X



□ □大唐英雄列伝□ □
0001名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2006/10/26(木) 08:12:52ID:0ZZNTNDE0
唐朝の建国から滅亡までに、現れては消えていった武将や豪傑など、数々の英雄たちを語りましょう。

隋朝末期の戦乱、高祖李淵、太宗李世民の統一戦争に従事した、李靖、尉遅恭ら建国の二十四功臣。
唐朝中葉期には、西域での戦いで功績を上げた高仙芝、大反乱を起こした安禄山を初め各地に割拠した節度使。
そして唐朝に致命傷となる打撃を与えた黄巣、次の五代への時代の扉を押し開いた朱温、李克用等、
唐代には英雄と呼ぶに相応しい人物がたくさん登場しました。

彼らを大いに語りましょう!
0056名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2006/12/06(水) 12:04:37ID:EW81cNXQ0
安禄山の名前はアレクサンドロスですか?それとも安ルーシャンですか?
誰か答えてみんしゃい。
0061名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2006/12/18(月) 23:41:06ID:3QpLgdr00
>>59
胡旋舞を見に行こうと誘われて、エキゾチックな胡姫の舞を期待して行って、
安禄山が踊っていたら複雑だな・・・
0064名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2006/12/23(土) 22:52:26ID:P0JO1hrE0
>>60
百貫デブはともかく、垂れた腹の肉が地についたって言うしなあ・・・
これは誇張であったにせよ、
まあ、一度見たら忘れられない姿をしていたんだろう。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/04(木) 23:46:52ID:4eCPVGmN0
楊貴妃からは気に入られていたみたいだね、安禄山
おっさんを可愛がるってかなり不気味だけど
0067名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/05(金) 15:44:28ID:kUQs2Tdn0
安禄山は楊貴妃に欲情は感じていたんだろうか。
0069名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/06(土) 14:03:52ID:17GBGVst0
大陸で爆発ヒット中のチャン・イーモウ監督の最新作「黄金甲」は、
唐代の美女を表すために、巨乳女優をたくさん集めたらしい。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/09(火) 19:47:04ID:w5/0AhJw0
唐代の踊り子の人形(今で言う美少女フィギュア?)なんかはアラブ系っぽい柳腰だったと思ったが、ムネはどうだったかな・・・
0071名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/10(水) 16:16:06ID:tu5YB08B0
唐代の美女と言えば、
一つに連想されるのは、楊貴妃を含めた、グラマー系美人、
もう一つは西域からやって来た胡姫
0073名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/10(水) 22:32:46ID:Y9BiuuoZ0

晩唐から五代十国には、日本の戦国時代に似たイメージを持っているが
日本の畿内のように軍閥以外の宗教勢力、一揆みたいなものは
生まれなかったんだろうか?
0075名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/10(水) 23:42:04ID:vBmoMk0C0
武宗の廃仏が効いているのかな?
寺社はその当時、荘園貴族真っ青なほど優雅なお暮らしをしてたし、それなりに自衛集団はいたそうだ。
抵抗勢力とまでは行ってないと思うが(そこは詳しくみていないから知らないだけか)、世の弊害の片棒であったことは疑いない。
だからこその後周世宗の仏教整理なんだろうが…
0076名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/16(火) 23:49:48ID:bfRcKxn80
宗教勢力によって引き起こされる戦乱ってのは中国史上たくさんあるけど、
この時期はあまり目立ったものがないね。
0077名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/19(金) 13:49:38ID:fTDcgbtt0

日本の室町時代の近畿地方の面白さは、武家権力の狭間に
朝廷、幕府、寺社の権威を結びついた民衆勢力がわり込んでいるところだと思う。
一方、晩唐や五代には、そういうものの存在が目立たないように思う。
晩唐や五代は、むしろ関東や九州の室町時代に近いと考えればいいのかな。
0078名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/19(金) 15:29:32ID:L4YKjFI80
室町について詳しくないからわからんが、唐末の藩鎮体制は日本の大名に置きかえてみることもできると思う。
本来節度使は、地方の統括を任されたものだったけど、兵乱・民衆反乱に続く黄巣の乱によって、中央の管制を受け付けなくなった。
その節度使は、地元民との結びつきを強め、割拠状態に至る。
三国以来の都督制と違い、民政・徴税の権を有していたので、独立国とみれる。その節度使同士が領地を削りあうわけだから、日本の戦国期に似ている。
また、藩鎮の有力兵士が節度使を武力で打倒し、取って代わる下克上が行われるところも。

唐末五代での特筆は、それまでの貴族支配から、下層民出身者が政治に関わるようになったところ。
そのころの有力者は、山東や関隴系とかの名門ではなく、没落した農民たちを労働者として取り込み、大土地を所有した新興の地主層となった。
また、藩鎮兵士や幕僚には、節度使に人事権が一任されていて、好きな人物を登用できることから、貧民出身者や家内奴隷、盗賊などの類まで、政治に関わるようになった。

全国の唯我独尊的な人物たちに、小なりとはいえ地方割拠のチャンスを与えてしまったこの時代は、統治機構の崩壊もあって、荒れて当然の時代だったのだろう。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/19(金) 15:43:27ID:Ov2VhAAJ0
節度使に権限が集中したから、
その藩鎮内では中央集権的な体制を作れたからかな。
0080名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/19(金) 18:32:19ID:L4YKjFI80
いや、おれは逆かなと思っている。
五代の乱を改めて見るといい。
あれは中央集権とは逆で、地方に有力者が分散し、かつ権限が大きかったからあっさり政権交代し、そうならないまでも内患が絶えなかった。
そして、その藩鎮内でも、牙兵以外の鎮将などに徴税代行などの権限があったから、集権というわけでもなかった。
いわゆる影の内閣(シャドーキャビネット)と言われたのは、藩鎮の構成が、縮小された朝廷と地方の構成に似ていたから。
藩鎮内での要職が、そのまま国家の要職に相当するようになるし、前述の鎮将は国家レベルでいくと節度使に相当するようになる。
つまるところ、節度使もその地位が安泰だったわけでは、決してない。

そういう中で中央集権的、君主独裁的な流れを作ろうとするには、君主自らの固有の武力が、他の節度使を圧すればいいと、そうしたわけ。
で、そういう流れは実は中唐の頃、憲宗率いる北衙神策軍の登場にあったわけだけど、方向性がつけられたのはもっと後、後周の頃となってしまう。
後周世宗が為そうとした禁軍の強化は、地方藩鎮に兵士が集中しないように配慮されたものだった。
その頃は地方藩鎮が強力で、皇帝の権力が低かったから、皇帝権の復活を第一とした改革までしか為されていなかった(途中で病死したから)。
趙匡胤はその流れで禁軍の兵権すらも皇帝に帰すようにし、節度使の権限を次第に縮小させていったわけ。

安録山の乱の前後に発生した中唐の負債を支払いきるのに、それだけの歳月がかかってしまうことになる。
玄宗や楊国忠のなした罪科はかように重いのだったw
0081名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/20(土) 20:04:19ID:SEqGb/TR0

80氏の解説は正しいと思うが、その価値判断については正史を流れる
「始皇帝の亡霊」の呪縛にとらわれているのではないか。
「中華は一つ」であるべきかどうかっていうのは、現代まで通じる問題で
あるにもかかわらず、中国史の専門家の多くが無条件にそれを
前提としているように思う。特に宋代の専門家は。
確かに宋は中国史上の黄金時代だと思うが、同時に中華世界の限界を示した
時代でもあるし、朱子学なんてものは我が国にまで入り込んできて
今日に至るまで我々は被害を蒙っているわけで…
0082名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/20(土) 22:01:57ID:Kb8yrJ6o0
>>81 つまり?
自分が言いたいことというのは、分権として成り立つなら、それもいいのだけど、唐末から北宋の成立にかけて、一体なにが害悪であったか、ということ。
それはすなわち、節度使による地方分権的な体制であり、それによってもたらされる兵乱であり流通の阻害であり、荘園の拡大に伴う貧農の増幅であり、さらにそれによって生じる賊徒なわけですよ。
もうひとつ付け加えて言えば、藩鎮勢力あるいは禁衛の将が皇帝すらをもすげかえるだけの力を有していたわけだから、乱が長引くのは想像に容易だと思う。実際五朝期はそういう時代だった。
そういう無秩序な中では、皇帝自身が力をつけるのが、苦難ではあるけど乱を納める近道ではあると考える。

後周〜北宋にあった統一の気運というのは、何も中華思想だけがその根本にあるわけではなかった。
その背景に、商人たちから流通路の確保、国境税の取り払いなど、そういった面からも後押しされた部分もある。
柴栄がもと商人出身だから、そういう道に敏感だった、というのも妄想ながらあるにはあるけど…

とはいえ… その「始皇帝の亡霊」が何世紀も中国という国を形作ったのだから、「皇帝」となった人は、統一を大義名分にするのが一番簡単簡潔に周知させられることだと思うな。
ということは、自分もとらわれているのかもしれないなぁ。 
どういう価値基準を持てばいいのだろうか。
0084名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/21(日) 00:43:46ID:Q6NE2SxT0
「使」っていうのは、三省六部ではない官、つまり「令外官」で、武則天くらいから増えてきだした、新しい官職。
で、もともと節度使っていうのは、府兵制で補い得ない軍団を統制するための、軍組織だったわけ。
だから基本的に国境周辺の辺境にあった。
しかし内政の失敗から朝廷が税の徴収を満足にできなくなったので、節度使に観察使を兼ねさせて、民政権と徴税権を与え、内地に置くようになった。

基本構成は軍組織であり、牙兵というのがその中心にある。
牙兵は節度使のいわば親衛隊であり、もっとも身近な兵団なわけです。
親近者や仲間などがそれを構成しており、その中から、「中門使」(節度管内の軍政責任者)
「押衙」(おうが。 武官高級幕僚。税の管理もおこなった)
「孔目官」(牙兵に対して、牙吏という。文官職だけど、武人が携わったりした。後周の太祖郭威が劉知遠の幕僚だったとき孔目官だった)
「客将」(他藩鎮との外交接客など。文官職ではなく武官職)
「親軍」(馬軍、歩軍など分化されるが、節度使内での軍団の主力)
「都虞候」(管下州の刑獄など)
「節度判官」(幕職官。文官の最高幕僚。軍事にも参画する)
「節度掌書記」(同様に幕職官)
「節度推官」(節度使の補佐)
「鎮将」(管下の要衝を守衛する。また徴税権もあった)

以上は節度使に付随するもの。 観察使としての役職を補佐し民政などに参画するものとしては
「観察判官」「観察支使」「観察推官」などがあった。
この他、「州刺史」や「県令」も従来どおり。

財政を司る職分でも、主に武官が任命されたし、外交や式典の役職も武官がやった。
これは、そのまま中央官制にあてはめることができ、武人政治と呼ばれるゆえん。
0086名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/21(日) 11:14:47ID:Q6NE2SxT0
節度使って、使職なんだけど、のちには行政区分も兼ねるようになったんだよね。
従来の州県区分では、豊かになりすぎた江南江浙やらの民政統治がままならず、より大きな区画が必要になってきたから。
中唐に起きた軍乱、安史の乱以降は基本淮河より北の地での反乱が多かったけど、唐末になると、湖南や浙東を基軸に次第に北上していく兵乱および民乱が続発していた。
五代十国時代の十国が、華南にあってそれまでの例になく分裂していた背景は、その節度区画と兵・民乱による相互連絡の分断と地域民とのより深い密着という点が大きいと思う。
それまでの歴史は、普通華北側が分裂し、華南は比較的分裂しない、というものだったのに対し、ね。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/22(月) 23:53:50ID:pTkQH6jL0
>85

三国時代から宋の建国までは、基本的に軍閥の時代と考えていいと思う。
モンゴル研究者の杉山氏が明を元の出来の悪い後継者と評しているが、
宋の時代に中華帝国の統治原理が確立され、
明や清は基本的にそれを受け継いでいるように思う。
0089名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/30(火) 23:59:46ID:jacbRNNr0
唐って、世界帝国、強大な国家のイメージのわりには、
結構軍事的に弱い場合が多いよね。
0090名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/01/31(水) 23:44:35ID:9q3s6ijM0
成立当初、太宗の治世の前期でも突厥に押され気味なところがあるし、
安史の乱以降となると、もうぼろぼろだね。

吐蕃なんかは、長安に迫りやすい位置にあるし。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/19(月) 23:43:08ID:+KbJOkWe0
安史の乱以後の唐は、世界帝国とは言えなくなったしね。
下手したら、ウイグルの属国だし。
0093名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/20(火) 00:49:12ID:4WxylHkt0
>>89 府兵制が機能していたときは、軍事的に精強だった。
しかしそういった制度はゆるやか〜に傾きだしていき、やがて周辺国の侵入に対する過度な徴兵によって
民衆は逃亡し兵をまかなうことができなくなってしまった。
節度使を置きだしたのは、それを地方官に押し付けたと言ってもいい状況から。
安録山は節度使の強大な権限を振るったわけなんだが、節度使の機能が十全であれば、実は軍事的にはかなり強力。
ただ、河朔三鎮をはじめとして、その大きな権限を皆自分のものと取り込んでしまったため、唐は終る。
外に向けられていたちからが内に向けられたわけだから…
0094名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/20(火) 09:31:43ID:zVGyjh9r0

唐の中央政府が弱かっただけで、
節度使の軍事力は最後までかなり強力だったと思われる
0096名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/23(金) 23:55:30ID:DPdQ5A5i0
>>95 中原? 遊牧民族系の牙兵が多いのは、河北の藩鎮だろうと予想するけど…
ただ、中唐以降の藩鎮による兵乱というのは、実は華南から発祥しており、根本的に唐人による暴動だった。
その時期、河朔三鎮は、まぁ独立国といってもいい状態だったし、兵力の確保から異民族の子供とか奴隷とか養っていたかもしれない。
0097名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/02/25(日) 23:57:06ID:Y73BN7at0
唐代末期から五代にかけての、もっと南の河南とか、江南とかのあたりになると、
遊牧民は参加する余地はないかな
0098名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/03/06(火) 23:58:40ID:jj31+fY/0
いろんな藩鎮を渡り歩く傭兵のような武将もいそう
0099名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/03/07(水) 01:28:16ID:tVYskyAI0

四川だとチベット系やタングートの傭兵がいると思う
0100名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/03/11(日) 23:51:42ID:ytTibeqn0
梁羽生の武侠小説「大唐游侠傳」がドラマ化されるそうだ。
0101名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/03/13(火) 23:56:47ID:0a13yIQF0
梁羽生の武侠小説

唐代

『女帝奇英傅』

『大唐游侠傳』〜『龍鳳宝釵縁』〜『慧劍心魔』

宋代

『武林天驕』〜『狂侠天驕魔女』〜『飛鳳潜龍』〜『鳴鏑風雲録』〜『瀚海雄風』〜『風雲雷電』

明代

『還劍奇情録』〜『萍踪侠影録』〜『散花女侠』〜『聯劍風雲録』〜『廣陵劍』〜『武林三絶』

清代    
  
〜『白髪魔女傳』〜『塞外奇侠傳』〜『七劍下天山』〜『江湖三女侠』〜『冰魄寒光劍』〜『冰川天女傳』〜『雲海玉弓縁』〜『冰河洗劍録』
〜『風雲震九州』〜『侠骨丹心』〜『游劍江湖』〜『牧野流星』〜『弾指驚雷』〜『絶塞傳烽録』〜『劍網塵絲』〜『幻劍霊旗』

『武林一劍』

『龍虎鬥京華』〜『草莽龍蛇傅』
0102名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/03/27(火) 18:50:44ID:NYelv4oH0

唐は安史の乱の前後で、国家の軍事力の構成が全く変わるからなあ
0105名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/01(日) 14:14:08ID:u0s7QLxJ0
李正己(イ・ジョンギ)という歴史人物の名前が本格的に知られるようになったのは、東洋中世
史学者(延世大教授)である著者の果たした役割が大きい。

著者の研究結果によれば、高句麗滅亡以後、中国に連行された高句麗人の末裔(まつえい)・
李正己とその子孫らは、4代55年(765〜819年)にわたり山東地方に斎を打ち立て、15の州を
治めた。斎は新羅よりも広い領土を占め、強大な経済力で唐に対抗し、一時期は洛陽を攻略
して天下に覇を唱えることも狙っていたという。

この本は、その「忘れられた王国」の通史にあたる。

著者は「唐が“凶悪な高句麗の連中”と呼んだことから、逆に斎の支配層が持っていた高句麗
人としてのアイデンティティーを読み取ることができる」と説明した。これまで学界では、李正己
一族を単なる藩鎮勢力(半独立の様相を呈した節度使。唐後期に地方で横行し、中央の権威
を弱体化した)の1つとみなしてきた。しかし、著者は「斎は唐に税金を納めず、官僚の任命も拒
否するなど、長期間にわたり軍事的に対立した自主的な独立国だった」と評価を一変させた。

こうした著者の主張が成立するならば、韓国史だけでなく、中国史の体系全体に変化をおよぼ
す歴史解釈の大転換となる。つまり唐後期は、これまでの解釈のような「弱体化した統一帝国
の時代」ではなく、「数多くの独立国に分裂した時代」になるのだ。そのため、「斎独立国説」が
定説となる上で越えるべき壁は高いと思われる。

http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070401000000
0106名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/01(日) 22:36:55ID:QFgwsPrw0

これって平盧軍のこと?
0107名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/04(水) 22:52:46ID:fWYfI4Xy0
 李正己(733-781年)は唐代の人物。高句麗人とも渤海人とも言われ、営州出身。本名は懐玉。
 最初平盧軍王志玄の下でその属将となる。王志玄の死後は、侯希逸を後継者に擁立し、上元2年(761年)に
山東の青州へ移る。
 永泰元年(765年)に侯希逸を追放し、代わって平盧軍淄青節度観察使となり、正己の名を賜る。
 田承嗣、薛嵩、李宝臣、梁崇義といった他の藩鎮と結び、李霊曜が唐朝に叛旗を翻した時には、その機に乗
じて、曹、濮、徐、兗、鄆の各州を占領し、既に支配していた地域と合わせて、15の州を支配し、藩鎮の中でも
最大の勢力を誇った。
 建中年間の初め、唐朝に叛いたが、ほどなく病死した。
 
 こんな感じかな。
 いずれ韓国がドラマにでもするだろうw
0108名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/05(木) 18:38:14ID:PbQUu2HtO
唐朝が対外的に軍事的強勢を誇ってたのは、建国の功臣が健在だった時代まで。
具体的に、李勣の高句麗遠征までってことでよかですか?
0109名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/06(金) 23:44:24ID:PKThkMhj0
どこまでが強盛だったかの時期の判断は人によって分かれるだろうけど、
後半はもう本当にぐだぐだだね。

下手したら、ウイグルの属国扱いされかねない時期もあったし。
0110名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/07(土) 23:54:22ID:p2NDOgsq0
結構公主を周辺民族に嫁がせたり、吐蕃に何度も長安を脅かされたり、
内乱抜きにしても、世界帝国にしてはかなり脆い感じだね。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/12(木) 01:04:23ID:eoksfyLB0
でも唐以外の統一王朝もほとんどが建国から数十年くらいが関の山でしょ。
むぢろ漢の武帝あたりが異端なのでは?
0112名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/12(木) 08:34:21ID:esxZhEKU0
前漢はいわば、武帝の代で統一をみた、という感じ。
その前二代の名君もあるが、本来、劉邦が統一した、というのはちょっと大雑把すぎる。
あの人は、諸国連合の盟主・宗主みたいなもので、唐初期とはずいぶん様相が違うと言える。
0114名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/04/15(日) 23:59:32ID:m6ZS4eDy0
唐朝はちょっと版図を広げすぎて維持が大変になったんだと思う。
結果的に後半がグダグダになった。
0115名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/02(水) 22:42:49ID:P4E6hWHY0
行政単位の州を細かく作りすぎた。
だから節度使が必要になった。
0116名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/06(日) 23:56:18ID:vvskIzLl0
同じ州の刺史でも、中原の長安や洛陽に近い州とか、
江南の豊かな州の刺史と、
辺境の異民族が襲撃して来そうな州の刺史じゃ、
だいぶ格が違うんだろうか。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/15(火) 23:58:35ID:B/sbqid20
人間、極限の飢餓に直面すれば食ってしまうと思うよ。
倫理上問題は大きいわけで、張巡のその行為は後に論議の的になったけど、
一般的に他の文化圏に比べると、中国はまだ抵抗感が少ない方だったんじゃないかな。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/16(水) 00:52:27ID:OlhWXbOF0
家畜を屠殺(←なぜか変換できない)して食べる習慣があるなら、
身近に暮らす「動物」をばらすのも抵抗少ないんじゃないだろうか。
0120名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/18(金) 11:27:02ID:VKcLc7fc0
そのへんの問題は、日本になぜ宦官がいなかったかについてで、
よく言われるね。
0121名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/05/21(月) 20:00:19ID:HObPaOaD0
>>118
張巡、許遠らが人肉を食らってまで城をまもり抜いたおかげで、
安禄山軍の南下を阻止できたのだからね。

仮に安禄山の軍勢が江南に雪崩れ込んでいれば、経済基盤を失った唐朝は立ち枯れ、
燕朝による天下が実現したかもしれないわけだし。

倫理上大きな問題を孕んだ行為とは言え、唐朝の危機を救ったのだから、
表彰しないわけにはいかないだろう。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/06(水) 23:04:18ID:QXYmkP8U0
唐が仮に滅ぼされたとしても、安禄山の燕朝は長持ちしただろうか?
0123名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/07(木) 00:15:22ID:XZAtPCKfO
>>117
三国志にも、客に食べさせる食事がないからと、身内の人肉を振る舞うシーンが美談として書いてあるし、昔は普通だったんだろね。


0125名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/07(木) 07:14:34ID:aGVXEPJr0
>>123
いや、少し違う。
自分や身内を犠牲にしても、他人に饗応する、尽くす態度が美談であって、人肉を食するのが美談というのではないと思う。
0126名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/07(木) 15:25:48ID:ssJZ0g/V0
隋朝末期に割拠した反乱軍の首領の中にも、
人肉漁りをした男がいたな。
0127名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/08(金) 10:04:48ID:O4UZoLz2O
>>125
それはその通りなんだけど、時代背景として人肉を食べるということが皆無なら、その会話自体が成立しないと思う。


日本ですら大飢饉の時は人肉食って記録があるし。秀吉に兵糧責めにあった鳥取でも、人肉食いがでたと記録が。

戦時中も兵糧をたたれた日本兵が南方や大陸で人肉食ったのは有名。

20世紀に入ってからの中国でも数百万人が餓死した時期があって、やはり多数の人肉食いがでた。

ましてや昔の中国大陸は、人肉饅頭が売られてた時代もあったらしい。

0128名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/19(火) 23:54:51ID:XZd57zT30
人食いスレの方が詳しいけど、
中国は、他の文化圏に比べると、人肉を食うことへの文化的な抵抗感が、
ちょっと小さかったみたいだね。
もちろん、基本的には人の肉は食べてはいけないものではあったけど。
0129名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/21(木) 15:35:51ID:h+kNeEkO0
隋唐にも関わった鮮卑系は、人食いの文化はどうなのかな?
0131名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/27(水) 01:44:11ID:i6QUIxCZ0
人肉饅頭ってのは隠して売ってなかったっけ?
「中国では人肉食が盛んだった」って風説は、戦前の反中プロパガンダのために
政府の御用学者が書いた適当な論文が由来だからなぁ
0132名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/29(金) 11:29:09ID:P3VNapWT0
各地に割拠した節度使は、財政収入を増やすために、
自分の管轄内で、商業の振興政策みたいなことは結構してたんだろうか。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/06/29(金) 12:43:30ID:GD2SEWTc0
つ粘土の通貨、柴を茶として売りさばいた→節度使ウマー
なことをやったツワモノはいる。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/01(日) 04:37:22ID:LwYBCBTn0
ほいっ、「政府の御用学者」が書いた適当な論文 by隲藏。
ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000372/files/4270_14876.html
『水滸伝』のあれはパロディーだから。人肉饅頭の屋台が公然とあったりするわけはない。

「人肉を食うことへの文化的な抵抗感が、 ちょっと小さかった」と思われるとするなら、
飢餓などやむにやまれぬ事情を別にして、
恨みをもつ相手の屍体を残さない(再生を阻む)ために食べてしまうとか、
漢方薬の材料に人体の一部を使うとか、
中国独特の文化が加わっているからだと思う。

しかし、隲藏が「風習」とか「稀有偶然の出來事でない」とか言うほど頻繁にあったわけではないだろう。
魯迅の「狂人日記」だって、「狂人」の妄想という前提があってはじめて食人が語られてるわけだから。
0135名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/07(土) 13:39:55ID:OV+FvtTm0
>>134の桑原隲藏の分類は高島俊夫が『水滸伝の世界』の「人を食った話」で引用しているね
高島も、食人肉自体は昔の中国でもきわめて異常・気味のわるいことだったにちがいなく、
水滸伝はもともと大衆小説・低俗なものだったから、ことさら刺激の強い(悪趣味)な話柄として
人肉茶店がもちだされていると言っている。

しかし上のほうのレスでもあったけど、
日本ではそもそも食人肉を扱うエピソードがほとんどないのに中国ではみられるのを
高島は食習慣の違いから分析していて面白かった。
中国→昔から牛・豚や、ところによっては猿や猫も食ってきた
ヨーロッパ→鶏や動物の頭部を煮たのや脳髄すら食べたり…
日本→獣肉はほとんど食べてこなかった

しかし、ヨーロッパでは神に似せて創られた人と、人間が利用するために動物は厳然と区別する
中国、日本では人間も動物も同じ「生きとし生けるもの」の範疇
……といったところから生活感覚の違いを考察していた
0136名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/13(金) 23:01:03ID:2Ln8AknK0
【中国】隋、唐の遺跡がゴルフ場に―目立つ乱開発、監察を強化[07/12]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1184230342/

1 :すらいむ一夜干φ ★:2007/07/12(木) 17:52:22 ID:???
隋、唐の遺跡がゴルフ場に=目立つ乱開発、監察を強化

【北京12日時事】中国の国土資源省は12日、過去1年間の違法・規則違反の
土地使用とこれに関連する贈収賄事件の監察結果を発表した。古代の遺跡の
上にゴルフ場を建設したり、農地を競馬場に転用したりと、利益目当ての乱開発が
目立った。

 中国政府は昨年7月、開発ブームに伴う農地の強制収用に反発した農民暴動の
多発などを背景に、国土資源相をトップとする専門の土地監察制度を設立。
地方政府、開発業者の違法行為をチェックしてきた。

時事通信 http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2007071200659
0137名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/22(日) 01:18:24ID:VXq1E00a0
アニメ「隋唐英雄傳」
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/1/30.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/1/32.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/1/33.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/1/35.jpg

http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/9/27.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/9/28.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/9/29.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/9/30.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/9/33.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/9/34.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/9/36.jpg
0138名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/22(日) 01:18:57ID:VXq1E00a0
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/411.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/412.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/413.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/414.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/415.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/416.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/417.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/418.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/419.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/420.jpg
0139名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/22(日) 01:19:29ID:VXq1E00a0
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/421.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/422.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/423.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/424.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/425.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/426.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/427.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/428.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/429.jpg
http://image.haotushu.com.tw/3-movie/big/8/430.jpg
0142名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/22(日) 09:01:52ID:+IWNI2740
唐皇帝は日本の天皇だったって本当?
0143名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/22(日) 13:05:07ID:ixaqxnSQ0
>>142
唐の皇帝を天子とする世界秩序に入ろうとしたのは確か。
国内的にはごまかしているけどね。

ただ、あくまで天子、皇帝であって、天皇ではない(高宗後半は抜かして、ね)
0144名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/22(日) 13:32:06ID:HLu49SFD0
その天皇の称号が日本に伝わった、とする説なんでしょ。
0145名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/22(日) 22:29:11ID:+IWNI2740
裏ネタあるよ
(´・ω・)(・ω・`)ネー
0147名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/24(火) 21:08:22ID:HrAibBdC0
なんかオタクの巣みたいだね
(´・ω・)(・ω・`)ネー
0149名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/07/31(火) 10:27:41ID:Jipg5bY50
唐代十大人物を選ぶとなると誰になるだろう?
0150名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/08/01(水) 00:46:33ID:AkqzT+ZLO
李世民、武則天、杜甫に李白。この辺りは個人的に外せない。
陸宇、顔真卿と寒山は入れたいな。
0151名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/08/01(水) 16:14:47ID:UqOxNWRz0
どうも後半が層が薄くなっちゃうんだよね。
前半に強烈な面々が揃いすぎていて。
0152名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/08/05(日) 00:14:17ID:xf8nvFwR0
君主からは太宗・武則天・玄宗
政治家から魏徴・楊炎
武将から李靖・郭子儀
文人から玄奘・李白・杜甫

魏徴は難しいか。
李白と杜甫もどちらかは削って他の人をいれるべきか・・・
0154名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/08/05(日) 01:11:13ID:vLxWAZu/0
朱粲・許敬宗・蘇味道・韋皇后・李林甫・楊国忠・安慶緒・程元振・田承嗣・朱
ってとこかな。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/08/24(金) 16:35:29ID:IVEPfF6w0
>>152
高祖李淵が外れちゃうのは何だかなあ。
一応は建国者だし……
0156名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2007/08/24(金) 18:50:57ID:FhCY0qW4O
個人の好みだから入れれば?
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況