織田信長 >>> 朱元璋
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織田信長は本能寺で倒れさえしなければ、朝鮮、明、東南アジア一帯を瞬く間に征服、
モンゴル帝国にも匹敵する巨大帝国を築き上げていた、世界史上屈指の英雄。
朱元璋はたまたま運よく中国を統一こそしたものの、モンゴルへ逃れた元を滅ぼすことはできず、
周辺に版図を伸ばすこともできなかったから、一流の英雄とは言えない。
織田信長は商業の重要性を認識し、楽市楽座と言う画期的な経済政策を編み出した。
まさに時代を超越した天才、世界史上に特筆するべき革命家である。
また領民の保護にも熱心で、配下の軍勢には乱暴狼藉を許さぬ厳しい軍律を課した。
朱元璋は商人を弾圧して、銀の使用を禁ずるなど時代遅れの政策を打ち出し、
経済というものを全く理解していないことを露呈してしまった。
また己の権力の維持ばかりに固執し、功臣たちにあらぬ猜疑をかけては残虐極まりない大虐殺を行った。
よって、織田信長 >>> (超えられない壁) >>> 朱元璋なのは明らかである。 雑魚の中国人でしか通用しない奴vsそれよりはるかに狭い島国でしか通用しない奴w 山の上で敵将が酒を飲んでいる。
大将激怒→何の疑いも持たず突撃→ジャーン、ジャーン(太鼓の音)→うわっ伏兵だ!
これは無いわw >>102
その狭い島国すら統一できていないだろう、信長はw
結局は、三好長慶が幕府の権威を失墜させたので、
そのちょっと先の段階まで進んだだけ
元々、尾張の富裕な大名の跡取りなんだし
ちゃんと統一して政権を樹立した秀吉や、長期政権を創業した家康に失礼だわな
>>105
前右府様あっての太閤殿下と大御所様です。 朱元璋あってこその郭子興
豊臣秀吉あってこその朱元璋
織田信長=郭子興
豊臣秀吉=朱元璋
と置き換えると、
郭子興は、織田信長でいえば、尾張と美濃の平定ぐらいまではやってくれた感じか。
逆に豊臣秀吉は、朱元璋でいうと、鄱陽湖の戦いの手前の段階ぐらいから、
引き継いだといったところか。 そもそも信長ってそんな大したことしてないじゃん
秀吉や家康にすら敵わないのに、朱元璋に敵うわけないでしょ 乞食坊主からスタートして天下統一と
肥沃な尾張半国から始めて日本の三分の一じゃあさすがにね
一代の英傑であることは確かだけど そりゃ雑魚な中国ならな。
劉邦みたいな無能でも天下取れたし。
毛沢東みたいな基地外でも天下取れたし。
平民から1国の支配者になったのなんかゴロゴロいるんですけど。 >>114
いや、中国はね主君が無能でも部下がなんでもやってくれちゃうのよ。
で、あるていど巨大勢力になるとそういう有能な家臣は妬まれるか疑われて
粛清されるってのがお決まりのパターン。 >>115
それは平和な国家体制が安定してるときだろ
日本だって徳川幕府なんかそうだろ、無能でも部下が何でもやってくれるのって。
飛鳥尽きて良弓仕舞われ、狡兎死して走狗煮らる
なんて事象は、世界史見渡せば、古今東西どこにでもあることだよ。
何も中国に限ったことではない。
中国史に限っても、この朱元璋のように徹底的に功臣を粛清してしまう場合もあれば、
宋朝の趙匡胤のように緩やかに力を削ぐ場合もあって、いろいろ。
それに、中国でも完全な平民から皇帝になった者はそう多くない。
安定した統一政権を樹立した者は、劉邦とこの朱元璋ぐらい。 朱元璋、毛沢東が偉大なのではない
雑魚が無数にいることがそれを可能にしているのだ。
いったい、あの世界大戦で死んだ者なんて全雑魚の何パーセントだというのだ?
ネズミと同じ繁殖力があれば絶滅しない。
アウシュビッツは通用しない。おそるべし中国
じゃあ、天才信長も大陸へ渡れば、その“雑魚”をまとめ上げてたちまち天下を取れるってわけだw なんか中国によく分からんコンプレックス持ってる奴が暴れているな
それともこれが信長厨? 宇宙最強の天才と信長様を崇める彼らが、
支那ごときにコンプレックスを抱くわけがない 欧米というと近現代限定かな?
