥に住んでるので駅と学校でしか会うことがない
それを見た姉は、わいをにらみ帰宅後、母親に告げ口をした
「○○(わい)が、他の学生がいる前でふざけたから恥ずかしかった」
と言ったのだろう ID:RbeNDwSF0
ID:LkW3lzXk0
の言うことは気にしなくていい
ID工作しないと暴言書き込めないかわいそうな方々だ それで外でふざけることが急に恥ずかしくなった
あの頃は「ふざけたっていいじゃなか」とは言い返せなかった
姉に支配されてたということだ
おまけに母親も、なぜか姉についてた
学校には友達が居なかったから、姉と母親しか喋れなかった >>44
わいは気にしてないよ
これから炊事しなければならないので、しばらくしてから書くよ >>47
学力は普通だと思う
ただ中2あたりから近眼になりメガネを買ってくれた
だが同級生の男子でメガネをかけてる生徒は居なかった
目立つのが嫌なのでメガネをかけず中学高校と過ごした
板書できないから、どんどん成績が落ちてったよ
それでも良い事はある
クルマの運転でしかメガネをかけないから老眼にならなかったよ 思考力みたいな能力的な問題だが
企画やアイディアを考えるのが好きだった
そんな職に就きたいと思った
前にも書いたが、わいはアスペで内気だから
それは叶わなかったよ 学校では地理が好きだった
学校を終えると駅の周辺で一人遊びしたり
駅の待合室に貼ってある国鉄地図を眺めたりしてた
それで地理が好きになったんだと思う
小学4年か5年のことだ
社会の授業で手を上げて答えたことがあった
ところがその後>>43のような出来事があり
恥ずかしくて手を上げられなくなった それと絵を描くのが得意だった
家で絵を描いて過ごした訳ではないが
なぜか上手く描けた
将来、絵を描く仕事に就こうかと考えたことがあった
ところが「絵を描いたって儲からないぞ」という親父の一言で
その気がなくなった
そもそも絵を描くこと自体が好きなわけではないし
写真があるんだから絵が上手く描けたって何になる
と当時のわいは思った 逆に苦手な科目は体育だった
学校を終えると誰も遊びやクラブ活動に誘ってくれなかったし
駅の周辺で汽車が来るまで一人遊びして過ごした
帰宅後は姉と遊ぶのだが、姉もスポーツが苦手だったので
わいも体育が苦手科目になったようだ しかも、わいはアスペだった
当時はそんな言葉はなかったが
集団で行動すると一人だけ違うことをしてしまう
それが、わいだった
それで放課後、誰も遊びに誘わなかったのだろう 小学校の近くに交通公園という自動車教習所を小さくしたような公園がある
交通規則などを学ぶための公園だ
わいは、そこで自転車の逆走をしてしまい
「○○ちゃん違うでしょ」と女子に怒られてしまった
(同学年の女子から下の名前○○ちゃんと呼ばれてた) 小学5年の出来事だ
体育大会のリハーサルで男女が行進する練習をさせられた
どういうわけか男子の先頭になり女子と共に行進した
途中で先生が「次、右」と言ったのに、わいは左に行ってしまった
後の同級生らに「○○ちゃん何やってんだよ」と怒鳴られた
その日はとても熱い日だった
先生は「ったく・・・それにしても熱いな」と汗を拭いながら舌打ちした
運動会の本番は覚えてないので
たぶん先頭は、わいではなかったのだろう >>55
アスペルガーの診断は受けなかったが
他人と違う行動をしてしまうので、たぶんアスペだと思う
>>56
左右盲については、数年前にこの板で知ったよ
>>58のことを書いたら誰かが教えてくれたよ >>62
検査受けてアスペルガー症候群と認定されたら
障害年金が入るかもしれないが
認定されるまで、わいは生きているかどうか・・・ >>62
わいの愚痴を聞いてくれてありがとう
自分の過去をさらけ出すのは、きついことです
今日はこの辺で終わらせてもらいます わいも左右盲あるなー
いつもじゃないけど右曲がって!とか言われて左曲がったりする 私も左右盲ある
咄嗟だと逆になる
よく考えないと右がどっちか分からん >>64
具体的に困難なことあるなら伝えて障害年金受給できる程度なら時間かかってもやっておいて損はないよ
おつかれさま >>69
よく探してくるもんだねぇ
わいと同学年で同じ年に似たようなことするヤツが居たんだ
わいは北国の人間と書いただろ。別人だよ
地元の大きな図書館で当時の新聞を探すしかないよ
ネットでは無理だから、無駄なことはしない方がいい >>67
色々と心配してくれて、すまないね
>>68
年金未納だし、生活保護も無理だろう
とにかく今は高齢の親父を看取ってやることが先決だよ >>65
>>66
左右盲の人ってけっこう居るんだね
わいは左右を識別するのに「箸を持つ→右、茶碗を持つ→左」と確認して行動してるよ
右左より、野球の「ライト、レフト」の方が咄嗟に確認しやすい
わいは運動音痴だったからいつもライトを守らされたからね
(今は、そういう人はレフトを守るそうだね) 運動音痴と書いてしまったが
わいの場合は性格的な問題でそうなったのかもしれない >>72
いや、まず受診して相談してみたら?年金納付してきた人間が障害年金もらってるわけじゃないでしょ 小6の体育の授業でサッカーをやった
タッチラインに向かってボールが転がってきた
わいが一番近い位置だったのが
みんなに猛スピードで走る姿を見られるのが恥ずかしくて
とろとろ走ったらタッチラインを越えた
運動会のリハーサルで恥をかいて以来
目立つのが嫌だった
ハーフタイムでは1人の同級生に、こっぴどく怒られたよ ソフトボールや野球ではメガネをかけるのが恥ずかしくて
ボールを捕れなかった
だからアメトーークに出てくる運動音痴芸人より酷くはなかった こんなわいだが、中3までイジメられることはなかった
1学年40〜50人の田舎の学校だったからかもしれない >>77
やらないで諦めるよりやってみた方がいいよ 寂しいクリスマスは大金を積んで性風俗を利用するしかないのかなぁ🎄🏩💏 中学では校長の方針なのか知らないが、積極的に挙手させられた
たしか1クラス20数名が4つに分けられたと記憶してる
一番挙手しなかった班は放課後、反省会をさせられた >>50に書いてあるが、わいは積極的に手を挙げることができた
ところが2〜3年後にはそれが恥ずかしく感じる少年になってた 聞く限りはいい中学校だと思う
積極的に質問しろってことでしょ? だから毎日わいのせいで放課後、居残りさせられた
わいの他に大人しい男子1人と女子3人が反省会を開いた
女子3人は早く帰りたいから、わいに文句を言った
女子A「なんで手あげないの?」
わいは小声で「授業が分からないから・・・」
女子B「分からなくても、みんな手あげてるんだよ!」
そこに強面のD先輩が廊下から教室を見て
「何やってるんだ?」と聞いた
女子C「D君、○○ちゃんを殴ってやってよ」
わいはショックだった
女子Cは上品な感じの人で、そんなこと言う人ではないのに
D先輩は笑いながら去っていった
わいは地元の駅から家までの帰路「死にたい」と思いながら歩いた >>84
そうではなく、先生の簡単な質問に分かった人は手を挙げて
指されたら答えるということだよ こんなことが何日も続いたから、わいは問題児として扱われた それで増々自己肯定感が低くなったということだ
今から思えば、わいは強面の男(父親、同級生)には従うが
女(姉、母親、女子生徒)に対しては横柄な態度で接していた わいは自分でいうのも何だが、とても可愛い少年だった
汽車に乗ると高校生も乗ってたのだが
女子高生が「かわいい」と言って膝の上に載せてくれたことがあった それを姉が見てた
わいは姉や母親とは対等にしゃべるのに
強面の親父とは他人のような態度になり殆ど口を聞かなかった
姉は外では大人しいが家では男まさりな性格なので
親父とも普通にしゃべってた
それが姉にとっては面白くないのだろう
だから、わいが悪さをしたら直ぐ母親に告げ口をしたんだろう 今から思えば、わいの席は前だったはずだ
後の席なら、みんな手を挙げるのだから挙げてたはずだ
それと同じ班に居た男子は
強面の男子だったら状況は変わってただろう 今から思えば「こんなことで」と笑ってしまうが
当時のわいは首吊って自殺しようと本気で思った
しかしできなかった
それは数年前、爺さんの葬儀を思い出したからだ
遠方から父親の兄弟がやってきたり、地元の人達が葬儀の手伝いをしてたからだ
わいのせいで皆の迷惑になる
わいが自殺したら母親が父の兄弟から責められるだろうと思ったからだ
ちなみにわいの地元では
葬儀屋だけでなく地元の住民総出で葬儀の手伝いをする習わしです 登校では>>43でふざけあった男子に
「○○ちゃん、しゃべろよ」と中学までしつこく言ってきた
たぶん先生からの指示なんだろう
下校では「死にたい・・・」と思いながら、とぼとぼ歩く
そんな日々が1週間続いたと思う
もし過去に戻れるなら、この日に戻りたい
ダチョウ倶楽部の上島のように、なぜ手を挙げなかったのか
わいは素直ではなかった。ひねくれてたよ このスレッドは過去ログです。
プレミアム会員に登録すると続きを読めます。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
://premium.5ch.net/
───────────────────
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。 >>93
それで、わいは自己肯定感が低くなり
なるべく目立ちたくない、消えて無くなりたいと思った 中学に入学した時点での身長は平均よりやや高い方だったが
身長が、あの時からストップし中三で1番低い身長になってしまった ちなみに今の身長は、157cmで親父より6センチも低い 中学に入学したとき、近隣の小学校からやってくる生徒も居た
男子3人に女子4人がバスで通ってきた
女子の4人のうち3人はブ○だったが1人だけ
都会の小学校から来たような感じの人が居た
今でいうと卓球の石川佳純さんに似てる人だった 何の目的かは思い出せないが、1年生は外で整列させられた
石川佳純さん(以後Tさん、と呼びます)は前列左に
わいはTさんの真後ろに立たされた
先生が合図すると前方の人の肩に両手を載せるよう指示された その同時、わいは親兄弟を含め人の肩に触ったことがなかった
憧れのTさんの肩に触った
意外と柔らかくなく骨っぽかったが興奮した
合図が終わっても、ずっとTさんの両肩に手を載せた
Tさんは不審に思い右を見た、その時Tさんの髪に触れたのに感動した
Tさんは困ったように、うつむいた
「みんな手を降ろしてるのに何で後の男子は自分の肩に手を載せてるのだろう」
そう思い恥ずかしく思ったのだろう しかし、Tさんに対する思いはその日だけだった
>>93の件があったからだ >>79で中3までイジメは無かったと書いたが
実は不良グループの中にTさんを好きな人が居た
ところが、わいがTさんに(短期間)恋心を抱いてることを知り
Tさんが不良グルーブの一人と交際するのを断った
それがイジメの原因でもあった
もちろん一番大きな原因は、わいの自己肯定感のなさにある 今の、わいはチビだし前科者の馬鹿野郎でモテる要素は何もないが
子供の頃は女性に「かわいい」と言われ女子高生の膝の上に載せられたものだ たぶんTさんは、そんなわいを見て母性本能がくすぐられたのだろう
あるいは不良グループの一人と付き合いたくなかったのだろう
中2の3月上旬にこんな出来事があった 昼休みは班ごとで机を並べて座ってた
(当時わいの中学校では給食がなく、そうしてた) 同じ班のTさんがやってきてIさんに
「ホワイトデーは、クッキーデーって言うんだよね」と笑顔で言った
(IさんはTさんにとっては正面であり、わいにとって右隣の人だ)
その時の笑顔は、アイドルのように美しかったのを今でも覚えている しかし次の瞬間
「ホワイトデーは男が女に告白する日なんだよね」と言ったあと
わいを睨んだ
Tさんにとっては「分かってるよね」というつもりで睨んだわけではないと思うが
わいにとっては睨んだように見えたのでクッキーは渡さなかった 田舎の1970年代ということもあったし
その頃は男女交際してる生徒は誰も居なかった
左右盲で運動音痴の
あのチビがTさんと交際してるなんて・・・
だからクッキーなど渡さず中3を迎えた 中3から壮絶なイジメを迎えることになったとさ(笑) >>95->>100
しばらく中断して、ごめんなさい
不定期で書き込むことを許して下さい >>135
