戦国時代における騎馬武者の実像とは 2騎目 [無断転載禁止]©2ch.net
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戦国時代における騎馬武者はどういう存在だったのか、について語りましょう。
戦国時代における騎馬武者やいわゆる騎馬隊の実像とは?
騎馬武者の馬上槍や騎馬突撃は一般的な戦術だったのか?
そもそも軍中における騎馬武者の割合は?
前スレ
戦国時代における騎馬武者の実像とは
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1245948808/ >>827
そこにも突っ込むの?
まずここでいいからイエスかノーか答えて お前の頭の中にしかない天と地とだかノブヤボみたいな、という概念をこっちが共有できてるわけがねーだろ
ついでに言うとこれを認めたからとしてもお前の言う宣伝部隊、ってのは明確に否定するからな
お互いが伯仲して決定打に欠ける状況を形勢すら傾けるレベルの重要な行動だぞ、騎馬突撃は
それを宣伝部隊だなんだというのはクソほども騎馬突撃理解できてないし つまり万全の長槍隊にも武田の騎馬隊は通用したのか?
はよ答えて >>828
そこに突っ込むのじゃねーんだよ、お前があいまいな表現を使わなきゃいいだけの話
それとも何?わざとあいまいな表現を使って曲解したいの?
そう勘ぐられたくないならさっさとお前のその表現がどういう状況を指してるのか具体的に答えろ >>829
また逃げた
おまえ、加減せええよ
イエスかノーかだけなんよ
次はこれ以外いらんからな >>833
他人のレスせっつき倒して確認取りたいなら頻繁に更新くらいしろや はい、いただきました
ほんと長かった
武田最強の騎馬隊は万全の長槍隊には突撃しません
これを認めただけでも大前進だよ これで、やっと武田の長槍隊やら弓やら鉄砲や投石の運用と、いろいろな可能性が出てくる
じゃ武田の騎馬隊はなにが最強だったのか?
謙信はなんで強よかったのか?
いままで、これすら出来なかったw これが誤解でしたーってなっても残りの
騎馬突撃なんてやる盆地が殆どないとかいう主張、馬出に足りてないと主張しだした説明、信長公記や雑兵物語は読んだのか、なぜ軍役帖からの記述に一切触れないのか、馬持てるのは旗本クラスだけとかいう主張
これらは「万全な槍兵への正面突撃への否定」ではなく明確に騎馬突撃自体を否定してるからな、根拠不明なのも含めてちゃんと証明せぇよ ああ、それにプラスしてそもそも騎馬突撃で過密に密集する必要すらないのに
サーベルレベルの刃渡りの太刀ですら触れないレベルの騎馬突撃否定もやな お前のクソみたいな定期から始まって騎馬突撃の否定に対する主張が始まってるのに
まるで僕最初から騎馬突撃否定なんてしてませんよ〜って言い方しとるからな 肯定側が逐一史料という根拠を出してくるのに対し
否定側がまともな根拠を出せなくなってしまったという状況で
固まってしまったみたいですね >>787
間違いだらけの信長公記もちだすやつは信長公記持ってない確率高い
お前ももって無いんだろw >>787
すまないが長篠一月前に織田軍10万騎いたとか書いてある捏造公記は
信憑性無いからソースにはならないんだ 信長公記の首巻と末巻は捏造の確率が高いとされとるけど他は良質の史料とされとるのも知らんのか
ましてや史料的に価値が低かったとしても当時の常識から外れた記述はせんしな
弥次喜多はフィクションだけど当時の常識に沿った行動はとっとるわけでな
的外れなコメントを2週間近くたって返して恥の上塗りしにきはったんやね しかも散々時間あったのに指摘されてる否定側がまともな根拠も出せてないってのまるでクリアできてないし
2週間なにしとってんこいつ 数字が盛られてるから全部信用しないってんならほぼすべての史料が信用できるものじゃなくなる
当時の史料の兵数部分は軍役帖くらいじゃなきゃ一次史料だって自分の家の宣伝のため散々に盛るし、ほなそこに書かれてることは全部嘘かいなって判断になるかというとそうじゃない
良質の史料でも特に兵数部分は盛る事が多いからそこは差っ引いて考えるって、史学的には常識の話で
それをもって史料に記述されてることが一切信用できなくなると考えてるの、僕は史学研究の常識すら踏まえてないし
なんなら信長公記どころかほぼすべての史料に一度たりとも触れた事ないですって自己紹介してるようなもんやで >>845
墓穴ほったな
お前が持ってないのバレバレ
数字だけじゃなあいんだよ捏造公記は >>846
他人に墓穴だなんだと言うてる前に 出すもん出したら?
