ベルカント唱法@合唱板
あそれと、「カデンツ」の練習は、発声の最後の仕上げに
必ずやりました。
「カデンツ」を綺麗に響かせることが出来ない合唱団は、何歌っても
綺麗に歌えるわけないですからね。
お騒がせしました。この辺で、バイバイ
教えて頂いた内容に、自分の経験を取り混ぜて
プラス経験則から書いてみました。
>>98のホムペは、かなり的確に書かれている事に感心しました。
以前にもこのホムペは、見ていましたが、自分自身不勉強で
意味が判りませんでした。
ここ1ヶ月位い、呼吸法の勉強をして初めて、このホムペの
素晴らしさが判りました。
と言っても、複式呼吸のところしか見てませんけれどね。
このホムペを見て、開眼する人が一人でも増えれば、
嬉しいですね。
そして、立派なソリストに成長されれば、更に嬉しいです。
日を改めて、
専門的なボイトレの内容を書きます。
例えば、舌は上げて歌わないと、「声は鼻くうに響かない」
とか、「言葉における舌の使いかた」とか
「くちの表」について
口の開け過ぎ、開けなさすぎ、口の開き方
そのチェック方法
なんこうがいの開け方
共鳴
1、こうくう
2、ベルカント(鼻くう)
声帯の位置
高声部の注意事項
低声部の注意事項
について書きます。 そんなの(ボイトレの基本)うちでは、いつものことです。
目新しいことでは有りません。
とおっしゃる合唱団の大表のかたの合唱団の演奏を聴いてみるとイマイチ。
アクセントで腹筋が使えないとか、音程が不安定とか、
長く伸ばすクレシェンドが出来ないとかetc、、、、、。
言うこと、やることは同じでないと、、、、と言う小生もあやしい。
ボイトレの基本は、「バスの低音のためのスレ」の上の方に
小生が書いてありますね。そこ見て下さい。
歌う時の舌の位置とか、、、、書いてあります。
見たい人は探してね。
声帯の位置とか少ない言葉で明確に書かれています。
ボイトレやるなら、専門的なものがいいです。
国内でも、最高峰と言われるところで教わる方が近道です。
集団ボイトレですから、費用も団費の内です。
あの先生は、高校3年生受験のソプラノの方を
毎週早めに来て、無料で見てくれてました。
出席率の高い人を大事にしてくれて、ご指導も全力投球、
理論的な説明が素晴らしく、私が「そこの場所出にくい」
とか、「出す音の長さとタイミングを指示して下さい。」
といえば、すべて聞いてくれて実行してくれる素晴らしい先生です。
だから、そういう先生は世に出て行くんですね。 でも、ベルカントがすべてでは無いと思います。
現在歌唱におけるハーモニーの問題について考察した場合、
ベルカント普及後において、声が前方向に飛ぶ発声法であるため、
声が、周囲と上手く調和しにくいように感じます。
ベルカントは、個人の技量である、声の安定性、声の疲労の低減等に
ついては、飛躍的に向上するようにも思えますが、
過去に実現可能であった、「合唱における真のハーモニー」
の追及が困難になったように思います。
それは、ベルカントにおいては、声は前方向に飛びますが、
周囲に発散するエネルギーが少なくなるために、合唱等で
歌われる場合、個人個人の声の繋がりが無くなり、ハーモニー
の構築が阻害されるのではないのかなあと感じます。
で、
合唱には、ベルカント唱法を学んだ後に、ドイツ式唱法を
お薦めしたいのです。
このあたりの過ちに、気がつくのに10年は、かかるでしょう。
ですから、むしろ過去の教え(ドイツ式唱法)を受けた指導者の方
が合唱において「真のハーモニー」の構築がなされていると
判断しています。
立派な このあたりを、的確に解明している文献が無くてね。
現在は、「ハーモニー」という言葉は、死語かもしれません。
ハーモニーとか、ハモるとか知らない人増えてます。
現在の最先端の合唱は、何かが足りない気がします。
音楽の三要素を廃止して、音楽の二要素
リズムとメロデイーのみ。
合唱のお話し。
イタリア歌曲と合唱を同一に扱おうとするから悪いのかなあ。 「ソリストの声が大きいほうが良い」
これが、合唱にも混同されて使用されているような気がします。
たぬきくんも言ってます。
真の合唱は、静寂のなかにあると。 ベルカントというと口から直接声を浪々と出す。そんな風に教える先生もいるけど、
声をいったん頭にぶっつけて口からだす。ジラーレ(曲げる)という歌え方があると
教えられた。音が柔らかにになり、ドイツ歌唱に似た音色になる。合唱では柔らかな