信長・朱元璋とはまるで関係ないと思うけど そもそも欧米が台頭したのって、この数百年のことだし
近代より前だと、清がネルチンスク条約を結ぶ前に、ロシアとちょっとやり合った時か、
鄭成功が台湾からオランダを追い出した時ぐらいしか衝突していないだろう。
欧米以外の西方世界となら、
朱元璋と同時期なら、ティムールと対決の可能性があったけど、不発に終わったしな。
後、周辺遊牧民を除けば、唐が西域でアラブイスラム帝国と断続的に戦っていたりとか。 むしろ 朱元璋vsティムール の方が面白いだろう
2人ともある意味、モンゴル帝国の東西の後継者だし 代表戦
朱元璋 …… 鄱陽湖の戦い
ティムール …… アンカラの戦い
織田信長は何がいい? 中国の戦いはどうも胡散臭くて信じられない。
紀元前の頃から100万の軍勢とか出てくるしw 中国に限らず、古代の戦いは、兵数が誇張されるのは、
世界中どこだって同じだろう。
号して〜万人というやつ。
ほんの四百年前の日本の戦国時代ですら、
実態のよく分からない戦いが多いし。 信長の不幸は日本に生まれてしまったことだと思う。
信長ってインパクトに弱い人物だけど、有能なのは間違いないんだよね。
劉邦や朱元璋のようなタイプとは明らかに違う。
政治、軍事、経済、文化と四方八方に才能があって
英雄としての水準は高いから、
日本のように既に皇帝がいるような国に生まれた場合、
天下とる以前の問題になっちゃう。
だって日本は天皇家の絶対支配があるから、
信長がどう望んでもナポレオンや劉邦のように皇帝にはなれない。
信長帝国が建国できない。
もし信長が中国で生まれていれば、
絶対に皇帝になっていたと思う。
というか信長がもし中国で生まれていたら、
中国史でどの人物にあたるような活躍をしたか気になる。 >>133
「…政治、軍事、経済、文化と四方八方に才能があって…」
過大評価しすぎだ馬鹿。
軍事は右に出るものはいないかもしれんが、政治、経済は織田信長よりできる奴が大勢いる。
それと自分には“文化”の意味がよくわからん、
当時の信長は日本の文化を壊してるんだが… >>134
信長の急速な勢力拡大は政才と経済力の賜物だろう
文化は…アレだ、茶の湯とか… 信長は天才というよりは、要領のいい秀才という感が強いな
もちろん、これは褒めている
それに経済的に富強な織田家を継ぐという幸運が加わった
>>133
よく比べられるのは柴栄だな
朱温にも近いものを感じる >>134
馬鹿はお前だ
劉邦や劉備、毛沢東や項羽と比較すると、
明らかに信長は多方面に才能があるよ
信長は水準は明らかに高い
劉邦、劉備、曹操、司馬炎、朱元璋と比較すると
明らかに才覚は一定以上なのは確か
劉邦と信長を比較した場合、劉備と信長を比較した場合、
信長は並みの英雄より高い水準を保持している 日本の一角である尾張から初めて勢力を倍以上にしているから、
たんに軍事だけの人物とは言えない。
経済や政治に理解がないと、あそこまで勢力は拡大しない。
信長に並みの人物、劉邦、劉備、毛沢東やスターリンと比較すると、
明らかに一定の才覚が存在するのは確か
劉邦と信長を比較すると、人物的には明らかに信長のほうが上
だけど信長はパンチの弱い人物だと思う
日本史上でも重視せねばならないような人物ではないし、
明らかにパンチが弱いため、世界的英雄とは言えない >>138の言う「パンチ」の意味が不明な件
インパクト?ならもの凄くあるが。
尾張を倍にってのは何だよw
劉邦、劉備、毛沢東やスターリンと並べるのも笑うしかない。各人全然違う
人物だろ?
