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バチカンが組織した十字軍と戦った、ローマ皇帝と彼の十字軍
このローマ皇帝と彼の十字軍がエルサレムに入った時、そこにいたイスラムの王は
彼らを暖かく出迎え、イスラムの祈りを一時中断する旨、命令を発した程だった。
これに対しローマ皇帝は、「 それではあなた方が私たちの国に来たとき、教会の鐘が
鳴らせなくなってしまう 」、と、互いに許容し合う事を求めた。
敵であるイスラム君主さえも心服させたのは、このローマ皇帝のの途方もない知性だった。

ローマ教皇という権威に背いても、敵の優れた文化を導入し、何百年も対立していた両勢力の戦いを
終わらせようとしたローマ皇帝、時代の先駆者は皮肉にも、教皇軍との戦いの最中に病でこの世を去る。

魔女狩り・異端審問・宗教裁判・火炙り処刑、免罪符乱発による腐敗、天動説の強要w
暗黒時代のヨーロッパを後のルネッサンスへと導いたこの皇帝こそ、突出したヨーロッパの英雄である。
だからこそ、今日にあってヨーロッパの人々は彼を敬愛し、彼が遺した城を世界遺産とした。

アラビア語を学び、イスラムの王とアラビア語で書簡を交わし、交友を深めたていた十字軍の司令官が
ヨーロッパに築いた城、それはイスラム勢力と戦うためのものではなく平和への願いが込められた城だった。
暗黒の中世からルネサンスへの幕開けを告げる城だ。歴史家ブルクハルトは、この皇帝を
『 王座の上の最初の近代人 』 と呼んだ。彼は、あまりにも早く生まれすぎた天才だったのである。

★【 サラセン文化 】 《 有料版責任編集w 『 国語大辞典 』 には、こうあったな 》
中世のサラセン帝国で発展した国際的な文化。数学、天文学、化学、医学、地理学、歴史学、
建築などに独自性を発揮し、西欧ルネサンスに大きな影響を与えた。イスラム文化。
化学用語のアルカリ、コンピューター用語のアルゴリズム、いずれも元はアラビア語。
◆ バチカンは地動説を唱えたガリレオを宗教裁判にかけたが 極最近まで名誉回復も無かったw
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