【茶器】 戦国の茶の湯スレッド 【恩賞】 [無断転載禁止]©2ch.net
>>3
あの番組のプロデューサー岡田英吉は、曜変天目茶碗を心霊やUFOか何かと勘違いしてたんだろうな。
まさに茶番劇。 >ところが、利休が切腹したとされる翌年の文禄元年(1592年)、
>九州に滞在中の秀吉は、大坂城の母(大政所)へ宛て次のような書状を書いている。
>「……私は一段と元気です。昨日も利休の茶を飲んで、食事もすすみ、とても愉快で気分が良かったのです」
ここは利休流に茶を飲んだと解釈するのが今までの通説だったな >>2
身長6尺5寸(約197cm)/体重43貫(約161kg)の巨漢であった秀頼公はどうやって茶室に入るのか?w 上からクレーンで秀頼公を茶室に下ろしてから、屋根で蓋をする。 黄金茶室は簡易組み立て式だから簡単
秀頼公の居る場所が茶室になる 茶人が愛した名碗が奇跡の大集合
室町時代から近代に至る茶の湯の変遷を、茶道具の名品でたどる展覧会が、
東京国立博物館で開かれる。 見どころは、武将や茶人たちが愛した名碗の
数々。静嘉堂文庫美術館所蔵の「曜変天目(ようへんてんもく)(稲葉天目)」
や、豊臣秀次所持と伝わる「油滴天目(ゆてきてんもく)」、松平不昧所持の
「大井戸茶碗/喜左衛門井戸」、足利義政愛用の「青磁輪花茶碗(せいじりん
かちゃわん) 銘 馬蝗絆(ばこうはん)」など、国宝や重要文化財の逸品が
鑑賞できる。また、千利休の創意を反映した「赤樂茶碗 銘 無一物」や「黒
樂茶碗 銘 俊寛(しゅんかん)」など樂茶碗の名品もそろう。第一級の名碗
がここまで集まることはまれで、まさに千載一遇の機会となる。
●特別展「茶の湯」
<開催日>2017年4月11日〜6月4日 *会期中、展示替えあり
<開催場所>東京都台東区・東京国立博物館 平成館(山手線上野駅下車)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170408-00010001-wedge-cul GW期間は相当人が来そうだなぁ
通常の土日も混むかな? 有給取って行って来た
平日だから空いていた方だと思う
茶室以外撮影禁止だったから
1階の遮光器土偶とか撮ってから帰ってきた 細川忠興 「鮎の焼き方」に文句を言うグルメだった
茶人・千利休の高弟である戦国武将・細川忠興は、その教えを厳格に追求して
いた。そんな忠興を敬っていた嫡男・忠利は、父に直接手紙を送ることを遠慮
し、父の側近に送る「披露状」という手法をとっていた。江戸時代に入ってから
の父から息子宛ての手紙は1820通、父親宛ての手紙控えは1084通残り、貴重
な史料となっている。その中には息子が送り届けた食べ物に対する礼状も数多
く、「松茸は好物だ」と喜ぶ手紙がある一方、届いた焼き鮎に「焼き方がなって
いない。鮎はからりと焼き、水気を飛ばすのが正しい」と調理法に文句をつけ
る手紙もあり、忠興のグルメな一面がうかがい知れる。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170506-00000010-pseven-life 信長の茶会記、82年ぶりに発見 知られざる料理も記載
織田信長(1534〜82)が開いた茶会を記録した茶会記が新たに見つかった。
道具の取り合わせや料理の献立も記されていた。調査した古田織部美術館(京都市)
によると、信長の茶会記が確認されるのは1935年以来、82年ぶりという。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6242167 鎌倉末期室町中期にもともと闘茶や唐物数寄など人気があって
応仁の乱後地方に文化人が流れる訳でそれが都だけでなく全国的広がりを見せた面はある 薬味として始まった奈良平安
飲み方を模索した鎌倉
博打として流行した鎌倉末期〜室町中期
茶に道を求めた義政以降
庶民が飲めるようになった江戸中期 国宝の茶碗「曜変天目」 ぬいぐるみにしてみた 5800円で注文殺到
中国・南宋時代の茶碗で国宝の「曜変天目(ようへんてんもく)(稲葉天目)」を模したぬいぐるみが話題を
呼んでいる。東京・丸の内の静嘉堂文庫美術館のミュージアムショップで販売されているが、10月の発売直後から
注文が殺到し、現在は予約停止中だ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2fd3c1545920e36e74082e955de5ce15871927f3 REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担