【欽ちゃん】TVプレイバック【ドリフターズ】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
日曜・夜の欽ちゃん司会のクイズ番組。
レギュラー解答者・石田純一、向井亜紀。
ドリフターズゲスト・2週間に1回交代。
アシスタント・松田朋恵(元・フジテレビアナウンサー)
YOUTUBEに過去の画像があり、懐かしかったのでスレッドを作りました。
Part1…ttp://www.youtube.com/watch?v=OkEKAXWLtqg&feature=related
Part2…ttp://www.youtube.com/watch?v=KiYz1Xc8gSQ&feature=feedlik ドリフターズゲストがあって、欽ちゃんとの絡みが新鮮だった。
一回分だけビデオ持ってるけど。 ドリフのゲストは順番通りの持ち回りだったのかな
俺あんまりいかりやさんがゲストの回って記憶にないんだ >>6
自分もいかりやさんを1回だけだったなぁ…。
憶えているやり取りは…、
幼少の頃の欽ちゃんの写真を見せて、
(問題)この写真は欽ちゃんが何歳のときの写真でしょうか?
いかりや「わかった!小学校1年生!」
欽ちゃん「いくつかって聞いているの!」
結局、正解は7歳。小学校1年生ではあったが7歳と答えなかったので、
3点のところ2点しか入らなかったやり取りの覚えがある。 この番組の終了とともに欽ちゃんが大橋巨泉よりも前にセミリタイアしたイメージが強い この番組で向井亜紀を知った。
数年後、写真集で脱いでいるのを見て歓喜したのもいい思い出。
その後は知らんw ドリフ番組というと全員集合や大爆笑だけどこの番組もある意味ドリフのレギュラー番組だね
ドリフメンバーがピンでゲストに出るのが滅多にない頃だけに毎週ゲスト出演はレア感があった ドリフ大好き煽られクソスレ建立親父がここにも出現
大爆笑♪ 9点以上取ると0点になるシステムも独特だったね
欽ちゃんの采配で正解じゃなくても面白い答えなら点数もらえる展開は
現在も続くさんまのからくりTVがそれに近いルールだな 自分にとって石田純一はトレンディ俳優じゃなくてこの番組の解答者のイメージ 売れる前から、石田の事を知っていると
得意になってるクズヲヤジ
プヒャヒャ〜♪ レギュラー陣が志村へきつい態度とっていて志村が今で言う出川みたいな扱いを受けていた トップ賞への賞品で大きなBOXと小さなBOXどっちかを選ぶのがあったな 先日亡くなられた二郎さんがゲストで、ドリフゲストが長さんだったときの
やり取りは絶品だったらしい。ぜひ見てみたい。 アシスタントの松田アナはテレビ寺子屋をずっとやってるね 今思えば、ある意味コラボの番組(かな?)だったね。 志村がゲストのときは冷や冷やしながら見た。
欽=シモネタ厳禁
志村=シモネタ大王 ファーストチャンス
よーく見てみよう
HIHIポイント
Oh!シネマ
ババぬきショック
ラストチャンス ババぬきショックが途中からルールが逆になった記憶がある。 おれ、この番組は見ていたはずなんだが、ほとんど記憶にない
志村も出てたんだっけ? >>39
出てたよ
ドリフターズゲストという解答席の枠があって毎回ドリフメンバーから1人ゲストで登場
当時ドリフはドリフ関連の番組以外でピンで出る事があまりなかったのでそこも珍しかった
世間的には地味に続いた30分クイズ番組の1つだろうけど >>35
自分がこの番組で覚えているのは、その「大根おろし」だけ。 この前石田壱成が言っていた、純一をはじめて見たクイズ番組ってのはたぶんTVプレイバックだと思う おっぱい揉んで
激安で抜ける
○1000円〜
「新宿 アイアイ 」
○1500円〜
「西川口 マーガレット 」
○2000円〜
「新宿・錦糸町 あんぷり亭 」
「新宿 ダブルエロチカ 」 当時でも地味な番組だが日曜日22時30分の時間帯には丁度いい雰囲気の番組だったな 花王名人劇場→TVプレイバック→金鳥おもしろ倶楽部→Mフェア
当時のフジ系日曜夜はフジと関テレ制作が絡み合って独特な空気があった 女子アナが可愛くかったけど、数年前久しぶりにテレビ寺子屋という番組で観た。 と穴があれば誰でもいいとのたまうオヂチャンですた。 提供が武田薬品工業・グレラン製薬・天藤製薬・千寿製薬・ビオフェルミン製薬の「タケダグループ」と
「iichiko」の三和酒類ほか
ドリフは出てたけど、完全にアウェー。ほとんど欽ちゃん番組。
坂上二郎氏がゲスト出演した回では、ドリフ枠でいかりや長介が出演していたが、彼は出演者であることを忘れ
ただただ欽ちゃんと二郎さんのやり取りを腹を抱えて笑っていただけだった。
志村けんが出ていた回は、ほとんど印象がない。
一方、欽ちゃんが一番やりやすそうなドリフメンバーは、仲本工事だった気がする。 >>63
千葉の戦士こと37歳の横井さんはいつも早起きですね。
パソコンの前ばかりいないで、たまには体動かしてみてはどうですか? >>61
志村はこの番組でもカトケンテレビでも欽ちゃんと絡むとイジラれ役 まあこの番組始まる前後に全員集合が終了、大爆笑などのコントじゃないラフな雰囲気で毎週ドリフメンバー見られる貴重な番組だった。
この番組独特のルールで正解ポイント9点越えすると0点にリセット、確か志村出演の回が発端だったんだな。
まあわりと司会の欽ちゃんジャッジで正解不正解関係なく点が増えたり減ったりする形式だったし。そのアバウト感が好きだったがw
後にさんまのからくりTVのナイスボケで点が入る形式につながってるか。 イラストレーターで収入が少ないからと30代後半で漫画家になろうとする、ひきこもりのバカ発見。
足立区に住んでいるそうだ
http://inumenken.blog.jp/archives/6609090.html 司会が萩本欽一で、演出が常田久仁子
コント55号の世界は笑う・欽ドンを共に作ってきた演者と演出が再びタッグ組んで作ったクイズ番組
一応クイズ番組という形式だけど、司会と解答者のやりとりの面白さや盛り上がりを重視してたんだなと今にして思う この時代の日曜は朝からテレビとラジオ付けっぱなしでハシゴしてた。
ちなみに締めはニッポン放送のナンノこれしきっ!! だったわ。
余裕が有るときは、レモンエンジェルとか中川ようのナイトバードw よーく見てみようのコーナーは好きだった
後で意表を突く問題(映像に出ていた時計は何時何分を差していたでしょう?)などがあって奥が深かった テーマ曲が結構ゆる〜い感じの曲だったのを覚えている。
提供は武田薬品工業ほかタケダグループなので、「アイアイゲーム」の後番組なのだが
ずいぶんと前番組は雰囲気が違っていた。
この番組で石田純一を知った人も多いはず。
「欽ちゃんとドリフの共演」が売りだったけど、殆ど欽ちゃん色が強すぎて活かされていなかった。
志村けんなんて「出てたの?」って感じだったし、加トちゃんも殆ど欽ちゃんに喰われていた。
いかりやですら「お客さん」だった。
意外にも互角に渡り合っていたのは仲本工事。
アシスタントの女性がフジの女子アナににてはかなり清楚で正統派な感じの綺麗な人だった。 クイズ番組なので正解するともちろん得点がもらえるが
欽ちゃんと解答者のやりとりと采配でさらに得点もらえたりマイナスになるのが見所でもあった
笑点の座布団や後のさんまのからくりTVのナイスボケなどに通じる
スレの上にもさんざん書かれてるけど得点パネルが9枚で9点以上取ると0点にリセットされるというルール
番組のやりとりの流れで生まれたルールらしいけど画期的だったな
司会欽ちゃんと解答者ドリフのやりとりは今でいうまったりとしててこれはこれで好きだった
こういういい意味でゆるく楽しめるクイズ番組ってのはなかなか今では難しいか 年甲斐の全く無い長駄文
くだらない人生を送ってきたのが、容易にわかる(大嘲笑) >>82
あなた、いつの間に戻ってきたんですか?
日頃の行いの悪さのせいで地獄に落ちたはずなんだけどw >>82
おいブー公、大相撲九州場所はどうだったかい 日曜洋画のEDの曲並みに
この番組とのちのキンチョウ提供の番組とともに
「ああ、日曜終わるのか、、、明日は、、」いう気持ちになる。 こういう矢印はこういう嫌がらせしか楽しみがないのかね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています