7月12日付輝元宛三奉行連署状も7月15日付清正宛輝元書状も共に原本はなく写しとして松井家に伝来してる
輝元が15日に出発したことは他の史料からも確認できるし偽書とは思えん
けど、どういう経緯でこの二通の書状写が松井家に伝わったのか気になるな

15日付清正宛書状は清正が杵築の松井康之に写しを転送した可能性も考えられるけど、12日付三奉行連署状の方は入手経路が想像つかんな