戦国時代の中心は織田信長 [転載禁止]©2ch.net
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戦国時代の本読んでても半分は織田信長関連のことが書いてある。
戦国時代は織田信長を中心に回っている。 世界はウリが中心ニダーウェーハァッハァッハァッニダーウェーハァッハァッハァッウェーハァッハァッハァッウェーハァッハァッハァッ これだけの大規模な自演を、まことは展開しているのである。
恥を掻かすのは酷であろう。
まこという男は、親切な忠告に耳を貸さず、恥を掻かされたという
ことだけに思考が向くようであった。 武田信玄、上杉謙信、赤井直正、篠原長房、今川義元、小早川隆景、吉川元春、、
各地の名将と戦ってるからな。
最初の四人には勝ち逃げされてるけど。 >>11
最初の二人には逆立ちしても勝てなかったな。
赤井直正、篠原長房が出陣すると聞くと、信長は必ず退却したとも伝わる。
ある意味凄い能力だ。 つか朝倉義景にも毎回破れてるのが信長。
つまり負けまくり。 たしかに義景は信長にも配慮(てか親切?)して貰ってるよな
信家臣「義景を討ち捕りましょう」 信「そんな必要ないよ、助けてあげなよ」 ノブはカゲのこと、自分のモノにしたかったんだよね! 余談だが、
「まことって誰?」
と、検索すれば、引っ掛かる。
まことにすれば、正体がバレたくないため、言い訳する
場がほしいというわけである。 信長を王道バトル漫画の主役とすると、
謙信、信玄:その時点の主人公では勝てないが訳ありで死ぬ老齢の最強キャラ
氏康、元就:直接戦わないけど遠方の強敵
前田利家:兄貴肌の戦友
平手政秀:恩人
柴田勝家:昨日の敵は今日の友
帰蝶:刺客だが仲間に。ヒロインポジ
羽柴秀吉:ムードメーカー
徳川家康:後輩で同士
森蘭丸:男の娘
明智光秀:腹黒参謀、ラスボス
弥助:怪力担当の仲間
斉藤道三:人生の師匠
斉藤義龍:最初の敵
今川義元:序盤の大ボス
顕如:中盤最強のボス
鈴木重秀:顕如の片腕で信長の天敵
松永久秀:ギャグ担当の中ボス
浅井と朝倉:中盤のメインライバル
足利義昭:中盤の黒幕
武田勝頼:終盤の強敵
小早川隆景、吉川元春:ラスボス一歩手前の二大幹部
ルイス・フロイス:狂言回し 織田信光:数少ない味方の叔父
丹羽名秀:ボディガードの側近
羽柴秀吉:ムードメーカー (実は敵の忍者)
滝川一益:忍者の味方(実は敵の忍者)
明智光秀:腹黒参謀、ラスボス(実は忍者の雇主) 長宗我部元親:威勢だけは良いカマセ犬
島津義久:まだ見ぬイケメン強敵
細川幽斎:油断ならない怪しい爺
織田信忠:悲劇の好青年
織田信雄:憎めないバカ
山中鹿助:主人公達の奮闘虚しく死ぬ出オチ死亡フラグ
朝廷:無能を装いながら光秀や秀吉を懐柔し、意のままに世界を操る正体不明の帝王 番宣
亡き父から戦国奥義へし切り長谷部を伝授された尾張の青年信長は、志を同じくする仲間達と共に陰謀渦巻く日ノ本を救う旅に出る
そんな彼の前に各地で覇を唱える軍閥達、密教組織本願寺の魔の手、そして数々の愛憎や裏切りが待ち受ける
信長よ、その蒼き革命の剣で乱世を切り裂き世界を救え! 上洛上洛いうけども
応仁の乱で焼け野原だったんだろ? 京都は戦後も50年くらい焼け続けたのか。尋常じゃない炎だな。 戦国時代は毛利元就が頭角を表した頃から秀吉が、全国平定するまで90年以上掛かってるんだな。 細川政元 細川高国 三好長慶 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 戦国の戦いは、関東や東北でもやっているが、田舎の争いでどうでもいい話。
