劉備の入蜀 益州争奪戦
司馬徽の弟子・諸葛亮の学友たち
劉? 劉表→曹操→魏の侍中・関内侯
韓嵩 劉表→曹操→魏の大鴻臚
孟建 「諸葛四友」、魏の涼州刺史、征東将軍
石韜 「諸葛四友」、魏の典農校尉
崔鈞 「諸葛四友」、魏の西河太守
徐庶 「諸葛四友」、劉備→曹操→魏の御史中丞、彭城の相
---
尹黙 劉備→蜀の太中大夫
?統 孫権→劉備の軍師中郎将
向朗 劉表→劉備→蜀の左将軍・行丞相事
孔明はスカしたエリート気取りだったので人望ないな
能力高い奴は魏に就職している そらお前、魏がNTTなら蜀なんかY!モバイルかそれ以外だろ 孟建って征東将軍になってたのか
涼州刺史務めたあと徐州か青州あたりに行ってたのかな 鎮東でも安東でもないから呉か公孫淵と戦ったのかねえ 劉備七軍師
諸葛亮、?統、徐庶、法正、黄権、劉巴、馬良 馬謖は初陣でやらかしただけで、死ななければまた勝ってたと思う あのやらかしっぷりは多分次でも名誉挽回で意気込んで奇襲うけて死にそうなポテンシャル >>397
孫権は劉備と違って官位剥奪されてないので立場が違う
劉備の左将軍や豫州牧は後任任命されてるので剥奪されてるのは明らかだが
孫権の討虜将軍や会稽太守は後任任命されてる気配が無いので
孫権が行車騎将軍や徐州牧を自称しても討虜将軍や会稽太守の官職は効いてる模様
まぁ討虜将軍とか雑号将軍だから剥奪されても代わり任命されない可能性もあるがw
とりま孫権は完全に官位が剥奪されて無位無官の劉備とは違って公式的にずっと漢臣のまま
で後に驃騎将軍や荊州牧に任命されて行車騎将軍や徐州牧を自称していた頃に任命した官位も事後承認されてる模様
なので劉備と孫権は立場が違って孫権の方が正統性に於いては上になってしまうという… 劉備は曹操と敵対していたから漢から任官を受けることはできなかったが、
孫権は表向きは曹操と対立していなかったってだけでしょ
魏か蜀漢かの話ならまだしも、劉備と孫権の正当性議論は無意味 劉備軍の「他人に好かれたいい人四人衆」糜竺・孫乾・簡雍・伊籍の子孫ってどうなったんだろう
麋竺の子や孫が弓馬の達人だったってぐらいしか事績が伝わっていないけど、
伊籍はともかく、劉備に従って放浪が続いた孫乾・簡雍は子供いなかったor亡くしたんだろうか 孫乾と簡雍は入蜀終了後すぐ死んだっぽいし放浪中は満足に結婚もしなかったか
作っても亡くして、安定したとおもったらすぐ死んだから子孫いなかった可能性もあるかなぁ 荊州で10年以上平和に暮らしてて妻子くらいあっただろ普通に考えて。
長板から江夏まででそれも死んだかも知れんけど 劉禅は劉備が新野にいたときに生まれたが劉備は当時46
孫乾・簡雍が劉備より年上だったら荊州では厳しいかも
あるいは劉禅が長坂でピンチに陥ったように、彼らの子はそこで失われたか魏に捕らわれたか >>469
確かに張飛が夏侯氏をとっ捕まえて嫁にしてんのも新野駐屯時代だもんなぁ
やっぱその後で大抵の将の身内は四散したんだろうな 趙雲も趙範から兄嫁を勧められて「天下に女は少なくない」と拒否ってるからなあ
流浪の劉備軍の幹部たちは、麋竺と関羽以外は妻や跡取り息子不足に困っていたのかもしれん
そりゃ、張飛も少女を誘拐婚したくなるわ 新野時代の劉備ってあの城域から税徴収できる領主的な立場だったのか駐屯軍の隊長だったのかどっちじゃ?