わかってないじゃんっていうだけなら小学生でも言えるよ?史学上の信長公記の扱いとしてそれなりに信頼性の高い史料であるのはまちがいないし
まぁ捏造だなんだと言い張るんだからさぞ史学での扱い揺るがすレベルの話持ってきてくれるんやろな
あっ、また前回みたいに言い逃げしないでね
前回もお前さんお前はまだ説明足りてないって馬出への説明を強要した挙句
じゃあ何が足りてないのか言ってみつったらへらへら笑うだけも何も出さなかったんだから ついでに求められてるのは当たり前だけど騎馬突撃がなかったとされる根拠もやからな
信長公記の記述が信用ないからすべての記述が捏造に違いないってのをたとえ証明できても、戦国期の史料で騎馬突撃に言及してるのうえで挙げられてるのも含めてまだわんさかあるからね
論点ずらそうと躍起になってはるけど、すればするほどお前の恥が増えるだけやで 正木大膳 〜度々馬上にて勝負を決す〜
「侍の頭を仕覧者は、馬より下りて鑓を合せ、高名する事、多くは有るまじ。
馬の上にて下知を致し、そのまま勝負をせんならば、片手綱を達者に覚えてこそ」
と、幼き時分申ごとく、度々馬上にて勝負を決す。
(『甲陽軍鑑』品第六)
何という事だ。
我々甲州武士と違い上方武士は馬から下りて戦う。
(武田流軍書)
家老の飯富兵部少輔はこう答えた。
「自分は小脇差で有利に戦ったという経験のある者は小脇差を好むし、
刀でしばしば勝負に勝った者は大刀を好むものだ。
馬上で細かい勝負をした者は小さい馬を好む。
大勢の敵中へ乗り込んで暴れ回るには大きい馬に限るという者もいる。
また道具には流行のようなものもあって尾州から上方五畿内ではだいたい小さい刀を使うが、
関東では大刀が多いと聞いている」
(甲陽軍鑑) 多賀谷家臣野口豊前守が戦功覚書で申告する騎乗戦闘
『野口豊前守戦功覚書写』
・一、あまかいと申所之東ニ而、小山衆と鑓御座候ニ、我等馬にて乗わけ申候、つれ合候衆飯塚六兵へ・高徳主計存申候事
・一、小山きりとをしと申所ニ而、ひさきと申物人衆引連打出候を、我等馬を入乗くつし申候、つれ合候衆山内大炊亮・
塚原ぬいの助そんし申候事、
・一、小山四日市と申所ニ而、我等初馬ニ入、てきおおしミたし候て、てきに荒巻弥左衛門と申物のさし物・てつほうととお取申候、
・一、うしゆく東輪寺と申候所ニて、糸加大くら鑓ニてつきおとされ、打たれ申候所ニ、我等わきより馬ヲ入、てきのやりヲけおとし申候て、
大くらたすけ申候、我等やりけおとし申物お、北夕ぬいの助と申物、打申候事、 なんで伸びてたスレが急に止まっちゃってるの?
