【西涼】 董卓 【猛将】
董卓(生年不詳 - 初平3年(192年)4月23日)は東漢末期の武将。字は仲穎。董紹の子で、兄に董擢、弟
に董旻がいる。子の名は不明。隴西郡臨洮県の出身。若い頃より武芸に優れ、性は豪胆にして快活。軍人
となり、異民族の戦いなどで功を立て、勢力も拡大。霊帝没後、洛陽に入って献帝を擁立し、朝廷で権勢を
ほしいままにする。長安に移った後も専横を続けたが、養子の呂布に殺された。 異民族の血を引いていたとか聞いたけど本当のところはどうなんだろう? >>1を見て基本的なことを考える。
呂布が養子だったらどこか記録に「董布」という語句があっても良さそうなもんだが。
ググっても日本語のページは出てこない。 ちょっと実際以上に悪く言われているところがあるね、この人は。
多少はまじめに政治をやろうとしていたふしもあったようだし。 悪事っていうけど遷都は曹操が献帝を許に移してるし皇帝の廃立なんかその後勝手に皇帝を僭称した奴等に比べればマシだし
陵墓暴きも専門の職を作った魏には劣るし
貨幣の偽造も経済の混乱をとめようとする政治だし
三国志の英雄なら誰でもやってることばっかなんだよな
トウタクに限ったことじゃないけど敗北者は実像異常に悪くかかれるからな ブレーンにしようとしてた清流派の連中にそっぽ向かれて
結局裏切られたって感じだね。この人。
まあ、清流派の連中にしても、辺境上がりの野蛮な軍人に
頭下げたくなかったんだろうけど。 >>10
相国についたのは、蕭何と曹参という建国の大功臣だけだったので、
それ以降、漢代を通じてみんな遠慮していた。永久欠番のような存在になっていた。
それを董卓はやっちゃったわけ。 曹操を戦国大名に喩えると織田信長っていうのがよく聞くが
曹操より董卓のが信長に近い気がする
曹操は家康っぽいような 松永久秀の方が近くないかな。
東大寺への放火とか、将軍暗殺、どうも実際以上に悪く貶められているあたりとか。 家康が曹操ってw
司馬一族系だろ、家康のやり口は。
董卓 = 松永久秀
曹操 = 織田信長(+豊臣秀吉?)
劉備 = ?
孫権 = 伊達政宗?
司馬懿 = 徳川家康
まあこういっちゃなんだが
所詮、戦上手なお山の大将でしかなかったような。 機知に富み、士卒の気持ちがわかる親分肌の人間であったらしい。 士卒の気持ちがわかったからこそ
涼州兵を野放しにして於いたんでしょ? よく悪の董卓に対して、殺された執金吾の丁原が善人化されるけど、
董卓の涼州兵が、西方の異民族を引き入れていたなら、
丁原も北方の異民族を引き入れていたわけで、普通に略奪もやっているね。
呂布からしてあれだし。 >>19-20
・・・まぁ、三戦から流れた人も多いからな
所詮こんなレベルのやつしかいないか >>27
もし丁原が、董卓を殺す側だったら、
丁原が暴政を敷いた三国志の悪役になったかもね。
羌が匈奴に代わるだけで。
面倒見がよくて、羌族や配下の士卒から人望があったってことは、
かなり「侠」の精神を兼ね備えた人だったんだろうな。 >>27
事実、丁原は何進暗殺のドサクサで孟津を焼き払って略奪してたらしいよ
あれ?てことは一連の混乱の原因作ったのは丁原? 演義とかじゃ、悪の巨魁董卓に立ち向かう正義の執行者みたいな感じで描かれているのにね、丁原。
>>29のような場合だったら、董卓が悲劇のヒーロー、善人になっていたかもね。
この人自ら皇帝になるつもりだったのか、それとも漢朝を復興させようとしていたのかどっちなんだろ 少なくとも最初の方は、まじめに政治をやろうとしていた節がある。
でも、清流派の人士は、董卓を野蛮人と見下して従わなかった。 >>32
リカクシみたいに「小者が足を引っ張り合った」風になるんじゃないの >>39
じゃあなんで呂布は董布にならなかったの?
そもそも丁原の養子だったんだし、丁布じゃなきゃおかしかったんでは?