面白いかい。それなら続きを書かないとならんなぁ >>132
膝の上に載せられたのは小学校低学年の頃だよ >>133
幼い頃は可愛がってくれたが憎い存在でもあった気がする
ちょっとしたことでも、すぐ母親に告げ口して
わいの悪口を言ってたなぁ
それまで可愛がられたのに、わいが生まれてから
母親の愛情が、わいに向いたことで面白くなかったのだろう >>115の続き
中3になると不良グルーブのS君が、わいを自分の手下のように扱いだした
S君は小6のスケート授業では頼みもしないのに
わいの靴紐を結んでくれたことがある、そんな優しい少年だったのにだ S君は頭が悪いので、英語の教科書にフリガナを付けろと命令された
授業で英語の文章を朗読させられるからだ
わいは気が弱いし怖いから断れなかった たまに反抗的な態度をするとグーで殴られた
大人になってからもパンチを食らうことがあったが
フラフラする状態になったのはS君のパンチだけだ ちなみにS君は不良グループの末端のポジションだった
ボスはH君だ
彼は体を鍛えてたから胸板が熱く腕も太い
背後からH君の低音の声が聞こえてただけでビビってしまう >>142 どうとも思わない
その次のポジションはM君だ
つまりS君の上のポジションでもある このM君が
>>105に出てくる石川佳純を美人にしたようなTさんが好きだったようだ TさんもM君が自分を好きだというのを知ってたのだろう
それでホワイトデーの件を、わざとわいに聞かせるようにしたのだろう >>82の出来事がありTさんのことはすっかり忘れてしまったのだ
ところがTさんは、わいの本心を聞きたくてカマをかけたのだろう つまりTさんはM君と付き合うくらいなら、わいと付き合った方がましと思ったのだろう
だが当時は、そんなことは全く考えられなかった・・・ それでM君を忖度したS君が、わいをイジメるようになったのかもしれない
彼らとは一切連絡を取ってないし同窓会に出席したこともないからだ
あくまでも想像だが・・・ イジメはどんどんエスカレートしていき
わいは真剣に自殺しようと思った
6月24日のことだった・・・続きは明日 >>92では首吊りが怖くて出来なかったが
当時見てた刑事ドラマでタバコを1箱食べて死ぬシーンがあった
それでわいは、服毒自殺をすることにした。 母親に買ってもらったオレンジ色のスラックスをカバンに詰め
いつもの駅で降りたわいは
駅の便所で学生服の上着を脱ぎ、ズボンを脱いでそれに履き替えた 次の無人駅まで、その恰好で歩いて行った
学生服の中学生が学校と逆方向に歩いてるのを不審に思われぬよう
大人の恰好をして歩いた だが黒い学生カバンは不自然なので途中の草藁に置き、次の駅に着いた
更に次の駅に行く汽車をそこで待った
その駅がある街まで10分程度かかり、歩いて行ける距離ではないし
小さな街だが商店がある。タバコも売ってるはずだと思った
地元の商店では、わいを知ってるはずなので
隣町の商店でタバコを買い自殺を図ることにした その町につくとタバコを買い河原で食べた
あまりにも苦いので自販機でオレンジジュースを買い
無理やり流し込んだ ところが、いつまで経っても死なない
午後になり帰宅の時間になったので、とぼとぼと歩いて帰ることにした
田舎の国鉄なので、数時間に1本しかないからだ そこへ軽自動車が止まった
「どこにいくんだ?」と聞いたので○○と答えると
「そのまま歩いてもたどり着けない」と言われた
わいは別方向に歩いてたのを知ったのだ そのオジサンは町の駅まで乗せてってくれた
駅員は「数時間後に、そこに行く汽車がありますよ」と言った
わいは「その汽車には理由があって、どうしても乗りたくない」と言った
姉が乗ってるからだ オジサンは、わいの理由を聞かず
「それならその駅まで乗せってってやるよ」と言ってくれた
その駅とは>>153の駅である
本当は、その次の駅が中学校のある駅であり
その次の駅が、わいの家がある駅だった 親切なオジサンに申しわけなかったし
その駅の近くの草むらに学生カバンを置いたからだ 不審に思ったオジサンは、わいの名前を聞いてきた
わいは、その駅の近くに住んでる○村君の名前を名乗った
オジサンの車から降りると
草むらに置いてあった学生カバンが無くなってた! どの家から電話したかは忘れてしまったが
両親に迎えに来てくれるよう電話した
その後タバコを食べたことで吐いた
両親がトラックに乗ってやって来た
学生カバンが無くなったことも話し一緒に探してくれた
近くに大量のゲロを見た母親は「なに、これ?」と呆れた
もちろん、わいのゲロではないことを告げた 親父はツテを探り、あの場所に乗り入れてる車両を聞きだした
それで町内の業者が、わいの学生カバンを持って行ったことを知り
無事に戻ってきた
普通なら、なぜあの場所に学生カバンがあるのかと
わいに問い詰めるものだが
それもなく、この日は終わった
つまり両親は、わいがイジメられてることなど全く想像してなかったということだ 死から生還したからっと言って、わいの人格が変わる訳ではない
(…っていうかタバコ1箱食べたくらいでは死なないと後から知った 笑)
いつもと変わらぬイジメられる日々を過ごすことになった わいより下の世代は「荒れる学校」があったらしい
当時のイジメに比べたら
わいのイジメ被害なんて屁みたいなものだろう
当時は登校拒否なんて発想はなかったし
イジメられても学校に通うのが当たり前の時代だった イジメられる方にも非があるという論調を目にすることがあるが
わいの場合はまさに自分に非があったので
両親や先生にそれを報告することなど出来なかった もし貧乏が原因なら「なにくそ〜」という原動力になり
今頃リッチな生活をしてただろう
ところが、わいの父親は経営者なのでリッチな生活をしてると思われてた
実際は人を多く雇うことで見栄を張れる親父だったから
非常に貧しい食生活だった 金持ちの一人息子のくせに皆の足を引っ張りやがって・・・
アスペのわいは、常にそう思われてるのではないかと思ってた わいは、こんな田舎で親の家業を継ぎ
大工の棟梁として荒くれ者と一緒に仕事をする将来を想像したくなかった
当時は二世帯住宅だったので両親と一緒に暮らすのも嫌だった
両親も入ってる風呂に嫁が入り
その嫁のマンコをクンニするなんて・・・と思った とにかくわいは、こんな田舎ではなく都会に行きたかった
しかし本家の一人息子であるわいに、それは許されない
田舎だから尚更、両親の面倒を見なければならない
だから将来を悲観してた。そして毎日イジメがあった
死にたいと思ったが怖くて実行できなかった
6月24日のあの日から45年経つが未だに、その思いは変わってない 何度も書くが、わいより若い世代の「荒れる学校」のイジメ
最近だと旭川のイジメ
これを読んでるヒキの人には、もっと壮絶なイジメを経験してる人も居るだろう
この程度で自殺?と笑ってるヒキもいるだろうが
あくまでも主観なので、ご理解いただきたい わいの中学は20数名の2学級と書いたが
3年になると更に生徒が減り1学級になった そのうち男子は20名弱だが3っの派閥ができた
秀才グループ・不良グループ・中間グループだ
汽車通学で一緒になる>>93に登場した彼は
秀才グループなので親交がなかった
わいは不良グループと中間グループを行ったり来たりしてた 中間グループは勉強がそこそこ出来るが悪ふざけするグループだ
ボスは父親が小学校の先生であるT君だ
このグループに居れば殴られることがないので
S君から逃れるため自然と、このグループに近づくことになった T君は不良グループのようにスポーツ万能だ
おまけに勉強も出来る
自己肯定感が低いワイはT君の提案に乗り、いいなりになった
だが悪ふざけが過ぎることがあった 頭に来たわいはT君の机に「昼食後、隣の教室に来い」と果たし状を書いた
わいは汽車通学なので朝一番に教室に来る、それでT君の机に落書きした
隣の教室とは>>172に書いたとおり1クラスになったので隣の教室が空き部屋になったのだ 昼食後T君はやってきたのだが、なぜかS君もニタニタ笑いながら付いてきた
S君からしたら自分のパンチでノックダウンするわいにT君を倒せるはずがないと思ったのだろう
あるいはS君にとって、わいは自分の手下
手下が勉強もスポーツも出来るT君に果たし状?
おまえ何バカなことしてるんだ、と思い世話役として来たんだろう ゴングは無かったが喧嘩が始まった
わいが躊躇してるとT君は股間をグーで殴りやがった
わいが悶絶しながらT君を見たのは覚えてる
T君は興奮した顔つきだったが
わいは床に倒れながらT君を嘲笑った
運動音痴のわいは身長155cm スポーツマンのT君は身長170cm近い
こんにハンデがあるのに、いきなり金的かよと思った
後から考えて見ればT君は小学校教師の息子
顔にアオタンがあれば不味いので、早期に決着を付けたかったのだろう これで戦意喪失して決闘が終わった。S君も居たしので勝てないと思った
ひょっとしてT君はS君に一緒に来てくれと言ったのかもしれない
ヒキだから同窓会に来れない。だから今となっては分からないし
たぶんT君もS君も当時のことは忘れてるだろう >>166
どうして自分に非があるの?
>>172
クラスが減ってしまうのは何故? >>180
>>85に書いたが、わいが授業中挙手しなかったせいで班のみんなに迷惑をかけたからだよ
わいがアスペなのは仕方ない。
だが、あの時みんな手を挙げたんだから恥ずかしがらず挙手したら良かった
それで、わいの自己肯定感が更に下がりイジメっ子のターゲットになった
わいは幼い頃から可愛いと言われ女にチヤホヤされた
女子はみんな、わいだけ「○○ちゃん」と呼ぶくらいだ
だから女子に「放課後(反省会のため)残されるのは嫌だ」と言われても
相変わらず挙手しなかった。
班にはもう一人男子がいたが彼は大人しい生徒だ
もし彼ではなく不良グループの一人が居たら、わいは挙手してただろう
それを知ってか、怖い上級生が廊下から「何やってるんだ?」と聞いたら
上品なDさんが「殴ってやってよ」と言った
Dさんにとってわいは、怖い相手にペコペコするが
女子や大人しい男子に対して横柄な態度をするのが許せなかったのだろう >>180
クラスが減ってしまう理由は過疎の町だからだよ
この町には大きな木材工場があったが
安い外国産の木材が流通するようになったせいで工場が閉鎖した
親はこの町で就職先がないので家族で出て行ったということだ >>179の続き
夏休みに入る前にキャンプがあった
1つのテントに4人で寝ることになったのだが
他の3人は中間グループの人だった
夜になると外に出ることになった
すると彼らがわいを羽交い絞めにし全裸にさせられた
リーダー格のT君がOさんを呼んできた
OさんはTさんと同じ小学校を卒業しバスで通学してくる人が
彼女らは同じテントに居たようだ
T君はOさんに「こっちに来いよ」と言うのだが
わいはT君の背中に必死に隠れ「来るな!」と叫んだので
ちんぽを見られずに済んだ その後は何事もなくテントの中で就寝したのだが
T君もそうだが、もう1人のI君も学校の先生の息子だ
彼らに対する怒りは後になって湧いてきた
だが、わいより若い「荒れる学校」でならもっと壮絶なイジメがあっただろう
旭川の中学生に比べたら可愛いものではあるが・・・ 翌朝、Oさん達と会った
「○○ちゃんのあんな声はじめて聞いた」とOさんが言うと
S君が「必死だったからな」と笑いながら言った
Oさんと同じテントに居たTさんは無言で哀れみの表情を浮かべた
Tさんは中学に入学して、ひとめぼれした人だが
>>181の件があり興味が薄れた
だが気になる人なので恥ずかしかった 実は1年生の時もTさんの前で恥をかかされたことがある
班ごとにジンギスカンを食べるイベントがあった
わいの班には担任のN先生と数人の生徒が居たが
その中にTさんも居た
そこにタレの入った小鉢とビールを持ったU先生がやってきた
U先生は体育の先生だが、姉によるとガラの悪い先生だった
わいは、その先生の授業を受けたことがない
ほろ酔い気分のU先生は、わいを見て「お!問題児も居るな」と言った
N先生は罰の悪い表情を浮かべた
わいは先生たちの話題になるくらいの問題児なのかと知った
Tさんは無言でジンギスカンを食べてたが、わいは恥ずかしかった キャンプが終わり夏休みになった
これでイジメから解放されると思ったが
彼らは度々わいの家に遊びに来た
わいの家は田舎だが国道沿いにある
彼らは自転車に乗ってやってくる 彼らは、わいのチンポが面白いのだろうか?
