松果体開発総合【番外編】
松果体開発にまつわる広範囲な情報交換・語りを取り扱う総合スレッドです。
直接的に関係がなくても開発過程で出てくるサブ的なこと、神秘体験談、独自の開発法、おすすめ方法など...ご自由にどうぞ。 >>399
エーテル界は一番表層の部分で、宗派によってはまやかしとか幻とか表現されている次元で、エーテル界での縁となれば物質的思考的エネルギー的相性は問われるけど、もっと高い次元で結ばれた縁はそういったものすらなんら障害にならない深く厚みのある縁ということなんだね
仏様が全ての命に等しく慈愛を注げられることに繋がると思われます >>399
>>418
>>419
高次のワンネスは到達の難易度が高いけど、全ての生命にその素質があるから不可能ではないんだよね。
全ての元はワンネスだしね。
だから逆に難易度が低い。
でもそれ以外の次元で魂と魂が繋がり合えること、
これはやっぱり相性や縁やら必要で誰とでも繋がれるわけではないしその次元で通じ会える者同士しか可能ではないんだよね。
どちらが難易度高いかでいえば後者だと考えます。 ワンネス以外の次元で生きる人生は自分の人生だけど、ワンネス以外の次元が望めない人生は神からのお導きでこれはもう自分の人生ではないな
きっとカルマから抜ける人生だな
ワンネス以外の望みが何も一つも叶わない ワンネス以外望めない人生になった
ワンネス以外の次元で発展する色んな人との縁やそれによって起こるドラマや喜びや昇華や広がる輪が望めない
光栄なことだと思ってる... 救世主板は規制を受けてカキコ出来ないのでこちらに。
救世主は東北出身らしいから大谷翔平だろ。
伊勢白山道によると、人間の転生者でなく氏神様の生まれ変わりらしい。
なんか早くからメジャーに行きたがっていたよね。
衆目の集まるところで価値観を変えていく、こういうジワる影響力こそ
現代の救世主ぽいとオモ、そのうち野球とかいうジャンルを超えて全世界的に
お手本とすべき人間像として定着すればどんな宗教の教えより世界を変える。 ブチ上げ過ぎたので少しフォローを。
今時、救世主ぽい登場しても万人の共感を得ることは難しい。
むしろ皆が共感する場で、人の先の神に近いパフォーマンスを見せた方が
人種、宗教、年代、あらゆる違いを超えて心に訴えかけることが出来る。
特に彼は神系の生まれ変わりらしいから、やっぱり人間だよね、というボロは
見せないだろう。
そして出自は氏神様でも、もっと大きな神界の計画一環として
降りて来た可能性もある。
だとしたら、大谷サンのような神界の生まれ変わりがどんどん各ジャンルに出現して
圧倒的なパフォーマンスを見せて人々に先に進む事を促すのでは。
そして後から見ると、その変化の先端に大谷サンが居たということで
救世主扱いになるかも。
今ドキ手あかのついた救世主ぽいパフォーマンスで登場する
ヤボな救世主なんていない、とオモ。
あっ、こういうのはフォローと言わないなスマソ。 救世主スレ面白いですね
キリスト系のグループがもしいらっしゃるなら参加してみようかな
キリスト系と違う概念の仏教を差し込むために
なんつって!笑 ちょうど見つけたお釈迦様のお言葉ですm(__)m
「実に或る人々は誹謗の言葉に反発する。
彼ら浅はかな小賢しい人々を我らは称賛しない。
論争の執着があちこちから生じて彼らを束縛し、
彼らはそこでおのが心を遠くへ放ってしまう
(スッタニパータ)」 >>79
第7チャクラですかね
>>415
深い瞑想に入ることで大いなる知恵に触れるため
真我に到達するため 瞑想状態にある意識状態が本来の意識でないかと思われる >>418
聖なる関係は自我と愛に由縁しない、それらを超越してるから 意思決定は無意識下で行われて意識はそれを追認しているに過ぎない。
という無意識主体による意思決定、意識追認説があるが
瞑想が深くなるとそれがよく判る。
言語とイメージで意識化される無意識との境界線があって
無意識の意思決定は方向性を持った抽象的なエネルギー、波動として捉えられる。
この抽象的なエネルギーが具象化の範囲を決める、と言う意味では
無意識が意思決定をしているといえる。
そのまま放置しておくと無意識の慣性のままベタに意識化されてしまう。
瞑想でこの抽象化→具象化の際に、無意識が決定した方向性は変えられないが
具象化の細かい記述、表現には意識も参加することが出来る。
そしてそれをやっていると無意識との対話の回路が出来る。
これがポジティブ思考からの願望成就や引き寄せの仕組み。
ポイントは無意識の持つ方向性、エネルギーと対話してそれを転換する
ポジティブシンキングをすること。
ただ単に自分の都合の良いことだけを考えるのは意識の独り相撲で
意識と無意識の乖離がひどくなるだけ。
だから真のポジティブシンキングは瞑想して無意識と繋がらなければならない。
蛇足でやり方も書いて置くと、無念無想に近い所まで降りて自分の願望を
想起してみる、無意識の方向性と合ったモノだとその願望が非常にリアルに
感じられる。
それを感じられたら「もうすでに実現している」かのように思えるまで
想念の内容を調整して行く、無意識の持つ方向性と合うとそこがピタリと
決まる、それがポジティブ方向のフラクタルな感覚なんだが
多くの人は現状維持の慣性かネガティブ方向のフラクタルな感覚に支配されている。
仏教で言うと「縁生」かな、自分の業の範囲で良い縁を求める。
その辺に自覚的になると業自体が相依的だから業=運命を変えることが出来る。 >>435
>無意識の意思決定は方向性を持った抽象的なエネルギー、波動として捉えられる。
>この抽象的なエネルギーが具象化の範囲を決める
霊視に似てますね 現象の持つ粒子性も波動性も情報としてホログラフィックパラダイムに
統合される。
その中で主観と客観の接点となるのがフラクタル(自己相似)
接点と言ったがすべてが情報でそれを認識する何かを「存在」
と定義するならフラクタルの一点でしか存在し得ない。
つまり自己とは、情報の座標軸の一点に認知を下ろして
その一点からの情報のつながりの慣性、と定義できる。
パラレルワールドというと並行世界が物理的に存在していて
何かのはずみにそちらに移動する、という理解があるが
世界をホログラフィとして見た場合、一瞬一瞬がパラレルワールド
の選択で時間と言う概念さえ認知の慣性に過ぎない かも。
ホログラフィの中で認知を安定させるために色んな設定があって
それらはデフォではあるがそれぞれが無自覚に追認している
時間とか空間とか個としての枠組みとか。
情報である人間が情報を自在にコントロールするためには
設定の仕組みを理解してそれから抜け出すことが必要。
その道筋を発見したのが釈迦で、情報のしがらみから抜け出す技法を
重点的に展開したのが原始仏教、その設定を乗り越えた視点で
情報を自在に操るのが後期の密教。
密教の三密というのは、この世界が相依性=空性により展開する
ホログラフィと見抜いたうえで、存在とは
今、自分が自己だと認知している世界(情報)の慣性的展開=フラクタル
だとしてそれをコントロールするための原理。
釈迦は弟子たちの超能力願望を否定したとされるが、一方で
原始仏教のカリキュラムを修めると漏尽通などの超能力が身に付くとされている。
この矛盾は何かと言うと、パラダイムシフトしないで能力だけ伸ばすと
無自覚な設定に縛られた不自由能力になるから。
そしてパラダイムシフトしてしまうと超ではなく常になる。
よく、本当に霊能力の強い人には霊は視えない説
本当に運が良い人には引き寄せや願望成就は必要無い説、等があるが
パラダイムシフトして世界が違う法則で展開し始めたら
不自然な超能力は必要無くなって来る。
何か感覚を掴んでいるのならそこからパラダイムシフトに発展させるべき。 >>435
>瞑想が深くなると
ヴィパッサナー瞑想のことですか? >>440
ゴメン、我流でやっているのでその瞑想法については良く知らない。
日常感覚を掘り下げていっただけだからね。
それで良かったら説明すると、体のどこか一点(体性感覚)に意識を置いて
そちらに集中すると、言葉とイメージの想起=想念が少なくなって
無念無想に近くなる、だがいきなり無我にはならない。
体性感覚の方に意識を向けていると想念が起きても気にならない状態
一種のゲシュタルト崩壊になる。
