【20代】歌詞で自信や元気・希望くれる曲は?
自分の中に譲れない一線を持っていない人間が人から尊重されるわけがない。
周りとの調和も通すべきは通す自分があった上でのこと。 もちろん譲り合いの精神は大切。
ただここから先を譲ると自分が自分でなくなるというラインが分かっていれば
相手にそれを押し付けることもなくなる。
それがお互いの人格を認め合うということ。 人生なんか所詮暇つぶしなんだから、もっといい加減に生きればいいのにな。
四角四面の真面目バカにも困ったものだ。
狭量・過信・自己保身といった不誠実は、
人生に確かな手ごたえを過剰に追い求める態度から生まれるということは言い添えておく。 別に充実した人生をおくるだけが人生じゃないから。
そういう人は心の空白を穴埋めしてるんだなと思ってる。 どんな人生であれ価値があると思えばあるし、ないと思えばない。
逆に言えば人生なんてその程度のもの。
望むと望まざるに関わらず今ここで生きているのだから、
自分だけでも自分を肯定した方が少しはましな人生を送れるかもしれない。 損しない限り他人には親切にすること。
しかしながら物事の筋は通すこと。
これさえ押さえておけば自分本位でいい。 昨日から雨は止まないこのままでは終わらない
敗北挫折絶望がラスボスじゃねえ どんなに積み重ねたつもりになっても、崩れる時は一瞬で崩れるのが人生。
それでも積み重ねざるを得ないのが人間というものかもしれない。 人は知らず知らず自分に過大な要求を課してしまいがちなので、
自分を高めようと思うなら、なおさらできることとできないことを認識しておく必要がある。
手に入れたいものは一足飛びには手に入らないということ。 全力で自分と闘わざるを得ないにせよ思いつめないこと。
手応えがなく袋小路に迷い込みそうな時はさっさと見切りをつけること。
人間はその程度には不完全なもの。 どんな不細工な形でもいいから勝負に勝ちたいという気持ちは大事。
テクニックも結局は向かっていく気持ちを方法化したもの。 一つの考えだけにこだわらないこと。
ダメモトと腹をくくることで見えてくるものもある。
あと自分を波に乗せる為には頭で考える前に大まかな流れをつかむこと。
身体を動かす中からしか課題は見えてこない。 歩いているだけで不審者扱いされるなら
女様とすれ違う時に
こちらから顔を下に向けて視界に入れないようにしてあげる方がいいな
思いっきり不愉快そうにうつむくのが、女性たちを安心させるコツですなあ 生き方になにがしかの型を求めることは自分の強みでもあるが、
同時に刻々と変化していく世の中に対応しきれない縛りともなり得る。
行き詰まりを感じる前にゼロから再構築し直すのも悪くないかもしれない。 失敗を恐れないこと。失敗の中からしか自分のリズム・感覚はつかめない。
自分の輪郭はアップデートの繰り返しの中から立ち現れるものかもしれない。 理屈は理屈、身体は身体。
最後は直感で動くもので、ごちゃごちゃ考えないこと。惑わせるようなことを言ってすまんね。
要は身体の動くにまかせるということ。頭を働かせるのは身体の流れをつかんだ上でのこと。 無理なら無理でそれはしょうがないこと。
不完全な自分を受け入れつつ進んでいくしかない。 何とかしようと思わないこと。思ってどうにかなるのならとっくになっている。 野球選手に送った意見
真剣勝負だという緊張感はもちろん必要ですが、
同時にやることをやっても負ける時は負けるというさばけたあきらめも必要です。
飯を食うためにやってるんだというプロのプライドは、そういうドライな職業意識の上に宿るものだと思います。
どんなに自分の全ての力を出し切っても、勝つときは勝つし負ける時は負けます。
勝負にこだわらなくていいと言っているのではなく、戦いとは常にそういうものだということです。
勝負事で飯を食ってる全ての人間が肝に銘じておくべきことです。 注意すべきは一つの考えに捉われて、頭が体の流れを阻害してしまうこと。
頭は自分が気持ちよく闘いやすい態勢を整えることに使うもの。 勝っても負けても自然体を貫くこと。
失敗は悔やむでもなく静かに省みること。
