宮崎市定
>>26
今、『水滸伝』読んでるけど、宋江はおなじみの宋江と官軍の宋江という
同姓同名の人物がいたらしいと書いてあった。あんだけ広くて人口も多い
国だからこうゆう偶然もありうるね。 宋江1人説の立場で2人説を批判したのをどこかで読んだ
例の墓誌銘や東都事略とかの日付の信憑性に疑問を呈した上で
山東で逮捕される→開封に連行される→恩赦→江南に出征する、の
一連の行動は全部1人でできたはず、みたいな論調だったと思う 学者じゃなくて、博士か修士課程の人が
「○×史学」の類の学内の雑誌に載せた論文だったと思う
何年か前の話で、しかもおれの学校とは違うから詳しい事は分からない
その人が今頃どこかの学校で宋代中世説とかやってたとしたら
ちょっと可笑しい >>34
宋代中世説ってw
世界史の基本法則はソ連と一緒に崩壊しました。 一昔前はマジでマルクスの発展段階論を論じてた人たちがいたんだよね。
でも資本主義になった所で一向に社会主義に進んでいかなかったりとか、
なんか資本主義でやってく方がいいみたいだよねってなってきて、
社会主義ってのがどういうものなのか解ってきた辺りで一気に崩壊。
でも数年前までは日本の最高レベルと言われる某大学系では「宋代中世説」を
取ってた気がする。 >>36
東大 前田「東アジヤに於ける古代の終焉」で世界史の基本法則、宋代中世説、佃戸は農奴
京大 内藤「概括的唐宋時代観」で京都学派の元をつくる、宋代近世説 佃戸は自由農民
おれはもちろん、京都学派だけど、指導教官が京大出身のくせに唯物史観的であったが、世界史の基本法則は一笑に付していた。 京都伝統の宋代近世説はいいとして、
宮崎御大の西アジアにおける時代区分法はどうなの?
アレクサンドロス大王以前が古代、イスラム勃興から近世っていうやつ マルクスは「世界で最初に産業革命が起こったのはイギリスだから
最初に共産主義革命が起こるのもイギリスだろう」とかやらかしたんだよな・・・
あと佃戸の性質論だが、四川や雲南の奥地じゃ千年ぐらい前の地主-小作関係を
今も相続しつづけてるらしいから、調べてみたら面白いかも知れん
西アジアの時代区分論は他の人よろしく 古代:主役は波斯人
中世:主役は亜剌比亜人
近世:主役は土耳古人
近代:主役は英吉利人
現代:主役は亜米利加人 人気の『大唐帝国』
三国志演義からの引用の部分があるけど、
テンポがいい文章で、非常に面白い。
曹操が「この仁はなかなか堂々としていますぜ」とか笑ってしまう。
これって、宮崎先生が自分で訳してるんでしょうか?
だとしたら、やっぱこの方、文才もすごいなとあらためて思う。
恵帝の「はて馬鹿なやつらだ。米がないなら、なぜ肉を食べぬぞ」
とかもなんだか好きだ。 >>41
『雍正帝』の罵倒の訳も好きだな
「大欺大偽、大巧大詐」→「大山師の大嘘つきの誤魔化しやの詐欺師め」とか 引越しの際、中央公論社の「宋と元」紛失してしまったのが未だに後悔している
何度も読み返してたのになぁ… >>44
世界の歴史シリーズですね。
俺も処分してしまった後Amazonで(古本で)買い直しました。
「世界の歴史 宋と元」で検索すればまだ注文出来るはず。 >>46
二流作家とか、自称歴史研究家が史料なしで書いたとか言うと、
史料も読めない奴のいい加減な著作か。としか思えないが、
この人で同じこと聞くと、
史料無しで書けるなんてスゲー
と感心してしまう俺はただの信者ですか?
ぜひ読んでみたいな。 >>47
この人の場合は史料を暗記してるんじゃないの?
明清の考証学者の趙翼の「廿二史さっき」とか顧炎武の「日知録」とかも史料の引用があるけど、
あれは全部、彼らの頭の中に入っていた暗記した史料なんだよな。
宮崎は知識抜群で文章もうまいからいい。 いや、暗記はないと思うよ
本人も昔の学者は全部暗記していたけど今の我々はそんなことはできない
いわば浅学者の研究であるみたいなことを言ってたし 『中国史』のあとがきでは
「二十四史を読み返すと、むかし印をつけたところで
今は忘れてしまった部分もあるが、それは記憶に留めるに
値しない部分だったから」みたいな事も書かれてたような気がする 歴史学者でここまで面白い文章を書ける人も希有だ。
どこが面白いのか聞かれても説明に困るんだけどね。 基本的には真面目に書いてるんだけど、隠そうとしても隠しきれない
とぼけた味わいが有るのが宮崎氏の文章の魅力 >>50
見てみた
かつて読んで目印をつけたところのほとんど全てはすっかり忘れてた
でも考えてみればそれでいいので、もしも自分の頭の中に
史記や資治通鑑がすっかり入ってたら物を考えようとしたとたんにパンクするだろう
という感じで書いてある
そもそも丸暗記に重きを置いてないのは間違いなさそう Wikipediaの九品官人法みたら「九品中正法とも呼ぶ」て書いてあるが
先生は激怒しそうだな >>54
でも中文版ウィキだと『九品中正制』なんだよな
英語版だとナインランクシステム 大学の先輩が宮崎先生のことを「イッチー」って言ってたな 作家の陳舜臣は宮崎市定の教え子だった人に師事していたらしく、
「だから私は宮崎先生の孫弟子だ」と言っているとか。 >>57
じゃ、俺は宮崎先生の同僚プラス弟子の佐伯富先生に師事していた教授から教わったから俺も宮崎先生の弟子になるな。 京大系の教授がいる所で勉強した人は
宮崎先生の曾孫、玄孫弟子ぐらいになるんでね? >>59
京大の先生でも文学部の宮崎さんではなく経済学部の中村哲先生の影響を受けている人もいるから一概には言えないけど。 学生時代、康有為と話したことがあると聞いて、反則だ!と思った もっとも有名かどうかは疑問が残るが?
一番有名なのは内藤湖南のような気がする。
宮崎先生はつい最近まで生きてたから、現代への影響力という点では一番かもね >>64
つい最近と言っても10年以上前だし、1960年代に京大を退官してるから退官からそのあとが長いな。
主要研究として「科挙」「九品官人法」「雍正朱批諭旨」「宋代土地制度」が代表で文句のつけようがない。 なくなったたときは新聞一面でとりあげるぐらいだからな。 この人専門はどの時代なんだろう?宋代あたりなのかな? 俺も市定の弟子の教授に教えられた先生に教えてもらったから市定の弟子だ。
弟子は師を越えないと師恩に報じたことにならんのだよ >>15
本当、この人の文章には「そんなら」ってやたらと出てくるなw
普段から口癖だったのかな。 宮崎先生から直接教えを受けた人は2chには流石に居ないな 中華圏の人で有名な人って誰かいる?最近の人でね。
西洋史なんかじゃあ翻訳物があるが、中国史では翻訳ものってないと思うんだけど… >>74
最近ってほどじゃないけど、やっぱビッグネームは陳寅恪かな。
ここ20年くらいだと、日本同様中国でも専門分化が激しいから、
陳氏とか御大みたいな分野跨ぎの巨匠は絶滅しちゃったかも。 岩波書店は「中国史」(上下巻)を早く再版してくれ。 1,2年ぐらい前から岩波全書のハードカバー化再版が始まったから、
てっきり御大の『中国史(上・下)』も再版されるもんだと思ってけど、
ぜ〜んぜん音沙汰無いよね・・・。何やってんだ岩波よ・・・。 『中国史』は最初に文明論・共産主義批判・時代区分論・勉強のし方と
盛りだくさんで楽しい 「中国史」上下は大学時代に買ったな。今から10何年かむかし。
いい本だ。 宮崎先生は「中国史」下巻の元寇のくだりで、南宋と朝鮮が蒙古の手先となって
日本の人民に対して残虐の限りを尽した事に触れ、
「中国と朝鮮は、先の戦争での日本の侵略を根に持って執拗に抗議しているが、
それを言うならまず先に元寇の時の侵略について謝れ」
という内容の事を書いていた。
いつまでも「謝罪と賠償」を求める彼の国については、宮崎先生も苦々しく思っていたのだろう。 >>84
元寇で日本は蹂躙された、でもそれ以上に秀吉の朝鮮出兵で朝鮮を蹂躙した。
この日中戦争で朝鮮・中国にたいしてひどいことをしている。
国家レベルでは謝罪と賠償は放棄して国交結んでるから大人の対応しているが
日本が悪いことにはかわりがないと思う。 >>85
それも言いすぎだが主犯と従犯の差はあると思う 歴史家は政治に容喙しなくていい、という先生の基本的立場を念頭に置こうぜ 「アジア史概説」が面白すぎる。
こんな良書を何冊も書いた宮崎先生はやっぱり凄い。 満州侵攻での日本、ソ連の両方にねちねちといやみを言ってるな。 へ〜、あんなに面白い本を読まないなんて。
俺が学生時分は熱中して読んだもんだよ。
そのせいか未だに京都学派支持だよ。 京都学派が完全な一枚岩かといえば、そうでもなくて
「マルクス主義に非常な感銘を受けた分、歴史学の分野で
それをどう克服するかに苦しんだ」とおっしゃる先生もいる・・・らしい
御大のいう「一人一党」だな 三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
>>93
こんなのにマジレスするのもなんだが、唐はどうした?
突厥滅ぼして「天可汗」の称号を得た李世民は、曹操をはるかに越えていると、その理論ではなるが? 宋江二人説っていうのは学界では支持されてるんですか? 学界全体のことは分からないが
講談社の新書東洋史は北宋末のところで
「最近の研究で宋江が2人いたことが判明した」となってます
書いたのはたぶん御大の直弟子
反対説は知ってる限りでは>>32、>>34だけ 高島俊男
宋江実録
東洋文化研究所紀要 (通号 122),p1〜41,1993/11
(東京大学東洋文化研究所 編/東京大学東洋文化研究所) 宋江二人説の批判者は高島俊男だったのかー
何か意外だな 宮崎先生は中共が嫌いだったみたいだけど、後輩の貝塚茂樹は毛沢東を礼賛してたな。
同じ京都学派でも考え方が違うんだなと思った。 マルクス主義嫌いだしね
歴史学的には実証より理論を先行させる姿勢が嫌いで、
学生運動については学問の場に政治を持ち込み、あまつさえ実力行使で
他の学生の学ぶ権利を奪うやり方が嫌い 歴史を演繹法で説明しようとすると、あらかじめ作った理論の枠に
事実をハメていくだけの作業になるような
やっぱりマルクス史観はな・・・ 権威主義的で自信過剰な性格が著書から伺えるな。
至Qとはまさにこの人のことを言うのだろうね。 そんならば権威主義とか至Qとかの正確な定義を質すべきと思うのだが
誰も私の問には答えられないでいる。概念の独り歩きの一例であろう。 そういえば、吉川の弟子が「あの人みたいなのを至Q(りーはい)と呼ぶのでしょうね」と語っていた、と村松が書いてたな。 中国語の至Q(りーはい)は「すごい」
いい意味も含まれるのだがな。 中公文庫の『水滸伝』本屋で見つけたので買ってきた。
やっぱこの先生の本は面白いな。 >>105
マルクス主義嫌いでも、反共って訳でもなかったんだよな。
かといって中華かぶれでもなくて、いい意味で無思想だから
時代の風潮がどれだけ変わっても抵抗無く読み継がれてる感じだ。
これは中国じゃないけど、個人的には邪馬台国畿内説の説明が気に入ってたわ。
何についての説明も筋道がはっきりしてて無学でもすんなり理解できた。 >>93鐙の発明の時期は諸説あってはっきりしないが、三国時代の中国というのが今のところ有力らしい(当初は片足だけだったそうだが)。
もしそうなら、曹操が使った烏桓騎兵や南匈奴出身といわれた青州騎兵などは、この時代以降の長城内騎馬民族政権、つまり古代から中世の逆転の魁かもしれませんね。
西周なんて時代はないのではないか、ってのどうなんだろう 簡単に偉いというのも憚られるぐらい偉い人には違いない
しかし三代や春秋のハナシが大抵が後世の創作だとか
趙高が趙の王族だったとか、史記の文章に市場の講談が混じってるとか
宋江2人説とか、説得的だがそこまで言っていいの?と思わされるものもある
あと宋代近世論は唯物史観の時代区分論と痛み分けしてるのに
無条件に宋代近世論を容れる人が多過ぎる マルクス主義が最早一部の国でしか通用しなくなった現在
唯物史観もやはりナンセンスなものになってしまったと考えるのが妥当なのでは? というか時代区分にこだわることそのものが流行らなくなってるからなぁ。
そもそもあんまり学問的なもんじゃないし。 時代区分そのものが
最終的に共産主義に至る道筋の中の今ここって考えから来るものだからな
どこまで行ったってそんなものにはならないって分かっちゃった現在
そんな分け方自体に意味がない 若い頃マル経にハマってたらしい日本史の先生が
「イギリスで真っ先に産業革命が起こったから
共産主義革命も真っ先にイギリスで起こるはずだったんだよ!www」
というネタを得意にしてた
ついでながら京都学派の東洋史の先生にもマルキストはいる >>125
でも確かに史記には所々創作っぽいところがあるのは事実だろう。
特に項羽と劉邦のくだりなんてほぼ講談ぽいし。
貝塚先生ってマルキストなんだね
中国の歴史読んでも結構、日本に対する愛国的な表現が目立つから
そういう感じがしなかった
というか愛国心がない=共産主義、左翼みたいな自分の浅い考えがだめなんだろうけれど
近くの本屋さんで中公文庫どか講談社学術文庫全点販売やってて嬉しいけど
なぜか未読の宮崎先生の雍正帝だけなかった