>>49
前に書いたことだが、
豊臣秀頼の領地は摂河泉60万石だけでなく、
かれの知行所もち家臣(大坂衆とよばれている。幕府の旗本に相当)の
知行地というのは伊勢や備中など西国一帯に分布していたということだ。
これは大坂の陣の時でもその状態が続いている。
幕府の旗本知行の形とよく似ている。
これはとても、一大名なんてものじゃないだろう。