いや全くチーズさんとキセルのことですね



『現代に生きるアドラー心理学』に、アドラーの次の言葉が登場します。

優越コンプレックスというのは、劣等コンプレックスを持つ人が困難から逃げ出す方法として利用する道の一つである。優れていないのに優れていると考え、この偽りの成功により、自分が耐えることのできない劣等性という状態を補償する。
通常の人は優越コンプレックスを持たないし、優越性という感覚すら持たないこともある。通常の人は、成功したいという向上心を持っているという意味で、優越性に向かって努力し続けるのだ。

アドラーは劣等性とおなじく優越性は否定しません。特に幼児期においては、優越性を抱くことは、主観的であっても成長を促すために必要であると捉えます。問題は、幼児期から青年期、そして大人になる過程で、自分自身を相対化させることに失敗し、コンプレックスとしてライフスタイルに組み込まれてしまうことなのです。

アドラーの捉え方とは…

優越コンプレックスは劣等コンプレックスの変種に過ぎません。こうした人々は適応的ではありません。ちょっとした俳優に過ぎません。寓話の中の葡萄を例にとると、まるで葡萄に到達できるかのように振る舞い、葡萄を手に入れたと自慢し、あるいは嘘までつき、非常に容易に手に入れることができると他人に信じ込ませようとします。その実体のない片割れと同様、優越コンプレックスは、実際に獲得する技術の発達や適応する力を弱めます。さらに大きな苦悩に導くことにもなります。声高に主張する尊大な優越コンプレックスは、劣等コンプレックスが変形したものです。