本能寺の変の黒幕は朝廷だった!Part2
朝廷黒幕論から撤退した人たちを語るスレにした方が良いのでは? いまは吉田兼見・勧修寺晴豊・近衛前久・覚恕スレで続けてる話題だろ。 藤本正行大先生は光秀の単独犯説なんだから、黙って従え 光秀は、信長・信忠を討った後、6月7日誠仁親王からの勅使で京都の治安維持を任されている。その後朝廷に参内し、金品銀子五百枚を贈っている。
山崎の戦いの後、神戸信孝が近衛前久に対し追討令を出して執拗に行方を捜したこと。
吉田兼見が事情の聴取を受けていること、更に当時の一級史料である『兼見卿記』(兼見の日記)の原本内容が本能寺の変の前後1か月について欠けており、
天正10年の項目は新たに書き直しされ、正本と別本の二種類が伝存する。
2007年になって1992年に『兼見卿記』を基にした『信長謀殺の謎』を上梓している桐野作人が、インタビューの中で、
ある研究者に『これは一種の陰謀史観だよ』と言われたことや、「そのころは古文書のくずし字がほとんど読めなかった」ことを告白し、自説を批判している。
勧修寺晴豊の「天正十年夏記」には斎藤利三の処刑の日に「六月十七日 天晴。早天ニ済藤蔵助ト申者明智者也。武者なる者也。かれなと信長打談合衆也。いけとられ車にて京中わたり申候。」
という記述があり、これを「利三(ひいては光秀)と朝廷側の人間が『信長ヲ打ツ』謀議(談合)を持っていた」と解釈する説もある。
「三職推任問題」は本能寺の変の直前の出来事であり、信長の京への立ち寄りはこの返答のためと仮定すると、返答を阻止するのにちょうど良いタイミングである。 >>11
斉藤と元親は縁戚関係にあった
元親はにわかに野心が見えて信長に警戒されてたから斉藤が明智をけしかけて助け舟を出した 明智の単独行動だろう。
朝廷がバックにいれば細川家とか近畿の有力大名たちは明智に味方したはず。 >>14
足がつかないようにしたと言いながら、光秀には言えて、細川他に言えなかった
理由は何なのか?
朝廷黒幕論というのは、こういうご都合主義的解釈の集大成だw
次々論者が退散するのも無理はない。 信長「このキンカン頭!ちょうちゃくしてやる!」
家康「堺で殺されそうな気がするんだけど助けてよ」
佐久間「次は貴方の番かもよ?」
義昭「あー、誰か信長ぶっ殺してくれないかなー」
朝廷「ホントにねー」
長宗我部「助けてください」
利三「助けてやってください」
秀満「ひょっとして、今天下取る大チャンスなんじゃないですかね」
もしいっぺんにこんな事言われてたら そもそも秀吉や柴田も光秀とグルだろ。
だから本能寺の変の翌日にはいつでも戦闘停止できる状態に戦況を調整していた。
信長が信忠に政権譲渡を見据えており、
信長なら制御出来るが信忠には制御出来るとは思えないので佐久間や林みたいに切り捨てられる信長直轄家臣団。
グルでなかったのは信忠配下の諸将。 信長と朝廷・帝の間に確執や暗闘が無かったとする「融和説」を唱えてる連中は、はっきり言って無能。
無能な連中の根拠は「史料」に記載が無いという馬鹿馬鹿しい理由だけ。
こんな愚劣な理屈が通用するのなら、信長死後の秀吉や秀吉死後の家康には、天下への野心が無かったという解釈になる。
何にろ、彼等の野心は史料には載ってないからな。
だが、両者共に天下への野心満々だったのは、小学生でも知っている。
客観的事跡から心理を読み取る洞察力が無い白痴は、歴史を語る資格が無い。 信長公記マンセー歴史家が朝廷謀略説を必死に否定してるだけ。
あいつら公記信者の判断基準は、
常に信長擁護する目的というバイアスを通すから、
評価する価値がまるで無い。
あれは信長学を推進する岐阜とか研究資金出してるところに偏った判断の根源があるな。 光秀が勝者でありさえすれば怨恨からの謀反なのか野暮からの謀反なのかどちらでもないのか分かるのにね
本当残念 信長の帝への譲位要求第一弾は、将軍義昭追放間もない天正元年十二月。
これは義昭の代替を操りやすい新帝に求めた訳だ。
老練な正親町では、信長の操り人形にはならんからな。
帝はあくまで義昭の代わりなのだから、信長が義昭にやった所業を鑑みれば、信長の天皇観は透けて見える。
信長は幕末の勤皇の志士の様な単純な小物ではない。 >>19
そもそも「天下への野心」なんて、信長の野望をやりすぎたにわかの典型的発想じゃんw
本当に天下への野心があるなら秀吉は光秀と同じようにすればいいし、
家康も秀吉に反旗を翻して天下を分捕りに行けばよかった。
双方が双方とも、織田中核の突然死、豊臣中核者の不在という幸運に乗っかっただけ
大体織田政権では原田佐久間林、豊臣政権では大友佐々秀次のように
ちょっとした不始末で改易切腹になるようなご時世で
組織が未熟で機能停止した家にいたらいつ自分が争いに巻き込まれて死ぬかもしれん。
結局秀吉も家康も家や身内のためにそういう状況になっただけで「天下取り」なんて結果でしかない
最初から何もないところで「俺は天下を取る」なんて考えてたのは信長だけ ぜんぶ三成が悪いとする方向で、
むやみに疑い摘発虐殺で社会不安にならんように、
全て光秀が悪いにしてあとは不問にした方が疑心暗鬼の殺し合いになるよりよいだろ。
朝廷とか、織田家を排除した清洲会議出席者とか摘発できんどころか、
証拠出せや!とか秀吉死後の家康みたいに逆ギレしたらシャレにならん。
有耶無耶にして和するのは争い回避で大量虐殺を回避する日本人の知恵だろ。
これが中国王朝なら普段の政敵に対して証拠や証言をでっち上げられ、
数万人殺されるからな。 信長と義昭は敵対していたのだから、その後の信長と正親町も敵対していたと考えるのは妥当だろうに。
信長の権威利用の基本方針は、尾張時代から首尾一貫していて、何も変わってないのだからな。
実際、信長の晩年になると、正親町は守勢一方。
巡察師ヴァリニャーノが帰国する際、信長は正親町が見たいと所望していた安土城屏風を、ヴァリニャーノに寄贈する非礼までやってる。
つまり、信長は帝を外国人の巡察師より格下扱いした訳だ。
正親町が怒髪天を衝いたのは間違いない。
加えて再三の譲位要求、誠仁取り込みと五宮猶子で圧力を加え、
決定的だったのは、朝廷が最大限譲歩した三職推任の黙殺。
これで信長は帝の下風に立つ意志はないと暗に示した訳だ。
これでも信長と朝廷との関係は良好円満だったと史観する連中の愚かさは、ある意味無形文化財に値する。
信長は足利義満の悪夢の再来だったのだから、朝廷としては捨て置けんのは、普通に考えて理解できる話。 平清盛や足利義満よりも信長の方が明らかにタチが悪いからな。
いつ暴挙に出るかわからんから、
ヤバイ信長の関心を買うような態度だったのが朝廷。
信長公記信者はこれを信長と朝廷の仲の良さと飛躍解釈して、
英雄信長像を押し付けてくるから気持ち悪い。
朝廷だって日本人大虐殺しまくり、
一国亡国政策を遂行していくキチガイを歓迎するわけが無い。 身内からですら反逆者がいくらでも出た戦国時代に、異なる大名間や、
まして異質な戦国大名と朝廷との間など、疑心暗鬼や恐れなどの要素が
なかったら不思議なことだ。朝廷内でも当然さまざまな評価があったはず。
どちらの要素も見つけることはできる。
しかし、そこから朝廷が黒幕だと飛躍するのが、朝廷黒幕論のどうしようもない愚かさ。
光秀が、なぜ、朝廷の利害などで、家の存否をかけて立ち上がるのか。
そうでなく、明智家にとっても、この謀反が利益であり、そのため、積極的にやったというなら、
そもそも、黒幕なしでも、謀反が成立したことになる。
あの時点で、光秀しか信長を倒す軍事力、実際の力をもっていなかった。
黒幕が、明智家の利益は別にして、「支配力」をもって明智家のその力を動かしたのか――そうであれば、
たしかに黒幕だ。
そうでなく、もともと、明智家が自分の利害からその力を使ったのか――そうであれば
黒幕説などお笑いだ。
こんな論理だと、利休が促して謀反をさせたので利休が黒幕だ、
などと、途方もない「説」まで出てくる。
こんなことはなかったと思うが、かりに、だれかの「入れ知恵」で、光秀が謀反を起こしたとしても、
それは「ヒント」にすぎない。
そんなものを黒幕というなら、それは、売文家の飯のタネ以上ではない。
実際、黒幕論はこんなものだ。
朝廷黒幕論から次々撤退して行った現実を、まだ見ることのできない者がいるとは。 光秀はたしかに信長を殺せるチャンスはあったが、
その後に織田家臣団達に勝てる見込みなんて無かったはずで、
勝算もなく光秀は信長を打倒した。
ではなぜ勝算が無いのに信長を殺したのか?
