【劉封】劉備の息子達【劉禅・劉永】
三国時代のレベルの高さは曹操が証明している。
春秋時代は匈奴に負け続け
劉邦は匈奴にぼろ負けした。
曹操は騎馬民族に勝利し、ほとんどを服属させた。
夏侯淵も戦果を挙げた
晋以降は立場が逆転した。
五胡南北朝宋は異民族政権
明は日本にぼろ負けw
中華民国は語るに及ばず
中国はアメリカ、ソ連、ロシアに勝てない
つまり
三国時代>>>>>>>>>>>他の時代
おまいは敵の強さがいつも同じ水準にあると思ってるのか >>186
wikipediaなどに書いてある、数多くの…の中の一つっぽいな 漢〜三国〜晋あたりが中国の良き時代
清〜共産 の現代は、直視できないぐらいヒドイ国になってしまった 共産党的な価値観で歴史遺物を平気で破壊。
共産党的文化によって国土を塗りつぶそうとしてるモンな。
歴史遺物を失った後に残るのは、韓国のようなウリナラ起源文化だというのに。 よく劉禅の暗愚を示す司馬昭に蜀が懐かしくないか以下略だけど、
読み直すと司馬昭には家臣との会話も逐一盗聴されていた、
ってことじゃないか?ああする以外生きる道はなかったよ…
生き延びただけでも上等。少なくとも武田勝頼や豊臣秀頼よりまし。 武田は相手が信長だし秀頼を生かしとくといつ幕府がひっくり返るかわからないから比べる規準が違うな
それに曹氏や司馬氏は人道的すぎる
他の時代で生き延びた旧王朝の帝室で生き延びたのって後周の柴氏ぐらいしか知らない >196
盗聴されていたなんて生易しいもんじゃなくて
その家臣が司馬昭のスパイだったんじゃないかな >>197
>それに曹氏や司馬氏は人道的すぎる
よく考えるとそうなんだよね・・・・・
漢代の馴れ合いってやつなのか・・・・ >>197
人道的すぎるなどという生易しい事じゃない。
恐ろしい事だよ。
銀河英雄伝説という小説に簒奪について書いてあった。
思い出しながら書きます。
ある王朝の創始者は、まことに賢明であった。
敗者に対する寛大な心が人心を獲得すること。
名目的に前王朝の者が貴族として遇されることで、新王朝に対する敵対心を和らげ、さらには無気力化していくことを洞察していた。
曹氏も司馬氏も生かしてたのは、すべて計算ずくだよ。
曹氏や司馬氏は前政権を長時間かけてグダグダにして人心も掌握してたから無理して殺す必要がなかったんだといえる
戦争で滅ぼされると人心を掌握できてないから前王朝の血筋は滅ぼしたほうがいいな ___
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|',',;; } ! ',',;;i 現在「集団ストーカー」というのがよく話題になります。
創価学会がやっているとか、探偵社がやっているとか、色々憶測が飛んでいますが、
実際には学会が行っている犯罪です。学会員と揉めてからはじまりました
学会の中には創価班・牙城会という部署があり、ここには
「学会・学会員とトラブルを起こした一般市民に嫌がらせをするセクション」
が存在します。
この連中は学会の敵を監視して、嫌がらせをするのが仕事です。
こいつらが行っている任務が、集団ストーカーです。
学会員は組織的なネットワーク網が充実しているため、実行部隊には学会員を使っています。
パッと見には、誰が学会員だとかはわからないでしょう。
それをいいことに、学会のネットワークに個人情報を流し、嫌がらせをさせているのです。
「仄めかし」というのは本来、「どこにいても対象のことを知っている人間がいる」
=「どこにいても監視されている」と思わせることが目的です。
それを治安を破壊する者でなく、単なる一般市民に対してハイテクを駆使して
