かつてバックパッカーだった人
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Phuket Happy Tour
ここにゲストハウスが付属していたような。 カオサンのさくらハウスだっけ?はかなり昔に潰れたな
ブダペストのアンダンテホステルはまだあるのかな
南米は行ったことないけどいくつかあったよな
このご時世営業してんのかな 最後に旅行したのは13,4年前だったか、
イスタンブールで20年ほど前に泊まった安宿がどこも数千円になってて驚いた。
ムーンライトやホテルアヤソフィアだっけ、5ドルぐらいで泊まれたよね。懐かしいのと同時に寂しくてたまらなかったな。 >>30
最近、世界地図を眺めながらそれよく考える。
同じ宿に2ヶ月も3ヶ月も沈没してないで、もっとあちこち歩き回れば良かったんじゃないか?って。
でも思い出すと、例えばブダペストから近くのルーマニアやポーランドに行ったとき、その先のブルガリアやバルト三国も「どうせ似たようなもんだろ」という気持ちになってたような気がする。
同じような風景ばかりで新鮮味がなくなると言うか。。。
今になると勿体ないことをしたと思う反面、長く滞在した都市への愛着も大きいので、それはそれでアリだったかなあ。。とも思う。 >>41
おれは2回目の長期旅行からは沈没込みを見込んで旅するようになった
長くいればその都市に浸かった分、記憶容量もデカくなるし現地人(女とか)とずっとコミュ取ってるのもいいもんだよね
せっかく凄く気に入った街を2〜3泊とか駆け足ですぎ去る必要はない
って思ってそれが優先された
でも年取ると偏見っちゅうか好き嫌いができて、行く気がしない国も出るから
旅し始めの頃はバンバン回った方がいいかな 2泊ぐらいだけで次々に移動していく旅行者もいるね。
もっとゆっくり味わっていけばいいのに。。。と思いながらも
そういう移動そのものが目的の旅もあるんだろう。 オヤオヤ、基地外が暴れていますねぇ、飽きもせずwww
基地外だから信用して貰え無い、基地外の嘘つきだから画像も見て貰え無い、書き込みは閲覧を拒否される。
日本社会では常日頃の信用・信頼があってこそまともに対応をして貰えるのですがwww
何故だか理由を理解出来ないから基地外なんです。
誇大妄想の粘着基地外ですからねw
しかも言われて悔しかったことをオウム返しに書き殴っているだけw
オレはリアルだから10年以上にわたり一貫したレスを付けているが粘着基地外はその場その時だけしのげれば良いというブレブレの嘘八百だらけ。
どちらが信用して貰えるのか?日本人なら分かるよねw
それを嫉んで罵詈雑言を浴びせたところで誰にも同調してもらえないのはそう言う事なんですよ。 カイロの日本人宿、なんて言ったっけ。
「豊かな人生、惨めな老後」とかいう標語をよく見かけたが、あそこにいた日本人ももう60過ぎてるんじゃないかなあ。
若いうちにやりたいことやっとかないと老後に後悔するぞって言いたいんだろうけど、あの連中、惨めな老後を迎えてなければいいが。。。
主のような人がいて、その後火事で焼け死んだとかいう噂を耳にしたが本当かな。 サファリに90年〜00年代沈没してた日本人が今どうなってるのか興味あるな 自分は90年代にコヴァラムビーチに2週間、キーカーカーに1ヶ月滞在したが
2020年3月までパッカー現役でした。 せいぜいコロナ前数年程度の思い出話かと思いきや老人がゾロゾロ集まってきてて草 >>48
エジプト人に金貸して返してもらえないから居続けた人でしたっけ? >>47
宿の前にある鶏屋で捌きたての鶏肉を皆でカレーにして食べたのがイイ思い出です。
肉がものすごく柔らかかった。 そういや昔バックパッカーパラダイスだっけ?描いてたさいとう夫婦のブログ見つけたので読んだら娘が就職した記念で行ったのが久しぶりの海外旅行とか書いてたな
やはり家庭持ってて子供出来るとバックパッカースタイルの旅行は厳しい ブダペストにあったテレザハウスなんかは沈没してても健全なのが多かったような。
積極的に街歩きして海外旅行を楽しむ輩が多かったと思う。 ブダペストのホステルにウクライナ人のオッサンが来ていたけど
今彼はどうしてるんだろうか?