自分のスタイルはその中から形作られる。 勢いに乗ってる時は強気一辺倒でいいのだろうが、
それだと不調に陥った時に自分の中の落差に対応できなくなる。
負けを織り込みながら調子を整えることを考える事が必要な時もある。
気持ちで押し切ることができる時とできない時があるということ。 言うまでもないことだが、好不調の波は感覚でつかむもので頭でどうにかするものではない。
常に100%の状態をキープすることなど不可能だということ。
勝負に勝つためのモチベーションもかける手間暇も、そういう認識に立てばまた違ったものになるのだろう。 勝つために必死にならなくていいと言っているのではなく、極限に自分を追い込むためには、
まず人生思い通りにばかりはいかないということを頭に叩き込んでおけということ。
現実に辛酸をなめつくしている人間が分かっているとは限らず、
分からないからこそ現実を受け入れられず、絶望へのプロセスから逃れられない者もいる。 これは誰もが分かっているようで中々分かっていないことに気づかないこと。
どんなに経験豊富な人間でも知らず知らず失敗を受け入れられない自分から逃れようと
さらに失敗を重ねる悪循環にはまることがある。
まずは人生は敗北から始まるという事実を受け入れること。そこから人生の挑戦が始まる。 一応念を押しておくと自分の行動のコントロールは飽くまで感覚で行うもの。
思えばなんでも叶うのなら誰も苦労はしない。 いくら緻密に計算してもその通りにことが進むとは限らない。
失敗や凡ミスを通してしかつかめない感覚というものもある。
人間はいい加減で大雑把なものだという認識に基づいた荒々しい闘争心も人間には必要。 自分がされて嫌なことは人にはしない、で人との軋轢を回避する人間は
人の心の痛みを頭で理解しているだけで、心の底では分かっていない。
自分の攻撃性を抑圧する人間にできるのは上っ面の共感だけで、
本気で情けをかけることはできない。 人生に確かな手ごたえを求めないこと。
押さえるべきを押さえたら、後は成り行きにまかせること。
状況のただなかに身を置いて、流れに身をゆだねることでしか見えないこともある。
大切なのは闘いに酔わないこと。 どんな逆境でも心を折らないこと。勝ち味の鋭さより打たれ強さの方が余程重要。 失敗はその先に突き抜けるもの。委縮するためのものではない。 自分を高めようと思うことは悪いことではないが、あまり根をつめると不完全であることを受け入れられなくなる。
努力するのは当然として、好調な自分をキープするためのメンテナンスぐらいに軽く考えること。 まとめると、修正や工夫と言った小手先のテクニックではなく、
自分の感覚をどこまで信頼して身を預けられるかということ。
それで駄目なら自分の力が及ばなかったというだけのこと。
スタイルの微調整はその後の話。 付け加えればモチベーションは自分の内部から掘り起こすもの。
外部に求めるものではない。 こういうことを続けることに嫌気がさした。大体のことはやった。
ただ、俺がただの統失の引きこもりに過ぎないということ、それに良い様に遊ばれていたに過ぎないということ。
後は自分の好きなように進んでくれ。 続けるか。
無駄を削ぎ落そうとしないこと。急がば回れと言う言葉もあるが、人生はそれをなくしたら何も残らない。
相手と呼吸を合わせるゆとりがあれば見えてくるものもあるだろう。
常に全力を意識せず、2割方の力を残しておくこと。厳しい局面だからこそあえて。退路をふさがないこと。 訂正
力を残す→気持ちを残す
全力を尽くすにせよ気持ちを入れすぎないこと たまに俺は本当に生身の人間なんだろうかと思わないでもない。
分からないし、分かったところでどうなるものでもない。
今のネット漬けの生活の縛りから抜け出し、現実にとび込むことができる時がくれば、
自ずと明らかになるだろう。 なにも分かってはいない。分かったふりをしているだけだ。
そうと分かりつつも前に進むしかない。
前に進もう。 結局そういうこっちゃな。大層なこっちゃないねん。
あーめんどくさ。なにもかもめんどくさいわ。 もうすこし気楽にいってもいいんじゃないかな。あまり前のめりに生きてもしょうがないですよ。
