ザ・ベストテン■第17位■
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
5ちゃんねるの運営はプレミアム会員の皆さまに支えられています。
運営にご協力お願いいたします。
───────────────────
《プレミアム会員の主な特典》
★ 5ちゃんねる専用ブラウザからの広告除去
★ 5ちゃんねるの過去ログを取得
★ 書き込み規制の緩和
───────────────────
会員登録には個人情報は一切必要ありません。
月300円から匿名でご購入いただけます。
▼ プレミアム会員登録はこちら ▼
https://premium.5ch.net/
▼ 浪人ログインはこちら ▼
https://login.5ch.net/login.php このあと記録関係のテンプレが貼られるかもしれませんが、読みにくいうえに毎回同じ修正レスが入る不明瞭かつ不確かなものです
お調べに際してはWikipediaの参照をおすすめします 横井と坂井って双子の兄弟なんか?
いつもシンクロしてる 田代出所したしいい加減81年と83年解禁してよ
ラッツ&スターの出演数自体はあまり多くないのに
ピンポイントで面白い時期に出てるんだから >>8
81年はルビーの指環の連続1位記録の年なんだから
何をおいても再放送してほしいし、NG歌手はモザイクでも可。 >>9
毎週のようにたまきんが出てたから
放送は難しいかな
イモ欽もダメなんだよな 前は近藤回ばかり再放送してたくせに
なぜだめになったんだ? ナンノちゃんファンによる著作権法違反事件の例があるので、動画のアップロードをねだらないように 1981年といえば松田聖子「夏の扉」
当時なぜか劣情そそる印象あったが
今動画で見るとミニスカのエロ衣装たまらん・・・ >>12
デビュー40周年ツアーがコロナで潰れた
マッチの救済策&接待ゴルフ企画で
ベストテンの再放送がレギュラー化された。
マッチと黒柳のスペシャル対談がついたのはそのため。
しかし、マッチの不倫が発覚し、その後いづらくなって
退職したためかな。
マッチでた回のトシもOKだったのに、別の回の
トシがまるまるカットだったことがあった。
はっきりいうが、ジャニファンだけで成り立ってるわけじゃないので、
ジャニとシャネルズはモザイクかけてくれればOK 今なら放送できない楽曲
アリス「帰らざる日々」(スポットライト)
あと「さざんかの宿」とか不倫テーマのやつもダメかな 歌手別連続ランキング回数
1位 近藤真彦 37週
2位 ピンクレディー・五木ひろし 36週
1曲のヒット期間が長く、かつリリース間隔が短かった初期に集中してる
マッチはデビュー翌年の82年にランキングしなかったのはなんと1週だけ(7/8)
ピンクレディーは当時忙しすぎてベストテン出演の記憶がないと言ってたわりによく出てた >>18
表現の自由があるんだからそこまで規制かけない。
元々放送禁止だった梅宮辰夫の不良番長シリーズの主題歌とは訳が違う >>16
シャネルズは黒塗りでいいだろw
>>18
演歌なんか殆ど不倫じゃん >>19
ピンクレディーは前年からベストテン始まってたら
たぶん1年くらい出演しまくってたはず
「渚のシンドバッド」から「モンスター」くらいまで ピンクレディーに飽きたのは「透明人間」かな
子供心に馬鹿にされてると思った >>23
1977年末〜78年初のUFOがピーク
その後はキャンディーズの引退フィーバーに吹っ飛ばされた感あり
出す楽曲もジャリ向け路線に傾斜しすぎて
レコードはそこそこ売れてたけどリクエスト順位が振るわなくなった ザ・ベストテン(1980年2月28日放送)
3/20(日) 午後9:00〜午後10:00 ピンクレディー最後の輝きは1978年のレコード大賞受賞かな
翌年以降はレコード売上も振るわなくなる
カメレオン・アーミー→シパングの売上は半分以下に落ち込む ( ´,_ゝ`)プッ( ´,_ゝ`)プッ( ´,_ゝ`)プッ >>24
レコ大受賞した1978年の紅白歌合戦に
出場辞退してから総スカンになった印象
その後アメリカ進出でいなくなったのも
追い打ちかけた >>28
そらピンクレディーは日テレかNHKどっちか取れと言ったら日テレを取らざるを得ない。 光GENJIの太陽がいっぱい→荒野のメガロポリスの落ち方も凄かったな
ピンクレディーにしろ光GENJIにしろ社会現象を起こした寵児たちは落ち方も急激
