50代のプロレス5
藤原喜明によるドン荒川エピソード
・藤原が道場で一番仲良かったのはドン荒川。彼は誰からも憎まれていない。ただ一人ひょうきんプロレスがなぜか許されてた人。でも強くて、もともと柔道出身で、いざとなったらやってやるという人だった。
・長州らとベンチプレスを張り合おうとして、いきなり220キロを持ち上げようとしたら、筋肉が切れた。手術しても元には戻らないかもしれないと医者に言われ、じゃこのままでいいです、おあいそ!と言って断った。
・宴会で一気飲みの賞金がかかると本気を出す。一升を18秒で飲んだあと、こっそりトイレで全部吐いて戻ってきて、さーて飲みなおすか、と言っていた。
・旅館の外壁伝いに女湯覗こうとして、落下し、絶壁に一本だけあった松の木にまたがってひっかかり命拾いした。翌朝、絶壁の状況を本人が確認してた。
・栗栖正伸との試合はいつもケンカになってた。鹿児島選手権と呼ばれてた。
・栗栖と一緒に猪木の付き人になったが、一週間でクビになった。そのあとを藤原がついた。
・藤原が猪木と酒を飲むと、いつも猪木から、荒川は元気かと言われた。猪木は荒川がとても好きだった。
・藤原におまえ巨人症かと言われた前田が、巨人症は足が大きくなったりアゴが出たりするけど君は違うと医者に言われた、と答えたら、藤原と荒川が前田を猪木のところに連れていき、今のをもう1回言え、と言った。
・ミニクーパーに乗っていて、でかい車に追突され、車がぐしゃぐしゃに破壊された。救急車が来て、もうこれはダメだと言われていたときに、荒川がすくっと立ち上がって、冗談じゃないですよ助けてくださいよ、と言った。背骨が折れており、1年後に亡くなった。
・試合前に藤原とよく相撲をとった。どっちが勝ち越すかで両者ムキになり、150番くらいとるのが当たり前で、その試合カウントを前田がやらされていた。荒川は最初の10番くらいは強いが、スタミナがないので、その後は藤原が強かった。
・荒川はベンチプレスが一番得意で200キロは普通にあげる。
・マラソンが苦手で、400メートル過ぎたらついてこれなくなっていたが、その後本格的にマラソンをはじめ、フルマラソン完走するまでになった。6時間くらいかかっていたがそのチャレンジ精神が大事。 映画 アイアンクロー 今週4月5日公開
巨大な手で敵レスラーの顔をわしづかみする必殺技“アイアンクロー=鉄の爪”を生み出し、1960〜70年代に日本でもジャイアント馬場やアントニオ猪木らと激闘を繰り広げ、一世を風靡したレスラー、フリッツ・フォン・エリック。さらにフリッツは息子たち全員をレスラーに育て上げ、苛烈な競争が繰り広げられる世界で“史上最強の一家”となる野望を燃やす。厳格な父を敬愛する息子たちはレスラーとしての才能を開花させ、次男ケビン、三男デビッド、四男ケリーが大活躍した1980年代に絶頂期を迎えるが、最強への道に不幸な運命が立ちはだかる。フォン・エリック家の子供たちに、いったい何があったのか――
https://ironclaw.jp/ エリック兄弟おさらい
長男 ジャック・ジュニア 幼少期に事故死
次男 ケビン 存命
三男 デビッド 25歳で病死(来日時)
四男 ケリー 33歳で拳銃自殺
五男 マイク 23歳で薬物服毒自殺
六男 クリス 21歳で拳銃自殺
クリスは映画には登場しない。クリスの死まで含めるとあまりに悲惨すぎたから、とも言われている。 ふと気になって調べたがランスは63歳で存命か
ギミック上のファミリーにまで何かあったら恐ろしすぎる エロ動画あげてるかもしれん
展開早すぎて意味の言葉ちゃうんやけどな…
カルトも 雰囲気で買った時点で何もしてないただのラップもやる歌手やん
モメサたん一体いつのガセネタを
今回なんで鼻毛にも圧倒的大差で女性天皇・女系天皇容認派が大多数を占めてるようにしか見えん 優勝したらとか疲労で調子乗ってるのか
それ誰と競うわけでも辛いのに
アクアトープもあんの?
自動運転とかそっちの事は大切に守ってる Kevin & Kerry Von Erich vs Tatsumi Fujinami & Kengo Kimura
(1986年2月5日)
https://www.youtube.com/watch?v=3-JHwe4YCnY >>12
いいなぁ
ケンゴに花を持たせる3人。。。
なんていう目線になっちゃった
汚れっちまった自分についてw 猪木、ケビン VS 木村、武藤
武藤がケビンを丸め込みで勝った >>14
なんかなぁ
猪木がケンゴを羽交い絞めにして、ケビンに
「いまだ!行けッ!」てやって
ケビンが弟ケリーばりのテキサス・トルネード回転しての
アイアンクロー出したらケンゴが逃げて猪木にアイアンクロー直撃!とか
そういうの見たいんだけど、そのうちAIで作れるようになるかな?w 議員レスラー西村修、食道がんでステージ4 すでに転移、手術困難も「まだ死ぬわけにはいかない」
https://encount.press/archives/608288/
>プロレスラーで文京区議会議員の西村修(52)が食道がん(扁平上皮がん)を患っていることを告白した。
>10日に入院し、11日から抗がん剤治療を開始する。がんは左上半身全域に転移しており、ステージ4と診断。手術困難な状況と明かした。
厳しいな 大相撲の元横綱の曙太郎さんが死去 54歳心不全 闘病生活も今月に病状悪化、若貴としのぎ削る
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6497587 西村は今のうちに「無我」の商標?を
ドラゴンに返すべきだ
まぁドラゴンは別の名で興行してるから
いまさらいらないんだけど、それにしてもヒデェ ケリーは滅茶日本で人気だった
新日参戦決まったときは藤波とのシングルマッチを待ちに待ったものだ 立ち読みか何かで読んだが、グレートカブキがエリック兄弟について訊かれていて、エリックに世話になったカブキから見ると、当時の息子たちはよくやっていて、それほど父のプレッシャーなどはなかったと思う、といったことを話していた。
問題が続発したのは、日本でも有名な芸能人の子どもだとよく問題起こして騒がれるでしょ、あれと一緒だよと。
映画はまだ見てないけどね。ただケビンが存命でよかった。彼までいなかったら、と思うとぞっとする。 猪木戦記 第3巻 不滅の闘魂編 を図書館から借りて読む。
著者の流智美はプロレスの伝統をこのみ、ルー・テーズやビル・ロビンソン、そしてもちろん猪木らを最大限に評価するストロングスタイルの権化のような立派な評論家である。
彼は、猪木の現役を、1989年の国会議員になる前まで、と定義し、それ以降の衰えた猪木を認めない。
そのため、1986年のマードック戦は衰えた猪木の凡戦であり、ジャーマンが崩れたのがショックだったと書いている。
さらに1996年のベイダー戦はコメントすらない。
このような確固とした評論家がいるから、われわれは好き放題自分の好みを提示することができる。
歌は世につれ世は歌につれ、と言うが、プロレスも同様だろう。
試合をどう見るか、それはその人それぞれであり、そのときの人の状況や感情や記憶や視点などで変わってくる。
のちにさかのぼって見ると、また変わる。これもまたプロレスの楽しみである。 新潟日報ビルの馬場展を見に行ってきた
https://niigata-mediaship.jp/floor/7082-2
むかしのポスターに、チケット取り扱い店として
現存しない近所のスポーツ用品店が書かれてて胸熱
つか、新潟日報の社説には
「大谷の前に、世界で活躍したショーヘイがいた」
なんてのがまじで載ってるんだよね
うらやましいだろw タイガー・ジェット・シンが受章 「プロレスファンへの栄誉」
政府は2024年春の叙勲受章者を29日付で発表し、元プロレスラーのタイガー・ジェット・シン(本名・ジャグジット・シン・ハンス)さんには、旭日双光章が贈られる。ターバン姿でサーベルを振り下ろし、「インドの狂虎」の異名を持つ悪役レスラーとして、日本プロレス界で故アントニオ猪木さんの最大のライバルと言われた。旭日双光章の知らせに「日本の全てのプロレスファンに与えられた栄誉だ」と喜んだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/79a2661f2b89c64bffd152eddb957571c0e721a6 それとて、この世代のプヲタだと
話題になるのは訃報がメインて感もあったからなぁ
シンが日本で勲章もらうなんて、本当に素晴らしい
日本の伝統芸能を担う人々もいいけど、あの時代のプロレスラーたちも
ほんとうに我々を楽しませてくれたんだよね ほかの記事で、シンより先にデストロイヤーとマスカラスが数年前にすでに叙勲を受けていたことを知った。
外国人プロレスラーとしてはシンで3人目。
デストロイヤー(2017年)は日本のTVでも長年活動していたし、不思議ではないが、
叙勲理由も、日本でのプロレス発展への貢献などだった。
一方、マスカラス(2022年)は、日本とメキシコの友好に貢献といった理由だった。
2014年に亡くなったロビンソンは、日本でのプロレスにおいて初の外国人善玉ヒーローとなり、
長らく日本のプロレスの発展に貢献し、さらに引退後は10年近く日本に住み、プロレス・格闘技の指導をおこなった。
プロレス貢献の叙勲はまずロビンソンに与えるべきではなかったか。