プロのカメラマンと、いわゆるアマチュアのカメラマンとの違いは、もちろん無数にある。
中でも大きな違いの一つとして、プロは仕事で撮影し、アマチュアは趣味で撮影するという点がある。
仕事である以上、人物を撮影するにしても個人的な希望より、仕事を依頼した側の要望を優先しなければならない場面もあるだろう。
だが、アマチュアは違う。
なんせ趣味なのだから。
人物を撮影したい、という自分の希望に叶う人物を選ぶ自由がある。
つまり、アマチュアのカメラマンが写真を発表する場合、
そこにはその作者が撮影したくて撮影した対象が写っている。

ブスのポートレートを撮影する目的は何なのか。
ブスを撮影したポートレートが存在する訳は何なのか。

すでに書いたように、あらゆる人物を作品の主題に出来る。幼い子どもの笑顔に残酷性を表現することもできるし、市井の人々の姿に生きることの意味や幸福とは何か、を主張することも、老人の深く刻まれた皺に人生を問うことも出来る。当たり前だがそういう人々が、造形的に美しいあるいは可愛くある必要は全く無い。

ただ、何度も書くが作品として発表するなら、作者にはその作品を通して言いたいことがあるはずだ。
それは何も難しいことである必要はない。綺麗だろ?とかセクシーだろ?とかでも全く自由だ。
だが、この女、ブスだろ?とか醜いだろ?という意図で作品を発表するならその作者の人間性は最低だと言わざるを得ないだろう。

ブスのポートレートを撮影する目的は何なのか。
ブスを撮影したポートレートが存在する訳は何なのか。