最終的に独立したせいで、登場時から呂布なのかな… >>38
李カクは外交手腕を発揮して、中華の三分の二を得た。
郭シは張遼よりも前に「百を以って万を討つ」の実践者、
小者は言い過ぎ。 董卓が遷都を強行した頃の長安ってどんな感じだったのかな?
相当荒れていた? 何進の兵を吸収したあたりとか、なかなかやることが巧みだわな。
>>48
もう落ちてるよ…… 董卓は真実の姿を随分ねじ曲げられたキャラだろう
乱世でここまでのし上がってくるのはただの馬鹿ではない
それなりのカリスマもあっただろうし実際良い政治をしようとした跡もある
朝廷の守旧派から田舎者として蔑まされ思い通りの政治ができなかったんだろうな
>>49
もう一ヶ月も前だからなw
李カクに対する考察が物凄く濃密だった。 >>50
清流気取りの名士たちから馬鹿にされて、
ぶち切れたんじゃないかと…… 清流派が非協力的だから圧政で締め付けたのだろうか
董卓死後も
董承だったか董昭だったか・・一族の者は宮廷に使えていたらしいが 一般的に有名な董承とは別に、
董卓の親族にも同姓同名の別人がいたはず。 一般的に有名な董承は、董卓配下だぞ。
でも、董卓暗殺時は李カクらと牛輔の指揮下にいた。
董承が皇族の姻戚になったのは、献帝が曹操に奉戴されてから。 後漢書董卓伝を見る限り、娘を貴人とし曹操を排除しようとして失敗した董承は、董卓時代に牛輔の部曲にいた董承と同一人物。
別人はまずあり得ない。
その董承が董太后の親戚の可能性は極めて低いが、董卓と同族の可能性は高い。
董卓が董太后の同族を称していたから、董承も便乗していたのではないだろうか。 >後漢書董卓伝を見る限り、娘を貴人とし曹操を排除しようとして失敗した董承は、董卓時代に牛輔の部曲にいた董承と同一人物。
別人はまずあり得ない。
それはそれで何処をどうしたらそんなことが 出来るのか? という疑問が >>61
初めは李カクの下にいた
諸将の反目と衝突の混乱の中を巧みに遊泳し、関中脱出を指導したことで朝廷内でトップクラスの地位に就いた
そこで、地位や影響力を確固たるものにしようと娘を後宮に入れたり、董太后の一族を称するようにしたのだろう 最初トップクラスの地位にいたのは楊奉・韓暹・張楊だがな。
董承はそこで曹操を呼び寄せて、その三人を蹴落とした。
そこから董承は衛将軍とか車騎将軍とか昇進を始める。
でも考えてみれば曹操は正真正銘の逆賊で、
朝廷としては勤皇の袁術派と結んでおきたかったんだから、
朝廷に対する裏切り行為なんだよな。
(楊奉・韓暹が政治に干渉してくるのを嫌ったとあるが、
車騎の楊奉と大将軍の韓暹は政治に干渉して然るべき地位だし)
そして、曹操が専横すると今度は曹操を殺そうとして返り討ち。
袁譚レベルの節操の無さと浅はかさだと思うんだが。 >>63
三国志董昭伝だと楊奉が曹操受け入れに積極的だったように見えるけどこのあたりどうなんだろうね
しかし勤皇と言っても、傀儡としていた点では董卓、李カク、張・楊・韓、袁術、曹操みな変わらないと思うんだけどね
権威を利用する以上は今の皇帝を認めるしかない、という程度の「勤皇」でしかないんじゃないのかね
それと、より強い宿主を探して離反やクーデターを繰り返すってのも王允だって曹操だってやったことで、董承がことさら節操が無いとは言えないんじゃないかな 曹操はその「表面上の勤皇」すらなかったから。
朝廷が派遣した刺史追い出して刺史自称したりするくらいだからな。
袁紹と曹操は「逆賊」。李カク・楊奉&韓暹・袁術らは(表面上かもしれないけど)「勤皇」。
それに、李カクや楊奉・韓暹や袁術は
さほど朝廷を無視した行動をしているようには思えない。 >>65
曹操や袁紹と袁術らを比べたら、袁術たちの方が相対的には勤皇だね、確かに
細かいことだろうけど俺は「勤皇」という単語が見る者に誤解されるんじゃないかと思ってね