音色がいいからね。パバロッテイも高音は頭を前のめりにして歌うとかいってたよ。
ハイCは訓練してでたらしい。 104>
ベルカント的考え方かはっきり分らないのですが、
客席で綺麗に聞こえる演奏がベストです。
ですから、歌っているすぐ傍の音では判断してはいけないと思います。
それを理解できる日本人は少ないようですけどね・・。 合唱してて隣の人には大きく聞こえても、客席からは声が聞こえない
人っていますね。自分の声を聞きすぎるといわれました。 合唱人は頭だけで考えようとしすぎる。
本当に響きのある豊かな声を知らないのに、本をよんだだけでわかった気になったり、
ジラーレとか意味もわからず使ってみたりする。
腹筋をどのように使うべきなのか、自分の本当の声とはどのようなものなのか、
個人で感じ方、クセが違うのに本や一般的なアドバイスで実践できるわけがない。
だからみんな声を作って、余計に変な声になってしまう。
合唱界はもっと個をみつめていかないとこれ以上の発展はないだろうし、衰退してしまうと思う。
>>113
> 合唱人は頭だけで考えようとしすぎる。
君の個人的見解として、一応拝見した。
私とは意見を異にするが。
113は声楽(独唱)かじったヤツっぽいな。
合唱は複数人が声をそろえるものなんだが・・・知らんのか? >>113
「だから、声楽を勉強したボイストレーナーから団員個々人が指導を受けるのがいい」みたいな結論だったら、
もうちょっと賛同が得やすかっただろうに。
>>115
現代の合唱曲には「複数人が声をそろえる」ことへのアンチテーゼとして書かれたものがある。
高橋悠治「回風歌」および図形楽譜による作品群(「冬のスケッチ」「かがみくもりて」「クリマトーガニ」「METTASUTTA」など)とか、
湯浅譲二「新木遣・神田賛歌」とか。 116>
ボイストレーナーと名乗っていても、
ちゃんと声をコントールできるように指導できるかは不明です。
本人自身がちゃんと歌えなかったり・・。
昔だけど、腹式呼吸で歌ってなかったり・・。
それにはびっくりしましたけど・・ 179 :名無し讃頌:2008/06/09(月) 21:00:35 ID:01e2/fu1
>>177
ベルカントの中にジラーレ(曲げる)という歌い方があるのをご存知ですか?
高音を頭にぶつけて声を曲げて出すと聞きました。柔らかな声になります。
ナブッコの「行け、思いよ、金色の翼にのって」をベルカント唱法で合唱しましたが
良かったと思ってます。日本の合唱曲ですとドイツ式が無難かも。
180 :名無し讃頌:2008/06/13(金) 22:52:23 ID:z1lMvDxb
声を前方向にのみ飛ばす歌い方が、全ての合唱に向くかどうかは
少々疑問です。
鼻くう共鳴を後頭部に響きをまわしてソフトに、なるほど。
181 :名無し讃頌:2008/06/14(土) 11:37:57 ID:Ab/5RQ9r
>>179
「ジラーレ(曲げる)という歌い方」
がもっと普及すれば良いですね。
よく、背中から手を後頭部に経由して頭の上方に差し上げるあの練習
方法だと思いますが。
ジラーレ
声の当て方
「軟こうがい」をあける。
声のことだな。 確かに
ジラーレがきちんとできている人は少ない。
今までに合唱団に一人いた。
この方は、ソプラノのかたで、声学コンクで優勝された歌姫ですね。
音程も抜群で、声の当て方も抜群、
声はソフトで、ppで歌唱も出来、表現力も抜群
こんな方は、今まで一人しかいない。
当たり前、といえば当たり前の歌唱法かも知れないが
ほんとに、きちんと声が当たり、完璧な発声が出来る人は
少ない。
その方とともに、辻先生(故人)にお逢いした時に、その方のことをファンだと申しておりました。
音程の問題も難しいが、このかたは完璧です。
声楽は、本当に奥が深い。
音程、発声正しく、ppで歌唱出来る人は、ほとんどいない。
これは、ほんとに不思議なお話です。 120>
確かにそうです!
ただ、合唱なので一つ面白い現象について書きたいと思います。
私がとあるコンクール用の合唱団に仮入団していた時の体験です。
ソプラノは非常に美しく一つに聞こえました。
で、一人ずつ指揮者が歌わせました。
ところがそれぞれ発声に問題を抱えていました!
つまり完璧な発声の人は一人もいませんでした!!
声が合成されて、一人の完璧な発声のソプラノのように聞こえるのでした!