まあそれはむしろ>>137の方に責任があるが。
劉備は覇者ではないからここに登場する資格はないし、毛沢東やスターリン
は信長と同等程度には金の動かし方は心得ていた。
>>136
世宗はいろんな意味でよく似てるね。軍事面はそれほどでもなくて趙匡胤とい
う秀吉と家康を合わせたみたいな有能な家臣、宗教弾圧、軍制改革、統一半
ばで死ぬ、など。俺が天下を取る!という気概もそっくり。
ただ、信長は名君と呼ばれることはないから、そこの所は微妙w
敵のみならず坊主や百姓も容赦なく殺しまくった事で、世間の人が引いてしま
ったのも事実だし、その分信玄や謙信に人望が集まってしまったのは大きな
マイナスだった。
黙ってニヤニヤしてるつもりだったがさすがに横レスせざるをえない気持ちになった。
>>140
>信長は名君と呼ばれることはない
講談や小説、風説やイメージで語りすぎ。現実の信長は、むしろ善政家。名君と呼んでいる人たちもいたんです。
信長が統治した地方は、稀に見る治安のよさを誇ったり街道の整備がされたりと、見逃されがちだが戦国時代としては素晴らしい内政だよ。
また、尾張一国時代から経済の概念をしっかりつかみ、要所を押さえてる。織田家に早く統治されたいという地方すらあったという逸話もある。統治民の満足度は高かったよ。
>敵のみならず坊主や百姓も容赦なく殺しまくった事で、世間の人が引いてしまったのも事実
これこそ現代人の感覚で語っていること。まず坊主は敵だ。鉄砲や弓矢を撃つ坊主はもう民間人ではないし、そもそも当時は民間人ですらいつ武器をもって戦ってもおかしくないという時代だった。
殺しに来る相手に「民間人だから」といって戦ったり攻めたりしないのは、「過去の罪があるのだからお前らは黙ってやられればいいのだ!」と言って韓国・北朝鮮が攻めてきても無抵抗でいろ、というのと同じくらい無茶だ。
そもそも坊主がおとなしい、なんて考え自体が滑稽。世界の戦争においても宗教者達が戦うのは物凄く良くあることで、武器・政治力を持つことも物凄く良くあること。宗教団体という名の軍事・政治勢力である。
また、容赦なく、というのも間違い。信長は戦わない約束をしたが、突然一方的に破られ、いきなり背後から攻撃され全滅しかけたことがある。
これで「許せ」とはどんなおしゃか様を戦国大名に求めているのやら。「黙ってやられて死ね」と言ってるのに等しい。だまってやられた奴は名前が残らないのに。
>その分信玄や謙信に人望が集まってしまったのは大きなマイナス
これは酷い大嘘。人身売買しまくり、無為に人殺しまくりの二人の方がよほど残酷で人でなしな事をやっている。
誰よりももえげつないことやってる秀吉が「太閤様」なんて良い人ぽく語られてるのと同様、後世に作られた単なる物語的なイメージ。劉備と同じパターン。
じゃあ何故信長には悪いイメージが作られたかと言えば、一番大きいのは、その後の権力者秀吉にとって、前権力者・信長はある程度こけおろさないと自分に都合が悪いから。そしてそれは家康にとっても同じ。
ただ、二人とも信長を完全に悪者にしてしまうと、元家臣・元同盟者という立場上まずいので、息子殺しの罪をかぶせるぐらい、戦においては「自分の活躍のお陰で勝ったんですよ」と信長の功績を減らす程度の悪口・コケおろしですましてる。 >>141
うん?
