>>675
間違ってるよ
「於于今ハ仕合候条、自此方可被仕懸候」
仕置じゃなく仕掛け

慶長4年閏3月に比定していいと思うけどね
家康と景勝の間で縁談の使者が増田の仲介で調ったとあるけど、白峰氏の主張である慶長5年6月上旬
に縁談の話をしてるのはおかしいし、逼塞中の三成が身を引かなければ済まないというのも変だよね
白峰氏は反家康の決起はこのままでは更に拡大するので身を引かないといけない
としてるけど、この時期三成が決起に向けて何か行動していたとは思えない

ねらいたて仕候者、つまり様子を伺っている者は光成氏の言うように七将と見るのが妥当かと