家康が将軍職を辞して隠居するまでに、他に徳川の苗字を許されたのは世子である秀忠ただ一人です。11人いた家康の男子でさえも徳川を自由には名乗らせず、秀忠の他には後に徳川御三家となる家康の九男義直、十男頼宣、十一男頼房の3人のみです