陰毛が生え始めたのは小6の頃で中3になると
包茎だが陰毛はボーボーだった
彼らがわいの家に来ると□□に行こうと言うので
一緒にサイクリングすることになった
□□は鉱山で栄えた集落だが今は数件しか残ってない場所だ
そこに行くと道路の真ん中で羽交い絞めされ下半身を露出させられた
彼らの中にT君がいたが何故か秀才グループのK君もいた
子供のような体型なのに大人のようなチンポなので見たかったのだろうか わいの家に遊びにくるのは同学年だけではない
下級生のIもやってきた。Iは札付きのワルだ
その日は、わいしか家に居なかった
居留守したのだが鍵をかけるのを忘れてしまった
玄関でわいの姿を見たIは、二階のわいの部屋に勝手に上がり込んできた
わいは押入れに隠れてたが暫くするとIは去った
部屋を見るとわいの腕時計のバンドが壊されていた
両親にそれが見つかってしまい「Iにやられた」と言ってしまった
わいは10年後、刑務所に服役するのだが
それまでずっと、いじめてるのはIだけだと思ったらしい グリコ森永事件だとおもうが、あの事件は模倣犯が
たくさんいたのかね? ageたということは、はよ続きを書け…ということか
何かのきっかけで復讐を想像することがある
血圧が急激に上がり上半身が汗だくになる
こんなスレ立てなきゃ良かった・・・ >>190
>あの事件は模倣犯がたくさんいたのかね?
そんなこと知るわけないだろう
留置場や拘置所ではテレビ・新聞・雑誌は見れなかった
刑務所の工場にある詰所ではテレビが見れたが
ニュースは一切見せないようにしてた
情報は後から入所してくる囚人から聞くが
わいがやらかした事件と酷似した事件は聞いたことがない いや、拘置所や刑務所で新聞雑誌は見れたよ
刑務官に観閲されるので事件性のある記事は切り取られてた
30年以上も前のことだから忘れてたよ >>189の続き
下級生のIは頭がイカれてた
不良の同級生の一人を引き連れて音楽室に来いと言った
そこには誰もいなかった
ズボンとパンツを脱げというので従うと
彼らはわいのチンポを見て嘲笑した
Iは勃起したチンポを、わいの肛門に入れようとした
入らないので数秒で諦め解放された わいは事件を起こす2〜3年前
姉に腎臓を提供する移植手術をした
腎臓が悪い姉は週2回人工透析をしてたのだが
移植できる腎臓は、わいしか居なかったので提供した
Iは中学卒業後、地元に居たようだ
入院室で母親はIが事故死したことを嬉しそうに語った
わいをいじめたのはIだけで
いじめのトラウマは、これで無くなったと思ったのだろう 夏休みを終えるとショッキングな出来事があった
Tさんが不良グループのM君と付き合ってることをS君から聞かされた
寂しい気持ちになったので
わいは今でもTさんを好きだったんだ、とその時思った S君は「TさんがM君の家でチャーハンを作った」とも言ってた
その頃から、わいは1年生のKさんが好きだというデマが流された
見たことないからKさんのことは全く知らない
否定したら「ウソつけ〜」言われるんだし面倒臭いから
その通りだよと答えておいた TさんはM君に「○○ちゃん(わい)私のこと好きなんでしょ」と言ったらしい
いかに虐められずに済むか…当時は毎日そればかり考えてたので
女のことは眼中になかった
前にも書いたが、当時の女子の制服はズボンだった
色気がない制服を着てるからエッチなことも想像しなかった 数十年経ってから分かったのだが
わいがKさんを好きだというデマは
わいに未練があるKさんを諦めさせ
M君と仲良くして欲しいためについたデマだった >>201訂正
わいが1年生のKさんが好きだというデマは
わいに未練がある同級生のTさんを諦めさせ
M君と仲良くして欲しいためについたデマだった わいは中学に入学して直ぐTさんにひとめぼれした
何の行事だったか忘れたが、1年生の男女が左右に整列した
最前列の左端にTさんが立ち、その後ろにわいが立った
先生の合図で前の人の肩に両手を載せた
手を離しても良いと言う合図があったのかもしれない
わいはTさんの肩にずっと両手を載せ続けた
不審に思ったTさんは右を見た、驚いたような表情をしてた
みんな手を降ろしてたのだろう
わいはTさんの後頭部をずっと凝視してたので知る余地がない
その後Tさんは困ったように頭を下げた
以来Tさんは、ずっと自分のことを好きだと思ってたのだろう
そんな人が知らない教師から問題児と言われたり
いじめられたりするのを見て可哀想に思ったのだろう
Tさんは見た目も美しいが、心も美しい人だった わいがTさんを好きだったのは中学に入学して最初の半月程度だ
なぜ好きではなくなったかと言うと>>85の出来事があり
Tさんのことを考える余裕が無くなったからだ
今でこそ中学生同士の男女交際は当たり前だが
わいの中学校では上級生と二人で歩いてただけで
秀才グループのH君は皆から冷やかされたものだ
だからTさんと交際するなんて想像したこともなかった
しかし他の男子は想像したかもしれない
わいが精通したのは大学一年の熱休み実家に帰省した時だ
それまでは何十分もチンポを擦っても赤く腫れあがるだけだ
それくらい、わいは奥手だった TさんがM君と交際するようになってからも
不良グループからのいじめは続いた
その度に中間グループに逃げ込むようになった
リーダー格のT君は、わいに対しての悪ふざけは相変わらずだった
中間グループに気にいられるようT君の指示に従い
グループのみんなを笑わせてた
T君に決闘を申し込んだらキンタマを殴られ玉砕されたこともあったが
優しいところもあった
わいが不良グループにイジメられてるので空手の本をくれたことがある
ちらっと見ただけで読み終えた いつもイジメるのは不良グループ末端のS君だ
彼のパンチが効いてフラフラすることがあったし
万一勝ったとしても
背後にはリーダー格のH君がいる
彼は毎日鍛えてるせいか胸板が熱く腕も太い
当時、空手の通信講座があったが本を読んだだけで
強くなれるはずがない、子供心にそう思った
だからイラストをチラッと見ただけで読まなかった そのH君だが、TさんとM君が交際するようになってから
わいに接触するようになった
中学一の美人がオマエのような情けない男を好きだなって…
それで興味を持ったのかもしれない H君に殴られることはなかったが色々と指示された
怖いのでそれに従った
当時わいの髪型はボサボサのマッシュルームカットだった
耳が髪で隠れてるのだが
H君から髪を上げて耳を出せと指示された
当時そんな髪型してる男子は居なかったので恥ずかしかったが
指示に従った
そう指示された理由は10年後の刑務所の中で知った
整列し看守が来るのを待ってたら、横の囚人がわいの頬にキスをした
その後「おまえ耳、ミミクソだらけだな」と言った
わいは自己肯定感が低いせいか身だしなみを一切考えなかった
ミミクソだらけの耳をTさんに見せるため
T君はわいにそう指示したのだろう
手下のS君はわいの耳からミミクソを取り出し
女子に次々と「○○のミミクソ」言って見せていた
女子はわいだけ、ちゃん付で呼び虐められて可哀想だ
と思われるのが不愉快だったのだろう >>208
わいも田舎に住んでる
前科者であると知ってるが村八分ではないな
今日は沢山書き過ぎた。今日はこれでおしまい >>200
> 当時の女子の制服はズボンだった
小中高の体育の着替えや水泳の着替え、身体測定の着替えや測定は男女一緒だった? >>211
一緒じゃないよ
中学校の女子の制服は上がブレーザー下がズボンだったのは
「寒冷地なのにスカートを履かせるのは酷だ」とPTAの偉い人が言ったんだろう
昔はスカートだったし、わいが中3になると中1からスカートを履くようになった
2年早かったら、いじめられてもTさんのことを忘れなかっただろう いろいろ大変だったな おれはクラス制に疑問持ってた 見ず知らずのクソガキとずっと授業受けなきゃ行けないのが腹立った おれもいじめられッこだったな >>213
見ず知らずのクソガキと・・・という発想はなかったな
>>209の続き
やがてH君はTさんを、いじめるようになった 昼食は班ごとに机を並べて食事をしてたが
昼休みもそのままの状態だった
そこにH君がやってきてTさんとレスリングごっこが始まった
座ってたTさんがなぜH君とそんな状況になったかは忘れたが
Tさんは床に寝転がされH君にレスリングの技をかけられた
そこにはTさん以外に2〜3名の女子と
わいを含めた男子2名がいたが誰も止められなかった
H君を注意したら次は自分がターゲットにされるからだろう 笑いながら技をかけるH君
なすすべがないTさんのレスリングごっこは1〜2分で終わった
H君が教室を去り、席に戻ったTさんは顔を覆って号泣した
隣に座ってる女子はTさんの体に着いた埃を取ってやり慰めた
他の女子も次々の慰めた、もう一人の男子も慰めた
その男子というのは>>85の場面にも居た大しい男子だが
わいは何も言えなかった・・・ H君はなぜTさんにあんなことをしたのか?
あれから数十年経って分かった
H君は不良グループのリーダー格だが、その下にM君がいる
M君と付き合うようになったTさんだが
Tさんは、まだわいに未練があったのだろう
それでM君は、H君にTさんとレスリングごっこしてくれと頼んだ
M君「その時○○(わい)は助けようとしたか?」
「なにぃ!助けなかったのか」
「それにしてもH君は酷い野郎だ」
「(翌日)H君をぶん殴ってやったよ」
そういうシナリオだったのかもしれない そんな工作は他にもあった
彼らはFさん弟が生意気だがら殴れと、わいに指示した
わいは何の恨みもないFさんの中1の弟を殴ってしまった
1発殴ったあと「痛い」と彼は言った
わいは「殴り返せ」と恫喝したが殴らなかったので終結した 隣の体育道具部屋に行くとH君とS君は笑ってた
しかし今でも、その出来事を思うと心が痛む
実はそのFさんというのはTさんの親友だった
数十年後、修学旅行の集合写真を見て初めて知った
Tさんの隣にはいつもFさんが居たからだ
不良グループの工作は
Tさんが、わいに抱く「気が弱いが心の優しい男子」という印象を
壊したかったのだろう
実はFさんの弟を殴るような素行が悪いヤツだと印象付けさせ
わいを嫌いにさせたかったのだろう Tさんが疑問に思うのも無理はない
>>199にも書いたが、わいは1年生のKさんが好きだと決めつけられた
否定したら嘘つけと言われそうだし面倒臭いから、それを認めた
ある日、中学校の玄関で大柄な女子が居たようだ
すると中間グループのリーダーであるT君が
「おまえ本当にKが好きなのか?」と聞いた わいは初めてKさんを見たのだ
自分より背が高い下級生の女子・・・
「こんな女子を好きになる訳ないだろう」と、わいは思った
それでTさんも疑問に思ったのだろう
ある日の午後、女子特有の丸文字が書かれた手紙が
不良グループのH君から渡された
「○時に交通公園で待ってます」と言うKさんからの手紙だった
放課後ホームルームのようなものがあったが
「ホームルームを欠席しないと○時に間に合わないぞ」とH君が言った
その手紙は偽物だと知ってたが早く帰りたいので、そうすることにした。
○時に交通公園に行くと案の定Kさん居なかった
駅に行かず、そのまま歩いて自宅に帰った 当時は不良グループと仲が良い女子が書いたんだろうと思ったが
今から思えばTさんが書いたのだろう
その手紙は捨ててしまったが、もったいないことをした。 今でこそ登校拒否が当たり前になったが
当時は入院でもしない限り、あり得なかった
それでも駅を降りると、反対方向に歩き
こっそりと家に戻りズル休みすることが何回かあった
同じ駅から通学する同級生が一人いるが
彼は秀才グループに属してたしウマが合わなかったの別行動だった
悲惨な中学時代だが楽しいことも、いくつかあったので
次はそれを書くことにしよう >>222 書き忘れたが
これでTさんは、わいがKさんが好きなんだと思い込み
M君と真剣に交際するようになった
前にS君が「M君の家でTさんがチャーハンを作った」と書いたが
それはその後のことだ
当時は、あんな美人と付き合えるM君が羨ましいと思った
TさんはM君の女、だから他の女子以上に興味がなくなった
その後、放課後一人で下校してると
校舎の二階から笑顔で「○○ちゃん!」と手を振るTさんが居た
わいは「はぁ?」と思い無視した
今から思えばTさんには随分と嫌な思いをさせてしまった >>227
確かにそうだね
だけどM君がしつこく交際を迫ってきたからかもしれない
>>112にも書いたが
中2のホワイトデーの前日、Tさんはわいに聞かせるよう
「ホワイトデーは男から女への告白の日でもあるんだよね」と
わいの横のIさんに言った
Tさんを好きだったのは中学に入学した最初の半月だけだし
わいはクッキーをTさんに贈ったら、みんなに冷やかせるだけだろう
そう思ったから無視した
当時、男女交際してる人は誰も居なかったし
わいが告白することで交際に発展するなど考えられなかった
今から思えば既にM君はTさんに交際を申し込んでたのかもしれない
二人に会うこともないので、あくまでも推測だが TさんとM君は中学卒業と同時に別れたそうだ
わいの中学では卒業すると隣町の高校に汽車通学する人
バスで通ってたTさんの地域は別の高校にバス通学することになってた
バスと国鉄を使って、わいとM君が通う高校に通学するのは
物理的に無理だったからだ 高校に向かう汽車の中でM君が「どっちが先に彼女ができるか賭けよう」といったので
Tさんと別れたんだなと思った
聞きもしないのにTさんの親友のFさんが処女じゃない事も言った
M君の5歳くらい上の友人がいるのだが
その友人が自宅店舗の倉庫でFさんとエッチしたと教えてくれた
どういう状況でそうなったか忘れたが、わいは嫌な予感がした
そこにTさんも居てM君とやったのでは・・・
わいは怖くて、それを聞けなかった
>>225で「Tさんには随分と嫌な思いをさせてしまった」
と書いたのは、好きでもないM君に処女を捧げたのでは?と思ったからだ ところでTさんは、その後その高校に通ったのかは知らない
当時、卒業名簿に進路など書いた冊子を貰ったのだが
進路は、わいが行く隣町の高校以外にもTさん達が行く別の高校
中都市の進学校で寮生活をする人
H君やS君のように中卒で働く人のいずれかだが
TさんはM君のものなので興味が失せたから進路も知らない
午後からは楽しかったことを書くことにしよう みんなの中学ではどうなんだろう?