男闘呼組みたいにデビューシングルがMAXでそれから前作の売上を上回る事無くどんどん落ちていった人達もいるが… >>30
光GENJIの落ち方はそれこそ歌番組が没落していった影響だろう。
ベストテン、トップテンが終わってゴールデンタイムの歌番組はMステだけって時代になったから。
夜ヒットはプライム枠だし。 >>32
光Genjiだけじゃなく
他のアイドルも軒並み人気急落
キョンキョンの学園天国が売れたじゃないかというけど
次の曲で急落してるから明らかにドラマタイアップ効果 >>33
学園天国はドラマタイアップと同時に過去の名曲リメイク効果も
斉藤由貴の夢の中ヘも同じパターン キョンキョンは学園天国より小林武史起用したあなたに会えてよかっただな。
あれもドラマ効果だが。
ちなみにチーフ演出はベストテンでもおなじみの遠藤環 学園天国の次はオリコン1位の見逃してくれよ!だからそこまででもない
CM知ってる人たくさんいたし
近田春夫とか藤原ヒロシとかと組んで趣味路線のときは売れなかったけど >>35
そのころは完全なCDバブル
セールスは過去最高でも印象度はベストテン時代に劣る
キョンキョンの代表曲は「木枯し」か「なんてったって」
工藤静香もアルフィーも同じ
中山美穂は90年代のほうが上かな >>36
オリコン1位=大ヒットというわけではないぞ
おニャン子が悪しき前例 >>37
あなたに会えてよかったが印象薄いってそれこそ歌番組冬時代の弊害だろ。
オリコンで通算5週1位獲得、100位圏内に32週ランクイン。1991年間でも6位にランクイン。
典型例ロングヒットを印象低いと言われるのはなぁ。 代表曲が80年代で最高セールス曲が90年代っていう歌手やアーティストは結構多いね
小泉今日子、工藤静香、アルフィー以外にもTM NETWORKやハウンドドックもそうだし
CDバブルの頃はヒット曲の印象が希薄になるケースが多い 田原も夜ヒットが終わった途端に売上が極端に減ったね >>40
そうは言うけど知ってる人少ないよ
自分もその年末の賞番組で初めて知った
逆にお茶の間に浸透しなくても特定層に受ければミリオン行くのがCDバブル時代
B’zやらビーイング系はその典型
90年代後半はアイドル化したので小室系とか意外と知られてる曲多いけど
>>42
もう三十路だったから仕方ない
というか、長持ちしたよ
失言とジャニ退所後の不遇で印象悪くなったけど >>41
90年代のCDバブルは100万枚売れても買った100万人しか知らないからな
売上10万枚でも1000万人に周知されてた歌謡番組全盛期とは別物 >>43
> そうは言うけど知ってる人少ないよ
> 自分もその年末の賞番組で初めて知った
それは流石に極端だろ
本人が歌ってるところは確かに(ヒットの割には)あまりみなかったけど、カラオケで散々聴かされたぐらいだから、知ってる人が少ないって事はないと思うけど >>44
最近は100万枚以上CDが売れても
知ってる人はウン10万人くらいの握手券w >>46
ミリオン取らなくても名前と楽曲は残ってるからね
ジュリーも百恵も >>48
レコード売上、有線放送、ラジオリクエスト、ハガキリクエストを総合して
上位10曲を毎週紹介するっていう番組に毎週出てりゃ、そりゃ知名度は段違いだよね
松田聖子嫌いでも松田聖子のヒット曲はみんな歌えるとか、そういう時代だった。
1980年は上位3曲くらいまでミリオンセラーだからね。 >>49
しかもほぼ同じ趣向のトップテンもあったから
ヒットしてれば必ず週2回は曲流れるという 1985年6月 河合奈保子が21枚目のシングルでやっとT位獲得
1985年9月 河合その子がデビューシングルでいきなり1位獲得
時代が変わった瞬間 1985年くらいはオリコン1位の価値が薄っぺらくなった
河合奈保子も絶頂期過ぎてからで唐突感
オリコン1位よりじわじわ売れていくほうがうれしいと思うけどな オリコンチャートはあくまでショップレジの定点観測
所属事務所やレコード会社といった業界向けの市場調査結果を一般開示しているだけであり、
ユーザー側にとっての価値観は本来どうでもいいのだ >>53
アイドルのシングルは3〜4か月のスパンでリリースしているので、短期間で売れたあとは新曲と入れ替わりでさっさとチャートアウトするのが望ましい
前曲のロングヒットが新曲の妨げになるなんて本末転倒だ >>55
抱きしめてTONIGHTが予想以上にロングヒットしてスケジュールが狂ったとトシちゃんは愚痴ってたね >>53