私はすぐクビになりましたけど・・。
で、誰が足を引っ張っているかって話になっているようでした。
その後解散して半分の人数で再出発したようですけど・・。
それを言ったら全員辞めないといけないんじゃないの? >>121
上手いソプラノ歌手ばかり集めても、「船頭多くして船山に登る」ですね。
ある程度(下手でもなく、すごくうまいわけでもない)の人数
をそろえて、まとまるのでしょうね。
ですから、ひとり上手い人が入ると、目立つ訳です。
しかしながら、合唱団の持ち歌の範囲もかなり広いですから、
個性無き、素人集団では、限界があります。
それで、声のあるプロに近い人を一人入れて、そのパートの
船頭を務めさせるのです。
一人、ソリストであり、比較的どのジャンルもこなせるプロがいて、ほかの人は、
目立たない人を配置する。
その何でもこなせるプロが、ソロにまわったときに、もう一人の
なんでもこなせるひとを、もう一人配置して、ソプラノの合唱を
まとめてもらう。
これが、簡単で、正解に近い考えだと思います。
で、そのあなたがかかわった合唱団は、ある程度までは行くが
CDを出すほどには、なれないと感じます。
122>
実は素人集団ではありません。
主婦という仮面をかぶっていますが、
音大を出た人が殆どなのだそうです。
まあ、ピアノとか教育とかのようですが・・。
ですから、譜読みのスピードが速いようです。
ただ、譜面に忠実過ぎる演奏になる可能性はあるかもしれません。
まあ、その当時、私は音程が低かったですから・・。 >>123
あなたの以前の合唱団のことを、素人集団と言っているので
はありません。
例えで、一般的なお話をしただけですから、
そこのところ宜しく! まあ、出身がどうであれ、ピンからキリまでですからね。
でも、本当に世間で上手いと言われる合唱団が世に出る
とは限りません。
合唱団の個性創造が大切です。
上手いだけでは、だめなんです。
何かを語りかける合唱団が必要とされる合唱団なんです。
誰に? 私に、あなたに!
教科書に書かれているような、合唱団ではつまらないですね。
やはり、個性のないものはだめなんですね。
127>
そうです!
でも、普通の合唱団で指揮者がそう指導して歌った場合、
前では指揮者が喜んでるのに、
団員は「嫌ね〜!あの人やり過ぎ!」
まあ、普通の日本の合唱団の団員のレベルはそんなもんです。
一つの声でしか歌えない。
せいぜいやっても、ちょっと強弱の変化ができるくらい・・。
理想としては、美しい強い響きがあるとか、低音が魅力的とか・・。
聴いている人が涙が出てしまうような演奏してみたいです。
指揮が魅力的な人の指揮で歌いたいです。
当然内容が魅力的で!
夢でしょうね・・。
そんな合唱団で私が歌うのは。
単なるアマチアで、声だけプロ仕様じゃ・・。
合唱って確かにみんなの力かも知れませんが、
声に魅力のある人が一人いるとそのパートは大きく変化します。
たとえば、ソプラノに一人声に魅力があるかたがいるだけで
その魅力は、倍増します。
それは、良い意味での個性です。
個性創造です。
人にはなかなか出来ないところを狙いましょう。
男声の豊かな低音の魅力の追及でも、女声の高音の美しさの追及
でも良い、個性創造です。
人のやらない、出来ないところの美しさの追及なんですよ。
その作品における高音の音色の有るべき姿、
低音の響きのあるべき姿、
そのイメージを所有し、実現することが真の作品表現
であると思っています。
確かにただ声を出すだけではだめです。
声のあるべきイメージを持ち、それらを作品の中で実現することが
真の合唱の醍醐味でもあるわけです。 理想ですね!
