「明智は天明前に三千の兵をもって同寺を完全に包囲してしまった。ところでこの事件は市(街)の人々の意表を
ついたことだったので、ほとんどの人には、それはたまたま起こったなんらかの騒動くらいにしか思われず、事実、
当初はそのように言い触らされていた。

我らの教会は、信長の場所からわずか一町を隔てただけのところにあったので、数名のキリシタンはこちらに来て、
折から早朝のミサの仕度をしていた司祭(カリオン)に、御殿の前で騒ぎが起こっているから、しばらく待つようにと言った。
そしてそのような場所であえて争うからには、重大な事件であるかもしれないと報じた。まもなく銃声が響き、
火が我らの修道院から望まれた。」【フロイス日本史】