史料への反論はどうなったの? 国産の馬はちっちゃくて戦闘には耐えられなかった、みたいに言って騎兵戦はなかった、とか言われてたけど、
先日やってたBSの実験番組かなんかだと、少なくとも国産の馬でも、1時間程度なら甲冑着た人乗せても、
全力疾走できる、とか言ってたな
番組の趣旨は、秀吉の美濃大がえしの方法を検証する話だったので、馬では無理って結論だったんだが 東アジアの馬としては標準サイズですからね
近藤好和「弓矢と刀剣」
かかるわが国在来馬の特質(特にその小型であること)は、一見、特異なことのように
思われる。しかしそれは、競馬のために品質改良されたサラブレッドなどと比較するからである。
現在のモンゴルの馬をみればわかるように、実はわが国在来馬の特質は、アジアの草原馬全体の
特質であり、その中にあってわが国の在来馬はむしろ標準といえよう。古代中国でも
軍馬の条件は一三○センチ以上であり、有名な秦始皇帝の兵馬俑は実物大だが、
その馬俑の平均体高は一三二センチなのである。 品種改良前の中世ヨーロッパの馬も同サイズだから西洋騎士も否定することになるしな スウェーデンの王立陸軍博物館に展示してある
グスタフ・アドルフ時代の騎兵がこちら
https://i.imgur.com/4yQoxz8.jpg 奥州藤原氏からの献上馬は150cm以上だったらしいけど本当なんかな? 南部馬もそれくらいあったから本当だろう
東北の馬は西日本の馬とは起源が違って、渤海経由で来たらしいのでサイズが違う。 >>853
全力疾走とは何か? 100m競走のような酸素負債による瞬間速度(すぐ酸素負債が限界に達する:1分も続かない)でなく マラソンのような持続的有酸素運動のことですな。
1時間程度なら〜全力疾走できる=1時間持つようにスピードを抑えれて騎乗すれば1時間持たすことができる…と言っているだけに過ぎない。
それに、乗り物として使うのであれば 小さい馬は非力だけど自重も軽いからパフォーマンス低下はそれ程でもない。
小さいポニーに大人が乗っても小さい割にはよく走るし、甲冑武者でも100kgくらいしかなくまだまだ馬のほうが重い。
突撃とかに使うのであれば 軽い=突撃力が弱い だけでなく 上が重くて下が軽いのでは安定性が良くない=少しの接触とかですぐ落馬/人馬転倒する という欠点が顕在化して 戦場までの乗り物としては使えても 乗って戦うは無理になってしまう
源平合戦とかの時代は騎射=接触を伴わない戦いが主力だったからまだ使えたが、戦国期になってくると益々ムリボ またこういうのが出てくるのか
ぶっちゃけ記述上でまさしく突撃かけてる記述がいくらでもあるのに馬や人の踏ん張りも考えないでいくらでも数字いじくれる場所だけいじくって無理っていうの
えせ科学どころじゃないぞ なんか科学っぽいことを言ってる風を装って、一切の根拠が提示できてない時点で論外 元亀年間生まれの柳生宗矩の伝書から
騎乗で使う槍は自分は槍をしっかり持ち馬を走らせる勢いで突くのが重要であるとしている
『新陰流外乃物百拾九ヶ条』馬上の事
・馬上にて、やりの持やう、おびにはさむやうすもあり。たづなをかけ候て、持やうもあり。
たづなをわいかけて持心持あり。色々あるべし。しかれども、この三つを用なり。
・馬上にてつく心持の事、てきのやり、馬のつらより三尺さきにて先をしかけ、うつといふ心持あり。
・のりかけてわがやりつよくもち、馬につかせる心持肝要也。 道歩いてて子供の小さい自転車が前から突っ込んでくるだけでもちょっと怯む時あるから馬のサイズが小さくても突進されたらちょっと怯むよねって思った 何頭もの馬の中から臆病ではない馬を選んで戦用の訓練をさせているわけだから
現代のそこら辺にいる馬で実験しても何の意味もないんだよね 在来馬の流鏑馬見ても人間から見れば相当な早さで走ってるし仮にごく短い時間しかそれができないにしても
徒歩武者からすればあれで迫ってこられるだけでも厳しいと思ったわ そもそもモンゴルやら西欧の騎馬は同じ騎馬を想定しての戦術なわけよ
これは日本の平安鎌倉初期でも同じこと
騎馬武者が長槍部隊に通用しないのなんて、少し考えれば分かるだろ
薙刀から槍に変化をみればわかることで
薙刀は主武器として弓が扱えない下級武士や雑兵等に広く使われた。平安末期の源平合戦には僧兵(武装僧侶)も好んで用いた。
この主武器が騎馬武者で弓なんだよね。下級武士は馬に乗らない上級武者を護衛する役目 馬が突っ込んでくるから長槍が必要になるという、実際に馬が突っ込んでくるという証拠を述べてる 日本で薙刀より槍が主流になった理由って、集団戦闘するようになったからなんだが。。。
薙刀の時代にも馬は突っ込んでくるし、馬が突っ込んでこなくても集団戦闘に槍は必要なので、
何の証拠にもなってない。 こいつの論やと長槍は対騎馬戦闘用ウエポンらしいから、それに対しての話やろ
まぁ上に人が挙げた腐るほどの史料あるんやから、そもそもそれの否定もできてないのに何寝言言ってるんやで終わるんやけども なるほど。
長槍は対騎馬以外に使ってはいけないという脳内ルールのある、脳内日本の歴史の話か。
じゃあそうなんだろうね。現実の日本の歴史には何の関係もない話だね。 >>867
西洋で日本の長槍より長い、パイク歩兵が成立した後も騎兵はなくならなかったし、
銃兵とパイクを組み合わせたテルシオを打倒する上でも、騎兵は必要という
結論が出て、歩兵・騎兵・砲兵の三兵種を組み合わせて運用する形態は
第1次世界大戦まで常識だったわけですが。 練度と士気が高くて損耗のないパイク兵によってはじめて止められるもんを
長槍兵がいるから騎馬突撃なんて起こらない、なんて言ってる時点で噴飯ものやしな 明の将軍である戚継光は蒙古騎兵と戦う時に日本刀や日本刀術を大いに活用している
http://jpn-imperial-mausolea.com/data/ronbun2.html
。隆慶五年(1571)に、彼のもう一部の軍事名著『練兵実紀』が出来た時、
その本から見えるが、長刀及び長刀法は、もう北方の蒙古人を防ぐ戚家軍の主な装備の一つになった。
この時戚継光の用心した計略で、まず、廃兵も長刀を配布されて、もっとも基本的な「隊」の建制に、
二人の鳥銃手が正、副隊長だったが、そのふたりが「やはり両手刀を短兵として習得させる」を要求された。
歩兵もそうだったが、鳥銃手であれば、「長倭刀一本を配る」そのほか、歩兵に長刀或は短刀を配った。
毎回演習する時、もし的が騎兵とすれば、長刀を持つ人が、「元の習った倭刀でやる」、下は馬の足を斬って、
上は馬の頭を斬る。もし敵が歩兵とすれば、「倭刀が二人で一列にして、振る道も多いし、素早くて、
上等である」。或は「刀で斬り継いで、挙げ下げは素早くて、人に隙間を開けて犯させないのが上等である」(75)。
日本刀を中国軍隊に吸収したことは、戚継光が他人の長所を習って自分で使うという貴重な考え方を表わした(76)。 鎌倉後期に描かれた「春日権現験記絵」だと騎馬武者が熊手をひっかけられて
刀を抜いて応戦しようとしていたり、脇に弓を挟んで抜刀して敵の騎馬武者に
斬りかかろうとしていたり騎馬武者対騎馬武者の戦いが何例も描かれているけど 多分の平家物語やら太平記すら読んだことないんちゃうかな
雑兵物語も読んでもいなかったみたいだし >>867
馬が方向転換しないと思い込んでる幼稚な発想だな。
槍を突いたり振り回すのには隙が大きいという事も理解できてない
更に初動が遅いという事すら分からない
戦闘に関する知識がまるで無い
これ以上恥を晒すな、下がれ 源平の頃に馬を射るという戦法は既に日本にあった
馬を射るのは卑怯でもなんでもないんだよなあ 船の水夫を射るのは義経以前は卑怯だったらしいね
毎回毎回水夫を射てたら、水夫のなり手がいなくなるからね >>881
どこにもその史料的根拠はないんだけど
平家物語にしても形勢が決まった段階で源氏の武士たちが
平家方の船に接近して射殺したり乗り込んで切り殺すという場面があるだけ
そして語り手にも作中人物にもそれが卑怯という認識もなければ義経の指示という記述もない
平家物語なんて現代語訳もあって読むハードル低いんだから一度自分で本文確認してみなよ
ちなみに盛衰記含む平家物語諸本以外には源氏方が水夫を殺す記述がある史料はない >>882
平家物語も盛衰記も後世の作品だから
後世の価値観で「水夫を殺すのは当たり前で卑怯じゃない」という思想でも不思議ないけど >>883
義経と同時代の史料を見ても水夫殺し関連の記述がそもそも書かれてもいないんだから
どのみち義経の時代は卑怯だったなんて話の裏付けがない
更に唯一の記述があるのが平家諸本でそれにすら卑怯だったなんて認識もないって話
変な先入観をもって勝手なイメージで推測をするより物証で判断しようよ これに限ったことじゃないけど説だけを生半可に知って実際の史料を確認せず
頭の中だけで勝手にあれこれ考えるのが一番ダメ 大体、海戦で遠矢を射る時に、水夫(かこ)を避けて、武者だけを射れるわけがない 上杉・武田・後北条氏の兵種構成
◇上杉氏(天正3年・1575年の軍役帳)
馬上兵 10%
槍歩兵 65%
鉄砲歩兵 6%
手明 12%
大小旗 7%
◇武田氏(永禄4年・1561年、天正6年・1578年の着到状の集計)
馬上兵 12%
槍歩兵 58%
鉄砲歩兵 7%
弓歩兵 10%
手明 7%
大小旗 6%
◇後北条氏(天正5年・1577年の一門である岩付衆の軍役)
馬上兵 32.0%
槍歩兵 38.5%
鉄砲歩兵 2.6%
弓歩兵 3.2%
手明 16.0%
大小旗 7.7% 後北条のだけ此度限りの特殊編成と書かれた岩付衆の編成書をのせるのはどうかと思う
武田のように集計の平均にしたらいいのに 戦国時代の馬って10分程度しか走り続けられない
そらそうで、競馬と違い、戦国の馬は鎧合わせて70〜100kgの武者を乗せないといけない
つまり10分程度走ったら使い物にならい
あと、スピードもかなり遅かった。
武田の馬は主に物資の輸送手段に使われていたんじゃないかな
小さな遅い馬が突っ込んで来たら、逆にいい的になって狙い撃ちにされるかな
馬の役割は重い鎧を装備した武将が移動で疲れないための移動手段だったと思われる
騎馬を駆使して戦うっていうのは、現実的じゃないかな 10分も走ったら敵陣通り越して彼方まで行っちまうわな 少しは前の書き込み読み返すぐらいの脳みそつけてから書き込んだ方がいいよ、本当に
恥しかかかんよ 木曽馬に大鎧つけて走ってる動画がyoutubeに上がってるご時世で
それすら見ないでテキトーかまそうとするの、およそ情報弱者すぎるわ 片岡愛之助の解明!歴史捜査
2015年06月18日
21:00-22:00
戦国頂上決戦!長篠の合戦の真実! ※アンコール放送
木曽馬に92キロの鎧武者(人間62キロ+甲冑・武器30キロ)を乗せ100m走のタイムを計った。
結果は12秒。かなり速い。
木曽馬とアメリカ馬との混血は11秒後半。それほど変わらない。
それとは別にアメリカ馬よりも小回りが利くという実験結果も得られました。
また『雑兵物語』などを例に東西における戦い方の違いについても指摘。
関東武士は馬上戦をよくし、関西武士は馬から降りて戦うそうな。 上野のところは下野(延喜式)
平安時代の国別・馬の価格(束)
http://www.city.takizawa.iwate.jp/contents/sonshi/img/part7/834.jpg
産地 上 中 下
陸奥 600 500 300 青森、岩手ほか
常陸上野 500 400 350 茨城、群馬(栃木)
信濃出羽 500 400 300 長野、秋田、山形
甲斐相模 400 350 300 山梨、神奈川ほか
薩摩日向 400 300 200 鹿児島、宮崎
三河遠江 350 300 250 愛知、静岡ほか
伊勢美濃 350 300 200 三重、岐阜
尾張出雲 350 250 200 愛知、島根
伊賀近江 300 250 200 三重、滋賀ほか
石見紀伊 300 200 150 島根、和歌山ほか
畿内 250 200 150 京都、大阪、奈良ほか
東北
上馬→乗用馬500〜600束
下馬→駄馬300束
関東
上馬→乗用馬400〜500束
下馬→駄馬300〜350束
上方
上馬→乗用馬250束
下馬→駄馬150束
※木曽のお馬さんは中馬のご子孫 >>892
ソースyoutubeでマウント取るのがいて草 youtube以下の情報で他人様にデマ流そうとしてるやつがいたらそりゃあ
あなたの情報はyoutube以下ですよって教えてあげないとね というかあの書き方読んでソースがyoutubeだけだと思うの
多分物事を理解できるほど脳みそができてない なんも言えなくなって他人煽るしかできなくなる程度のオツムなんだから最初から何も言わなきゃいいのに
恥ずかしい人だなぁ このスレも終わりやなw
さすがにyoutube持ち出したらバカにされてもしゃーないわw
こいつのせいですべて台無し
なんJでこれやってみ、袋叩きだよw
丁度900だし次スレいらんね お、アホがアホを釣ったか
やっぱアホなこと言い出す人は人の言ってる事もろくに理解できないってのがよくわかる
youtubeですら見ないって話をyoutubeをソースにしてると思えるんだから 木曽馬の牧場の人たちがツイッターで最近鎧着て木曽馬に乗って疾走する動画上げてたぞ >>907
アラブ馬でも輸入できてない限り、現代の定義ではポニーだろ。
グスタフアドルフのスェーデン騎兵もチンギスハーンの蒙古騎兵も、中國の汗血馬も全部ポニー 組み打ちで馬上から転げ落ちるから
あんまり体高があると嫌われるんだよな そんなに個人が上げた動画を信じるなら
実際、ポニーに乗った騎馬武者が戦闘でどこまで実用的なのかの検証動画でももってこいよw
映画や大河ドラマで、小回りの効かない騎馬の突撃やチャンバラみても合理的ではない。
都合のは悪いのは無視なんだよ
刀が武士の命で象徴なのは江戸時代になってから
本来、日本の武士は騎射と弓にある
つまりこの二つの特技が日本の武士の象徴なんだよね
武士というのは騎射の腕を競うのと騎馬武者同士の戦いがメインだった
互いが騎馬武者同士という条件だから戦争が成り立つ。
これが鎌倉末期、南北時代になって赤松や楠木が槍を実戦に使いだしてから日本の戦争が変わってきた
槍がゲリラ戦で使用されて、楠木は槍で騎馬武者を落馬させたりして有効活用した
結果、楠木はこの戦い方で時代をリードして偉人になった
つまり室町時代から戦国時代は古い騎射を槍で否定して、武士の命であるが騎馬を捨てることが最先端だった
いつまでも騎射を否定できない武士は没落していく。槍相手に騎馬で挑んでも勝ち目がないわけw
そして応仁の乱になると槍がメインの武器になった
槍術が誕生したのが1500年頃になる。
上杉は槍が7割だった。そしてこの槍隊は槍が短く軽装で騎馬武者並み機動力を有していた
これが上杉の強さだったとか 散々持ってこられてる史料群無視して動画の話になったら舞い戻ってきてくさすとかどんだけ卑怯な性格してるんだ
上に出てる騎乗戦闘の証拠たる史料も読めないならコメントするなよ、恥ずかしいやつだなぁ 史料も見ても理解できない頭ならせめて動画程度でも見ろよって話なのに
それすらも理解できないんだったらほんとそもそも人間として最低限度の脳みそもないぞ 言われてることも理解できない脳みその人だったか、読解力もないのに他人に絡むなよ だからおまえがスーパーカブかポニーに乗って武器もってヤンキーに突撃する動画撮ってこいよw
そんなにポニーが最強ならおまえでも勝てるんじゃないのw
信用できる資料なら実戦してみせろよw さっきからここの話をしてるの
動画なんて持ち出すなら
本当にガチでやって勝てるのか?
おまえがポニーに乗ってヤンキーに突撃して勝った動画を
提供したら信じてあげるよww 散々あるって証拠上げられてるのにそれも見えないふりしてもっとバカなこと言い出したね
騎馬突撃があった側はすでに証拠まで上げてるんだけど、お前はその否定すらできてない 証明を行わなきゃいけないのはお前なんだよ
お前のそのバカな主張したいなら、上で散々張られている騎馬突撃および騎乗攻撃が行われた記述のある史料すべてを実証をもって否定してみなよ
まぁできないからほとぼり冷めたと思い込むまで逃げてたんだろうけど
恥の上塗りってって言葉だけでも覚えて行ってね恥知らずなうえに理解する脳みそもないから言ってもわからないだろうけどね アホな主張でスレ埋められてもあれだし時間の無駄だから
騎馬突撃がなかったって主張したいなら、上に挙げられてる史料すべてを否定できる根拠を
次のコメントまでに持ってきといてね
それもできなきゃお前の主張はキチガイの妄想で話切り上げるわ
うだうだ言ってりゃ煙に撒けると思われちゃたまらんわ だから突撃したら勝てるんだろ
早くポニーに乗って突撃してこいよw このスレで前に自分で馬出を持ち出して馬が出る場所って言ってマウントを取るアホがいた時点で
騎馬武者肯定派は基本アホなんよ その肝心の馬出の否定もできてなかった負け犬君おっすおっす
せっかく待ってあげると言ってるんだからあるなら有用な論拠でも持ってくればよかったのに、反射でコメントして自分の無能っぷり晒しただけだったね、
まぁそもそもないから他人煽るしかできないんだね 負け犬の遠吠えってやつだね 馬で突撃実際にやってこい
こんな事言う時点で言った側の負けだろ
よくこんな恥ずかしい事他人に言おうと思えたな
頭に血が上りすぎて言うべきでない事の見分けもつかないのか、それとも元から分別がないのか 結局、流鏑馬とかは実際に今でも伝統スポーツとして検証できるからわかる
戦国の騎馬とかファンタジーってことでしょう
いくら資料があるある言った所でその効果なんて実際やらんと分からん。
例えば三国時代の武将の一騎討ちも資料があった所でファンタジーなんだから
三段撃ちとかもね 実際にしなくてもわかるために史料ってものがあるんだよ
そして史料批判は必要だけど、三段撃ちのごとく他に記述がないものならともかく
これ多量にある史料に騎馬突撃はあるものとして書かれてる
甫庵の記述にしか出てきていない三段撃ちを比較に出してる時点で何一つ理解できてないよ、君
まず君は研究ってのがどう行われてるかから調べ、知らなさ過ぎ
あとポニーって馬の種類の意味も調べてきな この騎馬突撃がどんなもんか分からんからファンタジーってことなんだよ
だから武田の赤備えは騎馬の比重が高かった
役目は敗走する敵を追いかけ回して敵に武田の恐怖を宣伝する広告塔
騎馬隊って言っても、騎馬武者一人に槍の足軽兵数人と弓と荷物持ちがセットになって
このグループがチームになって一つの騎馬武者って話
実際に戦うのは主人に一緒にいる槍兵だってことよ
この辺を理解して分かってモノを言っているのかと
まさかこれを知らないで話しているのかね
知ってたら騎馬突撃万歳なんて話にはならんよねw レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。