戦国時代の中心はやっぱり織田信長。 家康が配置されたからだろうな。家康250万石の大名、って百万石2つ分って、強力! 田舎の争いとは言うが戦術が発展していたのは九州や関東で、京周辺は腐敗した幕府とそれを食い潰しお家騒動ばかりしてる細川や赤松や三好が牛耳ってる場所
西や東の武士が攻めてきたらろくな戦争も出来んよ
その西や東の大名は互いに近隣の強豪と戦うからなかなか京に入って政治に介入する隙がない
義昭が斎藤を下した信長を京に呼んだのはちょうどその頃
この時、島津も大友も毛利も長宗我部も武田も上杉も北条もみんな四方に同レベルの敵がいて大軍で旅行する余裕はなかった
田舎の一言で軽んじるのは歴史への理解が足りない
勿論、信秀の頃は斎藤秀龍がいるので行けないし、現に勇猛な織田軍が秀龍に完敗している また島津過大評価キチガイ登場w
一次史料で全く証明できない軍記話を盲信してる無知。 ホント織田信長の記述って多いよなあ。
信長はどこにでも出てくる。 天下布武で上洛する位までが絶頂かな
畿内統一したあたりからは晩年の秀吉化してる 地味に桶狭間から稲葉山城攻略まで7年かかってるからな 桶狭間からカウントするとそうなるが
織田信清追放による尾張統一から4年で稲葉山陥落と考えるとむしろ凄い方だな 近江は浅井だったので美濃落としたら上洛阻むものないもんな
そこから畿内統一までは比較的スムーズ 畿内統一したあとには、
和泉国を除く畿内全域の領主に離反されて、一度どん底まで落ちた。
山城国(槇島城、淀城)・大和国(信貴山城)・河内国(高屋城)・和泉国・摂津国(伊丹城) 丹波辺りの土豪は名家のプライドが高いからなかなか臣従しなかったらしい
こういう難しい土地に明智光秀を充てて攻略した信長の人選が良かった
越中に柴田、中国に秀吉、関東に滝川も情勢や将の個性を掴んで置いてる そりゃオマイ,北条氏康でさえあれだけで大河作るのは難しいだろうに…。 >>41
光秀って元は浮浪者で、明智を自称しただけの偽土岐氏って感じがかなりするんだが、
この名家気取りが功を奏したか 妻木氏が嫁だから美濃の名家出身だろう。
しかも丸め込んだ相手が、足利将軍、織田信長、細川藤孝と早々たる顔ぶれ、
伊勢貞興まで配下にしている。
秀吉みたいな成り上がりと違い、明らかに幼少の頃からの素養が見て取れる。 明智光秀といい斎藤利三といい前半生の伝承が謎すぎる。 土岐氏に連なる名門じゃなかったのか光秀
幕臣で礼法に詳しいんだから只者では 光秀とか利三?道三?とか、あと天海、
この辺数代前にシナとか朝鮮から流れて来た人って感じがすごいするんだよね
素養云々も、あっちで貴族だった名残とかね
なんか違うんだよこの人たち本来の日本人と(よく言われる光秀の土岐再興だって、実際再興に努力したのは織田家でしょ?) 道三、天海は僧侶系の教養だろ。光秀とか利三は奉公衆だから幕府系。 特に外人さん疑惑濃厚なのが光秀と天海
光秀は子孫がシナを守りたくて謀反しましたって言ってるし、名門土岐氏出身と言いながら土岐氏の系図に名前無いし、
光秀が土岐を支援した形跡もなし、背乗りな自分を思い出した時だけ「トキは今」とかいって土岐氏アピール。
天海も墓壊して死人を陵辱、こういうのシナ朝鮮は好きみたいだけど、日本人はやらんでしょ。 >>49
光秀と天海、白人説か。斬新だな。
岐阜県可児市や福島県会津市出身と言われているけど、
両市とも白人系からひそかに大人気だしな。 光秀が相当な遣り手だったのは確か
残虐とか合理主義の塊とか決めつけられる信長だけど、実際には延暦寺の焼き討ちは小規模な報復を誇張された可能性がかなり高いし、光秀に対するDVや母見殺しや所領没収等も後年に書かれた明智軍記や太閤記の中傷
戦争以外で仏教を弾圧もしてない
降伏した城は参加にして、所領もほぼそのまま渡してる
光秀に対しては自ら救援に動き、重臣より先に坂本城を与えたりと手柄を称賛してる
信長は悪魔みたいな男ではなく情けがあって理知的な武士らしい大名だし、それを巧みに欺いたり丹波を1人で制圧してみせる明智の知謀も凄い
これに息子達や羽柴や柴田や丹羽がいるんだから信長が死んだら織田家が纏まるはずはないね >(光秀は信長を)巧みに欺いたから凄い
52はそういう価値観なんだろうけど、このへんは各人好み分かれそうだな、正直者が好きな人も多いだろ
ちなみに信長は正直が好きだったらしい、それを語る遺品?も残ってるらしい
この真っ正直が災いしたのか、本気で光秀に欺かれたなw
例えば本当は偽明智なんだけど、本物の明智と信じ込まされ身内だと勘違いさせられた、とかね あんな小さな国から近畿を手中に納めて天下までもう少し所までいったなんてかっこよすぎるだろ >>53
軍記によくある根も葉もない有名な話だよ
料理が腐ってると言って殴った、酒宴の席で殴った、蘭丸に扇子で頭を思い切り叩かせた等
こういうのは一次資料には見当たらない、むしろ真逆で外様の明智を誉めてる物しかない
本能寺の謀叛ありきに逆算してそれらしく脚色した話
実際明智軍記は江戸中期に大衆向けに発売された娯楽本だったというし
まぁ編集に一族が関わってはいると思うけど
太閤記も織田や光秀に対しての記述は豊臣に都合良く脚色してる >>53
>光秀に対するDV
ちゃんと詳しくお願いします。
信長と光秀のDVwww
DV=ドメスティック・バイオレンス(英: domestic violence)とは、
同居関係にある配偶者や内縁関係の間で起こる【家庭内暴力】のことである。
近年ではDVの概念は婚姻の有無を問わず、【元夫婦】や【恋人】など近親者間に
起こる暴力全般を指す場合もある。 織田時代は実質的に織田の下で働いてた羽柴筑前乃神が仕切ってたし、
もちろん織田死亡後は羽柴筑前乃神が主導したのだから
結局戦国は羽柴筑前乃神中心に回ってたんじゃないの? 秀吉、家康と違ってかっこいいイメージあるからな信長は 織田信長は戦国時代というか日本の歴史上最大の英雄だからな 信長自体は三好とかと大して変わらないが、秀吉が天下をとったから信長も付属品的に格上げされた。 日本史の中心。
では、信長が上洛した1568年を信公暦0年としましょう。
源平合戦、 信公紀元前388年
承久の乱、 信公紀元前347年
建武の新政、信公紀元前235年
応仁の乱、 信公紀元前101年
信長公上洛 信公暦0年
関が原の合戦 信公暦32年
明治維新、 信公暦300年 恋人に暴力ふるって最後には2人とも死ぬ
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戦国時代は信長、秀吉、家康以外が試験に出ることもまずないからね 戦国時代の始まりは天正元年(1573年)から。それまでは室町時代。 九年もの長きに渡った織田信長の乱(1573年〜1582年)
織田信長は尾張美濃の領主であったが、元亀4年(1573年)4月、主君足利義昭を裏切って、京の町を焼き払い、
幕府領を横領、堺の自治権を奪い、有職故実を軽んじ、民衆から巻上げた金で、宗教弾圧、近隣諸国への侵略と
その領民の虐殺、さらに、中国四国甲信越への遠征をたびたび行い、各地で反乱が起きた。さらに、重臣の軍閥化を
防げず、天正10年(1582年)に丹波の軍閥を率いる旧幕臣の明智光秀に討たれて横死した。また、織田一族の男子は
軍閥同士の争いに巻き込まれ次々に殺され、女子は播磨、越前、三河の各軍閥に分配などされ、織田一族は没落した。
一方の足利義昭は、天正16年(1588年)1月13日、将軍職を辞し室町幕府は滅亡した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています