戦国史の研究者を語る
この人の本で戦国時代を好きになった、この人のこの学説が今熱い!
戦国時代・織豊期の研究者や学説などをまったり語りましょ 小和田と井沢のスレを貼ろうと思ったが面倒だ
べつにいらないかな 盛本昌広氏の「軍需物資から見た戦国合戦」は非常に面白かった。
ありがちの政治的、政策的な戦国論ではなく、物資から見た「国力の戦い」としての戦国論。 >>3
井沢氏はそもそも研究者じゃないからいいんでね?
小和田氏については、武功夜話の件など、味噌つけた話も多いが、
今川・浅井研究についてはプロパーの一人だし、この人の本が
きっかけで戦国時代に興味持った人も多いのではと思う。
>>5
武田研究では、ちょっと前までは笹本氏か柴辻氏(棒道論争というのがあった)だったが、
近年では平山氏もいいよね。
異論も多いし、定説というにはまだ遠いけど、笠原和比古氏の
「二重公儀体制」論も興味深いかな 漏は、黒田基樹『百姓から見た戦国大名』(ちくま新書)を読んで戦国時代観が変わったよ。 >>7
黒田さんの『百姓から見た戦国大名』は結構面白いね。あと、網野善彦の『無縁・公界・楽』にも
若狭武田氏、後北条氏などの事例が出ており興味深い。
民衆が一方的に搾取され虐げられているというイメージが変わる >>11
小説家でも、かなり調べ込んで書いている人は良いんだけどね。
例えば、寿桂尼の印の文字を「歸(とつぐ)」と指摘したのは、確か永井路子だったはず。
とはいえ、新人物往来社の「すべてシリーズ」「歴史読本」や学研の赤ムックなどで、
作家などの小説や俗説丸のみの文章を載せるなとはいいたい。
>>13
藤本氏については、まあ示唆に富むところもあるけど、
鈴木氏は藤本氏に尻馬に乗っている印象。
正直「煽り屋」のようなもんなんだよね。 「だから何なんだ」って言いたくなるような話題振るのが鈴木。 後北条研究の下山治久氏の書くものには好感がもてる。
また今や北条氏照の幼名として流通している藤菊丸というのを
発表したのは都立高校の先生をしながら研究を勧めている研究者。
地味でも良い仕事をしている人はたくさん居る。
>>17
林佐渡守や森乱丸の名を検証した谷口克広氏も学校の先生しながら研究してる人だよね
>>17
そういう地味な仕事の積み重ねが成果になっているわけだからな。
今谷明の堺幕府論だって、幕府奉行人奉書について、検討に検討を
重ねた成果だろう。
正直鈴木氏のようなのは「歴史家」とは言いがたいのではないかと。 関東の戦国時代だと、
・佐藤博信(古河公方)
・黒田基樹(後北条氏)
・滝川恒昭(里見氏)
ここらへんの研究者のをよく見るね。 笠谷さんの関ヶ原関係の本は読みやすくて良いね。
この人のおかげでいまだに淀と高台院の対立があったと思ってる俺ガイル 小和田はあちこち手を出して結果どれも薄くなってるイマゲ
白川亨は石田三成とその一族・子孫についてや、
高台院西軍派についての内容は面白いが、ちょっと
三成贔屓が過ぎる感じ
この人、アマだっけ? >>25
『戦争の日本史P 関ヶ原合戦と大坂の陣』
けっこう良かった。
読みやすい。 越後上杉氏研究は、現在では矢田先生が代表格かな。
花ヶ前氏は一昔前は立派な郷土史家だったね。
藤木氏も優れた研究成果を出しているけど、関東略奪説でみそをつけた。 >>26
今川・浅井氏に関してはプロパーなんだよね。
>>25、>>27
正直まだ異論も多く、定説にはいたっていないものの、「二重公儀論」には
衝撃を受けた。あと、七将襲撃に際しての動向などの成果は大きいな。 講談社の『日本の歴史』シリーズで戦国史を担当した久留島典子や池上裕子は学界的にどうなの? 池上氏のかつての研究報告は充分、新たな研究の土台となっています。 確かに目覚しい活躍をしてはいるが、
2ちゃんには黒田基樹を持ち上げすぎなお人がいるような。 シュリーマン願望だろ。
きちんとしたアカポス持ってない人、
アカデミズムの本流歩いていない人
の方に肩入れしてしまいたくなるという。 シューリマンも遺跡を発見したのはいいが、彼の仮説は正規の考古学者や歴史化により
ほぼ全部覆されている。 >>34
いやいや、在野でも優れた研究成果を出している人は結構いるぞ。
うちの田舎でも城の縄張り図などを数多く担当している方がいる。
・・・とはいえまあ、いわゆる郷土史家という人は怪しいのも多いんだがね。
自分の好き嫌いがもろに反映されるケースもあるし >>38
う〜む、あまり聞かないな。十三湊などの資料館の学芸員さんなどなら
扱っているかもだが。いっそ君がそっちの第一人者になればどうだ?
横山光輝『徳川家康』
原 哲夫『花の慶次』
下手な歴史本や歴史研究
者の話より、楽しく簡単に戦国理解出来る。 >>40
そこらへんがきっかけという方は多いとは思うが如何せんスレ違い
>>43
テレビや小説、ゲームまたは学校の授業がきっかけという人が大半ではないかな。
概略を書いた本と言うと『日本の時代史』シリーズや、各社の通史ものがあるけど、
あれでもある程度の前提となる知識が必要なんだよね >>35
それは確かだが、かといってシュリーマンの示した事はそんなに狭くはない。
彼を否定する人にはつまらない人が多いな。 >>27
豊臣秀頼の領地は摂河泉60万石だけでなく、
かれの知行所もち家臣(大坂衆とよばれている。幕府の旗本に相当)の
知行地というのは伊勢や備中など西国一帯に分布していたということだ。
秀頼=一大名転落説はもうほとんど破綻しているな。 >>46
なんだ?みんなが鼻で笑ってることで有名な二重公儀説でも言いたいのか?w 二重公儀説を言う前に、
秀頼=一大名転落説の方が破綻してしまっているということ。 そりゃ当たり前だ。徳川家だって江戸開城で一気に一大名に転落したわけではない。
物事には過程がある。
すくなくとも豊臣家は、大阪の陣直前は、一大名家以外の何者でもない。 >>49
二条城会見では秀頼が上座、家康が下座。
これで秀頼=一大名?
その直後に発布された「三ヶ条誓詞」でも秀頼は除外待遇。 >>50
お公家さんだって関白なんかは家康の上座ですよ?
家康が旧主の顔を立てたんですね。えらいですね。 秀吉は天正16年の三ヶ条誓詞では、織田信雄や秀信に書名誓約させている。
今谷説は正しくないな。 >>51
内容には賛同できなくはないけれど、言い方が気になります
こういう場でも挑発は控えましょうよ >>49
徳川家は江戸開城から一年以内に一大名に転落 >>49
前に書いたことだが、
豊臣秀頼の領地は摂河泉60万石だけでなく、
かれの知行所もち家臣(大坂衆とよばれている。幕府の旗本に相当)の
知行地というのは伊勢や備中など西国一帯に分布していたということだ。
これは大坂の陣の時でもその状態が続いている。
幕府の旗本知行の形とよく似ている。
これはとても、一大名なんてものじゃないだろう。
いまさらだけど、そもそも秀頼を「一大名」と
認定する(認定してきた)根拠というのは何なの? 要するに中央政権としての機能を徳川幕府に奪われてしまったということじゃないかい?