人材集めまくって劉表警戒って話からして前者なのかな? 兵や食料を得られないと劉備も動きようがないし、劉表も劉備を魏への盾にする意味がない
西普のとき、南陽郡は分割され新野県を中心とした新野郡が作られたという
北魏のときの新野郡は新野・穣・池陽の3県
おそらく新野を中心に数県程度与えられて太守もどきみたいな権限を劉表にもらったんじゃないかな
呂布の下で小沛にいた時と同じなんだろうね 劉備は多数の配下と兵士を持っていたからこそ、補給に関わる権限は与えなかったと思うよ。ちょうど公孫瓚と劉虞の関係に似てるわ。 まあ最低限禄や役職を与えられる立場じゃないと人集まってこないしね 劉備の配下はすぐ山賊の頭になるぐらい有能
領土はなくても全然問題ない 漢中ってパンダやキンシコウやトキがいるんだよね
王平もパンダを見て、モフモフに癒されていたんだろうか ジャイアントパンダさんは三国志の時代だと荊州豫洲徐州揚州あたりにも普通にいたみたいね >>471
すげーな張飛
さらって嫁にして孕ませとか
おっとい嫁じょかよ、、、 まさにおっとい嫁じょ、かたぐ、ボオタなんかの誘拐婚・略奪婚が日本でも普通にあったことを考えれば
張飛の行動も当時は別に許容された文化だったんだと思われる 屯○○
ってのは行政権ナシで軍勢を駐屯したってことだろ 長坂に至る劉備の逃避行に、劉備の徳、すなわち領主としての劉備の治政を慕って
十数万の民が従ったことからも、劉備に一定の領主権があったことは間違いない 先主伝「(劉表は)上賔の禮を以て之(劉備)を待し、其の兵を益し、新野に屯さしむ」の一節から行政権は読み取れないけどなぁ
武帝紀「袁紹因表太祖為東郡太守,治東武陽」ってあるみたいに、守相として行政を執ってるとしたら「治○○」と書かれるべきだろうし、少なくとも太守ではないな 劉表の手紙(孫乾伝のヤツ)とか麋竺・簡雍・孫乾が荊州に赴く際にみな従事中郎になってるあたり
当時の劉備軍は左将軍府が中枢機構じゃね? 劉備は屯高唐とあるが
公孫瓚は劉備を高唐尉、次いで高唐令にしている
単に屯は軍隊の駐屯を示しているだけで、治と対立するような表現ではないのでは >>490
その「屯高唐」は武帝紀のところだろ? 公孫瓚と協調して曹操・袁紹と戦ったところだ
それは初平三年条
先主伝の「後為高唐尉,遷為令」は時期でいえば初平元年よりだろうし、劉備が公孫瓚に合流するのは高唐令として敗北してからの話だ
場所は同じだが時期がちがうだろ 公孫瓚のもとに逃げ込んでからは別部司馬→平原令→平原相となっている
高唐県の令や尉にはなってない すくなくとも「治」とはない以上、行政府があったとは言えないってだけか >>483
徐州虐殺の噂がオヒレついて未曾有の恐怖だったんだろ
ウクライナから民が避難してるのが、別にゼレンスキーの人徳関係なくプーチンへの恐怖からなのと同じで 劉表が何年にもわたってずっと補給し続けたとは考えられない
領地を与えて自力で軍を運営させたはず >>496
劉備は劉表を通してしか軍隊を動かせなかったっぽい(先主伝とか劉表伝とか)
むしろ劉表がずっと劉備のキンタマ(兵糧)を握ってたと考えるほうが素直じゃね? あと劉備が何かと劉表のもとにいて士人と交流している描写もある
一定の領地権を持っていて、そこを治めていたという感じではない
「屯○○」はあくまでも軍の駐屯地であって、外に出したままなのは「上賓礼」というのと矛盾する 普通よりは独立した権限を与えられた新野守備隊長なかんじ? 住民10万の流出を止められない、曹操が追っているのはわかっていても劉備の足止めすらできない
兵力も人望も劉備>劉琮
始めは客将だったんだろうが、力持ちすぎな感じ
曹操の南征がなかったら、劉表死後に劉琦傀儡にした反乱→乗っ取り起こしてそう 荊州豪傑歸先主者日益多
とか
荊、楚羣士從之如雲
とかすごいよね >>502
荊州の豪傑で先主に帰ってくるもの日ごとにますます多い
荊州、楚国の武人が群れ成して付いてくるのが雲のようだ
てことか?
中国人とは筆談できるんだな日本人て。
(なお、現生中国人は除く。文字を取り上げた中共は罪深いなあ) 蜀滅亡時の首脳陣ってこんな感じだっけ?