でも現実は普通の合唱団だと、理解できない団員ばっかりですから、
いびり出されるだけでした。
まあ、そんなもんです。 あなたのそのような経験により「良いものと悪いものを見分ける目」が
養われたんでしょうね。
何事も経験ですね。
経験に勝るものはございません。
経験は、未来を見通すものにもなりますよね。
これも、一般論ですが、
ま、合唱団特に、女性系は派閥の集団であり
合唱の追及よりも、自分たちより優秀な人材を
くだらない理由をつけて排除したがる集団。
自分たちよりも優秀な人間の存在を許さないようです。
ですから、私はこんな状況になることを嫌いますが、
派閥の集団であることは否定できません。
これも、一般論です。
かなり協調すれば、共存可能ですが、プライドとか技術
とかが、それらを許容できないものにしています。
でも、合唱人間として技術とプライドは、必要不可欠です。
つまらない集団とは、こちらから見切りをつけて決別したほうが、
得策です。
合唱人は、合唱の追及のみが本分です。
本分が追及できない集団は実に愚かであり、それらは論外です。 133>
それを知っていたので、
混声で歌っていたのですが、
やはり無理でした。
夢でしかないのかもしれませんね・・。
かなり特殊で分る人には分かるが分らない人には分からないという声ですので・・。
分る人は音楽的レベルの高い方々ですけどね・・。
分らない方々にも昔音大の講師されてた方もいたりするので、
日本じゃそんなもんか、と思ってます。
日本にしかいたことがないですけど・・。 いま男声合唱団にはいっています。50数名の老人合唱団です。イタリアでの
ジョイントコンサートもやり,多田武彦やミサ曲、オペラもてがけます。
最近イタリアのバリトン歌手にボイストレーニングを受けています。
難しいことはいわれませんが、レガートにうたうことと、高音で肩をあがらないように
すること、呼吸法などです。初心者が多いので簡単な指導です。 134
真の意味で
レベルの高い合唱団
つまり優秀な指揮者がいる合唱団で歌うこと。
多分、眼鏡に叶うところは
国内で10団体もないでしょう。
優秀な団員と優秀な指揮者なら、お互いが影響を
受け合い高め合い必ず良い方向に変身します。
人間は、死ぬまでお勉強です。
より良きものを追及しましょう。
教えることもお勉強です。
136>
優秀な指揮者のいる所で歌っていました。
ただ残念なことに合唱団の役員達がそれを理解していないことでした。
つまり、「本当に歌うこと」を知らない役員達でした。
つまり、普通の団体の役員と同じでした。
それでも、指揮者とはいい影響を受けあっていました。
感性の良い指揮者でした。
ですから、ちゃんと演奏ができれば、すばらしい音楽になりそうでした。
今まで人に教えることは機会がなくて
したことがありませんでした。
今回その機会がありそうなので、
勉強してみたいと思っています。
また何時の日にか
優秀な指揮者の元で歌ってみたいと思っています。 そうですね。
優秀な指揮者とそれを支える団の優秀な幹部が揃わなければ
良い合唱団は生まれませんね。
日本の合唱団も、良いものは、自然に表に出るような環境で
あって欲しいものです。
しかしながら、合唱団の技術的責任は、すべて指揮者が負う
ものなのですね。
残念ながら、環境の悪さと指揮者の力量不足は免れません。
日本国内に合唱団は、星の数ほどあります。
あなたに合う、本当に素晴らしい合唱団が必ず見つかると
思います。
国内コンクール上位、あるいは過去に全国レベルのところ
であれば、ある程度スタンダードな演奏が楽しめると
思います。
彼らは、常に一流の素晴らしい演奏を目指していると
思いますので、、、、。
演奏を聴けば、そこの合唱団の指揮者がわかります。
完成された合唱団の作品=指揮者の力量
です。
歌がへたな合唱団は、指揮者がへただからなんです。
歌が上手い合唱団は、指揮者が優秀だからです。
団員は、単なる人材です。
その人材を良くするも、悪くするのも指揮者の
指導力なんです。
ほら!あなたが楽しそうに歌う日が近ずいていますよ! 138>
近くに一つあるのですが・・。
そのこの指揮者との相性が悪いのが分っていますので、
そういう団に対しての偏見が私にはあるようです。
旅行くらいの距離の団に見学だけでも(しか無理でしょうけど・・)
行ってみようかと思っています。
旅行くらいの距離、通ってますよ〜新幹線で一時間
練習指導者がとてもよい
まだかなり若い声楽家で、いい声、何かを感じる声を中心により伸ばすことで
少しでも「何かある、その音楽本来の姿に近づく」理想をめざしていて
無理やり全体を小さくまとめることはしない
それでいてみんなに分け隔てなく愛がある(←すごく大事だと思います!)
