関ヶ原を起こしたのは三成、家康は何も悪くない
>>58
秀次始末前でも秀吉の義弟で補佐役、東国取次にして秀次の指南役で秀長死去後は名実ともに政権ナンバー3
秀次が死んで位が一つ上がっただけ >>58
元々太閤に意見できる政権No.2で
次世代でも関白の指南役、補佐役で
その地位は揺らがないはずだった
それを関白粛清後に迎えられた
などと明らかな間違いが書かれてたから指摘した >>61
そうなんですか?
西軍が関ヶ原で待ち構えていたからでは? 家康だけ石高突出させ過ぎた
対北条の後、転封とはいえ、132万石から250万石ちょっとはなあ
朝鮮出兵の後で、豊臣家の支配地(福島ら譜代除く)や直接現地へ行った大名に加増して
バランス取るつもりだったのだろうか? というか政権の屋台骨背負ってもらうつもりだったのが
それだとうまく操れないと思う奉行が覆した 北条征伐って秀頼がまだ生まれてもない時期なので
その時に自分の死後の勢力バランスまで踏まえて考えるのはいくら秀吉でも無理 秀吉からすれば他の大名と一線を画す親戚筋に家康を据えて豊臣政権の安定をはかってたと思う
三成ら奉行の造反で適度な距離が出来たからこそ家康は豊臣を殴れる事が出来た 本来、晩年の秀吉にとって豊臣の脅威は家康ではなく西国大名だった
朝鮮での酷使に不満を覚えて謀反を起こす可能性が高かったからだ
むしろ西国で謀反が起きた場合、鎮圧するには家康の力が必要なので
秀吉にとって家康は脅威どころか重要な抑止力だった
秀吉の誤算は、奉行が権力闘争を起こして西国大名と結託してしまったことだろう
奉行の協力を得れば、西国大名は大規模な謀反を簡単に起こすことができる
謀反を起こせば家康に鎮圧されるぞ、という秀吉が用意した抑止力が機能せず
本当に大規模な謀反が決行される事態になってしまった >>67
これあるかもな
どうも秀吉は毛利を恐れていたのではと
本能寺で追撃主張派抑えてしなかった
天王山で旗貸してくれて秀吉軍には毛利も参加してると明智に誤解させ混乱させる
賤ヶ岳で背後襲わなかった
小牧・長久手でも背後襲わなかった
四国九州征伐に大軍派遣してくれた
朝鮮でこき使われ疲弊させられる
毛利本家に養子送られ乗っ取られそうになる
小早川が乗っ取られた
散々尽くしてくれたのにとくに加増もなくこき使われて養子戦略しかけられる
上杉が転封にしても40万石から120万石に加増
上杉徳川とも毛利ほどの活躍してないのに倍増以上
毛利怖くてしょうがなかったのでは 逆だろ
九州征伐以前は毛利を立てて重要扱いしてたが九州征伐以降は家来扱い その変化は別に毛利だけではなく
全国的に起きてるものだしなぁ まー時期的なのもあるが毛利の場合は九州征伐に取り掛かる段取りからゴタゴタあって九州攻めも期待してたのとは程遠い結果だったしな
結局は豊臣本体の派兵から毛利は使えない子扱いで格下げされたんだよ 関ヶ原の戦いが始まる前に三成を家康が匿うんだが実はこの時に三成が殺されていて影武者三成が家康の言う通り動いて関ヶ原の戦いを起こさせ天下を取る作戦を実行した
初めから仕込まれていたとか 三成は忠義の人
俺が小学校のときの漫画日本の歴史(旧版)ではイケメンやった 映画『関ケ原』は酷すぎた
「文化の進んだ韓国」というセリフで
あまりにも酷すぎるチョンゴリ押しで
とても観ていられなくなって
席を立って映画館を出ていったよ
こんなクダラン映画観るんじゃなかった >>75
逆やで
三成が乱を起こしたんやで
石田三成の挙兵ていうスレを見てみて