そこまで正面切って正論を吐かれてしまうと、全面降伏せざるを得ないw
信長の残虐性が、当時から多分に支配勢力や対抗勢力、後継の秀吉や家康のプロ
バガンダによるものというのは全くその通りだと思います。むしろ、未だに天魔王だの
なんだのというイメージを払拭できないについては、歴史学者や学校の先生の責任も
大ですよね。
ただ、信長について未だに日本で世間的には名君と呼ばれる事がないのは、やはり
少々極端な残虐性なのは否定できない。伊勢長島の仕置きについては、門徒衆を反対
勢力に押しやったのも間違いない。名目上の指導者は坊主だが、実質の指導者は決
して宗教的情熱のみで戦ったわけじゃない。支配層が坊主か武士かというだけの違い
であって、、別に武士だからよくて信長だから正義という事もないし、いかにいろんな勢
力に扇動されたとはいえ、何万人も焼き殺す必要はありますか?世宗との違いは、懐
の広さじゃないだろうか・・・
。
貴方の論法に従えば、項羽の鏖も、朱元璋の粛正もスターリンやポルポトや中国共産
党の虐殺も全部必要悪となってしまう。降将や配下の命令違反なども焼き殺したり即
殺すなど、やり方がそれしかなかったとはとてもじゃないがいえない。
貴方のお話は、原理原則としてはむしろ重要で、大切にしなければいけない視点なん
ですがね。
>>141
…じゃあ、これまでに発表された文献は全部偽者か。
>>141の言ってることによると織田信長の資料にある“悪い部分だけ”全否定してるから、
織田、武田、上杉、北条、毛利、浅井、六角、伊達、徳川、羽柴、その他諸々の大名達全員の“悪い部分”は嘘と言うことで全員名君ということか。 信長はバランス感覚に富んだ秀才
その時、その場の状況に応じて、適切な政策を選択し、実行した
何だか、旧体制を覆し、全く新しいものを創造しようとした革命児みたいに言われることが多いけど、
むしろ三好長慶以後の時代の流れに乗り、上手く導いて、
時代の秀吉、家康へ繋いだと見るべきだろう
それだけでも十分偉大じゃないか
並みの人間にできることじゃないんだし 転じて言えば
他の大名の路線と決定的な違いはほとんど無いんだよな >>142
>実質の指導者は決して宗教的情熱のみで・・・
うまく伝わってなかったようだけど、宗教勢力だから殺した、ではなく、敵方だから殺した、に過ぎないよ。
そもそも焼き討ち、全員虐殺なんて馬鹿でかくなりやすい話こそ眉に唾つけて聞いた方が良い話なのに、不思議とみんなそれをすんなり信じているのはな、やはり作られたイメージ先行の部分が大きいのだと感じる。
有名な叡山焼き討ちでも焼き後が無かったり文化財が結構残っていたりと、それほど酷い戦闘ではなく、単なる争いに過ぎなかったのではないかという話が最近はあがってきてる。
信長が罵倒されてきた理由のもうひとつとして、もうひとつ現存勢力として本願寺・・というか浄土真宗が残っていることをあげときたい。(先に言っとくが、現在の浄土真宗を悪く思ってるわけではないので)
石山本拠立ち退き令は最近では当の本願寺自体がなかったということを認めてる。信長を突然攻撃するにあたってみんな体の良い理由を作ってるだけだよ。
光秀も本能寺後に散々自分は正義だ、信長には酷い目にあったなんて吹聴してるが、波多野との約束で実母が死んだというのも大変疑わしい。坊主殺しさせられたのも動機になったなんて言ってるが、そもそもその坊主殺しの作戦自体が光秀からの提案。
浅井の裏切りも「朝倉を攻める際は一声かけてくれ」というのを大義として掲げてるが、そんな約束の資料は浅井方にしかなく、そもそもだから裏切って背後から攻めた、の正当化の理由としては乏しい。
さらに、そんな約束が存在していたなら、浅井の裏切り、激怒といった反応はそれほど不可解でもないのに、信長の驚き方は尋常ではない。
仮に信長が覚えていないにしても、家臣の誰も覚えていないのか、話さなかったのかという話になり、やはり信用できる話ではない。
>全部必要悪となってしまう。
大名の戦争にそもそも正義も悪もない。悪があるとすれば、なんら意味や効果・戦果が無い不毛な争いだろう。あるいは自分の統治民や味方殺し。
よく信長が一向宗という敵を自分で作ってしまったなんて論調があるがとんでもない。一向宗というのは当時多くの大名の足元で反乱をくりかえしていて、そして大名達はそれを「虐殺」したりされたり、途中で手打ちにしたり、だよ。
女も殺すなんて酷いって人もいるが、そういう人は(一応それなりに整備された大名の兵士ならいざ知らず)一揆がまさか男だけで構成されているとでも考えているのだろうか。
いいとこの女ならともかく当時の女がみんな農作業もしない、細い腕や足をしていたとでも思っているのだろうか。女だからと見逃しても武器なんて二度と持たない、まさか立ち向かってなどこない、とでも考えているのだろうか。
それに信長の場合、最初から敵対路線ではなく中立・もしくは親交路線であり、しかもそれを一方的に反故にされ、しかもここしかないというタイミングで後ろをつかれてる。