色んなことがあります。 自分の心を守ろうとだけはすんなよ。
負ければ心は痛いし勝てばうれしい。
ここをごまかす人間はどんなに成功しても人としては失敗作。 ま、あんまり深く考え込まんこっちゃな。
大した生きもんやないで。 張りつめた心を緩ませること。目的に遊びを持たせること。 後は自分の攻撃性と向き合うだけ。肝心な時にそれを出せるかどうか。
簡単なことではないよ。 自分の力の及ぶ限りは決して投げ出さないこと。
及ばない事態には前向きに受け入れ、無駄に力まないこと。 人間は基本的に身の丈を超えた生き方はできないが、
時には一か八かの博打をしてしまう生き物だということは押さえておく必要がある。
自分の感情に嘘はつけないということ。 知らず知らず細かなことに捉われて生きている心の縛りを解きほぐすこと。
余裕がある範囲で日々の生活のリズムから足を抜いてみるのも一つの選択肢。 最後は自分は自分、人は人。共感も温情もこのラインを明確に。 どーなんやろ。ほんまにこれでええんやろか。よー分からん。
まあ大崩れさえせえへんかったらそれでええわ。 メンタルゆうんは強けりゃええゆうもんでもないからな。大崩れだけはせんように。 失敗は失敗。あるものとしてそこにあるもの。もう少し気持ちを入れていこう。 大事の前のプレッシャー・緊張感はついてまわるもの。あまり軽々と越えられても困る。 今まで言ってきたことを簡単にまとめると、
お前なんか全然大した人間ちゃうわ、あんま調子に乗んな、ってこと。 諦めなければ必ず夢はかなうとは俺は思てへんからな。
それでもやらなあかんけどな。
それだけ。 そういうもんなんだからしょうがない。
多分こういうことを延々と続けていくんだと思うよ。 それがなかったらもはや人とは言えん。人間は間違うもの。 社会的地位の高低に関わらず一人の人間の力など知れたもの。
それは安倍だろうが宮崎駿だろうが引きこもりの無職だろうが同じこと。
という認識に立って初めて自らの立場に応じた責任を自覚できる。
そういうことだ。 何かを否定する時だけやたら能力を発揮するのが今の日本人。
あらゆるモチベーションをそこにしか注げない。
もったいないよなあ。 どんな強い人間も最初から強いわけではない。
まずは自分の弱さを受け入れないと、先には進めない。 頭と体が完全に一致するというのは本来そんなに簡単なことじゃないってこと。
すり合わせる努力なしに楽には勝たせないよ。 極論を恐れずに言うと、人生は一に拡大、二に成長、三四がなくて五に安定。
人生設計・生活防衛なんてもんは、いよいよ行きづまって生存の不安が現実のものとして
見えてきてからでも改めてゆっくり考えればいい。
人間とはそういうもの。 喜怒哀(苦)楽の感情が湧き起こるのは当たり前だが、後味を残さないこと。
クールとか冷静とかいう問題ではなく、感情に振り回されないとはそういうこと。 ざっくり噛み砕いて言うと、あらゆることに意味があるっちゅうこっちゃな。 人間には無限の可能性が眠っていると言った世迷い事を信じる程能天気ではない。
そんなものを心の支えにしなければ成り立たないモチベーションなどろくなもんじゃない。
まあそんなことを本気で信じ込んでいるのは一部の勝ち組だけだろうが、
なんとなくそういうものとして受け入れることで、容易く人生に絶望する凡人を量産しているのも事実。 自他の線引きをきっちりつけること。
自分の立場ですべきこと、する必要のないこと、すべきでないことのラインを明確に。 人間は理屈で動く生き物ではないってこと。
人の心を動かすのは内に秘めた情理のみ。
上っ面の計算を超えるから人を巻き込むことができる。 自分の行く先を固定化させないこと。
現在を起点として、未来・過去にも手に届く距離というものがある。
自分の中にないものはないものとして、あるもので進むしかない。 ★ お楽しみタイム
2020年東京オリンピックの泣ける歌
「東京ルーザー 〜 2020年のオリンピックを」
『東京ルーザー オリンピック』
↑
これで、ユーチューブ検索
きっと、泣けマス
(新宿、渋谷、上野、浅草、下北沢、池袋、銀座、原宿)
↑