それでも私の声は一部団員には引かれてるけど
この先生に認めてもらえたことで
アマチュアでもがんばっていいんだ、って希望をもらいました 修行中のテナーです。
私も先日隣県の団体の演奏を見学に行ってきました。
そこではいつもは合唱では迷惑になるからと思って出さないような声をどばーっと出してきて気持ちよかったのですが、まあ宴会芸ですね。基本的にビビリですが音楽の上で競うことや自分を試すことは楽しくてたまんないですね。
勧誘もされたのですが、そちらはかなり遠すぎですし、負担が大きいのでお断りしました。
そのあと、いろいろトラブルがあってもとの団をやめてしまいました。
私は幸いなことに自分の短所がある程度わかっていましたので、
もっと練習しなきゃと思ってた矢先なのでちょっとショックでした。
指導者の先生にいろいろよくしていただいたのですが、
いわゆる「合唱の難しさ」がわかっただけでもよかったかと思います。
まあ人間のすることですからね。
もともと音楽の勉強をしようと思って合唱をはじめたのですが、しばらく合唱はパスかなあ。
いまはいろいろもやもやを抱えていて、たぶんそれは声に出ると思うのです。
自分の声のカドで他人を傷つけるのもいやな話ですしね。
とくに練習や本番が近いときはメンタルなとこで他人に悪影響を及ぼして、
演奏の質が下がるようなことを極力避けるというのが音楽人の基本だし、
それがわかってないひとにはなるな、付き合うなと昔、私の先生がおっしゃられまして、
できるだけ気をつけるようにしています。
歌に依存して生きていますが、別に合唱の輪の中にいないと自分が見出せないような人間ではありませんし、いい歌が歌えればそれでいいので、個人的な勉強に切り替えて納得できるまで練習しようと思っています。
幸い、そっけないけれども頼りになる歌い手のいい友人もいますので、
孤独ではないようです。
ありゃ?ベルカントとはなんの関係もなくなってしまった。
なんかいろいろ自分と似たような境遇のひとが書いているので、
なんか自分が書いた文章に見えてしかたないですな。
言いたいことは微妙に違うのだろうけれども。
えっと、そこは宴会で合唱曲を歌うというカルチャーのとこだったのですが、
私はそこでは合唱曲以外の曲を音楽としてやらさせていただきました。
それから、先輩で発声がすばらしいひとがおりまして、
その方に負けないようにテナーの声を出した記憶があります。
いちおうコントロールした発声を心がけました。
(アルコールで記憶が消毒されており、何を歌ったかまでは思い出せません。)
音楽家の方からもアンコールをいただきましたので、
いちおう音楽の範囲だったとは思っています。
まあ、でも宴会芸です。
>>144
それは…事情がわからず失礼しました
ただ、合唱の輪に依存するとかじゃなくて
正しく一人でも歌える(ベルカントな)発声を目指しながら
クラシックの一分野として合唱曲をやる少数派もいますので
そういうのやれるところ探すの大変ですけどね 声の存在感がある人は大変ですね。
時には、忍者の如く。
時には、嵐の如くではなく、そのかなり手前あたりでやめとく。
メリハリが大切なんですね。
アンサンブルは、独唱とは異なるもので、
この使い分けを習得できれば、恐いものなし。
人間には、自我が存在するから恐い。
まあ、理性でコントロール出来る方が、アンサンブルでも
独唱でも成功するのでしょうね。 勝手に聞いている俺だった。
おいらにゃ干物の血が騒ぐ。いやもうカラッカラっす。
明日はどっちだ?どっちだろうねえ。とりあえず前のほうかな。
146>
本当に声の調子が良くなると、
本人がそれ程出してないと思っていても・・。
五月蝿いくらいの声になってしまっています。
それを知ったのは最近なんですけど・・。
オケと一緒の曲ばかりやってきたけど
オケがでかすぎるとか編成の問題じゃなく
響きののったいい声、いい外国語の発音(子音の強さと母音との分離、母音の深さ)、高いピッチじゃないと楽器に埋もれてモサッとなるんだよね。ていうか聞こえない
(ピリオド楽器とはやったことないからわからないけど)
だからどうしても浮くし響きがあるだけででかすぎるとか言われたら
オケと一緒に活動してるところでならいい音楽できるんじゃないか
ppできない途中レベルの人はともかくとしても
普通は響きがあるだけで絶対有用な人材になれるはず 151>
オケと一緒だったんです。
指揮者は理解してましたけど。
だから、最後の演奏の時は、パートリーダーはもっと出してって言ってくれました。
アマオケの主催の第九で合唱100人で歌ったことがあったけど・・。
テナーとバスとソプラノが同じくらいの人数で少なかった時。
SOPが声量出ない人が多いので大変でした。
オケを制限させちゃ申し訳ないんで。
いつもいつもクビになってる私
小生は、オケが苦手。
オケの場合は、確かに >>000151 さんの言われるように
正確な音程と、明確な発声が要求されますよね。
そう言う意味では、実力が付くでしょうね。
ただし、その作品に合致した音色とかビブラートの処理が
必要ですね。
その辺は、あちら(外国)の音色なんかをお勉強しないと
その国々の持つ特色を表現することが難しくなるでしょうね。
ただ綺麗な声で歌うだけなら良いんですが、、、、、、、。
>>150
オケとの音量バランス、パートの音量バランスなんかも考えない
と難しいでしょうね。
オケつきの場合は、全員が声をかなり集めて歌うことが出来ないと
きついですね。
少人数でも専門的な声の持ち主を各パートに5名程度は配置しないと
纏めにくいと思います。
まして、オケもアマで、合唱も寄せ集めですと、SOPに数人のソリストを
入れても、音程、音色の修復をやろうとしても
ビクともしないことは、貴女なら解る筈ですね。
153>
第九では
私と若い人一人と私の友達(声量は無いけれど強い響きを持つ)
この三人で修正を行いました。
普通のソリストより大きいですから。
本気になると・・。
パート全体が音程が下がった場合はパートの声と入れ替わることは可能です。
必要があればですが・・。
客席では分らないと思います。
個人としての特徴を消してありますので。
そこまで、できちゃうんで・・。
困るんです。
理解できない人には酷く悪く言われますから。 >>154
わたしAltoですけど
第九、最後のprestoの途中で全体が暴走しそうになったの止めましたよ〜
最後のsopのAをお手伝いするためにsop側にいた→周りのsopが走った
→「コノヤロー!!」をこめて歌ったら周りに伝わった
だけかもですけど
走ったりする人ってどんなに数が多くても基本意志無い&弱いだけだし
おっと、閑話休題
マイナス要因にならずにいい音楽するにはオケかな、と思ったんですけど
周りと上手くやるには別に役には立ちません…よね
でも、オケの音の上にのるとか理解できないしやれない人たちに
本番修正しちゃったのってわかるのかな?
しかし、クビになるって…どんだけ、って感じですね
絶対音楽重視のいいところ見つかるよ、ガンガレ! ついにつっこむ人が現れたか〜
ロムってましたが、どのスレでもすぐに彼女だと分かって微笑ましかった
>>150
いつか思うように歌えるところが見つかるといいね
自分からもガンガレッ! まあ、基本的には
誰の声であれ、邪魔するものがない限り出せば聞こえる筈です。
fffの中なら別ですが、それ以外であれば
こちらから意思入れして大きな声を出すのですから、
上手いとか、声量があるとか、関係なしに
一定のレベルのあるソリストなら聞こえちゃうんですよ。
それじゃあ、合唱とかソリストと言うよりか、
大声コンテストじゃあないですかね。
合唱には、元来ソリストは向かない
とドイツの合唱教本に書いてありました。
自己を制御できて初めて歌唱は成り立つものなんでしょうね。 それがどういう文脈の中で書かれたかにもよるよね
本当に上手い人ならビブラートの制御も誰よりも小さいpppも可能 151>
修正したのは誰にも知られたくないんです。
ばれたら、「シャープしてるのに」とか「偉そうに」とか悪くしか言われませんから。
基本的にはいい演奏をしたいだけですから。
158>
fffでもたぶん聞こえますよ。
コントロールの悪い声が何人か聞こえるはずです。
私の声はパート全体の声のように聞こえるはずです。
でも、演奏全体の中に入った状態ですよ。
演奏からは分離しません。
159>
一回上手いソリストも一緒に合唱を歌ったのを聞いてみるといいですよ!
華やかで豪華で強い響きもあって!
とっても素晴らしいですよ!
ちなみに、下手なソリストは合唱はできませんよ。
ただ、私自身は過去の心の傷に侵されてますから、
また元気に歌えるようになるかは不明ですが・・。 いや…いいんだけど、>>154の最後の文から
「修正した→理解できない人に酷く言われた→クビ」
なのかと思っただけ
あと、>>156が言ってたように安価=アンカーをよろしく
ググレばわかるんだけどそれぞれのレス番号につける>>のことだから
まあとにかくガンガレ あなたが素晴らしい声の持ち主であることは、文面なら良くわかります。
存在感のある素晴らしい声の持ち主は、羨む人も多く
些細なことでもクレームを付けられます。
出る杭は打たれるの如くです。
信頼関係を構築するには、短期間では無理です。
コミュニィケーションが大切だと思います。
多分あなたのような素晴らしい声は、
どこの合唱団でも、求められるものと思います。
例えば、フォーレのレクイエムを歌うときは
良い声のテノールを金を積んでも連れて来い
とか言う言葉もあります。
あなたはまさにそのような貴重な人材であると思います。
いままで、あなたが関わった合唱団は、たまたま人間的にダメな
集団であったことも推察されます。
そんな悪いところは、ほんの一部です。
ほかにも、良いところが沢山あります。
頑張って探して下さいね!
ドミンゴなんかが合唱に混じってもダメだろ。
結構音程悪いし。
ソリストと合唱むきはつきつめたら一致しないが、
アマチュアくらいだったら、どうにでもなるんでね?