自分はここで怪我して病院通いして予定狂った。
病院通い後、ブダペストからFlixbusと列車乗り継いでポプラド行ってタトラ山地でハイキングした。
その後ポーランド経由でウクライナへ行く予定だったが
急用が出来て無念の帰国を余儀なくされた。涙) >>56
さいとう夫婦かぁ
今でもこうやって名が挙がるんだなぁ スゴ
まだ旅の本が少ない頃で、漫画だったから
立ち読み小分けにして読んだなw
後になって借りてちゃんと読んだけど、下川、蔵前が目立ってた
90年代前半。いい時代だったなぁ >いよいよ、金がなくて何にもやることがなくなったのかな?w
そうかも分かりませんねw
そして、お金が無いからネットで集めた旅行情報を5chに書き込んで旅行した気分になっているだけwww
投資するセンスも度胸も無いからいつまで経っても天然冷暖房完備の高級オンボロアパート住まいwww
こんな板で他人にマウント取って嫌がらせする暇があるのなら投資で儲ける方法を考えれば良かったのにねw
>オレは日本の旧民主党が良かったとは思わないが
情勢が大きく変わる時こそ利益が膨らむチャンスですから。
今の変化しつつある情勢と投資が結びつくレスが付けられないキセルBBAはド貧乏人確定ですわ。
半額弁当漁りも「やっぱり本当だったんだなw」との心証になりますよ。 さいとう夫婦の漫画は、多摩ニュータウンのどっかの図書館で読んだ
京王と小田急の永山駅付近だったと思う。
インドの安ホテルで、学卒後1度も就職してないという、
35歳くらいの日本人資産家のドラ息子の描写は印象に残ってる。 >>56
さいとう夫妻懐かしい
オウム麻原のこととか書いていたね
コロナ収まってまた旅にいけるのかな? 旅行人関係の作家懐かしいな、岡崎大五、グレゴリ青山、宮田珠己
皆今でもそれなりに活躍してるがバックパッカーからは足を洗ってる
2000年前後が一番盛んだったかな
双葉社から格安航空券ガイドとかいう雑誌も出てた >>58
ワルシャワのユースでベラルーシから出稼ぎにきたおっさんと同室になったが、修学旅行生の予約があるとかで2人とも部屋を出た。
1月の極寒の中、まったく言葉の通じない彼と朝から部屋探し。ポーランド語を少し話せるらしく地元の人に聞き込みをしてくれて、一緒に街中を歩き回った。
しかしどこも休館中か満室、ホテルは高すぎる。
夜になってようやく住宅街にこじんまりした宗教系の宿を発見。一緒に大喜びしたが、ホームレスや出稼ぎ労働者専用?とかで旅行者は無理らしい。
おじさんはおれの為に一生懸命説得してくれたがダメだった。1日中ワルシャワを歩き回って不思議な信頼関係を築き上げたが、かたい握手をして別れた。彼の申し訳なさそうな顔が忘れられない。
歩いてワルシャワ駅に戻ったのは21時ごろ。駅で夜を明かした。ものすごく寒かった。 >>64
安宿は当日飛び込みだと満室だったり、bookingやagodaで予約入れても1日だけだと追い出される事がある。
ベオグラードの10ユーロ以下のドミトリーにも、労働者みたいな人達がアパート代わりに泊まっていた。
ネットが出来るずっと前だけど、デカン高原のYercaudのドミトリーでも
団体客が来るそうで追い出された。 斎藤夫婦は最初の本は買って読んだよ、まだおれがバクッパッカーを憧れの目で見ていた頃
旅行人関連では小さい連載の「歩くはやさで旅したい」が好きだった
数年前に単行本で出版されたときに購入したよ >>63
旅行人って言葉には反応せずにいられないw
別に信者じゃないけど熱のこもった、カルトの王様みたいな出来だったよね
富永氏だっけ「スーパーマップ」も良かった
旅行人自体は数冊しか買わなかったけど、友人でそろえてる人がいて読ませてもらってた
そのうち旅行人ノートって形でガイドブック化するけど役に立った
やっぱインターネット登場によって存在意義が弱くなってきた
ネットが無ければ今頃、旅行人ノートが20地域ぐらい出てて存続してただろう幻想はあるw ネットが急速に発達したのが分岐点だね
あと日本の価値がいろいろ下がったのも
ロンリープラネットはまだ高いときにウィラー夫妻が売ったんだよな >>65
そうそう、そのユースは出稼ぎ労働者の溜まり場だったよ。
6人部屋で、ポーランドの田舎や遠くはモンゴルから来てる人もいた。言葉通じなくても持ってた世界地図を見せ自己紹介したり、相手はウォッカをご馳走してくれてけっこう楽しかった。
みんな歳取っただろうけど、今もどっかで生きてるんだろうな。 東欧諸国のビザがどんどんなくなって旅行は楽になったけど面白味は減った気がする。
領事館でスタンプ貰ったり国境でドキドキしたり、あれもまたいいもんだよね。 あっそうなんだwありがとう。
なるほど、だから、何処かから借りてきた様なレスとおバカなレスのミックスになっているわけですね。
了解。
キセルBBAが投資なんて出来るわけ無い理由ですねwww
一生年収700万円の架空の会社員にしがみついているだけの人生に何の意味があるのか? >>69
ホステルには労働者優先と旅行者優先があるみたいに感じてる。
労働者は荷物多いから、彼等が泊まると室内が狭くなる。 >>70
そうそう
50ドルのビザ代とか掛けて入国することにリアリティがあったw
ビザ無しになった直後は損した気分にはなるけど
何十年も経って思えばビザ有り時代に行った密かな優越感あるかな チャリダーマン周藤卓也のブログに、アフリカ某国のビザ代が1万円以上と書いてあった
まだ10年くらい前だからそんな昔の話ではない。 ザンビアビザを取りにタンザニアの大使館に行ったら壁にビザ料金の表が貼ってあった。
日本人は3000円くらいだったと思うけど、高い方だったな。
中国人だと数百円程度で、国同士の関係でここまで違うのかよと感じた。
そこの職員の人に領収書はパスポートの挟んでおきなさいと言われてそうしたんだけど、
現地イミグレ職員にイチャモンを付けられるのを防ぐためのようだった。 >>74
還暦キセルからしたら10年前は50歳だからなw
あの使い回しネタがしつこいトルコに行く前かw 昔は飛行機のコクピットに入れてくれるとかあったよな。 下川裕治はコロナ禍でも旅してYouTubeに動画あげてるけど再生数は悲惨 下川裕治の動画は始めた当初に少し見たけど、あまりにもつまらなくてそれっきりだな。
でも旅しているのは尊敬できるよ、ライブだけやってスパチャ稼ぎだけのユーチューバーもいるからね。 そういう意味で海外旅行板で叩くべきなのはキセルBBAですねwww
場違いも良いところの基地外レスのアラシですからねw
しかも、そこら辺のガイドブックにでも書いてあるようなことばかりでマウントwww
ウザイだけ。 昔むかし、ホンジュラスのレンピーラはニカラグアでは紙くずだったけど、
まさかアルバニアレクがギリシャでは紙くずで両替出来ないとは。
これはつい数年前の出来事。 >>80
彼しかいないよな
このスレにはピッタシとも言える イスラム系の国に行くと
「ジャパニ、飯食わしてやるから家に来い!」
的なフレンドリーがやたら多かったな
道ですれ違っただけで向こうから声掛けてきて
そう言ってくる
今でも変わりないんだろうか? そうやってザルカウィのところに売られるやつ出るから怖いわ 確かについて行って性的イタズラされた旅人はいたな
トルコだったか、ホモ被害w イスラム圏のホモ伝説はいっぱいあったなあ。
犯されそうになったんで「やめろ俺はエイズだ」と言ったら「心配するな、俺もそうだ」とか、
シャワー室に入ったら壁がパタンとひっくり返るようになってて壁の向こうに裸の男が数名待機してたとか、
レストランでお茶飲んでいて、気が付いたらベッドで素っ裸にされていて男がチンチン舐めてたとか。。。
おれはベイルートのドミトリーに泊まったとき、ふと横のベッドを見たら髭のおっさんがおれを見ながら自分のチンポしごいてた。その晩は怖くて寝れなかったわ。 ヨーロッパで出来たバックパッカー友達
どいつもこいつもケチばっかりだったから、
旅行でケチケチするくらいならがっつり働いて金を稼いでから、豪華な旅行をした方が絶対楽しいと思った 入場料や交通費や飯代、そういうのをケチってばかりでもつまんないよな。 あるバックパッカーはベルギー行ってワッフル食わない、ビール飲まないだったもんな
ホステル巡りは意外と楽しいけどね 東南アジア→インド→パキ→トルコ→欧州
って旅したからどの言い分もわかる
自分はケチった
「ここで食費に使うんかぁ…途上国でボロいバスで24時間走って浮かせた額が一気に飛ぶんか」
とよぎって、パンばかりだった
南欧ではパエリア、ブイヤベースは安いところ見つけて数回食った
欧州の後は南米で、反動でそれなりに食った 東南アジア周遊した最後に香港に寄ったとき物価がクソ高くてめっちゃケチった
最後に物価の高いところで終わるの良くないと思った パキ懐かしい。
クエッタからの日帰り鉄道旅行で行ったChamanは武装兵士と難民テントがズラッと並んでいてショックだった。
カンダハールは行ってないです。 バックパッカーってカッコいい名前付けるからダメなんだよw
乞食トラベラー、でいいよ 社畜だの大部分の日本人は、パキスタンのアフガン国境地帯には行けませんね
悔しかったら海外旅行してみなさい。 >>93
ペシャーワルはアフガン人が大勢いた
やせて服が汚くて
アフガン紙幣数えてる奴らもゴロゴロいた
日本人に一人も会わなかった ペシャワールはカイバル峠経由でアフガン行くツーリストで昔は賑わったそうだが
もうタリバンが大量に入り込んでパキスタンには行けないだろうね
クンジュラブ峠越えも"過去の栄光"ですよ 基地外はオレが余程羨ましいらしいね、二言目には東南・・がと、そういう所が基地外の証拠でもありますね。
キセルBBAは何か他人が立腹するレスを書いて注目が浴びられれば精神勝利する基地外ですからね。
悪意に満ちた馬鹿馬鹿しすぎる基地外のレスには反応しないのがお約束なのですが、今度は反応が無いと勝ったとまたまた精神勝利してますね、基地外は基地外と言う事でwwww
実は、今までに、キセルBBAから「ああこの人はホントに何処そこへ行ったのだな。」と確信出来るレスを見たことが無い。
常に出所不明の画像と誰かのサイトとかガイドブックの(翻訳)コピーと罵詈雑言の羅列だけ、その罵詈雑言も「さっき見たよ。」といういつも同じ罵詈雑言だけ。
最近では「あっ、またか。」終わってしまうからねwww手抜きが過ぎる架空の旅行ですから。
一度、その人物評が定着してしまうと覆すのは大変な努力が必要ですが、基地外は確信を覆すのでは無く、より深める方向にしか持っていかない。
今では画像なんて誰も見ないし、レスなんて誰もマトモに見ないでしょ、コピペばかりだし、見る必要が有りませんね。
嘘つきの末路を見ているようですwww ベトナムかなり好きでベトナム(人)贔屓だったが
日本に大量に来るようになってから、嫌いになったわ
遠い世界の奴らだから良かったのかもな
しかしベトナムでは、ノーブラの若い奥さん、人前での授乳とか
良く見たな。今もそういう「気にしない文化」はあるんだろうか? 半年間インドを回った期間とか
人生で一番オモシロかった時期とは言わないまでも
生まれてきたら体験しとかなきゃ損だ、ってくらい高まるもんはあったな
小さな街でフィンランド人の姉ちゃんと知り合って、成り行きでルームシェアして
セックスしちゃったり
次の街では一人旅の韓国人JDと知り合って、やっぱセックスしちゃったとか
毎日がドラマだった 初めてベトナム行った時は枯葉剤の爪痕が色濃く残っていて
身体に障害のある人がかなり目についた
手足が無い人がスケボーにうつ伏せ状態に乗っていて、足元に近付き物乞いにくる。 いつの話なのかな
アジア中にそういうのは居ますよね ベトナムに初めていったのは20年くらい前。
枯葉剤の後遺症なのか鼻に穴が開いてるおじさんを見たし、
目が見えないおばあさんを引率した子供が物乞いしていた。
ローカルバスには外国人料金が設定されてるから、パッカーはツーリストバスというベトナム特有の外国人専用バスで旅してました。 その頃なら私も知ってる感じですが、いるにはいるけどねえ
途上国どこでもそういうの居たから、特にベトナムだからとはあまり思わなかったなあ
まあまだあの頃は体の大きな人いなかったよね 20年以上前にプノンペンで、地雷踏んだのか松葉杖の軍服の片足が無い物乞い見たし
首都なのに道路の舗装率悪かった
今でもそうなのかな?
サラエボでも似たような松葉杖の人を見たけど、これはつい数年前のこと。
モスタルも廃墟が沢山残っていたから、ウクライナの復興は20〜30年掛かりそうな予感。 ベトナムはハノイからホーチミンシティまで列車移動で10日間くらいかけて旅行したな
南に行くほど印象は良かったけど、どこの街もボッタクリが酷くて、それだけで精神的に疲れた インドやエジプトやモロッコ周った人たちが「一番最悪なのはベトナム」とか言ってたな
だからかわりと避けてたんだけど5年前に初めて行ったら普通に親切で特にトラブル無かった 確かにね。20年前のベトナムは外国人料金あったしボッタクリやシクロの執拗な追跡があり、
性格が悪い印象だったが
数年前行ったら様変わりしていた。
外人パッカーも寝台バスに現地民料金で乗れるし、タクシーもVISAで払えたし
立派な高速道路が開通していた。 ベトナムに最初に最初に行ったのは1996年で、長距離バスは
「シンカフェ」の名がとどろいてた。バックパッカーも金持ちもシンカフェバスか
鉄道で移動が……9割だったんじゃない? (欧米人がいっぱい)
残りは「キムカフェ」という二番手の会社を使う派と、現地バス派
自分は現地バス(ワゴン)使ってホーチミンからフエまで身体小さくして
耐えた。途中のメシ休憩で、メニューが無く、同乗してた母娘に任せて同じもの頼んだりした。
出費はシンカフェの半額で済んだけど、日本円に直すと大した額じゃない
そういうキツイ節約したから、欧州入ったらメシに金欠けるのためらって、パンばっかりだったわ 枯葉剤なんかで障害持ちっぽい奴、ビッコで歩く奴、それなりにいたねえ
店で水買うにしても何買うにしても価格表示がないから
九分九厘ボってくる。帰ろうとすると下げてくる。
シクロは絶対乗っちゃダメ(悪質)
当たり屋のスリがいる。
まぁ悪いことだらけだったけど、2010年に行ったら、1996年のようなカオスが
無くなってて面白くなかったなw オレに嫉妬して粘着するBBA、オマエの過去の行いがそうさせているんだよ。
そんなに羨ましいのならオマエも真っ当に働いて投資をし資産を作れば良かったのになwwww
金があれば若い美人が寄ってくるし、金が金を呼ぶからwww
結婚どころか女友達の一人も出来ない貧乏なオマエの過去を恨むんだよ、オレを恨むんじゃ無くてなwwww 20年くらい前のシクロのしつこさにはヘキヘキだったが
戦争の後遺症で皆生きるのに必死だったんだろうね、
またネットやスマホが無かったからロンプラのコピーブックが横行していた
指差し会話帳としても優れてる
Lonely Planet Vietnamese Phrasebook
買ったら、印刷悪くてあまり役に立たなかった。
数年前行った時はハノイは高架鉄道の建設中で、経済発展感じた。
ラオスは遅れを取ったが、今後昆明からの特急電車開通でどう変化していくんだろうか? >>112
あったあった、ロンプラのまるごとコピーw
ベトナムで買って帰るちょうどいいモノはジッポのライター 貧乏旅行者とか言われて揶揄されてたけど20年後30年後は円の価値が下がって東南アジアの物価も上がってコロナも直撃して厳しくなるとはな
結局日本に存在価値があって景気良かった時代の徒花 民主党政権時代の円高のチャンスを逃した貧乏人は、
もう10年くらい長期旅行してないんじゃないかと思う。 >>114
そうだね
発展途上国の発展途上国らしい姿(文化、風習)が見れたのも良かった
最近のユーチューバーの旅動画とかで
「インドは6年ぶりですが、だいぶインド人大人しくなってます」
とか語ってんの見ると、笑えるというか複雑になる
こっちは30年前のインド周遊のイメージが頭から抜けないんだが だいぶ変わったと言っても、例えばシベリア鉄道とか、ミャンマーの地方の村とか、昔のまんま営まれてるような気がしてならない。 マレーシアのヘドロも20年前と変わっていない。
高層ビルとスラム街と大型モールとヘドロだらけのドブ川が、
半径1km位に混在している Jazz Hotel Penang周辺。
つまりマレーシアの下水機能が進歩していない。 ミャンマーの地方あたりだと変わってなさそうだね、色々な意味で
自然風景は変わらなくても人は変わるよなぁ
スマホ持っちゃうとダメっしょ。ブータンの若い女性が普通にスマホいじってる動画見たけどショック
あと物も変わるよね。得体の知れない物が昔はあっちこっちにあったw 15年前にラオスのノンキャウに行ったとき衛星テレビで地元の子がパリコレのファッションショー食い入るように観てた
すべての人に情報が均等に行き渡るのは良いことだと思うけど先進国が途上国に期待する朴訥さは無くなるよね 1990年代に行ったルーマニアはまだ整備が行き届いていない印象だった。
街は薄汚れて穴ぼこだらけ。路面電車がキーキー音を立て、2サイクルエンジンの匂いがぷんぷん。店の商品もしょぼく、マクドナルドに勤めるのがステータスみたいな。。。
でも数年前に行ったらとてもきれいになってた。
野良犬かと思いながらよく見ると耳にタグが付いていたり、トラバントは旧車好きが乗る車になっていたり、ダチアもほとんど日産ベースの新型になっていたり。
シギショアラがテーマパークのようになってたのが寂しかったなあ。
お洒落なオープンカフェがいっぱいあって、歩道や花壇も整備され、コンビニみたいな店も出来てた。ひっそり時間が止まったような古都のイメージだったのに。。
「よく来たな!お茶でも飲むかい?」みたいな新設なおじさんは相変わらずだったがw 2005年くらいに行ったらシギショアラでは馬車(観光用じゃなくてがっつり移動・作業用)が現役だったけど今はどうなのかな? ブカレストの路面電車は冷房率低い。
ターミナル駅にチケットダフ屋がいたわ。
短い夏のブラショヴは混雑するから。
結局、ここからモルドバ、ドナウデルタ経由でウクライナ行かなかったのは後悔してる。 >>124
いつも同じ街ばっかりだなキセル。
しかも50代で初めて、1回だけ行っただけなのに永久ループw
ロンドンやパリはないの?w >>125
ヨーロッパ行けなかったお前は黙れ
還暦に成っても底辺労働で食いつなぐ生活では、海外どころか国内旅行も不可能なお前の人生を弁えろ。 >>128
貴方が現地で知り合ってもいないのに、
他人のブログを読んだだけで現地で知り合ったと
つまらない嘘をつくキセルじいさんですねw >123
2015年頃、馬車や牛車はまだまだ現役だったよ。
道路に牛が放たれていたり。
>124
そう、モルドバすぐそこなのに行かなかったことをとても後悔してる。
マイヤヒーの人、今どうしてるんだろ。 5年前にポーランド行ったときリヴィウ行くか迷って「また改めて行こう」とスルーしたんだよな
今になって大後悔 >>103 鼻に穴が開いてる
それ梅毒とからい病とかそういうのじゃないの?w >>129
お前=童貞ブルーカラーがひた隠しにしてること。
この書き込みはハンガリーではなく、スロバキアからだということだ。
全部コピペしたら、以下の事がバレてしまうから肝心な箇所を隠す姑息で卑怯な召使い根性丸出し。
そこにはVysoke Tatry ( High Tatras)のパンフレットにはしっかりIDが書いてある紙が添えられ、現地の風景に溶け込み地名もわかる画像がある。
しかもIDが書かれた紙を添えたスロバキアのレシートまでアップされ、赤っ恥かいたろ。
いくら旅行出来ず還暦に突入したからって、妬むなよ。
https://imgur.com/a/8EAOiUo
↓↓↓
681 異邦人さん sage 2022/04/13(水) 07:55:26.46 ID:S6v/Iom3
キセルじいさんはハンガリーネタ盗作が再度蒸し返されて動揺したんだよ。
在住教員はブログに入学式は渋滞すると書いた。
キセルは「9/1は入学式なので渋滞している」と言っていたが、
9/1は土曜日で、在住教員も「今年の入学式は9/3です」と書いてあったw
ちなみにドナウ川の水位を書いたのもこの教員。
http://hissi.org/read.php/oversea/20180906/TEZEb0k3QTg.html
769 :異邦人さん[sage]:2018/09/06(木) 05:54:23.91 ID:LFDoI7A8
ハンガリーも9/1に新学期が始まり、交通機関や道路が混雑してきた
ブダペスト在住者によると、今年は例年になくドナウ川の水位が低いんだってね
スロバキアはハンガリーと違い水道水は冷たくて美味しい。地形からしてわかるけどね
ハンガリー人も水道水は飲料可と言ってるけど、飲む気しなかった コロナ禍じゃなかったらロシアやウクライナを旅行中に戦争に巻き込まれた人も結構いたろうね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています