【敗者】上杉景虎【悲哀】
北条氏康の七男として生まれる。上杉謙信の養子となり、その初名である「景虎」を名乗る。
謙信の死で家督の後継をめぐって、越後では景虎派と景勝派の戦いが起こった。 越後長岡藩の第12代藩主 牧野 忠訓
牧野忠訓の先祖である松平信綱の母は、深井好秀(白井長尾氏)の娘
深井氏は武蔵国足立郡深井邑(埼玉県深井)より起こる桓武平氏長尾氏族
長尾氏は上杉氏の血も引く一族
河井継之助の主君は長岡の支配者として相応しい人だった。 長岡市の長岡藩領地域は、上杉景虎を支持していた。
一方、与板藩領地域は、上杉景勝の支持母体であった。
現在では、同じ長岡市ではあるけれど、歴史は全く異なる。 米沢藩はキリシタンを弾圧した歴史があるが、
長岡藩ではキリシタンへの弾圧は無かった。 日本人(長岡市民)が、山本五十六の息の根を止められなかったのは痛恨の極みである 山本五十六とは、
卑怯な不意打ち騙し討ちで、罪のないアメリカ人を虐殺し戦争犯罪の罪を犯した人物である
山本五十六の先祖は信濃国の出身で真田家家臣であり、代々、儒教を講じ教えていた儒学者の家系である 父:牧野康成(上野国大胡藩初代)
(世ヲ恨ミ隠居(当代記より))
子:牧野忠成(上野国大胡藩第2代藩主・越後国長峰藩初代・長岡藩初代)
(越後国長岡にて、長岡藩政250年の礎を築いた。)