それは滅亡する事実を上回る精神的権威による救済があると信じた意外にあり得ない。
これは当然、勤王だった光秀にはあり得る話だ。
いや、勝算があったと言えるなら、
それは織田家臣団もグルだったということだ。
清洲会議メンバーが織田家を除いて会議したのも、
信長暗殺のグル達による事後処理会議だと考えられる。 . ,、r‐''''''''''''''''ー 、
,r' `' 、
/ ヽ
. / , ヽ
,,' ; ,、、,_ ニニ ,、」、 俺は嫌な思いしてないから
l. :;;;i ´ .._`ー ‐''"....| それに織田豊臣徳川らが糞味噌に叩かれようが俺の知った事ではないわ
l:,;'"`'、, ‐=・-; -・=‐ ;〈 だって全員俺が嫌いな連中だし
. ';i l :::i;;,, ::' ` ̄,:  ̄´ .:゙, 大袈裟に言おうがそいつらが無能でもなんとも思わん
l;゙、',.::l;;;i ゚人,,__,,人:.. l, それは俺の頭の中では信玄公こそ戦国最強の存在だから
l;;;;`‐;;;;;ヽ , __ij..__ 、: l;;;,, つまり日本人なら武田信玄公を崇めるべき
. ,、rイ;;;;;;;;;;;;;;;;;;;;ゝ `Zエlフ'´ , !;;;;:'
'.:.:.l ll ;;;;;;;;;;;;;;;;;' ,rニン" ` ̄´´ `ノ;;;;;`-、
:.:.:.| l.l '';;;;;;;;;;;;;;' ,イ l''' l `
:.:.:.:| ','、 ''''''''' , ‐---,ェr'".l.| | |
:.:.:.:| ゙、゙、 `''''''''"",ノ l l .| | 菅沼 遼太 光秀が個人的に信長を討つ動機が無く、
加えて、光秀単独では、信長の個人的スケジュールは把握できないので、
黒幕無しでは謀反は成立しない。
あの時点で、光秀しか信長を倒す軍事力が無かったからこそ、黒幕の切り崩し工作を受けて篭絡された訳だ。
その期間が、光秀の「空白の十日間」。
あの足利義昭でさえ、武田・浅井・朝倉etc.を使い、反信長包囲網を構築できたのだから、
帝が信長を討つよう、盛んに圧力を加えれば、光秀は堕ちる。
光秀が信長と帝のどちらを選ぶのか、古典的教養に秀で、古き権威を尊崇していた光秀が帝に寝返るのは、別に不思議ではない。
信長と極めて友好な同盟関係にあった浅井長政でさえ、義昭に扇動されて信長に反旗を翻した前例もあるので、別段驚くに値しない。
光秀を説得する材料は、信長を討った後、朝廷が全面的に支援すると空約束し、
各地に遠征している織田の方面軍は、信長の死で立ち枯れになるという楽観論を吹き込めばいいだけ。
事実、滝川はそうなり、秀吉も紙一重でそうなる筈だった。
よって光秀は信長を討った後の政局は楽観してしたに違いなく、
光秀はバカでは無いので、己が滅亡必至の選択肢は、たとえ帝の要請でも受け入れはしない。
勝算もなく光秀は信長を打倒したなんて、結果を知ってる後世の愚か者の単なる妄想。
他人が朝廷黒幕説から撤退した表層的事実だけを挙げ、その動きに脳死で付和雷同してしまう定見の無い空脳君は哀れとしか、言いようがない。 >>30
かつて、反駁されつくしてボロボロというには、まだ穏やかな、小学生的知力も欠いた
光秀が信長のスケジュールをつかめていない、論が、あきれたことに、また出てきた。
この後の行を読む必要は完全にゼロだ。 義昭は打倒信長の駒を織田家の外部に求めたが、正親町は逆に織田家の内部に求めただけの話。
信長晩年の織田家はあまりに肥大化しすぎて、とてもじゃないが外部は当てにならない。
光秀は帝の権威には、流石に抗しきれず。 朝廷の威光か。。。そんなのが当時からあったのかい???戦国の世は実力主義だろ。そんなに大きな権威があったら、
世の中騒乱にはならないわな。でも信長も天皇に縋って、一時期は朝倉・浅井・本願寺と講和したこともあったけ。
あっ、信長が副将軍にならなかったのは、将軍の権威よりも朝廷の権威にすがろうとしたのかな。でも信長が副将軍
になれば、足利幕府を傀儡政権にして、自分が主導権をとれたのではないのかな。あっ、足利幕府に頼らなくても、
相応の主導権がとれたな。でも足利幕府を傀儡にした方が、主導権は容易にとれただろうな。朝倉・浅井を敵に回さ
なくても済んだんじゃないかな。うーむ、なぜ信長が副将軍にならなかったのかが分かりづらい。たぶん14代将軍を
傀儡にした人がいて、同じような立場になりたくはないと思っただけかな。。。。 「朝廷の威光=朝倉・浅井・本願寺と講和」
自分で書き込んでスルーする低能。 信長のスケジュールなんか織田家の偉いさんなら誰でも知ってるだろ。お忍びでコソコソ来たわけじゃあるまいし。 >>37
とうとう、こんなのまで出てきたw
信長の死を知って秀吉が泣き崩れたとか、こんなこと、いまだに信じてるのがいると思うと(笑)。
しかし、それが本能寺の変分析の中に出てくるのだから怖い。 このおっさんは過去に暴力事件起こしたりしてたやつ? 動機がある(ということが想定できる)から
黒幕は××に違いない。
黒幕説は全部がこのパターン。
本能寺の変の場合
信長が死んだことで
多少なりとも得をするのはいくらでもいるから
黒幕が十も二十もいることになる。
坂本龍馬暗殺にアホみたいな数の黒幕がいるのもこれと同じ。
動機なんか後づけでいいんだよ。
光秀の謀反にはっきり関与した形跡があるなら
そいつはクロ。
関与した形跡が見つからないなら
いくら動機があったってシロ。
動機があるから
黒幕は××に違いない。
黒幕説は全部がこのパターン。
本能寺の変の場合
信長が死んだことで
多少なりとも得をするのはいくらでもいるから
黒幕が十も二十もいることになる。
坂本龍馬暗殺にアホみたいな数の黒幕がいるのもこれと同じ。
動機なんか後づけでいいんだよ。
光秀の謀反にはっきり関与した形跡があるなら
そいつはクロ。
関与した形跡が見つからないなら
いくら動機があったってシロ。 出版社は
正しい研究成果を出版するんじゃないよ。
読者に売れる説を出版するの。
本能寺の変の真相みたいな本が飽きられもしないで出版されるのは
それが理由。
読者が買ってくれそうもないものは、
いくらちゃんとした検証でも出版してもらえないのだよ。
言葉を変えると読者のニーズが全て。 「大坂の陣で豊臣家が幕府軍に勝利する方法スレ」から抜粋
アンチ信長キチガイたちの主張
・信長以外の武将が尾張にいたら、尾張で今川を迎撃するどころか自力で自分から攻撃して三河を攻略してるだろ。
・織田信長の支配基盤は、今川義元より遥かに強固
・織田信長の動員兵力は17000、今川義元は21000程度
・信長は尾張や三河の水野分や身のの大垣城分もあるので初期段階で75万石
・信長は義龍によって尾張の半分を奪われてしまった
・超デタラメな桶狭間の戦いって捏造軍記
・桶狭間合戦前の織田家は博多を押さえさらに中国との貿易をしていた大内ですらカスレベル >>29
その画像は畠山だろうが
未だに信玄と思ってるのかw 安倍ちゃんが暗殺されたとしたら
俺も黒幕にされるな。
動機十分にある。
消費税上げただけでぬっころしてやりてえ。 誰にも分からないから「黒幕」なのだろ
じゃ〜推測しても空論じゃん 本能寺の変の黒幕は、絶対に足利義昭だと思う。それじゃあ、なぜ黒幕の義昭が
秀吉に殺されなかったのかと言うと、大金を渡して命乞いをしたからです。
秀吉が支配してる間、義昭はずっと徳川家康に金と兵を渡し続け、「いつか秀吉を倒してくれ」
と言って、秀吉が寿命で死んだ後に、関が原の戦いで、とうとう秀吉軍である石田光成が処刑され
秀吉の時代が終わり、徳川幕府になった。これは俺の考えだけど、安土・桃山時代なんていらないと思う。
室町時代で足利義昭が支配したままでいいと思う。だってどっちが江戸時代の前の日本を支配してようと、
後から生まれてくる俺らには関係ないじゃん。 鞆幕府の存在を認めるとしても義昭は支配者ではないだろ 黒幕説とか遺恨説を題材にした本は昭和の時代に大量にあった。
戦国時代には電話もないのだから、噂はすぐに広まる。誰かが黒幕ならばすぐにバレるはず。
現代では明智光秀の単独犯行説が有力だといわれている。
ちなみに事件に荷担した兵士達は、直前まで信長を討つなど知らされていなかった。 >> ちなみに事件に荷担した兵士達は、直前まで信長を討つなど知らされていなかった。
基本的に隠密行動なんてそんなもんだろ
いかに兵のやる気を損なったり逃亡したりしないように戦わせるのが
古今東西、戦の難問なんだから
孫子の兵法読んでもめっちゃその辺のことに腐心してることが分かる 丹波亀山から京に向けての出陣
不審に思う人間も中には多かっただろう
在京(実際は堺に居たけど)の徳川家康を討つという名目であったとしても警護こそあれ軍団を率いていない状況の家康を闇討ちするために1万以上の兵を動員するのもおかしな事だし 今では光秀の単独ってのは確実だと言われているね
それならば光秀が信長を殺した理由を明確にするだけ
×ノブがいじめた → 江戸時代に作られた嘘 恨みを持ってそうな奴に大軍預けて近くの寺で爆睡はありえない
恨みつらみ以外といえば
〇天下の趨勢が定まりそうな時にのっとりたかった
〇天皇を廃位し信長がかこっている皇太子に皇位を継がせようなどという信長の野心が許せなかった
のどちらかしかないと思うのだが。 朝廷首謀説を否定してんのって、
信長公記マンセー研究者達に汚染されたバカばっかりなんだよな。
公記の記述を根拠に、信長と朝廷は円満だったと主張して、
信長英雄像を吹聴してる低脳。 天皇には権威しかない みたいな戦後史観者が多い
しかし、天皇は日本の総本家であり宗教のトップ権威
今でもイタリアの大物政治家が、
ローマ法王に退位を迫り、自分がかこっている僧侶に継がせるよう圧力かける
法王庁を自分の傀儡にするよう画策し実行中
なんて事したら殺害されても不思議ではない
例えばこれが創価学会でも同じような事があるだろう。 細川忠興は羽柴名字は喜々として名乗ってたくせに、松平名字は拒否したんだよな。
天皇から新たにもらった豊臣姓は容認できるけど、
松平の「ニセ源氏」は、正真正銘の源氏名門の末裔である忠興には、容認できなかったんでしょう。
少し考えてみれば、想像はつく。 源平藤橘豊臣の五氏の方がいいに決まってる。
松平とか心底いらねぇw 黒幕は服部半蔵
伊賀者は傭兵集団であることはいうまでもない
家康の父と祖父、今川義元、そして武田信玄の死は、ぜ〜んぶ織田に雇われた伊賀者の仕業
信長は畿内をそれなりに抑えたところで用無しになった恐ろしい伊賀者たちを始末したのさ
そう伊賀攻めよ
そして伊賀攻めの生き残りが服部半蔵
明智・家康を誑かして織田に復習したのさ
一次資料?
そんなもんはにゃーずら
忍びが残すかよ 安国寺恵瓊も怪しい
秀吉の天下は結果論であって、あの時点で窮地を脱するのは毛利だし
豊臣政権下での毛利の処遇や
中国大返しは安国寺と官兵衛の密約も考えられる >>17
>もしいっぺんにこんな事言われてたら
こんな内容で小説(『真相黒幕本能寺』)を書いたことがある(笑) 明智は山崎の戦いで敗れ死んだことにして南光坊天海になったのはまず正しいと思う
南光坊天海は誰の元で余生を生きたか
そこから導き出せば本能寺の変の黒幕はだいたいわかること 光秀=天海説
・まず天海が歴史の表舞台に出てくるのが、光秀の死後になってからである。
・天海は、自分の弟子に自分の出自や生年についてをまったく語らなかったと言われている。
・天海は、明智光秀の領地であった滋賀県近江・坂本(光秀の妻や仲間の墓が坂本にある)の復興に尽力した。
・比叡山の松禅院に『奉寄進 願主光秀 慶長二十年二月十七日』と刻まれた石灯籠がある。
この年まで光秀は生きていたことになる。
・天海につけられた、死後につけられる名前の諡号(しごう)は慈眼大師だが、
京都慈眼寺には光秀の木像と光秀の位牌が祀られている。
すなわち、天海の諡号が天海は光秀であったことを示している。
・秩父神社や日光東照宮に(土岐)明智家の家紋である桔梗紋が多数ある。
光秀が後の時代にまで生きていて影響を及ぼした証しである。
・光秀の家臣だった斎藤利三の娘であるお福(=春日局)が、天海による口添えにより大奥の女帝の地位を得た。
・天海が作った家康の墓がある日光の見晴らしの良い場所を『明智平』と天海が名付けた。
等々、光秀=天海説と思われることは多々あり。 最後のほうはもう徳川幕府になって体制が変わってたからな
もし当時現在のようなマスコミでもいれば
「スクープ!明智光秀は死んでなかった!」なんて取り上げられたかもだが 弟子に出自語るのは徳川体制でできるのにしてないんだろ?
でも墓に明智とかつけたんだろ?
あべこべじゃね 全く語らなかったわけじゃないんじゃね?
そもそも光秀死後に誰かが天海の名前と職務を受け継いでるというのが前提でしょ、天海=光秀説って 全く語らなかったと言われているって書いてるけど・・・ 天海が光秀なら、江戸城で細川忠興あたりとすれ違ったら
すぐにバレる。
だから天海は光秀じゃない。 天海って坊主になって年齢も重ねて頭巾かぶってるわけで
再会しても誰も光秀かどうかなんてわかるわけがない
それに天海が徳川につき地位を得たことから一部の人間は知っててもおかしくない
むしろ本能寺の黒幕がそいつらだ 信長の死体は発見されなかったが、
光秀の死体は回収されて本能寺に晒されている。
光秀が生きていたなら、その「晒された死体」ってのは何なの? DNA鑑定もなんにもない時代に死体なんて着てるものを変えればそんなもんいくらでも偽物を用意できるわな 秀吉や信孝、池田や丹羽もみんな光秀の顔を知ってるんだから
偽物ならすぐに分かるだろう 生きてるかもしれないなんてことになったら後継者選びが問題なんで
光秀はさっさと死んだことにしたいから
顔が違うと思っても誰も公けには言い出さないのさ
肝心なのは、あとのことを考えて「光秀はもう死んだってことにする」って
歴史的事実を作り挙げることなのさ
戦国時代のプロパガンダなんてそんなものなんだよ 秀吉は、信長が俺を嵌める罠かもって相当警戒してただろうね。
「貴様なぜ持ち場を離れた!?手打ちにしてくれるわ!」と。
弔い合戦とはいえ信長がひょっこり現れるんじゃないかと常にビクビクしてたんじゃないか。
信長と明智による狂言かもしれんと。 軍師官兵衛では何となく首謀者が朝廷になりそうだね
まあ本筋とはあまり関係がないが >>53
光秀単独犯行説は、無いね。
だって勧修寺晴豊の日記に「信長打談合衆」って書いてあるんだよ!?
コレは複数形の記述だ。 居たんだよ 信長打倒計画グループ が。
それが武家だけなのか、公家や準皇族も入るのか、
一向宗などの仏教関係者も入るのか、までは判らんけどね。 単独は「説」じゃなく史実だからw
信長打談合衆=明智家中の者どもの意。
重臣達には決意を打ち明け談合してるから、複数形なのは当たり前。 桐野作人 @kirinosakujin
本日の大河「軍師官兵衛」。ひどい先祖返りというか退化ですなあ。
20数年前の拙著をなぞったのかという噴飯物の内容でした。
朝廷黒幕説、いまさらそんなカビの生えた時代遅れな描き方をするとは思いませなんだ。 左大臣を受ける代わりに譲位を切り出した信長に対して、吉田兼和が「不敬だ」と口走ったが、ちゃんちゃらおかしい。
信長が1回目の譲位を切り出したとき、正親町天皇は「朝家再興の時」が来たと喜んでいる。
中世の朝廷は上皇と天皇が併存していたのが常態。ずっと生前譲位がなかったことが異常。
朝廷では東宮誠仁親王が20代半ばになっていたから、一刻も早い正親町譲位、誠仁即位を待ち望んでいた。
信長の申し出は「不敬」どころか、大歓迎だった。度しがたい勘違い。
吉田兼和(のち兼見)を本能寺の変における朝廷黒幕説のキーパースンに位置づけたのは、ほかでもない、20数年前の私。
今となっては焚書したい拙著。
それを参照したかのような描き方にトラウマが悪夢のように甦った。
その説を唱えた張本人が無理で成立しないといっているのだからダメなのだ。 さらに補足。
朝廷は信長が正親町天皇の譲位と誠仁親王の即位を取りはからってくれるのを心待ちにしていた。
その儀式のための装束の虫干しまでしているのだから、譲位・即位は近いのではという期待感でいっぱい。
正親町の生前譲位により、新天皇が即位すること、それこそ「朝家再興」なのです。 間違いないことは、近衛前久はクロだということだ。自邸を貸して、二条城落城の
手助けをした。最も卑しい出自がゆえに近衛前久を殺さず、猶子として利用した秀吉も
流石だけどね。 足利義昭でさえ拒否した「猶子」を近衛前久が拒否できなかったのは、
本能寺の変で明智と組んだ実績がある故。また、その後近衛家は100年間
不振だった。 >>81
>信長打談合衆=明智家中の者どもの意。
だったらそういう風に書くでしょう。
信長打談合衆って、別に明智家中には、限定されない方が良いのでは? 明智家中で限られた者達に相談したらしいことが信長公記に書いてるし
当時そういう風聞が流れてて、それを晴豊がそう表現したってのが妥当と思われ >>88
>当時そういう風聞が流れてて
ルーマーなら、色んなのが流れてますよ。
朝廷が、光秀に将軍宣下と言うのも含めてね。 >>87
>だったらそういう風に書くでしょう。
そう書いてるも同じだろw 陰謀厨が曲解しているだけでよ >>90
そう単純じゃないから、色んな説が出るわけでしょう。
四国説に絡めて斉藤利三主導説を言う人も居ますが、
逆に斉藤利三は、本能寺の変に反対してる記録もあるんですよ。
それを押し切って光秀が本能寺を攻撃している。
それに秀吉も山崎の戦いに勝って入京した直後から、
公家衆を散々捜索摘発して、光秀謀反の背後関係を捜査している。
近衛前久(太閤・太政大臣)、勧修寺晴豊(武家伝奏)、吉田兼見、里村紹巴などは、逃げる逃げる。
秀吉は、光秀単独犯行説を信じてなくて、背後関係を洗っている。
近衛前久は、家康に保護されたし、里村紹巴は、後に秀次事件で処分されてる。 .
【テレビ】 大河ドラマ「軍師官兵衛」
第27話の視聴率16.7%、好調はまだまだ続く・・・次回はついに本能寺の変
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1404770778/
27 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/08(火) 07:14:22.60 ID:BvGRJxAz0
やはり朝廷黒幕説を採用したか
75 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/08(火) 07:28:57.21 ID:SQ9Lpjjw0
軍師官兵衛だと光秀を謀反に走らせた決め手は信長が天皇制廃止を
示唆したからってなってたな。時節柄から考えてもかなり大胆な解釈。
これってネトウヨ的にはどうなんだ?
80 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/08(火) 07:31:15.50 ID:PG3K6dfp0
>>75
信長が天皇を滅ぼそうとしてたなんて話は割りと有名な仮説でしょ
だいたい信長は自分を神に見立てて拝ませてたんだからそうなるのは自然な成り行き
88 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/08(火) 07:33:28.23 ID:r6SGtg/U0
>>80
政治権力に口出しさえしなければそんな手荒なことしないと思うけどな
そんなことやったら一向宗どころの抵抗じゃすまないことぐらい
信長だってわかってたはずだから >>92
ドラマの時代考証してる小和田センセは「信長の朝廷に対する非道を阻止するために……」
とか言っちゃう人だからな
まあ、複合的な要因が重なったとも言ってるが .
大河「軍師官兵衛」で本能寺の変 光秀役は薄眉、小太り
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1405065320/
8 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/11(金) 17:03:56.93 ID:07J7bkHj0
本能寺の変は「四国説」が有力になりつつあるのに長宗我部元親の「ち」の字も出さないNHK大河って・・・
10 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/11(金) 17:17:55.20 ID:5Yy21EaX0
>>8
有力かあ?動機としてはありだけど長宗我部の位置関係的に難しいだろう
(甲斐の武田家を滅ぼした後に)
宿老の佐久間が追放されて上位の立場でも安心出来ないってなってるところで
苦労して切り取った国を召し上げられたりしたら流石に誰でも危機感覚えるよ
12 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/11(金) 17:22:46.28 ID:T+1v7fmS0
>>8 有力って程でもないんじゃないの?
81 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/11(金) 20:26:35.34 ID:4A1842uA0
光秀が信長に謀反するのはいいとして、1万4000人が文句も言わず、
本能寺を攻撃したのはすごいな それだけ光秀も素晴らしい殿様だったんだな
85 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/11(金) 21:38:47.80 ID:hTaYoWI40
>>81
行った連中は謀反だとわかってなかったらしい
あと、織田家の連中は寺社焼き打ちは当たり前のように繰り返してた
95 :名無しさん@恐縮です@転載は禁止:2014/07/11(金) 23:45:41.97 ID:HdVvl/TG0
>>81
末端の雑兵たちは自分たちが今何をやっているのか、
誰を攻撃してるのか、よくわかってなかったみたいだよ 朝廷黒幕というか、光秀がNHK大河のような流れで単独テロを起こしたという
日本文化研究所所長 井尻千男『明智光秀 正統を護った武将』
http://blog.kajika.net/?eid=996733
も興味深く面白かった。
動画
http://www.youtube.com/watch?v=WResN3ioiiI
日本文化研究所 所長 井尻千男 「織田信長の真実を語る」 46分50秒あたりから 本能寺から単騎逃げられたとして、信長はどうすべきなんだろうね?
どこへ行くのが安全? 本拠地の安土城目指すとして、どれくらいの兵力が用意できたのかな?
信孝立ちがいるところって、行く前に、明智の息がかかったところ通るから、逃げるにも結構きつくね? 信長も信忠も安土城に居たら、光秀が謀反を起こせない。
仮に光秀が、安土城を攻撃しても、そう簡単には落城しなかった。
そう意味で、信長を本能寺に誘き出したのが、謀反の成功の第一歩。
信忠まで近くの寺に宿泊していたんだからね。
でも、織田有楽斎は、二条城から逃亡して安土城まで逃げ帰っているから
信忠は、逃げようと思えば、逃げられたと思う。有楽斎も信忠を一緒に連れ帰れよ!と思う。 逆に、信忠を置き去りにしたから、有楽斎みたいな小物は見逃されたんじゃね?
まぁ、おかげで世間の評判は最悪になったわけだが・・・