畳部分はそれなりに検証しても面白いと思った。

畳の記述は惟任退治記信長公記など乙夜之書物が書かれたとされる時期
その当時において知られているような軍記物に記述は無い。

祖父物語の畳を被せたとした記述部分
ttps://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920348

・祖父物語を乙夜之書物の作者が参考に出来るほど当時知られていたか
当時祖父物語が知られていないなら、
それ以前に出た軍記物にはない記載が全く別系統の記録にそれぞれあるってことになり、
その部分に限定すれば信憑性が出てくる。

・祖父物語だと、光秀が死体が見つからないと慌てた所、
利三が落ち着かせようと森が信長の死骸の上に畳を、なので利三がハッタリかました可能性
これだと話自体が嘘ということになる。
その場合だと、乙夜之書物の作者がどのように畳の記述を思いついたかだが、
利宗(か誰か)が利三の嘘を真に受けていただと、本能寺内の記述は当てにならなくても
それ以外の記述は本当に利宗とはいかなくても明智関係者から聞いた可能性が出てくる。

・あと一応可能性は更にないと思うが、
江戸時代初期辺りの軍記物や社会通念などで籠城や屋敷攻められて死ぬとき
畳を使う例があるようなら、祖父物語乙夜之書物ともに独自に畳の記述を考えたという偶然論もあるか。