【仁】最高の君主【徳】
>>277
光栄の三国志バトルフィールドだと項羽より李世民、趙匡胤の方が統率高かったよ。
項羽は武力100で統率80台。 >>282
史書に書いてあることが真実であれば、劉秀は世界史上でも稀に見る名君。
あまりにも話が出来すぎてるから、鵜呑みにはできないが。 李世民には瑕(兄殺し)というのがあって、消そうにも消せない事実として残った
劉秀にはこれといった瑕がないように思う。
重箱の隅的なものなら、どうとでも見つけられるだろうが。 両方希に見る名君だしそれでいいだろうに、何故双方とも「自分の挙げている方が」をやらなきゃならんのか。
「そりゃ李世民のことだろ」と劉秀を排除するのも、李世民の瑕疵ばかりを挙げるのも不公正というもの。
双方とも治世に対する致命的失点に至ってない点でも同じだし、大して喧嘩するようなことじゃない。 つーか李世民は兄殺しが問題なんじゃなくて
それを隠そうとして兄を無能にしたり色々弄ったりする部分が
「貞観政要とか残して自称名君なのに、やることが小っせーなぁ」って逆に小者感を出してしまっていて
2chとかでは嫌われてるんだと思う
で、そう思う人間には「アンタが皇帝になるとか冗談みたいだねぇ」
と近所のオバチャンに言われてはにかむ光武帝はよく見えるだろうさ
あと別に李世民は初代じゃないのに、初代に匹敵する扱いで推すファンが多いのも不興を買う一因だろう
そしてその李淵をまるまるスルーして唐王朝誕生の功績を李生民一人、というのも李世民の工作臭いというスパイラル 李世民を実質初代とみなすなら、永楽帝も建文帝政権を滅ぼした
永楽帝政権の初代とみなせる 光武帝も太宗も実在を確認される人間では一二を争うくらいにすごい
前者は廃后、廃太子、法治主義で、後者は玄武門、高句麗遠征で
後世の歴史家に色々言われてるが
あとは好みの問題 光武帝の廃后は若い頃から好きな陰麗華を皇后にしてあげたかっただけだと思う。
その証拠に廃后された皇后の一族はこれをきっかけにより取り立てられるようになったから。
あと廃太子は皇太子自らが言い出したこと。
そのままだったら幼帝の連鎖は起こらなかったかもしれないが。 廃后がどうこう言われてるのは、後の代の廃后の有効な先例になってしまっていることと絡んでのこと。
光武帝の時代どうだったかは関係がない。
廃太子の件は同情すべき点はあるだろう。
暗殺疑いについてはさておくにしても、
後に、野心家の劉荊が異母弟であるにも関わらず担ごうとしている点を見ると、
自我が弱いと見なされていたか、身体が病弱であったかなどの理由から、
当人或いはその嫡子を傀儡としやすい性質であると見なされていたのだろう。
幼帝の件についてはおそらく仮に誰がついても変わるまい。
魏になっても早死にが続いているあたり、病弱や陰謀ではなく無知から長寿薬としてヒ素や水銀が使われていたのだろう。 自分から言い出そうが廃さないという選択肢も当然あったろ。
太宗の廃太子よりは結果も過程もマシな方とは言えるだろうが、
好き嫌いで天下国家に関わる序列を変えた、その前例を残した、のは
光武帝が一番マシだと思ってる俺でも微妙としか言い様がない >>296は>>295へのレス。念のため。
廃后問題については、もう少し詳しく言うと、
後の和帝時代のケ氏が陰氏を排斥する政争の際に有効な先例となっていることなどが問題とされている。
政争が国家を弱体化させたという理屈だね。
ただ、弱い勢力となっていた陰氏の人間が内部の礼法的優位だけでそのまま国家を指導する立場にあっても
「固定化した階級が国家を弱体化させた」といわれそうな気がするけどね。
ケ后の父のケ訓は対外戦争の名将だし、ケ隲も極めて優秀な人間で国家への忠誠も揺るぎないものだった。
結局安帝がケ氏でもフォローしきれない、自我強すぎの割に国が見えてないボンクラだったことが問題なんだろ。 何もそこまで深読みしなくてもと思うが。
歴史は全て個人の感情で動いているものだから、光武帝の廃后も単に愛のためにやったのだと自分は信じている。
それを政争とかに受け取るのはどうかな〜って感じた。
数々の苦難を乗り越えて善政を行った光武帝がこんな事でマイナス評価されるのはちょっと可哀想だと。 ここで語られるのが偉大さの証拠。
批判されるのは別に嫌われているからとか軽く見られている訳ではなく、
リスクのある行動をした以上仕方ないことよ。