姜維 大将軍
諸葛瞻 行都護衛将軍・平尚書事
董厥 輔国大将軍・平尚書事
樊建 侍中・尚書令
黄皓 中常侍・奉車都尉
?? 驃騎将軍
張翼 左車騎将軍
廖化 右車騎将軍
?? 衛将軍
宗預 鎮軍大将軍
つか都護って良くわからないんだけど
護軍を総べる的な? 都督が指揮官だからそうなんだろな
都ってミヤコしか思い浮かばんけど、統べる意味もあるんだろなきっと 都《スベ》て護《す》べる
だな
護は統率する、って意味だな 都護と都督の使い分けがわからんのだけど
どういう感覚なんだろ 護は諸将を取り持つ調整役
督は諸将を指揮する上役
という印象
あくまで印象 劉璋って都にいた間べつにだ弱じゃないよな
それが蜀行って急にだ弱になるとも思えんし、
まあ劉備を仁の人にするための犠牲者なんだろうな ん~どうだろ最低限の能力は有してたと思うけど温和(イコールお人よし)をかわれて蜀に送られて
結局そのまま居つくとか、趙イ関係のエピソードを見るにやっぱ温厚が過ぎて無能だったとしか思えないのだけど
それで懲りずにまた劉備相手に同じことして結局乗っ取られてるし 劉璋と劉曄でいつもごっちゃになる
出自も能力もまったく別物なのに 劉備入蜀後は、せめて名目だけでも荊州牧にして軍権は副官の関羽がってことにはできなかったのか 麋竺、簡雍、孫乾も内心、関羽のことが嫌いだったんだろうな 六虎大将軍筆頭劉璋、次席関羽
これ絶対関羽キレるやつだ、、、 五虎大将軍なんて称号はないし、旧領主が名目上高い位に就くこと理解できんほど馬鹿じゃないでしょ関羽は >>524
いやかなり馬鹿だろ関羽
ゲームとかで知力84ぐらいあって伊籍や孫乾より賢いの違和感すげーもん
たぶん吉川横光で、最初に学問教えてた設定が根付いてるんだろうけど、実際は強盗もするし殺人も請け負うし、国家専売の塩を密造して稼ぐヤクザかマフィアだもの 性格は厄介だろうけど馬鹿ではないやろ
呉が裏切って漢水の補給線断つまでは徐晃に樊城の包囲解かれた後でも襄陽の包囲続けていられたぐらいに魏を圧迫し続ける能力備えとったからなあ >>526
関羽が襄陽の包囲続けていられたのは襄陽が樊城の漢水挟んで向こう側にあり
呂常が襄陽固く守っててすぐに陥落する危険性無かったのと
漢水の洪水の影響ですぐに襄陽方面救援できなかった事情なだけで
関羽が賢かったからとか強盛だったからとかでは無いな
漢水の洪水の影響は深刻で魏は後に食糧難を理由に襄陽樊城放棄して宛城に撤退して
その隙に呉の陳邵に襄陽占領されてるぐらいの災害
もし関羽がそのまま襄陽囲み続けてても北の魏と南の呉に挟撃されて
史実通り滅んでただろうな 史実から受ける関羽の印象は、よくて清水の二郎長、普通にブラクラのイタリアマフィアのボスロナルド
あるいは劉邦に対等よりやや上の同盟者として存在した彭越か >>527
魏が放棄するほどの食糧難なのに普通に包囲続けていられる時点で兵站能力高過ぎ >>526
>>527
長文の割には噛み合ってないよな >>529
ロシアみたいに現地調達してるからでは?
だから戦後放棄するほどの食糧難で辻褄合う
関羽は同盟国の呉の食糧庫襲ってるので
ロシアでいえばウクライナだけでなくベラルーシでも
略奪強奪してるようなもんだからある意味ロシアよりも酷い 襄陽放棄したって確か晋書にしか載ってないけど
どこまで信じていいんだろね >>529
215年の呉との荊州分割で長沙郡を失ったように見えるけど実際は湘水で東西分割しただけだから関羽も水運は確保している。 >>531
包囲戦は同じ場所に留まるから現地調達難しい
しかも水害が発生した後だから尚更
小田原攻めで部隊を支城攻略に派遣してたのは
兵站の負担を軽減する目的もあった ??
費?