わいの中学では2年生と3年生のとき肝試し大会があった
中2の出来事だが
その夜は他の学年はやらなかったので単独でやったのだろう
男女ペアで肝試しをしたのだが
わいは、ぽっちゃりメガネのKさんとペアを組んだ Kさんは中学入学と同時に転校してきた人だが
怖いせいか手を繋ぎずっと話しかけてきた
非日常の体験がそうさせたのだろう無口なわいはKさんと楽しい会話をした
ぜんぜん怖くない、というところも見せたかった
Kさんは怖がりのせいか密着させて手をつなぐので
わいの手の甲がKさんの太腿に触れていた わいは太腿フェチである
相手が、ぽっちゃりメガネの人でも嬉しかった
風俗嬢やギャバ嬢以外の一般女性と会話できたのは
後にも先にも、この時のKさんだけである
手を繋いで歩いた女性もKさんだけだった わいは高校時代に3人の女性と付き合えるチャンスがあった
大人になってからも看護師と3人だ
(姉への腎臓移植手術で出会った看護師)
風俗嬢とも数回
この時はバックに怖い兄ちゃんがいると思い断った
これだけ女性をフッたから罰が当たったのだろう
20年前に引きこもるようになってからは女っけのない生活だ(笑) わいの自慢話を読んで気分悪くなったことだろう
だが事実なんだから仕方ない
その他にも中学時代楽しかったことはまだある 書き忘れたが女性をフッた理由は、わいの自己肯定感が低いことが原因だ
つまり相手を好きになれても自分を好きになれなかったからだ
わいは低身長だしアスペだ
皆に笑われるだろうし相手も呆れるだろう、つまり臆病者だった
あの時、勇気を抱いて女性と付き合えば人生が変わってたかもしれない
そんなことを毎日のように考えてる わいは汽車通学だったが、同級生のG君も同じ駅から乗って下車する
G君は秀才グループの一人だしウマが合わなかった
彼は友人の家に行ってから一緒に登校したのだろう
誰もいない教室に入るのは、わいだけだった
中間グループのO君の机にエッチな絵を描いて反応を楽しんだりした ある朝、誰も居ない体育館に行った
ステージの左の控室が男子更衣室になってて右が女子更衣室になってた
ステージの後が通路になってたので男子更衣室に入り通路を歩き
女子更衣室に入った
そこには1年女子のジャージが棚に置いてあった
ジャージの色は学年単位で違うので1年生の女子だと分かった
2枚のジャージズボンの股間の匂いを嗅いだ
1枚は石鹸の匂いがしたが、もう1枚はオシッコの匂いがした
翌朝も匂いを嗅ぎに女子更衣室に行くと全て無くなってた わいには、変質者のような性質がある
小6の水泳授業では男女が水着で整列しラジオ体操をした
左側が男子、右側が女子だが
わいは右前に立つ女子の股間を凝視しながらラジオ体操してた
普段の時と体をそらす時の恥骨を観察してたのだ
その女子はすぐ気づき、わいを睨んでた
わいは延々とその女子の恥骨の状態を観察してた
その女子は3年後、わいがS君にいじめられた時かばってくれた
すまないことをしたと後悔してる 高1では地元の電器店でビートルズのカセット2つ万引きしたことがある
これを知らない人は、何でいじめられっ子のわいが刑務所に・・・と思っただろう
わいは、こんな人間だから刑務所に入ったのだ。自業自得である 中学で楽しかったことと言えば多くの人は修学旅行を上げるだろう
わいの場合は船酔いしたS君を介護したのに
手抜きしたせいで殴られそうになったから、楽しくはなかった
楽しいというより自信を得たのは学校祭で弾き語りをしたことだ 中学時代フォークブームがあり男子の多くはフォークギターを持ってた
わいの姉は、ねだり上手だった
白いクラシックギター、琴、バイオリンと次々と買ってもらった
友人が遊びに来る前に部屋の壁紙を貼ってくれと親父に催促したこともあった
姉は病気がちだったので姉の催促に応じたのだろう
しかし姉は最初に買ってもらったギターを弾けなかった
わいは独学で♪禁じられた遊び♪を弾けたので
親はフォークギターを買ってくれた
悔しく思った姉は次に琴、その後バイオリンを買ってくれとねだったが
どれも身に付かず、押入れの中に納まった ギターが上達した中3の学校祭
弾き語りしたいという男子が次々と現れた
わいも応募したのだが
2年前、授業中恥ずかしくて挙手できなかった男が人前で歌うのだから
まわりの生徒や教師は驚いたことだろう
今ではギターを弾くことも歌うこともなくなったが
当時はシンガーソングライターになりたいと漠然と思ってたので
歌うのが好きだった 2組目に登場したのだが周りが暗かったので、あがることはなかった
かぐや姫とNSPの曲を歌ったのだが
歌った瞬間「おぉ」という、どよめきが聞こえた
後で聞いた話によると、あがって赤っ恥かくだろうと想像してたらしい
ある先生は、わいが一番上手かったと褒めてくれたようだ その後か前かは知らないが1年生の女子から
わいは人気者になっていた
中間グループのリーダーT君の弟は1年生だが
好きな人の次に、わいを好きだと女子の多くは語ってたらしい
その後の体育大会のトラック競技では1年女子の集団が見えると
わいは意識して前方の選手を抜いた、その度に歓声があがったらしい
だが中学を卒業する頃には忘れられる存在になってた
中学入学時は高い方だった身長がピタリと止まったので
チビの先輩に興味を無くしたのだろう 中学で楽しかったことは、絵を描く能力を評価されたことだ
何かの催しで絵を描く機会があると必ず、わいに任された
家では宿題以外で絵を描くことは一切なかったが
なぜか上手く描けた
アスペで運動音痴だから体育は地獄だが・・・
とはいえ長距離は得意だ(運動音痴の多くはそのようだ)
美術の時間は落ち着けた
授業中に先生に質問されることもないし、いじめられることもない
淡々と絵を描いてるとリラックスするので上手く描けたようだ ここまで読んだ人は、わいの自慢話でうんざりしたことだろう
カセットを万引きしたり変質者のような振る舞い
学校祭で弾き語りをする度胸
これこそが事件を起こす人間の性質だったのだろう >>235
付き合えそうになった女性関係が聞きたい
大人になってからも「看護師と3人」とは日本語が分からない
高校時代3人で高校卒業した後看護師だけで3人と言う意味か?
>>239
誰もいないならステージの前通って女子更衣室に入ればいいのに 弱者男性あるある
モテないとか孤独だとか言いながら何だかんだ言って一回くらいは女との接点がある >>250
女子高生3人と看護師3人は別人だよ
23の時、姉に腎臓を提供するため移植手術をしたのだが
男の入院患者は爺さんばかりだったし
当時は腎臓移植手術は珍しかったので「勇気ある青年」としてモテたんだろう
わいはそれまで親父の手伝いをしてたが現場は男ばかりだった
今の看護師は帽子がなく白いズボンだが
当時は白いスカートに白い帽子だったので、まさに白衣の天使に見えた
わいは高身長・デブ・おばさん以外の看護婦は全員好きになった 3人とも、わいが好意を抱いてるのを知ったようだが
3人とも甲乙つけがたかった
結局誰とも付き合わなかったが、これがわいにとって最後の恋となった
高校時代の3人のうち、わいが好意を抱いたのは1人だけだが
そこでも誰とも付き合わなかった 自分でいうのも何だが、若い頃は割とモテた
だがモテるせいで悲惨な人生を歩むことになった
幼いころから、わいだけ○○ちゃんと女子に言われチヤホヤされてた
だから中1の授業で、女子に手を挙げろと言われても従わなかった
女子にモテたから、わいはいじめっ子のターゲットにされた
若い頃モテたから、眠れない夜は「たら・れば」ばかり考えてる
つまり、あの時ああしたら・あの時ああしてれば・・・
ばかり考えてる情けないジジイになったわけだ >>250
>誰もいないならステージの前通って女子更衣室に入ればいいのに
誰もいないのは、わいの教室だけ
ステージの前通って女子更衣室に入った瞬間
たまたま体育館のドアを開けた先生か生徒に「何やってるんだ!」と言われるでしょ
ステージ裏の通路から入った方が安全だよ 貴殿は40歳前後くらいまではひきこもりじゃなかったにゃん? よく知ってるね
本来なら次期社長になるはずだったが、それが嫌で仕方なかった
「コンクリートより人」の民主党政権で公共事業の予算が減らされ
田舎の建設業がバタバタ倒産した
それを気に、わいは引きこもるようになったんだよ これはこれでひとつのノンフィクションだな 作家になれば? わいはこんな田舎で家業を継ぐのが嫌だった
だから将来の夢なんてなかったよ
親父は多くの従業員を雇ったのは見栄を張るためだ
食生活は貧しかったし家族旅行なんてなかった
それでも同級生らは、わいを金持ちな社長の息子と思いこんでた
いじめられるのは、その妬みからかもしれない >>259
それは無理だろう。これから姉の悪口を書くようになるからね
具体的な話はこれから書くよ そういや、中学校で良かったことはまだある
それは、いじめられたことだ。
はぁ?・・・と思うかもしれないが
小5から中2まで他の生徒と恥ずかしくて会話できなったのに
彼らのせいで普通にしゃべれるようになった
前にも書いたが
わいは女子にはチヤホヤされたから見下してた
だから女子に○○してと言われても無視できた
ところが、いじめっ子は無視できない
彼らの暴力や恫喝のせいで、恥ずかしがり屋の性格を治してくれた
それで学校祭でギターの弾き語りも出来るまでになった 他にもある。ある日の昼休み
体育館の用具室で不良グループと中間グループの数人とたむろしてた
その場所はFさんの弟を殴った部屋だ
どういういきさつだったか忘れたが
マットを敷いたその場所でバク転しろと言われた
わいは、そこで首の骨を骨折して死んでもいい気持ちで
思いっきりバク転したら着地できた
中間グループのリーダーT君は「信じられない」と言って驚いた
サッカーはトラップできない、ソフトボールではフライを取れない
スケートでは転んでばかりない・・・そんなわいがバク転したのだから
本当は運動音痴ではないことを彼らに教えてくれた
これで中学の思い出話を終えて高校の話をしよう 隣町の高校に通う男子は、わいを含めて5人だけだった
例年だと10人以上いるのだが、この学年だけ何故か生徒数が少ないので少数だった
他は中都市の進学校に行く者
中間グループの3人は教師の息子だから転勤があるかもしれないので
進学校の寮生活を選択をした
秀才グループは2人を除き進学校へ行った
中学卒業後に就職する者
不良グループはM君を除き中卒を選択した
バス通学で別の高校に通う者
Tさんと同じ集落の生徒はこれを選択した 秀才グループなのに、わいと同じ隣町の公立高校に通う男子が2人いる
1人は、わいと同じ駅から小中学校を通ってた人だ
彼は山奥に住んでたのだが経済的な理由で汽車通学を選んだんだろう
