家が貧乏だったやつしかわからないこと Part.20
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
小学校1年の時 うちだけ家の電話が呼び出し(大家)だった
俺今59なんでここに皆はあっただろ? 電話はなかったよ
呼び出しだった
クラスで1人だけだったから恥ずかしかった うちも呼び出しだよ
卒業アルバムの連絡先は学年で俺だけ(呼)マーク付いてた >>5
クラス名簿に(呼)ついてる人いたけど、子供だったから意味わからなかったし、それが恥ずかしいことだという認識もなかったよ。 家に電話が開通したのは昭和45年くらいか
貧乏なくせに新しもの好きな親父
どこにも出かけなかったけど死に物狂いで働いてくれてたよな そーいや電話の加入権っていつの間にか消滅してんのなw (呼)ってどこに繋がるパターンが多かったんだろ?
同じ建屋内の大家さんとか?
お隣さんだと近いけど、赤の他人じゃよほど懇意にしてないと無理だよね? 就職氷河期世代で未正規の親を持つ子供の貧困は俺らの貧困子供の時以上に
メンタルをやられるよな。逃げ場というか開き直れない世代だ。
頑張っても先が見えてしまう。 メンタルをやられるといえば、認知症で入院してる親父のマイナカードを作るために看護師に撮ってもらった写真がスマホに保存してたらいけないレベルの悪霊、スター・ウォーズのシスだったw >>17
うちの家、なんだか低いとこに建ってたから床下浸水は何回かあった 高校入学して、夏服買う金が無くて長袖ワイシャツのままでいたら、のぼせて鼻血出た 親が質屋通いしてて、その質屋の息子が同級生で冷やかされた 旅行って結局金だよな
教養人でも金がなければ旅行にはいけない
金さえあれば馬鹿でも行ける ある程度満たされた今だから言えることだが、カネやモノがなければ執着せずに済むだろうな >>27
その通りだと思う。
母子家庭だったから、たったの一回も旅行したことなかった 若い頃に喫茶店や居酒屋のバイトで接客したせいか、
そういう場所に行くのはどうも落ち着かない
客として寛ぐ気になれない
旅行だって宿で仲居さんに気を使わせるのは嫌だ
ケチだから心付けを払いたくないのもあるけど 貧乏が長かったもので、未だに無駄なものを持たないようになってる。
携帯電話とか今の人間関係的に必要ないから持ってない。月に1000円
あったらもてるんだけど、何をどう使えばいいのかわからないので
持てないでいる。
まああんなもの好き好んで持たなくていいのは十分わかってる。 >>34
俺も。
あと固定電話のナンバーディスプレイも契約してない。 母親が忙しかったってのもあるが、夕飯のおかずは野菜の細切れいりビーフンだった。
今でも好きでよく喰うけどね。 母親が忙しかったってのもあるが、夕飯のおかずは野菜の細切れいりビーフンだった。
今でも好きでよく喰うけどね。 >>31
自分も母子家庭だった
子供が小学生になった頃に、それを埋め合わせるように、家族旅行をしたな >>34
うちは会社の災害時緊急安否確認システムやら出張時の新幹線予約やらスマホ持ってるのが前提に出来上がっている
6年前まで携帯使ってたけど、仕方なくスマホに変更したよ >>34
>>35
固定電話は持たないでスマホですわ
今や固定電話はまるで必要なし
新聞も取ってない 俺も小型の機器類を持ち歩くのは嫌だ
胸ポケットに入れていて会社の共同トイレにポチャリ、
なんて笑えぬ話だ
それとおいしい水を何リットルも買っている人を不思議に思う
よっぽど水道水が不味いのか、ウイスキーの水割りが美味いのか
まあ炎天下の暑い日に、水分補給を目的に自販機で買うのはアリとしても >>41
足るを知る幸せなひとですね。
私は水だけを飲むなら水道水は飲まず
購入したミネラル水を飲んでます。 車にセルフスタンドでガソリン入れる際に㍑でなく金額表示を見る
もちろん満タンでなく普通車なのに2000円とか金額指定 >>43
俺の場合は小銭を減らすためだわ。
セルフじゃなくても金額指定だしw >>44
おお嬉しいねえ
>>45
俺も小銭にしないためもあるけどさ
あと、金額指定で2000円とか恥ずいからセルフしか行かんw >>41
>>42
うちはビルトインタイプのアルカリイオン水ですわ。
賃貸で一人暮らししてた時は蛇口に浄水器付けてた。
水道水は不味いし、ペットの水を買うのは高いし重いしで。 先日クルマで温泉に行って地元クーポン券4千円分を貰った
観光地価格で高いけど温泉地のガソリンスタンドで「このクーポン分だけ入れて」と恥ずかしげもなく入れたわ 自宅では水道水だけれど、外出するときはペットボトルのお茶か水を持って行く
水道水の水源は地下水なので美味しい方だと思う
海外は例外で、歯を磨くときでもペットボトルの水を使う >>42 >>47
水道水が臭くてマズかったり、健康に影響があるなら仕方ないが
そうでなければ、
貧乏な子供時代の経験者なら、
うまい水への優先順位なんて低いと思っていた
うまい米を食べたいとか、上トロの刺し身を食べたいとか
次々に実現していっても、水は…水道水でいいやとなってしまう
兄貴の家で浄水器の水を飲んでも、うまいと思ったこともない
貧乏舌と言われればそれまでだが >>50
それは美味しい水道水の地域に住んでるってことだよ羨ましい。
水は土地によってホント全然違うから。
うちの地元の水は、特に夏なんてカルキ入っててもドブ臭くて、そのまま飲めたもんじゃないんでね。 水道管直結ならまだマシな方で、給水塔にリザーブされる地域や建物だと本来の水質ではなくなるよね。 マンション暮らしだから受水槽に貯めた水を各戸に圧送するだけ。
飲料用としては飲めたもんじゃない。飲むなら購買した水になる。 おれはどこでどんな施設で造ってるかわからない水より東京水を信じるね。
昔はともかく、今どき不味いと思ったことはないよ。 うちは水道管直結だけど琵琶湖淀川水系の水だから不味いよ。だから台所を改築した時にビルトインにした。
同じ市内の職場の給湯室の水は、さらに屋上タンクからの給水だからゲロ不味。特に夏場はカビ臭くてたまらない。
東京で賃貸マンションにいた時は、不味いというより、硬水であちこちすぐ水垢で真っ白になったから、それで浄水器を買って付けてた。
関西は軟水だからその点は楽。 俺んちはもともと農家で井戸水を普通に飲んでいた
庭の流しには井戸水用と普通の水道の蛇口が2つ並んでたりしてた
みんなは井戸水が旨いと言って好んで飲んでいたが、俺には鉄の味がして旨いとは思えず、むしろ水道水が旨くてそっちばかり飲んでた
その後農家はやめて井戸水も水質が悪くなり使用禁止になってしまったが、水道水が好きなのは今でも変わらない
もちろんミネラルウォーターも嫌いではないが、水道水で十分
ただ、仕事でとある田舎の都市に最近転居したが、ここは水道が100%井戸水らしくなかなか旨い >>51
ガソリンスタンドに立ち寄る手間が面倒なので
燃料警報が出る頃に満タンにしている
あまり乗らないのならいいけど、自分の場合は千円だと毎週ガソリンスタンドに行くはめになるなぁ >>59
こちらの水道の水源も井戸水で、降った雨が地下にしみこんだ水だそうだ
近くに川があるけれど、水を通さない層があるので、川の水は水源となっている地下水にはにあまり届かないらしい >>57
実際にペットボトルにつめて小洒落たラベル付けて売ってた 水は山の谷水を200mくらい竹を半割にして家まで引いていた
今思えば蛇なんかも飲んでたんだろう。今はホースになってるが
冬は凍るので止まることもある。 災害発生対応でガソリンは極力、満タンにしている。半分以下にならない様にしている。
しかしGSがキャンペーンで20L以上でティッシュくれる時は別。 たかが吉野家のすき焼き丼でそんなに怒らないで下さい ウチは固定電話捨てた
なんも困らないけど極悪企業のフリーダイヤルだと携帯だめで0570に掛けさせるところあるな
死んでも0570なんか掛けない 自分は固定電話のみだわ。格安SIMなら1000円弱で
携帯電話もてるの分かってるんだけどなあ。
18年前までは携帯電話もってたんだけどその時仕事を
変えたら全然使わないなあということで金が勿体ないんで
解約したよ。貧乏性だわ。 自分も固定電話というか光電話のみだわ。光回線が必要なので。 ソフバンの「おうちのでんわ」だから、月額500円程度だよ
でも2年目からは通常は月額1000円くらいになるんだっけ?
俺はソフバンエアー(PCのWi-Fi接続)にも契約している特典で、
でんわは永年500円のままだけど NTTに月額2000円を払うよりマシ
たぶん電話番号はそのままで、NTTからソフバンへ移行できた 俺の母親も若い頃そうだったらしい
結婚してからも、パチで負けると店員や客とやってたみたいだ
夫婦喧嘩してる時に親父が言って知った 金具図を廃品屋にもっていったら
おいてけ!のひとこ。 中学の身体検査の時、白ブリーフが黄色くて担任の女教師に正直に言ったら
黄色の部分にセロハンテープ貼りなさいって言われて貼った
もっと他の対応はできなかったのかと40年経った今でも思う 七人きょうまいのやついて覆ボロボロ
だから、先生かってやったのよ。
そこから差別だなんだって強烈ないじめ
あのとうじわ性的いじめってあわれなかったきどそうとう異常だった。 パンティ脱がして授業うけさしたり
用便中に個室のうえからホースで
みずまいたり。
授業中にまん0っていわせたり
なぜか行為に発展せんかつた。
すげーブスだったから。 >>94
>>95
はいはい
お薬出しておきますねー >>99
慢性前立腺炎の痛みの緩和
抗うつ薬はリフレックス。 アパート借りるとき保証人無いんで
保証人協会にたのみにいった。 >>101
その種の農薬は精神に害を与えるので使っていない
主にBT剤を使っているよ >>105
面白いこと言うね
まあケースバイケースで人力と使い分けだな
ゼンターリとかオルトランを使うかな とにかく地味で貧乏で周りに深く関わらないようにしていた奴が居た。
日曜日毎に感謝するために家族で教会に行っているとのことだった。
紙と時間があれば出来るイラスト描きが得意で、なんでもサラサラ描いていた。
本人が関わり合いになりたくなかったのは、周りに迷惑掛けたくなかったらしく、高校卒業後はぷつんと音信不通になった。
最近無事だと良いなと思うことがあり思い出して書いてみた。
二十歳の同窓会で学年で誰も連絡先知らなかったから故意だったのだな。 就職したので、とあるアルバイト(?)を辞めただけなのだが
そのアルバイトを通じて知っている人からは音信不通だと思われた 転校が多くて卒業した小学校なんて3か月しか通ってない
中学での転校はないけど、卒業後に引っ越しが9回、もう音信不通扱いだな
たまにSNSなどで名前で検索して同級生見つけるけど俺のことなんか覚えてないだろうな 貧乏とは関係ないが、地元というか故郷というものが複数ある
人ってなんか中途半端で寂しいなと思ったりする。
普通までは言わないが18歳ぐらいまでずっと同じ市内ぐらいで
過ごすという偏見があるわ。
それとか生まれ育ったのが首都圏の人って方言がほぼないから
それもかわいそうと思ってしまう。まあ、偏見の塊だわ。 本籍=現住所です
学校も会社も自宅から通った
会社の通勤時間往復3時間弱は長かったが、コロナ禍の在宅勤務で楽になったな 今は都会で住んでそれなりの稼ぎだが、そのまま田舎で就職してたらどうなっていたやら。 生まれて育って学校も会社もずっと地元。
大成もせず平凡かそれ以下の人生かなと思っていたが
想定外の幸運に恵まれた。しかし俺自身がその幸運を
受け止めらる器ではなかった為、中途で終えた。
で、今は平凡以下の老後。 お姉ちゃんのお風呂、トイレ盗撮して
アップル0信に送った。 >>118
生きてゆくためには仕方がなかったんだろうな。
良く生き抜いた。バレてなければ墓場まで持ってって。
今はもっとエグいことしないとお金貰えないだろうから隔世の感がありますね。 最近のこのスレ、嫌な流れになってきた。
まさしく貧乏人の下品で低次元な内容。 関西もフルコンプしたけどもうみんなHDDから消した 自主制作ビデオ作った。
女4男はおれが1 なんだか興奮したんだよなー! ここでしか言えないが、
上等な銘柄米より、割れ米というのか小粒米のほうが
食べやすくてお気に入り。
銘柄米は粒が大きいから、くちゃくちゃ噛むのが面倒だ。
若者の顎の噛む力が弱くなったとよく指摘されるが、
俺はピーナッツもバリバリ食うよ 古米だったから焚いた時、直ぐ食べた。
新米が流通してから初めて食べたら全然違っていた。
炊飯器の性能も上がったしね。鍋で焚くのも美味しい。 お迎えの年齢が近くなってからコメの旨さが判った。
酒、煙草をガンガンやってた頃は食事なんて義務みたいな
もんでいやいや摂っていた。止めたら飯が美味い。 米といえば、
ぼんくら農水省がくず米のタイ米を輸入した時、一度だけ美味しく炊けた事がある
10年前ASEANに仕事で通ってたときに、改めて長粒米を食べたがかなり美味かった まずいお米はサラダ油と味の素入れて炊くと見違えました。値段が3割くらい安くて助かりました。
白米なら3合炊くときサラダ油大さじ2,味の素3振り位が適量。
魚あるときや鶏貰った時はめんつゆと野菜とか入れて炊き込みご飯にしてました。
炊き込みご飯は今でもご馳走だと刷り込まれていて、大好きです。 育ち盛りの頃、男兄弟3人育てるのに40キロ買ってた
母親が標準米は助かるて言ってたの懐かしい パスタがあるときはパスタだったな。
しめじと野蒜入れてた。
ある時期はそうめんばかりだった。
そうめんはシソと茗荷がどこかであれば後はしょう油垂らして美味しかった。 パスタなんて言い方がなかったよね
スパゲテイ、マカロニとか言ったね
ペンネなんて聞いたこと無かったな >>149
スパゲティも、ナポリタンとミートソースとボンゴレしか食べた事なかったわ。
今みたいにカルボナーラなんてなかった。 >>150
ナポリタンかミートソースの二択だよ
ボンゴレなんてなかった パスタでなくて、スパゲッティでしたね。
ボンゴレっていうのは何だが
海に往くと岩場の知らない貝剥がして、シッタカや蟹とって、家に持って帰ったら、茹でてスパゲッティに混ぜてた。
今では漁業権とか厳しいので子供が取っててもなんとなく見に来る人とかいてますね。 河原が食料調達場所だったな。
生えているよもぎや野蒜とったり。
秋になると、くるみや栗を河原に拾いに行ってたな。
ヒマワリ種撒いて、秋になると収獲していた。
荒れた花壇を整備して春菊撒いて、間引きしてました。 >>155
スパゲッテイ(ロングパスタ)、ペンネやマカロニ(ショートパスタ)などを使う料理の総称がパスタ、な。
たまに「おっさんたちはパスタじゃなくてスパゲティだもんな」とか言ってバカにしてくるガキがいるけど、「おまえは女の子をデートに誘ったこともないのかよ」って哀れんでやるといいよ。 >>156
野生のふき、ワラビ、山ぶどう、コクアなどもあったな。 春菊は自生しているのを、よく母親がおつゆにしてくれた。
おいしかったけれど、少しクセがあるから
子供の頃に食べてなかったら苦手になっていたよ。 >>156
ヒマワリは収穫したらどうするの?
タネを食べるの?
ヒマワリ油を搾るのは難しそうだし。 >>152
日本ではペペロンチーノは、
「絶望のパスタ」と呼んで、貧乏人が食べるイメージがある。
しかしイタリアで「絶望のパスタ」は別の料理をいう。
イタリアで修行した吉川敏明氏による日本での命名だが、
どうも勘違いしたっぽい。
アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノでは長すぎるのは確かだけど、
日本ではペペロンチーノと略して通用するようになった。
それだと唐辛子って意味だけどね。 >>161
普通に乾かして油と塩でいってたべる。
かぼちゃの種とおんなじ感じの調理。 >>159
フキも有りましたね。
あと、姫タケノコやミョウガとかもかな。 >>164
今なら有難い珍味だ。
飯にも酒の肴にも最高。 子供の頃は珍味より普通にイシイのハンバーグが食べたかった 土曜日の学校帰りに友達の家で初めて食べたカップ焼きそばには感動したな 思想があるなら良いよ。
俺は大人になって小金持ちに
なったけど子供達に
ファストフードやカップ麺
食べさせてない。 >>168
やむを得ない事情で貧乏になったのは仕方が無いよ
幼少の時に父が亡くなり貧乏になった
何時までも続くわけではなく、自分が就職するまでだよ >>168
犯罪には手を出さなかった。
高校卒業まで頑張れば、なんとかなるから。
ただ、大人になってからも、妙なものが贅沢感や、ご馳走というのはあるかな。
安くて幸せになるから、良いことかもしれませんが >>163
そうやって調理して食べるんだね。
カボチャのタネも、ミックスナッツとかにたまに入ってるやつ以外食べたことないけど、だいたいわかった。ありがとう。 >>172
お礼いただいて恐縮です。
もうすぐ冬至やハロウィンで、かぼちゃ食べる機会が増えると思います。
かぼちゃの種を捨てず食べてみてください。
上手く乾かして炒ると、おいしいです。 >>173
こちらこそありがとう。
カボチャの種レシピ見たらレンチンだけの方法もあって結構簡単そうだね。今度やってみるよ。 貧乏だった奴って過去形だけど、みんな今は金持ちなの? 子どもの頃の生活に比べたらまあまあかな。
1人暮らしで手取り年収550万ぐらいで借金なし。 高卒の割には今は人並みかな、、、。
部下居ないけど非組の管理職待遇。
もう三十年超えとなる前のことだが、貧乏が怖くて、入社するなり「なんでもやります!」と、言って、かなり無理して色々なことをやり、毎年労働協定ギリギリのラインまで残業しまくった。
地道に貯金はした。
社内の資格取りながら、いろいろな人にお世話になり、五年過ぎた頃に、きちん仕事すると周りは守ってくれるとか、気づいた頃に、親の関係で貯金吐き出して更に数千万円の借金背負うことになった。
それでも十年ちょい掛けて返しきった。 親が祖父母と住んでいた実家が、バブル時代で狭い土地でも価格が上がってしまい。祖父が死んだ後の相続税と相続争いで揉め膠着状態になった。
親の兄弟の持ち分を買い取らないと親の住むところと実家が無くなるので親の兄弟の持ち分買い取った。
同じ時代を生きた人は感覚的に判ると思いますが、現在の価格はピーク時の半額以下。 老後の親の面倒を見ていた状況だったのと、法定相続人は自分だけだったので、相続はあっさり終わったな
貧乏とは言え借金が無かったのは幸いだった >>184
親が土地を離れられず、親が自分で賄いきれる訳もなく。
已む無く私がお金出して、親戚の持ち分買取ってなんとかした。
それ以来実家住み。 ところで皆さんの貧乏だった理由って差し支えない範囲で書けますか?
私の場合は、父が遊び優先で、禄に働かない人で勤め先でも出世とか全くしない人だったので、現金が少なかった。 貧乏だった理由は、母子家庭で生活保護世帯だったため うちはそんな貧乏ではなかったか。両親の手取り月給合わせて
25万はあったと思うし。それなのに無理して家を建てたりして
ローンを抱えていた。
それで子ども3人、病気の祖父母を養ってた。
ただ単に親が学歴なかったし、いろいろ条件求めて転職を
結構してたというのもあるかな。 私の親父は、戦地から帰ってきて地元で日雇いの労務者をしていた。
不器用で特技もないから仕方がなかったのかも知れない。
しかし酒が好きで朝から飲んで仕事もいかない日がよく続いた。
私は子供ながらに大人になっても絶対に酒は飲まないと誓ったけど
今ではあの親にも負けない程の酒好き。だけど酒乱ではない。 >>187
自分が保育園児の時に父が死亡して貧乏母子家庭になった
持家一戸建だったので生活保護世帯よりも収入が少なくてもなんとかなった >>187
両親とも中卒。父は職人だったけど酒好きで飲み代が生活を圧迫。母は体が弱く学もない為パートを転々としてた。母がもう少ししっかりしていれば貧乏じゃ無かったのかもしれないと思う。父の酒好きも学の無いことからくるストレスもあったんだと思う。 子どもにとってはカネがないのもつらいが、やはり家族仲がいいのがいいな。
カネがなくてもそんなもんだろ、で育っていくわけだからさ。
贅沢をしないからその後はけっこういい人もいる。 父親の度重なる事業失敗
齢90だが当時クソ田舎の
地元では大卒はほぼいない。
大卒のプライドで勤め人には
なりたくなくて⋯
よく家にヤクザが取り立てに
来てた。
しまいには若集と仲良くなった。 昭和の貧困は、根底に無学と酒ってのがありそうだね。
そのかわり貧乏人はそんな状況を受け入れて文句も言わず、慎ましく暮らしてたような気がする。
今みたいに豊かな暮らしになったにもかかわらず「格差だ」「貧困だ」「政治が悪い」
なんて自らの体たらくを、人のせいにするようなことはなかった。 今の政治家が無能だからだ。橋本龍太郎の頃まで官僚が優秀だったので経済政策がしっかりしていた。 >>196
官僚が優秀だったのは認めるが、一番は背景にある高度経済成長だよ。
わずか20年でヨイトマケがベンツに乗る土建屋のボスになれたりする時代だったんだから。
貧乏長屋の住人も貧乏なりに生活が向上し、
実際には今よりはるかにあった貧富の差は、一億総中流意識という錯覚の中に埋もれて行った。 真面目に働いていればいつかは楽になる。
気立てのいい嫁さん貰って、子供を育てて、建売買って・・・
ってそんな幻想が満ち溢れていた昭和の時代。 「お金さえあればなぁ。」って毎日思ってた。
お金があれば、父親のガンも治せる医者にかかれたかも知れない。
そう思うと切ないわ。 「学」が楽できれいな仕事を夢みさせるようになったんだろう。
昔は、かえるの子はかえる。それ以上でもそれ以下でもなかった。
情報が発達し、広く社会が見渡せるようになれば、底辺労働はよりランクダウンして見られるようになる。そこから目に見える、そして体でかんじることの出来る格差に発展してしまったのでは。 187です。
貧乏の原因書き込みありがとうございました。
原因いろいろあれど、なんか身につまされました。
書いていて辛かった方が居られたら申し訳ありませんです。
自分語りになりますが、大人になっても貧乏怖くて、いわゆる贅沢ができません。自分の為に短距離のタクシー使えないとか、天ぷらそばに玉子追加できないとか。あと、固定費掛かるので煙草吸えないとか。
贅沢する場合は後で後悔しないよう、映画に行ってパンフ買うとか、ディズニーランドはほんとに開園前に並ぶし花火観てから帰るとか、食べ放題はひたすら好きなものばかり食べ続けます。 何が必要なのか、その順位とか学ぶことだ。将来への最低リスクの備えも。
年間所得の貯蓄が出来るまでは節約生活。 貧困の中で育って、節約や計画性を身につけたのならそれは大きな学びだよね。
残念ながら生活保護受給者の多くは、そこが身についていない。
入れば入るだけ使ってしまう。
それで足りない足りないと言ってる。
生活保護が入った日にタクシーでツケを払いに来たという笑い話もあるくらいだ。 世の中には1万円札が懐に数枚あるだけで気が大きくなって
天下取ったような気分になれる御仁が結構いるもんです。 おれもそうです。
高い物(万越え)は相当熟慮します。また、無駄な物は買わないので家の中はほんとの物がないですね。 >207 今となっては断捨離の理想的な生活ですね! 質素倹約が身についたせいか、それなりに貯金が出来たので定年退職した
貧乏だった頃は時間をお金に換えていたが、今はお金を時間に換えている 貧乏、金持ち関係なく一匹まんまの焼き魚を綺麗に食べられない。 >>212
子供達が小さかった頃、どれだけ残すかを推測して、自分の分は少なめに注文していたことを思い出した
少し大きくなれば、注文した分は全部食べるようになったが 最近は現実が良くないので夢で
自分の意思を通すことが出来るようになった。
幼女とhしたり食べ物を食べたりするんだが
まさに本当に味がする。 サンマはフライパンで焼いて、頭も尻尾も食べる
背骨もフライパンでカリカリに焼くなら残さずに食べられる 貧乏を経験すると食べ物を残すということに罪悪感を感じるのだ
それがわからない人は経験値が低い 俺は春は毎日土筆やタンポポがおかずだった極貧だったけど、残すことに罪悪感なんて無い
嫌なものは嫌だしね
毎日食べさせられていたセリ、土筆、タンポポ、アザミはもう見るのも嫌だよ
芋と野草の生活がずっと続く生活なんて正直者地獄だよ。でもそれ食わねーと腹減るし >>219
野草に比べればサンマの骨はご馳走だと思うが? お祭りのお供えの赤飯や餅盗んで食べた時は情けなかったよ。小学生の俺にもそのくらいのことはわかってた。
でも、腹減ってるから仕方なかんべ
毎日俺を狙って児相の奴等が捕まえに来るんだよ。最後は捕まっちまったけど >>219
業務スーパーのスレで
「安いインスタントラーメン買ったけど、不味いから残りの袋も捨てるわ」
みたいな書き込みを見ると、どんなに贅沢に育てられたのかなと思ってしまう 今なら、圧力釜の調理で魚の頭も骨も食べられるだろうが、
いくら極貧の当時でも秋刀魚の頭と骨は食べなかったな。
これは勿体ないとか満腹感を得るためではなく、食べられない
物として捉えてたから。 貧乏には関係なく秋刀魚の頭を食べる人は普通にいるとネットで知った
しじみ汁の身を食べない人も結構いるらしい
もったいない 焼いたサンマを縦笛(リコーダー)を吹くように頭からガブリと食べる人を知っている!たまげたよ サンマに限らないが、魚も食べられるところまで食べる。頭はカリカリに焼けば食べられる。
鮭の皮とか残す人は、もったいないな~とか、思って見ている。 サンマの食べられないとこは無いよ!強いて言うならば鳴き声くらいかな
「鳥の血に悲しめど魚の血に悲しまず声あるものは幸いなり」感謝していただきましょう キャンプとか子供会で役割こなしたあと余った食材よく貰ったな。お好み焼きの種の小麦粉溶いて出汁が入ったものとか貰ったら数日焼いて食べてた。
追加の具がシソだけでも美味しかった。
自分が親になって子供会の手伝いに行ったら、余り物は持ち帰りさせなくなっていた。
代わりにボランティアしてくれた子供にはジュースとお菓子に加えて、残り物はキチンと調理して、お疲れ様会に供されていた。
なんかは、あったんだろうな。 小麦粉を水に溶いて、フライパンで焼いて、ソースをかけて食べるのを、子供の頃よくやった。うまかったよ。 貧乏とは関係ないが、小学生の頃は目玉焼きにソースをかけていた
醤油派が多数だったな >>233
ウチはそれを、はちのす焼きといっていた。
両親は四国出身 貧乏で1番苦しんだのは大学受験だったな
貧乏だと受けられる大学は限られてくるし、受験代がないからそんないくつも受けられない
でもそのおかげで必死で勉強して今があるからよかったのかな 貧乏人は大学なんか行くもんじゃないと思ってた。せいぜい高校を
卒業して早く働いて家に金を入れろと子供の頃から言われてた。 >>239
貧乏だと授業料が免除される国立大学だけだね
安全牌の国立大学を一つだけ受けた
落ちていたら、コンピュータの専門学校に行って就職するつもりだったけれど
振り返ってみれば、その選択肢は誤りだったな
国立大学に行けてよかった あんたら、人生の入り口では少々躓いたかもしれないが、元々勝ち組要素満載じゃんか。 >>234
晩飯がカップ焼きそばU.F.Oでも、むしろ喜んで食ってた カップ麺より袋麺が安いし、袋麺もそこそこ高いから、結局米に行き着いてたわ 幼い頃、茶碗持って各家回ってご飯や米もらい歩くのが凄く嫌だったよ。時々温かいご飯と卵くれたり梅干しや藁納豆くれたりして嬉しくて涙出そうになった時も
小学校も4.5.6年と殆ど行ってなかったけど、6年の最後の頃に児相に捕まって施設に入れられてからは学校へ行くようになった。4年の時に失踪した親の顔なんてもう忘れたは >>246
それでよく真っ当に生きてるな。
あんた偉いわ。
アリストテレスが書いた「ニコマコス倫理学」によりと、良い生き方、良い人生のあり方とはなるべく徳のある人物として生きるという事だそうだ。
徳のある生き方とは「何をするにもちょうどよい行い」であり、例えば人を怒るにも助けるにも過剰にならず、かといって不足もなくちょうどよくおこなう、事と言ってる。
貧乏しても卑屈にならず金持ちになっても増長せず”ちょうどよく”なんて難しそうだけどな。 自分は高卒で就職したけど、やっぱり大学か専門学校には行きたかったな。
親からは「高校までは学費出すけど、それ以上は出せない。」って言われた。
今の職場は自分以外は全員大卒か院卒。
惨めだよ。
仕事だけは誰にも負けないようにこなしてるけど、それでも世間はやっぱり「学歴」が一番なんだなって感じる。
資産家のもとに生まれてたら、エスカレーター式で大学まで行けてたんだろうな(泣) >>246
小4で児童相談所に行ったほうが、ちゃんと学校へ行けて
飯も食べさせてもらえたのでは?
児相って評判が悪かったの?
それとも子供だから児相の存在さえ知らなかったのなら、
周りの大人は何をやってんだ、って話だな >>246
またオマエのウソ話か。
それは乞食というんだよ。 父はど田舎の工業高校、母は超絶貧乏な家でわりと頭良かったらしいが高校行けずで両親の学歴としてはかなり底辺。
まあ家族仲良かったし母が高校行けなかった悔しさから貧しいながらも地元の国立なら学費出してやれるからって言ってくれたんでなんとか頑張って姉弟揃って大学行って、俺らの代でなんとか貧困の連鎖をたちきれたのが救い。
親が逃げるとか児相とかじゃないからこのスレじゃレベチな感じかもしれんが、教育って大事だなあって本当に思う。 >>248
大卒が院卒がほとんどの職場に就職できたことは素晴らしいと思うけどな
高校まではどうしょうもないが、大学なら学費が親から出なくても行けるよ
授業料免除とアルバイトが自由というのは大きかった 俺の時代の国立大学授業料は現在の1/15だったから普通奨学金とバイトで授業料・部屋代
等は支払できた。教科書なんか先輩から貰ったしな。でも今の貧困学生は卒業時に300万の
奨学金という借金が残るようだ。 実際のところ教育をしっかりして自分の頭でモノを考える力をつけて、できるだけ良い大学行けるようにするのが
貧乏脱出の一番の近道だよな。
ビートたけしの母親は子供の教育の面では妥協せず勉強させたらしいし、子供に長屋生活はさせたくなかったんだろうな。 貧乏にも色々差があるな、質、量ともに
当時の父親の月収は17万円
同級生が買うもの何一つ買ってもらえなかった
大学の学費はとても無理、下宿なんて論外
でも貧乏な家庭に育ったやつって、俺はこうわなりたくないて思わなかったのかな
俺は親父と全く違う人生を歩みたい、その一念で近所から夜中明かりが消えないねと噂された
呑気に母親は男は勉強しなきゃいけないといってるし
当然受かったところで、入学金払うのが精一杯
その後は自分でやれとのこと
今となってはいい思い出だけどな >>255
当時17万と言われてもいつだかわからないし、親世代の話だと思うと少ないとは思えない
自分が就職した昭和61年のうちの会社の初任給は大卒14万4千円、短大卒11万8千円だった >>256
ここ50代のスレでしょ
大学入学ていったら概ね察しはつくのでは?
大学入学が気に障ったのかな
自分は大学行かずその初任給に従って就職した人を否定はしてないよ
年金もあやしくなってきた
それはそれでよいと思う
価値観が違っただけ 本当の貧乏は高校出て就職して、家に金入れてるからな。 >>257
は?勝手に高卒と思い込むの乙
50代以上ということは60代や、もしかしたら70代もいるわけで、さらにその親世代の話だろ?
特に昭和~平成初め頃は毎年ベア多くて毎年のように給与上がってたから、いつの話かハッキリさせないとわからない言ってるだけ >>259
あ、書き間違えた。
親世代の云々は確かに余計だね。
でも、ここは50代だけでなく60代以上もいるんだからね。昭和何年頃の大学入学の話かで、ずいぶん違うよ。 >>260
あ、もしかして平成初め頃の話だったのかな?
もしそうなら、その頃のうちの会社の大卒初任給とさほど変わらないからボヤくのわかるわ >>252
当時の自分には授業料免除とかも知識もなく、そういうのを知ってたらまた違う人生だったかなって思う。
確かに今の職場は硬い所だし、きちんと採用試験受けて入れたんだけど、やっぱり背伸びしてこんな職場を選ぶとしんどいなって感じる。
かと言って今さら就活してもこの歳では無理だろうから、定年まで頑張るしかないか。 >>262
コピペって何がですか?
自分はコピペなんかしてませんよ。 >>263
でも卑屈にもならず頑張ってこられたんだからすごいもんだ。
ウチの父親も高卒、地方の工場採用。
それが何かのはずみで東京本社に栄転。すごいようだけど同じような苦渋はなめてんだろうな。
荒れてたもんな。それもこれもおれたち子どもの教育のためとのこと。
とんだ親不孝してるけどさ >>254
北野兄弟の凄いところは、異なる分野で活躍していること
親または兄弟姉妹が同じ分野で活躍だと、切磋琢磨できる相手が目の前にいるという環境なので
それと比べてという意味だが 今朝のように寒くなると急にジャンパー着るヤツが多くなるが、買ってもらえず羨ましかった。 小学校の途中から高校の途中ごろまで家計が苦しかった。
自宅に借金取りが押しかけ、夜逃げ同然に家を売って引っ越したりもした。
そんな時期に親に遊びのための小遣いをねだることはできなかった。
高校一年の時にクラスメートに学校近くの喫茶店に誘われたが断った。
約40年前のことで、どの店だったかは覚えている。まだ店はあるだろうか。
今なら店に入って飲食することができる。今更そんなことして何になるんだ?
と、おれ自身も思うが、お金に関して心の中で「今ならもう大丈夫」と
つぶやきたいだけの理由でそこに訪れてみたい。 高校生なら金が無くても当たり前でしょう。むしろ貧しい家の同級生らが
アルバイトなんかしてて結構、小金を持っていた。
私なんか貧乏なくせに運動部に入っていたからバイトも出来ず、百円玉が
一つあれば安心できたくらい。 >>267
服って家の裕福度でるよね
制服の夏スカートを買ってもらえず、
真夏でも冬スカートのままで恥ずかしかった
色味は同じなんだけどね >>268
見事に親を越えられたとおもうよ。
それもりっぱな親孝行。 今朝のように寒くなると急にジャンパーを着るヤツが多くなるが、自分は語ってもらえずみんなのことが羨ましかった。
いつもお下がりだったな。 >>269
部活動してたけど、バイトもしてたな。
連綿と続けたスーパーのバイトは残り物貰えた。
お金は後払いでも、食べ物が戴けたのはありがたかった。
バイトでは乞食にならないようバイト代以上は働いたつもり、途中修学旅行あったけど、気持ちよく休ませて貰えた。
働いていたスーパーは今はまだ健在で今はお客の立場で利用するが、なんとなく店に入るとき感慨深い時がある。 高校の時にしていたスーパーの年末年始バイトは、昼飯代引いて1日2700円だった。
郵便局が1日2500円で土方が3500円 郵政が労組紛争してるとき郵便配達の時給が600円で結構高給だったな
昭和53年頃かな
放課後と休みの日フルで働いたわ 高校の頃やったビル掃除のバイトは時給650円のはずが、何故か500円しかくれなかった。
いまだになぜかわからないけど、子ども料金だったんだろうか。
ま、そんなところが相場の昭和50年代中ごろの東京 昭和54年に鉄骨のボルト絞め日給5000円貰ってたが良い方だったんだな >>277
地域にもよるだろう
昔から東京近郊は現場仕事の単価は地方の倍近く 18の高卒で職人の修行してたときは、月29日出勤で月5万円の小遣いしかもらえなかった。
それが三年間続いて初めて社員で使ってもらえた。 初任給は高卒で工場勤務八万8000円だったな。
昭和60年、1985年。
バブル時代が始まって残業しまくりで基本賃金の違いで大卒とトータルがかなり違ったのが、そんなもんかなと、思っていた。 >>276です。
その時代、某米軍基地内の売店では、時給1500円くらい貰えたらしいが、それは都市伝説だろうか。 ガソスタバイトで、危険物取扱者丙種持っていたやつは、時給高かったように覚えている。
そのまま、石油会社に就職したやつもいたな。 >>281
給料がドル払いだったら可能性はあるかもね
知らんけど 大人になって貧乏から普通になれたと、思ったときはいつですか?
私は給料の手取り給料の半年分溜まったとき。安くてもアパート借りられそうだったので 就職してからかな。
でも1人で、ファミリーレスランで適当に頼んだら、夜間サービス料込みで
3000円以上になった時は後悔した。
それと、トラフグを食べてみたけど何とも思わなかった。
普通の魚。 >>284
いまかな
子供達がみな社会人となって家から出て
自分が給料と年金を同時に貰うようになったいま。女房もまだ働いているし
ここにきてやっと人並みの生活ができるようになったな~と、毎日実感してる。 >>285
子供の頃フグって美味しいのかなあとずっと思ってた。
社会人になってはじめて食べたらたいしたことなかった。 俺はフグ好きだけどな。
食感も味も。
濃い味じゃないけどちゃんと旨味があって。
てっちりの最後のおじやとか滅茶苦茶旨いと思う。 社会人になって、うな重を始めたた時の感激は覚えている。 >>289
最近旧東海道歩きを始めて、最初宿場毎にうな重食べてたら保土ヶ谷で見るのも嫌になってまた三島で食べて沼津からまたうな重絶ってる
あれはたまに食べるから旨いんだよな >>289
まだ感激してるのか、落ち着け。漢字は「初めて」な。 >>284
経済面では就職した時だな
家庭面では結婚して子供が生まれた時
母子家庭の一人っ子だったので、初めて普通の家庭になったと思ったよ ふぐは産地で食べると東京よりうんと安いらしいけどほんとかい? >>216
最初IHどうやって魚焼くんだろうと思ってた。 >>289
同じく一緒です。社会人一年目に職場の同僚と先輩が連れてってくれた鰻屋 >>297
都会の飲食店の料金の半分は場所代だからなw 貧乏だったからこそ松茸を嫌というほど食べられた。
親父はちゃんと松茸の代を知っていたし、その場所は俺にしか教えてくれなかった 漁師もそうらしいね
漁場は自分が引退するまでは子供にも教えないらしい 松茸のお吸い物は子供の頃、飲んだが未だに本物は食べたことが無い。
煮物にしたシイタケが好きだね。 時期になると親父が山で採ってきた松茸をよく焼いて裂いて醤油垂らして食べたけれど、天然ナメコのお汁の方が何百倍も美味しい。匂いもガキにはピンとこなかった
それよりも、ホウキタケの混ぜご飯が最高に旨いとガキの俺は
でも、そんな事言うと親父に殴られるから旨そうに食べたけどね。 輸入松茸を入手したらペペロンチーノの具材にするが、
シイタケだろうと輸入松茸だろうと、その価格差ほどには
美味さの違いは感じない 日本人ぐらいだよね。
異様に松茸を有難がるってのは。 田舎のばあちゃんが食べさせてくれた「いのはな」と言うキノコの炊き込みが美味しかったな 松茸を食べることはほとんどないけれど、キノコはよく食べるよ
しめじは冷蔵庫に常駐している
貧乏だった頃と違うのは、雪国まいたけとホクトの株主になったこと 初任給で買った千疋屋の15000円のマスクメロン二個。一つは実家の両親に、もう一つは自分に
ガキの頃あれだけ憧れていたあのマスクメロン。いざ買って一人で食べてみたが、なぜかぜんぜん感動しなかった。山の中のマクワウリしか知らない貧乏人にはちょっと難しい甘いだけのメロンだった。
貧乏人にはわからない世界だった 松茸にせいメロンにせい、子どものころから食べないものには興味ないね。美味いんだろうけど、別に食わなくても困らないし、たとえ食べてもこんなもんか,,,てなものに大枚はたいてもアホらしいわ。 実家は貧しい伊勢海老漁師
漁期には、売り物にならない網で引きちぎれた海老の茹でたのばかりが続くのに飽き飽きした。
一生分食べたのでもう伊勢海老は見るのも嫌だ。
たまにしか食べないからこそご馳走 昔「料理天国」って番組でフランス料理などを見た時、物凄く憧れた。
薄給ながらも頑張って貯金し、20歳の時フランスに行って食べたフランス料理は口に合わず、子供の頃からの憧れを吹き飛ばしてくれたわ。 世間で言うところの希少なご馳走でもある松茸とかアワビとか伊勢海老って
少しも美味しいと思わない。大間の中トロだって一切れか二切れ食べれば
もう半年くらいは食べなくてもいいと思う。やはり子供の頃に口にできない
食べ物ってのは好みが分かれる。貧乏育ちで助かったw 価格に関係なく、一般的な食べ物で好き嫌いはほとんど無いな
嫌いなのは、レバー類と昆虫類と辛さが強すぎるものだけだ 美味いものを食べ歩く習慣がなかったせいか舌がバカ。
だから何を喰ってもうまい。
だから結婚したときは、なんでもうまいうまいと喰うんでよろこばれたよ。 小学校の低学年の時は、松茸のお吸い物が一つ100円だった。おつかいで買いに行かされた。そのうちお茶漬にお吸い物が一袋おまけで入った。 これすごくわかる。就職したあと帰りにマクドナルドや松屋に行けるのが幸せだった。
会社で折りに触れた宴会とかあるが宴会料理は天麩羅とかお寿司含めて、いわゆる高いご飯は、始めは価格ほどの価値はわからなかった。
数年過ぎて、あるときから少しづつ美味しいと感じるようなった。 マクドナルドは何とか何回かは行けたけど、ケンタッキーは食べたことなかった。社会人になりはじめてケンタッキー食べたらすごくうまかった。今でもケンタッキーは大好きです。 ケンタッキーは、隣の街まで行かないと無かった。初めて食べた時連れに渡されたのが羽の骨ばかりのところだったから
不気味でしか無かった。凄い不幸な体験
美味しい部位だったらもっとファンになってたかも。 骨だらけのとこは、リブですかね。
私はそこが好きで骨ごと刮げ取るように食べてます。
今でも意識としてケンタは高価なものなのでバーレル以外の時は部位指定ができれば部位指定しています。
しかし、ケンタが食べられるという話すること自体が幸せだわ。
基が貧乏なので幸せの敷居が低くてね。ここでくらいしか吐露できないが。 貧乏ではない最近の話だけれど
クリスマスイブにモスバーガーのチキンを買ったことがあったな 子どもの頃から七面鳥を食べてみたくて食べてみたくて
大人になって食べてみたらそれ程でもなかったでござーるでバザール クリスマスは手羽先だったな。
最初に骨抜いて、下味付けて味醂と醤油で漬け込んで、焼いたものは御馳走でした。
抜いた骨は出汁取りになってます、 この時期になるとクラスの友達がみんなジャンパーを着始めるが、買ってもらえずカーディガンやセーターで冬を過ごした。 丸亀で並んでる人を見ると必ず冷凍うどんならうまくて安いのにと思ってしまう貧乏性の自分。 うどんは新橋の香川愛媛アンテナショップレストランのが一番うまい
現地の名店よりオススメ 我が家の泊まりがけの旅行と言えば、夏の海水浴だけだった。
しかも一泊。
夜明け前から車で出かけ、翌日昼には帰路に向かうという過密スケジュール。
もちろん宿泊は安い民宿。
それでも両親もまだ元気だったし、楽しかったなぁ。
飛行機や新幹線を利用してホテル宿泊の旅行なんて、夢のまた夢だったわ。 >>329
ありがたい情報でした、ありがとうございます。
うどんは小麦粉を塩水で練って、寝かせて、切って作ってました。 >>329
連絡線のうどんはさいこうでした。
あれを越えるものはないでしょう。
連絡線にのったのはまだ小学生のころでしたけど、一時間の運行中に3杯は食べました。 蕎麦を打てるけれど、家族に人気があるのは讃岐うどんなので、主にそちらを打っている
小麦粉は「さぬきの夢」もいいけど、コスパを考えるとオーストラリアASWがお薦め >>327
同じく買ってもらえず、小学校の頃は
スウェットシャツと半ズボンで通っていたよ。
鼻水を垂らしながら・・・。
中学校になったら制服になったので
防寒対策が出来ました。 中学の制服やジャージはありがたいよね。
学ランの下はワイシャツでなくても、長袖シャツがOKだったので、作業用品店で買って着ていた。
常に詰め襟留めていたのだが、事情知っているから、周りはなにもいわなかった。半袖シャツは廉価な大人向けのかったが、サイズ合わなくなった先輩から貰ったな。ズボンもだ。
また、制服は卒業に合わせて貰ったりあげたりできる。
卒業時に布地薄くなっていたけど、学ランとズボンとジャージと学校指定関係の小物はあげた。 >>332
どれだけ安かったか知らないけど、子供の頃に一時間に三杯も食べさせてもらえたなんて、全然貧乏ではない気がする 育ち盛りの子供にうどんは腹持ちが悪すぎる。
食べた途端に腹が減るような按配。
当時の値段なら、うどんなんて30円か40円くらいだろう >>330
車って自家用車?
家から駅やバス停まで遠いとかで、お父さんは車通勤だったのかな?
もしそうじゃなければ、今50代以上の子供の頃に自家用車あったなら貧乏じゃないもんね
うちは子供の頃は何もなく、中学入った頃に親が脱サラして仕事用の軽トラがやってきたが、もちろん家族旅行なんてそれで行けるわけもなく、何も無しだった >>338
一杯あたりの量が少なかったのかな?
でもうちの親なら、さっき食べただろ、と、たとえ安くても喰わせてくれんよ。
父はうどん好きなので口説き落とせばもしかしたらいけるかもだが、しぶちんの母は絶対に無理。
金額の大小に関係なく、親の許可を得ず食べられる外食は今も嬉しい。 初めて我家に導入された車は二十二歳の時に私が買ったやつ >>327
ジャンパーはお下がりしか回ってこなかった。
肘や袖口は擦り切れて中綿が見えていた。
袖口のゴム編みはほつれて穴が開いていた 家はボロだけど一軒家
スマホ持っててPS4もある塾にも行かせ
小遣いも月3000円渡してるのに
うちの家は貧乏だという息子に昨日コンコンと説教した
俺の考えが古いのかなぁ >>339
最初は会社のトラックを乗って帰ってたみたい。
ある時、父は転職したし、近くには鉄道もなかった。
バス停は徒歩5分位の所だったけど、いつ来るかわからんようなバスだったから、小さな子連れでは大変だったみたい。
身体が悪い祖母も同居していて通院もあったから、軽自動車を月賦で買ったそうだよ。 確かにな
俺の親父はホンダライフだったな
給与貰ったらウヰスキーを木箱で買って飲んでたわ、昔だから酒屋が配達してた
そりゃ金ねーわ 小学生の頃、友達の家に行くと大体が持ち家で子供部屋を持っていて、部屋にはスチール学習机が有って、超合金等のオモチャが無造作に転がってた。
ウチは二階建ての長屋みたいな借家で、風呂も無く、2Kみたいな間取りだった。
オモチャなんて買ってもらった事も無く、友達も来なくなった。
仲良しの友人が吹奏楽部に入った事も知らず、一人で帰る様になった。
今思うと孤立してたと思うけど、気づいていなかった。
中学の時、親父が転職して大きな都市に引っ越した。
平屋の3Kみたいな家。汚いけど風呂が有って「家で風呂に入れる」と嬉しかった。 当時ザリガニは食うなと言われてたな
タニシは食卓に上がってた カタツムリとザリガニ ロブスターは外国ではメジャーだよ。 >>352
大人の目線だが
里子に出すのは、いい親だと思う。 >>348
友達の子供部屋は確かに羨ましかったわ。
中には「離れ」がある家の子もいて、納屋だけでも我が家より広かった。
敷地内には大きな燈篭もあり、家庭菜園の畑もあった。
キッチンが広いのも羨ましかった。
あと洗面所も。
我が家は洗面所はなく、台所の流しで歯磨きもしていた。
もちろん風呂はなし。 家は上流だったから夏場は脇に流れてる川を堰止めて泳いだり体洗ってたわ
足下には沢蟹いたし
そこで作った野菜も洗ってたし、スイカも冷やしてた。
その上の上流からは塩ビホースや節をくりぬいた竹を繋ぎ飲料水を家に引っ張っていた。 バラック小屋にトタンの壁
水の導線は一緒だから風呂と台所がカーテンで仕切られていた、五ェ門風呂で燃料は薪
便所も玄関のとなり、水廻りは勿論土間
ピーナッツ県99地方 普通の家だけれど昭和になった頃に建てられた家だから
五右衛門風呂で燃料は薪、水回りは土間
でも便所は家から離れた掘っ建て小屋だから、匂いが漂ってくることはなかった 周囲にはポツンと一軒家的な家が沢の数だけあった。一つの沢が一軒の所有物みたいに
貧乏だったけど楽しかった。
貧乏で不便だったけど毎日なんか楽しかった。
妹なんてずっとヤギの乳飲んで育ったし
だってスーパーなんてバスで1時間以上離れたところにしかないから粉ミルクなんてあてに出来ないし、移動販売も村の公民館に週に一度しかこなかった。でも楽しかったなー 千葉県の九十九里だったら漁師町でそこそこな生活は
していると思っていたけど、やはりそれぞれなんですね。 便所は川下の上に丸太渡してその上に小屋作った水洗便所
川下の集落ではその水で洗濯したり芋洗ったりしてたんだから、いま考えたら笑っちゃう。ま、それまでには濾過されちゃうんだろうが 貧乏だろうが不便だろうが、子どもにとっちゃああんまり関係ないんだよな。
親がいて家族仲良けりゃどこでも楽しくいきていけるんだ。
子どもってそんなもんだよな。
カネじゃないんだよ。 >>364
私はそんな考えにはなれない。
やっぱり金よ、金!
お金と健康がないと人生楽しくない。
子供の頃は親戚のお古着せられて惨めだったから、大人になってからは何でも新品しか買わない。 昔、貧乏してた人生があったから今の家族に巡り会えた。
昔貧乏だったことは、今の家族に会えるための必要なプロセス。そう考えると昔嫌だった貧乏も今では心すこし癒される。 金や健康も家族があるからこそ大事なわけで、今の家族がいなければ金も健康も要らね!
家族がいたからこそこの年齢まで働けたわけだし 昔が絶望的な状況だったので、今はとにかく桁違いに幸せ。
食べ物も質や量を問わなければ食べられる。
服も季節に合わせて選ばなければ買える。
冷房や暖房でもお金使える。
働きすぎで、髪の毛は薄くなり、ストレスであちこちボロボロだけど貧乏よりかは良い。遥かにマシ。 貧乏で長生きしたら苦痛じゃね?
俺、楽しみがサブスクの配信ビデオしかない・・・
貧乏って嫌だよな 貧乏は悲惨だよ。
うちの近所に顔見知りの70代の人がいるけど、年金が月に11万しかないって言ってた。貯金は300万しかないらしい。これだと不安だと思った。 毎月2万5千円づつ使うと年30万
300万だと10年 >>372 裕福な環境だよ!自分語りだと思うけど (笑)
何とかなるよ 今は死ぬまで働いて生活費を稼ぎ、年金はすべて趣味に使う世の中。 >>372
たしかに足りなさそうだけど、今はそんな人だらけじゃないかね。
年寄りが増えて生きてるうちは働かないてもらわないと国も支えきれないんだな。
現役世代にたいしてマトモな賃金を払えないボロ会社にとっちゃ高齢労働者はちょうどいいやな。 >>376
今、それを実践している最中。
生活費は働かないと稼げないけど、遊ぶ金の年金は何もしなくても2ヶ月に一度必ず湧いてくるから楽しい。 俺も年金貰いながら少し働いて月10万稼ごうと思ったけど、
社会保険適用の拡大のあおりを食って月間労働日数を減らされて給料も減りそう
そんなに社会保険負担したくないのかよ〜〜〜〜???? 昔も現在も貧乏だよ
年金予想額も月10万だよ
悲惨だよ 私の親なんて年金が月7万円程度だったけれど悠々自適だったよ
その年金もほとんど孫の通帳に入れていた
子供の頃に貧乏だと、当然親の年金支給額も少ない
自分たちが親の面倒を見られるくらいの世間並みの収入を得られる仕事に就けるかどうかで
貧乏を脱却できるかどうかが決まるかな >>379
どんなに高齢者になっても健康なうちは月に10万~15万円の労働収入を得ないと年金を遊び金にした悠々自適な生活はきつくなるわな
体が調子悪く働けなくなったら遊びもしなくなるから年金だけでいいわけで(足りなければ生活保護もあるし、貯金を切り崩してもいいし) 貧乏から脱出するには手に職が確実なのかな。
女性だったら看護師とか金持ちにはなれなくても、
食いっぱぐれはなさそう。 で、土方の世界で通用する国家資格を取っておいた。
今その名義貸しで何もしないで月15万は入ってくる。 築30年以上の2DKアパートで、洗面所はなく、
風呂に洗面台があった。
脱衣所もなく台所から普通に風呂。 子供の頃都営住宅に住んでた
とても家賃が安かったのを覚えてる
今、とても都営住宅に住みたい >>383
ナースの嫁に食ベさせてもらってるわ
引っ越しが多い我が家だが、どこへ行ってもすぐ再就職できるのは素晴らしい 転勤に有利な資格持ちは良いやね。
良い大学でても資格によりけりで、地方都市では単価の安い仕事しか募集無いこと多いからね。 汲み取りの吸い上げの時にバケツに入れた水を放り込むのは全国共通なの? 幼少期、生まれ故郷では記憶にあるが、下水道100l日本一番の街で育ったんで、今となってはぜんぜんわからない。 >>390
メーカーの取説には水を入れろと書いてあった
入れる量も書いてあったけれど忘れた
水を入れるかどうかは地域の違いではなくて、メーカーの違いか、取説に従うかどうかの違いでは >>393
ありがとうございます。
水を入れてと言う人と
なにも言わない人がいて差がある。
ていうか汲み取りトイレにメーカーの取説なんてあるの?
家を建てたときにもらえるの? 汲み取りってその場で料金払うの?
量によって料金変わるの? 夏は薬剤入れいたな。ウジ殺しの白いやつ。名前忘れた。 >>394
トイレの壁にアルミっぽいシールが貼ってあって、そこに注意事項が書いてあり
汲み取り後に水を入れることも書いてあった記憶がある >>406
うわーそんなの初めて知った。ありがとうございます。 いまだにプロ野球を観に行ったことがない
西京極球場で社会人野球(三菱自動車VSどこかのチーム)なら
無料で観たが、ホームランが飛び出して満足してる 子供の頃家でヤクルト取ってたから、ヤクルトのオープン戦のチケットもらい野球を見に行ったことがある。その時の選手でロジャーという外人選手を今でも覚えてる。 販売所によると思うが、産経新聞では、野球チケットは神宮球場のを抽選で貰えた。
なんとなく読売と中日のイメージしかなかったが、廉価な産経でも貰えるのはびっくりした。 >>408
自分も見に行ったことはないけど、
30年以上前に東京ドームで
バイトをしていました。
当時の仲間はみんな元気かな? 極貧だったけど、ある時期から急に家には色んな支援が集まりだし意外と裕福になった。 貧乏人のお友達(?)であるマルシンハンバーグのブラックペッパー版が山積みになっていた
初めて見たぞ
知らなかっただけで、昔から売っていたのかな>ブラックペッパー版 >>412
自分もビール売りのバイトしてました。
高校生なのに売れ残ったビールを呑んでました わしは後楽園球場で「コーラいかがですか~」やってた。昭和57年頃
歩合給なので普通のバイトに変えたです 後楽園球場のコーラはペプシコーラ
ペプシコーラ、いっかがですか~ ビール売りの女の子ってみんな小柄なんだよな。なのにあんな重いビールを背負っててさ。
なんかかわいそうになるから、いっぱい飲んで少しでも軽くしてあげたいよな。 あれで本人たちは結構仕事を楽しんでる。
売れば売る程の歩合制だし瞬間だがテレビにも映る。 朝は残り物食べてる。
ただ、一品作るとなると、脂系になる。
昔のバイト先で、ハネた牛脂や豚脂の使い方教えてもらった。
もの焼くときにサラダ油の代わりにフライパンで脂溶かしながら焼きたいものを焼いてゆく、玉子でも、じゃが芋でも一味美味しくなる。
パックのお肉買うとき牛脂貰えるので、取っておいて、使っている。 脂の中性脂肪はお金なくて痩せているときには良いけど
五十回ると確かに危ないですね。 ここでなら書けるが
いわゆる若い時の貧乏話をするのが怖い。
親元離れた大学生活で貧乏だったので〇〇した!、とか話す人居てるが
同調もツッコミもできないことの一つが此れになってる。 大人と呼ばれる年齢になってしばらく経って気付いた事がある。
それは、10代〜20代前半迄の記憶がほとんどないという事だ。
正確には筋道立てて思い出そうとしないと、当時の記憶が簡単に引き出せなくなっている。
幸いにも虐待などの経験はないが、幼少期から家庭環境が悪い期間が長く、極貧だった辛い出来事を自分の中でなかった事にしているとわかった。 子供達が小学生だった頃、「お父さんの似顔絵」「お父さんの仕事」とかの宿題があった
自分が小学生の頃にも、そのような宿題があったはずだけれど、どう対処したのか全く思い出せない
保育園児の時に、父の位牌を持って墓場まで歩き、土葬したことは覚えているんだけどね
余談だが、その数年後に市の火葬場が出来たので、土葬は無くなり火葬に切り替わった 貧乏あるある
電気が止まった暗闇で食べる晩飯は味がしない うち、昔馬小屋だったとこ少しなおして間借りしてたほぼ乞食だったけど犯罪か? >>431
うちも祖母や6年後中二の時に父親が亡くなった時は土葬だったけど
さらに6年後に祖父が亡くなった時は火葬だった。
真新しい火葬場だったのを覚えている。
>>432
うちはヒューズが飛んで電気が止まることが多々あったよ。
そしてもちろんトイレは汲み取り式のポットン便所。 やっとの思いで拾ってきたか、貰ってきた古いアイロンを
姉が嬉しそうにブラウスにかけていた時、バッツンと音がして
板に打ち付けた壁のブレーカーが落ちた時の情けなさ。 水道も止まり深夜、近所の公園にペットボトル10本くらい持って汲みにいったなあ。 水は家主さん家のガチャポンプだから止まることはなかった。
薪も家主さん家の山から採ってきたし
水も燃料も施しで生活していた乞食だわ ガチャポンプってなんぞやって思ったけど井戸に付いてるアレの正式名称だったんだな。
勉強になったわ。 >>437
今なら、そういう暮らしに憧れる人も
結構いるんじゃないかな
中国人ユーチューバー、
李子柒(リー・ズーチー)さんの生活
ファンが世界中にいる 「ガチャポン」が東邦工業株式会社の登録商標で井戸用手押しポンプ
「ガチャポンプ」が株式会社時設計の登録商標で保育園の遊具施設としての手押しポンプです 貧乏な親は不動産も資産もない
なので親が介護が必要な年齢になると、家を売って施設
に入れる事も出来ず持ち出しばかり
周りで親が持ち家じゃない人は誰もいないのもビックリ
親世代は家が買いやすい時代だったのになぁ >>441
介護の程度、というか認知症で行き着くところまでいってれば専門施設に放り込んで限度額認定+自己破産でウンコ製造機に進化させることができる
子供は生計を共にしてなければ、道義的責任以外の法的義務を回避できるので成年後見制度は最大限活用すべき 子供のころでも醤油はペットボトルだったな。
他はあんまり覚えてないけど。 >>430
おれもある書物を読んでしまって忘れていた記憶が甦りふるえたことがある。 >>444
むしろ醤油は今も一升瓶だわ
造り酒屋ならぬ老舗の造り醤油屋で買ってるせいもあるけど 醤油は空気に触れずに保存出来るって容器入りの奴が出てからは、もっぱらそればっかりになったな。
それまでの醤油差しに入れて使ってた奴の色(酸化して色が黒ずんだ奴)と比べて綺麗な透き通った色を見て、『あぁ、これが醤油の出来立ての色なんだな』って感心した。 >>446
うちは貧乏だったからオーケーで一人一つ限りの卵とかヤマサの醤油を親と一緒に週末に並んで買ってたな。 今でも醤油は、
キャップを開封したてより
開けてから少し熟成したほうが好きだが、
それでも醤油差しのような通気性の良いものには入れない ググったら、飲料用ペットボトルは1983年から普及みたいだな 長年キッコーマンの醤油さしに中身入れ替えで使っていたけど
最近は空気入らずの容器ばかり使うようになったな ひどい貧乏ではなかったと思うが、卵と玉ねぎを醤油味で炒めたのとかマルシンハンバーグが御馳走だったから豊かではなかった。昭和50年代の頃。 1970年代にゴミ捨て場に電卓が捨ててあって拾って帰って使ってた 当時は電卓は割と貴重品
1982年ごろにはベータのでっかいビデオデッキが捨ててあって使っていたが変なノイズが若干出ていた >>442
詳しくありがとね
でもうちの親は貧乏で子供にみじめな思いをさせて来た無教養な親だけど
虐待されていたわけじゃないから、そこまで非情になれんのよ >>442
259: 11/14(月)20:05 ID:YwCDFrHU(1/7) AAS
さっきまでNHKでやってたクロ現観てた人いる?
青年後見人制度の恐ろしさについてだ、
悪徳後見人がついちゃって苦労しているご夫婦がでた
恐らくこの悪徳後見人(司法書士)は統一関係者だろう
この制度自体が統一の肝いりで作られた、と自分は思ってる >>446です。
いつの間にか醤油の話で盛り上がってたんだ。
うちが一升瓶の醤油を買ってるのは、自家製佃煮をよく作るから。一度に大量に作って冷凍してる。普段使いのはペットボトルのも買うよ。密封タイプのは、同居の老親の好みではないらしく、ダメ出し出て一回買って終わった。 家は自家製だったから醤油は樽の栓を緩めるだけで垂れてきた
それを陶器の器に移して使ってた。
でも、手拭いで濾さないと大豆の糟が混じる >>464
味噌ならともかく、醤油まで自家製ってすごいね。 でも自家製となると大量の大豆や麹などが必要じゃないのかな 昨日、クロ現見たけど身につまされたわ。
俺も両親の晩年、寝たきりや痴呆になられて苦労したんだ。
成年後見制度ってのも、その時に知って調べたんだが、
財産管理を俺がするのなら問題無いが、どこの誰とも分からん弁護士とか司法書士を選定されたら嫌だな、と。
あいつら、大した事もしないのに月に何万円だかの報酬を取って行くんだからな。
昨日の取材じゃ、財産が幾ら残ってて、毎月どれだけの報酬をもらっているのかさえ報告して来ないって嘆いていたし。
国が認めた体のいい泥棒制度じゃん。 >>456
俺はガキの頃、イシイのハンバーグばかり嫌というほど食わされた
だから今でもレトルトのハンバーグやミートボールは大嫌い >>468
悪徳弁護士、司法書士がいるのは確かだけどあくまで極一部だよ。
報告は基本的に裁判所に年一、リーガルサポートなら半年に一度だから毎月報告とか求められても困るよ。
手間の割に報酬安くてボランティア的な要素が強いんだけどな。
世間的には高いって思うかもしれないけど、正直、登記に比べたら労働時間単価凄く安いからある程度社会貢献とか意識してる人じゃないとやらんのよ。 >>468
委任状が書けず、家族に代書させる為に本人に口頭確認しようにも、それすら出来ない場合でも、入院費や施設費等の支払いは有る。払えないなら、継続した入院や施設入所もままならない。
預貯金や保険も、そのままにしていたら権利消滅する事も有る。
そういった不利益を無くすのが本来の目的。
制度自体は悪でも何でもない。 >>468
今、実父の法定代理人として成年後見人をやってるけど、自分で申し立てするくらいの人じゃないと選任されないかも
申立書類を受け取るときに草野仁のガイドビデオを見なきゃいけなくて、その後家裁の書記官と面談して2-3質問されて、どのくらい勉強してきて基礎知識を持ってるか見られるんだよね
その後提出書類と資料を集めるのがけっこう大変だったりする
近親者の意見書を依頼しても返送しないウチの弟のような馬鹿がひとりくらいいるけど、そういう場合は家裁から本人に連絡が行くからビビって送ってくるw
法定代理人になると被後見人の自己破産もできるから生計を共にしていない場合は借金を背負う必要がなくなるメリットも有る
俺の場合、報酬はもらってないけど後見事務費用は本人の預金から出させてるというか、ゆうちょ銀行は代理人カードを発行してくれるからATMで自由に引き出せるんだ
これが理性と自制心がない人間だと使い込む原因になるね >>473
お父さんが亡くなった時も大変だよね
遺産相続もやらなければいけないし
その馬鹿な弟だって相続権利ある、しかし自分が全部やってたからこれだけの金残したんだって葛藤もあるし
俺の場合は一区切りついたが、万一俺が先に死んだらどうなるんだろうという不安が絶えずあったな 母子家庭だったので、親が亡くなった時の法定相続人は自分ひとりだったな
手続きは自分でやらなくてはいけないけれど、逆に誰に相続するかを考える必要がないから楽だった
相続と言ってもスレタイ通りなので相続税はゼロ 汲み取りのフタを開けられ石やごみを投げ込まれた
飛び散った汚物を見て・・・・ >>474
いやー、ウチの場合はチョー余裕
俺が法定代理人として自己破産させて免責許可をもらったので負債も資産もゼロ
その過程で借家だった自宅は解体処分され、持ち物はまったくなくなっって、衣服も下着のみしか持ってない
アルツハイマーで回復の見込みはないので住民票を病院に移してすべての手続をしてる
入院生活費は老齢年金と支援給付金のみで賄えて月1万円くらいずつ貯まっているので、重症化したアルツハイマー患者の平均余命8年で結構な額になる、かもw
借家の処分や取り掛かり時の諸費用を兄弟姉妹3人(馬鹿弟除く)で出し合っているので、ヤツがくたばったら火葬/散骨費用を引いて残った分を協議して分けるだけ
今すぐヤツが死んでも持ち出し無しで処理できるので心配後無用だわw 醤油のペットボトルとかじゃなくて、2Lの飲料用のペットボトルだよ だから他人に対してはもっと横柄になるのだろうな
無敵の人な ワンカップの瓶に水道の水を入れ、錆が沈殿してから飲む >>483
各家庭引込み前の公共部分から錆びてるかもよ? >>480
だよな
無能なくせに先祖の土地を独り占めして売り払って商売を始め、当然のようにうまくいかず浮気、妻に対する暴力で家庭崩壊
当然自分の兄弟からもそっぽを向かれ、別居していた妻の葬儀にも来ない
その挙げ句、全ての後始末を勘当した息子にやらせてるクソ野郎だから「ヤツ」なんて品が良すぎる
この先ウンコ製造機として独りぼっちで苦しみながら長生きしてほしいと願ってるよw >>480
良い親に恵まれたからそう言えるんだろう 毒親ぎみではあったが、親をヤツ呼ばわりはしないよ
老後の面倒はみた
亡くなった時は悲しいとは思わなかったけれど
親に抗議することは多かったが、それでも誹謗中傷は一度もしていない >>490
まあ人それぞれだから。あなたが正しいわけでもない。 子供部屋とかなくて高校生になっても妹と同じ部屋で寝てた 美輪明宏 「ヨイトマケの唄」1964
貧乏人目線のいい歌だね。 おれも自分がいい親といえるかどうかは自信がないが、ヤツ呼ばわりはされないようにしなければ、とあらためて思った。 親父、俺が小学校で会社潰してそこから引きこもり
たまの外出時に部屋に忍び込んでみたら包丁でザクザクの畳みて戦慄したわ 北海道の中学の修学旅行で生活保護世帯の子にだけクーポンを配らなかった
ニュース見て心が痛い。しかも勘違いで
同級生の手前、彼らのみじめな気持ちがわかりすぎる程わかる 小学校の時、母の日に学校でくれるカーネーションの造花は
父子家庭の子には白いカーネーションだった。うちは母親がいたが、
彼ら彼女らが可哀そうで今思い出しても腹が立つ。 学校にある備え付けの給食衣だけど、担当になった時、1週間だけ着て、土曜に持ち帰り、自宅で洗って月曜に次の人に渡すというのが
自分の学校だったんだが、他の人が洗ってきてある物はいい匂いがしてちゃんとアイロンをかけてあった。
俺は自分でその給食衣を二層式洗濯機で洗って、アイロンはかけずに次の人に渡していた。
汚れていなかったらそのままこっそり洗わずに渡していた。 >>498
俺は母子家庭だったけど、小学生の頃担任に父の日だから父親の絵を描くことになって、どうしていいかわからなかった。
大人になった今思うのは、教員っていうのは思いやりの心とかは持ってないということ。 昔は公立の超有名進学校でも
野球部は水飲み禁止だったよ
教育の場は後手に回っている
政府がやれと言ったら小学生に現人神教育だって厭わない
絵の具の肌色という呼称を好ましくないと気付くのも遅すぎる 水を飲むなは汗かいて体液が流れ出ると体力を消耗するからって理由じゃなかった?
高校では山岳部だったが山は遭難すると食べ物がなくなるので、山に入ったらハイカロリーのコーラを持参して飲めだったな
その後バキの「ほう、炭酸抜きコーラですか」を観たときには顧問の先生スゲーってなったw まあ、今でも飲み過ぎは良くないわなw
熱中症にならないラインを各々で管理できない子供や初心者はセオリー通りにやるしか無いけど サツマイモほした奴
あやちゃんは沖縄で紅芋があるわぁ
紅茶があるわぁ
紅茶や!ちんすこう >>502
炭酸抜きのコーラはトライアスロンで知った
バナナの方がいいと思うのだが 家族の晩飯は万引きしてたな、貰ったとか嘘付いてたけど >>500
自分は小学生の家庭科の授業で家の間取りを書いて来いって。教員曰く設計図とか親に見せてもらえだと。6畳+3畳の借家だったから恥ずかしかったな。 いい年して教師なら借家や築年数古くて設計図なんて残ってるわけない家があることくらいわかりそうなものなのに
その言い方だと授業の一環を越えて、ただの興味本位で教え子の家庭環境を覗こうとしてるように思えるよ
家庭訪問で通される部屋だけで満足出来なかったんか 新聞やニュースを見ても、また自分の体験でも教師に変質者は多い。 自分が年齢重ねて当時の教師の振る舞いを上から見れるようになると、当時とは違った感想を持てるよな
それでもまあ、酷い教師もいるわな >>511
ほんとそれ。先生たちもやる事多くて余裕がなくなってるのかもしれないけど
映画「がばいばあちゃん」に出てくるような先生ばかりだと貧乏な子供時代でも
みじめにならず過ごせたんだろうな 公立小中ではイカれた教師はいなかったね。
どの先生もみんなに好かれていた。
が、私立(男子)高はひどかった。 子供の頃、NHKや水道代が半額とか免除されていた。
ちなみに生活保護じゃないです。
ただ単に低所得だったので、町の助成があった。
多分、今もこういう制度があるんだと思う。 >>492
子供部屋あったけど姉貴と同じ部屋で2段ベッドの上が俺で姉貴が下
着替えとかも丸見えだったけどそれが当たり前みたいな感じ >>492
>妹と同じ部屋
それって子供部屋でなくって?
居間なら、うちも兄が中一の頃までは、母・兄・俺と3人で寝ていた
兄もそんな環境では勉強に集中しにくかったと思う
公団に引っ越せてから二人用に子供部屋を与えられ恵まれていた 小便するところが全部コンクリートで溝があってそこに流れていった 大昔の高速道路のパーキングが全部コンクリートでできた小便するところだったと思う
物凄い異臭だった
靴の裏に跳ね返ったのか垂らしたのかわからない小便がべったりついていた 駅のトイレもコンクリートの溝で個室は男女兼用だった。 で、そのコンクリートが尿素?でべたべたなんだよな。 1980年代ぐらいだったか、駅の男子トイレの小便するとこは
仕切りとかなくて、まさに大きい洗面器にみんなで垂れ流す
感じだったな。
県で一番大きい駅のトイレがそんな感じだった。さすがに
男女別だったけど。 青森県内を走るリゾートしらかみって4両編成の列車に10年かそれ以上前に乗った
青森と秋田を5~6時間かけてのんびり走るんだけど、ちょうど三連休でほぼ満席
2つあるトイレがどっちも壊れて流れなくなってて糞尿が便器から溢れて通路まで出て来てたな
もう便器には近づけないのでトイレ内の床に用を足す感じ
途中の有人駅(とは言っても小さな駅)で臨時で停車時間長くしてトイレに行くようにしていたけど、焼け石に水
あの列車の写真を見るたびにうんこを思い出す もっと古い国鉄の便器なら覚えている
穴の下に線路が見えるので、良くも悪くも便器が一杯になることはないな >>524
ボックス席には灰皿ある車両だよな
高校生の時はまだあったな
京都国体の県内予選の会場行くのに乗ったわ
上位7名までは京都に行けたが俺は8位だった、懐かしい思い出 >>525
ぎりぎり落ちるというのは悔しいな
予選通過というと、2名とか4名とか偶数の先入観があった >>528
細かく書くと身バレするので書かないが
本戦5人控え2人の7人だった
何時もピンクのスエット着てたし部長だったので県内では知ってる人は知ってるって感じ あなたでしたか・・・。こんなところで見つけました。 高校入学したら「部活動必須」と言われ、卓球部に入部した。
当時は新聞配達をやっていて、ラケットやケース、ユニフォームやシューズを毎月少しづつ自分で揃えた。
野球やサッカーに比べて、比較的に道具類にお金が掛からず良かった。
なんとか半年頑張ったが、影で安い道具を使っている事を笑われている事、みんなで2万近いお揃いのジャージを作る話が出ている事を知り、気持ちもお金も限界だなと思って退部した。
部活は違うけど帰宅部になった連中は、やはりウチと同じ貧乏な子が多かった。 >>532
俺もサッカー部にはいったんだけど、ユニフォームやスパイクが高いからやめた。勉強もスポーツもお金がないと無理だね。 美術部に入ったけど部費が少なくてキャンバスやパネル買ったら無くなってた
スケッチブックや絵の具は各々好きなの買って持ってきてて、俺は必死でバイトして画材揃えてた
部活終わって飯屋の後片付けのバイトして帰宅して宿題と部活の課題、さらに同人サークルの原稿
文化祭前3日完徹とか結構ハードなことやってたけど充実した日々だった 昔のプロ野球選手とかは皆金持ちの子だったんだろうな。
昔は学校から帰ったら野良仕事をやらされて、スポーツなんてさせてもらえなかったと父親はいっていた。 茂雄のお母ちゃんは行商人
茂雄がプロで活躍してもやってた、有名な話 >>537
金田は貧乏で名古屋でリアカー引いてたんだけど
野村は父ちゃん戦死、母ちゃん癌で極貧 昔は野球選手もボクサーもレスラーも相撲取りも
大抵、家が貧しかったので何とか成り上がろうとする為の
手段だった筈。 今は金持ちじゃないとプロ野球選手にはなれないんじゃないの? タッキーはプロレスかジャニーズで、タッパが無いからプロレスは諦めた。
女優さんでも水商売からスカウトされてというのは、案外多い。 身体能力が高い人なら、スポーツ関係で成り上がる可能性が高くなるけれど
凡人だと選択肢が学問等になってしまう >>542
ずば抜けたものを持っていてスター選手になった人はそういう事情の人も多いかも知れないね。でも大半はある程度の家庭環境だったと思う。 B&Bの島田洋七も貧しい幼少期を経て広陵高校に野球特待生で入学した
ケガで野球は断念したけど 七夕の時、友達らは「七夕セット」を買ってもらってたけど、我が家はおねだりしても母親が「七夕飾りなんか紙切って作ればいい‼買うなんて勿体ない!」とピシャリ。
短冊は折り紙を切って使えばいいけど、提灯みたいな飾り物は作れず、ショボかったな。
でも器用な祖母が色々作ってくれて、それで納得した可哀想な自分。 七夕セットって初めて聞いた。自分はあまり興味無かったから適当に短冊を作るくらいだった。折り紙切るだけ 家で飾り物と言えばしめ飾りくらい
七夕などしたことない カラーの広告紙使うと色鮮やかで遠目綺麗だよ。近付かないのはお約束 七夕セットなんて初めて聞いたわ
飾りは適当に折り紙切って飾るだけでいいと思ってたけど、幼稚園で皆で飾る大きな笹に比べ、家のはあまりに小さすぎてダダ捏ねてたら、お向かいさんが敷地内の竹を切ってプレゼントしてくれたw
大きすぎて家の中に真っ直ぐ立てられず、斜めに飾ったw
それで充分満足したので翌年から興味なくなったw >>516
妹と兼用の子供部屋だった
今風に言えば2LDK30平米くらいのアパートに4人家族
狭めのLDと続きの畳の部屋があり両親はそこで寝て
俺と妹がもう一つの部屋に置いた2段ベッドで高校卒業まで寝てた
俺も妹もお互い気にせず着替えとかしてたので↓みたいなシーンは日常風景
https://imgur.com/Z988Svn (イメージ画像なので実物とは異なる) 正月のお飾りくらいはしたけど、七夕飾りなんてしたか?? >>553
七夕に全く興味が持てなかったのだけどある年父親がちょっとした笹を意気揚々と持って帰ってきてうんざりした私はクリスマス派でした >>562
いいお父さんじゃないですか
うちの最初の小さな笹はどうやって入手したのか覚えてない
それもお向かいさんがくれたのか、幼稚園が持帰り用に配ったのか謎です 七夕といっても笹を切ってきて、願い事を書いた紙をぶら下げるだけじゃん
別に羨ましいとは思わなかったな
親が七五三の話をしないのを少し不思議に感じたくらい
初詣には毎年連れて行ってくれたけど、七五三のお宮参りはなかった
甘いお菓子を食べる習慣がなかったがクリスマスにはケーキを食べた
親戚が不二家系のお菓子屋なので、そこ経由だと安く手に入るのかも知れないね 貧乏スレなのにどうして裕福な話をするの?
本当の貧乏な子供は親の仕事を肩代わりをする子供
夢なんてない 目の前にある洗濯物を洗うこと >>566
昨日今日の皆のコメントで裕福ぽいエピソードって、>>564の普段食べないケーキをクリスマスに食べたってくらいだと思うけど、七夕みたいな殆んどお金のかからないイベントですら縁のない世界に住んでたのか。お気の毒様でした。 >>522
あった、あった。黒色の洗面器みたいなの。
息子に自信のない俺は恥ずかしかった。 七夕は学校や子供会のイベントでやった事あるわ
学級会か図工の時間に短冊書いて色紙の鎖みたいなのやスイカの絵のやつとかの飾り作って
最後は川に流したり広場で燃やしたり(当時はクレームもなかった)するだけで終わるんだけど
お菓子が配られたりカレーが食べられる学校や子供会のクリスマス会の方が断然良かった 俺59だけど『ハメッコ』なんて使った事も聞かされた事もないわ みんな都会生まれなん?
俺は神奈川の片田舎だったから笹なんてそこら中に生えてたから近所から適当に貰ってきてたな。
門松とかも普通に竹林から貰ってきてたし。
クリスマスのもみの木はなかったけど、竹や笹はどんどん生えるから近所の人もどうぞ持ってって感じだし。 発端は市販の七夕飾りのセットを買って貰えなかったっていう貧乏話なんだけどね
うちの地元もあちこちに竹林があって七夕に使う竹は容易に手に入ったよ ベースの素材入手の問題じゃなくて煌びやかな飾りモノの話だと思うの
ある程度は手作りでも良いけどな 家が貧乏だったからこそ、伊藤博文のありがたさが身にしみてわかった
聖徳太子なんて社会の教科書でしか知らなかった。 七夕飾りを買うって発想がないな。
都会はそんなもん売ってるんだな。
あんなん折り紙で自分でつくるもんだと思ってた。
うちは親がバスの整備士やってたからバスに只で乗れるから毎年隣の市の平塚の七夕飾りみに行ってたな。
でも出店では何も買って貰えないから飾り見て帰って来るだけ。
出店でかき氷とか買って貰える家が羨ましかったが、家に帰って母ちゃんが作ってくれたかき氷も旨かった想い出。 どうして裕福なバスの運転手の子供が出てくる?何が母ちゃんが作ってくれたかき氷だよ
自分で作れよ 請負で入っている個人の整備士でもなければ
社員として相応の生活はできる給料は貰えたろうに。
親がケチなのか。 まあ兄弟3人いたから生活厳しかったってのもあるけどケチだったな。
母ちゃん中卒で苦労したから子供は大学まで行かせたいって学費溜め込んでたから。 >>581
少々さびしいかもしれないけど、カネの使い途は正しかったですよ >>582
子供の頃は着るもの持ち物、ほとんど近所の人のお下がりだったり、貧乏で恥ずかしいとか寂しい思いしたけど、そんな中でも大学出して貰ってまともな会社に入れたのは親のおかげだってめっちゃ感謝してるよ。
ブルーワーカーが子供三人大学行かせるってなかなか出来ないもんな。 近所の女の子と座り小便でドブで良く飛距離競ったな。 ブルワーカーってそんなに凄いのか?
と勘違いしたw 親から見れば、アルバイトができる大学の方が高校よりも経済的に楽
アルバイト収入は社会人には負けるけどね 親が要介護で施設を探す状況なんだけど、年金も少なくもちろん資産もないの
で選択肢が非常に少ない。結局子供が支えるしかないんだろうけど
親が年金や資産がある友人たちは同じ状況でもすぐに有料老人ホームに入れる事
が出来て羨ましい。大人になったら楽になったと思ったのに違った 妹がグループホームに勤めているけど生保の人もいると。正規料金の利用者と待遇は同じですよ。 >>589
特養でも月15万は見とかないといけないよ お袋トクヨウにいるけど6万いかんぞ
独居世帯になり国保年金だけなら非課税世帯に
なるからと聞いた
家族同居から世帯分離してくれと役所から言われてそうしたのだがな 死ぬまで生きていかなきゃならないけど
人生の終盤で面倒くさい惨めな手続きをするのも気が引ける。
自分の生き方が下手だったと言われればそれまでだが。 >>588
国民年金のみだと、安価な特別養護老人ホームに集中する。
高額介護サービス費の上限額を下げるには、世帯を分けて親を住民税非課税世帯にすれば、上限は15000円になるはず。
とはいえ、介護サービス以外にもお金は掛かるので、国民年金ならギリギリだと思う。 大手メーカーの営業所から肉じかがい。
末端価格の半値
たたきとかローストビーフ、ビーフジャーキーをつくったな。 毎日親が明日の飯の心配していた姿を見て育ちました。
よく母親が大家さん宅で米借りてた。 おふくろが米を買う金もないので台所の鍋を質屋に持っていったが断られた。
それを知った親父がみっともないと怒鳴り散らし、やけ酒を飲んで家の前の通りで
暴れまわった。俺はなんでこんなうちに生まれたのだろうと運命を呪った。 米を買う金は無いのにやけ酒はあると。ホントに甲斐しょうのない昭和の男は害だよ >>598だって昭和生まれだろ
自分に唾はくのは止めなよ 甲斐性のある昭和の男ならOK、という話でしょ
鳥山明の家も明日の米に不自由する家庭だったけど、
そういう時に両親はワルツを踊るんだってさ
明さんも腹を空かしながらも絵を描くのが楽しかったみたいだ >>599
家族に米を買うお金も渡せないのに自分の呑む酒だけは確保するような昭和生の甲斐性なしの話しなんだけど。偏差値38なのか? お前いい年こいてまだ偏差値とか言ってるのか?だから突っ込まれるんだよw 家族養えないのによく酒なんぞ飲んでられるよな。
そんな男となんで別れないんだろう?昔の女は辛抱強かったのかな。 ちょっと前まで女性は人として扱われない道具だったから
女は旦那じゃなく家に嫁いだ
女にとって家の主は絶対
追い出され実家に帰っても白い目で見られ邪魔者扱いされるからどんな仕打ちにあっても堪え忍ぶ 親の世代は見合いがほとんどだもんな。
変なやつとうっかり結婚でもしようものなら。 昔は亭主関白で性欲処理の道具みたいなもんだったからな。 したい時に無理やり入れられる。濡れてようが濡れてなかろうがお構いなし、だったらしい。 >>602
俺の高校の同級生に謝れ
オケラだってアメンボだってみんな生きているんだぞ~ 見合い結婚も世話になった人から紹介された相手とか断りにくいケースもあっただろうし
昔は今よりも「大人になったら結婚しなきゃいけない」って意識が強かったしな
うちの親も見合い結婚だったし、職場の独身寮に40歳の人がいるって話したら
「その人変わりもんか?」って心配してた 詩人の金子みすゞを無理やり婿取りさせた両親をぶっ飛ばしてやりたい。 金子みすずは可哀そうだったね
無能なだけならともかく、詩を書くのも禁止する旦那って
どんだけバカなんだろうと思っていた
「みんな違って、みんないい」
2ちゃんの頃に、よく引用させてもらった 金子みすずって聞くと大学入試を思い出して嫌な気分になる >>614
さらに花柳病うつして体壊させるし、そういう時代とはいえ娘の親権取り上げて、と、全て奪って追い込んで自死させるし最低最悪 せめてもの救いは作品と彼女の人となりを後世に語り継がれていること 若い頃にバイトしてた某ハンバーガー屋に上品な40代の奥さんがパートで入ってきて
専業主婦で旦那さんの締め付けが強くて反発してパート始めたって言ってた
旦那と仲直りしたらすぐ辞めるんやろなと思ってたら案外長続きして
後から入って来た画家志望のバイトと同棲始めようとしてちょっとした修羅場になってるの目撃した事を思い出した >>620
w
俺も20歳ごろにバイトしてた喫茶店でも店長と同僚ウエイトレスがw
店に奥さんと非番のバイト娘から電話かかってきて、チェーン店だったので本部からたまたま来てた店舗管理担当の人に店長が絞られてたわ
結局バイト娘と分かれただけで済んだみたいだが、色ボケした女は怖いと思ったw 色ボケ女ほど馬鹿はいないよな
前の会社で60代オーナー社長とバツイチ30過ぎの事務員が出来て
その女は営業部に転属、役員会議まで出席
専務が提案しても却下、女が同じ事を提案すると承認
後から聞いた話だと、孕ませ中絶でその女の父親を相談役で1年雇い慰謝料代わりに金払ったらしい
もう何でもありw >>623
その社長は婿養子で入った本物の馬鹿だったな
そこそこの会社でそいつの顔はネットのホームページにも載ってたな
俺はそんな奴に使われているのが嫌で辞めた、本当に自分が惨めに思えたし 金のある奴ぁ夢が無い
顔の良い奴ぁ根性が無い
ツキのある奴ぁスキもある
運の良い時ゃ恐い時
頭の良い奴ぁ意地悪い
口の上手い奴ぁ唄が下手 貧乏で高校まで家族5人で同じ部屋で寝てた。
両親が俺の横でよくやってた。
小さい頃から当たり前の光景だったから何とも思わなかったけど、思春期の高校生の頃は母親の喘ぎ声で勃起するようになった。 >>622
人を馬鹿と呼ぶ前に、スレタイ理解しろよ。 どうやら甲斐性無し男の話題になると、むきになって反発するのが居るみたいだね。
自分とか、自分の親父を侮辱されたような気にでもなるのかね? ここでは余り語られないけど、みんな思春期の自慰ってどうしてたんだろうなと思う。
自分はそういう事に全く疎くて、中3位には夢精してたけど、それが何か判らなかった。
隣で姉は寝てるし、そのまま寝てたら乾いてたので、次からは放ったらかしにしてた。
高1の3学期になって、友達が「俺もう1500回位は出してるかも」という話を聞いてチャレンジしようと思ったが、平屋の3部屋しかなない我が家では困難を極めた。
結局、高校から自分が家に1番に帰るので、母親が仕事から帰る1時間の間にしてたな。
その1時間で3回出してた時も有ったから、若さってすげぇなと思う。 俺は二十歳まで姉ちゃん、弟、妹と寝てたからそんな環境ではなかった。
でも彼女が居たから中2からはほぼ毎日やってたよ! >>631
中学入ったばかりの頃から自慰してたが、トイレとかフロとか1人になれる時にしていた
学校から最初に帰宅できる時は、エロ本観ながらじっくりできるんで、試験期間とか大喜びだった
無精って未だかつてしたことない ミルナシプランという抗うつ剤を処方されてのんだらちんぽが
全然勃起もしてないフニャチン状態で、例えば腹筋とかの
筋トレの動きだけで射精したよ。
おしっこがちょっと出そうな感じがして、ちょっと漏れたかなと
思ったら精液だった。もうその抗うつ剤はやめてるけど。 若かりし頃、キャバクラの姉ちゃんと貧乏談義したら
「私も市営住宅だった」ということで盛り上がった。 >>636
空想がほとんどだから気にしなくても良いです 「童貞」しか悪口のバリエーションが無い奴なんとちゃう?
別に悪口でも嘲る言葉でも無いんだが 団地ってみじめだったな
2DKに家族4人
個室がなくて結局出て行くしかなかった でも姉ちゃんや母ちゃんが色々と性欲処理してくれだんだろ? え?団地って昭和40年くらいなら憧れた人も多いんじゃないの? >>647
そうだけど住み慣れるとミジメになる
クラスの皆は立派な一軒家だったから 確かに一軒家の友達の家は自分の部屋もあって羨ましかったな
自分の家を知られたくなくて極力誰にも教えなかった
高校の時、4畳半と6畳の部屋の襖を取っ払って広々と使ってた友達や
庭にプレハブの離れを建ててもらってた友達もいて団地住まいや自分の部屋がないやつが溜まり場にしてた オンボロ長屋住まいだった子は嬉々として団地に引っ越していったぞ? 団地に住みたくても田舎すぎて根本的に団地がなかった。 俺は3畳4.5畳6畳の団地だった、1人っ子だったので3畳が自分の部屋、4.5畳は親の寝室兼内職場
中学の時、友達呼んだら狭いって馬鹿にされたな
今考えてみれば、親が収入低くて1人しか育てられなかったと思う、少子化の最先端を行っていたのだろう >>653
すごくわかるよ。自分も似たような経験をしたから
ちょっと前に「真犯人フラグ」っていうドラマで西島秀俊と宮沢りえ夫婦が
団地に暮らしてる設定だったけど、あれは違和感があったなぁ
あんなセレブ風の住民はいなかった 高校の同級生で自分と同じ位に貧乏だった友人二人は、20代後半には結婚し、30代初めには家を建ててた。
「持ち家」という想いが強かったのかなと思う。
ここのみんなも家を建てたり買ったり出来たのだろうか。 結婚してバブル弾けたけど婿だから家の心配はなかった。
でも、会社の先輩の一人は身分不相応の家建て銀行に取られ鬱になり首吊った。
自分は直ぐにはじけてくれたから生き延びた 当時は給料が下がるとか会社が傾くなんて考えは1mmもなかったし、正にボーナスの袋が立つ時代だった。
それが一気にボーナスが無くなり給料のアップも無くなり、会社も毎月の給料の支払いすら危なくなるほどまで落ちた。落ちるのは早かった。
そして先輩は病み吊った。 家族5人でワンルームに住んでいた俺は姉貴が初体験の相手。
数年後に子供が出来て姉貴とそのまま今も住んでいる。 >>660
俺も姉いるけど絶対ムリやわ そんな気になれん 妄想だからな
実際に姉や妹がどんなもんか実態を知らない
夢見すぎ >>657
バブルの頃は働けば働く程お金が貰えたいい時代だった。
銀行のMMCって、預金だが信託みたいなものに積んでいって
なにかあったとしても数ヶ月は大丈夫とか思っていた。
TRFとか、グラスバレーとか、二十四時間戦えますか?を、聴きながら
こんな時代がずっと続くと思っていた。
プラザ合意から地下鉄サリン事件起こす頃までは、今にしてみりゃ奇跡だね。 >>655
小学校の同級生で社宅住まいの子が持ち家持ち家とことあるごとに。
少し前の住宅のCMで持ち家に拘るキャラを見て思い出した。 高卒で就職したけど夫婦とも働きで頑張って30代で3千万借りて30年ローンで家を建てた 渋谷でナンパしてるにーちゃんが
高卒だが金は持ってるぜって言って女を口説いてたw 毎回家の外に行って、つまみを回して着火するプロパンガスの風呂の家だった。
いつの日か風呂場から着火できるように改造されていた。
ものすごい進化だった。風呂に入りながら消したりつけたりできる、
あれで幸せだった時代だった。 先日亡くなった叔父は晩年痴呆になり
何かと言うと「子供たちに飯を食わしてやれ可哀そうに」が口癖だった。
ちなみに子供たちは独立して社会的地位のある職に就いている バブルの余波が残ってるH2年頃、5000万のローンで買ったマンションが
今は1000万でも売れるかどうか。完済はしたが空しい。 10年前に買った田舎暮らし物件が買った時より高く売れたわ マンション価値は立地条件でかなり違ってくる。
中古で買った駅近マンションは、まだ下がっていない。 ここは
家が貧乏だったやつしかわからないこと
スレですが? >>662
俺は姉と妹がいるけどクソ親父に勘当されなかったらどうかなってたかもしれんな
思春期の傷のなめ愛的なやつ >>675
貧乏だった奴がそれに懲りて、努力して人並になれたことを
書いたってスレチじゃないよ。 貧乏してたから物凄く実感してたけど
小学生だった頃の同級生って、貧乏人には物凄く残虐で冷たい。
いま改めて振り返ってみたら反吐が出そうなくらい残酷なことやられてた。
もう、貧乏人は人じゃないくらいな扱いもされたし、毎日が冤罪の日々だった。
物が無くなるとまず貧乏人から先に疑われる お前らそんなされたこと無いだろう。
犯人見つかっても貧乏人へのフォローなんて皆無だし、それどころか貧乏人は疑われて当然みたいな扱いされてた。
貧乏人だからって、給料の残り物をすべて机に山積みにされて
家に持って帰れってな虐めされるんだよ
ランドセル一杯に色々詰め込まれ、入れるものが無くなると砂場の砂を体操服袋に詰め込んでランドセルへ詰め込まれる。
貧乏人は虐められるために学校へ行くんだとさ 自分も貧乏人の子だくさんで家が貧乏だと思っていたけど、
案外そうでもないみたいだな
20近くまで家に風呂がなかったことくらいかな ロードの歌詞「何でもないような事が幸せだったと思う」は過去を振り返ってだが
自分にとっては「(昔と違って)何でもないような事がある今が幸せだと思う」だな >>679
モノや金が無くなって疑われた事なら何回かあるわ
給食費を入れた封筒ごと無くなったって泣いてる女子がいてクラス全員の目が俺に向いてたり
体育の授業後に教室に帰ってきたら1人の女子の財布がなくなる騒ぎの時は
学校に用もないのに金持ってくるからこうなるんだよって発言した俺が怪しまれたり
だいたいほんとに金持ってきてたのかよって言い返して余計ギャン泣きさせて全員から非難を浴びた事もある >>684
身に沁みて判る。
お風呂入れる幸せ。
暖かい部屋で休める幸せ。
服がボロボロでない幸せ。
太っているのも幸せのうち。
大人になってわかったことは。
幸せな家庭で育った奴は、親が黙々と働いていて、それが普通だと思っている事。
いい大人で幸せに人生を送っていた人も、パチンコする、酒飲む、煙草吸う。
ただ、いずれも、たまにパチンコする、たまに酒飲む、ときどき煙草吸う、だった。
気づいたときは複雑だった。 「たまに」がいいんだよね
これが毎日になると依存症 揚げ足取るつもりはないけど、依存症と習慣をはき違えたら駄目。
それぞれの価値観もあるし嗜好も趣味もあるのだから。 >>687
うん、たまにだと思う。
私は大人になったあとは転落しないよう生きてる。成功してとかではなく、失敗しないようにしている。
高卒で工員になった。
会社の最初の上司も貧乏からの成り上がりで、既に定年退職したがとても堅実で、気持ちの疲れを取るのにお酒飲む、気を紛らわせるのに煙草吸う、気分転換でパチンコする。何れも短時間で徹底的に楽しんで翌日からの活力にしていた。
真似して、お酒が好きとか、パチンコや競馬が好きとか、コロナ禍前は煙草部屋での仕事絡めた雑談とか、あらゆる人と話する取っ掛かり作り、呑みに誘って人脈つくり、敵は作らないようしていた。
社会人が高卒の工員を振り出しにしては、普通に生活して子供も大学出してあげることできた。
何でも無いように、暖かい布団から目が覚めて、書きたくなったので書いた。
一方で、朝から酒のんで、金持つとパチンコや競馬に行って、ひたすら熱上げて。
当たったときは風俗行って、焼き肉食べてとか、独身で太く短い人生送った奴も羨ましかったと思う。 昨日スーパーで見たことないやっすいビスケット買って食べたら
何か唐辛子みたいなの練りこんであるのかビスケットは甘いのにポテチみたいな触感でビリビリ辛い
何じゃこりゃ?と思ってよく見たら韓国製品じゃんクッソまずいモノにムダ金使ってしまった 韓国製の怪しい菓子は買わないし
キムチは日本製を買うことが多い
でも例外があって、マンドゥの餃子や水餃子は美味しい 日韓ワールドカップの頃は好んで韓国製品を買っていたし、キムチも頻繁に食っていた
今は心理的に強い拒否反応があり、まず買うことはない
俺がと言うより韓国がそうさせたと感じている >>691
>>692
それが箱のデザインがPOPな感じで買ったんだけど、よくよく見たらハングル文字だったわw
調べたらイカゲームで出てきたダルグンカムジャビスケットと言うお菓子らしい
家ではキムチ鍋は定番で良く作るね。カミさんはチジミと冷麺が好きだな おそらく、それだけ贅沢になったという話だろう。
韓国製だから食べないという選択はないな。
ま、唾入りのはノーサンキューだが。 近所の家の前に置いてあるコーラの瓶を盗んで金に換えていた 自分は銭湯週2回だったが、もっと下の子がクラスに2人いたから、臭いとか不潔とか虐められなかった 大学いけたけど、バイトは時給の高い深夜のバイトだった 酒屋の裏に積んである30円コーラ瓶盗んでお店で換金。婆さんが店番の時しか出来ない。 >>703
その書き込みが貧乏臭くて好感が持てます^^ >>704
>699だけど、さすがにそれはやっていないw >>702
前に書いたけれど
アイスクリーム工場の夜勤が8500円/日だったかな
牛乳は飲み放題だったので3本くらい飲んで帰宅した 俺、某警備会社
バイトってのは駄目みたいで準社員扱い
金曜日の夜から入って月曜日の朝まで勤務
これを四年間
毎月手取り20万円で学費と生活費を稼ぐ
あの時代誰も金なんか貸してくれなかった
本当にお世話になった、今思えばそのまま就職しとけば良かったと思う
イチニイサンシー 7-11の夜勤のバイト懐かしい
今は、若い外国人がやってるみたいだけどね セルフスタンドが流行り出した頃、夜勤スタッフの募集があったので応募したら
危険物乙種の資格がないとダメと言われ、急いで幡ヶ谷の消防署まで試験を
受けに行って資格を取った。
1日おきの夜勤だったが副業で月16万は有難かった。 >>712
何回で合格した?
自分も幡ヶ谷 6回目でやっととれた。難しかったよ 高校生の頃、長期休業中に繊維工場で二交代制のバイトをしたことがあるけど、
そこは女子寮があってそこに勤めながら定時制高校へ通う女子高生が大勢いた。
具体的な名前を出すけど岡山市の西大寺にあったカネボウ工場。
最初の方は仕事内容を同い年ぐらいのそこで働く女子高生たちに教えてもらっていた。
男慣れしていない感じだったけど、テキパキと働く姿はみんな凛としていた。
家の近所にその工場あったけど、多少貧乏ではあったが普通に昼間の高校に
通って遊んで暮らせる自分がいかに幸せかを実感したよ。 >>710
40年前に学費の足しでやってた。夜勤(22-7)を週3回。 地方都市の公立高校だったけど1学年8クラスで夜間が1クラスあった。
公立大学も夜間もあった。2部。貧乏でも向学心あるやつはいる。
俺は2部の大学辞めて新聞配達しながら浪人して昼の大学に行った。 >>713
アマゾンで中古の参考書を買って、千葉から幡ヶ谷までの電車内で
ざっと目を通しただけだったが、まぐれで1回で受かったよ。 >>717
中卒で一人暮らし、フルタイムで働いて生活費を稼ぐので精一杯だったから高校は通信制(今は無き修猷館高校通信制)の4年時に大検受けて残りの単位を取ったけど、福岡市内には私立しか夜間がある大学がなく、進学を断念した
現在放送大学在学中だけど、ちょうど開校した頃に大検合格してたんだよな
当時はスクーリングが必須だったので各地に学習センターができるまで待てなかった
今はオンラインに移行中だから良い時代だと思うわ 夜間大学の研究助手のアルバイトをやったことを思い出したわ
貧乏だからではなく、社会に出てから再度勉強をしたくなった人が多かったな >>719
自分は高校は奨学金、高卒で就職した。4年前に放送大学卒業したよ。面接授業の日程と仕事の休みの調整で苦労した。大卒になったお陰でこの年で在宅ワークで高校生の採点の副業してる。 俺は幼い時から体が弱い母親しかいなく家が貧乏だったからまともに中学にも行ってない。中一から朝と夕は新聞配達して金稼いでいたから8時9時は眠くて学校は休みがち
根本的にバカだった俺は中学出たら本格的に工場で働いてた
流石に妹くらいは高校行かしてやりたいしな
でも、高校ぐらいは出てないとダメなことあとから実感したよ ハズレの確率が高いというか、そういうのが多数派だったから
いわゆる「それが普通」って感覚だった 親ガチャ失敗は将来への汚点
ここに失敗して這い上がってこられるのはほんの一握り
親ガチャに失敗した子供は将来の失敗親予備軍。
失敗の子は失敗。 >>722
先輩、俺も頑張るっす
行書試験合格して定年前に開業するっす! >>727
親ガチャに失敗したから生涯独身を貫くつもりだよ
こんな遺伝子残したくねぇ だから団塊jr達は子供余り作らなかったのか
本能的に負の連鎖だけは避けたいと 俺が子供の頃思ったのは、なんで貧しいのに子供を作ったのかということ。貧しかったら子供なんか産んじゃいけないのに、と思った。 子供をたくさん産んで働くようになったら家に金を入れさせる。
子供の頃、近所の子沢山のうちの親が、今は大変だがいずれは
楽になると自慢気に言っていた。
でも、子供らは全員家を出て親を顧みず、結果、貧しい老夫婦だけが残ったそうだ。 テレビでビッグダディとか見た時も親は子沢山でいい気分かもしれないけど、子供達はみんな高校中退のフリーターばっかして、とても幸せな家庭だとは思えなかった。 石田さん家はパパがエリートだから大家族でも子供達は平均以上
やはり親ガチャは罪だな >>733
三女は、今やプロレス団体のメイン張ってるがな。 ビッグダディって何かセックスばかりしてるような
気持ちの悪い男にしか見えなかった。 >>738
いくらでも生活レベルを下げられる自信がある
年金12万でやっていくつもり >>740
年金12万円(144万円)は高額所得者です。
ま、年12万円なら仙人ですが 年金12万円は半島の人にはわかる合言葉なのかも知れない 小学校高学年のころ、小遣い稼ぎに近所のアパートに住んでる変態オヤジにフェラで抜いてもらってた それは、抜いてもらうほうがカネをもらうシステムなのか? 多分、おもちゃにされたって事だろうな
ネタだろうけど >>748-749
そうだよ
言い方悪かったね
一種の児童買春だよ
おれは、フェラしてもらう方で、その対価として小遣いをもらってた 君もソノ気があったんだよね?もしかして今も?
いくら貰ってたん? >>752
言っとくけどもーほーじゃないから
1回500円くらいかな
小遣いとかなかったから 気持ち悪かったら迷惑じゃないか、人間だもの
みつを うちは貧乏だった。
生活保護の母子家庭だったから。
当然母子家庭の母親は頭悪いから、子供の頃から本当に苦労した。 【黒川あつひこ】 山本太郎は、貧困層を、切捨てた
://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/okiraku/1667791784/l50
>>759
お母さんのどんなとこが頭悪いと思ったの? >>762
子供は中学卒業したら働けばいいんだ、といつも言ってた。
貧乏人が世の中をわかっていくには教育がすごく重要なのに、子供の教育には全く無関心だった。別にお金がないのはいいんだけど、子供の人生を応援することもできない人だった。 生活保護は受けていないが、うちも貧乏母子家庭だった
亡くなった父もだが母も中卒で
良い高校に行って、良い大学を卒業して、良い会社に勤めれば幸せになれるという考えだったな
なので遊ぶお金が無いので勉強だけはしていた
学歴だけが全てではないとか、勉強ばっかりしているとろくな人間にならないという考えは、貧乏家庭には縁が無い 貧乏人の家庭の子の立身出世なんて1%にも満たない
いや、0.1%にも満たない
それが都合よくスレに登場する不思議な5ch うちも母親が極貧で高校行けずに中卒で就職し周りの大卒、高卒の人達との格差を味わったから、子供には絶対大学行かせてやるんだって貯金してくれてた。
といっても私立に行かせるほどはないから家から通える国立目指してくれって言われたけど。
お陰で姉貴も俺も今は人並みの生活出来てるから感謝しかないよ。
>>765
底辺から上流はなかなか難しいね。
でも親が教育に理解ある家庭で本人も努力すれば底辺でも中流までは余裕だろ。 >>766
万に一世帯ぐらいはあるね
ただ、そんな世帯に生まれて来るのは宝くじを当てるようなもの
親ガチャに成功するなんて 今は知らないが、授業料免除が通った人のリストが掲示板に貼り出された
7~8人に1人くらいだったな
授業料免除を受けるレベルの貧乏家庭だった人でも
立身出世とまでは言えないが、国立大学の理系だったので標準以上の収入が得られる仕事に就けた人は、それなりに多いと思う 世の中には親ガチャに失敗して中学の頃から将来投げてる奴がはいて捨てるほどいるよ
そんな連中は大学に理系とかあることすら知らないし、授業料免除なんて言葉すらも知らない環境に育ってる 進学校に入れれば、回りの影響で受験勉強を余儀なくされる。
金の掛からない大学に行ける方法を調べるものだ。
バイト・奨学金で志望学部でないけど国立大学を卒業した。
中流まではなれたよ。戦後世代の親に対して親ガチャと言うのは
如何かと思う。 >>769
周りに貧乏が揃うと情報交換が始まる。
間違った知識の場合もあるが私の世代は手に職系の公立高校に行くか、昼間はアルバイトしながら高校夜学にゆくかが正解だった。
遊べない私立高の奨学生になった人は大学まで繋がる道だったが正直しんどそうだった。 俺の経験上、貧乏な家の女子はお医者さんごっこに協力的だった >>770
家庭内で身につけた世間の知識は、まあ駄目だったが
中学生になれば、嫌でも周りの話で世間一般の常識とか、大学のことも授業料免除のことも知ることができるよ
それが抜けているとしたら、親ガチャではなく中学校で授業を含めて何を学んでいたのかという話になる >>767
万に一つなんてことはないよ。
東大生の親の世帯収入は平均だと1000万越えてて豊かな世帯の子供が多いけど、450万未満の世帯の家も15%位はいるんだから。
努力次第で底辺でも中流まではいける。
親からDV受けてた人達は確かに厳しかったと思うけど!それ以外で努力もしないで諦めてるやつは世間と親のせいにしてるだけ。 20代の前半頃、職場のお客さんで可愛い女の子が来てた。
大学を卒業して実家の病院の手伝いをしていると聞いた。 怖いもの知らずというか世間知らずだったので、なんとか仲良くなって、3年かかったけど彼女に出来た。
彼女の家は開業医で家も豪邸。
ウチは家族4人で3K平屋借家。
3年付き合ってプロポーズしたら、OK貰った。
でも、しばらくして彼女は医者とお見合いして結婚した。
親兄弟親戚までが医者だらけだから、最初から無理な事だったのかもな。 酷い話だな でも世の中そう言うものだと言うお手本のような話
貧乏でも秀才で将来に期待出来るか、超イケメンだりとかだとまた違った展開だっただろうけど うちの親父は博打が大好きで、いつも種銭作るのに近所の質屋へ出入りしてたが
俺がまだ小学生だった時、遂に質草がなくなったのか?あろうことに俺のランドセルまで質に入れようとし、質屋の親父に殴られて帰ってきたというエピソードまでの作った親父
これを親ガチャと言わずになんと言うべきか?おふくろは質草がなくなると殴られていた >>779
>>780
自分は貧乏なうえに、ブサ&小デブに童貞という役満だったんだけど、あまりに可愛い子だったので何故か頑張ったんだよ。
結局、結婚は出来なかったけど、彼女も医者との結婚を覚悟してて、最後に恋愛したかったのかもなと思う。
ただ、金持ちでも可愛い子でも自分みたいな男でも気にしなくていいんだなという変な自信にはなって、2回結婚するハメになるんだけどな。 頑張ってバイトで金貯めてミラXX買った
友人は入学祝いでセリカXX買ってもらってた 自分は大学時代、中古のミラバンをローンで買った思い出。
40万ぐらいの車に月々3万ぐらいだったか。当時まだ車を
持ってない友達の足にされてた。
まあ、大学行けたからそんな貧乏でもないんだろうけど。
ちなみに私大だったけど当時年間授業料が他の私大と
比べても格安の47万ぐらいだった。 >>785
あまいは俺か
ミラターボTR-XX ?リミッターカットでメーター振り切って150km/h以上出てたな >>778
プロポーズして断られたのならともかく、OKをもらった後に駄目になったのは、やるせないな
自分も不愉快なめにあって落ち込むことはあったけれど
なんとか結婚できてよかったわ
結婚相手に求める最も大切なことは「品格」ということがよく分かった 私も高卒。
国立大行けなけりゃ、予算的に無理で、そこに行ける頭がなかった。 家が貧しすぎて直ぐにでも働いて経済的に支えなければと思い、
とても学業に専念できる気持ちの余裕がなかった。 そんなこと考えたことないわ
高校卒業するまで面倒見てくれたんだから 放送大学って普通の大学中退した人なんかが多いから自分みたいに高卒からの124単位取るのって割りと大変。しかも仕事と両立してたし。 公園で遊ぶ子供の声がうるさいとか言ってた方も信州大学の、、、とか >>803
いやいやジジババは卒業しても再入学して老害化してるんだよ
生涯学習を学籍があることと勘違いしてるからどうしようもない その嫁が問題ありだな
記事を読んだが
半分まともで半分おかしい人と感じた >>808
よくわからないけど貴方が言うのならそうなんだろうね >>808
勘違いしてる輩は噂に聞きた。
元アイドルが施設で授業受けるときがあるらしいのだが、いい年した追っかけっぽいのがいるみたい。
ただ放送大学自体はきちんとしっかりした講義内容のようだよ。
始めると忙しくなるので、人生の残り時間考えて、きちんと生きているうちに収めたぃことでもなければ手を出さないことが良いように感じました。 俺、放送大学の現役学生なんだが、最近ようやくオンライン化が進行してるので、めんどくさいジジババと関わることがなくなってきて良い方向に向かってる
そういう流れに抵抗する一部の声だけデカい老害がFBで喚き散らして煙たがれているが大学の方針に影響を与えることはないだろうね
自分のペースで進めばいいので時間とお金に余裕がある人には良い機会だと思うよ 子供の頃お年玉もらえなかった。
父親も母親も1円もくれなかった。
今思うと異常な家庭だと思う。 お年玉は貰えたな
ただ親戚付き合いがなかったので親からのみ
昔は店が開くのが3〜4日からだったからお年玉使うのが待ち遠しかったな >>816
うちもそう。
幼い頃はまだ親戚付き合いあったけど、小学校中学年くらいからなくって父から貰うお年玉だけが頼りだった。
中学生のある年、家の手伝いせず年末過ごしてたら怒りを買ってもらい損ねた。そんな年に限って、今じゃ考えられない話だけどホームルームでいくらお年玉を貰ったか一人づつ発表させられた。貰ってないと正直に言ったら、クラスの男子にいい格好しいの嘘つきと言われた。今でも思い出すと腹立たしい。 >>816
うちも親からと、祖父母から貰ってた。
五百円札か、千円札で、大事に使っていたかな。
親戚同士は行って返ってになるので、やらないと決めたアホな叔母のせいで、親戚からは貰えなかった。 バブル期前は貧富の差を強く感じてたかな。
バブルあとは、富める人は上に行ったけど
足搔いていた貧乏人の側もなんとかなれたような気がしていた。
バブルの時期は仕事の単価も上がり、このままやってけると勘違いして、結婚して、子供も一人持てた。
自分が貰いたかったレベルのお年玉を出せていた。
昔はクリスマスにケーキ無いと寂しかった。今はケーキ無くても平気。
あのバブルと青年期が重なっていたのが人生のボーナスだったな。 >>819
うちも今はケーキ無くても平気
昨日もチキンもケーキも無しで過ごした
別に買えない訳じゃない
なんか興味なくなっただけ
小さな子供がいるわけでなし
もうどうでもいい 自分は逆だ来年からは大きめツリーを飾ろうと思う世の中の浮かれ気分に乗るのもまた一興かなと >>821
それももちろんありだと思うよ
昨日はチキンもケーキも無しだったけど、海鮮パエリア作って食べたよ
有頭海老や赤ピーマンの赤とブロッコリーやピーマンの緑で思いがけずクリスマスカラーになってた
食べてる途中で頂き物のシャンパンあったの思い出して開けた
うん、どうでもいいと思いつつも意外とクリスマスっぽかったかも 今になって、あの時がバブル期を思ったよ。家庭の事情で金欠だったし
節約モード生活の連続だった。でも職場は明るかった。 バブル期も、そうでない時も質素倹約に努めたから
家を新築できて、老後の貯金も確保したので、60歳で定年退職出来た バブル期で回りは浮かれていたけど自分の勤めていた会社は恩恵なし
TVもやたら高額高級品ばかり扱って浮かれてたね
一杯1万円のラーメンとか?笑っちゃうよね
その代わりバブルが弾けても大して影響なく給料は普通に上がって
そこそこ土地が安くなったころに家を建てた >>824
バブルで貧乏→普通に行けたのは確か。
まだ20代だったけど、50過ぎてた親父の給料追い越してた。 バブル期には世間と逆行して勤め先が傾きかけていた
有給休暇を取得してトヨタの期間工でもしようかというジョークもあったな 居酒屋の隣の席で女を連れた20代くらいのチャラい男が
今日は競馬で100万捨ててきたとか言ってた時代だった。 バブルなんてなんの関係もなかったな
ベアの昇給率も大卒ばかり良かったし
あの頃の手取りは10~11万、バブル後期でせいぜい12万程度だった テレビや冷蔵庫はあったが洗濯機がなかった
昭和五十年にはじめて買ったのを覚えているのでかなり遅い方だと思う
まあ母が専業主婦で「洗濯ぐらい手でやるわよ。ぜんぜん苦にならない」という性分だったのもあるけど 今のように就活に苦労する事もなくすんなり就職、気に入らなきゃさっさと辞めて今より良い会社に転職できて
意識しなくても雇用は流動化してたし消費も活発だった
毎晩繁華街でバカ騒ぎとかはなかったけど当時ステータスだったスポーツカー買えて女の子とドライブ行けてた
ただ、慣れてない感が出てイマイチダサいのが恥ずかしかった SANYOって貧乏人の味方だったよな
冷蔵庫、掃除機共に現役だわ >>834
今年掃除機を山善wからパナソニックに買い換えたけど、以前20年以上使ってたサンヨーの掃除機のものづくりマインドは受け継がれてると思うよ
冷蔵庫は三菱にしたけど、ともにジョーシン電気の通販で買った
ちなみにジョーシンは単元未満株しか持って無くても年に一回株主優待券くれるんだよなw >>835
株主優待券と書いて、こんなところで見栄を張って何がしたいの? >>834
当時サンヨーだったソーラーアークを見学した
その後パナソニックになり、今は解体待ちだったかな >>836
単元未満株って書いてるじゃん
1株かもしれないんだから見栄なんて張れないだろ? 上新電機は1株は2000円弱だから
2000円弱で1株買えたとしたら、毎年5000円分の優待が届くな
持っていないけど 当時、最低片道手数料が2400円だった。
1000株で一日5円抜かないとプラスにならない過酷な黒電話でのデイトレード
手数料だけで月に10万円以上払っていたこともあるバブリーな時代 このスレは昔貧乏だった人のスレで、今は別に大富豪でも問題ない
貧乏な中からも必死に金をかき集めて投資していた奴も居るだろう >>844
はい、20代の時
必死に金かき集めて、山水電気やシルバー精工や蛇の目で遊んでいました。 投資じゃなくて殆ど博打感覚でしたねw
だって手数料が半端じゃなかったから、仕事なんて二の次で、イヤホン付けて短波放送です。まだ場立ちが取り引きしてた時代です。 今はネット証券会社間の競争のおかげでSBIのように一定条件下では手数料無料だったりするしね
証券口座開設はマイナカード必須になってるけど、口座に入れておくだけでも公定金利より利率はいいし持ってて損はしないと思う
極貧ならともかく月5000円くらいはまわせるだろ >>847
「NISA枠拡大」に貧乏人が「金持ち優遇だ!」と反対する世界なんだよ。
Twitterとか見てたら暗澹とした気持ちになる。 >>848
その「貧乏人」はノーミソが貧乏なのかガチの極貧、あるいは政府がやること何でも反対が信条のパヨクかアカなんだろw 貧乏だった人が足搔いて抜け出した後のスレになってますが
いわゆるスレチではないですね。 当時給料が10万円にも満たないとき、かき集めた100万円で野村行ったら口座作ってもらえず追いかいされて
仕方なく地場の当時まだ小さな松井で口座作ってもらった
そこの営業マンの話では、野村は億近い資産や紹介がないと口座作ってもらえないとか まあ昔の貧乏を懐かしむスレだからな
今が貧乏ならシャレにならんて 言ってみれば、昔の貧乏を懐かしんだり笑い飛ばすスレなんだと思うが >>852
俺の親も信託銀行に口座作りに行ったら、ここはあなたの来るような所ではないと追い返された
香典返しの手配しようと伊勢丹に行ったら追い返された その後、三越に行ったら対応してくれて感謝していた 俺も都営住宅に住んでた時、親の土地があったから、そこに住宅建てようと思って、ヘーベルハウスに資料請求したんだけど、郵送で資料がおくられてくるのではなく、いきなり営業マンが来て、うちは上場企業の部長クラスが顧客なんです、と怒りながら資料渡されたよ。びっくりしたよ、怒りながら訪問してきたことに。 >>856
今でもその線は変わっていないよ。
へーベルの下請け工事やってるから顧客の層も判る。
まぁ、みんな横柄で生意気で職人をカスみたいに思ってるわ 住友不動産はボロボロな実家をリノベーションしてくれたよ >>852
大昔の話かな
NTTの株式上場の時に個人株主が増えたので、その頃からは貧乏人でも口座が作れるようになったかもしれない
いや、想像なので裏付けは取れていない >>863まだ指定銘柄があって、立ち会い取り引きからスタートしていた頃
あの頃どうして平和不動産が指定銘柄なんだ?と不思議だった ダウが8000円だったかな?長銀もまだ元気だったし バブル期の証券は生意気だったんだろうな。
昔は片親だったら銀行に就職できなかった。
そんな連中が証券会社に就職してた。
由緒正しく大人しい銀行員に比べ、証券は荒っぽくて柄が悪いと言われてた。 マークIIのカタログもらおうと販売店に入ったら何しに来たんだみたいな対応された 冬が寒いのは仕方がない
部屋の中を風が吹き抜けるのが辛いのだ ガキの頃は隙間だらけのボロ間借家で、冬になると隙間から雪が吹き込んで
朝、布団の上に雪がしっかり積もって、部屋の中に積もった雪を外に捨てるのが朝の日課 ガキの頃は東京なんて夢のようなところで、それよりも先ずは最寄の国鉄の駅がバスで二時間
冬になると道路の除雪が終わらないとバスも運休になり、正に陸の孤島だった。
村に店もなく、一週間に一度だけ移動スーパーが
家に電気が来たのは小学4年の夏休みだった。 何と言っても、親が共働きだったから、学校から帰ってきても、誰もいない家の風景が、子供時代の原風景みたいに、今でも脳裏にこびりついてる。
いつも誰もいない家。テーブルの上におやつとメモがあって。誰も「おかえりなさい」と言ってくれる人がいない家。 炬燵に入っていても上を向いて息を吐くと白く見えた。 >>873
同様の環境だが、中学に入ったら学校から帰ってすぐの家に誰もいない時が、貴重なオナニータイムになった
家が狭いんで家族がいるとオナニーできなかった 掘り炬燵には囲炉裏から移した炭を入れていた。
気を付けないと靴下に穴あくし
囲炉裏は背中が寒いから毎日綿入り半纏着てた
懐かしいなー 掘りごたつあったな
山の中の農家だったので自家製の炭だった
質の悪い炭だと炎をあげ燃えて煙も出てた
正月なったら火鉢の炭火にゴトクおいてモチ焼いてた
今思えば毎日が寒中キャンプだ ウチは電気炬燵だったんだが、遊びに行った向かいの家が置き炬燵だった。
知らずにいつも通り足突っ込んで火傷したw w 囲炉裏を改造した掘りごたつで冬は練炭を使用していた
一酸化炭素中毒問題も隙間だらけの家だったので良かったのかな。 貧乏出身で家を建てると、リスクとか売るときの事考えて考え抜いてから建てる。
狭くても駅から近くとか、雑誌みてローンの組み方とか。
皆んな、失敗してないので、リスク考え抜くのは基本かも。 >>884
家を建てる時に売ることなんて考えねーよ >>885
ウチは中古住宅を買ったけど、その時の持ち主は36歳だった。
「次は平屋を建てる」という話だった。
地価上昇してる地域限定だろうけど、住宅ローン減税期間過ぎたら次という人はいる。 みんな貧乏から脱出して、今は不動産の売買ができるところまで這い上がったんだな。すごいな。
俺は、ちょっとマシになったくらいだ。いまだに賃貸だよ。まあ、年齢的に言っても、一生賃貸だな。 必死になって金貯めてローンを組んでマイホームを持って、やっと完済した今、
家なんて賃貸でもよかったかなとマジで思ってる。
但し、老後の最晩年まで貸してくれるだろうかという不安はあるが。 生涯住むという前提で家を建直したな
家電も壊れる前兆があるまで使う
車は12年毎に買替えていたが、定年退職して乗る機会が減ったので、今の車は20年くらい乗るかも >>885
ローン払えなくなったらとか、転居で賃貸でとか、いろいろな事態考えたんた結果だと思う。
>>888
歳取ると、貸してもらえなくなるから正しいかもです。 >>888
住宅不動産業の俺から言わせると、都会でも田舎でも賃貸で良いぞ。
田舎なら、どのみち実家に帰るでしょ?
親の面倒、墓を見たり、その他諸々ある。
>>890
それ言う人が多いですが、実態として割と嘘ですよ。
親族の保証人が近隣に住んでいるとか、親族以外の保証会社もあるし、自治体が市営住宅を優先で貸してくれます。
年金もあるので家賃の取りっぱぐれがないです。 賃貸アパートや賃貸ハイツに住んでいたけど、
取り壊すから出て行ってとか、廃業するから出て行ってとか
平気で言うよ。
それと入居を希望しても、オーナーが難色を示せば貸してくれないよ。
有名企業に勤めていたり、若い保証人がいると別だけど。
まあ爺の孤独死は困るから高齢者に貸したがらないのは仕方ないし
家賃が高めだが保証人不要のUR住宅に住むのが現実的かな。
市営住宅は希望者が多いと抽選だからね。
築40年以上の中古物件なら安いけど欠陥住宅と思っておいた方がいい。 家は公共事業移転で国から金もらって新築するのが一番いいわな 運よく市営住宅や県営住宅に当たっても、正直なところ居住者レベルが
低すぎて、余程図太い神経じゃない限り中々馴染めないと思うよ。 都営住宅に子供の頃住んでたけど、隣の家がドアを思いっきり閉めるので、音がすごくうるさかった。とにかく都営住宅は殺伐としてたな。あと、セールスがしょっちゅうくる、例えば新聞屋とか。できるなら住みたくないな。確かに家賃は安いけど。 今、築60年のエレベーターなしの五階リノベ物件に住んでるけどセールスマンなんてめったに来ないな
たとえ新聞屋でも階段上って来た根性のあるやつの話は聞いてあげてるが最後に間に合ってますと言って追い返してる エレベーター無しの4階とか5階とか、歳取ったらヤヴァイ ずっと実家住まいで、一度家を建直した
賃貸とか、土地込みで家を買うよりはお得だと思っている
もちろん自治会とかの地元関係役割を果たし、亡くなるまで親の面倒を見た >>899
ジムに行かなくても毎日の階段の上り下りがエクササイズになってるから最初から低層階に入るより体力の衰えは遅いかもしれんねw 今年から7階の自室から下に行くときは階段を使って
意識的に速足で下ってる。物凄い緊張感がある。 パジャマなんてしゃれた物もって無かったので
冬でもパンイチで寝てた。 子供の頃は、市営住宅だったけど友達がいっぱいいてボロ服でよく遊んだな。 >>905
建売や注文住宅に囲まれた中で、借家の平屋3Kに家族4人で住んでた。
市営団地や県営団地は同じ部屋タイプの集合住宅だから、近隣と差が無くていいなぁと思ってた。 >>906
借家でも3kだなんて俺からしたら裕福なお坊ちゃんに見えるぞ 6畳、4畳半、3畳、台所だろ。
どこがいいんだか。 うち、小学卒業するまで6畳一間に台所の1Kに4人家族だったから3kなんて夢のような生活だよ >>906
俺ン家はニコイチ長屋で2K、引き戸の玄関と木枠の窓はクルクル回す鍵だった
小学校上がる頃に近所に建った市営住宅に応募者が殺到したみたいで抽選に漏れたウチの母親がブチブチ文句言ってた
その市営に入れた友達の家に遊びに行ったら鉄板みたいなガコンッて音が響くドアとアルミサッシの窓で羨ましかった 俺も公営で暮らしてたけど、家族のケンカは日常茶飯事、息子、娘が暴走族は普通、窃盗自殺になんでもアリだったな。 うちは田舎で土地と家だけあるけど事情により金がなかった貧乏家庭で、今も築84年の実家暮らし。親が改築重ねてサッシの窓が殆んどになってしまったけど、まだ少し残ってる木製窓枠の、動くと向こう景色が歪むガラスは味があっていいよ >>912
時代的に大正ガラスっぽいけど、だとしたらレトロ好きな人に人気だよ。
マニアじゃないから判らんけど、同じ製法で作れる人が現在は2人しかいないらしく、昭和初期位から現存する物なら欲しがる人はいるかもよ。 >>912
うちは築60年頃に建替えた
伊勢湾台風で傾いていた家だったな
今の家は前の家よりも小さいけれど、ちゃんとした家だ 俺がガキの頃は、本当につっかえ棒をしてる家があった。
あと少し離れた大木に番線で引っ張ってる家もあったな。 >>914
その窓から雪が入ってくるのだよ。
学生時代の6畳ボロアパートの2Fがそうだった。 うちの実家は築47年ぐらい。母親ときょうだい2人が
住んでるけど、金ないしみんな独身だから建て替えとか
しないだろうな。
ちなみに未だに汲み取り式便所。まあ自分も6年前まで
そこに住んでたけど。 >>910
> 俺ン家はニコイチ長屋で2K、引き戸の玄関と木枠の窓はクルクル回す鍵だった
自分が育った家も全く同じ!
6畳と4.5畳の二間だった。
台所は流しとガス台と冷蔵庫置いたらキツキツ。
後に建て増ししたけど、二階建てに住んでる友達らが羨ましかった。 スーパー行って年末最後の値引きシール商品ゲット競争に行ってきた。
出遅れた。 >>919
間取りは同じだ。便所は汲み取り。
小学生の時、親の仕事の関係で、東京の2Kのアパートから
千葉に引っ越したけど、便所が以前の水洗から汲み取りになって
結構ショックだった。
だけど子供の時分は適応力があるからすぐ馴れたが。 おととい汲み取り便所の夢を見た
なぜか便槽の中に食料品が大量に落ちていて意味不明な夢
それでもおしっこしようとしたけど出ない
トイレの夢はやばいよね、慌ててトイレに起きました 学校の回虫検査で必ず引っかかってサントニンとかいう薬を飲まされてた。 自分も時々汲み取り便所の夢をみるけど、
決まって床がすり鉢状になってて踏ん張れない。
それか、やたら段が高いとか、扉が小さくて人から丸見えとか。
夢に出て来る便所って、不思議とピカピカの綺麗なトイレってないな。 あけましておめでとうございます。
厳しい時代になってきましたが昔の貧乏生活に戻らない様にしましょう。 うちは借家で裕福とは思ってなかったけど周りは長屋住まいで風呂なしの
同級生も多く悪ガキながらもまあそこそこな家庭かと思ってたんだけど、
テストだけはそこそこできたのでそれなりの大学行ったらワンルームマンション
一人暮らし、入学祝いで新車買ってもらった、中高では生徒会長で優良学生
バイトは趣味というか暇つぶしにやるみたいなのばかりでびっくりした。 自分が大学生の頃は、自宅から通うか安っぽい下宿、稼ぐためにアルバイトとかやる人が多かったかな
地方の国立大学だったので貧乏っぽい人が集まったのかもしれない
授業料免除申請が通った人もそこそこいたし 優れた才能(スポーツとか)を持っていない貧乏人が貧乏の連鎖を断ち切るとしたら、結局のところ学力だぞ
努力でそこそこ学力は上がるし
授業料免除もあるし
アルバイトも必要なので、遊べる時間は犠牲になるが 学歴自慢ちうか、いわゆる良い学校には良い学生がたくさんいて
そういう人間たちとは合わないなと 自分の知っている狭い範囲の経験だから何とも言えないが
良い学校だと、嫌がらせをして喜ぶような人間は少ないぞ
いじめの対象になる「変わった子」も受け入れられるし
ちょっと体に欠陥があって、中学では嫌がらせの対象になったが大学では皆無だった
梁山泊みたいな人たちと自分は合わないといのもある 中卒高卒で働き出した周りと見比べて、中高の時分から家計を支えないとならん
というレベルでなければ大学進学は経済的にはそれほど難しくはないと思うけど、
進学が選択肢に入るというのは文化的には裕福だろうなと思う なんたって無学な両親から見たら、義務教育を終えた後に
高校を3年間も行かせたんだから、もういい加減働いてくれ
ってなところか。 大学より専門学校行きたかったけど、専門学校って学費がすごい高かったのであきらめた。結局親が金持ってないと進学はできないね。 >>927 尿意催して目が覚めるけど、その時の夢はまさにそうだね。
どこのトイレ行っても汚くてまともなところは無い。これって脳が
寝小便をさせない為の防衛手段なのか。 夢の中で結構出てくる便所は、何故か複雑な構造で個室も男性用便器もたくさん並んでいる迷路みたいな構造の便所。
薄汚れたタイル張りで、何故か俺は裸足で『やだなー、足が汚れるなー』って思っている。
言ってみれば「サイレントヒル」に出てくるような便所と言えば遠からずか。
で、結局我慢しきれずに「ジャーッ」てやっちゃう事もあるんだけど、実際には出していないでセーフって言う… えー、そうかな。
自分は朝はたいてい尿意で目覚めるから、その前にトイレ探してる夢をみることよくあるけどな。
というか、トイレ入って放尿してるのに、ちっともスッキリしなくて目覚めたことが何度もあるよ。もちろんまだ一度も現実で漏らしてたことはない。 ものすごくリアルな淫夢を見ることがあるが
寝ながらも心のかたすみで「これは夢だ」と自覚しているのかなかなか射精できない
おむつをはいて寝たら射精できるかな >>947
ありますね。さすがに昔に比べると減りましたが。あのリアルさって何なんでしょうね。 もう現役を引退したのに見るのは仕事でヘマした夢ばかりだわ クリーム色の粗く編んだセーター着たおなの子を
ぎゅっと抱きよせる夢を見た
誰なのかわからないが温かで柔らかだった 引きずりうどんって知ってる?
茹でたうどんを鍋ごと食卓へ→醤油と味の素とネギ大根レモンなんかで味付けして食べるの
子供の頃は嫌で仕方なかった >>951
それ、味の素がなければ、まあまあ食べられそうな気がする おらの県ではひっぱりうどんという。
忙しいときによく食べた。そーめんでも蕎麦でやっても良い
薬味でバリエーション増やすね 昔は蕎麦が嫌いだったけれど、今は好きになった
味の好みが変わったのではなく、昔食べた蕎麦が不味かっただけだった >>955
俺は味音痴だけど、その俺でさえ蕎麦の味の違いはわかるしな。というか、本物の蕎麦は香りが漂ってくる。まずい蕎麦は、鼻を近づけても無臭。 伊勢うどんみたいなもんか
貧乏メシだとウチではスイトンは良い飯というかおかずの
扱いだったが、後年に美味しんぼで微妙な扱いされてて驚いたw かけうどんなら
醤油+粉末かつおダシ+ネギで
十分においしいよ
油揚げの甘煮か、天かすを乗せてもいい 今のすいとんは、出汁をたっぷり効かせて新鮮な青菜やキノコ類を入れ
酒席の〆に少量食べるような上品なものになってしまった。 Twitterで片親パン、和室界隈、アフガキなる言葉が流行ってるそうな
片親の子が食べてそうな安くて量が沢山入ってる薄皮とかチョコチップスティックとかのパン、片親の自虐発言が元
容姿のよくない子が上げる動画の背景が貧しそうな和室
アフリカのガキ、お金を使えないカードゲーマーやスマホゲーマー
貧乏を笑う差別用語も今はこんなに残酷なんだな そのうち廃れるか、なんにも気にならない普通の言葉になるかすると思うけどな
隠キャやこどおじみたいに 子供の頃は片親だったが、今は普通の家庭だな
大人になってしまえば過去の出来事よ
親だって早く死ぬとは思っていなかっただろうに 薄皮パンもチョコチップパンもよく子供達に買ってた
美味しそうに食べてたけどなんだか悲しくなってきた 食卓にもやしのケチャップ炒めが出てきた時の絶望感たら >>967
もやしのごま油和え
もやしのマヨネーズ炒め
普通に食べてる。それも大好きレベル。
年収は低いが食うに困ってない。 もやしはウェイパァーか丸鶏ガラスープの素で炒めて玉子でとじると美味しいよ 息子夫婦は共働きで年収も高いけど高そうなパンがいつも食卓にあるわ
子供たちの朝ごはんがそれ
ウチは割引シールの貼ってある山パンばかり・・・
薄皮パンとかチョコチップパンの安売りがあれば必ず買う >>969
それも最初はいいんだけど、それが月の半分以上となると最後は見るのも嫌になるよ 昔はキャベツと比べて白菜が安かったけれど、今は白菜の方が高い
鍋料理は白菜を減らしてモヤシを入れるパターンが増えたな
今は貧乏じゃないのだけれど >>970
薄皮パン、最近5個入りから4個入りになったよね
個数減らした分、あんの量が増えたらしいけど 片栗粉に熱湯を注ぎ込み、それに砂糖をかけて食べてたけど
これってメジャーなの? 病人用の補助食だったもの
デンプンと砂糖で点滴がわりの品
作り方で旨くもなる
ごくわずか塩を入れれば羊羮の味 うち、小麦粉溶いてクレープみたいに焼いて
砂糖一面に撒いて、最後にくるくる巻いて食べてましたね。 >>979
小麦粉に砂糖を混ぜて焼くより美味しそう 食パン焼いて、マーガリン塗った上に砂糖まぶした奴
手間が掛からない割に、結構美味かったなぁ… >>980
砂糖が舌に直接触れるので露骨に甘くて美味しいです。
レスありがとうございます。
今、イトーヨーカドーに来てフードコートでポッポのごはんをボッチで食べてました。
落ち着きますのよね。 周りに誰もいない畑で家庭菜園をやっている最中に、ふと我に返ることがあるな
定年退職して晴耕雨読の生活をしている自分を、子供の頃は想像できなかったと
未来は不安だらけだったけれど
今は平凡を手に入れた 平凡の中にも一抹の不安と恨みと怒りが混在して
自分は本当にどうしようもない人間だと思う昨今。 パンの耳を揚げて砂糖かけたの食べたよね
懐かしくなってやってみたけど油っこくて美味しくなかったー スガキヤは、ここ10年くらい行っていないけれど、その鍋の素は利用しているし美味しい
岐阜タンメン監修塩タンメン鍋つゆ
SUGAKIYA和風とんこつ鍋つゆ >>987
揚げ物をする油なんてなかったよ
天ぷらなんてぜいたく品 成人式の日は着ていく服がなかったから行かないつもりだった。でもどんな様子かなあと思いバイクで成人式の会場の外側に行って様子を見ていた。俺みたいにジーパンにジャンパーの奴はいなかった。10分くらい観察した後家に帰った。 >>992
俺革ジャンとGパンで成人式出たよ
帰りに同じく貧乏な友人2人と2千円づつ出し合ってスーパー寄ってすき焼きの具材買ってアパートで食べた
懐かしい思い出 成人式は年度末までの現場を任されてたから仕事してたな 成人式なんてガキがやるもんさ、とうそぶいて仲間4、5人とパチンコやった帰りに
スナックへより、ジンライムを底抜けに飲んでゲーゲー吐いた記憶がある。 俺の場合は、家のTVが壊れてたんで親父に秋葉原に一緒に買いに行くように頼まれたw
まぁ、俺を大学に上げたんで、成人式に着て行くスーツ代が出せ無かったんだろうな。
その割には、TV買い替える金はあったよな、と思う。
お陰で俺は成人式に出て友達と語り合ったり、記念写真撮ったりという思い出は無い。 成人式のことといえば、ソープランドっていいぞーと
自慢されたことを覚えている。
そいつは見た目、妖怪人間のベロみたいな感じ。
あれから34年、みんな元気だろうか? 成人式は兄貴のお古で出席したよ
俺より背が少し高かったので、ちんちくりんの背広だった >>994
80年代の浜田省吾の歌に出てきそうな話 このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
life time: 119日 12時間 36分 3秒 5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。