董允
王平
姜維
鄧芝
馬忠
句扶
張翼
廖化
このメンツの時代の蜀を描いた小説が読みたい 「その後の三国志」ってのが、あって、吉川みたいなわくわくはさせないけど、史実ベースでで読めたよ 【漢中軍】
姜維 大将軍
王含
?斌
柳隠 漢中黄金囲督
【後方軍】
張翼 左車騎将軍
廖化 右車騎将軍
宗預 鎮軍大将軍・?州刺史
【東部軍】
閻宇 右大将軍・巴東都督
羅憲 巴東太守
【南部軍】
霍弋 安南将軍
楊稷
毛炅
董元
孟幹
孟通
【政府・中央軍】
諸葛瞻 行都護衛将軍・平尚書事
董厥 輔国大将軍・平尚書事
樊建 侍中・尚書令
張遵 尚書
黄崇 尚書郎
?周 光禄大夫
郤正 秘書郎
李球 羽林右部督
黄皓 中常侍・奉車都尉 >>533
曹仁伝には別に放棄したことは載ってない
むしろ襄陽を攻めてきた呉軍撃退してる >>539
後召還屯宛。孫權遣將陳邵據襄陽,詔仁討之。仁與徐晃攻破邵,遂入襄陽,
放棄したとは書いてはいないが、
呉が襄陽を攻めたとは書いていないので、放棄したと解釈することはできる。宣帝紀に
魏文帝即位,封河津亭侯,轉丞相長史。會孫權帥兵西過,朝議以樊、襄陽無穀,不可以禦寇。時 曹仁鎮襄陽,請召仁還宛。帝曰:「孫權新破關羽,此其欲自結之時也,必不敢為患。襄陽水陸之衝,禦寇要害,不可棄也。」言竟不從。仁遂焚棄二城,權果不為寇,魏文悔之。
司馬懿が「孫権は攻めてきませんから襄陽を放棄してはいけません」と諌めたが、曹丕は樊と襄陽を放棄させた。
果たして(司馬懿の予見したように)孫権は攻めてこなかったので曹丕は後悔した。
とある。これは事実と異なるが陳寿が三国志を書いた時代にはこれが史実として定着していたため、襄陽を放棄したとはっきり書くことができなかったのだろう。 史実かどうかは別として、人間はやっぱり初めて読んだものから刷り込みを受けるよね
俺は最初が蒼天航路だったから、武神の如き関羽にたじろぎながらも曹仁は曹仁なりに、経験積んだ凡人として守り通したような好印象だった
後に読んだ横山の司馬懿がと印象がかぶるが
鮮烈な天才より忍の一字が最後に実を結ぶのが日本人好みなんだろね
馬謖の逆 日本人は昔から、派手に生きて途中で倒れる英雄の方が好きだぞ
義経>頼朝
信長>家康 張飛は虎髭とちゃんとあるのになんで横光せんせは関羽とお揃いにしたんだろう? 中国だと関羽のほうが身長高くないと駄目なんだっけ三国無双の映画のニュースで言ってた気がするが別にどっちでもよくねとは思う キレンジャー張飛がアオレンジャー関羽を腕力以外で凌ぐことはあってはならない 【灘、ラサール】 学歴を金で買うの、ズルくないか
://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/joke/1575348094/l50
過去問がよく出る試験で過去問を何度も解いて練習してから受験するのはカンニングと同じってことかや >>511
蜀は行都護、中都護
魏は行都督督軍で後漢までなかった新しい役職だからねえ
呉は大都督とか左都護とかいるから両方取ったんでしょ
例えて言えば日本では総理、他国では首相、変な国には首相と総理大臣が両方いるとか >>552
だから過去問の販売は違法だった
もっとも受験生は大量にいるから家庭教師雇えば無意味だし
恐らく30代後半で受かるってのも
10年20年と受けていれば同じような問題や得意分野が出るからだと思う
司法試験でも六法全書で民法だけでも暗唱なんかできる奴まずいない
在学中合格とか司法試験1位とかの奴はできるかもしれんけど 夏や商は、洛陽という四方の交易の地を押さえ、栄華を誇ってきた。
交易をすれば仲間であり、
この交易を脅かす者は蛮夷である。
それは四夷であり、後の中華思想に影響を与えていく。
本来の中華は平和的商業国家を志向。 結局のところ、
この約300年の主役は異民族だったのである。 生年不詳だが、多分40代の後半であったと思われる。