後に彼は高校の生徒会長を務めた人だが、わいとはウマが合わなかった
もう1人は中都市の進学校に受験したのだが不合格のため
わいと同じ隣町の高校に汽車通学することになった
後に彼は国立大学に入学したあと町役場に就職し偉くなった人だ
秀才グループでも2つに分かれてたのかもしれない
この2人は仲が悪かった 彼らは帰宅部を選んだが
わいを含めた残りの3人は柔道部に所属することになった
本当は部活したくなかった
部活をすると午後8時の汽車で返ることになるからだ
だが不良グループのM君と中間グループのO君の薦めで
しぶしぶ柔道部に入部することにした
高校は3組あったのだが
出身中学の男子は、わいしかいなかったので心細かったことも理由だ 部活を許されるのはH町から通ってくる男子だけだった
わいの集落から高校まで30分ほどかけて汽車通学するのだが
H町の生徒は更に30分多い1時間かけて通学してくる
帰りは9時になるので許されたのだが
土曜の班ドンは応援団をさせられるのが習わしだった
応援団=いじめ・・・と連想したので部活を選んだ 秀才グループのうち1人は街灯もない山奥に家がある人なので帰宅部を選ぶしかない
もう1人は中都市の進学校を不合格になった人だ
彼は中心街に住んでるが帰宅部を選んだ
それで同じ秀才グループでも仲が悪かったのだろう 柔道部は野球部と並び不良の巣窟だった
上級生からの命令でカンパ(たかり)があった
わいのクラスには柔道部の部員が4人いた
他の3人もやってるのでクラスの男女に10円でも良いからカンパしてくれるよう声をかけた
(他の3人は別の中学を卒業した男子だ) そこでH町のAさんにも声をかけた
後から同じ中学に通ってた女子が来て「Aさんから」と言ってカンパしてくれた
どうやらAさんは、わいにひとめぼれしたらしい
それが>>253 女子高生3人の1人ということだ
続きは明日 >>267訂正
帰りは9時になるので許されたのだが
↓
帰りは9時になるので部活は許されるのだが
土曜の班ドンは応援団をさせられるのが習わしだった
↓
土曜日の半ドンは応援団をさせられるのが習わしだった >>272
都会と違い選択肢が少ないんだよ
秀才でも親が金持ちなら中都市の進学校に入学し下宿生活するが
親が貧乏なら近くの公立高校に通わせるしかなかった
その高校の偏差値は低く不良でも入れたからね わいの親も金持ちだったが
高1の6月ごろ家を新築することが決まってた
田舎から小中学校がある町に引っ越すことになった
その家には、わいの部屋があったし頭が良いわけでもないから
姉がいる公立高校に通うことになった ここまで読んできた人には申し訳ないが
もう、このスレに書き込むのは止めることにした
理由は、わいの自慢話を延々と書くことになるからだ
自慢話とは女にモテたことだ
事実だから仕方ないが虚しくなる
自慢話をすることが好きな人もいる
中には尾ひれつけて自慢話する人もいる
今、幸福ならそれでもいいだろう
だが、その逆なのに過去の自慢話するのは虚しくなる
だから、これでこのスレは終了とします
わいのアホな自分史を読んだ人は
その後の展開が、だいたいの想像がつくはずだ
君らが想像する、情けないジジイになったと言うことだよ
ーーー終了−−−− 建設業は小鼠内閣のとき自民から出ていった
旧田中派の小沢と
創価学会の利権となってしまった国交省系とで分裂し
その後どうなったんですかね
地元に土建関係の仕事を持ってくるという
田中角栄的な土建屋政治家は
民主党のときに大部分なくなり、それを自民から
出ていった小沢が地方から陳情を受けるという形で新党を
結成したときいたのだが・・現在の建設業界は
どうなっているのやら >>279
そうかい。
今ヒマだから>>270の続きを書くよ
わいの自慢話だから読みたくない読まなければいいさ
なお、>>280はわいではない。 Aさんが、わいを好きになってくれたのは嬉しかったのだが
Aさんは太ってて、わいの母親そっくりなので好きになれなかった
わいの母親が、おかっぱ頭のズラを被ってるようだった Aさんが、わいを好きだと分かったのは音楽の授業の出来事だった
音楽室は自由に席を選んで座れたのだが、通路を挟んで真横がAさんだった
Aさんは授業中ずっと、わいを見てた
わいは初めての体験なので戸惑った
わいがたまたま授業中に笑みを浮かべたらAさんの周りの女子生徒が
わいを見て「笑った」と呟いていた
Aさんがわいを好きになった理由は
わいがAさんに笑顔でカンパを求めたことで、ひとめぼれしたようだ
わいは意図的にAさんに笑顔で対応したわけではなく
たまたま笑顔になっただけだ それから、あっと言う間に同学年の女子から、わいは小中学校で呼ばれてた
○○ちゃんと呼ばれるようになり、アイドル的存在になってしまった 女子にチヤホヤされるのは嬉しいものだが
>>282でも書いたが母親そっくりのAさんと付き合うの気になれなかった
その後、1年生のみで参加する研修旅行があった バスの中でAさんは通路を挟んだ隣の席に座り
わいに笑顔を振りまいてアピールしてきた
これほど露骨にアピールされると逆に萎えるので無視した
わいはC組だったが、隣のバスに座るB組ある女子を何気なく眺めた
しばらくバスが走行し、停止するとその女子とまた目があった
そんな事を何度か繰り返すと、その女子は気付き笑顔を浮かべるようになった
前の席にDさん「あの人だれ」とその女子は聞いた
(Dさんは上品な人だが中1の時、挙手しないわいに対し上級生に「殴ってやって」と言った人だ) その女子は中1の時ひとめぼれした
Tさんを少し不細工にし、小さくして愛嬌のある感じの女子だった
実はわいの初恋は小3か小4の時だったが、その人そっくりだった
その人は、わいが図書室で沢山本を借りると「好き」と言ってくれた人だが
わいが間違って、その人のうがい用のコップでうがいしてしまった
「○○ちゃん、私のコップでうがいしなかった?」
と聞くので、わいは「しないよと」と答えたら「あー良かった」と言ったので恋が冷めた
その後、その女子は転校して音信不通になった その後、ゴールデンウイークになった
汽車には、わいが卒業したF中学の卒業生で中都市の進学校に通う男子が帰省した
H中学を卒業し中都市の進学校に通う男子も帰省した そこにF中学卒業生のK君がわいにやってきて突然「H中卒のXはAが好きなんだぞ」
と行ってきた
F中学卒業生のK君というのは中三の時のキャンプで、わいを全裸にするため体を抑えた3人の1人だ
H中卒のXという男子は知らないが、H中卒のAは、わいを好きになった女子のことだ わいを好きになってくれたAさんは、同じ中学で進学校に通うXさんと付き合ってたのか
と、わいは早合点してしまいショックだった
母親そっくりのAさんは好きになれなかったが痩せたらキレイになると思ったので
実はわいも好きだったのでは・・・と思った
中3の時のTさんほどではいが Aさんのことは諦め
ゴールデンウィーク開け、研修旅行でひとめぼれした女子(以降T子さん)に交換日記を申し込めば良かったと
今でも後悔してる
これでAさんは、わいを諦め同じ中学出身のX君と遠距離恋愛したらいい 初めて抱きしめたい気分になるほど好きになったのはT子さんだった
しかし当時のわいは交換日記するのは面倒くさいしと思った
誰かに知られたら、みんなに冷やかせられるし
わいを女子に○○ちゃんと広めてくれたAさんにも済まない気がしたので
交際に踏み切ることが出来なかった 夏休みまえ体育大会があった
たまたまB組にいたわいは、教室に入ってきたT子さんを見つめてしまった
するとT子さんは恥ずかしくなり廊下に戻った
再び教室に入ると顔を真っ赤にしていた、わい増々T子さんを好きになった 夏休みが終わり2学期に入ると教師が病気で亡くなった
葬式のため全校生徒が寺に歩いて向かった
わいの後をT子さんと友達が歩いてた、T子さんは別人になってた・・・
わいに見つめられると顔を真っ赤にたT子さんは
Aさんのように積極的に、わいにアピールするようになった
わいは女性に積極的にアピールされるのが苦手だったので無視した
数か月後、駅の公園でT子さんはM君と楽しく会話してた
M君は中学時代Tさんと付き合ってた人だ
わいが臆病なせいで、またM君に好きな女子を取られてしまったのだ M君は2年生になると学年で一番美人と付き合うようになった
その学年一の美人の方がM君に興味を持ち付き合うようになった
そこでM君はそれまで付き合ってたT子さんを捨て、その美女と付き合うようになった
なんでM君はモテるのか?ジェラシーを感じた 高2の夏休みまえ体育大会があった
T子さんは、わいに積極的にアピールするようになった
ソフトボール大会では毎回三振の運動音痴の、わいを応援してくれた
放課後はT子さん達から付き合ってと何度も言われた
わいはT子さんが、まだ好きだったし嬉しかったのだが
M君のお古を貰うのが納得いかないのでフッてしまった 高校時代は揶揄われることはあったがイジメは殆どなかった
コミュニケーション障害(?)でもある、わいは一人の時が多くなった
高校では気の合う仲間と机を並べて弁当を食べるのだが
わいは一人で弁当を食べたり昼休みに一人で居るのが耐えられなかった
そんな男子が同学年に、わいを含めて2名、女子は1名いた 同学年の女子からは相変わらず○○ちゃんと呼んでくれるのだが
そんな、わいが昼休み独りぼっちのところを見せたくなかった
わいは昼休みになると、ずっとボットン便所で時間を過ごした
中学は鉄筋コンクリートの和式水洗便所だったが
高校は木造モルタルの和式ぼっとん便所だ。隣町は貧乏な町だったのだろう ボットン便所なので弁当なんて食べられない
弁当は帰宅して直ぐ食べる毎日だった
臭いので上着はビニール袋に入れて昼休みが終わるのを待った
暫くすると3つある個室の間を挟んでもう一つの個室も
わいのように時間を潰す生徒がいた
それが>>297にも書いた、わいを除く同学年の1人だった
彼は教室で一人で弁当を食べると、この個室に時間を潰してたようだ どういう訳か、わいの学年だけ基地外男子が2人いたということだ
女子のもう一人は、流石にそれはやらず延々と教室で時間を過ぎるのを待ったようだ わいの個室の過ごし方は壁にエロい絵を描くことだった
同級生の男子が、わいが書いたことと知らずリアルだと絶賛してくれた
前にも書いたが、わいは絵を上手く描くことに長けていた
高2になると進学コースと就職コースに分かれた
将来のことなんて考えなかったわいは、姉の提言により進学コースに進んだ
そのコースは美術の科目がなかった
就職コースに進んでも進学できるのに、わいはバカだった
絵画の才能を伸ばせ自信を取り戻せたかもしれないからだ ある日の昼休みの出来事だ
いつものようにボットン便所の個室で時間を潰してた
頭上に便所のモップが降ってきた!