集団で行うのが、学会の集団ストーカーです。
公安なども行っているという報告がありますが、創価学会は一般市民に対しても
容赦なく実行してしまいます。
また集団ストーカーの後始末は精神科へ行かせて証言能力を奪うか
社会的に抹殺するか学会員にするかのいずれかですが地域や親戚家族をも
巻き込んで猿芝居を演じて基本的には絶対に精神科へ叩き込みます
どちらにしても、学会が、その体質として受け継がれてきた敵対者をひっそりと
抹殺する方法が集団ストーカーといわれているものの実態です。 明治政府もそうだな。旧大名、幕臣のかなりの人数貴族にしてたし。
皆殺しよりずっと賢明だよ。 廃藩置県が成功したのは
幕府が大名を苛め抜いて、ほとんどの藩が
財政破綻状態だったから 劉封の処刑は計画通りだろ。
養子を取ってから実子が生まれたんでやっかいになったんだよ。
劉備の場合何でか一族郎党が少なかったから、養子とってでも増やしたかったってとこかと
近世以降みたく概念的な忠義が今一つ信用できない時代のことだし、やっぱり血縁がいちばん信用できたわけで
赤の他人では重要な役目を任せることが難しかったんじゃないでしょうか
曹操なんざ曹一族に加えて夏侯一族がいたし、孫一族は地元豪族みたいなもんだからそうした血族に不足無かったけど
劉備の場合兄弟とか従兄弟がほとんどいないか、出てこない 曹家が下級官僚だったのは知ってるが
当時の夏候氏はどんな身分だったの? >>216
それ演技の脚色だから。
実際は劉禅誕生の207年より前の髀肉の嘆をかこってた時に
劉備に跡継ぎがいないんで養子を迎えたというのが有力な説。
ちなみに当時の劉備は40を過ぎてた。 祖父の曹騰が中常侍、父親の曹嵩が司隷校尉から大司農、太尉歴任でかなり高位の官僚
夏侯氏はほとんど地方豪族みたいなものだったんじゃないかな?
劉備と呉夫人の間に子供が出来てたら面白かったのにな
ひょっとしたら、歴史が変わってた可能性もあるだろ 劉備と呉夫人(呉懿の妹)との間に生まれたのが劉永、劉理じゃなかったか?
それとも>224の言う呉夫人って孫権の妹の方? 孫権が妹ごとその子を連れ帰り呉がその子を蜀王として蜀を衛星国に 劉禅ってそもそも家臣のいう事にNOと言えない人だよね。
唯一、自ら決断した事である後宮拡大も、董允が゙反対したらすぐ諦めてるし。 >>232
諸葛亮が病没した時のこと。
李邈は喪に服している劉禅に対して上表し祝賀を述べた。
曰く、「軍権を握り強大な権勢をふるう家臣の存在は国家の害悪であり、今、諸葛亮が死んだことは国家にとって幸いである」と。
劉禅は立腹し李邈を獄に下して処刑した。
一見、黄皓らの言に乗って姜維を降格するようなことをしなかった件などから、劉禅は家臣に対して厳しい態度は取らなかったように思えるが実はそうでもない。
もっとも姜維の件は下手に刺激すればどうするかわからんという恐れもあったのかもしれないけどね。
それはともかく、劉禅には上で上げたような面もあるし、若い頃はそれなりに皇帝の気概を持っていたと言っていいと思うよ。
ただ後年は…… >>233
諸葛亮が蒋エンに「平価は善悪の判断が出来ない。君が良く補佐するように」という文面の手紙を出してるからなぁ。
蒋エンならずとも、董允、費イの入れ知恵なんじゃないかと思ってしまう。 >>234
諸葛亮没後も政治の中枢を担ったのは諸葛亮系列の人材だしなあ。
そういう面もないとは言い切れないね。
諸葛亮直系と言っていい董允が死に費禕や姜維は外地に。
そういった中でお傍に仕えるのは諸葛亮系列ではあるものの諸葛亮直系とは言いがたい劉禅お気に入りの陳祗。
そしてその陳祗は黄皓と意を通じて劉禅を甘やかす。
人の好さはあるもののダメさが目立ってくる劉禅…… >>235
人を疑い自らの意思を貫く心が決定的に欠けてたんじゃないかと思うんだよね。
・李平(李厳)の謀略による上表を信用して、諸葛亮を召還。
後に諸葛亮が連名で李平を弾劾すると、言われるがままに今度は李平を追放。
→容疑者にされた諸葛亮が少し調べると、李平の裏工作は明らかとなった。
また、一度聞き入れた上奏とは正反対の上奏を何の臆面も無く受け入れている。
どうも劉禅は上奏には真実が書いてあると思い込んでいるのではなかろうか。と思える
しかも、上奏の結果を信用する事で何が起こるかを理解していない。
その上、この事で学ぶことなく、後年は黄皓に騙されている。
・性欲が強く後宮を作ろうとしたが、董允に反対されると即座に諦めた。
→部下に反対されるとNOと言えない。更に、その場では流した事を後になって恨む事がある
・黄皓に、かつて信頼した董允の悪口を吹き込まれると、信用してしまう。
→黄皓によって被害者意識を刺激されると、董允の事を恨み、董允の禁止していた事を行うようになる
・陳祗に忠候の諡号を贈る。
→陳祗は能力や働きぶりはどうあれ、後主には阿諛追従し諫言したことは無い。
・陳祗、黄皓らが言うままに姜維を召還しようとしている
→まるで成長していない。 >>233
まぁ初期は本物の名君なのに治世長いと(ryって例も結構あるし
そこそこの気概がある程度だとどうしてもね。
長い治世を上手くやるために必要な厳しく自己を律する才能はどう見てもない人だし。 白糸のごとき…と陳寿も語っているとおり、自我を強く持っていたとは思えない人だよね。 仮に劉備が天下を統一していた場合、
太平の世を無難に治めたんだろうか劉禅 部下の能力に因るとしか言えんかと。腹黒いのが部下にいたら
あっさりと権限奪われて次代で簒奪されそうw のわりには41年、反乱もなくみだらに処刑もせず、無難に収めていたわけで
まあ、実権がほとんどなかったような気がするけどね 仮に天下統一しても孔明-ショウエン-ひいラインなら安定期になるんじゃないかな
問題は劉禅の跡継ぎも揃って似たようなのばっかなのだよな 劉ェはあくまでほかのボンクラと比較してマシなだけであってたいした事はないと思う
国の滅亡に憂いてj指圧しただけだし 劉備一族は劉備はクリーチャーであって本来は劉禅のようなのんびりおっとりぼーっとしたようなDNAだと思われる それにしても、どうして劉備の一族は、劉備に仕えなかったのだろう。
中国では、一族の出世頭に、一族がまるまるついていくのが普通なのに。
よほど一族内部での評判が悪かったのかなあ。 義勇軍時代に軒並み討ち死にとか?
学問のために金を出す叔父さんとかいたみたいなのにな。 何代か前の祖先がひねくれもので一族を離れて田舎暮らし
だから親戚なんて母方ぐらいしか付き合いがなかったとか
(援助してくれる叔父は母方) 援助した叔父は父方じゃろ。劉姓だし。
妻に「分家した相手にそこまでせんでええのに」とか言われてるしな。
劉備って確か娘が捕虜として魏に囚われたんだよな?
その後の娘二人どうなったんだ?
調べても全然出てこない…(;´Д`A ```
捕虜になった女性は、大抵その戦で功を遂げた人物に与えられますな。 そういう女性って、やっぱり酷い扱いを受けたのかな? そういえば張飛って夏侯氏の娘を山で攫って妻にしたんだったけw
その子供の姉妹が劉禅の皇后になったみたいだし、乱世の女性は紆余曲折あるなあ
昔、SWEET三国志で、ターミネータな張飛が変な印象だったけど
後宮に居る時間が長そうな劉禅が妹まで皇后に立てるとは
結構、張飛は美男だったのか?
>>262
夏侯淵の姪っ子が美人だった可能性のが高いような 夏候氏の娘って…一応敵側の血縁者じゃんか。
あの時代、見目さえよけりゃ奥さんに身分や出生は関係なかったってこと? >>264
夏侯氏や曹氏の地元は豫州だから、支配者である豫州牧劉備の腹心と縁組してても別に不思議じゃない
見た目じゃなく、地元の有力者と支配者の腹心ということで縁組したんだよ
劉禅と張飛の娘も、娘が美形だったからではなく、劉備と腹心張飛の子供同士ということでのある意味政略結婚
見た目は特に考慮されなかったと思われる 張飛の娘は正史皇后伝に、美人だとハッキリ書いてあった様な気がするのは気のせいか。 >>269
張氏からしたら、次の世代でも権勢を維持するにはなんといっても皇后や皇太子を自分の家から出したいところだ
娘が二人いるなら二人とも後宮に入れたほうがその可能性が高まるじゃないか あれ、劉禅に張飛の娘たちが輿入れしたのっていつ頃だ?
張飛存命時じゃないよね? >>271
姉は劉備が即位し劉禅が皇太子になったと同じころ
その年に張飛自身が死んでいるが、一応存命中の話とみていいだろう
関羽亡き後の劉備にとって張飛は一番信頼の置ける人物であり、その娘と皇太子の結婚は劉備と張飛にとっては当然の縁組 やや邪推してみれば、張飛は蜀屈指の将軍であり実力者。
それを牽制する意味で猜疑心の強い劉備が仕組んだ縁組かも知れない。
劉備という複雑な人格なら考えられる。 漢中王を名乗ったり即位したころは亡命政権の延長みたいなものだから
荊州以前の古参などから貴族階級を作りたかったのではないかな。
関羽・張飛・馬超・諸葛亮の一族あたりがちょうどそんな感じで。 孔明や馬はともかく関張は名士でもなんでもないからな
皇室の縁戚にして貴族化するしかなかったんだろう
関家は孫が劉禅の娘もらってたっけ 功臣が皇族と姻戚関係を結ぶのは封建制にとって
呼吸するくらい当たり前のことだろう。
そのようにして主家の基盤を固め、臣に栄誉を与える。
名士か否かは直接は関係ない。
ていうか劉備は思い切りわかり易い性格だと思うがな。
世辞でも善人とは言えないが、猜疑心が強いなんて評価は初めて聞いた。 >>278
張裕、劉巴、雍茂、彭𣴎の例がある。
元来は執念深く猜疑心が強烈だったんだと・・・ 張祐 占いを事とする(つまり影響力の大きい)人物が繁栄の終わりを予言したり、
君主の人相をあげつらえば敵視されるのは当然。初めは劉備の軽口が原因だが。
劉巴 どこが問題?
雍茂 これは弁護できないね
彭ニョウ 叛乱の意思の表明。是非もなし。
記録自体が少ないせいもあって、総じて見ると一代でのしあがった人物にしては
驚くほど粛清の記録が少ない人物だよ、劉備は。
曹操でも少ないくらいだ。こっちは長年天子を傀儡にして敵も多かっただろうに。 >>282
強いて言えば劉備の皇帝即位に意義を唱え、劉備の不興を買ったこと。
(たしか許靖も該当したっけ・・・)
あとは張飛(素性不明)がある時に、劉巴と付き合いたいと言った。
その時、劉巴は「氏素性もわからん馬の骨とは付き合いたくない」と言った。
あ・・・これは劉備の逆鱗に触れることと関係ないか・・・ つーか南北朝とか狂った時代を見ると、晩期孫権が並。
その二人はやっぱ粛清に頼らないでも求心力を維持できる何かがあったんだろう。 >曹操でも少ないくらいだ。こっちは長年天子を傀儡にして敵も多かっただろうに。
官渡決戦の前に、皇帝周辺の連中を軒並み粛清してるじゃん。
・コウメイが活躍できたのは劉禅がコウメイを信頼していたから
・キョウイは正史だと頼りになる人物ではなかった
・降伏後の戯れ事もその時の立場を考えれば優れた対応であった
・魏に潜伏して内部から反乱しようとしていた説
ここらへんの評価から考えると、案外劉禅って愚帝じゃなかったと思うんだがどうだろうか 武事を専らとする頼りにならない人間が、地縁も賄賂の類もなく
大将軍になれるほど蜀は腐ってなかったぞ。
ていうか腐敗した王朝ほど有り得ないことだが。