他の候補にしてもそういう要素は転がってる訳で、パーフェクトな為政者などいないということさ。 >>297
>好き嫌いで天下国家に関わる序列を変えた、その前例を残した、のは
そもそも漢では景帝からじゃね?と思わんでも無い。
景帝はもっとえげつないが。 光武帝はたぶん実在してない。
豪族達が政権維持のため作り上げた架空の存在。 アグネス・チャンなんか信望も高いし権力を握れば
民にとってはいい君主になりそう >>307
ネタならつまらん
本気で言ってるなら精神科逝け >>308
アグネス・チャンは民からの信望厚いでしょ。
まさか民からの信望が高い=正義感が強いとか
勘違いしてない?民がいつそんな賢い人種になったんだよ 第一に文化人として信頼されてるのと、為政者としての信望についての時点で大きな隔たりがある。
第二に民からの信望篤いことと、民にとって良い君主ということにも大きな隔たりがある。
第三にそもそも文化人としても、アイドル上がりの彼女に対する信望というものは疑わしいものがある。 自分としては
1位ー清の康煕帝
2位ー後漢の光武帝
3位ー前漢の文帝
かな。 「常に」圧倒的多数の漢民族の上に立っている事を戒めて自らを律し、
「常に」善政を敷いて建国の父でもないのに後世に歴史上ただ1人「聖祖」と讃えられ、
最後の大仕事である後継者選びもついに誤りがなかった。
究極にして至高の皇帝、それが康煕帝です キリスト教に帰依すればとんでもない昏君でも神の如く賛美する宣教師がどうしたって? 康煕帝は後継者を選ぶときに少しイザコザがあったよ。
結果的に大成功したけど。 >>324
中国共産党員と歴代王朝の名君達を一緒にするな。 ケ小平は別名「共和国の世祖」と言われてるしな
毛沢東は皇帝的な性質を持っているから三国志時代でも通用する人物だし いや乱世なら毛沢さんはどこでも出られるだろ。
で太平の世では盗賊の大頭目か謀叛の首領扱いだが。 実在の人物かどうか微妙だけど、殷の湯王が旱魃の時に祈って、
「私一人に罪があるなら、人民に罰を与えないで下さい。人民に罪があるなら、私一人に罰を与えて下さい」
って言ったのは感動した。 >>332
昔の中国にそういう君主像が有ったこと自体が驚き。 >>334
今の中国共産党のイメージが頭に突き刺さっていて、
殷の湯王のような有徳者が新鮮に映ったんだろうよ。 殷は実在の王朝だから、湯王も実在したかもしらんね。実際どういう人物かはわからないけれど。 劉秀は名君だけど、後漢王朝は皇帝の短命のせいでいまいちな印象がある。
皇帝の短命を劉秀のせいにはできないけどさ。 場当たり的な戦闘は強いが君主として観るべき物はあるのか? 君主としても領主としても余り特に明確な功績を示さないまま亡くなってる。
強いていうなら、荊州で曹操から逃げる時に民衆がついていったので人気はあったろうというのが想像出来る位。
夷陵の戦を起こさず、大人しく四川の経営をしてたら何か評価すべき事もあったかもしれないが。
どうも禁酒令だけは出したらしいけど、古参の配下に窘められてその法令を止めた逸話であるのでこれを以って仁君とするのは無理がある。
劉備を落としめるのではなく、単に判断材料が無さすぎるってだけの話。 起こした時点で駄目だろ
孔明にも趙雲にも反対されたのに 結局最後に私怨で戦争起こしちゃったのは不味かったよね 光武帝 VS 宋太祖
つーかつまり孔子だろ。最高の君主のあるべき姿って。 学者に政治やらせるとろくなことにならんのは古今東西世の鉄則
建前じゃ国は治まらん 実際ある程度実績上げても、孔子は結局排斥されて
長年の流浪の挙句、晩年近くにやっと故郷の実権のない顧問扱いだもの。
それとて弟子達が各地で就職してたお陰。
指導者・教師としては当代随一だったけど、政治家としては今一。ある意味万世師表という称号は正当な評価ではある。 学者に株やらせても儲からないのと一緒
彼らは理論には長けているけど現実を理解できない
韓非子の死に様なんかもそれをよく現してると思う
兵法も読むだけなら誰でも出来るけど実際に戦場で活かすことが出来る人はそうそういない いやいや
仁や徳を重視したのは孔子だろ?そしてそれを体現してるのが。
現実的にどうかとか関係なく儒教なんてそんなもんで
漢以降は大抵儒教じゃん
だからどんな人間が君主になるべきか?理想の君主とは誰のような人間であるべきか?
それは孔子のような人間だ
ってことだよ
実際孔子が君主になったらどうなるかとかそういう事を言った訳じゃない >>352
その孔子は周公旦が理想だと言ってる訳だが。 いや儒教と孔子は違うじゃん
なんつーか後の儒家が目指したものと孔子が目指したものは違うとでもいうかな
孔子は周公旦が大好きだったっぽいけど後の儒教では孔子こそ一番凄いというか…
まあいいや。
現実的に言うなら光武帝と宋太祖の2強しか思いつかん
後は柴栄とか? 饅頭が小さいという理由で店主を殺そうとした柴栄さん 周公旦のように、兄弟順に継承した地位を兄の子に返したって人は他にいないのかな 柴栄は儒教の模範になるような君主じゃないよ。
才能を愛し、怠惰を嫌うのは曹操にも通じるところがあるし。 >>356
水戸黄門こと徳川光圀。
実子がいたのに兄の子を養子に迎えて水戸藩の家督を相続させた さすが史記伯夷列伝に感激した黄門様だけの事はある。 だけど水戸に居残った佐竹旧臣や大日本史編纂のための長期増税に喘いだ領民 あ、途中送信した。
水戸に居残ってイジメられた佐竹旧臣、大日本史編纂資金のために長期増税喰らった領民、寺を破却された僧侶からは恨み骨髄だからねぇ。
逆に黄門は黄門でも、後世の斉昭の方が地元民の人気は高かったりする。 黄門って宦官の役職だったような…
日本では中納言の意味らしいけど。 >>356
それ、成功したから美談みたいに語られてるけど
兄の子に譲ろうとして自分の実子たちの反発食らって
後継者争いになるって可能性もあるよな >>368
呉の件だよな。延陵の李子だっけ。って357に書いてあるじゃん。 現在の中国のトップの中で、後世の歴史家から徳のある人物とか言われる
人いるのかね〜。太子党、新幹線事故揉み消し、南シナ問題、チベット人
虐殺、数々の汚職、などなど・・・。なんか中国共産党、政権末期乱世に
一歩手前だと思うのは俺だけか? 今の中国は宦官が政権たらい回ししてるようなもんだから
その内崩壊するでしょ
中国の王朝崩壊は地方の反乱から >>224-226
>朱元璋はやってないだろうなぁ
>自分の卑しい過去を武器にしてのし上がった男だし
朱元璋集団が他の群雄よりも抜きん出ることができたのは、
イデオロギーを、民衆の間に広まっていた白蓮教から儒学(朱子学)に切り換えて、
劉基、宋濂らの儒者集団を味方にすることができたからだ。
朱元璋が儒学/朱子学を完全に理解していたのかはともかくも、
表向きは、一般民衆の間に広まっていた白蓮教から、
支配階層の教養/イデオロギーである儒学/朱子学に宗旨変えしている点で、
朱元璋は思想面において一般庶民と異なっており、
「自分の卑しい過去を武器にしてのし上がった」とは言えない。
むしろ、上流階層/知識人階層にすり寄ることになった。 >>180-181
>逆に朱元璋は、なんで2ちゃんでこんな評判いいのか理解できん。
>常人の理解を超えた怪物としか思えないので、とても感情移入できないよ。
朱元璋についてだが、
「貧農、乞食坊主出身」、「どす黒い権謀術数で皇帝にまでのし上がる」、
「大規模、過酷な粛清」という点はどうしても共感できない。
立身出世はいいことだが、生まれた境遇が超ド貧乏だと、
現代の恵まれた社会に生きる我々からすれば、かえって感情移入しにくい。
どす黒い権謀術数でライバルを追い落としたこと、大規模な粛清をしたことについては
言うまでもない。
朱元璋の人間臭いところ(一般の人間の性格に近いところ)は、
>>372のように、イデオロギーを白蓮教から朱子学に切り換えて、
上流階層/知識人階層にすり寄ったことかな? 朱元璋は「コイツ常人じゃねえ、理解不能だ、カッコイイ!!」と興味を持って調べていく内に
「案外人間臭いじゃねえか……やりすぎだけど」ってなる >>372、>>374-375
>案外人間臭いじゃねえか
朱元璋の権力欲/出世欲の強さは、人間臭く感じられる。
しかし、そのことで朱元璋を「庶民の味方」、「庶民の代表」であるかのように
持ち上げるのはおかしい。
>>372でも触れられているように、
朱元璋は劉基、宋濂らの儒者集団を味方につけるために、
一般民衆の間に広まっていた白蓮教から儒教/朱子学に宗旨変えをしたわけだが、
このことは、朱元璋が思想面・社会面において、
一般民衆から離脱して、上流階層/知識人階層に接近したことを意味する。
朱元璋が本当に「庶民の味方」「庶民の代表」であるならば、
白蓮教を旗印にしていたはずだ。
古くから、朱元璋は「豪傑、盗賊、聖賢を兼ね備えた人物」と評価されてきたが、
2ちゃんでは、朱元璋の「聖賢」としての側面だけを過剰に強調する傾向がある。
それが鼻について仕方がない。 庶民出ゆえになんの耐性もなく権力の世界に晒され、身を崩していく姿は、一種の庶民の代表に見えるけどね。女だったら宮廷物語だw
朱元璋の人間臭さって権力欲・出世欲の一言で済まされるようなものではないでしょ。
白蓮教から儒教に宗旨替えした瞬間だけじゃなく、儒教に絶望して粛清しまくった時期をよく見ておくといいよ。
呉王即位の時が朱元璋と儒教の蜜月で、皇帝即位の時には既に……って感じだし。
というかイデオロギーで儒者にすスリ寄ったのではなく、儒者=浙東の豪農・豪商集団だから天下取りに必要だったんだろうけど。
地方官に直接指示して免税、開墾、屯田、徒民、灌漑を徹底して行わせて農民を回復させたのは事実だし
そこに儒学者がいうような寛仁の政策はない。
皮肉な事に、民衆の教化政策は儒者が粛清され、朱元璋が独裁を始めた事に行われるのであって
既存の体制=儒者=豪農・富商による既得利権の容認、富・権力の独占であった糧長制度によって苛められていた農民を
年度による交代や、収入に対して課税を増やし、簡単な揉め事なら郷里の習慣に一任する里甲制によって救ってるわけだ。
朱元璋の儒学=浙東系集団への傾倒は朱元璋の経歴において殆ど一瞬の出来事なのに、
それを中心であるかのように言われると、それこそ鼻について仕方ないな。
基本的に彼は自分の母体集団である淮西集団を優先してきたし。
故郷である鳳陽に蘇州の富豪や農民を強制移住させるなど、仁君のするようなことじゃない子供っぽい事をやってるけど、
それもこの郷土集団への仲間意識であり、その昔から共に戦ってきた二十四人衆の放蕩もまた朱元璋の絶望の一つだろう。
彼の治世の殆どは南方文化人との対立であり、それは民衆を搾取する富裕層との対立だったよ。
科挙を実施しておきながら、これを採用しなかったのも南方人が多すぎたからだし。これは宋代から続く頭痛の種だが。
国家経営論を持っていた劉基や宋濂(彼は官吏採用が南方人に偏らないよう、朱元璋に命じられて北方出身者の教育をしている)ですら
その子弟に浙東系集団を持っていて、影響を排除しきれなかったことが、朱元璋が彼らを切ることに繋がるんだけれども。
この朱元璋の孤独、理想、猜疑、絶望、失望、憤怒を、ただ一言権力欲・出世欲と評してよいものか >>377
朱元璋についてそこまで綿密に調べることができるのなら、
明代中期・後期についても同様に、
綿密に調べて、話題を多く出すようにしてもらえないだろうか?
2ちゃんでは、明代についての話題というと、
圧倒的に明初、それも朱元璋ばかりに偏っていて、
明代中期・後期や、朱元璋以外の人物についてまともに語られたことがない。
「明初・朱元璋偏重」「明代中期・後期の軽視、無視」の傾向を是正すべきだ。