そこからさらに想念が消滅するのではなく抽象化されて体性感覚に統合される。
ここで存在とは波動=エネルギーなのだなと感じる。
ここに意識を留められるようになると想念が想起する様子を観察出来
具象←→抽象化に働きかけられるようになる。
深いと言ってもこういう感じで日常感覚の延長。
この先は、瞑想時だけでなく日常でもこの意識を維持する。
すると日常でも周囲の具象性と切り離され「今に在る、ただ在る」状態になる。
人間の個の自覚を1つ点だとすると個の存在を支える情報群は点を囲む周縁になる。
情報を日常的に波動、抽象レベルで処理するようになるとこの周縁の直径が
飛躍的に広がる。
傍から見ると同じように単なる点=個にしか見えないのだが、それを支える
周縁の直径が拡大することで、目に見えないバランスや躍動性のスペックが
大きく変化する。
よくいう人間の器とか魂のレベルなどはこのことだと思う。
道教でいう「無為自然」もこれ、個を支える周縁が大きすぎて円が無い
=無為に見える。
引き寄せや願望成就が不自然なのは、普段は小さな直径の縁の中心で
存在しているのに都合の良い時だけ周縁を広げようとするから。
放てば満てり、で、自我の具象性から離れることが出来れば
喩えると、周縁の直径がメートルからキロ単位に変わる。
すると不自然な願望成就や引き寄せをしなくても先ず自身が
やるべき時にやるべきことをやりたいと思い、そのために必要なモノが
自然と用意されるようになる。
本当に目指すべき能力はこちらでその時の目安になるのが「今に在る」感覚。
ゾーンのロングバージョンと言ってもいいかも、参考までに。 >>441
詳しく具体的にありがとうございますm(__)m
お陰さまでイメージしやすかったです
>体のどこか一点(体性感覚)に意識を置いて
>そちらに集中する
サマタ瞑想に似ていますね
私もここまで出来ますがその先の広がりまではまだまだです。
瞑想をやりこむと過去世の記憶には繋がりませんか?
他にテレパシー、オーラ視、波動を感じるetc・・・ >やるべき時にやるべきことをやりたいと思い、そのために必要なモノが
自然と用意されるようになる。
こうなれず欲や間違った思い・考えからカルマを積むんですよね・・・ 具象性と抽象性というのはフォトンの粒子と波の性質に置き換えることが出来る。
量子力学の解釈だとフォトン(光粒子)は人の意識が観測していないと波の性質を
観測すると粒子の性質を見せるという。
これをホログラフィックパラダイム的解釈に乗せると
人間の意識が向いていないときは確率的情報の拡がり(波)として存在して
人の意識が向いた時に確定的な現実として出現する。
そのように想念(波)と現実(粒子性)は密接なのでボジシンして望む現実を
引き寄せよう的発想がスピ系には多い。
だが、本当のポイントは、抽象的な部分、波の拡がりの部分のコーデネイト。
瞑想して、瞑想して具象性から離れると波の部分は秩序を持って拡大していく。
この具象的部分にも波として拡がる部分にも共通した感覚がフラクタル(自己相似)
この感覚が個(粒子性)と全体性(波の拡がり)を繋ぐワンネス。
個を中心とした円状に広がる波、それが上レスで示したモデル。
粒子性(現実)に囚われると波(選択可能な情報の拡がり)が制限される。
瞑想によって、一旦現実から離れる効用はこれで、普通は意識無意識の関係で
説明されたりするが、ホログラフックパラダイムでも同じ。
このホログラフィックパラダイムを前提として瞑想時だけでなく
現実にも具象性を離れる感覚を持ち込み継続させたのが「今に在る」感覚。
この方向に行くと存在の本質は粒子性でなく波の中(空性)に在ると実感するから
粒子性の区別=前世や予知の方には向かわなくなる。
漏尽神通とか「道」とか悟性を元にした秩序性との同化に関心が行く。
そして世界がホログラフィだと本当の自在性はパラレルワールド的展開の中にある。 ありがとうございます
なんとなくの理解で恐縮ですが、全くその通りだと思います
ただ、他者をワンネスへ導くための手段として予知や過去世記憶の粒子性を駆使する場合があると思います
その手段は粒子性だけでなく使えるものは一切の制限なしに何でも使われます
そのくらい人間が次元上昇するのは簡単じゃないと自分が人間なのでそう実感します ヴィパサナー瞑想法、探したら本棚にあった。
昔、参考にと思って読んだのだが、その時はもう瞑想の方向性が決まっていたので
これは違うなとスルーした。
それから意識で意識を観るというのが日本人にはあっていないなと。
導入部分はそこから入っても良いのだけどその先は
日本人には神道の「神ながら」のように、無意識で意識を観るのがあっている。
この時、自分の意識を意識で記述せずに無意識の境界線でボーと見るのだが
このボーとした感じは上レスのよなにサマタ的瞑想で得る。
本当の集中というのは一点への固定集中では無く、弛緩集中になる。
最初、一点に意識を集めようとすると当然ブレて雑念が湧く。
この雑念を利用しないから瞑想が深まらない。
雑念は邪魔ものでなく瞑想の必須アイテム。
雑念は湧くに任せながらも意識にとどめない、ゲシュタルト崩壊させる。
するとその流れが抽象化されて本来の集中対象を囲んで循環し始める。
これがサマタの弛緩集中の状態。
ここに至ると集中の対象物が何であれ、中心の認識が1つ上の次元に入る。
後は雑念=情報量を増やすほどこの道筋は強化される。
サマタにもこれだけの仕組みがあって、日常にも持ち込める。
ボーとした感じが、この仕組みを日常に持ち込んだ状態。
これは武道などで無念無想からの自在な境地して説明されているモノと同じ。
情報を意識で処理せずに無意識で処理する、すると答えが直感として帰って来る。
これで周円が拡大すると自己の本質である中心点も次元上昇して行く。
ゾーンなどは日常生活での表れの一部で、普通に生きている人間が
とんでもないポテンシャルを秘めている。
もしこの世界がホログラフィであることを認識し始めたらパワーは
解放されるかも、そうさせないためにわざわざ仮想現実を作っていたりして
超能力を特別視して不自由な形に閉じ込めるのも同じことだと思うよ。 詳しくありがとうございますm(__)m
周囲の物音で気が散りそこで集中が途切れ深い瞑想に入れないので無音の環境でやろうと思っていたところでした。
雑念を利用しゲシュタルト崩壊させるのですね。私にもできそうです。
頭を使うわけでなく、深く深く深く集中するだけで悟れる感じなのですよね。
まだゾーンやホログラフィやパワーなどわからない感覚がありますが、ただ
超能力は特別視しているのではなく、他者を次元上昇させる手段の1つとして時と場合に合わせて使うことがあるということです。 「誰であれ、他人を欺いてはならず、軽んじてはならず、怒りや憎しみから、苦しめてはならない。(ブッダ)」
いくらその人が悪業を積み悪想念を生じさせ低い界にいる者であっても、その人に少しでも上昇する健やかな心が表に表れたのならそこに焦点をあてさらに上昇できるようエネルギーを注ぐ スレ違い投稿をこちらで続けてごめんだけど、
>頭を使うわけでなく、深く深く深く集中するだけで悟れる感じなのですよね。
深く深く深く集中するだけでほぼ全ての技法が手に入るのではと思う
自身のネガティブを見切るとか漏尽通とか ゲシュタルト崩壊の続きと詳細。
想念をゲシュタルト崩壊させてボーと照観している時
身体感覚の方は下丹田に力が落ちてそれ以外は脱力している。
雑念の想起は筋緊張と連動するから雑念が起きたら脱力を意識する。
身体の深部感覚である体性感覚もそれが反映されている意識も
ともに連動していて、中心に集中状態、その周囲に弛緩状態が形成され
意識も体性感覚も円の感覚に統合して行く。
ここからは自然発生的に密教瞑想などで言われている月輪観に入って行く。
実際に体験して判ったのだが、あれはイメージから入って行く瞑想などではなく
心身が統合されたところで自然発生する体験を月輪観としてまとめたモノ。
ゲシュタルト崩壊して抽象化された想念が月の輪郭として拡がっていく。
上レスでの量子力学的たとえだと、円周を拡大するほど中心への働きは強くなる。
「すべて」まで拡大したらこの円周は超ひも理論的作用で中心に働きかける。
それがパラレルワールドの入り口。 へええ~!
超ヒモ理論的作用、パラレルワールド、すごい境地ですね!
心身の統合ですか。
とっても興味深いです この分野はマイナーですね
私を含め多くの人は自我とカルマに翻弄されているのかもしれないですね
でも必要あってそうなっているその人の任務なのかもですが この世界がホログラフィックパラダイムなら現実にこそ
瞑想の感覚を持ち込むべきなのだけどね。
現実と瞑想時の意識の違いを簡単に図式化すると
円を描いて円の中心が自我、円周がそれ以外とすると
普通に生活している時の意識は自我がポジで円周がネガ。
瞑想はこれを逆転して円周から自我を俯瞰、観照する。
これにより円の中心と円周の関係性が調整される。
これが正しい瞑想でそれが日常の自意識に反映される。
心理的瞑想を目標としているのならこれでも良いのだが
願望成就や引き寄せを行いたいのなら色々前提や条件が足りなくない?
それはこの世界が心的世界=現実と連動するホログラフィであるという認知と
確信、それから瞑想時の意識をそのまま日常の意識に引き込む事。
「今に在る」という感覚はそれらの過程を経て、瞑想時と日常時の意識の
境界線が無くなった一つの境地で、単なる心理的傾向ではない。
瞑想に沈潜するのではなくこちらの方に広がると
ホログラフィパラレルワールドの方へ行く。
ヨガの覚者の著作などにこの世が幻影であることと自身はそれらから離れて
「ただ在る」と説いているのはこの境地の事で、直接触れてはいないが
パラレルワールドの主になって我々と接触している。
でもよく読むとたんなる心理的悟りでなく自己の存在の変容を
伝えようとしているのが判る。
ここまで行くと超能力というより存在そのものを変える力で
これが真の漏尽通といえるのかも知れない。 アストラル体とアストラル界に気を通せるようになったので今度は過去と未来に気を通せるようになりたいです
浄化のために >>444
>漏尽神通とか「道」とか悟性を元にした秩序性との同化に関心が行く。
そうかもしれないですね
これは小乗の修行かと思いますが、そう思えることがありました
一般的な聖者や宗教の教えですと、神通力を手に入れるより悟りのほうが重んじられます
修行も神通力を手に入れるためにあるのではなくて、修行を積むため修行の面があります
現実世界では修行の成果が出ず無能なのかもしれないですが、修行を積んでいるエネルギーが確実に時空?に刻まれています
それは個人差があるかと思いますが、ある方の例では、苦しみも厳しさも昇華された高尚で静寂な修行僧や僧侶のような気として。 訂正
○神通力を手に入れるためだけにあるのではなく 念を使う系の超能力はたくさんエネルギーを食います
念って執着や自我とも相性がいいと思います
だから念を使う系の超能力より悟りを開いているほうが重んじられるのかももです
それに悟ってくると神通力が備わってなくてもある程度ならわかることができる みんな執着や念によって強固に人間社会と繋がっている
また社会も結婚や恋愛や出世などの意識をかなり煽ってる
これじゃあ抜けられないと思いましたね 今、風の時代と言われているが、この風とは波動的存在感覚の事。
人間の存在感覚がイメージや言語情報の具象性から離れて
波動情報の共有、共感へ向かおうとしている。
これは人類の種としての生理的進化や存在意識の向上、地球や宇宙レベル
での波動の変化、すべてが相まっての総合的方向性。
風の時代の変化を受け入れた人達に起こることは何かというと
先ず先時代の地の性質である具象性(言語やイメージによる情報処理)
から離れることが出来るようになり、身体意識の拡がりを感じやすくなる。
瞑想の習慣のある人は無念無想の状態に入り易くなり、習慣のない人は日常生活で
問題対応中はゾーンを体験して、その合間には心身のリラックスが深くなる。
いずれも日常生活の具象性から離れて波動性の拡がりに意識を乗せられるように
なるので、欲とかエゴから離れられるようになる。
今まで自分の欲やエゴに嫌気が差していた人達は自然にこちらへ行き
そうでない人達との乖離が起きる、これが二極化の端緒。
で、波動の拡がりに身を委ねた方は、波動レベルで情報処理を行うようになり
意思決定を無意識から直観として上げるようになる。
もともと「意思決定は無意識が行い意識はそれを追認するだけ」仮説が本当なら
意識と無意識の関係性が正常化したと言えるのかも知れない。
この変化を多くの人が受け入れると、「自分とは何か」という社会的概念が
変容していく、風の時代は意識→無意識への時代でもある。
意識が変容し始めると松果体を開く準備のため蝶形骨が活性化して身体レベルでの
メタモルフォーゼを促す。
でね、今現在広く受け入れられている、宗教や神秘行、それに伴う超能力などの
概念の多く、特に一般に受け入れられている部分は「土の時代」のフィルターを
通して見てその時代でも受け入れられやすいように構築されたモノ。
風の時代になると感性そのものが変わる、もっと自然な形で存在するようになるから
宗教とか超能力とかいう概念自体が無くなるかも知れない。
今それに関わっている人たちは一旦リセットして自分の感性に従い
一から積み上げ直すことも必要 かもぉ。 >宗教とか超能力とかいう概念自体が無くなるかも知れない。
おっしゃってることと同じ感覚かわかりませんが、そもそも全てが真理へ到達するための方便やその材料ですので、衆生救済に神仏や仏陀や菩薩方がそれらを禁忌なく駆使されお導きくださっていると思っています
悟った者には何も必要ないです
恐らく全て備わるのでね、ある程度の領域までは
>今それに関わっている人たちは一旦リセットして自分の感性に従い
一から積み上げ直すことも必要 かもぉ。
そんな感じがしてます
私も時代の流れに追い付けているのかもしれないです 超能力も同じ行をしている同胞に比べ私はあんまり身に付いてないんだけど、才能がなくて。
でもそれなりに視れるようになったきたので、悟りの境地まで行けば念や意識を使わなくても視えるようになってくると思っています そうなってくるともう超能力じゃない普通の感覚器官的なものと同じになってくるのだろうね
でも悟って終わりじゃなくて方便の駆使する修行も必要でしょうが じゃあ超能力が副次的なもので意味がないなら
意味のない能力も当然使える事ができて主張して当たり前ですよね
つべにでも動画でほとんど意味のない超能力を使うところを録画してアップロードして下さい ブタ切りごめんなさい
瞑想と霊視は似ている
例えそれが霊視でなくても集中の瞑想をすることで現在起きている現象の因果を辿り分析できると思われる
なので、究明したいときは霊視ではなく瞑想することにする
霊視や透視の場合は恐らく自分の意識とは関係ないところからビジョンやメッセージが向こうからやってくるものだと思われる あ、霊視と瞑想は似てると始めに書いておきながら、最後は違うと書いてますね シルバメソッドにESPトレーニングの方法が普通にあり、それはシルバメソッドの本にも普通に書いていて
それと面白いなとおもったのが、イメージで物に入り込んだり一体化するのだけど、
それって鎮魂法で同じ方法あるのよな そうなんだ
大乗の自他交換って瞑想もあるね
昨日は丁度、全ての当事者になれって思ってイメージしてたところ
物の一体化、鎮魂法、いいね
知りませんでした アムリタを感じたくて頭頂部に意識を合わせたら途端にそれらしき感覚が生じた
集中できる瞑想時にやるとわかりやすい
このように意識を合わせるだけでその感覚に繋がるのなら、その応用でチャネリングもできそう でも欲があるとダメでしょう
チャネリングは己の喜び、心の穴埋め、欲を満たすためにするものじゃない
相手にもお時間がある
相応の意識状態になっていないとね >>471
アムリタっていってもかなり初期の低い段階のもの
ひんやりメンソール程度のもの 自分の場合、予知とかテレパシーはエネルギーや波動という形で心身を通して表現されるこちが多く、自分発信なのかどうか自他の区別がわかりにくい 開発は呼吸法や瞑想で行ったけど感度はトランプで行ったな
1のハート、スペード、クローバー、ダイヤ、ジョーカーの5枚×5で25枚。
百均で同じトランプを5つ買えばいい
確率は5分の1で25枚中5枚が偶然で、やっていくうちに頭の中をよぎるようになったり
予感からこれが来そうとしたりする。
冗談抜きで、あっ連絡来そうと予感がしたら電話来たり、逆に来いと念じたらかけてきたりする
一度に3セット以上行うが、頭の中真っ白にしないと感度わるくなるので自動的に瞑想状態にならないといけないので
かなりの訓練になる
感じ取ろうとすると先入観のようなものが働いて逆に阻害する
超能力訓練法として本によく出てたやり方だが、地味だけど確実に効果ある
毎日3セット以上していれば1月ほどで常に10枚以上が当たり前になる トランプではなくて本当はESPカード買えればよかったのだろうけど、そうそう売ってないしね
ダイソーに手品用のESPカードがいちじ売ってたけど、あれは普通に使えるものなのかね ダイソーのESPカードは見方によって透けて見えるんだっけかな
だから使えないと思う それって・・・既に超能力を発揮して視えてるんじゃぁ
って? >>417
コーザル界、お陰様で少し垣間見ることができましたm(__)m 月を凝視するときに眉間に若干力込めると痺れるような感覚あるな チベット仏教の過去スレを見ていたら、密教の修行はイメージ力を使う修行が多いらしくその視覚化が不得意の方は密教の修行を諦めるか否かの岐路にいらっしゃった
視覚化を必要としない修行は仙道があるみたい
私は普段からビジョンをあまり見ないし、瞑想中もなんのビジョンも生じないから仙道系が向いてるのかもって思ったね あとさ、呼吸法のよっては変な肉体感覚が生じるのね
眉間のピリピリじゃないけど、ドラゴンボールの悟空が大猿に変身するときに"ドクン、ドクン"ってなるじゃん
心臓の鼓動に体が大きく呼応してるようなやつね
あれが起きる
それから地震が起きたときの体の揺れと同じものも起きる
ある方はその土地の鼓動と自分のハートの鼓動が共振した・一体化した、とおっしゃってたかな
呼吸法や瞑想中に起きるそれらの体感って何かと共振してるのかね 補足
そのある方の体感はドライブ中のことで行をしているときではないです アムリタ?ググると甘露って出てきますが…よくわかりません
雫のような冷感が時折眉間や頭頂にありますが
眉間に力込めるときは寄せると言うより開く感じですね >>487
ありがとうございます
アムリタかどうかはわかりませんが、大変参考になりましたm(__)m
ちなみにアムリタは超能力開発に直接は関係しないものと思います 今宵は月が綺麗ですね
最近尾てい骨周りが熱く感じる事が度々あるのでクンダリーニヨガ(火の呼吸)を試してみようと思います >>489
月見られましたか
満月でしたね
こちらはあいにくの曇り空でした
尾てい骨周りですか、覚醒前の前兆現象のひとつですね
頑張ってください! >>446>>447
>ここに至ると集中の対象物が何であれ、中心の認識が1つ上の次元に入る
ラージャヨーガの行法に似てます 今夜も月が美しい
そしてその近くに輝く木星、これもまた美しい
時折かかる月暈もまた
世界に幸せが満ちますように >>489
火の呼吸、頭に血が上らない?
脳溢血になりそうで恐い時がある >>495
苦しくなったら呼吸のペース落とすなど注意が必要そうですね
気を付けながらやります
ありがとうございます 【ゲンダヤ文明/マトラクティル・アート文明】
・古代マヤ碑文に記載される
・76万年前に存在した地球最初の文明である
・その文明は2万5千年間継続した
・第三の目を基調とした超能力・精神文明である
・その時代、2つの巨大大陸が存在した
・中央国家は聖王アーラン神が統治した
・男性のみに第三の目が発現した
・女性には第三の目は無かったが子宮にテレパシー能力が付随した
・男性はアカシックレコードを知識の源泉とした
・女性はテレパシーで天上界の神々と交信できた
・第三の目は超能力を発動した時だけ開眼した
・第三の目の色は6種類あり、それぞれ異なる人種・異なる国に所属した
・中央国家は絶え間ない周辺蛮族からの攻撃に曝されていたが、その都度、超能力を発動して撃退した >>483
神秘体験やビジョンが相変わらず起こらないね
気の浄化ばかり熱心にして瞑想をしないからかな
それかまだ心とエネルギーとが低い段階なだけかな >>500
我が強いってのは自分の意見が強いと言うよりも、理解不能や恐怖なことが来ても立ち向かって理解しようとする心が未成熟ってところが多いと思う
別になんでもかんでも他人の意見を入れればいいってものじゃない
反対に色んなものを見聞きして
ビジョンに繋がるものを掴んだ時に即座にビジョンへ反映させるってやり方もあるくらいだし >>502
そうなんですね
フォローありがとうございます
我が強いには思い当たりがありました
心が未成熟に関しても思い当たりがあります
参考にさせて頂きますm(__)m >>51
>自分の人生ではない
世俗での自我の人生と霊的世界への人生と二つの意識・人生を同時進行しています
始めは霊的人生のほうがサブでしたが今は世俗での生活の人生が自分ではないかのようになるつつあります
でも世俗へは負い目がある
人との間にどうしても交流が生まれるから
誠実に対応しないと
しかし付き合いが悪く独自の生活を進めると周囲から理解されず孤立する
清掃の仕事だと行は進むけど給料安いしな そうですよね
でも収入が今より増え体力が温存できる営業職に転職することに決めました・・・
転職が成功するかわからないけど、
この薄弱な意志で大きな煩悩が渦巻く世界を乗りきれるかどうかが勝負 世の中が5段階欲求の元に進化するからさ
みんな真理を省みず欲求のままに生きるんだよね
その欲求を追及の人生
でもねカルマがあるからさ
優先順位は欲求の追及ではないのだよ
欲求のままに無秩序に生きると冷静さと正気を失うし、やはり自制も必要だと思うんだよね
世の中は欲求を刺激するようにできていて、他の命を犠牲にしてね
全ての生命の命は循環するから、人もその一部だから、人だった生がいつか虫の生にもなるから
欲求を制しどの生物も大事にしないと・・・
もちろん欲求の成就は素晴らしい昇華と浄化も伴うけど、そればかりではないよ
苦しくても戒を守らないと日々の訓練でね
真理への信仰心を持って
と思いまする >苦しくても戒を守らないと日々の訓練でね
いざってときに制することができないからね
ダライ・ラマ14世が日々訓練されてるバルドヨーガに通じるね 私は苦しみと浄化が足りず清らかでもないから、欲求が満たされた生活(有漏)を送っているとカルマが積まれどうしての気が汚れる 恋愛したことなかったから
その強いエネルギーを甘く見積もり制する術を学んでこれなかったことも道を外した敗因のひとつ そうでなくても人の欲求は強くしぶとい
アセンションがゆっくりなのもわかる 自己超越欲求という概念自体が人々には存在せず社会に浸透してないから、自分のライフワークを訴えても理解されず人から受け入れられないんだよな
これじゃあ愛欲があっても結婚できないじゃんね 自己超越欲求自体が全ての人々が追及する欲求と反りが合わないのが問題