僕はこう思いました。
「異性」という言葉を使っている時点で意識していまね。
意識しているということは、「すこしは気にしている」ということじゃ
ないのでしょうか?
はっきり言っちゃうと自分を正当化しているだけだと思います。
「これは友情だ」と自分で信じているだけです。無理やりね。つまり意地の維持。
異性=友情にしようと考えているだけにすぎません。自分で。
大体、成立するのか?って聞いてくるのは
批判されたということにたいし、自分が正しいと仲間を求めているだけにすぎないと思います。
自分が信じていたものを守ろうとしたプライドだと思います。

さて本題ですが、異性と接するということは、全て恋愛対象が発展する「可能性」がある
としてなるはずです。
なぜなら、なければ「種」が滅んでしまいますから・・・
「可能性」があるかぎり、絶対にとはいいきれることはできないんじゃないかな?
可能性として有ると仮定するのなら…
それはその人のどちらか、もしくは二人とも性に異常があるのではないでしょうか?
(情報をあつめてみたが、、大体が鬱にかかっていたり、生理不全の人、精神不安定な人、
性にあまり興味が無い人、自分(女)を男だとたまに言う人&逆有、…肯定派の自分の口からいっている言葉です)
食文化がだいぶかわってきたせいなのか、現代人のホルモンのバランスが崩れかけているんだと思います。
人間が生きているのは子孫を残すためであり、異性というものはその意味であるのだと僕は思います。
信じている方の殆どが、「実際に成立してるもん」といいますが、それは自分の見解ですよね?
自分一人の考えでの成立はありえません。もちろん相手が本当にそう思っているとも読む事は出来ないはずです。
第三者がそう思わないかぎり成立するというのは、おかしいとおもいます。
つまり僕が考えた答えは、「異性の友情は稀に成立するが、性に多少の障害を持っている人」だと思います。
批判はしないし、肯定もしません。
あくまでも、その間の経緯を知らない第三者的な考えでの答えです。
異性間の友情を信じている人で成立しているというハッキリした考えをお持ちの方は
その考えのままでいいとおもいます。


以上長文でした☆