驚いたわいは、便所のドアの隙間からモップを投げたヤツを見た
明らかに1年生と分かる男が笑いながら走り去っていった
なぜ1年生だと分かったかというと変形ズボンを履いてなかったからだ
2〜3年生でも普通のズボンを履いてる男子が居たがごく少数だから
誰だか分かる
ちなみに、わいはボンタンズボンを履きチビなので踵の高い靴を履いてた わいは情けなくなった。悲しくなった
「こんなウンコ臭い男が女子と付き合える訳ないだろう、諦めてくれT子さん」
そう思い。T子さんと付き合うことはなかった
ところで学校でウンコするのは恥ずかしいというのを5chで初めて知った
わいの学生時代は、それはなかった
3部屋のうちいつも開いてる真ん中の部屋に次々と男子が脱糞していった
わいを含めた2人のキチガイは脱糞の音を聞きながら
昼休みが終わるのを待った 3年生になるとM君が学年一の美女と別れた
M君のことだからエッチな要求をしたのが原因だろう
そのあと別の女子と付き合った
3年生の学園祭ではキャンプファイヤーとフォークダンスがあった
非日常的な雰囲気が人を積極的にさせるのだろうか
M君と別れた学年一美女は「わたし○○ちゃんで良い!」と意味深なことを言いながら
一緒に踊ってくれた
M君のおさがりはもう良いと思ったので興味は無かったが、勿体ないことをした 高1で女子の間で人気者だったわいが
高3になると心配してくれる男女が次々と現れた
わいは至って普通なんだが「悩み事があるのか?」と思ったのだろう
放課後うちに遊びにおいでという男子2人が居たり
2人のうち好きな女子と付き合っていいよ
という、2人の友人が言ってくることがあった
一人は小柄なブスだが、もう一人は大柄でセクシーな女子だ
わいは「いいよ」といった
後に小柄な方は同じ中学の後輩と付き合うようになったのでショックだった。
よく見る可愛いし性格が良い女子だった
その冬、その女子から年賀状が届いた
これが人生で最初で最後の女性から届いた年賀状だ
「後悔しないで…」という内容だったのを覚えてる
あれから数十年、わいは何度も後悔するようになった 卒業式の最後は何故か、その年から道の両側に在校生が整列し拍手することになった
わいは、どういう訳か一番最初に出てしまったwww
それも一人ぼっちで・・・恥ずかしかった
後の方で盛り上がってるので、在校生はみんなそっちを見てた
これがわいの哀れな高校時代でした(笑) >>297
それは3年生になってからの出来事です
1〜2年生では誰かと群れてた気がする 上げられたから続きを書くことにするか
高校を卒業すると中都市の大学に進学することになった
当時、新聞に合格者の学校名と名前が載るので驚いた生徒も居たようだ
高校時代のわいは勉強が出来ない方だったからね 夏休みが始まると試験で赤点を取った者は補習授業を受けることになる
汽車に乗ると私服の同級生が居たのが恥ずかしかった
何で○○ちゃんは学生服なんだ?と聞いてくる人も居た
どうやら、大人しい生徒=勉強ができる生徒と思ってたらしい そんなわいが入学する大学は馬鹿でも入れる私立大学だった
馬鹿なりに勉強はしたのだが
第一志望の建築科が落ち第二志望のデザイン科に入学することとなった
そういえば滑り止めの大学も受かったので新聞に2度もわいの名前が載った
親父はそれが嬉しかったらしく、方々に自慢してたようだ その大学には知ってる人は誰も居なから、わいは増々孤立していった
デザイン科なので絵を描く授業があったのだが
3年間絵を描かなかったこともあり、皆わいより絵が上手い
中学高校時代は文化祭等での絵を描く役割は、わいに回ってきたものだが
皆の絵を見て自信が喪失した 授業も詰まらなかった
高校時代に赤点とって補習授業を受けてるような気分だった
当時、わいの高校では卒業すると7割の生徒が就職してたと思う
わいばかりでなく他の学生もヤル気が無かった
こんな無駄な時間を過ごすより就職しておけば良かったと後悔した
だが実際は親から仕送りだけでアルバイトはしなかったしサークル活動もしなかった
学校を終えるとテレビばかり見てたし休日は繁華街をうろついてた 初めての自分専用テレビが下宿の部屋にあるので興味が尽きなかった
今でこそテレビは殆ど見ないしプロ野球なんて全く見ないが
あの頃は、夕焼けニャンニャンと巨人戦ナイターに嵌った
朝食と夕食は下宿してる学生が集まって食べるのだが
人一倍人見知りのわいは、そこに行くことができず食事を我慢することもあった
周りの学生からは、わいを変人扱いしてくるし
大学に行く理由もないので学校にも行かないくなり1年で中退した わいは勝手に中退を決めてしまった
春休み帰省すると親父に怒られるのではないかと思ったがそんなこともなかった
わいは、その下宿を去り同じ都市のアパートに引っ越すことにした
当時は無職でも部屋を借りれた。すぐに食品工業で働くことになった
賞味期限切れになった食品を焼却する仕事だ
そこには2〜3ヶ月働いたが退職した理由は
そこで働いてた爺さんが退院したので居づらくなったからだ
考えて見れば家業以外の職場でこんなに長く働けたのは、ここだけだった
それ以外は刑務所内での労働だけだろう 今から思えば
親はなぜ大学中退したわいに家業を手伝わそうとしなかったのだろう
とにかく、わいの親は放任主義だった その工場を退職したわいは転々と職場を変えた
焼き鳥屋で働いたこともある
内向的な性格なのに大声で接客しなければならないので1日で退職した
店主のポケットマネーでパンチパーマをかけられたので
バイト代は遠慮した
それ以外は土方や溶接工をやったりしたが、どれも短期間で止めてしまった
仕事が続かない理由は子供の頃から、将来のことを考えなかったからだろう
前にも書いたが、わいは田舎で家業を継ぐのが嫌だった
本家の長男だから家を出ることは許されないだろうと思った
仕事が長続きせず家賃が払えないので帰省することになった >>320
そう言われたら続きを書くしかないな・・・
>>318で実家に帰ると書いたが
大学があった中都市から大都市に移住したことを思い出した 大学がある中都市に1年間下宿生活をした後
勝手に中退届けを出し、その街にあるアパートに住んだのだが
仕事が長続きしないから家賃を払えず実家に戻ったわいに対し
「将来どうしたいのか」両親は聞いた 前にも書いたが、わいは将来のことなど考えなかった
わいの家は本家なのだが、そこは凄い田舎だった
男一人の長男であるわいは、こんな田舎で好きでもない家業(建築業)を継ぐのが嫌だった ウチは代々建築業だったわけではない
爺さんは相場師だったが、借金が溜まり逃げるように北の大地に渡った
爺さんは与えられた農地で必死に働いたのだが
農業経験のない爺さんは、かなり苦労したらしい
親父は、その狭い土地で農業を続けるのは無理だと判断したのだろう
中学を卒業したら大工の修行に出た
その後、実家に戻ると大工の棟梁となり、その土地から離れた場所に家を建てた
兄妹は8人居たが、親父は給料の全てを家に入れた
爺さんは、その後事故で寝たきりになるので親父が一家を支えたことになる
爺さんの葬式には、こんな田舎に遠方からはるばるやってくる
わいは、こんな環境が嫌だった 父は稼いだ金すべてを姑に預けると父の兄弟に回すので
母は父の兄弟の悪口ばかりを、姉とわいに言っていた
だから、父親の兄弟=悪者と洗脳されたので
彼らが来ると挨拶もせず自室に隠れた
そんな行為を母や父は咎めることがなかった 父は中学卒業後、朝から晩まで働いたせいか大工仕事以外の一般常識が分からない人だった
だから物知りな母に頭が上がらなかった
母が父の兄弟の悪口を言っても、笑いながら聞くような人だった 当時の建設業は今以上に荒くれ者が多かった
おまけに険悪な親戚関係
こんな娯楽もない田舎で二世帯、または三世帯で暮らすのが嫌だった
だから小さい頃から将来のことなど何も考えてなかった
大学を1年で中退し、1年間フリーター生活をしたわいに
「お前は将来どうするつもりだ?」と両親から聞かれたので
無難な建築設計士と答えてしまい
大都市の専門学校に通うことになった つまり中都市で二年間過ごしたあと
直ぐに姉がいる大都市の専門学校に行くことにした
姉は高校を卒業すると大都市の短期大学に進学したのだが腎臓病が悪化したため休学した後
再度その短期大学に通うことになった
わいは田舎者なので大都市を憧れてた
中都市の大学より、姉が進学してるような大都市を憧れていた その製図専門学校は誰でも入学できる専門学校なのだが
わいは製図の作成が好きでその学校を選んだわけではない
家(田舎)に帰るのが嫌だし、煩わしい近所付き合いが嫌だから
大都市のその学校に入学したようなものだ わいは見た目が若いので2歳年下の彼らと同学年だと嘘をついて接していた
ある日、休み時間に教員の机にあった生徒の経歴書を誰かが見つけた
(当時は今と違い、その管理はいい加減だった)
わいは彼らより2歳上で大学に行ってたこともバレてしまった
それで人間関係が崩れ、わいは専門学校に行かなくなり今回も卒業できなかった 専門学校にいた1年間は大学時代のように下宿生活だったが
年長者のわいが会話しなかったかせいか非常に居心地が悪かった
専門学校中退後はその下宿を去った
そのまま、その大都市に居座りアパートを借りてフリーター生活をした
大学を中退後、その中都市に居座りアパートを借りてフリーター生活をしたのと一緒である
今から思えば、わいの両親は放任過ぎた 借りたアパートは、私立大学近いので学生が住む物件だった
そのアパートには水道がない四畳半だった
料理や洗い物をするさいは廊下にある専用水道で水を汲んでた
もちろん共同トイレである
ドアを開けると近くに固定電話がある
家主は隣に住んでるので、わいは電話交換手のような役割をさせられた
そんな関係だったせいかアパート住民とは仲良くさせてもらった
ボス的存在の大学生には怒鳴られたりして怖かったが
色々な所に連れていって貰った そこでの仕事は、引っ越し屋の手伝いや土方仕事である
全て日雇い労働者だった
履歴書に自分の経歴を書くのが苦手で引き延ばしてたら
日雇い労働しかなかった
自己アピールするのが苦手だから仕方ない だが中都市時代同様、そこでも仕事が長続きしないため
家賃が払えず1年で実家に戻ることになった
そういえば、そこの家主は優しい人だった
生活苦のためスーパーで万引きしたことがあった
店長はわいの行為を許せず警察を呼んだ
身元引受人はその都市に住んでる姉ではなく家主の名前を書いたのだが
家主は何事もなかったかのように対処してくれた しかし、それによりわいは調子に乗ったのかもしれない
その数年後、大きな事件を起こしてしまった
今日はここまで >>318
パンチパーマってどうして?
焼き鳥屋はパンチパーマじゃないと出来ないの? >>337
その焼き鳥屋は店長の提案で従業員全員パンチパーマの店だった
今でこそパンチパーマはダサイけど
当時はカッコイイと思われてたんだよ >>335の続き
そこでも仕事が長続きしないから家賃が払えないので
1年で、わいは帰省することになった 大学を1年で中退し、その後その都市に残り仕事をしても長続きしない
専門学校も中退し、その後その都市に残り仕事をしても長続きしない
わいは親に対して済まない気持ちで帰省し
家業の建築業を手伝うことになった その当時は大工仕事ばかりだったので、わいが出来る仕事がなかったので
地元の自動車教習所に通うことになった
高校時代、汽車で通ったように高校がある街で降りて
バスに乗って隣町の自動車教習所に通うことになった わいと同じように自動車教習所に通う人が居たので、その人について行けば良かったのに
わいは何故か別行動をとってしまいバスが出る場所がわからず町中をうろちょろした
床屋の主人が顔を出し「もうバスは出たよ」と言ったので
別のルートで教習所に遅刻して着いた 翌日から実地教習が始まったんだが、とても怖い教官だった
わいが前日遅刻したのが気に要らなかったせいか、その教官は常に怒ってた
当時はAT車専用免許はなかったので
アスペで運動音痴で気が弱いわいは緊張して何度もエンストした
その度に怒鳴られたり頭を叩かれたりした わいは元々クルマが好きな訳ではなかったから
ついにズル休みをした
二階の子供部屋から派手に階段を転げ落ちた
(本当は痛くないが)足が痛いから今日は休むと言った
その後その教官は頭を叩くから怖くて教習所に行けないと親に泣きつき
なんとか教習所を止めさせてもらえた 大学・専門学校・自動車教習所と三回続けて断念したわいは
おおいに落ち込んだ
家では、わいな出来そうな土方仕事だけさせられた
その頃、姉も短期大学を二度も中退してた
腎臓病が悪化し週2回、4〜5時間かけて透析するので授業に出られないのが理由だ それでわいは罪滅ぼしのため
姉に腎臓を提供したいと親に言ったのである それでは続きを書きます。
わいは泌尿器科の大部屋に入院させられたが
姉は個室に入ったが母親が付きっ切りで看護してた
当時は看護婦と呼ばれたのだが
白い帽子・白ドレス?白いタイツの彼女らは、まさに白衣の天使だった 最初に見た看護婦は見た目も声もアイドルのように可愛い人だった
国立大学に隣接してる病院なので、どうせ大学生の男が居るんだろうと諦め
病室のベッドで横になりながら読書に集中することにした
ちなみに読んでたのは加藤諦三の本だ そんな時、小柄でちょっとブスな看護婦が自分の股間を指さし
「検査のため、ここの毛を剃ります」と言ってきた
わいが照れ笑いすると、その看護婦も笑った
「風呂に入ってからにして下さい」と言ったら了承してくれた
だが暫くすると、その看護婦は「今、剃ることになりました」と言い
カーテンを閉めた わいが童貞を捨てたのは確か21の時だった
相手はド派手なメイクをした年上のトルコ嬢だった
シックスナインすると肛門から糞の匂いが漂ってきた
だから女にチンポを見せる行為は恥ずかしくはない
しかし同学年と思える、その看護婦と二人っきりになった時
ムラムラしてしまった 同学年の看護婦はわいのチンポに集中してる
その横顔は、よく見ると可愛く見えた
白衣を身に着けてるので尚更そう見えたのかもしれない
勃起してはいけない場所で、わいと看護婦・・・
わいはフル勃起してしまった
そして、その看護婦も好きになってしまった わいは病室のベッドで加藤泰三の本を読み「人生とは何ぞや」と考えたかったのに
4〜5年ぶりに人を好きになってしまった
ところで最初に見た可愛い看護婦だが
その人もわいに興味があるみたいだ。退院後、姉からもそんな事を言ってた
しかし患者はジジイしかいないからだろう
わいが運転免許がないと知ったらフラれるはずだと思い眼中になかった
今でこそ運転免許がない男は別に珍しくもないが
当時はそれがない男はカタワのように思われてた 実はもう一人好きな看護婦がいた
その人は年上でドクタースランプあられちゃんのような風貌をしてた
この看護婦はわいに頭をボウズにするようにと言った
「腎臓とは遠い位置にある頭をなぜボウズにするのだろう?」と思ったが
チン毛を剃ってくれた看護婦を忘れるため、わいはボウズ頭になった
後でその指示は間違いだったが、わいはアラレちゃん看護婦を責めなかった
そしたら、その看護婦から好意を抱かれるようになった 「先生から退院は○○日らしい」とアラレ看護婦に言うと
「良かったね」と言ってくれた
それから急に親しくなり、病室で目が合うと笑顔を振りまくようになった
その後、最初に好きになった看護婦
(チン毛をそってくれた看護婦)は4〜5日見なくなった
有給を取ったのかもしれない
しばらくぶりに会うと非常に冷たい対応されてしまった
わいは、その看護婦をフッてしまったようだ わいの病室は6人部屋で、わいのベッドは廊下側にあるのだが
アイドル看護婦とアラレ看護婦が廊下を歩いてると
アラレ看護婦はわいに笑顔を振りまくがアイドル看護婦は面白なさそうな顔でわいを見た
そういえば中高生時代に好きになった3人の女と
看護婦の3人は同一人物なのか?と聞いた人が居たが
何度も言うが全くの別人だ
ただし、この6人には共通点がある
6人とも目が小さいことだ。わいは目が小さい女が好みだ なんだ。続きを読みたい人がまだ居たんだ
わいは今年62になるが、この歳になってやっとヒキを卒業する気になったんだよ
だから、この板のことはすっかり忘れてた >>359
Tさんというのは中学時代に相思相愛の関係だったのに付き合うことなく卒業した人だ
わいは前科者のヒキだから同窓会に出席したことがない
だからTさんは、その後どうなったかは知らない
ちなみにTさんと同じ苗字の人を高校時代好きになった
相手はその気がなかったので片思いだったが・・・ その後、腎臓移植手術のため大学病院に入院するのだが
>>356に書いてる「アイドル看護婦」という人もTさんと同じ名字だった
つまり非常にありふれた名字の人だということだ
その名字は、わいが小学生の頃に亡くなった爺さんの下の名前によく似てる
わいは姉や母親の影響でスピリチュアルな考えをするようになったのだが
これは偶然ではない気がする 大学病院を退院したわいは、田舎に帰り実家の建設業の仕事の手伝いをすることになった
親父が経営者なので、わいが時期社長になるのだが
わいは、前にも書いたとおり田舎で建設業を継ぐのが嫌だった 理由は、わいが小心者だからだ
建設業だから荒くれ者が多いのに、そんな連中の上に立つのが嫌だった
おまけに、こんな田舎ではなく都会で暮らしたかった
実家には1〜2年居ただろうか?