一般的には宗教曲を歌っているような端正な声のソリストさん達は合唱と溶けますよ。 うん。
たしかに。
でも、たとえば
プロのバリトンの第九のソリスト
でも、声の固さのコントロールで合唱
をすことは可能。
合唱のときは、表現は悪いが「ボヤー」とした歌い方を
させれば、可能です。
これは、弦で言えば、張り具合をコントロールすれば
良いのです。
声をコントロール出来るソリストこそが真のプロの
ソリストだと思います。
また、「合唱」とか「ソリスト」とかそれぞれを
「ひとくくり」で表現していますが、
それらの「声種」および「ジャンルも」複雑で
それぞれを、オペラ、宗教曲、邦人曲、、、、、
と「層別」せずして語ることは、困難に思います。
>>168
8割りがたはおっしゃるとおりなんだが、
実際に第九のソロをやっている人で合唱で美味く溶け合える歌い方ができる人が
どれだけいるかな。
田舎の第九でソロをやった先生に、トラで参加してもらったことがあるが、
全然溶け合わないので、それっきりになったことがある。
>>0000000169
ソリストとしてのお勉強と合唱のお勉強を
音楽大学でなされた方が宜しいかと思います。
合唱とは何たるものなのかを認識されている方。
ソリストとしての存在、合唱人としてのあり方を
認識されている方。
過去とは異なり、現在の音楽大学での合唱教育は
かなりレベルUPしていると思います。
ソリストの育成、合唱としての教育が過去のそれとは
異なり、向上しているように感じます。
確かに、40年ぐらい前のドイツの合唱教本には
「ソリストは、合唱には向かない」と書いてあります。
しかし、ソリストとしての己の存在と、合唱人としての
己の存在を心得ている人であれば可能であると思います。
兼業が多いいま、ソリストは器用になっています。
アマチュアのソリストならいざ知らず、プロのソリスト
は、そんなに愚かではないと思います。
それなりの教育も受けています。
何人いるかは不明です。
総じて人間は「自我が存在するために」合唱は、難しいのです。
50年以前の迷信に惑わされることは危険です。
事実に基ずいているかどうか検証が必要です。
合唱団もいろいろ。
小生は、いろんな合唱団見てるが、
練習に参加すればレベルの高さが判明する。
簡単な見分け方は、練習開始時間(その合唱団の練習開始時間予定)
と実際の開始時間と開始時の出席率。
レベルの高い合唱団は、練習開始時間が予定通りで、
出席率もほぼ100%です。
団員の皆様が練習の重要性を認識しており、責任感も
強いからです。
あと、合唱団の長所、短所の把握をすれば、その合唱団の
大体の未来も見えて来ます。
>>168>>170
は理想を語っている
>>169
は現実を語っているわけで
どっちも真実
アマチュアだって自我との戦いだからね
ロム含めてこのスレに来てる人は感じたことあると思うけど
プロでも何か満たされない思いを抱く人は
音楽から精神が乖離した自我が肥大して
声がとがりっぱなしになるんだろう
かわいそうだね、悪循環で >>172
そういう発言するときは自分に適用される可能性も含めて考えたほうがいい。
自我の肥大だけじゃない。いろんな原因で負のループに入る。
他人から自分がかわいそうだと言われてもいい覚悟があるなら、
他人にもそういえばいいだろう。
ただし、空気が非常に悪くなることも認識しておくべきだ。
そもそも自我の肥大を他人が指摘するのに何の意味があるんだ?
それが前向きな意味でのアドバイスならもっと方法を考えるべきだ。
そうでなければ、批判が趣味ととられてもしかたがない。
それこそ、なにか満たされないものがあるのではないかと、
他人からかなりの高確率で思われることになる。
あなたが誰かを評価する責任を持つものなら、
その評価によってあなた自身も評価されることになるということを
考えられるかどうかはけっこう重要なことだと思う。
いや申し訳ない。
カチンときたのでつい書きすぎた。
ご容赦を。
>>170
勉強もなにも、現実にそういうことがあったから語っているだけで……。
と書いていたら、ちゃんと172さんが代弁してくれていたか。
>>171
> 合唱団もいろいろ。
ごもっとも。
> レベルの高い合唱団は、練習開始時間が予定通りで、
> 出席率もほぼ100%です。
これはどうだろう? 少ない練習回数で、日曜日などに集中練習を
している団だと、そうなのかも。
うちの団は、毎年コンクールで全国に行くレベルだが、それでも
平日夜の練習は、正規の練習開始時間より三十分遅れで、ようやく5割程度
しか出席者がこない。最後まで待って、ようやく7〜8割かな。
ま、「レベルが高い」というのが、どの程度のことを言っているのかは分からないが。
>>172
すまんです。
ちょっとおれのほうこそいろいろとがってしまっていたみたいだ。
最近いろいろあって自分がやばい。
本当にもうしわけない。
177=174って、170と同一人物、それとも違うの?
