「左馬助様(明智秀満)先手にて、信長様御宿本能寺へ取り懸けられ、門が開かないので、左馬助様より
仰せられたことは、"城之介様(信忠)が謀反により光秀がお味方に参り申した、早々に門を開かれるように"
と伝えると、御門番の衆は驚き、ひとまず門を開いたので、そのまま押し入り…」
【吉浦郷右衛門覚書 明智一族 三宅家の史料】※明智秀満の子、三宅重利の子孫による覚書(江戸中期成立)