わいは再び都会に出ることになった
学校に通うでもなく会社に就職するでもない わいは田舎から都会のアパートに電話し住むことになった
当時は無職でも部屋を借りることが出来た
運転免許がないので親父のトラックに荷物を積み
母親と3人でアパートに行き荷物を下ろした
考えて見ればよく両親は許可したものだ
しかし、その1〜2年後
わいはその都会でグリコ森永事件を模倣した犯罪を犯すことになった 普通は、その地で就職が決まってから引っ越すものだが
わいの場合はアパートが決まってから就職先を決めた
しかし自分嫌いなわいは、履歴書を書くのが苦手だった
つまり自己アピールするのが苦手だった
生活費や家賃が払えるまでは歓楽街をぶらつき
それらが払えなくなると日払いの仕事に就いていた 日払い仕事は、土方や運転手助手しかなかったのでそればかりやった
しかし長続きしなかった
母親に電話して数万円仕送りしてもらうことがあった
そんなことが何度か続いた時だ
電話に母親ではなく親父が出た
そこで送金を頼むと、親父はとぼけたような声で「金がない」と言った
それは、そうだろう
勝手に家を出て「金くれ」が何度もあれば普通は怒るだろうが
怒らなかっただけ親父は優しかった それでわいは、ダメ元で某企業に脅迫状を書いた
もし金が手に入らなければ自殺しようと思った
事件に関することは聞かないで欲しい
その代り、裁判や弁護士のこと
留置場・拘置所・刑務所のことは次回から書くつもりだ >>369
金が手に入らなければ自殺しようと思った、と書いたが
何度も自殺を考えるヤツに限って実行に移せないものだ
以前にも書いたがわいが初めて自殺を考えたのは中1の時
本気で自殺しようとしたのが中3
刑事ドラマでタバコを食べて死んだシーンがあったので
試したが死ななかった それ以降も「死にたい」と思うことが何度もあったが怖くて死ねなかった
事件を起こしたのは25歳だが
今から思えば、わいの精神年齢は15歳以下の子供だった
脅迫状には300万円を指定の場所に置け、と書いたのだが
30万円くらいならその場所に置いてくれるのでは、と思ったし
0円なら数日後に首を吊って自殺するつもりだった 指定の場所に行くと刑事が何人かいた
近くの交番に連れていかれ指紋を取られた
可哀想に、そこには何の罪もない高校生もいた
翌朝、わいのアパートに刑事がやってきた
わい粘ったが手紙の指紋と交番でとった指紋が一致したので逮捕となった
わいは素手で脅迫状を書いたのだ
ビニールやプラスティックなら指紋は採取できても紙は大丈夫だと思った >>373
ひょっとして出所後ずっとヒキだったと思ってないか?
出所したら田舎に戻り、後ろ指刺されながら家業の建設業をやったよ
その後「コンクリートから人へ」の民主党政権になり
公共事業頼みの田舎の建設業はバタバタと倒産していった
15年前、母親は認知症になり、わいは炊事仕事をすることになった
それでヒキになったということだよ >>374の続きを書こう
わいは生まれて初めて留置場に入った。そこは半円形の建物だった
国会議事堂をイメージしてほしい
議長席に看守がいて、議員席に囚人がいる
ただし議員席は2階になっており、大小便の水を流す際は
「先生、用便お願いします」という
看守は机にあるボタンを押せば囚人の汚物が流れる仕組みだ うっかり囚人と書いてしまったが、まだ刑が確定してないので容疑者だ
1部屋3人雑居房に入ったが、最初はヤクザの組長とわいの2人だった
その組長はとても良い人で差し入れのバナナをくれたり
自分が着なくなったピンク色のジャージ上下をくれたりした
容疑者なので私服で過ごすのだが床は畳にカバーを敷いてる
多くの人はジャージ姿で警察や検察の取り調べを受け
裁判になるとスーツに着替えるらしい 逮捕された夜は眠れなかった
わいは「どうしよう・・・」と言って愚痴った
組長は「今は取り調べで何を語るかを考えることだ」と言ってくれたのだが
わいは「そうではなく、新聞に載ったらということだよ
組長さんは慣れてるからいいさ」と心の中で思った
その夜は地球に隕石が落下して人類が滅亡したら良いのにと真剣に思った
翌朝、残念なが隕石が落下せず人類も滅亡してなかった 留置場では楽しいこともあった
夜になると「○○歌謡ショー」なるものが開催される
○○というのは、その警察署の名前だ
全員参加でアカペラで歌わせられるのだ
以前、中学の学園祭で弾き語りしたと書いたが、わいは人前で歌うことは割と好きだった
○○歌謡ショーでは任侠物の演歌が多かったので
中学で歌ったフォークソングを歌う雰囲気ではない
わいは自己流のこぶしを使い演歌を歌った。あれは楽しい思い出だ ところで、わいの容姿は身長157cmの童顔だ
まだ宮崎勤が逮捕される前だから
他の容疑者や看守・警察官らは違和感があったらしい
ここでも可愛がってもらった
「可愛がって…」というとケツを掘られたように思うかもしれないが
それは映画の見過ぎwww
ゲイの人は刑務所に1人居たが看守が常に見張ってるから危険な目にあったことはない 両親が留置所(警察署)に面会に来てくれた
刑事ドラマで見るガラスの壁との対面となった
わいは何度も頭を机にぶつけ「ごめんなさい」と謝った
両親の隣に居る警官は苦笑いを浮かべていた
親父は涙を流してた
わいが泣きながら謝罪したから、もらい泣きしたのだろう
親父の泣き顔を初めて見た面会だった すまんが、今日で匿名掲示板を卒業することにしたよ
これまでの自分史はミクシィに書くつもりだ
わいは今年62になる
わいが君ら(たぶん20〜40代)の頃、60まで生きてるとは思ってなかった
ちんぽが立たない老人だから夢などないと思ってた
今年91になる親父は人工肛門をつけるようになり
わいが親父の糞袋(ストーマ・パウチ)を取り換えなければならず
気持ち悪い介護をしてる
5年前亡くなった母親の葬儀で急に脳梗塞になったという仮病を使って
出席しなかった姉は親父の仕送りで生活してる こんなクソ姉に育てられた甥は俺を「お前」と呼ぶ
前にも書いたが、俺は姉に左の腎臓を提供した
だから俺が腎臓を提供しなければ甥はこの世に居なかった
甥には何度もお年玉をやったのにだ 甥は、俺と同じ引きこもりだ
姉は甥に某国立大学を一発で合格できると言って滑り止めしなかった
一流大学の受験を失敗した甥は
プライドが高いせいで仕事もつかず引きこもり生活だ 姉は昔から次々と新興宗教に凝ってた
体が弱いせいで母親に甘やかされたから
まじないを唱えれば願いが叶えられると思ったのだろう わいが腎臓を提供してから数年後
わいは若気の至りで刑務所に入ったが
同じころ姉は清掃会社の社長と結婚した 数か月後、甥は生まれた
姉夫婦はワールドメイトという新興宗教にハマった
この教団はワールドメイトと名乗る前にコスモメイトと名乗ってた
実はわいは、この教団の本を買って読んでた それは出所後のことだ
ある日、テレビのニュースにコスモメイトの深見青山が信者をスリッパで叩く映像が映し出されてた
それでわいは、コスモメイト(現在 ワールドメイト)を退会した 姉夫婦だけで新興してれば、わいは文句を言わなかった
だが両親を勧誘しようとしたから文句を言った
それで仲違いになり、わいに懐いてた甥は
数年後「お前」と呼ぶようになった >>383
本来なら順序立てて続きを書きたいところだ
刑務所時代の面白い話も披露するつもりだった
だけど今年に入ってから大変な出来事が沢山ありすぎて
書き込むことが面倒になった >>385から
人工肛門?ストーマ?なんのこっちゃ?と思うかもしれないが
色々な出来事がありすぎて書き込めないので
これでこのスレは終わります。
最後に・・・わいは今年62になるが「人生を諦めてない」 >>394
詳しくはないけど人工肛門のストーマなら介護保険でできるんじゃないの?
