元史料から創作した
そもそもこういう意見が出ると思って、成立時期の早いものから順に検証してるんです
もっとも成立が早いのは惟任退治記
次は信長公記でしょう
それぞれ違いがあります
世間に広がった範囲でいえばどっこいどっこいです
乙夜は江戸初期のあと、といった成立で、関屋はおそらく両書を読んでいる
パクって創作するなら、信長公記に記された「是非に及ばず」なんてキャッチーなセリフを使うでしょう?
乙夜の構造として、攻め込む側、攻め込まれた側が、それぞれ知り得る範囲のことが記されている
家中秘伝の軍学書であるから、誠実に聞いたところを記している
そう思えませんか?