以上8ヶ所の東京都内の地名が、歌の歌詞に登場します いくら自分を厳しく律したつもりでも人間間違う時は間違うし、
むしろガチガチに管理するから失敗に歯止めがかからなくなることもある。
人間の限界を弁えた上で、根をつめ過ぎないこと。 負けた時に負けた理由なんかいくら考えてもしゃーないよ。
負けた事実だけを噛みしめればそれでいい。当座はね。 何かをすればそこには必ず批判・反発・抵抗は湧き起こる。
それはそういうものと諦めるしかない。 過ぎたるは猶及ばざるが如し。不足があるのなら補えばいい。
人間、足るを知ることも必要。 一つの考えに留まり続けないことも大切。
自分や他人を責めることが悪いのではなく、心がこわばって抜き差しならなくなるのが問題。 昨今嫌われる勇気なんてのが取りざたされているが、
勇気なんて力こぶを入れている時点でまだまだ甘ちゃんやね。
嫌われるのがデフォルトになってしまえば、何を思い悩むことも企むこともない。
無理して嫌われる必要はないが、好かれる必要もないわけでな。 言うまでもなく人生は無駄の積み重ねの上に成り立っている。
ある程度の目星をつけて進む必要があるにせよ、全てを管理できるというのは思い上がりというもの。
効率的な目標の為に生活の全てを犠牲にしないこと。 言うまでもなく何かをするということは何かを切り捨てるということ。
切り捨てられた者からの風当たりの矢面に立つことだけが、切り捨てた者への筋の通し方。 世の中はきれいごとだけでは回らない。
目先の損得勘定に優先する理想の存在も含めて、長期的視野に立った老獪な戦略性の必要。 後悔は萎縮、反省は改善。
自分の心の深くに根差した感覚は、誰がどう言おうと曲げないこと。 自分の中のドロドロした醜悪さを、まずは受け入れ許すこと。
あるものはあるものとして認め、先に進むしかない。 舌足らずで申し訳ない。自分の醜さを許したところでそれが消えるわけではない。
やり場のない怒りは何かにぶつけ表現することでしか解消しない。生きるというのは面倒くさいものだね。
自分のやっていることの罪深さは自覚しているつもりだ。
だが俺は基本的に人生に取り返しのつかないことというのはないと思っている。
言うべきことがなくなればやめるまで。俺みたいな最下等の人間でも人生に何の疑いも持たずに生きている。 舞い上がった気持ちを抑えきれない向きは、一度吐き出すだけ吐き出して、
行く所まで行った方がいいのかもしれんな。
中途半端に押さえつけるのは心の健康に良くないのかもしれん。 大事であれ小事であれ気負わず淡々と。
どんなに力み返っても壁にぶち当たる時は当たるもの。
その時は嫌でも悩むんだから。 夢を持つなんて本来子供の使う言葉やで。
そういうものがあったとしても、ええ大人が人にひけらかすようなこっちゃない。 自分の人生と自分が関わる世界にどのような未来が待っているか誰にも分からないということを受け入れること。 人生に過剰な意味づけをしないこと。
それが分かれば、他人のことを詮索することも主観を押し付けることもない。 人生を楽しむなんてことをやたら力こぶを入れて強調する奴もなんだかなあって感じ。
それは生きる過程においてそういう瞬間も訪れることもあるってぐらいのことで、的にして追いかけるようなものじゃない。 何か問題にあたる時は、自分の動機・プロセスをある程度筋道立てて言語化しておくこと。
人間は全て理詰めで動く生き物ではないが、心に整理された言葉があれば
状況・気分に一方的に流されることはなくなる。 困難な状況に向かう時は自分をドラマチックに演出しないこと。 全力で戦う時も無理にあがかないこと。
諦めるのではなく、負けないことに必死にならない。 どうしても人に悪意を向けざるを得ない時は正面から。
相手から反撃される可能性を奪わないこと。 弱みを見せることは恥ずかしいことではないよ。
あるものをないものとして扱うことはできない。
人間突っ張って生きていてもしょうがない。 もっとはっきり言えば、自信なんてもんが要らんねん。
そんなものにすがるから人間は自分が道を踏み外すことにも気づかへん。
努力や積み重ねは必要だとしても、一瞬で崩れ去るものと自覚すべきだな。 世の中の全てが自分の思い通りに動くというのは幸せなことではないよ。 その場その場で自分にできることに最善を尽くすこと。
失敗はあって当たり前。勝ちたいのも誰しも同じ。
勝つことにこだわり過ぎないこと。 あんまり楽々と越えられても困るってこと。
普通の人間がそこにたどり着くのには、どれ程の葛藤と闘わなければならないことか。
人生はそんなにお手軽なもんじゃないからね。 いつでもここに戻ってこれるように逃げ道を作っておくこと。 暗さ、弱さ、醜さ、それを認めることのできない自分を受け入れること。 前向きなものにせよ後ろ向きなものにせよ感情に気持ちを入れすぎないこと。 煮詰まったらさっさと諦めて次に進むこと。あまり考えこみすぎない。 人の気持ちなんてものをごちゃごちゃ考えない。それは考えるものではなく、感じるもの。 全ての始まりにおいて自分が馬鹿で無能だということを認めること。
知性や実力はその根本認識の上に積み上げるものであって、
中途半端なプライドや過去の実績・名声を頼みにすることは、冷静で客観的な自己イメージを見失う元。
これは謙虚とか傲慢といった他者評価の振れ幅で揺れ動く問題ではなく、徹頭徹尾個人的な生き方の問題。 何か問題が起こっても存在に関わるようなことでない限り、しばらく手を加えず放置する。
変化がない場合は、その後で対策を考える。
大概の問題はこれでふるい落とされる。 外的な刺激に心が揺れ動くのを抑える。
物事に動じないといった硬直した態度ではなく、心の波をなだらかにする。
心に極端な山と谷をつくらない。 人から理解されようとしないこと。
やりたいことの為ならどんな理不尽な汚名を被ってもいい。 社会の作り出す強迫的な空気感に無条件で乗せられない。
乗せられるのなら乗せられているという自覚を持つ。
時代の只中を流されるにせよ、どこかに一人の人間として時代を対等なものとして眺める態度は必要。 目的にまとわりつく余計な感傷を削ぎ落すこと。
それらは自らの意志をぼやけさせるだけ。 行動の主体をごまかさない。
自分が自分の為にやっているという感覚に他人を混ぜ込んであやふやにしない。 自分の言動の広がりに対して自分がけじめをつけられる範囲を意識する。立場を踏み外さない。 どんなにウザい相手でも反発したり立ちふさがって態度を硬化させる前に、相手の背景を理解するよう努めること。
譲らない自分が明確にあれば、殊更それを人に押し付けることもない。 この世の不条理を受け入れること。
その強さがあればこそ自分を高めることができる。 あとは全力でいい加減に生きるこっちゃな。
それで世の中ちゃんと回るようにできてるんだから不思議なもんだ。 まあ世の中なんてそんなもんだ。
自分にできることなんてたかが知れている。
嘘にまみれた世の中だが、そういうものと諦めて自分のことだけ考えて生きていくしかないな。 色んな問題があるけど、それはしゃーないんちゃうかな。
一々まともに向き合ってたらしんどいだけ。 まあ人生なんて浮かれているのは幻みたいなもんで、本当は何一つ良いことなんかないんかもしれん。
それでも生きていれば何かが見えてくることもあるかもしれん。 日本の問題は、今俺がアイスクリームを食べたいということ。 めんどくさいけど付き合っていかなあかんにゃなあ。やれやれ。 俺はやることはやるよ。どんなに風当たりがきつくてもな。
今の世の中、何かをやったつもりになってる奴ばっかりだ。 俺の思うがままwそろそろ終わりが見えてきたな。やってられへんわ。 通すべき筋さえ通せば、後は何やってもいいよ。
誰も自分を否定することはできない。 後は分からんことを分かったつもりにならないこと。それだけ。 受け身で何が悪いねん。
何にでもポジティブにがっつく人間なんて逆に気持ち悪い。 めんどくさいことごちゃごちゃ考えずに生きたいように生きればいいんだよ。
そら色んなことあるわ。 生活にかくあるべき姿を持ち込み過ぎないってことだな。
日々の縛りの中をどう気持ちを楽にやり過ごすかというか。 自分と他人の間に明確な一線を引くこと。
自分の問題は自分の問題。他人の問題は他人の問題。
揺れ動かない。 歌にしてみたいもの
野々村竜太郎の号泣会見。元気を貰えるよ。