黙ってニヤニヤしてるつもりだったがさすがに横レスせざるをえない気持ちになった。
>>140
>信長は名君と呼ばれることはない
講談や小説、風説やイメージで語りすぎ。現実の信長は、むしろ善政家。名君と呼んでいる人たちもいたんです。
信長が統治した地方は、稀に見る治安のよさを誇ったり街道の整備がされたりと、見逃されがちだが戦国時代としては素晴らしい内政だよ。
また、尾張一国時代から経済の概念をしっかりつかみ、要所を押さえてる。織田家に早く統治されたいという地方すらあったという逸話もある。統治民の満足度は高かったよ。
>敵のみならず坊主や百姓も容赦なく殺しまくった事で、世間の人が引いてしまったのも事実
これこそ現代人の感覚で語っていること。まず坊主は敵だ。鉄砲や弓矢を撃つ坊主はもう民間人ではないし、そもそも当時は民間人ですらいつ武器をもって戦ってもおかしくないという時代だった。
殺しに来る相手に「民間人だから」といって戦ったり攻めたりしないのは、「過去の罪があるのだからお前らは黙ってやられればいいのだ!」と言って韓国・北朝鮮が攻めてきても無抵抗でいろ、というのと同じくらい無茶だ。
そもそも坊主がおとなしい、なんて考え自体が滑稽。世界の戦争においても宗教者達が戦うのは物凄く良くあることで、武器・政治力を持つことも物凄く良くあること。宗教団体という名の軍事・政治勢力である。
また、容赦なく、というのも間違い。信長は戦わない約束をしたが、突然一方的に破られ、いきなり背後から攻撃され全滅しかけたことがある。
これで「許せ」とはどんなおしゃか様を戦国大名に求めているのやら。「黙ってやられて死ね」と言ってるのに等しい。だまってやられた奴は名前が残らないのに。
>その分信玄や謙信に人望が集まってしまったのは大きなマイナス
これは酷い大嘘。人身売買しまくり、無為に人殺しまくりの二人の方がよほど残酷で人でなしな事をやっている。
誰よりももえげつないことやってる秀吉が「太閤様」なんて良い人ぽく語られてるのと同様、後世に作られた単なる物語的なイメージ。劉備と同じパターン。

じゃあ何故信長には悪いイメージが作られたかと言えば、一番大きいのは、その後の権力者秀吉にとって、前権力者・信長はある程度こけおろさないと自分に都合が悪いから。そしてそれは家康にとっても同じ。
ただ、二人とも信長を完全に悪者にしてしまうと、元家臣・元同盟者という立場上まずいので、息子殺しの罪をかぶせるぐらい、戦においては「自分の活躍のお陰で勝ったんですよ」と信長の功績を減らす程度の悪口・コケおろしですましてる。