どれだけ「かつての天下様」だったとしても、諸大名は形以上の臣従はしておらず、
大阪の陣でもみんな徳川の軍役に応じていて、豊臣は大名たちに檄すら飛ばした形跡がない。 >>55
あと、江戸幕府が行った普請の際に、普請奉行は幕臣のほかにも、
豊臣氏の家臣も2名いいるとのこと。
二重公儀論については異論は当然あるにせよ、関ヶ原→豊臣氏一大名に転落
というほど単純な構図でもないと思うが。 実際そういう単純な図式じゃなくてもそれに近いものがあるから、
その解釈で以後の流れが理解できてしまうんじゃないかな。
大坂は関ヶ原での徳川の勝利を追認し祝い労っているけれど、
実際には形を変えた完全降伏でしょう。
これで政府機能を奪われてしまった。 関ヶ原合戦直前にはすでに家康の独裁体制だったから、
合戦後にうばわれたというのも変な話。
実権と政務はいっかんして家康が支配していたわけでしょう。 近世史の主要な研究者たちは、朝尾直弘、高木昭作といったような人たちを始めとして、
ニュアンスの違いはあるが、いずれも関ヶ原合戦後の豊臣家と秀頼を一大名ではなく、
それ以上の存在として位置づけている。
一大名転落説をいまだに主張しているのは今谷明ぐらいなものだろう。今谷氏は近世史の専門家ではない。 そりゃ前政権の縁者は特殊なポジションで置かれるさ。
織田信雄だって小田原までは「特殊な諸侯」だ。 >>24
花ヶ前氏はダメぽいの?
本屋に「新編・上杉謙信のすべて」があったから購入しようか迷ってたんだけど >>63
>織田信雄だって小田原までは「特殊な諸侯」だ。
どんなとこが?
>>64
あれはおすすめ出来ない。値段の割りに内容が格段に古い。
でも氏の著作を一冊も持っていないなら、これだけ購入してもいい。
それなりにまとまってはいる。
ずるい商売だとは思うがね・・・・・・。 笠谷さんの二重公儀説に反対する人は、ただ反対だと言うだけでなく、
反対の論拠を具体的に挙げないといけないね。
二重公儀論の側は、江戸城普請に秀頼家臣が普請奉行として参画しているような
重要な論拠を出してきているのだから。
歴史学もふくめて学問研究というのは、論拠の正しさ強固さに基礎をおいているわけだから、
論拠をできるかぎり明確にすることが求められていると思う。 >>68
> 二重公儀論の側は、江戸城普請に秀頼家臣が普請奉行として参画しているような
> 重要な論拠を出してきているのだから。
それを重要だと考えるほうがどうかしている。 常識を大きく覆すという意味では重要。
通説のラインでは、徳川の家臣が大阪城の普請奉行として乗り込んでいったなら分かるけれども、
豊臣の家臣が江戸城の普請に工事監督官として乗り込んできたとなると、ただではすまないだろう。 それの重要性を指摘したのは白峰旬氏だろう。
笠谷説はこの白峰氏の議論を引用してる。 いや、大きくは覆さないかなあ。
本当に監督官なの? 徳川に引っ張り出されたんじゃない?
関ヶ原でも秀頼家臣が西軍に参加してたという時ほどのショックはない。 「秀吉の大阪城普請には織田秀信(三法師)の家臣が普請奉行として参加している。
つまり秀吉と三法師との二重公儀であった」
とでも言いますか? >>74
大坂城築城時代の秀吉はまだ織田家臣の立場を抜け出ていないのだから、
織田家臣が大坂城の普請奉行として参加してきても矛盾しないのではないか。
むしろ普請奉行を送り込むということは、
主筋が家臣の築城を監督するということを意味しているということではないのか。
俺はかつて、某研究者の後援会の幹部で誹謗中傷にかなり力を入れてる人と交友があったけど摘発(法的手段以外の制裁も含めて)の話を聞いたら身の毛が逆立ったな
冗談抜きにマジで人生終わる、法的に大した傷は追わなくてもまず間違いなく業界流の制裁を加えられる
またはそれ相応の代償を支払わなければいけない
本当、割に合わないと思ったね
おまいら、書き込むからにはそれ相応の覚悟をしてやれよ、昔から研究者と金貸しは裏でどんな連中が仕切っているかわかってるだろ?
幹部たちはプロだから警察とのパイプも持ってる、様々な状況に対応できるように仕込まれてる、だからこそ幹部になれたとも思えるがね
妬みひがみやで書き込んだために、ズドンされた時に泣いただけじゃすまない事を憶えておいた方がいい
ちなみに俺は同業者とかじゃないからな
なんか脅しみたいになってすまん、つまり言いたい事はおまいらが思ってる以上にハイリスクだってこと
>>74
普請奉行は普請全体の采配をする主催者側だし、秀頼は奉行の派遣以外の
負担はしてない。二重公儀体制には異論も多いし全てを肯定はできんが、
秀頼のポジションについてはなお研究の余地のある問題だと思う。
それはそうと、全集日本の歴史の『戦国の活力』が今いちな件
秀頼は慶長13年の正月には家康に年賀使も出している。明らかに家康に屈服した存在。 >>79
慶長16年の二条城会見では、秀頼が上座、家康が下座という配置。 >>78
山田邦明氏の文章は読みやすいと思うんだが? そろそろ研究者を語ろう。
>>80
永原慶二でしょ。 天野忠幸氏の三好氏研究が最近少し気になるな。
将軍との和睦についても積極的に評価している >>85
戦国大名の領国システムや支配体制などについてはかなり整理されていた本だな。
ただ、戦国通史的な部分ではかなりあっさりだったので、そこらへん好みが分かれる
んじゃないかな? >>89
藤本と鈴木を同列で論じるには無理がある。鈴木の資料の読み方は非常に問題があると思う。 故人だが、桑田忠親氏をお勧めする。戦前の凝り固まった戦国史を検証と地道な研究を進めた人物。
特に千利休の研究及び秀吉の晩年動向に対して持論は素晴らしいと思う。 >>92
だいぶ前になくなったはず。
この人か小和田氏の本が最初に読んだ戦国関連の本という人は多いと思う。
「関東管領上杉一族」などの七宮(コウ三)氏は、どうでしょうか!?
家永遵嗣氏は、室町・戦国史の権威だと思う。
氏には、専門書だけでなく一般向け著作も書いて欲しい。 市村高男氏が好きだな。
織豊政権と関東の関わりとか・・・
市村高男『東国の戦国合戦』(吉川弘文館、2008年)
T、戦国世界の成立 −明応の乱から永正の乱へ−
U、戦国合戦の展開 −大永・天文の乱の時代−
V、北条・上杉両氏の相剋と東国領主 −弘治・永禄の争乱の時代−
W、関東統一と天下統一の競合
帯に、
【北条・上杉・武田だけではない】
千葉、佐竹、小田、里見、宇都宮、小山、那須、結城・・・
『動乱期を生きた東国武士団の合戦絵巻!』
とある。 >>96
見出しだけじゃ他の書籍との違いがわからないなー。
論旨の独自性があるのか、新たな発見や証明があるのか、
どういうところが魅力的なのかを教えて欲しいです。 >>97
96ではないが買って読んだ。
正直新しい見方はない。
所謂戦国後期関東の戦乱を旧族大名のほうの視点から見たという程度。
北条上杉武田からの視点ではおろそかになってしまう細かなところを
よく見せてくれるのは確かだが、じゃあそこにそれだけの意義を見出しとるんかいな、
と問われると厳しいものがあると言わざるを得ない。
まあこの時代の関東はある意味消化試合的なものなので、
仕方ないといえば仕方ないのかも知れんが。 なるほど。強豪勢力以外からの視点で見直すにはいいのかも知れないね。 >>97
漏は佐竹や里見が好きだから、興味深く読んだよ。
強豪に囲まれ、押しまくられながら生き残った彼等の生き様は弱者の指針として興味深いw。