シブがき隊の「喝!」や斉藤由貴の「青空のかけら」やC-C-Bの「ないものねだりのI want you」や杉山清貴の「水の中のAnswer」
ここらと同じようなポジション 河合奈保子の「デビュー」が1位になった週
近藤真彦の「夢絆」が2位だったことに疑問を持ったCBSソニーが、
オリコンにはもう広告出さないって抗議した話を当時聞いたんだけど
実際はどうだったんだろう >>59
抗議に対して「ああそうですか」と一蹴
ソニーはあっさり折れた 1980年2月28日分
こんだけニューミュージック台頭してくるなか、演歌で五木ひろしって意外と
ヒット曲あったんだね。おばちゃんのハガキリクエストがすごかったのかなあ。
沢田研二、西城秀樹、郷ひろみは1位取れなくなりつつもかろうじてランクイン
野口五郎は20位代だからかなり苦しくなってきていた頃だ。
とりたてて記録がどうこうという回じゃなかったんだけど、再放送しやすい回だったんだね。
歌もほぼ聞けたしいい回だった。 >>61
1980年は全体を通して
アイドル、歌謡曲、演歌、NMそれぞれバランス良くヒット
その象徴的な回だった
NMが台頭したが、演歌も強く大御所勢が活躍
アイドル世代交代はこの時点ではまだ先になるが
ご指摘のとおり70年代のスターは後退気味
レコードは売れなくなり、リクエスト人気でなんとか上位キープ 70年代スターも80年代に入るとモデルチェンジを余儀なくされた
そして82年〜83年あたりは70年代スターのヒット曲が続々と生まれる
細川たかし→北酒場、矢切の渡し
中村雅俊→心の色、恋人も濡れる街角
岩崎宏美→聖母たちのララバイ
小柳ルミ子→お久しぶりね
欧陽菲菲→ラヴ・イズ・オーヴァー 今回放送は出演者のレベルが高かった
長く歌謡界で活躍したスター=沢田研二、西城秀樹、郷ひろみ
ニューミュージック界の巨頭=オフコース、アリス、松山千春
演歌の巨匠=五木ひろし、小林幸子
今もなお燦然と輝く名曲=久保田早紀、クリスタルキング
全員が歌謡史にしっかり名を刻んでる >>65
しかも芸歴はランクインメンバーではたぶん最長
10歳でデビューし、苦節15年でようやくスターダム 歴史にifはないけど、山口百恵が引退せずに80年代も続けてたらどうなったんだろうな
ソニーは百恵資金を聖子にぶち込むこともなかっただろうし、
ポスト百恵を狙って大量にアイドルが出た花の82年組なんかも無かったかもしれんな 可能性ゼロのタラレバなんだからどうにでも想像できる >>61
あれだけ曲を長く流して、よく尺が収まったな。
小林幸子のインタビューは明らかに端折られてたが
。 >>69
カットしてたの?
今回のベストテンは放送時間50分でその後のTBSチャンネルの番宣がすごく長かったから、インタビューくらい入れてやりゃあいいのに。
何か時代的にまずいことでもあったのかな。
あとは12位の山口百恵がまるごとカットされてたくらいか
再放送でおもしろかったのは、
西城秀樹の追悼扱いで放送された1979年の3月分と松坂慶子が出た9月分。
有名曲が多かったのと、欠席者がいながらフルコーラスも多かった。 >>70
カットではなく巻きな感じでさっさと済ませたってとこかな
久保田早紀が売れすぎて若干芸能界に疲れた感じに見えるとこが見どころ?か アリスがイントロで曲紹介させなかったところにこだわりを感じた。 1980年はニューミュージックの当たり年
異邦人に始まり、大都会、贈る言葉と永く歌い継がれる名曲が続き
夏場にはダンシングオールナイト、年末には恋人よで締めた
他にもさよなら、昴、ランナウェイ、私はピアノ、パープルタウンなど 1980年の年間売り上げの順位
1位:ダンシング・オールナイト
2位:異邦人
3位:大都会
4位:ランナウエイ
だっけ。クリスタルキングの蜃気楼は、ベストテンでは1位だが、オリコンの売上で2位止まりになり、その時の1位が確か年間4位のランナウエイだった。
ニューミュージックの当たり年で、アルバム系だとYMOの「ソリッドステートサバイバー」と赤い人民服がバカ売れ 途中で必ずオリコン厨が割り込んでくるな
考え方は人それぞれだろうけど、当時を知らなくても数字だけで語れるから
ある意味楽な考えだな 今回の再放送と見比べると
1986〜87年あたりのベストテンの動画を見ると
出演者は若いアイドルばかり、中には歌手と言っていいのかという歌唱力も・・・
たまにランク入りするロックの大物はたいてい出演拒否
これじゃ大人は見ないだろうから、早晩番組が終わってしまう感じがした
このころはフジがTBSより優位に立ち、
ベストテンを拒否した尾崎豊、BOOWY、ブルーハーツや永ちゃんを起用する
ヒットスタジオのほうが上位概念に見えていたな
結局はベストテン終焉の翌年にヒットスタジオもその役割を終えたんだから
所詮は運命共同体だったわけ >>76
当時を知った上でデータ揃えて書いてるわけだが。
70年代の山口百恵が引退、ジュリー、秀樹、ひろみ、五郎、岩崎宏美辺りのランクインが下位か10位以内に入ることも難しくなった。
80年は上位3曲は文句なしだが、年間ベストテンにすると1位が五木ひろし、レコード大賞は八代亜紀というちぐはぐな一年で、ニューミュージックの商業化が進んだ割に、大衆を制覇しきれなかった難しさがあった。
そこらを全部クリアしたのが、翌年の1981年。 >>77
稲垣潤一、大沢誉志幸、久保田利伸
ここらの人達もベストテンには出ずにヒットスタジオには出ていた
久保田利伸に至ってはマンスリーゲストもやっている
BOOWYの氷室京介が「フジテレビ最高だぜっ!」と言っていたけど
まさに当時のフジがテレビ界の盟主になっていたんだろうなと思う >>80
ベストテンは久米宏の後釜に小西博之連れてきた時点でセンスがなかった。
あと一週間早く古舘伊知郎にオファー出してたら、古舘は夜ヒットじゃなくベストテンの司会者になっていたかもしれない。
その後の松下賢次もひどかったし、司会選びにセンスがないスタッフが悪い。
歌の問題じゃなく、番組構成の問題。 >>80
>「フジテレビ最高だぜっ!」
うわっダッサw >>80
小西は黒柳徹子を操縦出来る器じゃなかったな
その点加賀まりこの手綱を握れてた古館だったら上手くいったかもしれない 逸見さんがもっと早くフリーになってたらベストテンの司会やってほしかったなあ
黒柳さんとも上手くやれそう。 古舘起用案あるならテスト兼ねた代打司会やらせてると思う。
当時の放送局の格から考えてテレ朝出身のフリーになりたての古舘を使おうとする発想にかなり抵抗があったんじゃね?
あの頃、TBSが同格、あるいは格上と見てたのは日テレとNHKぐらいだと思う。 でも黒柳に古舘って合うかな?
あの時代に安住紳一郎が居たらベストだったかもしれない
その後のベストテン特番とかもうまく回してたし >>85
逸見さんがフリーになったのは1988年3月だったから松下の後任で起用も出来たはずなんだけどね
もうその頃は視聴率も低下してスタッフも半ばやる気を無くしていたんじゃないかと思う 逸見さんは歌番組ダメだよ。
流行の歌が苦手だったから。 ヒットスタジオはとにかく大人の格式高い音楽番組だったな。
ゲストも超一流の外タレ呼んでたし
ベストテンはガキの番組って感じだった 夜ヒットは初代三波伸介の頃までバラエティ色が強いコーナーもあったのが、
井上順に司会が交代した頃から、徐々にそうしたコーナーを整理して、
本格音楽番組の色が強くなったという流れらしいな。 >>92
井上順の司会は悪くなかったけど
降ろされた。
夜ヒットは2時間枠にして水曜日に放送日を
ずらしたから古舘でも生き残れた。
ベストテンは1時間の生放送をうまく回せる
局アナを後釜にしときゃよかった。
代打司会で森本毅郎と草野仁が独立直後にきたけど
うまく行かなかった。
意外とうまく回したのはタモリだった。 >>87
夜ヒットの司会受けた1週間後に
ベストテンから司会の打診があったけど、
夜ヒット受けた後だから断らざるを得なかった
と古舘がインタビューでしゃべってた。
TBSは古舘を起用する気もあったんだよ。 夜ヒットや紅白歌のベストテンの過去の映像で小芝居やってるけど
あれ当時は面白かったのかな
今見ると無茶苦茶寒い感じだけど トップテンの司会やってたマチャアキを起用する考えはなかったのかな?
ベストテンのプライドが許さないかw >>93
久米の後はタモリでも良かったかもな
Mステ開始前だったから可能性は十分あった
あと無難な線で生島の起用は考えてなかったのかな?
小西や松下よりも全然マシだったはず マチャアキはトップテン終了後にフジで音楽番組で司会やっていたな
しかも徳光とやっていたからフジというよりも日テレのような雰囲気だった よく出演していたし、タモリが2代目男性司会者でも良かったんじゃないか
黒柳久米コンビに負けずとも劣らないコンビになれたと思う
黒柳タモリコンビ ああ、上で言われていたか
タモリだと河田町色が強くなるから嫌ったんだろうか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています