松果体開発総合【番外編】
松果体開発にまつわる広範囲な情報交換・語りを取り扱う総合スレッドです。
直接的に関係がなくても開発過程で出てくるサブ的なこと、神秘体験談、独自の開発法、おすすめ方法など...ご自由にどうぞ。 一人称視点でしかかけない>>315
同じ事しか書けないのだろう。 >>317
ではお前がお手本になるようなことを書いてみろよ、
そうやって悔しさ全開でケチつけるだけじゃなくてw 一人称???
たぶん私小説のような文章をだらだらと
新たな展開もないし、とでも言いたいのかな。
それは表現としての節度であり、良心なのだけどね。
あくまで個人としての見解であるということを
文章全体に漂わせることで、時に言い切っても誤解が少なくて済む。
同じテーマを切り口を変えて展開することで色んな角度から
俯瞰できるようにする、確信犯的に狙ってますよ。
超越的神秘行というテーマはデリケートだから気を遣っています。
イケイケでイケばヨイ、というものでもありませんしね。 少し工夫された環境で呼吸法をしたことで酸欠になったことがありますが、その時酸欠になることには意味があるのかな、と思っていました
そしたらヘモグロビンなどを活性化させパワーアップさせる効果があったのですね?
こちらの動画で解説されてました↓
鬼滅の刃の全集中の呼吸のヨーガ的解釈
https://youtu.be/czFmD4bDyCI 呼吸というと生理的な効果に目が行きやすく
そこから神秘行ぽい作用もあるのだが
本当は太極の理力(フォース)を掴むためのもの。
呼気と吸気に意識を乗せて深く沈潜すると陰陽の循環から
双方が止揚した太極=ゼロパワーポイントに連結する。
そこから力を引き出す→理=力を実践するためのもの。
だから生理的作用より意識の持ち方の方が重要。
例えばここにボールがあるとする、このボールの材質が本質だとするか
円いその他のボールの持つ「理」を本質とするかの違い。
そして理を本質とすると少々材料が足りなくても理が他の材料を代替したりして
〇を作ってしまう、そしてその体験を通じて世界観そのものが変わる。
最近のヨガや仙道への生理学的アブーローチはあくまで
現在の科学から観た一側面に過ぎない
仙道の高藤氏も科学的に仙道を解明しようとして「房中の法」で
太極の理に回帰している。
「理」から力を引き出す超科学体験的アプローチこそが本道。 マカバの形をイメージしつつ
横隔膜呼吸を練習中
じゅんわりとした痺れにも似た快感が意識を向けた下腹や肋骨のキワや脚に広がるんだけどこれがセロトニン? 緊張と弛緩を止揚した集中を行うと内分泌が刺激されるようで
現象としては快感が主体になる。
緊張性の集中(意識で枠を作ってその中に集中)だけだと圧力感や熱感が主になる。
これは多分自律神経系の反応では。
緊張弛緩同時集中で最初に活性化されるのがセロトニンのようで
これは腹部で9割分泌されると言われているため腹部を中心に
快感、温感、それからセロトニン分泌時の現象とされる腹鳴り
呼吸の自律的深呼吸化、身体感覚の上虚下実を感じつつも意識の中心が
下丹田に降りてくる、両鼠径部付近に強い快感の塊を感じて
それに意識を乗せるといつまでも座っていられて「定」のようになる。
こうなると「定中」に出来ることは限られるのだが、会陰を緩めて
その感覚を広げていく。
するとそれに呼応するように肛門付近が自動的に締まり仙骨付近が振動
会陰から気が流れ込んで下腹後部の真丹田に落ち着く。
これが仙道で言う先天の気(真気)の覚醒、ヨガのクンダリーニと同じになる。
定に入った状態というのは〇の内側、外側、両方向同時に意識を向けるもので
他の意識操作はあまり出来ないのだが、緩めることは出来る。
外側に向かって緩めることで内側に自動的に緊張性の気が入って来る。
その緩める接点として使うのが、横隔膜周縁、会陰、命門、後頭部
最初快感が発生した時は横隔膜周縁を緩めると良い。
入って来た緊張性の気を意識の枠で囲んで強化、コントロールしようとすると
上手く行かずに禅病やクンダリーニ症候群、意識を枠内で乱反射させると
魔境に陥る。
緩めて陽気を包み込むように弛緩する、意識は無意識に向けて放下する。
この感覚は日常でも維持できて四六時中、先天の気、先天の神とのつながりを
強化することが出来る。 >>323
返信有り難う やり始めた1週間程前は腹がポンポン鳴ってたけど最近は鳴らないなあ
やり方に少し慣れると我流が入ってしまう 魔境や禅病にならないよう
気をつけます 身体的認知というのがあるらしく、背筋を伸ばすと頭が自然と冴えるそうな
瞑想や呼吸法にしても座禅で背筋を伸ばしてやることにそういった意味もエネルギー的観点以外にのありそうですね 逆にセロトニンが分泌されると姿勢筋や抗重力筋が活性化して
姿勢が良くなる、相関関係はあるようだね。
瞑想の時は最初は姿勢から入って、リラックスした感覚に意識を向けて
セロトニンの分泌を継続させて自然と姿勢が維持されるように
持っていくのが良いみたいだね。
身体感覚については、帽子や傘、車両感覚のように付属した物を
無意識に身体感覚の一部として活用する仕組みはあるようだ。
瞑想の時も部屋の四隅を意識して弛緩するとさらにリラックスする。
色々やってみたが、無制限に広げるよりこちらの方が確実に体が反応する。 どこまでも広げるとイメージでやってしまう。
そうではなくて、身体的認知=生理的反応がフィードバックする範囲内で広げる。
自律神経訓練法などは体内での弛緩しか行わないし、月輪観とか瞑想系では
イメージでやってしまう。
この確実に身体的認知の範囲で広げる方法論を説いているのは実は少ない。
確か四神足瞑想法の中にあった空間認知がこれに当たると思う。
そしてこの身体認知場を広げる方法が仙道で言う「還虚」になる。 中村天風の伝記の最後に天風が「クンバカ」を体得して
師から認められる場面がある。
この場合の「クンバカ」はヨガの止息のことではなく
定に入って壷の中に水を溜めたよう気の状態の事で
天風は座ったままだとそれを保てたが、途中で訪ねてくる師の元へ
行こうとすると即座に「ダメだ」と言われる。
それで工夫をして座ったままの気の状態を維持して師の元へ行き
「合格」だと言われる。
これがクンバカで、これを取得すると師の元を離れて
山に籠っても害獣や毒虫の害を受け無くなる、と言われる。
結局天風は日本に帰ることを選択して戻って来る。
こう書くと、一種の気のバリアのようなモノで武道や超能力漫画に
出てくるワンシーンのようだが、これが仙道の還虚と同じモノで
呼吸法も使わずに身体認知の応用だけで出来る。
丁度車に乗った時の車体感覚を深くして恒常的に使用するような感覚。
車の代わりに空間のゼロパワーを操作する。
人として優れた人間は誰にも教わらなくても実生活で使いこなしている。
無意識的であったり、意識していてもそれが何なのか無自覚
自覚していても表現できなかったりするが。
ちなみにこの場合「還虚」というのは仙道の最終目標の事ではなく
空間と同一化する原理的な事を言う。 空間と同一化!
座禅を組んで特殊なことをする禅行は一種の瞑想状態になりますね
だから魔が寄ってきたり、霊的なことが起こると思われます
私も一度誰かの想念を感じたことがありました
苦しく必死に禅行をしていた状況だったにもかかわらず・・
禅行をしていると空間認知もそうですが普段と大して変わらない意識状態なはずだけど不思議な感覚になりますね 上の中村天風の話で
>クンバカを習得すると猛獣や毒虫の害に遭わなくなる。
とある部分を気のバリアー効果と考えることも出来るが
実は真逆で自我に執着したり他と区別をつけるところに隙が出来る。
クンバカというのは、他と区別をつけて自分をガードする方法ではなく
ワンネスの中に自分の居場所を見つける方法。
それが結果的に自分をワンネスから離れた他の存在から守ることになる。 エックハルト・トールの「悟れば人生は人生はシンプルになる」他の本に
インナーボディという概念が出てくる。
これは無意識レベルと気のボディを真の自我とする考え方なのだが
このための方法論として「今に在る」を前面に出している。
このインナーボディというのが、坐忘やクンバカで得られる感覚。
よく瞑想が自分を超越する手段として推奨されるが
静かに座ると雑念を整理しても想念が展開して、ともすればその想念を利用して
自己超越感を出すのが瞑想ということになってしまっている。
エックハルト・トールが推奨している「今に在る」方法は
実は瞑想よりも自己超越に向いた方法で、本当に優れた人は
座って瞑想などやらずに生活の中で自分を超えてインナーボディを掴み
常現象を超展開する一番効率の良い超能力=漏尽通を発揮して
その因果が凝縮して好展開する中で色んな事を見通したり人の心を読んだり
常人を超えた現象を見せる、これが本当の六神通。 個人が次世代の存在形態に入って行く、というのは資質によるところが大きく
多くの場合、資質が高いほど無自覚で本人にとっては当たり前の事。
それを求めて方法論として展開すること自体がレベルの差を表している。
時々、エックハルト・トールのような説明できる人間が出てくるが稀。
本の表題に「悟れば人生はシンプルで楽になる(邦題)」とあるが
同時になるべくシンプルで楽に悟る必要がある。
そして足りなければ補助的に増やしていくくらいの方が良い。 「今に在る」というのは、身体意識を空間に同一化するのに最適な指針になる。
レベルも段階的で精神的な効用から存在そのものの変容まであるが
後者は中々説明が難しい。
それでも理詰めで説明していくと、「今に在る」というのは
先ず、過去と未来に意識を向けない、精神的には今への集中だが
日常でこれを繰り返していると時間軸で変化する気の流れから
ポツンと離脱する体験がある。
ゾーンと同じ日常生活の中での無念無想状態なんだが
意識が情報処理の方には向かわずに自分自身の在り方の方に向けられる。
感覚的には日常生活をこなしながらの至高体験と言っていいかも。
この時に何が起きているのかというと、意識を気のレベルで今に集中することで
過去から未来への因果律から抜け出している。
そして因果律から自由な所で波動をチューニングできる。
丁度テレビを見ている途中で微調整や場合によってはチャンネルを換える
(パラレルワールドの選択)ことができるように。
このチューニングが起きると空気感というか世界が変わったことが判る。
存在の変容と言ったが、因果律を支配する波動のレベルの調整維持によって
過去と未来の因果の質をコントロール出来るようになる、この事。
気のレベルで「今に在る」というのは因果律との関わり方を転換するということ。
連投したので少しお休み。
ここまでのレスでも判る人は判ると思うが、もう一歩の人のために
もう少しレスするつもり。 私も瞑想中の感覚は、何も瞑想という特殊なことをしなくてもいつもの生活をしながらに至れると思っていたところでした
想像していたような大差を感じないので
これが精神の高い人の波動というか存在感の元かな
何も知識なくやっているのでインナーボディとか勉強になります
理解深められたらいいです 体の感覚のこと丁度考えていたところだったので、インナーボディはドンピシャだったかも 良い所に食いついて来たね。
インナーボディというのは、普通に思いつく幽体とか霊体とか
肉体の自我を中心に外に拡大していくエネルギ体観とは違って
ワンネスと繋がって自我に向かって収束していくエネルギの流れを
ボディとして捉える概念の事。
エックハルト・トールのそれは主に意識と無意識の接点に焦点を当てている。
仙道の坐忘とか中村天風のクンバカはそれに気の概念を含めたモノ。
このインナー・ボディの方は全く知識が無くても、自我を俯瞰して
ワンネスと繋がる資質のある人間なら日常生活の中で自然に感得して
自分の役に立てている、だから表に出てこない。
それの出来ない人間が意識でその何かを切り取り認識するところから始めるが
その時点で資質の開きが歴然としている。
他に例えると、白紙の中心が何もしなくても判る人間と
計ったり点を打ったりしないと判らない人の違いだね。
後者の方が賢そうに見えるが、前者は自分の能力に無自覚でどんどん先に進む。
もちろん方法論など必要としないからその能力が何なのかさえ表に出ない。
でも時々それを言葉にする人間がいるから、その時は聞いて置いた方が良い。
まぁそれが判るのも資質なんだけどね。 少しエラそうに書いてしまったので、インナーボディの掴み方を書いて置くね。
これは上に書いたように車両感覚の掴み方と同じ。
車に乗らなくても人間は自分の周囲に感覚場のようなものを作ることが出来る。
これは個人差があっても誰でも持っている。
車両感覚も得意な人と苦手な人が居るが、得意でさらに繊細な感覚を持っていると
さらに先に行く。
自己探求を突き詰めると、メタ認知とか自己観照という自己を俯瞰する
意識の持ち方に進むが、その時にこの身体周囲の感覚場も反転する。
経験的に言うと車両感覚の内と外を逆転したモノと思うと良い。
内から外でなく、まるっと外から内を感得している状態。
これが悟りとか至高体験の一種で体感的な部分が単なる思考ではないと感じる部分。
そしてこれを一度体験すると自我を超えるための各種生理機能が動き始める。
ついでに言うと気の流れとか業とかが転換し始める。
そしてナチュラルに資質のある人間は、日常生活の中で誰にも教わらずに
こういうことをやっている。
意識的に瞑想とか気の強化をやると、この反転が出来なくなる。
それは内側にばかり意識を向けるから、日常の中で自己の感覚の相対性を
感じ取りつつ深めていくとこの反転が出来る。 恐怖を感じたり気圧されたりした時に体表に静電気みたいなのが走って、その部位がジワーっと暖かくなる感覚がたまにあるのですが、これが一体何なのかわかる方いらっしゃいますか。 気を高めた時のビリビリした感じに近いんですけど、そのビリビリが意図せず一瞬でさーっと通り過ぎて、通り過ぎた部位が暖かくなっていく感じなんですよね。
ここで聞くことではありませんでしたね。 手に意識を集中するとピリピリすることがあるんですけどこれは気でいいんでしょうか? 手がピリピリ
気が高まっているんじゃないのその部位に
よく聞く現象じゃないかな、熱感とかと同じ感じで 空間認知能力が高かったり、ギブアンドギブの精神が高かったりしてもやっぱりスピリチュアルに繋がってる様子が見えない人がいてね
だから意識を持って実践しないと伸びなんじゃないかと思った
目標設定というかね
ただ能力が高くてそれがスピリチュアルに繋がらない人の中には背後に天使や仏がいる人とかいるみたいです
本人が意識しているいないに関わらず高次と繋がってるっていう クンダリーニ・ヨーガ アムリタ編 「喜」
https://youtu.be/v__XHY6JyGM
こちらの動画の始めから〜1:45までの喜の性質は、脳内物質でいえばドーパミンにあたるのですかね?
人間関係が悪い職場で自分の悪口を言われるような環境の中にいてもこの根拠のない「喜」の気持ちは失われずずっと持続し、別世界にいるような状態、らしいです >>344の続き
もしこの喜がドーパミンによるものなら全般的にドーパミンはとても信仰心にいいと思いますね
前向きで健やかで下から沸き上がる清浄な気流って感じで進む力をくれます
周りの環境がどうであれ、いつもうっすらと口元に笑みがみれる状態ではないでしょうか
心を若くしてくれる素晴らしいものだと思います
セロトニン型がどういったものかまだ探求中です >>345少し訂正
信仰心にいいと書きましたが、信仰心は私個人の指針なだけで、ドーパミン自体は信仰心を引き起こすこととは関係く個人の目標や指針に影響を与えるものだと思われます >>338
何かの体の反応ですよね
以前どこかのスレで同じような現象になった方の書き込みをみたことあります
日常的にそういった圧迫や恐怖などに晒されている状態で、そのときにやはりそのような体の反応が生じるようでした 先日ドラマ「ドラゴン桜」で「数の暗黙知」について触れて
自転車に乗るということを、暗黙知による学習行為の一つとして挙げていた。
「暗黙知」というのは無意識の領域の情報処理で「数の暗黙知」について
いうと初歩的な暗算能力を「暗黙知」の領域まで高めると、いちいち意識で
計算しなくても答えが自然に出てくるようになる。
そしてさらに暗算だけでなく公式の選択なども無意識で行い短時間で
最適解を見つけるようになる。
「暗黙知」と対になるのが「形式知」、情報処理に無意識を使うのか
意識だけで行うかの違い。
そして超越的神秘行というのは暗黙知の領域。
だから元々、素養のある人間が自分で深めていくか
縁のある師匠に瓶から瓶へ水を灌ぐように伝えて貰うしかない世界。
巷に知識として出回っているのは本物であっても形式知の限界を超えられない。
言語的表現において暗黙知は行間に当たるから、それを表現するための
文章=形式知はシンプルなものになる。
そこをどう読むかはやはり受け手の暗黙知の素質次第。
ちなみにドーパミンは形式知の快感原理、セロトニンは暗黙知の快感原理になる。 真我っていうものに対して少し理解に近づけた気がします
自分の意識はいつも目の前の現象に反応しまたは強烈な怒りなどの感情に引っ張られ日々振り回されていますが、静かに座禅でも組んでいると胸?の奥のほうにもうひとつの落ち着いた状態があることを感じ取れ、そこに意識を合わせられれば、目の前の苦しみに反応し消耗することがない
苦しみに対しもう一つの苦しくない領域を得られ、その領域頼りに苦しみに対応したら、二重人格チックのようで面白かった 苦しみがこの地球の次元に意識をとどまらせるのでしょうね
苦しみには強い力があると思われるので
どなたかが肉体的苦しみにのたうち回り生命力を実感したとおっしゃってました
確かに苦しくないと心身ともに軽いと存在している実感がなく幽体離脱しそうな勢いです 地球などで大小問わず毎日起きている残忍で残酷な出来事が苦しくてどうしても払拭できない
でもその状態はよくあることらしいですね
下記の文章を見つけました
「これらのことは非常に不快であり不快な感情から発するバイブレーションは進化の妨げとなっている」
これらとは殺害などのことです
進化とは次元上昇のことです 真我というのは認知対象が異なるのではなく、同じ自我に対しての
認知の仕方を反転させると自我をそのまま真我として感じ取ることが出来る。
自我認識を拠り所に気感を開発すると気をエネルギーとして感じる。
真我認識から気を開発すると情報空間場として展開しエネルギー現象も
情報形態として出現する。
この真我認識の気の使い方は、最初に自我をポジからネガに反転する
体験を暗黙知で掴まないといけないから形式知で伝えることが難しい。
逆に形式知での伝達なしにほとんどの人が自転車に乗れるように
ある生理的条件が揃えば自然に広まるかも知れない。
上記の中村天風のクンバカは気のエネルギーでバリアをはるようなモノ
ではなく、自分の周辺に他とは異なる情報空間を作ってそれが場合によっては
害悪をはじく役割をするというもの。
インナーボディもそうでアストラルとかそっち系のエネルギ体としての
概念でなく、エネルギも情報と見た上での高次情報空間のボディ。 ちなみに仏陀が真我を否定したのは、自我と異なる認知対象としての真我。
そういうモノはどこにもないとした。
そうではなく、認知方法を切り替えることで自我をポジネガ反転できるとした。
それが空、だから空は虚であり実でもあり自由自在。
その自在性の中に見出した超越的自我が仏。
だから認知の対象でなく認知の仕方の中に真我がある、
という言い方は誤りではない。 >情報空間場として展開しエネルギー現象も
>情報形態として出現する
これは感情を既存の概念や観念などのフィルターを通さずただエネルギーとして感じることでしょうかね
>自分の周辺に他とは異なる情報空間を作ってそれが場合によっては
害悪をはじく役割をするというもの。
ある格言に「不快のなかに快を見つけることを学びなさい。」とありますが、そういうことなのでしょうかね
自我のネガポジ反転ということは、自信満々な人は自信喪失の表れでそれらは表裏一体であるということでしょうか
それゆえに、自信満々である限り自信喪失に陥ることもあるから常に中道であれって教えがあると思いますが、そういうことでしょうか
自在性を身につければどちらに陥っても対応可能ということでしょうかねね・・・ 勝手に引用させて頂いて、そこに自分の理解?を入れさせて頂いて失礼でしたらごめんなさいm(__;)m
自分の経験値以上の世界のことを無理やり理解しようとしなくていいのかもしれないです
これからの勉強にさせていただきます
ありがとうございます リラックスと緊張
リラックスすると確かに幸福物質が流れるね
気持ちがよい
疲れがとれる
精神が前向きになり幸福を感じる
それまでの気持ちが変わる
緊張してると全くダメ 弛緩は体、精神にとっても、運気にとっても大事
実際にある社長は自分の大事な会社が倒産危機に追い込まれ、精神的に運気的に八方塞がりになり精神崩壊手前だったのが、サウナによるリラックス効果を得たお陰で精神が和らぎ前向きに考えられたと同時その後融資が受けられることとなり倒産を免れた話があります
精神がリラックスしポジティブになれたら運気もそれに連動し開運したのだと思います
一方緊張状態は視野を狭める
精神集中も念じることも緊張の部類だと思います なのでこちらでよくテーマとなっていた緊張と弛緩について少し理解を進められたかも! 人へのいい影響力を与えるキャラクターとして、
緊張系はイケメン美人な芸能人
リラックス系は容姿はいけてないけど安心感を与えてくれる人 神経伝達物質によって色んな段階の幸福タイプがあるかと思うけど、その中でも解脱が一番至福で歓喜な高度な幸福でしょうね >>341
それは水(陰)の気だからピリピリを感じなくなるように陽の気で満たしていったらいいよ 人の相性の良し悪しに次元が関係するかもね?
アストラル界レベルでは縁が薄く相性が合うわけではない者同士でも、コーザル界の意識やエネルギーレベルだと縁があって相性が合う、みたいなこと
恋愛関係だと相性がよくないけど親子関係ならばっちり、とかもその一種かな http://www.shimin.com/Meditation/Tratack.html
Tratack Meditation
トラタック瞑想 <40分〜>
トラタックという言葉は、涙という意味の語源に由来しています。
目から涙が流れだすまで、ある一点を凝視し続けます。
それはろうそくの炎であったり、同じ瞑想をする人の目であっても、
あるいはOSHOの写真の目であってもかまいません。
ある一点を凝視し続けることよって、マインドが止まり、
第三の目が活性化しはじめます。
■トラタックの仕方
静かに座り、姿勢をただし、ある一点を凝視します。
りきむ必要はありませんが、できる限りまばたきはせず、
涙がでてきてもただひたすら凝視をつづけます。
もし本当に凝視したらマインド(心)の動きは止むでしょう。
十分に意識し、油断なく覚めて一つのものを凝視しつづけます。
「凝視とは、トラタックとは――あなたの意識が動くのを許さないということだ。
そして、あなたが、マインドの動くのを許さずにいると、初めのうちマインドは闘う、激しく闘う。
が、それでも凝視をつづけたら、やがてマインドは敗れる。しばらくそれは止まる。
そしてマインドが止まったら、マインドはない。あなたは何一つせずにただ見ている。
その深い凝視が、あなたを完全に変える。」(OSHO) http://www.sakshin.com
OSHOコミューン日本支部
創設者・主催者はスワミ・プレム・プラブッダ 第二、第三、第四とどんどん視野を高めより広く見渡せるようにする
その分人格も増える
瞑想をして色々な視点とエネルギーの流れに気がつけたお陰で今年は念願の真我についての理解を進めることができました >>363
魑魅魍魎、霊障、カルマの返りなんかも神経伝達物質が関与していると思われる
現象に苛まれ疲弊させる この画像のマズローの五段階欲求説を見るとさ、多くの人が最上位の5段目の欲求に到達していると思うし、この1〜5の間を行ったり来たりもしていると思う
https://i.imgur.com/wMdns0k.gif
そう考えるとこの5段目の欲求に到達してるか否かに注目するより、どの段階の欲求が強いかを見るほうがその人のいる次元がわかりそうだと思う
この欲求はチャクラや次元や脳の領域や神経伝達物質だけでなくグナとも対応しているみたいですね だから人様を見るときはどのグナが強いかでみたほうが分かりやすいかも・・・ 魂の進化していく世界で言えばこの5段階欲求以上の世界がもっっと広がっていますよね
その世界と比較すると最上位の第5の欲求はそんなに進化した姿には見えないもんだね
でも私には第5の欲求はあったとしてもそれを実践し可能にできる力はないですが あっれー・・・???
>>362のこと一霊四魂のことだったのかな ヴィパッサナーやマインドフルネスなど観察する系の瞑想は深い眠りなどで出るシータ波が出るんだって
で、チベット仏教などの集中する系の瞑想はベータ波やガンマ波だってさ
慈悲の瞑想でもガンマ波が出るって
でも実際に集中系の呼吸法をすると睡眠に近い落ち着いた状態になる 薬物だけでなく外部から脳波に働きをかけるだけでも悟りの境地までいけるそうですね?
こういった技術を使用し瞑想効果を上げる方法はダライ・ラマも利用したいとおっしゃっているそうです
>40Hzでは、集中力・メタ認知能力・平静さが増し、
80Hzではポジティブな感情や喜び・体内の振動の流れを感じ、
100Hz以上では、自我の拡大・深い静けさ・妄想の減少などの効果
80Hzはドーパミンと同じ作用かな 脳波について>>299の書き込みで少し言及されてましたね ノルアドレナリンとタマスの組合せだと祟り神っぽくなるのかな? ノルアドレナリンはわかる
身近にいる人から時々感じる、中高年男性に多い感じ
人間が発しても汚ならしい濁った感じになりそう
でも他はよくわからないな
発している人が身近に少ないからか 他はわからないなっていうのは、四魂の内、ノルアドレナリン以外のドーパミンとかセロトニンとかのことね 聖者による体の不朽現象は菌が関係しているのかもね
私は疲労したり病気になると体の有益菌が減って悪玉菌優勢になり口臭や体臭が出るようになるから
生きている間でも聖なる領域に達していれば病気や疲労によって悪臭を放つことはなく無臭でいられるだろうと予想する 一日一食どころではない
聖なるエネルギーを供給できれば数日は霞を食べて生きていけるレベル >>374
5段階以上の世界が本番だと思われます
でもこの5段階目までが人間社会との両立が出来る上限なのだと思われます 一般人はエゴの欲求を満たすことでポジティブな気持ちと幸福感を生み出すけど、修行者はただただ真我に繋がるだけ
聖なる域と繋がれば不幸の種も育まれなし 「殺人または恐怖、破壊はネガティヴ振動を発するらしくこれらの醜い低振動は全ての霊的進化の妨げになるということらしいです。」
ということがある通り、地球上で起きている残忍な悲惨なおぞましい出来事に苦しまされ直視出来ずにいましたが、やっとこれらを解決できる策をチベット仏教とインド哲学から見つけられましたよ(^^) >>61
>ギブ&ギブは言ってみれば所有に拘らずに
必要なモノが必要な人のところへ行くという
シェアシステムを作って自分がその中心になる、ということ。
これさ、完全に自分が媒体になって誰かに必要な情報を届けることもあるし、他者が媒体になって必要な情報を届けてくれることもある
無自覚にね >>382
神経伝達物質とグナかカルマか何かとの掛け合わせで、同じ神経伝達物質でも低俗から聖なるものまで幅があると思われる
だからこの高まったエネルギーを増大させてもいいけど、不浄なものまで一緒に増大される
不浄なものをきれいに清らかにさせてから増大させれば偉大なる聖なるパワーとなる
神通力のように祈りが通るようになる >>394
>神通力のように祈りが通るようになる
これがいわゆる祈祷のことなのかな? 数ある能力の中で聖なる祈りは自分にとって一番早く手に届きそうな能力だったから、そうできたらいいなと考えていたけどこれがいわゆる祈祷の能力だったとは・・・! >>394
>不浄なものまで一緒に増大される
これ単に不器用なだけだな
器用でスキルが高ければその限りではない >>365
あれ?縁の意味わかっちゃったかもな
結局心がいる次元の問題で、その同じ次元の人と縁が生じるんだと思う
縁は過去世からとか運命によるものとか言われるかもしれないけど、実際は心が同じ次元にいる者同士は共鳴し縁が生じるってだけかもね
その心もいくつかの次元に遍在するから低次に心があっても高次にも心があるのならばその高次の存在と縁が生じる
よりその高次の存在と濃い縁にしたければ自分の心の割合の多くをその次元に置けば良きってだけ
それだけで運命的なソウルメイト級な濃い縁に持っていける 心のその完全な次元上昇や移行が難易度高いのかもですが またわかったことあります
魂の次元の話
エーテル界ではそこでの自分の運命とか想定できてある程度は駆使・創造が余裕で出来ましたが、魂のいる次元が上昇していくとどんどん想像できなくなり、どんな縁か、関係性か、どんな運命か、巡り合わせか、全くの未知で把握がおいつけないとなりました つまりエーテル界は次元が低いので大体第一〜第三チャクラの領域だと思うのですが、そこら辺の次元の駆使は私でもまあまあ余裕 肘を目の高さで維持して合掌を40分続けて40分たったら、気功でよくやる気を感じながら手のひらを近づけたり遠ざけたりするのを10から15分ぐらい
それを1週間つづけたらやってみたらあっさり腕周天できた
腕の中をお湯の入った管が通ってるみたいだった
やる前はヒエヒエだった手のひらだけど気のボールなかなかピリピリ熱々だけど、もう少し強力にしたら額に注入してみたいと思う
注入しながら瞑想したら松果体目覚めるか
額に手のひらかざして注入してみても何故か後頭部に緊張みたいな反応が出る
まだパワー不足&頭部の緊張が強いので解せということか 意識の次元が上昇すれば虚無と絶望はいいやつになってた
煩悩をわかせないようにしてくれるし、分をわきまえさせ余計なカルマを積ませないようにしてくれるし、謙虚さと慎ましやかさに貢献するいいものではないのか
こんなにいいものでも意識が低いとネガティブなものに思える 意識さえ次元上昇すればそれまでの苦悩は本当になんてことない 現世欲が何も成就せず苦悩してたけど、今では現世にカルマを積まなくて良かったと思える
年取った今、もっと高次元で生きるのだ 高次の世界を少し垣間見れることが出来たからその世界で生きていける自信が少しついた 瞑想だけでエネルギーが浄化されるかな?
もしそうなら中級者以上じゃないかな? 誰もここまで本格的に修行する志を持つ人がいない
だから才能があっても本物の開花がない これなんだろうね
相手の魂の深さ広さに比例して自分のエネルギーを捧げられる・注げられる現象
瞑想の話です 瞑想の段階に入りそうかな?
まだ実践していないけどなぜ修行のメインが瞑想なのか探求中… アストラルはそんなに難易度高くないと思うけどその上のコーザルが未知の未知
自分にはまだ早いかな・・・