>>458
>言葉に差別はあるよ。

 何度も書くが言葉に差別はない。差別する意図を持って使うから差別となる。
言葉は記号に過ぎないことをまず念頭に置かねばならない。
私は大学のとき、日本でのちびくろサンボの表現問題について卒論を書いたが、
あなたのような考えの人が少なからずいた。

 ここで大事なのは表現者が差別的意図を持っていないのに、
他の人が勝手に差別だと受け取って糾弾すること。
人の言動をどう捉えるかは自由だが、それが絶対のもののようにして相手を批判するのは間違っている。
「被差別者」と捉えている人の感覚が絶対というわけではない。
こういう糾弾者が声ばかりを配慮していると自由を脅かすことになる。
特にマスコミなどは過剰に反応し、「不適切」と思われる言葉を言い換えたり、
そういう問題になりそうな事柄をタブーとして扱わなくなる。
このようなPCを私は非常に危惧し、そういう考え方の発言が出ると必ず反論を書くことにしている。
こういう大事なところで黙っていると賛同しているみたいにとられるのでね。

 実際にアメリカではトランプ大統領が登場するまでのオバマ大統領時代にあまりにもPCがひどかった。
一般庶民のこの怒りがトランプ大統領を誕生させた1つの要因ともいわれる。
あなたは表現規制について少し勉強してみなよ、私が大学時代に読んだ
『ちびくろサンボとピノキオ―差別と表現・教育の自由』『焼かれた「ちびくろサンボ」―人種差別と表現・教育の自由』
(ともに杉尾敏明、棚橋美代子・著)は面白いよ。
アメリカにおけるオバマ大統領時代の表現の自由に対する締め付けは
『テキサス親父の大予言 日本は、世界の悪を撃退できる』(トニー・マラーノ著)が参考になるだろう。
日本の表現の自由を守らないとオバマ時代のアメリカのようになってしまう。それだけはなんとしても阻止しなければならない。