劉基ってどうよ?
朱元章の軍師で中国では孔明より人気・知名度あっらしいけど
演義の孔明のモデルって話もあるし 中国ではかなり人気あるらしいね。
日本では知名度皆無に近いけど。 李善長の方が実務家って感じはする
劉基は記録に残らない部分で結果を出してそう ちょいと道学の知識があっただけなのに、この人と諸葛亮由来と称する
占術や方術の何と多い事か。
占術だけなら邵康節、風水のみなら楊救貧がそんな手合いだが、その手の方術全てで持て囃されるのは劉伯温と孔明の二人が専ら。
これ程実像から離れた好評価もそうそう無い。 日本の豊臣秀吉で言うと、
李善長が黒田官兵衛で、この人が竹中半兵衛みたいなイメージ?
ちょっと違うか。 李善長が蕭何で劉基が張良みたいなイメージじゃないか
李卓吾に言わせると劉基は張良より上らしいが 劉伯温のことを思うと、ついつい考えることがあるんだけど、やはり粛清されたんだろうか?
李善長らの派閥に対して、劉伯温は為す術がなかったと思う。
そんな状況で、あえて粛清したのなら、朱元璋は劉伯温さえいなければ、
あとは何とでもなると思ったのかな?? >>13
自派閥も作らず、張良のように逃げてみてもああなった辺り
やっぱり粛清じゃないかな。
朱元璋の学の有る無しへのコンプレックスが粛清の原動力なんだろか。
そういや朱元璋、般若心経の注釈書いてるんだけど
中身は通俗的解釈で大したことないらしい。 劉基って息子がいたと思うけど、劉基死後はどうなっちゃったのかな? 長男は録を削られたあと故郷に帰って、許された後も建文永楽のどっちにも出仕せずに
永楽年間に死んだ
次男は賊討伐とかして多少の功はあったけども、
靖難の変で建文帝側についたんで、永楽帝につかまって牢屋の中で自殺した
……はず >>18
長男の方は、次男の罪に巻き込まれることはなかったのか?
族滅するほどの罪でもなかったのか? >>11
身を全うできなかったってだけでも張良より下だな。
主の本性を見抜く目も持ち合わせてなかったし。 永楽帝は帝位につくと、下野していた劉基の次男劉mを召し抱えようとした。
しかし病と称して出仕しなかったので、無理やり逮捕して都に連れてきた。
劉mはそれでもなお永楽帝を(陛下でなく)殿下と呼び、言った。
「殿下は百世の後も『簒』の一文字から逃れることはできませんぞ」
劉mは獄に下され、そこで自らくびれて死んだ。
法官は一族を連座させる命令を下してほしいと頼んだが永楽帝は許さなかった。
というような経緯だな。明史によれば。
成祖以基故、不許
成祖は基の故を以って許さず
と書いてある。
基は劉基のことで、劉基に免じてとかそういう意味かな? と思うんだが自信はない。 劉基の長男は胡維庸の派閥に追いやられて殺されたんじゃなかったっけ?
それと永楽帝と劉基の次男のエピソードには伏線がある。
まだ朱元璋存命時にこの二人が囲碁を打つことがあって、
この時、劉基の次男は好手を打って永楽帝にその手は待ってくれないかとせがまれ、
劉基の次男がそれを承諾するということがあった。
ただこの時、劉基の次男は永楽帝に
「今はこのまま引き下がっても良いですが、
例えあなたが相手でも引き下がることができない時は
私は決してあなたに対しても膝を折りません」
みたいな事を言っていた。(明史の伝参照)
方孝孺のように劉基の一族に累が及ばなかったのは、
多分事前にこのできごとがあったからじゃないかと俺は思う。
>>11
劉基は朱元璋の本性を見抜いていたと思うよ。
明律を完成させると早々と故郷に隠居しているし、
その後政界に戻ってしまったのは、
政敵である胡維庸等の自分に対する讒言が余りに酷くて
弁明の為仕方なく中央に再び出仕するようなったからじゃなかったっけ。
隠居している間は、必死になって自分の素性を隠していて、
隠居している土地の県の知事が偶然劉基が自分の県に隠居していることを知って
その身分を隠して訪ねていくと、
最初は歓待されていたけど、その身分を明かすと、
劉基はその場を何とか誤魔化して知事さんに帰ってもらったっていう
エピソードも確かあったはず。(そんだけ朱元璋が怖かったんだろう) >>23
胡維庸や李善長を政敵にしちまってる(=そいつらに警戒されてる)時点でダメじゃん。
張良って誰かに警戒されたり讒言されたりしたことがないからな(あったかもしれないが
少なくとも記録には残ってない)。
誰も敵に回さず警戒もされずって究極の処世術だ。 処世術なんて世俗的だという思いがあったんじゃないの。
劉基はそういうことを超越して生きたいと思っていた。 本人の意志に関わらずに派閥争いに巻き込まれ、
その相手が喧嘩をふっかけてきて、その上
ボスは部下を殺す気満々。
そんな状況で、ナニをしたら良いんだ?
絶対に生き残れる処世術とやらを、教えて欲しい。 朱元璋は同郷根性を強い結束力に還元させて、天下制覇を成し遂げたんだけど、
その分、朱元璋政権内ではよそ者は阻害されがちだったんだよ。
特に同郷連中と同じぐらい朱元璋から厚い信頼を受けていた
江浙の知識人たちなんて、朱元璋の同郷者から見たら邪魔者以外の何者でもなかった。
張良のケースがどうだったかは知らないけど、
朱元璋から特に信頼されていた劉基がその同郷の功臣たちと
仲良くやっていくってのはかなり無理があったんだと俺は思うよ。
しかも、天下取った後は、朱元璋の同郷の功臣連中が権力を笠に着て、
江浙地方(南京のお膝元)の田地やらなんやらを買いあさったもんだから、
江浙の知識人たちもよそ者風情が勝手なまねを・・・といがみ合っていたらしい。
しかし、それでも劉基は中立の立場をとって、どちらに肩入れすることもなく、
自分の意志を貫いていたっていうんだから充分人間として器が大きい。
(朱元璋同郷派閥の領袖ともいえる李善長が朱元璋に糾弾された際、劉基がこれを庇ったというエピソードは結構有名) >>28
>そんな状況で、ナニをしたら良いんだ?
陳友諒・張士誠を滅ぼして明を建国したあたりで隠棲していれば、他の功臣たちの恨みを
買うこともなかっただろうよ。
実際には身を引くどころか御史中丞になって法律の制定や綱紀の粛正に関わってるだろ。
そういう役職に就いたら嫌でも政争に巻き込まれるのは、彼ほどの知恵者なら分かってたはず。
李善長や胡惟庸との関係がもう手の施しようがないほど悪化しちまってから隠棲しても遅い。 何を優先するかの問題だろ
張良は保身を選び、劉基はできるだけ働くことを選んだ
劉基の方が士大夫としての心意気があったんだろう 張良の人生を概括すると、どうしても「復讐」になるんだよね。人生の目的を
遂げて満足したました。後はもうどうでもいいです静かに暮らさせて下さい、と。
それにこの人、儒教的な士大夫観念なんてほとんど身に着けてないだろうし。 武帝期以前の儒学は諸子百家の一派でしかなかったからな。
張良も「上善は水の如し、水はよく万物を利して争わず」な老荘の人だから
儒学どっぷりの知識人な劉基とは基本的なポリシーからして違うな。 >>31
あのさ、殺したのは誰?
派閥争いにより李善長側に殺されたのか?
それとも朱元璋に殺されたのか?
朱元璋が相手なら、どの時点でも無理。 殺されたかどうかも定かではないし
これ以上話しても無駄だろ
もう処世術云々はいいよ
それのみで上下を語る人相手しても仕方ないしね >>35
朱元璋ならわざわざ毒殺なんかする必要ないじゃん。
適当な罪状でっち上げて処刑すればいいだけの話。
ネタなら李善長が何ぼでも出すだろうし。 >>37
つ李文忠
諫言した後に急死。
定説では、朱元璋に毒殺されたといわれている。
晩年の大量粛清以前、著名な功臣の死は不信な部分があり、
たいていは、朱元璋が暗殺したとされている。
ただ、劉基の場合、時期的にも早く、なおかつ、殺すメリットが少ない。
それをもって以前に当スレで、朱元璋の暗殺説を否定したが、
ダメだしされた。 後々、胡維庸の獄のトリガーの一つとして利用する為にやったんじゃないの?
劉基アポーンから胡維庸の獄まで結構な間があるが・・・ 毒殺も得意で晩年には、滅茶苦茶なでっち上げでブッ殺す朱元璋が、
なんで、そんな面倒くさい方法とるんだ?
あの時点で殺すのが理解できない。 >>39
胡維庸がやったことを後で利用しただけじゃないの?
なんでもかんでも朱元璋にもってくことはないだろ 明初の業績は全て洪武帝陛下のものです。
劉基も李善長も陛下の使いっぱに過ぎません。 泥酔の孫権を優しい抱き締めて諭した劉基の方が素晴らしい 中国では知名度が高いが、日本ではほとんど知られていないよね。 新型コロナが猛威を奮った頃は中国や台湾で「また劉伯温の予言が当たった」と騒がれたが日本では全く話題にならなかったな。 朱元章の軍師で中国では孔明より人気・知名度あっらしいけど
演義の孔明のモデルって話もあるし はじめ、劉淵を祖とする趙が栄えた。つぎは燕が趙末を乗っ取った。途中で前秦の包み紙を被ったが、1世代にも満たない短期間で、無視できる。燕を破った魏が、最終的な覇者となった。趙、燕、魏の順だ。 関中から出発して、短期間で華北を統一した。まるで秦の始皇帝のようだ。始皇帝のときも苻堅のときも、統一は短期間で完了した。 足し算をやってると、大きな失敗は少ないが、大きな成功も少ない。