しかもその後も許そうとしたり和睦したりと繰り返してるのに、結局また信長を裏切る始末。にもかかわらず、信長を裏切った方は自分が一度ちょっとやられたら大騒ぎ、喧伝。
やり方がそれしかなかった、とはかなり的外れな意見。信長は散々対策を尽くしてる上で、本格的な作戦を始めただけ。
とはいえ、もちろんそれが正義だ悪だなんて話をしているわけではない。そういう時代だったのだから。だからこそ、信長一人が槍玉に挙げられるのは不当だといいたい。
>>143
もちろん偽者だとは言わない。しかしお前さんが信じてるその根拠の大半が、敵方による罵倒と講談などの創作物と、後の権力者によって作られたイメージ先行のもの、ということを少しでも知ってほしい。
悪しく書かれなくちゃいけない存在と良く書かれなくちゃいけない存在とではやはり同じようには書かれない
>>147
違いとして最も大きなのは、天下をとりたいといったこと。これを戦国期において最初に公言したことが大きい。
天下を取るなんて事は当時出来る出来ない以前に、みんな考えなかった。 土地や利権をめぐった村同士の戦いの時には
女子供老人全員で戦ってたそうだしな 天下を取るとは言っても、上洛当初の信長も最初は足利義昭を擁立して、
その補佐役として実権を握る、多分鎌倉幕府での北条氏のようなものを想定したと思うけど、
そういうのを模索していた節があるよ。
将軍を追放したと後も、一度呼び戻そうと試みていたりもしているし。
結局、時代の流れの中で、将軍が不要な、平氏政権のようなものを構想する方向へ、
考えが変わっていったんだと思うけど。
三好長慶も、将軍なしでの政権樹立を模索した向きはあるけど、
当時はまだ幕府の権威がそこそこ残っていたから失敗している。
信長の時代に、とうとう将軍なしでも政権が樹立できるまでに、幕府の権威が失墜したんだと思う。
その前に、管領を目指しながら管領代に甘んじざるを得なかった大内義興なんかも含めて、
秀吉、家康までの流れは、それぞれが一段階ずつ前に進んだように見える。
信長はもちろん重要には違いないけど、一人だけ突出しているとは思わない。 ID:ylhG3jhY
典型的な織田厨だな。
とりあえず君が言ってる事がすべて自分の脳内判定ってことは分かった。
>>148最後の行の
「一番最初に天下を取ると考えたのが織田信長」
みたいに書いてあるが普通に違うから。
信長が産まれる前から天下布武を思って戦を始めてる守護代がいるから。 >>150
単に発言のひとつ、というんでなく、旗印が天下布武なんだよ。美濃の時点からね。義昭どうこう以前から。
これは単に信長個人が武力で天下を取るという意味だけじゃなく、武家として天下を統治する、という意味もあるといわれている。
そして他大名と違うのは、天下をとると公言して、実際にその道筋をひとつひとつ作っていったこと。京に上れば天下、なんて考えにとらわれていたわけでもなく、将軍や太政大臣などの権威を得れば天下、と考えていたわけでもない。
あくまで信長は実際に天下を統治することを目指し、権威より実を取っている。
幕府の権威が失墜、という考えはそもそも日本という国を統治国家として狭く考えすぎ。
東日本、辺境などでは乱以前に独立的な考えが強く、攻め入ることが出来たならそもそもそこまで幕府の言うことはもともと聞かないし、もしとんでもない軍事力を持っていたなら平気で攻め入って統治したろ。
三好が失敗したのなんて軍事力、政治力の問題と、何より意識の問題。
話は戻るが、とにかく信長は天下思想を誰より強く持っていた。朝倉と講和する際にも天下という言葉を口にして相手を持ち上げるなど、強く意識していることがうかがえる。
信長がいなければ、天下という思想がなかなか他大名にも実感として伝播せず、いくつかの大名家があるていどの勢力を誇ったまんま、江戸幕府よりよほど中央の権力が弱い国家が出来ただろう。 >>151
スレタイを読め。まあそれはともかく、厨なんて言葉を使い出す時点でどうよ。
確かにレスしやすいように扇情的に書いたけど、単なる悪口レベルにするのはどうか。
「最初に公言」は絶対突っ込む奴がいるだろうなー、とは思ったが、本当にまっすぐ突っ込まれるとは思ってなかったぜ。
イメージ優先で書いちゃだめって良い例を示せてよかったw
正確には、天下を取ると若いうちからいいはじめ、実際に道筋を作り、本当にあと一歩という姿勢まで作った稀有な武将、というところか。 >>152
わかった、わかった。
織田信長が天下布武を他の大名に宣伝して皆、天下統一しようとしたんだね。
あれ〜おかしいな、北条早雲という御仁がいるんだが。 なんか疲れてきたよ。
>>141=>>148=>>152=>>153の、自分の言いたいことだけ言い散らす論法には。
別に織田信長の功績を否定してる奴なんてここにはいない。
世宗柴栄との比較で、信長がどこまで名君の資格足りうるかどうかについての議論
をしかけたが、その方法があまりにも信長(だけ)擁護すぎるからバランスを欠くと批
判を浴びている、ってことだろ?
結局お前さんは、どっかで自分の知識や考えをひけらかさずにはおれなかったんだよ。
でもって、いろいろ言及する程に底浅さを露呈して行ってる。
恥の上塗りはもうヤメレ >>154-155
どうしてそう、放り投げるかな。話が理解できないから?なんて悪意のある放り投げされたら自分も気分悪いだろうに。
>>156
あらら、落ち着けよ。いいたいことだけいい散らかすって、そりゃもともと突っ込みたい部分に突っ込んだんだから、いいたいことはそりゃ言うよ。
>かで自分の知識や考えをひけらかさずにはおれなかったんだよ。でもって、いろいろ言及する程に底浅さを露呈して行ってる。
知識自慢するつもりで底露呈って意味無いじゃん。知識自慢なんて戦国板でするもんなのか普通?俺がするとしたらもっと知らなさそうな人にするよ。
俺は純粋に、今世間一般で語られてる・・というかこのスレで語られてる信長の(特に性格的な)イメージについておかしいと思ったから言っただけだよ。
つまり本来は能力云々の話じゃなかったのに。
ある事に反論するためのながーいレスの、主旨とは違った部分に噛み付いて話がずれてく、というのは2chではよくありまくる状態だが、正直こっちこそ本題に戻ってほしい。
信長は名君ではない→それは先行イメージだよ
これが俺の主張で、いくつかその例を紹介したら「じゃあ全部今までの史料は嘘だったんですね」とかってばかげた極論が出る始末。
それにひとつひとつレスつれてくとまた「俺の主張」ではなく俺のつけたレスの一部分に話をそらしていく流れ。きりねーよ >>157
全てのレスが長文のお前の方が落ち着けよ。 >>157
あなたががいちいち全部に答えようとするからおかしくなるんですよ。
流せばいいでしょ、あなたが? >>129
2人とも、若い頃は壮絶だったからな…… まぁ雑魚の中国なら元就、信玄、謙信あたりでも天下とれたけどな。
中国の主君は朝倉義景や大友宗麟みたいのばっかで楽勝。
政治も戦も一流なんてのは曹操ぐらいなもんだ。 朝鮮の役でも装備や騎馬隊の数、能力については全く歯が立たなかったと
いうのにな。 >>163
朝鮮の役なんかは日本に様々な面で不利だからしゃーない。
中国が日本に攻めてきてみん。
自滅して撤退するから。
でこれのソースは?
>朝鮮の役でも装備や騎馬隊の数、能力については全く歯が立たなかったと
>>164
まあ人数の問題は朝鮮軍は一般人も軍団にいれてたけどな、
沖縄戦のアメリカ軍と日本軍みたいなもんだ。
アメリカ軍=普通に軍隊
日本軍=一般人が過半数の軍隊
装備については自分はしらね。 長篠の戦い vs 鄱陽湖の戦い vs アンカラの戦い ●劉邦軍 56万 vs ○項羽軍 3万
劉邦軍死者10万以上
嘘くせぇwww
中国の歴史ってこんなのばっか 確かに嘘くさいがかといって項羽の3万が妙にリアルなのがなんとも・・・。 昔、特に古代の戦いの兵数なんて、誇張が入るのは当たり前だろう
ペルシャ戦争のペルシャ軍なんて総勢230万人だしw
こういうものは、とりあえず記録に残っている数字を挙げた上で、
実際の兵数は〜人ぐらいだっただろうと、いろいろ推計するものだよ まあヘロドトスのじじいが悪いw
でも、ギリシャとかローマの兵数は、まあまあそれなりだけどな。
部族の成年男子全部カウントしたとか?そういう国家体制だったようだし。 まあ比較的新しい戦国日本でも、兵数や戦死者の数は、
わりといい加減な場合も多いし
後、どういう構成の軍隊かによって、単純に兵数だけでの比較もできないな
戦闘員だけ数えている場合もあれば、その他の関係人員も全員数えている場合もあるし 信長はどうでもいいけど、
朱元璋とティムールの対決は見てみたいな。 >>174
どうでもいいけどそんなに凄いんなら実績表出してよ。
何年何月どういう戦いで勝利したとかさ。 >>174
東方の覇者と西方の覇者の、
モンゴル帝国の後継の座を巡る究極の戦い
勝った方が事実上の世界帝国となる
こう見ると凄く盛り上がるけど、
2人が覇権を樹立した時期は、ちょっとだけずれている
ティムールが明遠征を考えられるようになった時期、
既に明は朱元璋の息子の永楽帝の治世なわけだし >>179
演義に描かれている赤壁の戦いのモデルと言われている戦いだねえ 信長にとって一番凄い戦いって何だろう?
桶狭間? 姉川? 長篠? 姉川をなぜ上げる?
他の二つは、諸要素を沢山積み上げて勝利に持っていったという点では
どちらも信長らしい。戦略家としては、大兵力を扱わせるほど力を発揮する
謀将、軍師タイプだろう。確かに朱元璋に似てるな、色々と。 戦術に関してなら、ティムールの方が朱元璋より上手だな そら、こと戦闘に関しては人類史的にもトップクラスだからね>チムール
信長・朱元璋とは比較にならない戦争の天才だし、武人としてのカリスマが違いすぎる。 戦闘だけで比較するなら、チムールに信長や朱元璋は相手として
物足りなさ過ぎだよな。
見たいのは、例えば
チムールvs韓信
チムールvsアレキサンダー
こういう話だ。 ティムール = 劣化チンギスハーン
織田信長 = 劣化平清盛
>>183
普通に戦ったから、ティムールが朱元璋に勝ちそうだけど、
朱元璋は負けても、えげつない謀略か何かで戦局を引っ繰り返しそうw 古代の英雄と比べるならチンギスだろって意味な
劣化チンギスじゃ役不足 とりあえず清盛は全然違うと思うぞ。
能力の話はおいといて >>189
朱元璋は、なんだか地獄の底から這い上がってきそうな男だしなw
信長も非常用脱出セット(袈裟・剃刀)を用意してれば良かったのに。 朱元璋と比較するなら秀吉だろうに。
信長は本能寺で殺されなくても、天下統一なんてできんだろ 信長は死せず...、野望は世界に...。
国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
URL : http://soresuta.jp/ もし朱元璋が秀吉の立場なら、織田家の血筋は一人残らず殺すのはもちろんのこと、
外様大名もじわじわ処分していき、
最後には七本槍も粛清しちゃうんだろうな 朱元璋が秀吉みたいに子が少なかったら、靖難の変みたいな事態も避けられるかもな
血を引く跡取りは秀頼ただ一人
徳川、毛利、前田などの外様大名はもちろんのこと、
七本槍などの譜代の武功派も粛清
豊臣家当主による絶対独裁体制の確立を目指すだろう
ただ、時間が足りないか 中国の歴史はなんかうさんくさい。
1の話を10にしてるという印象。
何の作戦もなしに正面からぶつかって1万が20万に勝ったりとか絶対ありえない。
長平の戦いとかほんとに紀元前の趙が60万も動員したのかなどなどほんとーにうさんくさい。
三国志なんて子供に見せるもんじゃない。
信じちゃったらどうするのあの捏造本。
読ますなら正史だけにしなさい。正史もところどころ矛盾してて信憑性に欠けるけど。
演義は漫画レベル。北斗の拳と変わんないよ。
だいたい大将同士が遭遇して一騎打ちなんかするわけ無いだろうが。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています