前置きとして医者がどんな大学を出てようがその医療の良し悪しに直結するわけではないし、その人物評を学歴で推し量る事もできない。

ただ話題となっている医師が受験した時期においては群大学医学部の方が偏差値が高く、金大医学部(現医薬保健学域)の方が低かったというデマを唱えているものがいるのでこの点を訂正する。

確認できる客観資料の中で一番入学年度の近いであろう1977年のものがあるか群大医学部は金大医学部を上回っていない
http://himmelcafe.net/handball/yozemi/hensa1977/index.htm

また上記資料で両大学は同じ偏差値であるが、注意しなければならないのは同資料が指し示す通りそれぞれが旧1期校、旧2期校であったという点だ。

少し乱暴な言い方をすれば昔は1期校=第一志望校、2期校=滑り止め校、という実情があった。
あくまでも一般論となるが、1980年頃においても金大医学部を第一志望とし、滑り止めに群大医学部を選び、第一志望に受からず、仕方なく群大に通うという流れはままある事だった。これにコンプレックスを抱いたという推論は十分に成立しうる。(もちろんコンプレックスを抱える事自体は悪い事ではなく、その後の人生の有用に作用する事もあり、コンプレックス自体を否定するものではない。)

以上、群大医学部が金大医学部にすなわち劣るというものではないが、群大医学部がかつては金大医学部より優っていたというデマを否定させてもらった。