【賊軍】中国史の反乱を語るスレ【農民軍】
中国では度々世界でも類を見ないほどの反乱が起こっている。
悪政の下に高まった民衆の不満は爆発し、
時には暴徒と化して支配者を震撼させ、
その時代に終止符を打ち、また新しい歴史が生まれる。
歴史を大きく動かす中国史の反乱(軍)を語りましょう。 赤眉の乱
黄巾の乱
黄巣の乱
紅巾の乱
李自成の乱
民乱の破壊力は兵乱を遥かに上回る。
紀元前
211 陳勝・呉広の乱(農民→秦)
154 呉楚七国の乱(各地の王→前漢)
17〜 赤眉の乱(農民→新)
紀元後
184 黄巾の乱(農民(賊)→後漢)
618 農民反乱による隋の滅亡
763 安史の乱(安禄山(使節度)→唐)
875〜884 黄巣の乱(農民→唐)
1351 紅巾党の乱(農民→元)
1664? 李自成の乱(農民→明)
1852〜1864 太平天国の乱(農民→清)
1911 辛亥革命(→清)
こんなもん? >>7
朱元璋は、当初は紅巾軍傘下で活動したけど、
その軍団には、実は当初から地主階級の人間が多く加わっていて、
農民主体の軍勢とは言いがたい。
歴史上、農民主体の反乱軍が、長続きする政権を樹立した例はないんじゃないかな。
一番規模が大きい反乱は何かねぇ?
範囲か人数か被害か、比べどころが難しいけれども。 難しいけど、黄巣の乱や紅巾の乱が、規模が大きそうなイメージだね。
人数だと、人口が急増した清代後期の、太平天国の乱かな?
歴史を変えたというなら、安史の乱も忘れてはいけないね。 安史の乱はのちの詩人にも多大な影響を与えたからね。
安禄山ってデブで肉が膝まで垂れてるのに、舞が得意だったんだよね。 >>14 政治的影響というやつだな。
その点で行くと、黄巾の乱や赤眉の乱、安史の乱なども、華北限定だったわけだし。
全土に波及した大乱といえば、黄巣の乱。 それ以降の時代を知らんから、補足よろ。 黄巣の乱は、山東から一旦南下して広州まで行き、その後また北上して、
長安を占領したからね。ほぼ全国を回った。
漢代以前の場合、そもそも江南はまだ未開発の部分が大きかったので、
江南へ行ってないからと言って、全国的じゃない、とは言えないように思う。 いや全国的な乱がエライわけじゃないので、江南へ行かない乱はしょぼいなんていうヤツはいないっしょ。
たぶん。
だから政治的、経済的影響がどれほどのものか、で乱の危険度が変わると思うな。 【孫恩】(そんおん、生年不明 - 402年)字は霊秀、琅邪(現在の山東省諸城県)の人
叔父である孫秦は、江南の五斗米道を束ね、王侯とのつながりもあった。そのため東晋
での発言力もあったが、反逆の罪で殺された。 孫秦の後を継いだ孫恩は、信徒を糾合し
、399年、東晋に対して反旗を翻す。
孫恩の乱は、江南の信徒にも広がり、一時は建康に迫る勢いを見せたが、劉裕を
始めとする官軍の前に敗北を重ね、その勢力は弱体化する。ついには、臨海で敗れ、
402年、海中に身を投じて自殺した。
孫恩亡き後の反乱軍は、妹婿の盧循に引継がれ、反乱し続けていくことになる。 >>4(呉楚は農民反乱でないのでカットした。)
紀元前
211 陳勝・呉広の乱(農民→秦)
17〜 赤眉の乱(農民→新)
紀元後
184 黄巾の乱(農民(賊)→後漢)
孫恩の乱」
618 農民反乱による隋の滅亡
763 安史の乱(安禄山(使節度)→唐)
875〜884 黄巣の乱(農民→唐)
方ロウの乱
1351 紅巾党の乱(農民→元)
1664? 李自成の乱(農民→明)
白蓮教徒の乱
1852〜1864 太平天国の乱(農民→清)
義和団の乱
孫文の暴動×10回(全て失敗)
1911 辛亥革命(→清) 万暦の三征(ボバイの乱、朝鮮援兵、楊応龍の乱)はー? >>20
農民反乱ではないな。
ボバイの乱、楊応龍の乱共に、決して小さな反乱ではなかったけど、
中国史全体を通して見れば、巨大反乱には数えられない。 つか王朝末期に蜂起されて混迷して衰退して滅亡ってパターンがほとんどなのが笑える。 安史の乱は、兵乱としては、最大級と言っていいのかな?
他の大反乱は、民乱が多いようだし。 >>26 八王の乱もかな。
西晋崩壊のトリガー。
隋末の群盗乱舞は、とくに「乱」とひと括りにされてないよね? 安史の乱って日本に伝わって
反乱軍が日本に来ることを危惧して防備を固めたって聞いたけど・・・。
実際どうなん? 更にこの反乱の影響は海外にも及んだ。例えば、日本では天平宝字2年(758年)渤海から帰国した小野田守が日本の朝廷に
対して、反乱の発生と長安の陥落、渤海が唐から援軍要請を受けた事実を報告し、これを受けた当時の藤原仲麻呂政権は反乱
軍が日本などの周辺諸国に派兵する可能性も考慮して大宰府に警戒態勢の強化を命じている(『続日本紀』同年12月10日条)。
更に唐の対外影響力の低下を見越して長年対立関係にあった新羅征討の準備を行った(後に仲麻呂が恵美押勝の乱で処刑さ
れたために新羅征討は中止された)。
wikiだけど。 いやほんと、この頃の唐は醜態を極めていたからねぇ。
郭子儀、李光弼、顔真卿などがいなかったら、第二次異民族流入の事態になっていたかも…
手当たり次第に他民族頼ってるもんね。 自力で反乱鎮圧できなくて、ウイグルとかの異民族を引き入れているからね。
おかげで、散々に掠奪されちゃったようだけど。 >>33
お陰で一部の史学者には「安史の乱で唐はウイグルの属国となった」
と言われる始末。
でも江南に乱が及ばなかった事で何とか王朝は命脈と保った。 太平天国の乱は死者5000万人なので他の乱とはケタが
ちがうような・・・
その記録も100年後の文化大革命の死者1億人に抜かれますが・・ 清代には、人口が一挙に増えたからね。
中国の総人口は、漢代に早くも五千万人を突破し、
それ以後は、多い時で五千万人から一億数千万人?ぐらいの範囲で安定したが、
清代に入って、一挙に四億人ぐらいまで急増した。
巻き込まれる人数も、それだけ膨れ上がる。
そもそも前近代の統計って信用できないし、数字も誇張されがちだからね。
簡単に何十万人、何百万人と殺される。 > それ以後は、多い時で五千万人から一億数千万人?ぐらいの範囲で安定したが
これって安定してるっていうのか? 漢代、唐代、明代、最盛期にそれぞれで五千万人ぐらいであることが多いので、
安定と言えるんじゃないかな。
北宋期には一億人を超えたよう。
実際は、王朝の人口把握能力の問題だし、戦乱期でも、
統計上ほどの極端な減り方はしていないように思う。 三国志の時代の10分の1以下に激減、とかは嘘だわな
>>25
秦:短命 ⇒ 前漢200年
新:短命 ⇒ 後漢200年
隋:短命 ⇒ 唐300年
中華民国:短命 ⇒ 中華人民共和国 300!?
の悪感・・・。 まあどの王朝を見てもストレートに交替してるのってそんなにないよな
だいたいその前に一騒動持ち上がってる 李自成の「順」って、占領した地域に、行政官っぽいものは置いていたの?
それとも、ただ移動するだけの流賊? 移動したら、占領地は放棄していたんじゃないのか。
簡単に崩壊したし。 黄巾の乱は、ちょっと計画的だな。
首都での蜂起も準備していたようだし。 >>31
新羅征伐を実行しても失敗していただろうな。
渡航作戦は容易ではないし、渤海と手を組めても、
渤海だって全力を南に傾けられないだろうし。 >>47
北宋って、金の侵入がなかった場合は、無事に存続できただろうか? 徽宗と蔡京と童貫の統治がさらに続きます。
まあ長続きは望めないかと。そもそも徽宗の代ですでに王朝末期の様相を呈しているのだから。
精康の変はよく「繁栄の絶頂から突然の滅亡」なんていわれるけど、実際に栄えていたのは首都
開封やその他一部の都市のみで、農村部はひどいものだった(その為に王安石が新法運動を始めた
のだが、結局失敗に終わっているしね)。民乱も続発してたしな。 規模と年数を考えれば、三藩の乱も入れていいのでは。
江南地域は、ほぼ呉三桂側が支配したし。 >>38 マジレスするとトウモロコシ。それまでは開墾不可能な山岳部で食料が生産できるようになった。 >>61
でも江南の中枢である南京、蘇州のあたりは攻め切れなかったし、
占領してもすぐに押し返されている。 三藩の乱って戦いの規模はどんなものだったのだろう。
個別の戦いでは、あまり聞いたことがないけど。 呉三桂の軍に象部隊がいたというのは聞いたことがある 三藩の乱の頃は、雲南に象はたくさんいたんだろうな。
今じゃ、雲南の象は絶滅寸前にまで数を減らしているらしいけど。
秦:短命 ⇒ 前漢200年
新:短命 ⇒ 後漢200年
隋:短命 ⇒ 唐300年
中華民国:短命 ⇒ 中華人民共和国 300!?
の悪感・・・。
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。。。中共王朝 >>67
。。。赤匪王朝
⇒ 2008が其の最期は濃厚だよ けど中国の経済成長率はかつての日本の高度経済成長を凌ぐものがあるからなあ。
来年で終わりというのはちと希望的考えすぎると思うね。 ■3000$の法則
一人当たりの年間GDPが3000$を越えると独裁は崩壊する。という法則。
台湾、韓国がこれにあたるといわれる。
■オリンピックの法則
独裁国家がオリンピックを開催すると10年前後で滅亡する。
ナチス、ソ連、ユーゴが当てはまると思われる。 3,000ドル超えても崩壊してない独裁国家、
オリンピックやって10年たっても崩壊してない独裁国家は無視か。 上はともかく、下は関係有るの?
たくさんの外人との接触が民衆の意識を変える?