マッカーサーの遅すぎた悔恨・・・・「侵略の世界史」清水馨八郎著(祥伝社)より引用

マッカーサーの占領政策が、敵対から途中で同盟に大転換したのは、
昭和25年に突如発生した朝鮮動乱からだ。
日本に自衛隊の創設を認め、防衛の協力者にすることに方針が一変した。
朝鮮戦争とは、共産圏のソ連と中国が北朝鮮をそそのかし韓国に侵入させたもので、
中ソとアメリカの代理戦争であった。
米国はそれまで中ソは連合国側で仲間と考えて北に対し何の防備もしていなかった。
ここで始めてマッカーサーは、かって日本が戦った日清戦争と日露戦争を一緒にしたものを
日本に代わって米軍が戦わされているということに気が付くのだ。
そしてマッカーサーは、日本の過去の戦争がすべて中ソに対する自衛のためのものであったと、
始めて確信するのである。
これを契機にアメリカもスターリンの罠に掛かっていたことに気が付くのだ。
大戦終了時から芽生えつつあった米ソ対立の冷戦が明確なものとなった。
米国の真の敵は日本ではなくソ連だったのだ。

せっかくアジアの防共の一大勢力となっていた日本を米国が潰してしまった結果、
支那大陸はほとんど全て共産圏に編入され、
朝鮮戦争とベトナム戦争という二つの戦争でアメリカは日米戦争以上の数十万人という
手痛い被害を受けることになってしまった。
朝鮮戦争の反省から、アメリカはサンフランシスコでの対日講和会議に
ソ連の参加を拒否し、日本への賠償要求も放棄したのである。

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