なんやかんや言って幸せな人生を送った武将
人間にとって何が本当に幸せの要素か?
難しい議題だが、時は戦国。
当時の武将の人生観、現代の人間の人生観
あらゆるものを相対評価して結局、一番誰が幸せな人生を送ったのか決めるスレです。 島津にボコられて日向から叩き出されたりしながらなんとか復帰して近世大名の仲間入りできた伊東祐兵 蒲生氏郷
早死と子孫の断絶は悔やまれるが、彼一代の活躍は素晴らしい。
日野でも松阪でも会津若松でも、行く先々で城下町をこさえた。 松永久秀は満足して死んでいったと思う。
それとは逆の人生、真田 信之。
親兄弟や息子達との肉親の縁は薄かったけど、まぁ満足して死んでいったと思う。 >>19
氏郷以降の蒲生家当主の早死率は異常。
戦死ではなくて病死で次々に亡くなるなんて。 >>22
近江宇多源氏の祟りじゃね?
現実問題、蒲生は裏切ってなけりゃ滅ぼされるしかない立場。
主家を見捨てた呪いが随分遅れて表れたのかも 真田信之
DQNな父と弟とそれによって苦渋を嘗めさせられた将軍秀忠に苦しめられるも
嫁と叔父を初め優秀な部下と徳川方の武将のみなさんに支えられ
後半には信濃の獅子として尊敬の的となり
きっちりと真田を守り抜いた >>23
近江宇多源氏は、見捨てられても仕方ない自業自得の様な気も。 関ヶ原で裏切った三人組
脇坂→普通に裏切った事を評価され幕末まで大名として存続。
赤座→裏切ったが評価されず改易。
その後、前田家に再就職し幕末まで有力家臣として存続。
小川→裏切ったが評価されず改易。
その後、商人に転職し大成功を収める。
小早川に比べると凄い勝ち組なような気がする… なんだ。。。関ヶ原の裏切り衆は
なんやかんや言って、そんな幸せな後世を向かえてんのか?
ちょっとムカつくな 徳川家康か豊臣秀吉だと思う、この二人最終的に個人の目的果たしているし てか秀吉の場合
その目的に至るまでの過程が並大抵じゃなかっと思うぞ。。。
決して講談や史料には載っていないような
ユダヤの大富豪並みの負の遺産、悪行続きだったような気がする。。。
だって乞食が天下人にまでなるんだぞ?
どんだけ影で悪事を働いて、善良な人を裏切らなきゃならないんだよ?
すんげー、チョン以下の糞悪事を働いていたと思うぞ …これは、話題戻すか。
1位,織田信雄
2位,山内一豊
3位,徳川秀忠 三好義興は?皆からちやほやされている内にポックリ。 菅谷範政
散々苦労はしたけど最後は報われた
父上は気の毒だったが 山ノ内一豊は確かに本人にすれば幸せな人生だったろーな
ただ、周囲の評価は糞以下だけど。。。 松永久秀
エロの求道者でもあり、現役。好きな茶器と爆死本望だろうなぁ
>>35貧乏乞食が天下人になるにはある程度の悪行は仕方がないと思う、それでも天下人になった秀吉は凄いし運が良いわけで
貧乏乞食で悪行三昧でも同じ状況になる人間の方が少ない、個人的には講談のようで在ってほしいと思うけどね
話を戻すと徳川家康だと思う なんやかんやで幸せな人生、ということなら今川氏真を思い浮かべる
おしどり夫婦のイメージが大きい
大きな成功を収めた武将ではないけど本人は幸せを感じてたのではないか、と 赤松則繁
将軍の主催する宴に参加し、
朝鮮で重要人物扱いされ、
最後はお寺で大往生。
楽しかったろうなー 信長
道三
久秀
直家
梟雄たちは幸せだったのだろうか? 家康
一豊
高虎は鉄板だな
>>25 真田家を維持して一応加増されてるしな
11位ぐらいにはエントリーしてもいいと思う じゃ、暫定ランクとして
1位 前田利家
2位 徳川家康
3位 黒田如水
4位 北条氏康
5位 山ノ内一豊
6位 藤堂高虎
7位 池田輝政
8位 豊臣秀吉
9位 伊達政宗
10位 松永久秀
11位 真田信之
こんな感じ? 基本的に戦場に立つ回数が多かった武将は幸せとは言えないんじゃないか?
多くの敵味方が死んでいく様を間近で体験するなんて人生の中で一度ありゃ十分だ。 阿蘇惟豊は甲斐が難しい事を全部やってくれるから、楽チン人生だっただろう。 武将じゃないが本願寺やら堺衆は恵まれた人生だったのでは 堺の自治衆は今の日本のように
周囲の勢力から常に金を毟り取られてたから
結構、過酷だったと思うぞ
それでも金持ってたんだからメチャクチャ儲けてたんだろーけど >松永久秀
天守閣や茶道の先駆者にもかかわらず、後発の信長にパクられ、
「三悪事」にしても、信長の方がスケールの大きい「悪事」をしている。
その信長に再び助命を申し出られている。
完全に小物扱いされているわけで、かなり鬱屈した最後ではなかろうか?
幸せだったとは、言えないなあ。 荒木村重。
道薫
昔を思い出しながら
しみじみ好きな茶を飲んだことだろう。 徳川秀忠
力量と幸せに送れた人生の釣り合いがとれてない >62
秀忠は戦の指揮官としては無能だけど政治家としては優秀だと思う
鎌倉以降の将軍ランキングを付けたら割と上位にくい込んでくるんじゃないか
武家としては清盛、義満に次ぐくらいのの最高の権勢を誇った人ではある よくゲーム脳に限って
秀忠は実は政治家としては優秀だったとかレスするの目にするけど
それってゲーム脳の間で流行ってんの? 江戸を発展させた
借金体質にしなかった
老臣の声を封じた
兄弟の声を封じた
外部勢力を押さえ込んだ
結果論で見ると優秀だな。 おいおい、政治面は親父より優秀だぞ
信長秀吉家康以上の政治力だぞ まあ大半は本多や土井の功績なんだがね。
そいつらを抜擢した眼力は凄いが。 大久保忠俊とか。
本能寺の直前まで生きてたからなこの人。
>>68
突然変異みたいな一人の天才に頼った集団より
それなりの秀才をまとめあげた集団のほうが長期体制を作るには向いてるもんな 戦乱の時代には天才が必要なんだけどね。
信長→秀吉→家康→秀忠って段々と天才から常識人へと移行していく >>64
秀忠は別に戦について無能ではないと思うぞ。
関ヶ原遅参は天候不順、
上田攻めはそもそも3日で小大名の山城を落とす方が無理って話。(鳥居元忠は伏見で西軍主力に半月粘ったぐらいだから。)
むしろ大坂の陣で大きな失態は犯していない。活躍の場がなかっただけ。
>>71
家光ェ・・ >72
天才から秀才へっていう体制固めが出来なかったというか
後続ほど過去の失敗に学んだろうな て言うかまぁ此処までくれば将軍なんか生まれたばっかのガキでも勤まるレベル >>70
その体制を築いたのが親の家康で
その家康に「こいつバカだけど、兄の秀康は有能だけど嫌いだから」という理由で選ばれたのが秀忠なのに
もしかして秀忠が独自で切り開いたとでも思ってたの?
>>72
家康も目付の康政も、秀忠じゃ1年経っても上田城は落とせないから
最初から関わるな!と再三言ったのを無視して攻撃して大敗したのが秀忠な 織田信雄
日本史の目撃者としてこれ以上の位置はないだろう
天寿も全うしたし
それなりの栄華も経験した
後世の評判がよくないのだけが心残り >後世の評判がよくないのだけが心残り
当時から評判ボロクソですが。
親からも馬鹿扱いで旧敵対勢力へ厄介払いされ、秀吉時代は完全にピエロ、姪のコネで乞食生活
「最期だけは良かった」なら分かるけどな どんな武将も民百姓と比べたら遥かに恵まれた人生だろうな。 宇喜多秀家なんかは配流の身とは言えあったかい南の島で余生を過ごせて案外幸せそう
当時としては相当な長命だし家族で晴耕雨読の暮らしをして余暇には釣りとかで楽しむ現代人には結構うらやましい生活なんじゃないだろうか
大大名でたらふく飲んで食っての生活じゃ早死にしたろうな 自らの境遇に納得していることが前提だが、早々にドロップアウトして余生を穏やかに送った人は幸せなんじゃないか?
武田信虎
甲斐追放後、娘の嫁ぎ先に居座ったり、京都観光したり、海賊退治したり、高野山に詣でたり、娘の嫁ぎ先に居座ったりして過ごす
余生33年。なにげに信玄より長く生きた
最後まで甲斐に戻れなかった点が心残りか
今川氏真
今川家滅亡後、北条に落ち延び、最終的に徳川に落ち着く
家康から饗応を受けたり、京での歌会や蹴鞠に頻繁に参加しており、徳川での待遇は悪くはなかった模様
掛川城開城からカウントして余生46年。子孫は高家として存続
宇喜多秀家
関ヶ原の後、八丈島に配流。そこで50年の余生を過ごす
宇喜多旧臣や加賀藩前田家からの仕送りもあり、そこまで困窮はしなかったのでは
もちろん流刑地なので不自由も多かっただろうが…
明治の時点で八丈島に彼の子孫が20家もあったそうな 上田宗箇
織田時代・・・バリバリ安全牌の丹羽さん家で活躍
豊臣時代・・・ラスボスの虐めによる丹羽家終了もものともせず文武に活躍
関ヶ原・・・西軍につくというミスチョイスで一万石ボッシュートだが蜂須賀さんがほっとかない
浅野時代・・・戦国最後の晴れ舞台でここぞとばかりに駄目押しの大活躍
その後幕府から誘われても「俺、もう栄達とかいいんで」と息子を押し付けて趣味に没頭
ハイレベルないくさ人でありつつ利休→織部の正統派ストロング茶人という価値
やめるときはやめる骨太の人生
勝ち組といえよう 松永弾正。
ほんと戦国時代をめちゃくちゃ楽しんでるよね。
常識や迷信、道徳なんかには一切囚われずに、やりたい放題の下克上。
文武両道の才能あふれる趣味人で、金儲けも巧かったし。
信長に対する反乱も、もしかしたら茶釜抱えて爆死ってアイデア思いついて、
これだ!って実行したんじゃないかと。 >>85
その人達は80前後まで生きてるなあ
壮年のうちにリタイアして戦で体を酷使したり
逆に大名暮らしで過剰に楽することもなかっただろうから
適度に体を使って粗食で済ます健康的な生活だったのだろう
人間ってこの時代でも大病とかせず
ちゃんとした生活なら80くらいまで生きる生き物なんだろうな
まあ、支援者がいなくなれば佐久間信盛みたいに悲壮感漂う末路になるだろうけど
氏真ちゃんが一番だよな。
家康ちゃんの所へ、気軽に遊びに行ける人なんて、そうそういませんよって。 松永久秀が幸せな人生というなら、ある意味真逆な高橋紹運もかな
優秀な子供たちを残して信頼できる部下たちと武人として華々しく玉砕するっていうのも十分幸せだと思う
この時代の価値観ならとりあえず畳みの上で死ねれば幸せとは限らんよね
尼子勝久も傍から見ると平穏に暮らしてるのをただ担ぎ出されただけだが
法衣のままで一生を終えるはずの自分を尼子の大将にしてくれて感謝してるって言ってるし >>91
高橋紹運や真田の弟とかは、なんやかんや言わなくたって、
大満足で死んでいった正統派の幸せ人生でしょ。 今川氏真だな
殺し合いの世界から早々リタイアして優雅なニート生活
蹴鞠しながら食って寝て毎日遊んでても、家康から他家も羨む高家としての高待遇扱い 父親殺した信長の前で蹴鞠披露とか普通なら憤死レベル 氏真さんと劉禅さんの人生ノーガード戦略は示唆に富む 仙石秀久
あれだけ派手にやらかしたのにしぶとく復活
(同じように失敗して帰参を願い出た尾藤や神子田は処刑)
関ヶ原遅参をフォローしたことで秀忠の寵臣に
なんやかんやいって勝ち組な権兵衛 >>97
劉禅と氏真の人生は羨ましい
>>98
嫌われ度もはんぱないけどねwww
家康が一番幸せなんじゃないかな
それなりに長生きもしてるし、天下も取ったしwww 信虎かなあ
当主としての期間もそれなりにあり、その後追放されても後ろ盾もあり気楽な身分で食うに困らず。
しかも長生き。 >>99
うらやましいかぁ?
陰口も聞こえて来たろうし、劉禅の逸話とかも聞くと、色々と処世術で苦労
しているみたいだし。
普通の人ならうつだろ。 >>101
以前はそういう人生も羨ましい部類かなって思っていたけど
北朝鮮の正男さんみてるとそれなりに気苦労が多そうで大変だなって思うようになった 三河武士の価値観からすれば、鳥居元忠の生き様、死に様とかを理想としてそう。
個人的には細川幽斎とかうらやましい。 豊臣秀長は50そこそこで病死してしまったとはいえ幸せの絶頂で死んだといえるんじゃないだろうか
まだ豊臣家は綻び見せていなかったし、実子ではないとはいえ跡継ぎもいて家臣団も優秀だったし 随分マイナーな中世城郭(家臣の城)のジオラマだ。
沼地に突き出た台地の要害に築かれた土の城だ。
大きさも500o×330oで卓上サイズで手ごろな感じ。
博物館仕様で作らせただけあって見事なできばえだ。
http://saikatsutramway.sakura.ne.jp/saikatsu_tramway/furumaki.html いつも思うんだが、三成は秀吉に仕え始めてから秀吉の晩年までは幸せだったんじゃないかね
・とんとん拍子に出世して、妹婿など一族も優遇される
・優秀な家来たちがついてきてくれる
・できた父親と兄が領地経営を手伝ってくれる
・子供がたくさんいたことから、夫婦仲も良かった?
・関ヶ原の後だが、子供たちが全員助命されている
なんだかこれだけ見れば、かなり幸せな人生だったように思う
関ヶ原の戦いを起こしたことも、本人は悔いてなかったろうしな。 殿堂入りだろうけどやっぱり前田利家だな
信長とヤンチャして充実の青春期
賢い嫁との間に子宝に恵まれつつ側室も幾人か
子孫繁栄で加賀百万石
友人と言われた天下人の秀吉と比べると、色々と考えさせられる 今川氏真かね、やはり
大名としては滅んだけど今川を高家として残したし
利家は幸せとは思えんなあ
秀吉派の筆頭でありながら、家康の専横に屈しなければならなかったんだから
庶民派として脇坂安治をおしとくわ