あと、自分たちが皇帝を擁立している以上、皇帝を(表面上)尊重するよ、そりゃ
擁立してる彼等自身さえ尊重しない皇帝には誰も従わないでしょ
袁術は皇帝を奪われると自分の即位という大逆をするわけで、少なくとも彼の勤皇が所詮は「自分が利用、擁立出来る皇帝に対する尊重」でしかなかったのは明らかじゃない? 袁術の即位か…。
あれは袁術の自暴自棄に見えるんだよなぁ、俺には。
袁術が即位する前に、
天子奉戴した曹操は袁術・公孫サン・楊奉・韓暹を朝敵認定して賞金かけた。
袁術にとっては結構ショックな出来事だったんじゃないかと思う。
詳しくは三戦板のhttp://ex21.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1171016552/で語られてるけど。
勤皇って表現がアレなら、「朝臣との関係」にしてみようか。
李カクは(袁術もだけど)朝臣との関係は非常に良好だったように見える。 >>63
董承は楊奉たちを蹴落とす前から衛将軍だよ 三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代 王匡を攻めた董卓軍って、本隊?それとも李業か徐栄? >>50
最近は曹操の再評価が盛んだけど、
いつか董卓が輝く時代も訪れるんだろうか? >>75
訪れつつあるような気がする。
ただ、董卓再評価を追い抜く速度で李カク再評価が。
wikiの李カクの記事(中国版)とかすげぇ。 >>75
三戦板では再評価終了
すげぇ英雄って結論 英雄では無いな。
なりそこねたと言うのなら同意できるが。 英雄になるには、媒体となる、董卓を正義のヒーローとした物語が必要 814 名前: 無名武将@お腹せっぷく [sage] 投稿日: 2005/08/13(土) 15:54:51
董卓演義
1巻、董卓の生い立ちと異民族との馴れ合い
北方の異民族たちとの遊侠ドラマ。リカク、カクシ達との出会い。
2巻、異民族との戦いと黄巾の乱
北方の異民族達との戦い、三顧の礼で李儒を迎える、漢王朝の崩壊。
3巻、董卓の上洛と呂布の登場
董卓の天下取り、王允との出会い、第2の主人公呂布の登場
4巻、反董卓連合と連環の計
董卓の精神崩壊、華雄の死、董卓軍武将の活躍、宿敵孫堅の死、連環の計
5巻、李カクの復讐と呂布の逃亡
董卓の死、李カクの復讐、王允の死、呂布の転戦
6巻、徐州の争奪と張繍の抵抗
劉備との出会い、張繍とカクの曹操との戦い
7巻、僭帝との争乱と呂布の最期
猿術との戦い、呂布の最後、エンディング >>80
董卓の三顧の礼ってお礼参りみたいで恐そうだな >>65
>朝廷が派遣した刺史追い出して刺史自称したりするくらいだからな。
袁術だってやってますけど? ロシアの悪鬼スターリンも董卓の末裔だったら否定できまい!!! >>86
それは有り得んでしょ。
けど、董卓ってホントかなり悪く描かれてるけど、実際のところはどうだったんだろうか?
>>87
横レスだが、三国志集解にあった話の筈。
拾った(というか掘り出した)剣を蔡ヨウが鑑定して
項羽の剣と言ったんだとか。 >>40
結局、この矛盾を王允を突きつけられて呂布は殺害を決意したそうな。 トウタクのやったことで一番なぞなのがなんでわざわざ「操りやすい無能な」少帝を廃して「聡明な」献帝を擁したのか >>91
傀儡なんだから能力はそもそも問題じゃない。「聡明」なんてのは擁立するときの名目に過ぎないから。
少帝は宦官と何太后が擁立した状態だから、反宦官を標榜し宦官を滅ぼした清流派の官僚たちの支持を得るにはそうでない皇帝を擁立する必要があった。
それが献帝だっただけだよ。 へその油を燃やされてたらなきついて処刑された忠義者いたよな
誰だっけ いや、蔡ヨウは王允の側にいて嘆息してたはず
死体にすがりついたのは別の人だったよ