別人です。
ムカムカしているときに、書き込みみたら思わず過剰反応してしまいました。
反省しています。
170,171
です。
全日本合唱コンクール全国大会 一般の部 B 一位入賞
の混声合唱団の練習を見学に行きました。
人生いろいろ、合唱もいろいろ、
気に障りましたら済みません。
>>180
> 気に障りましたら済みません。
それで済ませるってか? 特に169氏にはすまないだろ。
おまいがちゃんと読まずに勘違いして、それでいて169氏をバカにしてんだから。
ちゃんと謝罪しろよ。 >>181
それで済ませるってか? 特に169氏にはすまないだろ。
おまいがちゃんと読まずに勘違いして、それでいて169氏をバカにしてんだから。
ちゃんと謝罪しろよ。
あなたと、169さんの関係は?
小生は、馬鹿にしたつもりはありません。
なにがいけないんですか? >>184
ここ読んでみて。
> >>0000000169
> ソリストとしてのお勉強と合唱のお勉強を
> 音楽大学でなされた方が宜しいかと思います。
それで分からなかったら、もう良いよ。
人間らしい精神を持たない人だということだから。
こちらでも第九のバリトンソリストが来て、
ソロ、コーラスを頼んだが全然問題なしでした。
東京藝術大学出身の声楽家ですが。 ソリストのお話を、身近なソリストで答えたまでです。
感情的になることが不思議です。
それで、あなたは本人(>>169さん)ですか? 国内の声楽教育も過去の比べかなり進歩していると
思います。
私達も負けないように死ぬまで勉強です。
沢山の演奏を聴いたり、合唱団を見に行きましょう。 ベルカント唱法の基本は、
「声帯にもどこにも負担のかからない歌唱法の追求です。」
ですから、長時間歌唱することが可能なのです。 >>173
今来た
ちょっとびっくりしたけど、大丈夫だから
そういう時もあるよ
かわいそうって、揶揄じゃなく本心だったんだけど
自分がそういうループにはまったら、っていう想像までした上でね
でも誤解招く発言だったかも、スマソ
音楽やるのって
すごく微妙な気持ちのバランスの上に成り立ってると常に感じさせられてます みなさん、それぞれ素晴らしいご意見をお持ちで
関心致しました。
コミュニケーションを取り仲良くやりましょう。
こういうの
「ブレインストーミング」
と言うのですね。
問題提起で真の姿が見えれば良いと思います。
ストレス解消なんてことばを真の意味で合唱で使いたくないですね。
でも、合唱して気分を良くしていることは確かです。
いやならやらないか、それか未来に「合唱について」
何かを期待して頑張るんですね。
未来に充実して歌う自身の姿をメージしてね。
合唱団であれば、自分の存在が必ず合唱団を
良くして行くだろうとかのイメージがあるから
辛い練習でも頑張れるんだと思います。
つまりは、合唱好きなんですね。
それは、小生の今の心境です。
歌唱による時間の経過に徐々に下腹をしぼめて、
空気を上方に向けて移動させ、横隔膜を上方向
に押し上げ(空気が上方に向かうの意味)
肺を通過した空気は、気道を経由して
声帯を振動させる。
下腹をしぼめる速度は、その作品の速度に比例する。
この動作を、腰の重心を下方向に移動することに
より、バランスにより行う。 何か最近盛り上がってるので投下。
私の声はどうでしょうか?
ピアノが下手なのと途中で一箇所ぶち切れてるのは仕様です。
ttp://hisazin-up.dyndns.org/up/src/70025.mp3 ぶち切れている以前に、声が少しずれて二つ重なって聞こえるんだが、
俺の側の仕様が悪いのかな?
普通に聞けた
声量ありそうだし輝きもある。当ててる所はいい気がする
でも音程が安定してないのは喉とあごにかけて
コントロールしようとしてるからじゃないかな
あごをひき力を抜くことでもっと上に響きが抜ける気がする
前に芸大出のmezzoの先生が
「鼻から下は胸まで何も無いものだと思いなさい」
っておっしゃってたからそんな感じかな 訂正
「鼻から下は胸の上まで〜」
だった
胸は使わなかったら困る なかなかの美声ですね。
難易度の高い歌をこれだけ輝きのある声で歌えるのも良いですね。
合唱やられている方でこれだけの美声の方はなかなかいないですよ。
フレーズのあたまのところを、もう少しからだのちからをぬいて歌えば
世界一です。はい!