母が人工膀胱のストーマなったけど家族誰も出来ないから訪問看護頼んでやってもらってるよ
病院でもそういう説明されたけど >>398
介護保険でストーマ・パウチはタダだよ
親父は回腸ストーマだから下痢便だ
だから本人以外は誰でもストーマ・パウチを交換できる
匂いと気持ち悪さを我慢できればね・・・
わいは5chを卒業するというのに書き込んでしまったよ >>395
女性とデートしたことなんてないよ
多分一生ないだろうね >>399
デイ・サービスに頼んでもらってるが
コロナのクラスターで、わいが取り換えるしかないんだよ
地元の老人ホームに入って欲しいが介護認定が低いから入れないんだよ
都会に行けば入れるんだろうけど
親父は行きたくないというから仕方なくシモの世話をしてるのさ
前科者のわいを勘当してくれなかった恩があるからね
それにしても、わいの人生を狂わしてくれた姉が憎い! 姉は散々世話になった母親の葬儀に仮病を使って欠席したんだよ
わいは38年前、姉に左の腎臓を提供した
わいしか合う腎臓がなかったから姉の命の恩人だとは思ってない
それより姉の個室で布団を敷いて必死の看病した母なのに
急に脳梗塞になったと仮病を使って葬儀に欠席した姉が許せない! 姉は幼いころから病気がちだった
だから母親に甘やかされた
姉にとって母親は自分の召使だと思ってるのだろう
だから葬儀に欠席してもなんとも思ってない 時代は繰り返すもんだ・・・
今度は姉が息子(わいの甥)を甘やかしたようだ
「勉強ができる」と囃し立てた
その結果、滑り止めをせず某国立大学を受験したら不合格だった
プライドが高い姉に育てられた甥はその後ひきこもりになったwwww それでも旦那の仕事がうまくいってればいいさ
旦那の会社は倒産した
知恵遅れの姪を英会話教室に行かせるくらいプライドが高い人だった 社長夫人ではなくなった姉は離婚した
旦那が浮気したことが直接の原因らしいが
姉が酷いことをいったことで浮気するようになったのだろう 一家でワールドメイトというカルト宗教を信仰してたのに
ご利益がなかったということだろうwww
実はワールドメイトの前身であるコスモメイトをわいは知ってた
書店てたまたま教祖の深見青山の本を購入し熱心に読んだ ある日ニュース映像でコスモメイトの映像が流れた
信者による告発映像だろう
昭和歌謡を笑顔で歌う深見青山(現 深見東洲)が映し出された次の瞬間
鬼の形相の深見がスリッパで幹部の頭を次々と叩く映像が流された これでわいはコスモメイトの信仰をやめた
信仰といっても当時は宗教法人の許可が下りなかったので
書籍やグッズを買ったりするだけで、お布施はなかった わいは出所後、親父が経営する建設業をしてたのだが
前にも書いたが跡取りになるのが嫌だった
気の弱いわいが強面の従業員の先頭に立って仕事するのが嫌だから
毎朝、希死念慮を抱いてた 体の弱い母親の影響で健康に興味を持ってたので
カイロプラクティックの仕事がしたいから都会に行かせてくれと親父に言った
授業料はわいが稼いだ金で払うと言って跡取りを免れた カイロプラクティック学校の授業料の金は、酒や風俗に流れたので足りない
冬場は仕事がないので某県の自動車工場で努めたいと親父に言った
だが、あまりの過酷さで数日で自主退職した
その時、姉から渡されたのがコスモメイト(現ワールドメイト)の本だった 姉一家のみがワールドメイトに信仰するなら文句は言わなかった
だが両親も布教しようとしたから姉に文句を言った
これがわいと姉との仲違いの原因である
宗教は本当に怖いものだ 実は姉はワールドメイトの前に阿含宗に信仰してたことがあった
姉が新婚の頃だった。マンションの一室で
「阿含宗からブッダの遺骨を10万円で購入した」といって興奮してた
たぶんそれは親父の金で購入したものだと思う
母親はありがたいと思ったようだが、わいは懐疑的だった
2500年前にブッダの遺骨が市場に流通してるわけがないだろ
もしミイラのようにブッダの遺骨が保存されてたなら博物館にあるだろ
と思ったが、姉と母親は本気だった その後、わいのいう通り阿含宗は偽物だと分かった
次に超能力団体を信んじたようだが、わいの指摘したとおり偽物だった
その次のワールドメイトは一家で信仰したが
旦那の会社は倒産し離婚したので偽物と気づいたのだろう その前年あたりの出来事だった
高校生になった甥と姪が家族と共にやってきたので、お年玉を上げた
その頃のわいは親父の仕事を手伝ってたので自腹で、お年玉を上げた
わいが「はい」と言ってお年玉を上げると甥が「ん」と言い
知恵遅れの姪も「ん」と言った
幼い頃わいに懐いてた甥と姪が、別人になってた!! 5年前の早朝、母親が意識を失ったので救急車を呼んだ
ドクターヘリで都会の病院に運ばれた
親父もドクターヘリに乗り、俺はクルマで病院に向かった その夜、確か親父は病院に宿泊したと思う
わいが帰宅したら従姉から電話があり母親のことを聞かれた
叔母さん経由で知ったらしい
ところが姉からの電話がない、それで姉に「心配じゃないのか」と電話をした これが姉と不仲になる切っ掛けだった
姉は、母親がドクターヘリに運ばれた病院と同じ都市に住んでるから
毎日見舞いに来ると思った
ところが「関節ヘルニアでこれない」「息子(当時30歳)が体調が悪いからこれない」
と理由をつけて見舞いに来なかった 30歳の甥(無職)は寝かせておいて姉だけで見舞いにやれないのか?
と親父が姉に言ったら姉は激怒したそうだ
それなら姉と甥と姪を載せて見舞いに行かないかと聞いたら
あんなキチガイ(わい)の運転するクルマなんて怖くて乗れないと言ったらしい ちなみに姉は運転免許はあったが事故を起こしてから運転しなくなった
甥も運転免許がない
親父が甥に教習所の金を工面したが生活費に使い込んだらしい
姪は知恵遅れだから当然ない 地元の町立病院に転院した母親は高齢のため回復する見込みはないと言われた
父親は姉に「金を出すから見舞いに来てくれ」と懇願したが結局来なかった
母親は、あんなに大好きだった姉が見舞いに来たのは
ドクターヘリが到着した都会の病院の一回だけ
そして母親は亡くなった・・・ 母親が亡くなった朝、親父は姉に電話をした
その後、甥から姉が急に脳梗塞になり葬儀に出席できないと連絡があった 親父もわいも親戚もみんな姉が仮病だと分かった
それでも親父は姉を批判しないので誰も文句は言わなかった
だが、わいは我慢できなかった
葬儀が終わった数日後、姉の家に電話した 甥が現在の病状を淡々と伝えた
わい何か聞いたら、甥は「ん」と答えた
お年玉を上げたとき「ん」と答えたことを思い出したわいは
「ん、じゃなくて、はい、だろお前」というと
「お前とはなんだ!」と甥が応戦したので
「隣に姉がいるんだろ出せ!」というと甥が訳の分からない暴言を吐いて電話を切った あれから5年
今度は親父が人工肛門の手術をした
最初は地元の町立病院に入院したが緊急手術をするため
姉が住む都会の病院に転院となった ちなみに親父は毎年1回、姉の住むマンションに自ら運転していってる
だが高齢のため一昨年から行ってない 親父によると姉は脳梗塞の後遺症で左右の顔が変形しており
若い頃から結核に悩まされてる甥はやせ細って青白い顔をしてるらしい
姪は相変わらずの知恵遅れだ 15年ぶりに姉と甥と姪を親父の手術前に見た
甥はすぐ分かった
姉の言いなりの親父は「甥は痩せ細ってると言ってた」が
わいの予想どおり甥はやっぱり、ぽっちゃりして元気そうだった
姪はバカ面だから分かった
姉は単独だなら多分わからなかっただろう
マスクをしたせいでシワが隠れてたのかもしれないが63歳というより33歳に見えた
世話になった母親に線香の一つも上げてない姉は
罰が当たるどころか若返って健康そうなのに驚いた 5年前、脳梗塞になって母親の葬儀にでられないと言った姉だが
後遺症は全くない
普通に歩けるし、普通に話しも出来てた 親父の手術は1時間半ほどで終える簡単な手術だから帰っていいですよ
と病院のスタッフに言われた
わいは姉一家をクルマで送ってやろうとおもったら
姉一家は早歩きでタクシー乗り場に向かった
あんなに元気な姉を久しぶりに見た(笑) そういえば、親父の手術中
姉の脳梗塞について聞いたら「リハビリ」と一言だけいって顔をそむけた
これ以上のことは聞くな、という空気を感じたので聞けなかった 親父が運ばれた大病院は姉が住む地元だったせいか
先に姉一家が着いたと書いたが
姉が勝手に「身元引受人」の欄に自分の名前を書いてた
仕方ないので親父と同居してる俺が「連帯保証人」の欄に自分の名前を書いた わいは帰宅すると親父の手術が終わってると思い病院に電話すると
連帯保証人は主治医からの連絡ができないと言われた
その後ケアマネジャーが姉と電話して交換してくれるよう言われたが
姉に電話しても、わいの電話番号を登録して留守電にしてるから繋がらないと言った
ケアマネジャーから姉に電話してようやく
わいが身元引受人になった 親父はその後、地元の町立病院に転院することになった
わいは親父を地元の老人ホームに入れて仕事するつもりだったが
貧乏な地元の自治体はこの程度では入所できないという
そこでわいが親父のストーマパウチの取り換えができるようになれば
親父が退院できると言うのだ 忘れもしない2月24日だった
親父のストーマパウチ交換の講習したときウンコの匂い等で吐き気を催した
前日にカレーを作ったのだがカレーライスが食べられなかった 親父は最後にわいに言いたいことがあると言った
「俺は用事があるから早く退院したいんだ」と一言いった
後ろの看護師が「銀行へはコロナの関係で外出できませんよ」と言った
それでわいはピンと来た
親父の用事とは姉の仕送りをしなければならないから退院したいんだ
ということだった わいは前日作ったカレーを食べられず自棄酒を飲んだ
何で親父の介護をしない姉一家のため
ストーマパウチの取り換えを一日も早く習得しなければならないんだ!
姪は知恵遅れだから仕方ないが、甥は35になるのに働かないし
姉だって、わいの腎臓提供のせい元気だから働けるはずだ わいは酔った勢いで姉に電話した、出てきたのは甥だった
姉は俺が出るとヒステリックになり直ぐ電話を切る
自分が悪いと分かってから会話したくないのだろう 姉一家は都会で暮らしてるのだが
その都市で仕事をしてる訳でもなく友達もいない
だったら、わいが住む田舎に戻り親父の世話をしたらどうだ
わい家を出て近くの団地に住み仕事する
ストーマパウチは仕事に行く前にわいがやる
だから戻ってこい、という内容だった 5年前に母親が亡くなったときの電話は
葬儀に来なかったことを詰った
わいが偉そうな態度だったので甥は途中で電話を切った
今回は61のわい丁寧語で会話したので35の甥は電話を切らなかった
しかし甥は「お前は、偉そうなことを言うな」
「お前が刑務所に入ったせいでジジババから殴る蹴るの暴行があった」
と笑っちゃうような嘘をついてきた 甥は幼い頃はわいによく懐いてたが、まったく別人になってしまった
たぶん甥もわいと同じ運命・・・受刑者になるだろうと思った
それも姉を殺して
母親は姉を甘やかしすぎた結果、葬儀に欠席した
姉も同じ道をたどるのだろうと思う
わいも受刑者だったが、わいの35歳よりもっと悪人になってる
今は姉の洗脳によって悪人はわいになってるが
洗脳はいづれ解けるだろう
解けたとき甥は姉を殺害するだろう
このことは誰にも言えないが、そう思った その予想は当たるだろうね
人生とはそのようなめぐり合わせになってる
断ち切る力は姉と甥にはなさそうだ
何を進言しても聞き入れてくれないんだろうね >>401
おしっこ漏らしたりしておむつ交換する? >>388
宗教何才くらいから?
友人関係からの影響かな? 返信遅れてすまないね
わいは60歳以上板に常駐してるんだが
この板は若い衆が多いから来る機会がないんだよ
この板にスレ立てたのは
わいのような犯罪者になって欲しくないからなんだよ
ヒキは犯罪率が高い気がするんでね >>444
やっぱり君もそう思うかい
正直な話、わいは甥が姉を殺すのを願ってしまうんだよ
同居してる知恵遅れの姪も大声出したため一緒に殺すんじゃないかと
あるいは姉(母)が居なくなると不憫に思えて・・・ しかし、そうなるとわいが裁判所に出廷したり
姉一家のマンションの後片付けもしなければならない
親戚付き合いは全くしてないし
親父が死に仕送りが途絶え、甥が洗脳から覚め姉を殺害するのが
わいのシナリオだからね わいに向かって35歳のヒキの甥が
61歳のわいに向かって「おまえ」と呼び罵倒するんだよ
ストーマ・パウチ(人工肛門の糞袋)の交換の講習を病院でやった後
わいは親父のウンコと匂いで吐きそうになった
親父はその後
「姉に仕送りをしなければならないから早く退院したい
早くストーマ・パウチの交換ができるようになってくれ」のようなニュアンスのことを言った その夜、前日に作ったカレーライスが食べられず酒とツマミを買った
わいは毎月2万円の小遣いを親父からもらってるが
何もしない姉一家に18万も小遣いをやってるんだよ
それで酔った勢いで姉に電話したら甥が出た
甥は姉と一緒ですぐ癇癪を起し途中で電話を切る
だから丁寧な言葉づかいで話してるのに
ヤツはわいに「前科者のお前が言うな」と言ってくる
そもそも、わいが喧嘩を売ったようなものだ
だから彼らのことは思い出したくないんだよ >>445
おしっこは漏らしてるようだね
自分のパンツに大人用おむつを入れてるみたいだね
それは自分でできるんだが
ストーマパウチの交換は自分でできないから困るんだよ >>446
誰からの影響なのか聞いたことがないので分からない
最初に阿含宗を信仰してたんだが20前からだと思う
宗教に凝りやすいのは母の影響だろう
母の弟、つまり叔父は真如苑に凝ってた
病院の検査で悪い結果が出たのに病院に行かなかった
真如苑の役員をしてたので、そっちの仕事を優先したようだ
信仰の力で治せると思ったのだろう
だが60歳で、あっけなく亡くなったよ
そんな宗教に凝りやすい弟を母は小馬鹿にしてたが
母も「私は霊感が強いから…」とよく言ってたので
わいからしたら、どっちもどっちだろうと思ってた そういえば逮捕されて留置場の入った25歳から
去年までの36年間のことを書いてなかったね
明日から暇をみては書いてみるつもりだよ
こんな駄文を読ませて、すまないね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています